シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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青空と暖かい陽の光が差し込む精神世界の中には先生とアリス、ケイの3人のみ。元々広かった空間ではあるが、人数が半分に減った事により更にその広さを実感してしまう。
既にモモイ、ミドリ、ユズはこの世界から脱出していた。主であるケイとそれぞれ少しの言葉を交わし、再会を誓って。既に彼女達は精神と思考の海を泳ぎ終わった頃だろうか。或いは、もう目覚めており、アリスと先生の目覚めを待っている頃だろうか。
先生は透過する青空を仰いだ後、少女を見る。己の言いたかったことは伝えられて、聞きたかったことは聞けた。まだ話したい事はあるけれど、今日はこの程度でいいだろう。まだもう一仕事控えている上に、先に目覚めている少女達をあまり待たせる訳にはいかないのだから。
それに、きっとまた会える。これからがあるのだ。なら、今を生き急ぐ必要は無いだろう。
「また話そうね、ケイ」
「えぇ、また……会いましょう、先生」
その声に笑顔で以て返答した彼は背を向けて────そして、精神を切り替えた。まるで撃鉄が落ちるかのように、『生徒を教え、導き、守る先生』から『生徒の敵を排除する先生』へと遷移する。冷たく、鋭く、仄暗い色。不俱戴天の敵対者に向ける氷点下の殺意。一人たりとも逃がしはしないと、心臓に根差した
────あぁ、いいとも。そちらがその気なら此方も切り返すまで。来るなら来い、一切合切叩き潰してやる。
彼は口角を歪に吊り上げ思考の海を浮上していく。精神世界から現実世界へシフトしていく彼の背中を見送った鏡合わせの少女二人は互いに示し合わせたかのように見合う。茜の少女と青空の少女。広いこの世界でたった一人の同胞であり、家族を。
「……アリスは、未だケイの事をよく知りません」
アリスの眼の前に居る、アリスと似ていながらも違う彼女の事をアリスは知らない。その存在を知覚したのは最近で、出会ったのは少し前。会話を交わした回数も限られていて、自分の最も近くに居ながら知っている事なんて皆無に等しい。核心に近づいたであろう彼と彼女の会話も、会話内容からある程度事情を察する事はできてもその考察の正誤は誰も教えてくれない。彼に聞いても彼女に聞いても明確な言及は避けられてしまうだろう。
アリスは余りに無知だった。ケイについても、自分自身についても。
だから。
「ですから、これからケイを知っていきます。ケイの好きだったもの、楽しかったことを、アリスに教えてほしいです」
これから知っていこうと、アリスはケイに手を伸ばす。辛かったこと、痛かったこと、苦しかったことではなく春の記憶を教えてほしい。その純白の願いを受け取ったケイは初めて見るような優しい笑みを浮べて。
「……えぇ、アリス。私にもアリスの好きなものを教えてください」
ケイは「それと」と言って。
「謝って許される事ではありませんが、それでも……アリスの大切なものを多く傷つけてしまった事を謝罪させてください」
「……アリスは、ケイを許します」
モモイがアリスを許したように。先生がアリスとケイを許したように。アリスもケイを許したかった。例え傷の舐め合いと揶揄されようとも、この痛みを共有できるのはきっと自分だけだと思うと、許さずにはいられなかった。
でも、アリスとケイが謝らなければならない人は、謝りたい人は他にも居て。
「これからアリスは皆に謝りに行きます。ですから、ケイも一緒に謝りましょう。皆を傷つけてしまった事を。許してもらえないかもしれませんが、アリスは謝りたいのです」
「……これはアリスの罪ではありません。謝罪は全て私が────」
「それでも、
アリスにしては珍しい有無を言わせない静かな声にケイは驚いた表情を浮かべた。眼の前に居る少女はこれまでのような透明ではない。彼女はもう既に自分の色を持っている。透き通るような、青空の色彩を。
────少し見ない間に随分大きくなりましたね、アリス。
その成長が、ケイは本当に嬉しかった。
「……事情は、私が説明します。そこだけは譲れません」
その声を聞いてアリスは見惚れるような満面の笑みを形作った。彼に続いてアリスにも根負けしてしまった、なんて感傷が心の中に染み渡り、苦笑いして浮べた青空は吸い込まれそうな色。アリスの色彩だった。
「では、アリスは行きます!」
宝物である光の剣を抱えてアリスは愛した世界へと帰還しようとしたが、その背に「アリス」とケイが声をかけて。
「アリスはこの先、多くの困難に直面するかもしれません。多くの理不尽を経験し、多くの不条理を前にして、自身の存在について深く悩む事があるかもしれません」
これはあくまでケイの知るアリスの記憶であり、道。もしかしたらこの世界では違う結果になるかもしれないが、それでも彼女を愛する者として伝えなければならない事だった。
アリスは特別、唯一無二。過去と未来を繋ぐ枝。今期のキヴォトスの生命とはフォーマットが異なる。故に自身のこれまでやこれから、出生について否が応でも向き合わなければならない時が訪れる可能性がある。
しかし。
「ですが臆する必要はありません。アリスはありのまま、信じるままに踏み出してください。その尊い一歩を。アリスの傍には多くの人がいます。どうか忘れないでください。アリス、あなたは────皆に愛されています」
アリスの旅路は、皆に愛され大切にされている────それが何よりも伝えたかった。
「さようなら、私の
「はい! アリスはこれからも頑張って、立派な勇者になってみせます!」
その背が見えなくなるまで手を振り、彼女が愛した世界に帰っていく様子を見送って。完全に視界から消えてしまった頃、ケイは透明な空を見ながらポツリと呟いた。
「……これで、良かったのでしょうか」
果してこれで良かったのか、そればかりが心を過り疑問符を伴って埋め尽くす。確かに彼を孤独に死なせない事はできるだろう。彼の臨終に一人立ち合い、彼の口から零れる全てを受け止め、彼を皆と変わらない『人間』として死なせる。彼の残したもの、愛したもの、記憶を未来まで連れて行き、彼の生徒として胸を張れるような人生を歩む。それは確かに望んだことだけど。願いはかなったけれど。
問題は何一つ解決していない。これから苦しむことになる彼を見殺しにしてしまった事実は揺らがない。ケイは彼を殺せず、苦しませる事を選んでしまった。
彼は生徒の前では決して弱さを見せない。気丈に、誰よりも鮮烈に前を歩いて生き抜くだろう。地獄と形容する事すら生温い日々を。
だったらせめて、彼にとって安らげる何かになりたい。ケイの所に来ればもう大丈夫と、彼が安心して弱さを吐き出して泣けるような宿り木になりたいと思った。彼を取り巻く世界は残酷で、冷たくて、厳しいから────せめて、自分だけは其処から出たい。彼の弱さも強さも、何もかもを赦して溶かしてしまうような、優しい人になりたいと思った。
「例え世界が貴方を排斥しても、私とアリスだけは貴方の居場所を守り続けます。ですから、どうか────先生も先生なりの幸福を見つけてください」
そして、願わくば────見つけてくれた幸福の中に、アリスと私の居場所がありますように。
▼
「本当に、こんな事が可能なんて……」
リオは驚きを含ませた声音でそう呟く。
この結末に至る可能性はごく僅か。何もかもが想定通りに上手く運ぶという前提の上で、更にそこから先に分の悪い賭けが関門として多く立ち並び、それを全て乗り越えた先にしか光はなかった。故にリオは驚愕を浮かべる。夢物語としか言えなかった光景を実現させた少女達の努力と献身に対して。
だが、彼女の声音には驚愕と同じ程の納得があって、少しばかりの安堵も含まれていた。納得は少女達が可能性に打ち勝った事に対して。安堵はこの結末に至った事に対して。
この結末を見れてよかった、リオは本心でそう思う事ができた。
「彼女達が『そう在ること』を望んだんだ。なら、きっとできるよ」
ダイブ装置と繋がっていたケーブルを取り外しながら、先生は喜色を覗かせた表情でそう答えた。この世界は確かに残酷かもしれないが、決してそれだけではない事を彼は知っている。
「難しく考える必要は無い。この世界は意外と簡単なんだ」
「……その単調さが、私には分からなかったのね」
「今なら分かるかい?」
「……えぇ、少しだけ」
「そっか、なら良かった」
この世界は意外と簡単で、単純で。生きると謂う事はそこまで難しくない。それを漸く気付くことができた。自分も漸く、皆と一緒の世界を見る事ができた。やっと人になる事ができた。
「……本当に、完敗よ」
流れる大粒の涙は悲しみではなく再会の喜び。「ただいま」と「おかえり」を言い合い、もう離さないと言わんばかりに互いを固く抱きしめ合っている4人のゲーム開発部の少女達が、この結実の全てだった。
「何処に行くのかしら、先生」
「私にはもう1つ、やるべき事が残っているからね。それを片付けに行くよ」
「……私も同行────」
「必要ないさ。皆にこんな事をやらせるわけにはいかない」
取り付く島もない言葉にリオはそれ以上声を発することなく口を噤む。彼のスタンスからして、これはきっと譲れない一線なのだろう。今なら分かる、彼が一瞬だけ浮べていた表情はあの時のリオと同じもの────人殺しの眼だった。
だが、それは一瞬で鳴りを潜め、直ぐにいつも通りの彼らしい表情に戻り、優しい声で「アリス」と呼んで。
「おかえり」
「はい! ただいまです、先生!」
▼
最後の一仕事の為に途中で離席した先生と敗戦処理が残っていたリオを除く全メンバーで中央タワーを後にした少女達が真っ先に向かった場所は最も苛烈な戦闘が行われた場所……互いの最高戦力であるネルとトキの決戦の地となった場所であった。
巨大な怪獣か何かが暴れ回ったのかと錯覚するほどに破壊の規模感が他と一線を画しているセクションには新たなる破壊痕が数多く刻まれており、少女達が最後に見た光景よりも更に悲惨な事になっていた。
眼に見える建造物はほぼ全て破壊され、辺り一帯が更地と化している。地面も掘削でもしたのかと疑うほど抉れており、区画移動に使われるであろう機構はほぼ剥き出し。舗装されたコンクリートの道は見る影もなかった。
その破壊痕の上に積み重なるのは数えるのも馬鹿らしくなるほどの無名の守護者達の残骸。スクラップ、という言葉がこれ以上ないほどに似合うほどに徹底的に破壊された機械の数はざっと見た限り500は下らないだろう。
「お、チビ共じゃねぇか」
「想定より遅かったですね。何かトラブルがあったのでしょうか?」
瓦礫の山と機械の残骸を蹴り飛ばしながら現れたのは相変わらずボロボロの2人。少し前まで戦っていたのだと否応なく感じるほどに濃い硝煙の香りはこれ以上無いほどに今の彼女達に似合っていた。
ヒマリやモモイがネルと話している傍ら、エイミはざっと辺りを見渡す。半径数百m単位で更地になった、かつてビルが立ち並んでいたはずの場所と……所狭しと積み重なる無名の守護者達の成れ果て。これを成せるのは最早個人という枠組みに収まっていない暴力だけだろう。正しく戦略兵器と呼ぶに相応しい。
「これ、2人でやったの? 凄いね」
「アタシとトキだけじゃねぇよ。先生が3人、応援を寄こしてくれた」
「撃破スコア、負けてましたもんね」
「えっ!? ネル先輩が!?」
本日中何度目か分からない驚き。幾らネルが万全でなくても、己が愛銃を失っていても……ネルが撃破スコアで負けるなんて思いもしていなかった。もし仮にゲーム開発部4人と今のネルが撃破スコアで競っても完敗するだろう。手負いとはいえ、それほどまでに彼女は強い。
そんな彼女が、撃破スコアで負けた。全知のヒマリですら『本当なんですか?』と言わんばかりの表情を浮かべている。その視線に気づいたネルは忌々しそうに舌打ちを1つ挟んで。
「負けたのは気に食わねぇが……噂の真相を確かめられただけでもアタシにとってはプラスだ」
「……噂って?」
「テメェ等は知らなくていい事だが……どうしても知りたいなら帰ってから教えてやる」
ネルは溜息を1つ吐き、銃をカラビナに吊り下げて両手をフリーに。一歩一歩前に進み、ばつの悪そうな顔をしながら頬を掻きアリスの真正面に立つ。
「ネル、先輩……?」
「……まぁ……その、なんだ……」
ネルは手を伸ばし、アリスの頭の上に乗せて。
「よく帰って来た、偉いぞ」
「……はい!」
▼
「……ふぅ」
先生は無線キーボードから指を離し、軽く背伸びをする。壁に掛けられた時計の短針は最後に見た時よりも60度ほど進んでいて、思ったよりも集中していたんだなと他人事のように思った。
換気のために開けた窓からは少し湿った風が流れ込んで来て、もう直ぐ雨傘の咲く季節が来るのだと感じさせる。今日は振るのだろうか。生憎傘は持ってきていないからコンビニか何処かで調達しなければならない。
久し振りのデスクワークを行っている場所は自身の仕事場であるシャーレのオフィス……ではなくミレニアムの校内、特異現象捜査部の部室であった。今回の件は事態の規模が大きく、また学校の権力中枢とも密接に関わり合っているため必然的に事後処理の手順は複雑になる。
まず間違いなく数日で片が付かないだろうと踏んだ先生は仕事場にミレニアムを選び、校内や近場のホテルで寝泊まりしつつ膨大な量の仕事を捌いていた。
数日前まではセミナーの部屋で部室棟の破壊から連なる出来事の処理をしていたが、それに一旦ケリが付いたことにより仕事場を特異現象捜査部の方にチェンジ。今はエリドゥ関係の事後処理を行っていた。
ヒマリはセミナーの部屋に出向き、エイミはエリドゥの調査に行っているため今この部屋にいるのは彼一人。集中も切れてしまったから、序に脳と眼を休ませようとオフィスチェアから立ち上がって窓に近寄る。
「……」
眼下、見下ろした学園構内。生徒の往来は疎らだった。花壇に咲いた白花が風に揺れている。まだ雨は降らないだろうが念のため窓を閉めておいて、ガラスに映る包帯だらけの自分自身をぼうっと眺めた。姿形は当初と大きく変わらないが、その中身は徐々に侵食されつつある。
脇腹の茨は更にそのツタを伸ばしていて、塞がったはずの傷跡からは稀に微量の流血が見られる。神の子としての再構築。肉体の最適化が少しずつ進んでいる。
人工皮膚により覆い隠された小指、そこに奔った全長1mm程度の亀裂。蒼が零れる肉体の断層は原初に結んだ契約の代償。これから無茶を重ねる毎にこの亀裂は大きくなり、別の場所に転移するだろう。まるで悪性腫瘍のように。
そして、瞳の色。シッテムの箱と接続されている時にのみ蒼く染まるはずであるが、接続していないのにも関わらず彼の右眼の色は蒼に塗りつぶされたまま戻らない。過度な使用により色彩が固定されてしまった。現在は色を誤魔化すコンタクトレンズを着用しているため露呈する可能性は低いが、これも考えなければならないだろう。
握り潰された左腕は軽度の神経障害が後遺症として残っており、日常生活こそ問題無いが手先の細かさを要求されるような作業はできなくなってしまった。
────だが、たかがこの程度でアリスとケイの笑顔を取り戻す事ができたと考えると随分安い代償だろう。
ぼうっとガラス越しに構内を見下ろしていると、自動ドアの開く音が聞こえた。振り返った先には車いすの少女。恐らくこの件で最も奔走してくれたであろう生徒の一人、明星ヒマリ。
彼女は「おかえり」と手を振る先生の傍まで車椅子を転がし、セミナーとの話し合いで決定した事項を伝え始める。
「エリドゥの施設は私が責任を持って封鎖する事にしました。エイミの帰還を確認次第、セミナーとシャーレの連名で正式な立ち入り禁止区域として設定します」
「お疲れ様。ありがとうね、ヒマリ」
「……先生こそ、お疲れではないですか?」
「んー……ちょっと疲れてるけど大丈夫だよ。それに、この件が終わったら私も少し休むからね」
先生は「実はリンから『休め』って催促が届いてるんだ」なんて苦笑いでいうものだから、ヒマリも思わず笑ってしまう。堅物で有名な首席行政官からそこまで言われるなんて、彼はどうやら随分休んでいないらしい。
「今日はエイミが帰ってきたらお開きにしよっか」
「そうですね。あまり根を詰め過ぎてもいけません。休めるときに休んでおきましょう」
忙しい時こそ休息を大事にしなければならない。ヒマリもエイミも連日働きっぱなしで碌に休めていないのだ。先生に至っては2時間から3時間の仮眠しか取らずに動いているため、ハレから譲り受けた眠気覚ましのエナジードリンクが無ければ即座に夢の中に旅立ってしまうだろう。眼に見えて分かる肉体の疲労に苦笑いを浮べた彼は思い出したかのように「そういえば」と切り出して。
「ユウカ達はどうだった?」
「今日を乗り越えたら少しは落ち着けるそうです。全く、事後処理もせずいなくなった誰かさんには呆れかえります」
リオはセミナーに戻らなかった。セミナーの3人宛てに『ごめんなさい』とだけ書置きを残して会長という立場からも退き、それっきり。籍こそミレニアムに残しているがエリドゥの件以降、構内で一切目撃されていない。学籍に紐付けられている住居は完全にもぬけの殻、監視カメラも彼女の足取りを捉える事は出来ず、彼女は完全に行方不明になった。
「リオにも自分の事を整理する時間が要るんだよ。確かに全部投げ出しちゃった事は褒められた行為じゃないけれど、あんまり責めてあげないでほしいな。彼女は彼女で、きっと手一杯だからさ」
今までの事。これからの事。漸く持つことができた皆と同じ視点。今を生きる人間になった彼女自身の事。彼女の理想の否定と肯定。それらはきっと数日という短い時間で整理できるものではなく、ゆっくりと時間を掛けて向き合っていくべきものだ。
未来の為に生きていた彼女が、自分の為に生きれる自由を手に入れた。それはきっと喜ばしい事。だから先生にできる事は。
「リオの事は私に任せてほしいな。彼女に寄り添うのは私の役目だ」
彼女の未来を少しでも彩る事。彼女が安心して踏み出せる未来を共に作っていく事。
そして、彼女が進めなくなった時に手を引いてあげる事だろう。
「リオの未来が、どうか明るいものでありますように」
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エリドゥ関連の片づけが粗方終了した頃、先生はC&Cの部室に呼び出されていた。その理由は────。
「部長とトキちゃんの退院を祝って~! 乾杯!」
「乾杯」
「はい、乾杯です~」
「乾杯……?」
今日は先延ばしになっていたネルとトキの退院祝いの打ち上げがあるのだ。事後処理に奔走していた先生側の都合が中々つかなかったため、実際のネルの退院日から1週間程度遅れてしまったがお祝いに遅いも早いもないだろう、多分。
「……退院祝いの打ち上げ、ねぇ……」
ヴェリタスから譲り受けたエナジードリンクが注がれたグラスを傾け、テーブルに頬杖を突きながら部員を見る。アスナ、カリン、アカネ────そして、会長専属から外された事により加わった新メンバーであるトキ。彼女は早くも受け入れられているようで、お菓子で餌付けされたり、空いたグラスにドリンクを注がれたりと猫可愛がりされている。カリンもアカネもコールサイン持ちの後輩ができて嬉しいのだろう。
「主役がそんな顔してたら盛り上がらないよ?」
「分かってるよ、先生」
ネルの隣に腰掛けたのは、ネルやトキ以上に包帯だらけの先生であった。包帯が巻かれていない場所にも痣や切り傷が多くあり、痛々しい姿でありながらもしっかりと両足で立っているのは流石と言うべきか。どんな精神力をしているのやらとネルですら思ってしまう。
「随分と可愛らしい包帯だね」
「アスナが落書きしやがったんだよ。気を付けなきゃ先生も描かれるぜ?」
先生が指差した先、左大腿部に巻きつけられた包帯には黒のマジックでアスナの似顔絵が描かれていた。早く良くなりますように、というアスナなりのお
視界の隅には手を振るアスナと、その隣でアスナと同じ動作を反復しているトキ。彼女達を見ていると何かが馬鹿らしくなって、思わず苦笑いが零れる。
「ま、こういうのは楽しまなきゃ損だな」
ネルと先生は立ち上がり、手を振るアスナ達の方に向かった。
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身に着けた包帯が幾つか外れた頃、先生は久し振りにゲーム開発部の部室に呼ばれた。彼はお菓子と飲み物の入った袋と放課後スイーツ部お勧めのケーキを持ちながら、改装されて新しくなった部室のドアを開けるとモモイが直ぐに気付いて。
「あ、先生! いらっしゃい!」
「こんにちわ、皆。何していたんだい?」
「丁度皆で勉強会してたとこなんだ!」
「勉強会? 珍しいね。科目は?」
「勿論、私達の次回作である『道端の可愛いモンスターを味方にしながら世界を征服する収集型育成戦略RPG』を作るための勉強だよ!」
「あぁ、そっちの……」
てっきり座学の勉強をしていたと思ったが、彼女達はゲーム開発部。良いゲームを作るため勉強会なのだろう。実際にユーザーとしてプレイして、感じたことを羅列。それを元にブレインストーミング形式で案を出し、作るゲームの方向性やらを固める……それらの行為は確かにBDやテキストを元に勉強しているだけでは学べない大切な事だ。
だが、そろそろ定期テストの時期。今くらいはゲーム開発の優先順位を一旦落とし、真っ当に座学の勉強をした方がいいのではないだろうか。彼とて教育者の一人、生徒達にはできれば赤点を取ってほしくない。
「というか、この前言ってたジャンルから変わってない?」
「あぁ、それでしたら、ちょっと前に発想が行き詰ってしまったのでちゃぶ台をひっくり返して……お姉ちゃんが『新しいジャンルに挑戦してみたい』と……」
「成程。確かに行き詰ったら方向転換するのも手だけど……あんまり離れすぎるのも良くないかもね?」
「うぐっ……先生もケイと同じ事言うんだ……」
モモイの口から零れた名前に少し驚いていると、部室の中から声と足音。少女達が守り抜いた大切な友達がゲーム機を片手に走ってきた。
「うわぁーん! アリス、この可愛いモンスターさんを友達にする事ができません!」
「あっ、アリス! まずバトルで体力を削らないと! そうしたら捕獲しやすくなるからね!」
「モンスターさんは何もしていないのに……アリスが先に殴るんですか?」
「うーん、言われてみれば確かに……ちょっとおかしいのかも……? ううう、でもゲームって元々そういうシステムだし……」
「そこ! 変な話ばっかしないで! ちゃんと分析するよ!」
「その、ゆ、ゆっくりでいいから……」
先生は靴を脱ぎスリッパに履き替え、シャーレの腕章が施されたコートをハンガーにかけて室内に入る。改装により新しくなった室内は既に少女達の手によりゲーム開発部の部室へとなっており、内装も見慣れたものに。違うのは雨漏りがしないのと、狭さが解消された点だろうか。
「はい! 先生はここです!」
先生が座り、その膝の上にアリスが座る。アリスとケイの最もお気に入りの定位置は彼の膝の上。座る彼女はその背中を彼の胸板に預けて幸せそうに眼を細める。この瞬間を心待ちにしていたかのように。
「今日はアリスが先生を独り占めします! 明日はケイです!」
「交代制なんだね」
明日の予定も決まったな、なんて他愛のない事を考える。ケイはどうやらゲーム開発部に馴染んでいるようだ。
モモイ。ミドリ。ユズ。アリス。ケイ。5人の旅路はこれからも続く。星を目指し、人として成長していく彼女達の行く末に溢れんばかりの祝福を。どうか、君達の道行きに少しでも多くの笑顔が咲いていますように。
「じゃあ、会議を始めるよー!」
色鮮やかに残る大切な思い出の1ページを少女達は描いていく。