シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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ケイの絶叫に近い内心の吐露。それこそが先生が今まで置き去りにしてきた罪悪そのものだった。
生徒の為に。明日の為に。自分以外の誰かの為に。幸福の為に。笑顔の為に。彼を動かしてきたものはいつだって自分以外の何か。自分の為に命は掛けれなくて、自分の為には怒れなくて。
それは善性なのだろう。利己的ではなく利他的、他者の笑顔と幸福に喜びを見出すその在り方は正しく『キヴォトスにおける先生』と呼ぶべきもの。
だからこそ、その一切がそのまま彼を縊る殺意となる。愛と善の元、彼は己を殺し続けた。生徒の為に何度も自分を殺し、那由多の果てまで屍の山を積み上げてきた。それらの行為には確かに意味があっただろう。意義や大儀ですら。
だが、意味や意義なんて言葉遊びでは取り繕えないほどに、彼の死は彼を慕う生徒達の決して癒えない傷跡になってしまった。誰かの痛みになりたくて死んだわけではないのに。
「……」
自分を憐れみません。自分の幸福を望みません。自分の希望を持ちません。自分を救いません。
生徒の為に全てを捧げる事を誓います。キヴォトスの為に生きることを誓います。誰かの幸福の為に死ぬ事を誓います。
全て、全て。これまでも、これからも。全ての己を対価にして連邦生徒会長との約束を果たしてみせます。
────そうしないと、自分はキヴォトスで呼吸をする資格すら与えられない。
両親の顔を思い出せなくなったのはいつからだろうか。
自分の名前を書けなくなったのはいつからだろうか。
先生でない自分が空っぽになったのは、一体いつだっただろうか。
自分の命に重さを感じなくなったのはいつだったか。
素直に生きたいと思えなくなったのは、自分の死に方に期待しなくなったのはいつからだったのか。
どれも、もう分からない。忘れた事、過ぎた事だ。今更それを想っても帰れない事は自分が一番よく知っている。
この人生は確かに、ケイの言う通り『生きたいと思う事すら許されなかった』旅路なのかもしれない。
────でも、それでも。きっと。そう思い、彼は顔を上げる。眼前には傷ついたままの少女。守りたくて、手を取ってあげたかった遠い君。
「────」
顔を上げた彼に対する彼女は俯いたままだった。目線を下げて、唇を噛んで。口を衝いて出そうな後悔を堪えている。
短命も、運命も、終焉も、何もかも。彼は正しく理解している。でも、受け入れている訳ではないとKeyは思っていた。そうするしかないから彼は受け入れているに過ぎない。他に道があるなら、きっと彼は選んでくれると思っていた。差し伸べられた彼の手をKeyが取ったように、彼もKeyの手を取ってくれるはずだと。
けれど、先生は『自身の信念に反するから』という理由で手を取ってくれなかった。手を握らせてくれなかった。でも、見放す事だけはしなくて。彼は泣いていたKeyに寄り添う事を選んだ。対話を選んだ。
────だからこそ、そんな先生だけはどうにかしたかった。どうにかしなければならなかった。彼に訪れる結末を知ってしまった者として。見て見ぬふりも、彼の優しさに甘える事もするつもりはない。彼を終わらせてあげないと。
そう思い、握り締めた手を優しく包み込んだ大きい掌。少し俯いていた顔を上げると、彼は身を乗り出してKeyのすぐ近くまで顔を寄せていた。
「私って、そんなに頼りなく見えるかい?」
「……」
「生徒の手を借りないと死ぬこともできないような、情けない先生に見えるかな?」
諭すような達観した口調ではない。先生が生徒に教えるような口調。或いは、同じ人間として対等に話すような口調で、彼は少しずつ言葉を紡いでいく。
「私は誰かに死の重みも、悼みを押し付けたくない。叶うならば私が去った後は私の事なんて忘れてほしいし、偶に思い出してくれるならその時の姿は笑顔の私が良い……なんて、思っているけど時にはその笑顔すらも呪いになる……悲しいね。そんな顔をさせたくて、私は生きてきた訳ではないのに」
実際、Keyは呪われている。彼が最後に見せたあの笑顔にずっと囚われてしまっていて、明日なんて見れなくて。あの笑顔をもう一度だけ見せてほしい、とは思っても……その笑顔を浮べた瞬間に彼はきっとまた世界に奪われてしまう。
だから、笑顔は望まない。その代わりに永久のさよならを。貴方がいなくても、手を引いてくれなくても歩いて行けると、他ならない貴方の為に証明してみせる。そう思って、そう決意して、決して引かないと誓って彼に殺意を向けたのに。胸の中に渦巻いていたのはそれとは真逆の感情ばかり。
「先、生……」
また笑顔を見せてほしい。また一緒に歩みたい。ヒトとして成長していく自分達をずっと傍で見守っていてほしい。いつか貴方に恩返しして、胸を張って『大人になった』と言ってみたくて。
殺さなければいけない。他ならない彼の為に。彼が皆に踏み躙られないように。せめて、ヒトとして死んだ証をKeyが刻まないと。そうしないと彼は本当に一人ぼっちになってしまうから。
疾うに決めたはずだった。数多の感情を呑み込んで、彼の為の救世主になると決意を固めたはずだった。何度も迷って、泣いて、世界を憎んで、誰かを恨んで、もうどうしようもないと悟ってしまって。だからせめて、これ以上彼が苦しみと涙と痛みを背負わないように終わらせてあげようとした。
余計なお世話だというのは重々承知している。でも、大切な人が少しずつ失われていくなんて耐えられなくて。あの好きだった笑顔が陰っていく光景なんて見たくなくて。
だから殺さないと。でも殺したくない。
どれも本心だった。どれもKeyの本当の願いだった。
「ケイ、アリスは好き?」
「……当然です。王女は……いえ、アリスは私の全てです」
「皆は好き?」
「……好きでも、嫌いでもありません」
「キヴォトスの事は?」
「……そこまで」
その言葉達に彼は「そっか」と優しく笑って。
「私はキヴォトスも好きだし、皆も好き。この世界で懸命に生きている、皆の事が好き。私はその輪の中には入れないけれど、それでも皆の事が好きだ。困っているなら助けになりたいし、泣いているならその涙を拭ってあげたい」
皆とは違う事なんて分かっている。この身に神秘はない。この身に
それでも、この世界と皆を愛した心だけは嘘でないと信じている。青い空を同じように眺める事は出来ないけれど、同じ速度で歩くことはできないけれど……それでも、この世界で『先生』として生きていけると信じている。AL-1Sではなくアリスを選んだ彼女と同じように。Keyではなくケイを選んだ君と同じように。
「
「……えぇ、貴方が好きだった言葉です」
「目の前の困難を乗り越えて、いつか星に手が届く事を祈る言葉。多分、人間は皆そうなんだと思う。届くかも分からない星に手を伸ばし続けて、祈りと共に空を見上げる。私達はそうやってキヴォトスの人類になったんだ……ケイもアリスも、勿論私も」
AL-1Sは
Keyは
彼は
3人が見た星はそれぞれ違うけれど、異なるものから『キヴォトスの人類』になった時に星を見上げ、手を伸ばしたことは共通している。自分も皆と同じように生きてみたいという祈りが始まりだったように。
「最初は全部、祈りや願いなんだ。こうしたい、ああしたい、こうなってほしい、ああなってほしい……そんな、何でもないもの。それを積み重ねて、私達はヒトになっていく」
「……ですが、貴方は少しずつ貴方が愛したヒトの形を失っていく。それは────」
「ヒトとしての歩みはもう充分もらったよ。例え地獄に落ちても忘れないくらいに、大切な思い出達をね」
彼は「だから」と呟いて。
「今度は私が返す番だ。この生を使って、少しずつ恩返しをしていく。彼女との約束を果たす。零れ落ちたものを取り戻すために私は此処に居る。今の私があの日の答えだ」
弱さは武器にしない。強さも同じように。己が振るうのは決意だけ。この胸の中にある願いを、美しくも残酷なキヴォトスという世界に証明し続ける。彼女の居場所を守り続ける。
彼女と契ったあの約束を果たすための生涯。生徒の為の先生で在り続ける生涯。それこそが、彼を先生たら占める唯一つ。
でも、それは────やはり呪いだろう。
「……素晴らしいと、思いますよ。誰かの為に、世界の為に、生徒の為に。全てを包むまで、全てを愛するまで貴方は歩み続ける。先生という
これは記憶ではない。アトラ・ハシースから得た未来予測。彼がこの先、どうなるのか……彼の因果、運命、契約、複製、記号、儀式……それらを統合し、導き出した結論。何よりも否定したかった彼の本当の末路は余りに惨たらしいもので。
「その生に安らぎはなく、血を吐いても死ぬまで走り続ける。死後の安息からも見放されて、また次の誰かの為に貴方は走り続ける。その果ては全てから離れた夜の坑道。全てを救った代償に、貴方は世界から弾き出される。異物だから、平和になった世界に救世主はいらないから」
目的を果たしたら『先生』という存在は不要になる。超法規組織であるシャーレは解体され、その責任者たる先生も同じようにキヴォトスでの居場所を失う。彼を引き留める声はきっと多くあるだろうけれど、彼は誰にも何にも言わず、何かに属することなく蜃気楼のようにキヴォトスから去るだろう。先生という存在がシャーレに縛られなくなった以上、争いの火種になりかねないから……そんな、最後まで生徒を想った優しい理由で。
剰え、彼は『それを受け入れている』と言ったのだ。そんな訳ないだろう。彼はキヴォトスを、皆を心から愛している。愛した者達から『要らない』と言われ、愛した場所から居場所が消えるなんて……耐えられる訳がないだろう。平気な振りをしているだけだ。
「それを、
「違うよ、ケイ。私は────」
「何が違うんですか!?」
血を吐くような声と共に彼女は握られていた手を振り払い、彼の胸倉を掴む。気道の塞がる感触が手に残り、襟とネクタイを乱暴に引っ張り自分のすぐ近くまで寄せた。Keyの内心を見透かしたような眼は痛みを偲ぶように細くなっている。
「ずっとそうでした! 私達は傍に居る事すら許されなかった! 貴方が望まなかったから! 最期まで先生である事を貴方が望んだから! 貴方の終わりは独りぼっちで! 私はお別れも言えなくてッ!」
彼の最期なんて見る事すら許されなかった。言えなかった、言いたかった、言いたくなかった別れの言葉。それすらも機会を奪われた。彼を弔う事も出来なかった。花を供える事さえ。
その後悔も痛みも全部吐いて、最後に残ったものは余りにも小さくて細やかな願い。
「消えないで、ください……行かないでください……」
誰にも言わず、何かに殉じるように消えないでほしい。手の届かない、声の届かない場所まで行かないでほしい。死なないでほしい。置いて逝かないで。ずっと、ずっと近くに居てほしい。
だって、貴方は。
「貴方は……私達だけの、救世主なんです」
明けない夜を照らしてくれた────アリスとケイが最初に仰いだ
▼
顕現させた椅子とテーブルはいつの間にか消えていて、ケイは縋るように彼の体を抱きしめている。何処にも行かせはしないと言わんばかりの固い抱擁は束縛にも見えて、想いを映す鏡のよう。
声を聞いて。心を聞いて。彼女の抱えた荷物を詳らかにして。彼も漸く、真の意味で向き合えた。己が置き去りにしてしまった、最愛達を。
「────ケイ」
「……なん、ですか」
「ありがとう」
怒らなくていい。悲しまなくていい。泣かなくていい。自分の為に。
忘れてほしい。思い出にしてほしい。過去の情景にしてほしい。自分の事を。
そのスタンス自体は変わらない。未来永劫、きっと変わる事はない。でも、今だけは────彼女の抱えた怒りと悲しみを肯定したかった。その行為が先生として罪であるとしても。
「嬉しかった。君がそう言ってくれて」
顔を上げると彼と目が合って。何度も見た彼の笑みと共に指先が伸ばされて、目尻に溜まった雫をそっと拭った。
「泣いている顔は、アリスそっくりだ」
「そうやって、貴方は、いつだって……」
「あぁ、そうだね。私はいつだって、自分のしたい事をやっているだけに過ぎない。この行為も所詮、自己満足の域を出ないよ。皆、私の事を買い被り過ぎなんだ」
「それでも……例え自己満足でも、貴方は報われるべきです。他人を想った頑張りは報われるべきと言ったのは貴方でしょう。他人の幸福のために命さえ投げ出した、他ならない貴方が」
「皆と過ごす時間が一番の報酬だよ。生憎、これ以上の報酬なんて思いつかないな」
彼は膝立ちになってケイと視線を合わせて。
「先生は、アリスの事が好きですか?」
「あぁ。ケイの事も、モモイもミドリもユズも……皆」
「……お別れは、したくないですか?」
「そうだね……叶うなら、ずっと君達の成長を見守っていたいな」
お別れはしたくない。ずっと一緒に歩んでいきたい。最愛の生徒達が少しずつ前に進み、成長していく様を見ていたい。
だけど、その願いは胸の奥底に大切に仕舞い込む。
「それでも、私は足を止めないよ」
この日々に背を向けてでも、守り抜きたいものがあるから。
「連邦生徒会長……彼女と契った約束が私にはあるんだ」
星が降る夜、天の裂け目の下。彼と彼女……星の異物と超人が其処で互いに語り合った。互いの夢と理想を、まるで何でもない唯の青年と少女に戻ったように。
「この約束がある限り決して私は足を折らない、二度と歩みを止めない。それが、私のしたい事だから」
「……それは、神秘の────」
ケイはその先を言葉にする事を止めて、きゅっと唇を噛んだ。彼の最終的な目的は既に知っている。そして、それが途轍もないほど長く、遠く苦しい道である事も。だから、問うのは別の事。貴方は未来で傍に居てくれるのかを、少女は彼に投げかける。
「……絶対に死なないと、言ってくれないのですか」
「確約はできない。何せ私は弾丸1発で死ぬ身だからね。死因なんてそこら中に転がっている」
彼は「でも」と、言って。
「命を捨てる気はないよ。今更自分の命に価値を見出す事はできないけれど、ケイが大切にしてくれているものを粗末にしない。私は最期まで諦めない。例え夜が続いても足掻くさ。最後の勝ちを信じて、ね」
彼はケイから少し距離を取り、逆光を背にする。その光景が炎の中に消えたあの世界の彼と重なって見えて。凍り付いた声帯からは悲鳴になり損ねた吐息が漏れるばかり。
また何もかもが届かない場所で孤独に死ぬつもりなのかと叫びそうになった、その時。
「だからケイにはお願いがあるんだ」
まだちゃんと心臓は音を鳴らしているよと、まるで諭すような優しい声で生徒に
「私の最期に会いに来てほしいな」
彼の口から零れた願いは、彼の事を知っていれば知っているだけ『ありえない』と断言してしまうものだった。
彼は死を押し付ける事をしない。死ぬときは基本的に一人で死ぬ事を選ぶし、避けられない場合を除いて、死ぬ瞬間を決して生徒に見せる事はなかった。それは多感な少女達に『命の臨終』を見せたくないからであり、少女達の傷になりたくないからで。生徒達には傷つき死に逝く彼ではなく、何でもない日常の中を生きる彼の事を記憶の中に留めてほしかったから。
そんな彼が、誰よりも生徒達に死を押し付ける事を嫌った彼が────ケイに己を看取る事を頼んだ。
「多分、ケイの顔を見れば私も救われると思う。守れた笑顔が1つでもあった……もし、その笑顔が君だったなら私はきっと寂しくないよ。笑って息を止めれると思う。自分の人生、皆が言うほど悪いモノじゃなかった……って」
「……なんですか、それ」
その願いはあまりにもあんまりで。でも、彼らしくて。
「最期を独りぼっちにしてくれないんだろう? 君は」
「……えぇ。必ず、貴方を孤独に逝かせる事はしません」
いつかの日。何もかもをやり終えた先生の最期を看取る役割をケイは受け入れた。
▼
皆と一緒に生きていたいというアリスの願い。
いつかの最期に笑顔を欲した先生の願い。
2人はそれぞれ、己の願いと向き合った。向き合って、目を逸らさずに見つめて、誰かに伝えるために言葉にした。
そうしたら、最後は彼女の番。
「ケイ、君はどうしたい?」
大切な人の為に涙を切り裂きながら心を押し殺した彼女。ずっとしたくもない事をやり続けたケイの願いを聞かなければならない。聞いて、願いを叶える流れ星にならなければ。
「……私はトリガーAI。そこに『在る』だけで滅びを齎します」
「私はいつかの話をしていない。今、君がどうしたいのか。それを聞いているんだよ」
やはり、その答えはケイの記憶にある彼そのままで。齎される滅びを真っ向から打ち倒し、その上でケイの手を取ろうとしている。呆れかえるほどに前向きで、誰かと誰かの心を大切に想っていた。
────既にケイの中に彼に対する殺意はない。彼が『
でも、これで良いのか……そう思う自分がいないとは言えない。彼の内側に巣食う根本的な問題は何も解決しておらず、1年以内に取り返しのつかない事になってしまうだろう。そうなる前に彼を終わらせるべきという結論に依然として変わりなく、そのタイミングも早ければ早いほど良い……という訳ではないが、それでもいつ手遅れになるか分からないから確実に大丈夫な今の内に手を打つべきだ。
今、彼の手を取れば……近い未来に苦しむ彼を見殺しにする事になる。
そんなケイの逡巡を悟った彼は微笑を浮べて。
「ケイは悲観的になり過ぎだよ」
「貴方は楽観的過ぎです。分かっているんですか、貴方は────」
「分かってるよ、ちゃんとね。だから大丈夫」
「何が大丈夫なんですか、全く……」
何の根拠もない『大丈夫』だったけれど、それでも信じられると思ったのは彼の言葉だからだろうか。何度も前提を覆し、奇跡を成してきた彼だからだろうか。
故に、臆せずこの言葉を告げる事ができた。
「私も、もう少しだけ歩いてみたいです。アリスと……貴方と」
あの世界で叶わなかった夢を、もう一度。