シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
感想評価お気に入り登録誤字報告ありがとうございます。いよいよエデン条約編開始です。今回はその開始前、最後の前日譚となります。
虚無はもういないあの子の夢を見るか
夢を見ていた。始まりの夢。私が
幸せだった。満ち足りていた。愛した生徒達が居て、優しい人々が居て、理解者たる連邦生徒会長が傍にいてくれる。シッテムの箱の中のあの子も段々感情豊かになってきて、心に落とす影なんて一つもなかった。
強いて言うなら、ふとした時にどうしようもなく寂しくなってしまったり、触れ合う度に皆との断絶を意識してしまうことくらいか。
でも、それはちゃんと受け入れている。自分と彼女達は違う生き物で、本来なら交わる事すらなかったのだ。それが交わり、こうして共に歩めているなら、それ以上を求めるのは高望みというものだろう。
寂しいのは確かだし、断絶しているのも事実だけれど、それでも手を取り合って前に進めると他ならぬ彼女が証明してくれた。私に手を差し伸べてくれた、彼女が。ならば私も斯く在りたい。彼女のように、と言うつもりはない。私は
────この
▼
夢を見ていた。終わりの夢。私が
幸福も、居場所も、何もかもを失くした。否、失くした訳ではない。そもそもそんなものは最初から与えられていなかった。
キヴォトスが存続するための体のいい生贄。唯一神が復活するための入れ物。望まれた事を望まれたように行う舞台装置。
連邦生徒会長は云った。貴方は伽藍洞であると、空っぽであると、漂白されていると。寂しそうに、痛みを堪えるように……或いは赦しを乞うように。そう言った彼女の気持ちをあの時は理解できなかったけれど、今なら分かる。優しい彼女は看過できなかったのだ。私が最初から虚無であったことが。
誰のせいでもない。君のせいじゃない。■■■のせいじゃないよ。そう言ってあげても、あの子の顔が終ぞ晴れる事はなかった。あの子はずっと泣いていた。私の為に。私の未来があまりにも暗いから。
だから私は、泣き虫だったあの子の涙を拭いたいと思った。あの子が私を忘れて、あの子が愛した世界でもう一度大輪の笑顔の花を咲かせてほしい。あの子の笑顔をもう一度、あと一度見たい。
……幾つか、悔やむ事はある。
あの子の涙を奪ってしまうこと。
あの子に明日を押し付けてしまうこと。
生徒の皆に何も言えなかったこと。
生徒の皆を置いて逝ってしまうこと。
死ぬことを恐れなかったこと。
沢山の感謝を伝えきれなかったこと。
でも、その後悔も今は飲み干した。ずっと痛いけれど、それでも前はちゃんと向けるから。
────この
▼
生命の息吹を欠片も感じない地平。全ての命が蹂躙された世界。先生は血塗られた平野を彷徨い歩く。息絶えた人、或いはこれから息絶える人。一人一人手を取り、看取り、どうか安らかにと祈りを捧げ、臨終を見届けてからまた次の命を求めてふらふらと歩く。
そうして全ての命を終えた先生は赤く染められた空を睨みつけた。絶対に許す訳にはいかないと、声高に。この悲劇を成した世界の構造そのものに異を唱える。
神秘と謂うシステム。忘れられた、名もなき神々の残滓。少女達の最奥に刻まれた太古の記憶であり、道。或いは────神が少女達を手繰るための糸。
故に、神秘がある限りこの世界が『神の実験場』である事実は消えない。神秘を持つ愛し子達が黒幕気取りで踏ん反り返っている外道に糸を引かれている現実は確かにそこに在る。
「仕方がなくなんてない」
だからといってこんな
「悲劇を前に涙を堪えて唇を噛む必要なんてない」
悲劇は忘却の彼方に追いやられた。涙の痕は消し去られた。悲しみの理由すら奪われた。
そんな事がもう二度と起こらないように。二度と、世界のシステムで誰かが傷つかないように。
「誰もが当たり前に憤れて、誰もが当たり前に疑問を持てる真っ新な世界を」
悲しければ泣けて、腹が立てば怒れる世界を。全ての人々がこの世界に対して疑問を持ち、その疑問が力を前に踏み潰されることが無いように。誰もがたった一つの尊い命として世界に実在できるような、狂おしいほどに透き通った真っ新な世界を。
「誰もが当たり前に笑える世界を取り戻す」
「私が、この手で」
先生は世界に挑んだ。
「────
▼
星が良く見える場所。このキヴォトスに於いて二番目に天に近い場所に気付いたら先生は立っていた。シャーレオフィスビルの屋上。深い青をキャンバスに浮かぶ過去の光源すらその手で掬い取れそうなほどに宙がすぐ近くにある。
懐かしいな、と先生は思う。此処に立つのは久方ぶりだ。定期的な掃除もドローンに任せているし、自分の足で直接踏み入れたのは……それこそ、ノドカに手を引かれたとき以来か。
この場所にはめっきり寄り付かなくなってしまった。別に高い所が嫌いとか、そういった明確な理由がある訳ではない。ただ、何となく。自分一人でこの場所に足を踏み入れてしまうと、あの子との思い出を土足で踏み荒らしているようで気分が悪くなってしまうから。
────そうだ、あの子は此処が好きだった。星が良く見えるから。この場所でのみ、あの子は超人と呼ばれる連邦生徒会長から、ただの女の子になる事ができた。弱音や不平不満、愚痴、聞いてもいない体重の増減とか、最近のアニメや漫画がどうとか。日の終わり、太陽が落ちてからあの子はふらっとシャーレに現われて、有無を言わさず先生の手を引き屋上まで連れて行き……取り留めのない事を話した。
あの子と夢の話をした場所も此処だった。その日は過去に例を見ない異常気象で、寒冷地域でもない場所でもオーロラが観測できた。そんな貴重な日にオフィスに籠って仕事してるなんて勿体ない、なんて言ってあの子は先生の強引に手を引いて外に飛び出した。
遮るものがない空の下、暗黒の帳に掛かる光の帯。あの子は終始満足げに、嬉しそうにオーロラを眺めていた。楽し気な感想は自分自身に贈るものと、先生に贈るもの。
『私達は、沢山のものを見るんです。綺麗なもの、美しいもの。そういったものを積み重ねて、遠くの空へ歩んでいくんです』
あの子らしい言葉。それを聞いて、先生も口を開いた。会話は弾んで、互いに夢の話をした。何処かで交わるかもしれない、大切な夢の話。互いに否定する事はなく、ただ『そうできたらいいね』と笑い合って。
────1時間にも満たない天の極光。あの時の彼は、先生ではなくただの青年に戻っていた。
キヴォトスに於いて『超人』と呼ばれ、様々な人物から畏怖と尊敬を一身に集める連邦生徒会長。
キヴォトスに於いて明確な異物で、誰とも同じ空を抱けず孤独を歩むしかない先生。
この2人は共に生贄だった。この星の自転を続けるための人身供物。終わりを先延ばしにするための延命措置。
超人の運命を異物は否定し、その罪と運命を背負うことを選んだ。超人はいつか消え去る異物を助けるために生身の肉体を捨て、異物の為の基準点となった。
誰かのために。大切な人のために。世界のために。あなたのために。見返りは誰かの、あなたの笑顔。あなたが明日を願い、笑って生きてくれたらそれでいい。
故に、これは愛の話だ。例え自分がその先に居なくても、少し先の未来に自分の居場所が無くても構わない。あなたが幸福ならそれで構わないと、大切な人のために祈り続けた誰かの幸福論。
────だからこそ、その全てが反転する。
「────先生」
聞きたくて仕方なかった懐かしい声。逢いたくて逢いたくて、どうにかなりそうだった人の顔が脳の裏側に思い浮かぶ。
それと同時に、これが夢であると先生は確信した。あの子はもういない。どれだけ泣いても、願っても、もう彼女には会えないのだ。
だからこれは大脳皮質が作り出した記憶のリフレイン、或いは継ぎ接ぎ。脳の中枢は夢の底で揺蕩いながら、ある筈のない幻影を生み出している。身体の奥、不明な器官からせり上がって来た仄暗いどぶは意識の表層を無差別に引っ搔いて『早く目覚めろ』と警鐘を鳴らした。だけど、この夢から醒める事を拒むように耳の中からガラスを引っ掻くような音が聞こえて、三半規管が捻転して世界がマーブルの奥に沈んだ。
狂い続ける自分の感覚。それに反して正常な自分の意識。二律背反のそれらに挟まれて蹲ったまま動けなくなった先生を連邦生徒会長は憐れむような色で見下ろしている。
「先生、貴方は罪を犯しました。たった一つだけ……とても大きな罪を」
少女は告げる。彼の罪を。ここまで彼を追い詰めてしまった自分達も同罪だと内心で嘲笑しながら、それでも告げなければならないのは彼の罪だから。彼が背負うべき、彼しか背負えない重荷。責任の話。
彼は多くを背負った。この世界に生きる人々の意志。明日を願う祈り。より多くの幸福。
彼は多くの笑顔を報いにした。自分ではない誰かが、世界に多くの花を咲かせてくれることを祈って。
彼は戦い続けた。キヴォトスで、多くの悪意と。傷つきながら、血を流す体を引きずって。手足が捥がれようと、心臓さえ動いているなら。心臓が消えても、脳が生きているなら。脳が停止しても、新たな肉体でリスタート。そこに安らぎも休みもない。キヴォトスのために彼はその身を殺し続けた。
彼はそうしないと生きられなかった。そうする事でしか呼吸を許されなかった。キヴォトスで彼が生きるためには自身の幸福を捨てなければならなかった。その細胞一片さえ全て全て、キヴォトスとそこに生きる人々に捧げる。それだけが彼に許された道。
故に、彼は望みもしない戦いに明け暮れた。星を滅ぼすもの、作り出された敵。常に自分の命に手が掛かっているような状況は日常の中で殺し合いなんてした事が無い、何の影も持たない普通の青年には重すぎた。
だが、彼は先生だから。生徒に弱音は見せない。本当の姿を晒さない。どんな時でも頼れる大人を精一杯演じる。弱音も弱点も出さず完璧に、されど人間味を忘れないように。
命を容易く貫く銃口を突き付けられても臆さず、震える足を踏み潰して生徒の為に。
誰かの悪意に傷つけられようとも笑顔は欠かさず、誰かの助けになれるように。
自分の命と誰かの命を天秤に掛けられたとき、迷わず自分以外を選べるように。
戦いたくない。殺し合いたくなんてない。皆で手を取り合って、笑って生きられたならそれで良いだろう。
でも、それは今、叶わないから。それを願うばかりでは何も守れないから。何もかもを取り零してしまうから。だからその手に力を取った。その選択をずっと続けてきた。
平和を叫びながら、その手に握るのはいつだって誰かを傷つける道具。差し伸べた手の先に在るのは笑顔ではなく、誰かの怯えた眼。見下ろした手には屍山血河の成れ果て。誰かの意志を踏み潰した己の罪悪。夥しい量の死体と血で作られた、呪われた足跡。
こんな事がしたくて戦った訳ではない、こんな光景が見たくて抗った訳ではない。でも、戦わないと、抗わないと。もっと多くの血と涙が流れて果て無い争いを呼んでしまうから……今はこの手に力を選ぶ。誰かと手を取り合うにはあまりにも邪魔な力を。
────その矛盾が、ずっと苦しかった。
だが、その矛盾すらも受け入れたのだと自分自身を無理矢理納得させた。これは誰かがやらなければならない事で、それが偶々自分だっただけ。星ではなく、生徒側に立ち、彼女達に肩入れすると決めたのは他の誰でもない自分だ。この道が、血で塗り固められた旅路が先生として生きる事を選んだ自分の責任。
だから、迷うな。自分の役目を真っ当しろ。こんな事、生徒にやらせる訳にはいかないだろう。苦しいのは嫌、痛いのは嫌、それは確かにそうだ。だけどそれを他の……ましてや生徒に押し付けるくらいなら、自分がやった方が良い。
そうして走って走って。自分を心配し、引き留めてくれる声達すら置き去りにして走り続けて、戦い続けて。彼方で知ったのはこの世界に於ける
この体には他の誰かの神秘が刻まれて、その誰かが使うための入れ物で。
この先生という人格は、いずれ跡形もなく塗り潰されて消える定めで。
そうして、先生ではない誰かは生徒を殺し、民を殺し、悉くを皆殺しにして、最後はキヴォトスという世界を殺す。
自分は戦いに明け暮れ、望んだ笑顔と平和と幸福を作る事も足を踏み入れる事も叶わず、ただひたすらに悲劇と呪いと殺戮を振りまくしかない人形であると知って。
────あぁ、そうだ。分かっていたんだよ、初めから。分かっていたけど知らない振りをした。この世界で、彼女達のために生きたくて目を塞いでいた。でも、『自分が居なければこの世界はこんな形にはならなかったかもしれない』と思った。自分の生存を許しているのは自分だけだと知った。
それを知るのは連邦生徒会長だけ。彼女だけが彼の最奥に足を踏み入れる事ができた。彼女だけが彼の弱さ知っている。もう、どうしようもないほどに壊れてしまった彼の涙も彼女だけが垣間見る事ができた。
『────生きていたいなんて思った、あの日の私を殺して』
そう言って、泣いていた彼。
白の装束が皺になるくらいに握り締め、自分の全てを否定していた彼。
目を離した瞬間、自分の首に刃を突き立てるほどに思い詰めていた彼。
そんな彼を否定するために。キヴォトスに招き、先生にした……共犯者たる連邦生徒会長は彼の罪を告げる。
「自身の命を無価値として、放棄した事」
それこそが、
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「貴方の命は無価値ではありません。貴方の命には、足跡には大きな価値があります。勿論、意味も」
────でも、私の所為で泣いた人がいる。私が生きているから傷ついた人がいる。
「いえ、意味も価値も……必要さえなくて良いのです。貴方が其処にいる、唯それだけで救われる人がいるのですから」
────結局、何も救えなかった。何もできなかった。私は目の前で泣いている君の涙すら拭えない。
「貴方は生きていていいんです」
────私は、君に『この先』を生きてほしかったのに。
「貴方がただそこに居てくれるだけで、私達は幸せだったのです」
眼を開けた。
▼
「……」
彼の原点、先生として生きる道を選んだ。
彼の終点、誰かのために命を天に返す事を選んだ。
彼の願い、全ての神秘を消し去ることを誓った。
過去の轍が己を糾弾する明晰夢。忘れるな、と脳髄の深くに杭を打ち込むように浸透させる。罪は罪で、罰は罰。忘れるつもりなんて皆無であるが、それでも人間は忘却の咎を背負って生まれているから、こうして定期的に夢というツールを使用してフラッシュバックさせる。
別に、それに対して何か感情を抱く訳ではない。そもそもこれが初めてという訳ではなく、眼を閉じて、思考をディラックの海に沈めればこの類の夢を見る。ある意味、先生の日常に組み込まれた出来事なのだ。
どれもこれも、何度も見た事がある夢。自分の記憶。自分の轍。
だが、最後だけは違う。最後の夢だけは正真正銘、初めて見る類の夢だった。記憶のリフレインではない。先生にあのような過去はなかった。故に、アレは大脳皮質が作り出した都合の良い幻影……そう言い切るには、あの記憶はあまりにも重い。
一挙手一投足、全てがあの子。先生が見間違うはずない。あの夢の中で先生と対話したのは紛れもなく彼女だった。
────先生は知る由もないが、彼の夢の中に居た連邦生徒会長は
だが────自分が生きていいなんて言葉、先生は認める事なんてできなかった。それが例え、彼女の心からの祈りであったとしても。
「はッ……」