シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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少女達が再会の喜びとまた一緒に歩める幸福を噛み締め、共有している時……ふと足音が聞こえた。距離は段々と近くなる一方。方角としては……アリスが眠っていた椅子ともベッドとも呼べるものの、真正面。
「────王女……先生」
影からゆっくりと姿を現したのはこの世界のもう一人の持ち主であるKey。アリスの体そのままでありながら、ヘイローと瞳は茜色。全体的に憂いを帯びた……アリスのそれよりも少しだけ大人びた表情を浮かべている。
「……ケイ」
「今更出てきて何のつもり!? 言っておくけどアリスは渡さないからね!」
「……それについては構いません。無名の司祭の道具として使われるよりもあなた達と共に在った方が王女も幸せでしょう。私の存在理由が消えるとしても王女が幸福であるならば……私はそれで良いと思います」
アリスが自身の存在について悩むのはどの道を選んでも変わらない。彼女は必ず、何処かで自分が何を望まれたのか……存在理由という壁にぶち当たる。だから後はそれを誰と乗り越えるか、だ。その誰かが彼女が大切だと思った人であるならば幸福と言えるだろう。
少なくとも、無名の司祭に道具として使われ、やりたくもない事を延々とやらされ、見たくもない光景を見続けるよりはマシだ。
その選択の結実がKeyの存在の否定になったとしても構わない。アリスが幸福であるならばそれに勝る幸福はないと断言できる。大切で、心の底から愛している……この世界でたった一人の同胞。彼女の笑顔が未来で咲く事が、Keyに与えられる最大の報酬だ。
でも────そう思い、Keyは腕を伸ばせば触れられる距離に立つ先生を見る。
笑った顔が好きだった。優しく細められた眼。靨。胸から湧き上がる確かな幸せを噛み締めるような口元。
困った顔が好きだった。少し垂れた眉。優しさと温度を損なわない瞳。浮べた苦笑。
仕事をしている時の顔が好きだった。真剣な表情が好きだった。怒った顔ですら愛おしい。
好きだったもの、愛おしかったもの。その全てが────初めから消費され、使い潰される運命だと知った時に感じた……あの筆舌に尽くし難いほどの怒り。
この怒りだけが彼が生きた証明だった。命を弄ばれ、復活の礎にされ、使い潰され塵一つ残っていない彼が……確かにあのキヴォトスで生きた証。
視線と視線が重なる。見上げる少女と、見下ろす青年。ごくり、と生唾を呑む少女達は視界の彼方に追いやられた。今のKeyにはアリスと先生しか見えていない。
どれほどの時間をそうしていただろうか。その均衡とも呼べるような緊張と距離感が崩れたのは、先生が触れられるギリギリの距離から一歩踏み込んできたから。彼は臆せず、迷わず、真っ直ぐな歩みでKeyの方に少し近づいて。
「ねぇ、ケイ。少し話をしようか」
「……今更何を話すのです。そもそも、貴方は知っているでしょう?」
「そうかもね。でも、私はケイの口からは聞いていない。私は君の口から、君の声で、君の想いが聞きたいんだ」
彼は「だから」と言って。
「話してくれないかな。君が抱えているものを」
「……良いでしょう」
溜息交じり、少しばかりの逡巡の果てに吐いた言葉と共にテーブルと椅子が虚空から顕現する。まるで手品のように。似たような事はシッテムの箱とクラフトチェンバーを使えば先生もできるが、それはあくまで見てくれだけ。机や椅子を作るために物質は必要で、狙ったポイントに出現させるためには電力を要する。キヴォトスに敷かれた物理法則からは逃れられない。
それを考えると、今しがたKeyが起こした現象は破格だ。何もない空間から机と椅子を生み出したのだから。法則の無視。恐らくは精神世界……物質が介在しないからこそ、こんな無茶ができるのだろう。精神世界の主と云うのは存外強力らしい。権限の強さだけで言ったら主人格であるアリスの方が上だろうが、彼女はその力に無自覚だ。Keyと同じように自由自在、とはいかないだろう。それでも思い入れのある縁深いもの……
「……こうやって、落ち着いて話すのは初めてだね」
「────」
話し合いのテーブルに着く事により視線が合う。Keyの目の前には先生が、先生の眼の前にはKeyが。武力を介さない純然たる対話の席に着いて、漸くゆっくりと互いの顔を見る事ができた。互いに思う、懐かしいと。過去もこうやってよく話した。Keyにとっては全て大切な思い出。下らない会話も、何もかも。例外なく覚えている。
距離はKeyの記憶よりも遠いけれど、それでも互いの表情が見えるから彼女に不満はない。いや、強いて言うならばもう少し近くに行きたいが……それは我儘だろう。元より、彼の命を奪おうとしている身なのだ。こうして、顔が見える場所まで近寄る事ができた方が異常であろう。
────まぁ、彼らしいとも言えるが。彼はどんな時も争いよりも対話を望んだ。武器ではなく言葉を交わす事を好んだ。もし彼が
Keyは眼を伏せ、少し思考を整理した後に視線を先生から外し未だ警戒している少女4人を見る。この席に座って良いのか、否か。何かあった時に即応できるように立っておくべきなのか迷っている。その逡巡は視線だけでもはっきりわかるほどであり、余りにもあからさま過ぎた。もう少し隠す事を覚えた方が良いのではないか、とKeyが思ってしまうほどに。
「アリス、あれは────」
「分かり、ます」
モモイの言葉を遮るようにアリスは言葉を発する。声音は確かに。震えも怯えもない。まるで揺るがない真実を継げるかの如く口調。それと共に、庇う様に立っていたモモイの背からアリスは出て────既にテーブルに着いていた彼の隣に座り、Keyを見つめた。自分とそっくりな、自分とは違う少女を。
「アリスには分かります。貴方が……アリスではない
「えぇ、その認識で相違ありません、王女。私はKey。貴方と共に在り続けたトリガーAIです」
「ならアリスの妹ですね! アリス、お姉ちゃんになりました! モモイと一緒です!」
「いも……? いえ、違います。私はトリガーAI、王女をサポートする存在です。妹という表現は適切ではありません。肉体を同一にしている以上、差異は人格のみ。何方かと言うと解離性同一性障害……多重人格が近いです」
ぐうの音も出ないほどロジックでアリスの論を叩きのめしたKeyは微妙な顔をして、アリスをこんな風にした原因……モモイ達を見る。とんでもない英才教育……英才教育? を施してくれたものだ。尤も、それがアリスにとって良い方向に作用しているからKeyも強くは言えないが。でも、それでも文句の1つくらいは言いたくなる。アリスの脳の大半をゲームで埋め尽くした事について。
「……そうなんですか?」
「そうです、王女よ」
「……むぅ」
「むくれても現実は変りません」
そんなやり取りをしている内に少女達の警戒心もある程度解れたのか、まだ硬い顔ながらも席についた。話が通じるのかは微妙であるが、冗談は通じる相手だと思ったのかもしれない。
アリスに関しては、元から警戒なんてしていない。自分自身に連なる者として親近感さえ覚えていた。それこそ、彼女を一目見ただけで妹と言ってしまうほどに。
「このままでは何時まで経っても雑談で終わってしまいます……本題に入りましょう」
「私としてはそれでも構わないんだけど……そうだね、話を変えようか」
言い、彼は表情を切り替える。真剣な顔は鋭利ながらも優しさを損なっていない……不思議な、彼だけが浮かべられる特別な顔。
「ケイ。君の目的を聞かせてほしい」
「先生の殺害、及び遺体の消滅」
「理由は?」
「貴方の生をこれ以上侮辱させないため。貴方の遺体を利用されないため」
ここまではある程度聞いていて、推察もできていた。彼女の言葉、表情、感情から。
ケイは知っているのだろう。知った手段は……恐らく、アトラ・ハシース。アレは多次元解釈、並行世界を翔る方舟だ。そのプロトコルが本来の機能として備わっている彼女であれば
だが、それはそれとして疑問が残る。方舟のアーカイブが参照できるという事は方舟がアクティブ状態になっている事実を示す。何故、あの方舟が動いているのか。アレを動かせる資格を持つのは、Keyを除くと……。
そこまで思考を巡らせたが、彼は疑問ごと止まった思考回路を奥に追いやる。重要な事ではあるが、今は本題ではない。今重要なのはKeyのこと。
────自分が生きたままでは確実にキヴォトスが滅びてしまうことなんて、先生とて正しく把握している。先生……救世主に結び付けられた神格、数多の神話を轢殺した唯一神。神の子として変質しつつある肉体は時間経過と共に『完成』し、復活の器となる。そうなる前にやるべき事をやって、キヴォトスの明日を守る為に死ぬべきなのだ。
救世主という称号。神の子という符号。大人のカードというリソース回収装置、奇跡の蒐集装置。どれを取っても、何を取っても後の悲劇に繋がるものしかない。自身の体の主導権が自分以外に移る前に自刃するべきなのは当然だ。
ケイは『侮辱』や『消費』と言ったが、そんな事をさせるつもりはない。彼にだって意地はある。自分の思い出を、記憶を、肉体を好きな様にはさせない。そうなる前に笑って死んでやる。自分なんぞを器に選ぶから盛大に失敗するのだ、ざまあない……と、彼方で踏ん反り返っている怨敵を嗤って。
謂わば、この生は初めから身辺整理と死後処理を兼ねているのだ。
死ぬ事は分かっている。どれだけ甘く見積もっても確実に1年は持たない。その限られた短い時間でやるべき事を果たし続ける。明日生きられるかすら分からないけれども、悲観的にならず明日を思って生きると決めた。
────自分に大切なものを託してくれた彼女に笑われてしまわないように。
「私は答えました。次は先生の番です。何か身体に変調はありますか?」
「……一応は」
「でしょうね。僅かですが混ざっているのを感じます……止める理由がまた一つ減ってしまいました」
「……死にたくないって、私がみっともなく泣き喚いたら?」
「やれもしない事を言うのは止めて下さい」
少しでも命乞いしてくれれば。少しでも死を忌避してくれれば。少なくともKeyはこんな気持ちになる事はなかった。彼は自分の死を惜しめない。自分の死を忌避できない。何度も殺され、死に絶え、その度にやり直してきた彼は人間が当たり前に持つ死への恐怖心というものを忘れてしまったのだ。彼は自分が死んでも、『あぁ、そう』程度の感想しか抱けず、足掻きはすれど呆気なく受け入れるだろう。生きる事よりも死ぬ事の方が、死んでいる自分の方が当たり前として受け入れる事ができるから。
────Keyにレプリカの砲門を向けられたその時と同じように。
「変調箇所は何処ですか?」
「左の脇腹。実際に見てもらった方が早いかな」
そう言い、彼は肌着ごとシャツを捲り上げて腹部を露出する。精神世界という関係上、エリドゥ攻略で負った負傷が無いため肌の下は綺麗だった。目立つような流血の痕も、傷もない。細くしなやかだが、肌の下の筋肉の感じさせる男性の体……其処に刻まれた、余り似合わない痕こそが変調の兆し。彼が『神の子』としての役割を押し付けられた確かな証だった。
鋭い何かで刺し貫かれた事を示す刺傷がある左脇腹。かの救世主が運命に貫かれたと同じ場所には共鳴した結果の
傷口を囲む円環ような荊棘は解け落ち、今度は逆に傷口を中心として荊棘が放射状に伸びている。まるで肉体に奔った亀裂のように。長さは最長で10cm弱。恐らくは大人のカードの使用毎に変質し、伸びていくのだろう。それが全身に回った時が彼の最期……なのかもしれない。
「一応言っておくけど────」
「まだ大丈夫、そうでしょう? 貴方の言いそうな事なんて分かります。では、明日は? 明後日は? 一週間後は? 一か月後は?」
その問いに対して沈黙を返す彼にKeyは辟易した感情を隠さず溜息を吐く。
「貴方は大丈夫な状態が続かない事を知っている。明日明後日なら急変する確率は然程高くありませんが、少しでもスパンを長くすれば途端に不確定になる。貴方は先生、生徒の事を大切に想っていますから。生徒の為であれば喜んでその身を投げ出すでしょう。それこそ、
「終わりなんて誰しもに訪れるものだ。別に私だけが特別じゃない。いつか死ぬ事ばかり考えていたら前なんて向けない。どんなに先が昏くても、未来が無くても、私は明日を想って生きる。皆と一緒に明日を見たいから私は生きるんだよ」
彼は「それとも」と言って。
「ケイが見た私は諦めていたのかい? 自分は救われないって、己を憐れんで腐っていたのかい?
「そんな訳ないでしょう……ッ!」
Keyにしては珍しい絞り出すような声は強い否定、痛みそのもの。彼女の心に刺さったままの棘から出た感情は後悔。自分を救ってくれた人を見殺しにしてしまった……その後悔が今も尚、少女の胸を焦がしている。
あぁ、そうだ。彼は決して悲観的にならなかった。死に逝く己を憐れまなかった。死ぬその時であっても、誰かの為に祈っていた。誰かの幸福を信じていた。彼を殺した者達も、彼の尊厳や誇りまでは決して穢せなかったのだ。
だが────
「貴方は生贄だった。キヴォトスが存続するためのスケープゴート、体のいい消耗品。誰も貴方の痛みになんて見向きもしなかった。幸福と平和の裏側で、どれだけ貴方が身を削っているかなんて知ろうともしなかった」
ケイが知る彼の最期は……饒舌に尽くし難いほど、最悪だった。
無名の司祭が呼び寄せた終末悪の姦計によりばら撒かれた悪意と恐怖は燻っていた憎悪に火を点け、学園間……最終的にはキヴォトス全体の争いを誘発。
争いを望まない声があった。利用されていると訴えた声があった。だが、それらの声は全て憎悪と怒号で塗り潰され、戦火を前にした花のように燃え尽きて。
結局、仕組まれた争いに感づいた者達は逃げるようにシャーレを頼り、先生の元で憎悪に駆られた者達と戦う事になる。
折しも連邦生徒会が戒厳令を出し、一時的に連邦生徒会が持つ行政権の一部がシャーレに移った時だった。彼も当初はシャーレの目的と乖離していると戒厳令と行政権譲渡について反対していたが、次第に大きくなる戦火を見て渋々と認可。恐らく先にこの無意味な流血を止めるべきだと思ったのだろう。
彼にとって誤算だったのは、この無意味な争いに軍需産業を扱う企業が参入したことだろう。カイザーを筆頭とした企業は金になると分かった瞬間、争う者達に武器を提供し始めた。キヴォトスの民達が一般的に携帯する銃器だけではなく戦車や軍用ヘリといった大型兵装を対立者達に与え、争いを加速。犠牲と涙、流血を増やし自身の私服を肥やすための対価にした。
先生の手により武装の生産ラインや軍需資産が凍結した頃にはもう全てが遅く、争いは話し合いで止まる範疇を超えてしまった。生徒、住民、オートマタ。キヴォトスに住まう凡そ全ての生命が戦火の中に叩き込まれ、当たり前の日常を奪われたのだ。
だが、彼は手遅れでも手遅れなりにやれる事があると信じて、事態がこれ以上悪化しないように瀬戸際の策を張り巡らせ続け、牛歩の歩みであったものの少しずつ争いの規模を縮小させた。紛れもなく偉業だ。称えられて然るべき素晴らしい事を成したはずだ。
しかし────彼を待ち受けていたのは余りに醜悪な人間の悪性だった。
争いの発端となった終末悪でもなく、争いを加速した企業でもなく、終末悪をこの地に呼び寄せた無名の司祭でもなく……争いを止めようと奔走し、瀬戸際でキヴォトス崩壊を食い止めた彼がこの騒動の責任を取らされた。争いが拡大した原因は彼が強大な戦闘能力を持つ生徒を御し切れなかったからだと、最早正当性すら捨てた醜い罪状を彼に押し付けて。
当然の如く彼は死罪だった。彼を慕う生徒はほぼ全員動ける状態ではなかったが、それでもこんな結末に納得できなかった彼女達は最後の力を振り絞り先生奪還を試みたものの、死に体でどうにかできるはずもなく囚われて。
自分が下手に抵抗すれば生徒にまで危害が及ぶと考えた彼は抵抗すらせずに十字架を背負いながら消えてしまった。火刑だった。火炙りだった。まるで魔女裁判に掛けられた聖職者のような末路。彼は灰になって死んだ。
先生は救ったはずの民衆の手で死に追いやられた。都合の良い『
こんな醜さの為に彼が死んだと認められなかったKeyはアリスより先行して目覚め、プロトコルを稼働させた後にキヴォトスを文字通り地図から消した。彼と関わり深かった生徒達は抵抗しなかったため、数時間の稼働で何もかもが終了して……こんな簡単に崩れ去るものが彼が命を賭して守ったものだと思うと、胸が締め付けられるような痛みを覚えて。
そして、僅かに残された彼の遺灰と遺骨は復活のためのリソースとして回収されてしまった。彼の痕跡は、彼が遺したものは全て何かの踏み台でしかないと嘲笑われているようで。
────あぁ、そうだ。彼は。眼の前でKeyを真っ直ぐ見つめる彼は。
「貴方は生きたいと思う事すら許されなかった!」
そんな当たり前すら奪われてしまった悲しい人だった。