シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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補習授業の開始前

「……」

 

 トリニティ総合学園の広い廊下を先生は勝手知ったる様子で歩く。本館、別館、旧本館、大聖堂、番号が振られた棟、部室棟。それらが複雑に入り組み、半ば迷宮のように化しているトリニティの学び舎。毎年新入生の迷子が続出し、それが恒例行事になっているほどに迷いやすい場所であるが、マップが頭の中に叩き込まれている先生の進む足に乱れはない。

 

 直線に進み、曲がり、最短距離で教室に向かう。勿論、その道中ですれ違う生徒への挨拶は忘れない。そうして、トリニティの園に入り10分間ほど歩き続けたら漸く、補習授業部に割り当てられた教室が見えた。

 

 ナギサに渡された紙面に記載されている教室番号とプレートに刻まれた教室番号が一致している事を確認した先生は、そのプレートを『補習授業部』と記されたものに交換し、教室のステータスを『空室』から『使用中』に変更。

 

 先生はドアをノックし、重厚な扉を開けると────だだっ広い教室に規則正しく並んでいる学習机の椅子、そこに座っている少女が居た。初対面ではない、見覚えのある少女。具体的に言えば大体1ヶ月ほど前、ブラックマーケットでばったりと出会い、なし崩し的に行動を共にした女の子だった。

 

「こんにちわ、ヒフミ。久しぶりだね、元気だった?」

「あ、あはは……こんにちわ、先生」

 

 トリニティ総合学園所属、2年。阿慈谷ヒフミ。特に部活や委員会に入っていなかったが、今回補習授業部に配属となった少女だった。彼女はトレードマークになっているペロロのリュックを両手で抱きながら、どこかばつの悪そうな苦笑い。柔らかい笑みを浮べた先生を出迎えた。

 

 彼は扉を閉めて、ヒフミの方に向かい……隣の席に腰掛ける。柔らかな視線の先には、居心地の悪そうなヒフミ。その空気の固さを消すように、先生は少しおどけた口調で話し始める。

 

「ナギサから名簿を渡された時はまさかと思ったよ。ヒフミが成績不振だなんて」

「え、えっと、そのですね……こうなったのはやむを得ない理由がありまして……」

「だよねぇ。ヒフミを見た感じ別に勉強に苦手意識を抱いてたり、成績が特別悪いって訳でもなさそうだし」

 

 天才と持て囃されるほど学問に才覚を発揮している訳ではない。だが、落第寸前の烙印を押され補習授業部のメンバーに加わるほどの成績不振でもない。テストを受けたら大体平均点前後を取る生徒がヒフミだ。

 加えて、言動に問題を抱えている訳でもない。常識と良識を兼ね備え、荒事を然程好まない。時折途轍もないほどの行動力こそ見せるものの、キヴォトスでは珍しい、先生に近い感性を持つ生徒が彼女だった。

 

 だから何かきっと事情があるのだろう。それこそ、彼女の言うような『やむを得ない理由』というものが。

 

「ヒフミさえ良ければ話してほしいな。ヒフミの『やむを得ない理由』ってのを」

 

 ふわり、と微笑む。一切の害を感じさせない柔らかな表情は確かにヒフミの背中を押して……そうして、彼女は申し訳なさそうな表情のまま語り始めた。

 

「えっと、ペロロ様のゲリラ公演に参加するためにテストをサボってしまいまして……それで……」

「……」

 

 Q.何故テストをサボったのですか? 

 A.ペロロ様のゲリラ公演があったから。

 

 改めて文字に起こすと、たったこれだけ。多くの人が『そんな理由でテストサボったの?』と口を揃えていうような理由。だが、それ以外の言葉がヒフミの口から零れてくる事はなく、先生は視線に呆れを滲ませながら。

 

「ヒフミってさ、結構ロックだよね」

「あうぅ……」

 

 先生のジト目にたじたじになるヒフミ。若干不服そうな、『私はそんなにロックじゃありません!』なんて抗議の声が聞こえてきそうだが、ゲリラ公演のために試験を欠席するのはかなりロックだろう。少なくとも、そんな事をする生徒はヒフミ以外に心当たりがなかった。勿論、複数人心当たりがあっても困るのだけれど。

 

 先生はくすり、と少しだけ笑って。

 

「まあ、ゲリラ公演への参加がやむを得ない理由かどうかは一旦置いておこうか。いや、本当は置いといちゃ駄目だけど……」

「そ、そんな眼で見ないでくださいぃ……! 違うんです、ちゃんと試験の日程は確認してたはずなんですッ。本当は授業の時に行くつもりで……だから、何かの間違いと言いますか、手違いと言いますか……」

「……でも、何方にせよ学校よりも公演を優先して、行っちゃったんだよね?」

「うぅ……はい」

 

 そう言って、がっくりと項垂れるヒフミ。彼女自身、大分無理がある理由だと自覚しているのだろう。ヒフミの常識は試験と公演を天秤に掛けた時、きっちりと試験の方に傾く。だが、天秤の上に乗せられている者が試験でなくて授業、単なる公演ではなくゲリラ公演だったから後者に傾いてしまった。そして、授業だと思い込んでいたものが実は試験で……補習授業部の一員に数えられた今に至るのだろう。

 

 ヒフミらしい理由と言うべきか、何と言うべきか。彼女がモモフレンズ、特にペロロの大ファンである事は知っていた。

 公演やライブ、イベントには財布と相談しながら可能な限り参加し、ファンを増やす事にも余念がない。グッズも積極的に集めていて、不良ですらそうそう寄り付かないブラックマーケットに限定のものが流れていると知るや否やバッグと愛銃片手に駆けだすほどの行動力を兼ね備えている。

 

 ……そう考えると、案外こうなったのも不思議ではないかもしれない。ヒフミはペロロに命を懸けているほどの熱狂的なファン、土壇場の天秤でペロロ様を選ぶのは彼女らしいと言えば、彼女らしい。

 

「熱中できるくらいに好きなものがあるのは良い事だけど、それを理由に学校をサボっちゃうのは……ちょーっと先生の立場としてはあんまり歓迎できないかな」

「あうぅ……ごめんなさい」

「あー、うん。別に私に謝る事じゃないんだけどね……過ぎちゃったことは仕方ないんだし、さ」

 

 別に先生は学校をサボること自体は否定していない。実際に行動に移すか否かはさておき、偶に学校をサボりたくなる事くらいは誰にだってある。

 

 勿論、サボる事は良くない。それは学生の本分の放棄であり、当然褒められる事ではないし、バレたら盛大に怒られるだろう。だが、学校をサボって友達と出かけたり、皆が勉学に励んでいる時間に一人で駆け出す事は何物にも代えがたい経験になり、思い出になる。所謂、青春というものだ。

 そのような青さ、未熟さを積み重ねて、経験と思い出を振り返って人は成長していく。思い返して『こんな事もあったね』なんて言えれば、それは進んだ証拠。

 

 それに、ヒフミの好きなものを否定したくないのだ。好きなものは好きなままでいい、無理に我慢する必要は無い。夢中になれるのも良い事だ。

 

 先生の立場としては怒るべきなのだろうが、怒るに怒れない。甘い、と言われればそれまでだけれど、しっかりと反省している少女に掛ける言葉はそれではないはずだ。自分の行動を顧みて、反省して、現状から脱却しようとしている生徒に、先生たる自分がやるべき事、やりたい事は────励まし、背中を押し、全力でサポートする事。

 

 そう思い、ヒフミの方に視線を向けると、丁度彼女も何かを話そうとしていた所なのかばっちり眼が合ってしまって。

 

「あう……えっと、それで……その、ナギサ様から先生のサポートを頼まれまして……」

「へぇ、ナギサからサポートを……」

「は、はい。経緯は────」

 

 

 ▼

 

 

 先生がナギサに補習授業部の顧問をお願いされて、それを了承した日。

 先生がトリニティ総合学園に訪れ、補習授業部としての活動を本格的に開始させようとした今日。

 

 その2つの日の間、ヒフミはティーパーティーの会場たるテラスに訪れていた。日は沈み、少し冷たい夜風が肌を刺す時間。ティーカップに注がれた暖かい紅茶には碌に手を付けていない。その理由はヒフミの前、優雅に紅茶を嗜むナギサ。

 

 彼女を呼び出した張本人にして、ティーパーティーの生徒会長が一角。トリニティ最大の権力を握る人物の一人であり、派閥の中でも最大クラスの規模を誇るフィリウス分派の長たるナギサと単なる一般生徒のヒフミでは、文字通り住んでいる世界が違う。

 

 一応、一般教養としてお茶会のマナーは知っている。トリニティの生徒らしくアフタヌーンティーの経験もあるが、それはあくまで友人相手。目上の人にフォーマルなお茶会に招待された事なんて皆無であり、その記念すべき第一回がトリニティの生徒会長だなんて数日前のヒフミに言っても信じてもらえないだろう。

 

 色々な段階をすっ飛ばしていきなりナギサと真正面から相対しているヒフミは当然の如く固まっている。背筋を伸ばし、足をぴんと張り、手は膝の上。場違いである事なんて誰よりも自分自身が分かっているし、居心地の悪さは消えないし、緊張感だってある。だが、そんな内心を呑み込んでヒフミは今此処にいた。

 

 ────何時もの授業終わり。帰ろうと荷物を纏めていた時、突然ティーパーティーの行政官に声を掛けられ、この会談への出席を求められた時は嫌な予感しかしなかった。

 今のヒフミは一般生徒であるが、補習授業部の一員。優等生では決してないのだ。故に告げられる内容も穏やかなものではないと分かり切っている。

 ヒフミはまるで判決を待つような憂鬱な気持ちで約束の時間まで過ごし……そうして会談の席で告げられたのは特別悪い内容ではないけれど……決して聞いて嬉しい類のものではなかった。

 

「────というわけで、ヒフミさん。先生をお手伝いすると共に、補習授業部を導いてくださいませんか?」

「は、はいッ!? わ、私が、ですか!?」

「はい。そもそもヒフミさんのような優等生でないと出来ない事ですし。他の方は、少し……」

 

 意図的に濁したナギサの言葉の先を推測する思考力はヒフミに残されていない。今はナギサに頼まれた事を噛み砕き、解釈するのに脳をフル回転させている。

 先生を手伝い、補習授業部を導く。どちらも大役であり、『自分(ヒフミ)では力不足では?』と思ってしまう。

 補習授業部に関係する話であろうことは推測できていたが……これは流石に予想外だ。補習授業部の活動記録を毎週提出してほしいとか、その程度の話と思っていたが、ナギサの口から出てきた言葉はヒフミの想定した現実を上回る様な内容。そこまでの大役を同時に、ナギサ直々に任されるなんてヒフミは思っても居なかった。

 

「わ、私はそんな……優等生というほどでもありませんし、そもそも成績も平均くらいで……今は落第の危機なのに……」

「ふふっ、私はヒフミさんの『愛』を高く評価していますから。それに、今度はヒフミさんから私に『愛』をお返しいただく番……そうですよね?」

「あ、あうぅ……」

 

 そう言われてしまえばヒフミも返す言葉を持たない。

 記憶に新しいアビドスで行われた対ビナーの決戦。ヒフミが率いていた自走砲、それの本来の所有者はナギサだ。ヒフミがアビドスを思い、頼み込んだ果てに快く貸してもらえたが……その時、『返礼()』を期待していると言われた。

 砲弾も人員も、移動でさえ無料でない。何かをやるのにはコストが付き物で、あの時ヒフミはアビドスのために一切の出し惜しみをしなかった。最終的に掛かった費用をヒフミは知らないが、到底学生の身分では賄いきれないほどのものであると推測はできる。それをナギサは『愛』として返してほしいと、そう言っているのだ。

 

 恩はある。途轍もないほど大きな恩が。言質も取られている。そして何より、ヒフミの内心に『ナギサの願いに背く』なんて選択肢はなかった。決して逃げられないと悟ったヒフミは露骨に縮こまる。

 

「そういう事ですので、よろしくお願いしますね。補習授業部の部長さん」

 

 楽しそうに告げるナギサに対して、ヒフミは「あうぅ……」と呻き声を漏らした。

 

 

 ▼

 

 

「成程ね、そんな経緯が……」

 

 ヒフミの話を最後まで聞いた先生は眼を少しの間だけ伏せて……徐に立ち上がり、ヒフミに対して深く頭を下げた。

 

「ごめんね、ヒフミ。私が君に助力を求めたばかりに……」

「あ、謝らないでください、先生! アビドスの皆さんは放っておけませんでしたし、最終的に了承してナギサ様に頼んだのは私ですので……それに、私がしたくてやった事なので後悔はしていません!」

「それでも、私が発端なのは事実だ。埋め合わせは必ずするよ」

 

 真摯に相対する先生にヒフミは「埋め合わせなんて……」と言いながら、だが先生が引き下がらない事を分かってしまった彼女は渋々了承する。今度、ショッピングか何かに付き合ってもらおうなんて思いながら。

 

「ヒフミが補習授業部の部長なんだね」

「あ、あくまで臨時の、ですが……補習授業部は特殊な形で限定的に作られた部活ですし……全員が落第を免れたら自然に部は無くなるはずです」

 

 そう言い、先生に合わせるように立ち上がる彼女は丁寧に腰を折って。

 

「な、なので、えっと……その時までよろしくお願いします、先生」

「こちらこそよろしくね、ヒフミ」

 

 差し出された先生の手を握るヒフミ。思えば、こうやって手を握ったり触れ合ったりするのは1か月ぶりで、2回目。それなのに、どうしてだろうか。こんなにも懐かしさを覚えてしまうのは。だが、いつまでも握っている訳にもいかないからヒフミは少しの名残惜しさを感じながら指を解いた。

 

「あはは……こんな状況ではありますが、担当の方が先生で良かったです」

 

 そう言い、苦笑いするヒフミ。補習授業部に放り込まれた時は本当にどうしようかと思ったが、担当する人がシャーレの先生だと聞いて胸を撫で下ろしたのはよく覚えている。

 

 先生と関わった時間は然程長くない。だが、ブラックマーケットでの件やアビドスで行われた決戦の顛末は当事者の一人としてヒフミはよく知っている。その渦中で先生がどれだけアビドスの生徒やアビドスで暮らす人々のために尽力したのかも。優しく、暖かく、何時でも微笑みを絶やさず、生徒の事を一番に考える人……先生がそのような人だと良く知っていて、心から信頼しているヒフミにとって『担当が先生』というだけで幾ばくか心に掛かる未来の重みが和らいでいた。

 

「あ、補習授業部の他のメンバーにはもうお会いしましたか? 私はまだお会いしていなくて……」

「私もヒフミと同じだよ。他のメンバーは名前だけ知っているけど、まだ直接会ってないかな」

「そうですか……メンバーは私を含めて4人みたいですし、取り敢えず会いに行きましょうか、先生。まずは皆で、どうすれば落第せずに済むか計画を立てないと……」

「そうだね。となると、所在が明らかな子から順に当たるのが効率的かな」

 

 先生とヒフミは歩幅を合わせて教室を出た。

 

 

 ▼

 

 

「────此処だね」

 

 トリニティらしい重厚な扉は外部からの来客を拒むように固く閉じられていて、取っ手を持つ者に言いようのない圧力をかける。唯の教室の扉とは雰囲気が違う此処は、プレートにも書かれている通り正義実現委員会の本部。トリニティの武力集団にして治安維持機構、莫大な人員を抱えて日々トリニティ自治区の安全のために努めている少女達の集う場だった。

 

「あ、あぅ……あんまり来たくはなかったのですが……」

「まあ、好んで入りたくはないよね。ヒフミみたいな子からすれば特に」

 

 例えるなら警察署に入る様なものだろうか。別に悪い事をした訳でもない、入っただけで取って食われる訳でもない。日々、トリニティ自治区の治安を担っている少女達が居るだけの場所。自分達は用事があるから来ただけで、冷やかしに来た訳でも遊びに来た訳でもないから、冷たい目で見られることもないだろう。だから堂々とドアを開けばいいのだが、脳内ではそう分かっていても何故か委縮してしまうのだ。

 

 先生はノックしようと手を翳すが────それよりも先にヒフミが動いた。瞳には意志を固めたような色。恐らく、此処で足踏みしていても仕方が無いと思ったのだろう。或いは、成り行きとはいえ補習授業部の部長を任されたからには勇気を見せるのも必要だと思ったのか。

 

 何方にせよ、先生はヒフミに任せる事にした。折角生徒が足を踏み出したのだ。見守るのが先生の本懐と言うものだろう。彼は半歩下がり、ヒフミに先行させる。

 

「えっと、失礼します……どなたかいらっしゃいますか?」

 

 ドアを少しだけ開けて視界を確保。ヒフミは部屋の中を見渡す。トリニティの部活の中でも最大規模を誇る部活の本部らしい広大な空間。だが、その広さに反して人の数は異様に少なかった。多くのメンバーがパトロールか任務に赴いているのだろうか。そのままヒフミはきょろきょろと視線を動かし……そして、ドア近くの受付に小柄なピンク髪の少女……下江コハルが本を両手に座っているのを発見した。

 

 ヒフミはドアを先ほどよりも大きく開き、人が通れる分の広さを確保。おっかなびっくり入室し、受付の方まで歩いて行く。その間、コハルは本を読む手を止めてヒフミと先生をじっと見つめている。無言で、微動だにせず。警戒していることが丸わかりだった。

 

「あっ……こ、こんにちわ」

「……」

 

 ヒフミが若干びくびくしながらも最低限明るく、失礼のないように挨拶を送ったのに対してコハルは無言。無言で、睨みつけるような視線でヒフミを見つめている

 

「え、えっと……」

「……」

 

 二の句を告げようにも相手が無言であるため何を話そうかと脳内がパニックになり、ヒフミから漏れる言葉は意味の無いものばかり。そして、眼前のコハルは無言を貫いている。じっと、ヒフミを見つめて。

 

「あ、あぅ……」

「……何?」

 

 ヒフミが頑張り、コハルから漸く引き出した言葉はたった二文字、口を開いた時間が1秒程度の素っ気無い言葉。突き放すような質感を伴うコハルに再びヒフミはたじたじになってしまう。

 

「そ、その……うぅ……」

「……」

 

 そして、とうとうコハルの無言の圧力を前に屈したヒフミは若干涙目になり、半歩後ろにいる先生に助けを求める。

 

「あ、あぅ……わ、私、何かしてしまったんでしょうか……?」

「大丈夫、ちょっとこの子が人見知りなんだと思うよ」

「だッ、誰が人見知りよ!?」

 

 苦笑いしているような、まるで『仕方がない子だね』と言わんばかりの先生の言葉にコハルは先程の無言が嘘だったかのような勢いで立ち上がった。両手を本ごと机のデスクに打ち付け、椅子を跳ね飛ばして。机の鳴る音や椅子の倒れる音にも負けないくらいの声量と勢いで、少女は憤慨しながら言葉を並べる。

 

「た、ただ単純に知らない相手だったから警戒しているだけなんだけど!?」

「多分、それを人見知りって言うんじゃないかな?」

「うっ……」

 

 先生の鋭い言葉にそれ以上の反論を封殺されてしまったコハルは再び口を閉じる。割と勢いで話す気質があるコハルらしく、切り返された場合の反論を考えていなかったのだろう。

 

 それか或いは、自分が人見知りである事に自覚的だから何も言えなくなってしまったのか。正義実現委員会の先輩……特に仲正イチカならもっと上手くやるだろう。人当たりの良い彼女であれば相手を警戒しながらフレンドリーに接し、かつ相手の警戒心を解く事ができる。それを考えれば、コハルの『相手を警戒しています』と顔に書かれているような態度は未熟であった。

 

「こんにちわ、君1人かい?」

「……誰?」

「連邦捜査部、シャーレ。そこで先生をやっている者だよ。よろしくね」

「シャーレの先生って、あの……」

 

 先生は何が「あの」なのかは詳しく聞かない事にした。多分、聞いても傷つくのは自分だけだと知っているから。ナギサから聞いた数々の評判や噂は彼の暫く消えない嫌な思い出リストに突っ込まれている。

 

「この子は阿慈谷ヒフミ。トリニティの生徒だよ」

「……そう。そ、それで、正義実現委員会に何の用?」

「えっと、探している方がいまして……」

「はぁ!? 正義実現委員会に人探しを依頼しようって事? 私達のこと、ボランティア団体か何かだと勘違いしてるわけ? そんなに暇じゃないんだけど?」

「いえ、えっと、ここに閉じ込められてるって聞いて……」

「……はぁ?」

 

 ヒフミの言葉にコハルは更に警戒心を高める。視線は冷たく、相手を疑うように。怪訝な顔、詐欺師を見るようにコハルはヒフミを見るが……どうにも嘘を言っているようには思えなかった。

 

「ですから、えっと、その、良くない事をした方が此処にいると聞いて……」

「え、それってもしかして……?」

 

 その言葉に心当たりがあったのか、コハルの顔が何かを閃いたようなものに。確かに一人、正義実現委員会で身柄を拘束している人物がいる。数刻前、通報を受けて実働隊が出動し、一時的に本部で預かっているトリニティの生徒。だが、何のために拘束されている生徒の身柄を求めているのか分からないコハルは、取り敢えず上の階級の人に状況を伝えようと思いスマホを取り出そうとしたその時────不意に、後ろのドアが開いた。

 

 一切の抵抗なく開いたドアから現れたのはトリニティの生徒。長い桃色の髪を揺らし、纏う雰囲気は穏やか。まるで花のように嫋やかな笑みを浮べながら部屋の中に入ってきた少女は────どういうわけかスク水だった。

 

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、しかし服はスク水である。

 正に淑女の体現者、何処に出しても恥ずかしくない立ち振る舞い。だがその服装がスク水であるため何処に出しても恥ずかしい。

 

 深窓の令嬢と言っても差支えないような雰囲気の少女。学校指定の制服ではなく、学校指定のスクール水着を正装として身に纏うトリニティの生徒……浦和ハナコはまるで気の知れた友人に声を掛けるように朗らかに話しかけた。

 

「こんにちわ、皆さん。もしかして、私の事をお探しでしたか?」

「!?!?」

「!?」

「ふふっ……」

 

 唐突に表れた水着の生徒を見てそれぞれの反応を見せる3人。

 

 ヒフミは『何で水着の生徒がこんな所に!?』と言わんばかりの反応。時期は確かに初夏であるが、水泳の授業はもう少し先だ。もしかして室内の温水プールの方かも、と思ったが……2年のカリキュラムにはこの時期のプールなどない。故に、この少女は授業がないのに水着になっているのだ。理由は不明であるが。

 

 コハルは『どうしてコイツが此処にいるのよ!?』という反応。ヒフミと同じく驚愕であるが、驚く方向性が違う。勿論、服装が水着である事にも驚いているが、その驚愕は数刻前に体感しているため、今更もう一度おかわりする程でもない。彼女は身柄を拘束したこの少女が、今この場に居ること自体に驚いている。

 

 先生は『変わらないね、君は』という感傷。懐かしくて、愛おしくて。口を衝いて出た笑みはその証明。あぁ、ハナコはこういう子だった。記憶の片隅で守り続けている記憶が刺激されて、少女との思い出が止めどなく溢れてくる。だが、今先生の目の前にいるハナコは、記憶の中にいるハナコではないから。先生は眼を閉じて再び記憶を仕舞った。

 

「え、は、な、何でッ!? あ、あんたどうやって牢屋から出てきたのよ!? ちゃんとカギ閉めたのに!?」

「いえ、鍵なら開いていましたよ?」

 

 そう言い、指差すハナコの先には開かれたドア。蝶番に力が掛かった様子や破損の形跡は見られないため、強引に牢屋を破った訳ではない。ハナコの言う通り鍵は開いていたのだろう。コハルの確認ミスか、それともハナコを牢屋に突っ込んだ正義実現委員会の誰かのミスか。

 

「何やら私の事を話されているような声が聞こえたので、こちらに来てみました。何か私に御用でしたか?」

「うん、部活の件に関してね」

 

 ハナコの疑問に答えた先生は、眼の前に水着姿の生徒がいるとは思えないほどに穏やかかつ平坦だった。気にもしていない……訳ではない。彼が苦笑いしているのは初対面のハナコとて分かる。だが、それには手のかかる子どもを見るような慈しみと愛情があった。

 トリニティ内部ではまず見ない類の人、それに興味を持ったハナコは彼の方を向いて。

 

「あら、大人の方。ということは……シャーレの先生ですね。成程、貴方が噂の……改めまして、こんにちわ。浦和ハナコです」

「こんにちわ、ハナコ。よろしくね」

「ふふっ、よろしくお願いしますね。部活と仰っていましたが、もしかして補習授業部の?」

「正解。この度、補習授業部の顧問になったシャーレの先生だよ。気軽に先生って呼んでくれると嬉しいな」

「あらあら、それはまた……ナギサさんも奇特な事をされるもので……」

 

 コハルとヒフミの脳内を埋め尽くす、『何故ハナコはスク水姿なのか?』という謎が解けていない間に、先生とハナコは自己紹介と挨拶を済ませて世間話と雑談に移行する。スク水一枚の女子生徒が水場など一切存在しない室内にいる、という異常極まる光景。それを作り出している生徒こそが、4人いる補習授業部のメンバーのうちの一人。

 

 ────補習授業部、2年生。浦和ハナコ。

 浦和ハナコ。水着姿で学校内を徘徊し、その現場を正義実現委員会に捕らえられる。現在、正義実現委員会の下で監禁中……だったはず。

 

「ま、待って! その格好で出歩かないでよ!? ちょ、ちょっとぉ!?」

 

 フリーズから一足早く脱却したコハルは至極真っ当な事を叫び、何処かに行こうと足を踏み出したハナコの腕を確かに掴んだのだが……掴まれた本人たるスク水のハナコは心底不思議そうな表情で首を傾げた。

 

「……? 何か問題でもありましたか、下江さん?」

「あるに決まってるでしょ!? 何で学校の中を水着で徘徊するの!?」

「ですが、学校の敷地内にあるプールでは、皆さん普通に水着に着替えられますよね? ここもあくまで学校の敷地内、プールで水着になるのと本質的には変らないはず……あ、もしかして下江さんは、プールでは水着を着ないタイプですか?」

「え、は? それってどういう……」

 

 捲し立てられた論理は割ととんでもない事が並べられているが、ハナコの水着にリソースを割かれているコハルの脳がそのような事を冷静に処理できる訳もなく……ハナコは謎に神妙な顔をしながら顎先に手を当てる。

 

「そうでしたか、下江さんは全裸で泳ぐのがお好きなんですね。流石は正義実現委員会、そういった分野まで網羅されているなんて」

「ばッ、バカじゃないの!? 着るに決まってるでしょ!? 全裸なんて、そ、そんな事するわけ……ッ!」

 

 眼を見開き、猫のよう。顔は耳まで真っ赤にして全身で怒りを体現。ハナコのペースにすっかり乗せられてしまったコハルが真っ当な反論を口にするが、時すでに遅し。ハナコの中では全てが完了してしまっている。

 

「それにしても裸こそが正義、とは……かなり前衛的ですね。考えた事はあまりありませんでしたが、成程。勉強になります。下江さんの仰る正義、ここで試してみるのもまた一興……」

 

 覚悟の決まったような顔をしたハナコは掴まれていない方の手を肩ひもに掛けてキャストオフを試みるが────それよりも早く、コハルが動いた。正に神速と言うべき速度でハナコの両手をガードしたコハルはハナコを扉の方に押し込む。

 

 尚、取り残されたヒフミはつま先立ちになって頭一つ分以上背の高い先生の眼を手で覆い隠し、先生は「ヒフミ、もう少し力緩めてくれないかな?」と言って2人で漫才のような何かをしていた。

 

「ぬッ、脱ぐな変態ッ! とにかく早く戻って、早く! もうすぐ先輩達が来ちゃうから!」

「あら、でもこの御2人は私に会いに────」

「うるさいうるさいッ! この公共破廉恥罪! 早く牢屋に戻れッ!」

「すみません、どうやら色々と混乱している状況のようでしたので、また後ほどお会いしましょうね?」

 

 先生は『それを言うなら猥褻物陳列罪では?』と思いながら、巻き込まれそうだったので口には出さず、代わりに「またねー」と手を振りながらハナコに別れを告げる。相変わらず視界は塞がれているが。

 

 少し経った後、怒りに身を任せたかのようなドアの閉まる音が聞こえてきて、先生は漸く視界が開かれた。

 

「……えっと、とても印象的な方でしたね。浦和ハナコさん……」

「そうだねぇ。個性的と言うべきか、何と言うべきか……かなり薄着だったけど大丈夫かな。風邪引かないといいけれど……」

「あはは……そこを心配されるんですね……」

 

 苦笑いを浮べた先生の視線の先には固く閉ざされたドア。壁は薄いのか、向こう側にいる筈のハナコとコハルの声はそれなりにはっきりと聞こえた。成程、ハナコに話が筒抜けだったわけだ。さほど聞き耳を立てなくてもこれなのだから、意識すれば更にクリアに聞こえるだろう。

 

 暫くしたら言い争う声も聞こえなくなり、ドアを開けて現れたのは何処か疲れ切ったコハル。すっかり疲弊したコハルはしっかりと鍵を掛け、念のためちゃんと閉まっているかチェック。今度こそ脱走の下の所為は無いと安堵し、受付の席に戻った。

 

「えっと、この状況は一体……ハナコさんはこの後、どうなるんですか……?」

「そんなの当然死刑よ! エッチなのはダメ! 死罪!」

「そ、そんなはずないと思いますが……そもそも、やった事に対して刑罰が重すぎませんか……?」

「だ、だって水着で学校を歩き回ったんだよ!? 真っ昼間から! 生徒が沢山いる、広場のど真ん中で!」

「ですが、校内では校則で決められた服を着るものですよね? ですからきちんと学校指定の水着を────」

「どうしてそこで水着なの!? 制服を着ればいいでしょ!? っていうか話に入ってくるな!」

 

 1人だけ体力の消耗が著しいコハルは肩で息をして、牢屋の向こうにいるハナコを睨みつける。今のコハルは切れるナイフ状態。恐らく何を言っても噛みつかれるだろう。そして、なまじ勢いがある分、穏やかで人に強く出られないヒフミとは相性が悪かった。

 

「あうぅ……と、取り敢えず、今はちょっとハナコさんとお会いするのは難しそうなので……一旦他のメンバーに会いに行きませんか?」

「うーん……そうしようか。ハナコの方は私が何とかしておくよ。ハスミ辺りに話を通せば大丈夫かな……」

 

 流石に初日から欠員がいるのは不味いからね、と付け足した先生。ヒフミはモノクロコピーの紙面に視線を走らせ、ハナコの下に記されている名前を口に出す。

 

「えっと、もう一人は……白洲アズサさん」

「────ただいま戻りました」

「任務完了です! 現行犯で白洲アズサさんを確保しました」

 

 その声と共にドアが開け放たれ、入って来たのは黒を基調に赤の差し色が鮮やかなトリニティの指定制服、正義実現委員会の証を身に纏う2名の生徒。正義実現委員会の副委員長を任され、かつ先生とも面識があり個人的な関わりも深い生徒……羽川ハスミ。もう一人は身の丈にも及ぶほどの巨大なスナイパーライフルを軽々と担ぐ生徒……静山マシロ。

 

 入室と同時、自らの戦果を誇り高く叫ぶ少女。彼女が口にした名前は────何の因果か、ヒフミが補習授業部の一員として視線でなぞり、口にした名前と一言一句同じであった。

 

「はい……はいぃッ!? 白洲アズサさん、ですか!?」

「あっ、ハスミ先輩、マシロ」

「コハルさん、お疲れ様です」

 

 一人で驚愕を浮べるヒフミをハスミは『こんな時間にお客さんとは珍しいですね』と内心で思いながら、そして何をそんなに驚いているのだろうと思いながら……取り敢えず今はスルー。マシロに至ってはヒフミをまるで居ない者のように通り抜けて、受付の番を任されていたコハルに挨拶。コハルも漸く自分の知る人、信頼できる人が室内に現われて露骨に顔を綻ばせた。

 

 トリニティの生徒とはいえ学年も違うし、会った事も話した事もないヒフミ。

 碌でもない噂と良い噂を交互に耳にする、他人の伝聞でしか存在を認識していない先生。

 公共破廉恥罪(ハナコ)

 

 自身が所属する正義実現委員会の部屋にいながらコハルはずっとアウェーだったのだ。そんな時に現われた手放しで尊敬できるハスミと同学年のマシロ。コハルは2人が救いの女神に見えた。

 

「あれ……?」

「先生?」

「久しぶりだね、ハスミ」

 

 疑問の声と驚きの声。先生は今しがた現れた2人に朗らかに挨拶する。人好きのする、穏やかな笑顔。久しぶりに見た、だが見慣れた表情にハスミは表情を綻ばせた。

 

 ティーパーティーとの関わりが深い正義実現委員会、それの副委員長ともなれば機密性の高い情報もそれなりの頻度で耳に挟むことがある。アビドス自治区におけるビナーの顕現もそうであるし、ミレニアムで起きたビッグシスターと一名の生徒を発端とする事件も。

 キヴォトスでも数年に一回起きるか否かの大事件が立て続けに起こり、その双方の事態の中心にシャーレの先生が居たと報告を受けている。無事とは聞いていて、それを嘘だと疑った事もなかったが……それでも実際に自身の眼で見て安心したのだろう。ハスミの表情が柔らかくなった。

 

「お久しぶりです、先生。先生が正義実現委員会にいらっしゃるなんて珍しいですね。てっきり条約が締結されるまでは足を運んでくださらないものかと……」

「少し用事があったのと、何より皆の顔が見たかったからね。迷惑をかけちゃってごめんね」

「いえ、とんでもないです。私もお会いできて嬉しいです」

 

 これは紛れもなくハスミの本音だった。シャーレ解放の件で協力し、事後処理等が落ち着いた後に連絡先を交換し……今に至るまで何度か個人的なやり取りは続けている。彼がトリニティにいて、かつ運よく手が空いた時は正義実現委員会の副委員長ではなく唯の羽川ハスミとして彼と会っていたが……それも最近は無くなっていた。

 唯でさえトリニティ全体が慌ただしくなっている今、エデン条約機構(ETO)の片翼を担う手筈となっている正義実現委員会に態々時間を取らせるのは忍びないと思ったのだろう。そんな事気にしなくてもいいのに、とは思うが忙しいのは事実であるため、落ち着いて彼と話す時間は作れなかった。そんな時に漸く顔を合わせる事ができたのだ。気分が良くなるのも無理はないだろう。

 

「事前に言ってくださればお茶をご用意したのですが……それは次の機会に持ち越しですね」

「ありがとう。なら、次の機会は可能な限り早く作れるようにするよ」

「ふふっ、楽しみにしていますね」

 

 そう言い、上品に笑うハスミ。先生が好むお茶やお茶菓子は何だろうか、どのようにもてなせば喜んでくれるだろうか。次の機会までにリサーチしないと、なんて思いながら未来に訪れるであろう先生との御茶会を楽しみにして、今からシミュレーション。

 先生は『いつ空いているかな』と脳内で今後の予定を検索。恐らくエデン条約の調印式前でないと時間は取れないだろう。

 

 正確に言えば────調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。想定している最悪のシナリオ通りに盤面が進んだ場合……先生は()()()()()生徒の敵を殺す事になる。刺し違えてでも、ではない。刺し違えて殺す。初めから生き残る事を欠片も考えていない。片道切符を握り締めて相手と共に誰も居ない虚空の星に身を堕とすのだ。

 

「初めましてかな。私はシャーレの先生だ。よろしくね」

「静山マシロです。ハスミ先輩からお噂はかねがね。これからよろしくお願いします」

 

 先生は暗い未来の思案を欠片も表層に出さず、初めて会うマシロに手を差し出す。マシロはハスミから色々聞いているのか、若干目を輝かせながら伸ばされた手を固く握った。

 

 短くも、固い信頼関係を握手と共に結んだ先生は徐に手を放して「さて……」と呟く。意図的に見ない振りをしていたもの。踏み込んだが最後絶対に話の流れが乱れると分かっていたからこそ、後回しにしていた。

 だが、もう挨拶は済ませた。何の憂いもない。今こそ向き合おう。正義実現委員会の2人の背後────確保された白洲アズサと。

 

 少女の服装は校則に違反しない範囲内で改造されたトリニティの指定制服。トリニティの生徒の一部に共通する一対の白い翼は花やアクセサリーで可愛く彩られているが、これも校則の範囲内であり一般的なものだ。後ろ手に手錠こそ掛けられているものの、これは捕獲の段階でつけられたものだろう。特別目くじらを立てるほどのものではない。

 

 だが────少女は重厚なガスマスクを装備していた。改造された制服にアクセサリー、本人の可愛さを助長させるはずのものが、ガスマスクを装備しているという一点のみで全てが反転、一気に不気味になる。もし夜道でこの出で立ちの者と相対したら確実に叫ぶだろうし、幽霊の類と勘違いされるだろう。

 

 一点の曇りも無いほどに完璧な不審者が、其処に立っていた。

 

「シュコー、シュコー……」

「……」

 

 ヒフミはガスマスクの少女、推定白洲アズサを眼を見開いて凝視する。その顔には驚きが張り付いていて、口は二の句を告げられず絶句。現実的とは思えない、いっそのこと夢だと言ってほしいくらいの光景。だが頬を抓っても痛いから、確かに現実だった。

 

 ハナコの格好もとんでもなかった。だが、まだギリギリ理解の範囲内にある。着ていた水着はトリニティ指定のものであるし、ヒフミもサイズの差異こそあれど同一規格のものを持っている。プールの授業では何度も袖を通していた。尤も、プールで使うはずの水着を校内で着用して徘徊していたことが問題なのだが……それは一旦置いておこう。

 

 だが、眼の前の少女は違う。催涙効果のある物質を扱う際に着用する学校指定のものですらない、SRTやヴァルキューレの特務部隊、傭兵……そういった特殊な任務に従事する者達が身に着けているような、所謂『ガチ』なものだったのだ。そんなものを持っていること自体怖いし、身に着けている事はもっと怖い。

 ヒフミがガスマスク少女(推定白洲アズサ)に抱いたのは困惑と驚きと恐怖。初対面で絶大なインパクトを残したハナコを上回る、とんでもない生徒だった。

 

「シュー、シュー」

「……あぅ」

 

 くらり、とヒフミは眩暈を覚える。ハナコ、アズサ。その何方も規格を斜めに外れた問題児。この少女達とまだ見ぬもうひとりの少女を抱え、補習授業部の部長として率いていかなければならない現実に心が折れそうだった。前途多難……と言うより、明るい未来が全く見えない。今のところ不安しかなかった。

 

「惜しかった。弾丸さえ足りていればもう少し道連れにできたのに……もういい、好きにして。私の負け。ただ、拷問に耐える訓練は受けているから、私の口を割るのは簡単じゃないよ」

 

 ────補習授業部、2年生。白洲アズサ。

 校内での暴力行為、及び爆発物取扱に関する校則違反の疑いで正義実現委員会から追われていたところ、教材用催涙弾の弾薬倉庫を占拠。約1トンの催涙弾を爆破させ、3時間にわたる抵抗の末に逮捕。逮捕の寸前まで各種ブービートラップやIED(即席爆発装置)を用いて激しく抵抗。戦場となった弾薬倉庫を含む校内設備に甚大な被害、及び被害者多数。

 

 救護騎士団の棟はさぞかし賑やかかつ、大変なことになっているだろう。主にアズサを捕えるのに動員した正義実現委員会の生徒の涙と鼻水で。

 

 色々と収拾がつかなくなった場を先生は一瞥。彼は眼を離したら卒倒しそうなヒフミの手を引いて、そっとハスミに耳打ちする。

 

「……ハスミ、ヒフミ。現状整理も兼ねて少し話そうか」

「……はい?」

「あうぅ……」

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