シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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見知った人、見知らぬ人

 トリニティ総合学園における成績不振者の集まり、補習授業部。今期のメンバー全4名、道中呼んでもいない様々なトラブルとアクシデントに見舞われつつも、何とか無事に教室に集まる事ができた。

 

 広い教室に理路整然と並べられた木製の学習机と椅子、その中でも教壇に最も近い最前列の席に少女達は4人並んで座っている。

 ヒフミはトレードマークのペロロバッグを両手で握り締め、前途多難が過ぎる未来に引き攣った笑みを浮べ。

 ハナコは相も変わらずスク水姿でニコニコと満面の笑み。ハスミが確かに渡したはずの着替えの制服は一度も見ることなく行方不明。

 アズサもガスマスク姿のまま自身の愛銃を握り臨戦態勢。周囲を警戒し、何か不審物や不審者を発見した途端に即座に迎撃に移れるように。だが、残念ながら彼女が一番不審者である。

 コハルは青褪めた顔で頭を抱え絶望している。先ほどまで威勢の良かった口から零れるのは「違う……こんなはずじゃ……」という弱々しい言葉と、己の境遇を呪う呪詛。

 

 4人が作り出す空気は宛ら地獄のよう。口が裂けても『仲が良い』とは言えないような、色々な負の感情がミキサーでかき混ぜられた不和。個性豊か、と表現すれば聞こえは良いかもしれないが、我が強すぎるのも考え物だろう。特にゴーマイウェイを貫いているハナコとアズサ。彼女達はそれぞれ水着姿も貫いているし、ガスマスク姿も貫いている。

 

 教壇に立つ先生の先生は4人が作り出す空気の中でも、その表情は凪いだままだった。酷く透明で、眼を閉じた瞬間に見失ってしまいそう。窓の外から聞こえるのは授業が終わり各々の活動に精を出す生徒達の声。

 

 彼の眼の前にいる少女達もそうだ。これから彼女達はこの4人で様々な思い出を育んでいく。楽しい事、嬉しい事、辛い事、苦しい事。多くに触れて、多くを学び……全て終わった後、彼女達はどんな姿を見せてくれるのだろうか。願わくば、少女達のこれから過ごす日々が少しでも色彩溢れた楽しい時間になりますように。

 

「さて、色々とあったけど……こうして皆集まれたね。この4人、君達が今期の補習授業部の生徒達だ」

 

 気楽に、自然体に、柔らかに。口を開いた先生に集まる4人の視線。親しみ、信頼、好奇心、愛情、猜疑、それらが入り交ざった複雑な色彩。それをそよ風のように受け止めながら、彼は澱みなく言葉を紡ぐ。

 

「初対面の人が多いと思うから、先ずは自己紹介から始めようか。各々、好きな事を話していいよ」

「じゃあ、私から」

 

 そう言い、最初に手を挙げたのはこの場で最も浮いていたアズサだった。その予想外の行動にコハルは勿論、ハナコも明確に驚きの表情を浮かべる。こういう事は補習授業部、ひいては先生に一番協力的であろうヒフミがやると思っていたが……その予想は外れたようだ。

 ヒフミの方に視線を送ると彼女も自己紹介をやるつもりだったようで、微妙に挙げられた手は行き場を失くしてしまっている。アズサに出鼻を挫かれてしまったからだろう。

 

 そんなヒフミの事は露知らず、アズサはガスマスクの留め具を外していく。メカニカルな金属音が鳴り、ガスマスクが離れて……その顔が露になる。あどけなさと幼さを残しながらも、切れたナイフのような鋭さ。端正で整った顔立ちながらも、何処か人形のような雰囲気も感じてしまう。邪魔にならないように纏められた白の長い髪を解き、汗で張り付いた前髪を鬱陶しそうに払い除けて……薄紫のライラックに似た瞳を全員に向けた。

 

「2年、無所属。白洲アズサ。よろしく」

「うん、よろしくね、アズサ」

 

 短い簡素な自己紹介を終え、アズサは着席する。それ以外に話す事が無いのか、或いは話したい事が無いのか……それとも話さなくてもいいと思ったのか。何はともあれ、皆が共有したアズサの情報は名前と学年のみであった。

 アズサの簡潔な自己紹介が終わったら、今度こそヒフミの番。彼女はペロロのバッグを机の上に置いて、皆の方を見た。

 

「えっと、同じく2年の阿慈谷ヒフミ、です……よろしくお願いします。一応、補習授業部の部長って事になっています」

「お二人と同じく2年の浦和ハナコです。よろしくお願いしますね」

「……下江コハル、1年」

 

 ヒフミに続きハナコとコハルがそれぞれ短い自己紹介を終える。彼女達もアズサに倣って名前と学年のみを開示。コハルに至っては『馴れ合うつもりはない』と言わんばかりに、自己紹介をしている最中もそっぽを向いていた。

 

 これで補習授業部の生徒は終わり。となれば、次は教壇に立つ先生の番だった。彼は教壇から離れ、全員から全身が見えるように場所を変更。胸ポケットに仕舞っていたIDを取り出し、宙ぶらりん。にこやかな笑みと柔らかな態度で────初めましてを寿いだ。

 

「連邦捜査部シャーレの先生です。気軽に『先生』って呼んでくれると嬉しいな。聞きたいこととかあったら何でも聞いてね」

 

 人の警戒心を解くような、一瞥しただけで『この人は敵じゃない』と無条件で思ってしまうような微笑みは特にヒフミに効果があったようで、彼女には彼が救いに見えた。色々と得体の知れないメンバーが揃う中、互いに素性を知り合っていて、明確に協力的であるのは彼だけなのだ。彼が居なかったらヒフミの心はぽっきりと折れていただろう。具体的にはガスマスクガールことアズサと衝撃的な初対面を交わした時点で。

 

「先生、質問です♪」

「うん、いいよ」

 

 妙に良い姿勢で手を挙げたのは、地獄のような空気の中でもニコニコと笑みを絶やさなかったハナコ。彼女はどうやら先生に質問があるようだ。ハナコの笑みは何処か悪戯っぽさが含まれていて、揶揄う意図が見え透いている。だが、例え揶揄い目的でも質問は質問。先生の立場としても、1人の人間としても、補習授業部の顧問としても無下にする事は決してしない。彼は快く、疑問を口にする事を促した。

 

「スリーサイズを教えてください♪」

「はぁ!? あんた何聞いてるのよッ!? エッチなのはダメ!」

「20-10-55-15-20-80」

「先生も何で答えるのよッ!」

「ヒフミ、アレは答えていたのか?」

「あはは……多分真面目には答えてないと思います」

 

 ヒフミの言う通り、彼はどう考えても真面目に答えていなかった。真面目に答えられても困るため、冗談の質問を冗談で受け流す会話テクニックと言えば聞こえは良いのだが……何故彼は数字を6つも言ったのだろうか。そもそもあの数字に何か意味があるのか。

 予想外かつ意図も意味も不明な回答を真っ向からぶつけられたハナコは初めて笑みを崩して「……えっと?」と呟き、思考をフリーズさせている。

 

「あはは……じゃ、じゃあ、普段先生は何をされてるんですか?」

「紙でも電子でも、基本は書類仕事かな。偶に補習授業部みたいな仕事もやったりするけど、基本はデスクワークが多いよ。後は、そうだね……結構荒事も担当してるかな。ヒフミは知ってると思うけれど」

「あはは……アレは本当に生きた心地がしませんでした」

「だよねぇ。私もアレをもう一回やるのは御免だよ」

 

 ヒフミと先生、その2人が共に轡を並べたのは……アビドスにおける完全顕現したビナーとの戦いだった。経路(パス)を辿り、己が主の領域にアクセスした真正の神。生命樹機神体と呼ばれるカタチある神格。完全顕現し、権能すら自在に操れる正真正銘の怪物と時間稼ぎ目的とはいえぶつかった経験はヒフミの人生における最大のピンチであり、思い出したくないことトップ3に入っている。

 半身を木っ端微塵に吹き飛ばされ、神秘は底を突き、L118牽引式榴弾砲で袋叩きにされていながらも、その神威に翳りはなく……幾重にも亀裂が走ったビナーのカメラアイに睨まれた時、ヒフミは普通に失神しかけた。

 

「ま、今回みたいにオフィスを暫く開けるのが特例で、通常はオフィスで当番の子と一緒に書類と戦ってるから、暇だったら遊びにおいで。いつでも歓迎するよ」

 

 そう言って、彼は質問を締めくくる。空気が充分解れたと判断したのだろう。確かに刃物のような険悪な空気は少しだけ鋭さを劣らせ、僅かながらも友好的な雰囲気に満ちている。恐らく、これが現状の最高。これ以上に空気を良くするためには個人個人の仲をより深めなければならないだろう。

 

「私の話はこれで終わり。何か聞きたいことや相談事があればまた今度。今は皆に関係のある話をしようか」

 

 一時期はどうなるかと思ったが、自己紹介の時間は案外とすんなり終える事ができた。滑り出しとしては上等だろう。願わくば、このまま皆で仲良くしてほしいが……その仲良くなるまでの過程に色々とアクシデントやらイベントやらがあると経験則で知っている彼は苦笑いする。

 

 前途多難なのは皆同じ。生徒も先生も、此処に集められてからは先の見えない混沌の中で足掻いて、必死になって己の信じる道を歩かなければならないのだから。

 

「もう既に知っている子もいるけど、改めて最初から説明するよ。私は君達補習授業部の顧問、まあ端的に言えば担任の先生として此処に立っている。皆がテストに合格して無事に補習授業部から抜けるまで、私が責任を持って皆をサポートするから、どうかよろしくね」

「……この補習授業部って何なのよ。集められたメンバーも意味わかんないし」

 

 心底納得していない表情で周囲を見渡したコハルは、恨み混じりの言霊を発した。話が通じそうな常識的な生徒、ガスマスクのヤバい奴、水着のヤバい奴、変な噂しか聞かない得体の知れない大人。共通点なんて皆無で、仲良しこよしなんて絶対できない。

 そもそも、この補習授業部自体が不透明だ。トリニティに入学し、正義実現委員会に所属してそれなりに日が経ち、コハルはある程度部活やらクラブやらの名前を覚えてきた。だが、その覚えてきた課外活動の名の中で、補習授業部、或いはそれに似ている名前の部活動なんて耳に入れた事が無い。

 

 補習授業部が嘘……とは思わない。ハスミもどうやら話は聞いていたようだし、先生が持っているバインダーにはトリニティの校章とティーパーティーの紋章が箔押しされている。彼がそれを持っているという事はつまり、彼の活動がティーパーティー公認であるという事。トリニティ内部に於いて絶大な権力を持つ彼女達に認められている意味は勿論コハルとて分かる。だが、それでも……疑いはコハルの内心にあった。

 

「コハルちゃん、補習授業部はトリニティの規定にもある歴とした部活動ですよ。ですが、常時稼働している訳ではなく必要に応じて創設される部活だそうなので……」

「ハナコの言う通り、活動は限定的だから知らないのも無理はないよ……寧ろ、ハナコはよく知ってるね」

「ふふっ、トリニティには人並に詳しいですし、詳しいお友達もいるので」

 

 言い、微笑むハナコ。その視線には親しみと、その裏側に隠された値踏みするような色。彼女は恐らく、この場を使って先生を測定している。

 

 彼が補習授業部の顧問になるとお友達(セイアちゃん)から聞いた時から始めた情報収集。それにはシャーレが公式で出している報告資料から、シャーレが関わった学園が出している報告書、連邦生徒会の公開書類、人々の噂話まで……およそ、世間一般で流れている『シャーレの先生』に関する情報をほぼ全て網羅していた。それも、話を聞いてから実際に招集が掛かるまでという短期間で。恐ろしくなる程の情報処理能力。

 

 だが、彼女の本質は『そこ』ではない。能力だの才能だの、多くの人に魅力的に見えるそれは彼女の表層。確かにそこも彼女かもしれないが、その表層だけが彼女ではない事を……彼はちゃんと知っている。

 

 向けられる値踏みの視線。価値を測り、意図を測り、本質を射貫くハナコの視線。彼をその眼で見て、何を感じ、何を思ったのか。それは彼女だけのもの。

 

「ハナコの言う通り補習授業部はトリニティの正式な部活だけど、必要に応じてその度に創設されるタイプのものだから、その時存在するかしないかは内部の事情に左右される。一年間で何回も創設される年もあるし、逆に一回も創設されない事もあるんだ」

「……ですが、この時期の創設は特殊なケースですよね?」

「そう。だからナギサもシャーレを使ったんだ。ティーパーティー単体では無理な事でも、シャーレの権限を使えば多少は融通が効くからね。まぁ、色々とルールを捻じ曲げるやり方だから推奨はしないけど」

「ふふっ、それだけ私達の成績が火急の要件だったという訳ですね」

 

 ────恐らく、何か裏がありますね。

 

 ハナコは推察する。推察、とは銘打っているがハナコの中でこの推察は確信同然だ。確実に何かある。それも、大っぴらにはできないような後ろ暗いタイプの事情が。集められたメンバーに分かりやすい共通点は無いが……では、分かり難い共通点は? ハナコが『確実にある』と確信した裏の事情に繋がる部分が、このメンバーを補習授業部に集わせたのではないか? 

 

 成績が悪いのは本当だ。ハナコも心当たりがあるし、恐らく他のメンバーも同じなのだろう。だから、補習授業部に集められること自体には然程不思議ではない。だが、今の時期に集められるとなると話は別だ。

 補習授業部の創設条件。入学前に流し読みした規定には創設する時期に関する記載があった。その時期と今は明確にずれている。補習授業部の創設条件を満たしていないのだ。だからこそ、シャーレの権限を使って無茶を通したのだろう。

 

 では、何のために? この時期に補習授業部を創設しなければならない動機があったのは確実にトリニティの上層……つまりティーパーティー側。

 

 もしシャーレ側に動機があるなら、こんなに回りくどい事はしない。トリニティの校則に則る事はせず、超法規的権限を使用して4人纏めてシャーレの当番やら何やらにしてしまえば、それだけでこの4人を集めるという目的は達成できる。尤も、シャーレという組織を使った場合、その先に何か不都合があるかもしれないが……それは今考えるだけ無駄であるため除外。

 

 重要なのは、トリニティの校則に記載されている補習授業部という組織体系を使い、規定を超法規的権限により幾つか踏み潰し、この4人を『今』集めたという事実だ。

 

 ティーパーティーがなぜ今、突然思い出したかのように成績の悪い少女達を集めて補習授業部なんてものを作ったのか。それも、シャーレという外部組織まで巻き込んで。今の時期はティーパーティーは勿論、何らかの権力に関する部活は全て多忙だろうに……と、そこまで考えてハナコは発想を転換させる。今創設したのは、()()()()()()()()()()()()ではないのか、と。

 

 この時期の少し後には、途轍もないほど大きなものが控えている。トリニティの歴史を変えかねないほどに、大きなターニングポイントがこの後……丁度1か月後ほどにあるのだ。

 

 シャーレに借りを作る形で時期尚早に創設された補習授業部。

 共通点が見えない集められたメンバー。

 ハナコがあると確信した後ろ暗い事情。

 ティーパーティー。

 

 それらを総合して、考えて……ハナコは脳内で呟く。

 

 ────まさか、エデン条約? 

 

 だが、この先はどうも分からない。エデン条約と補習授業部を繋ぐ線が見えず、単純に情報が足りないのだ。恐らく、彼は深い事情を聞かされていない。彼は本当に呼ばれただけなのだろう。担任の先生をやってほしい、と頼まれて。

 

 これらの事情は全てハナコの想像。もしかしたら本当に全員成績が悪くて、今すぐにでも補習授業部に入部させないと落第が確定してしまうほどには追い詰められていた可能性も考えられる。裏の事情なんて何もない、とても平和なお話。4人の生徒の為にルールさえ捻じ曲げた、愛あるティーパーティー。

 

 だからこそ有り得ないとハナコは知っている。賞賛の裏では影口を、感謝の裏では悪態を、愛の裏には欲望を。そういった人間の集まりがトリニティなのだ。唯の善意や愛なんて今更信じられる訳なかった。

 

「え、えっと……他に何か気になる事がございましたら……わ、私も知ってる範囲でならお答えします……」

「私からは特にない。これからは普通の授業に加えて、毎日放課後に特殊訓練があるってだけでしょ」

「えっと、特殊訓練と言って良いのか分かりませんが、そうです。私達が目指すのは、これから行われる特別学習試験で、()()()()()()()()()こと」

 

 その言葉に引っ掛かりを覚えたのはやはりハナコだった。課外授業等の一部例外はあるものの、学校で行われる学力試験は基本的に個人戦。当然トリニティもそうであり、誰かと協力して試験を突破、なんてシチュエーションは特異極まる。尤も、補習授業部自体が特殊な成り立ち故に試験の突破条件も特殊……そう言われてしまえばそれまでだが。

 

 疑問は尽きない。この補習授業部には不可解な点が多すぎる。だが、ヒフミがやたら協調性を気にしていた理由は分かった。単純な個人戦じゃないなら、同じチームメンバーの事を気に掛けるのは当然。4人の肩には4人分の落第の重みが圧し掛かっているのだ。自分の行く先のリードを4等分され、その手綱を初対面の人間が握っているとなれば、その内心は穏やかじゃないだろう。

 

「先生も手伝ってくれますし、み、皆で頑張って落第を免れましょう……!」

 

 そう言い、ヒフミは気合いを入れた。補習授業部部の部長をナギサ直々に言い渡され、メンバーを集めていた時は何度か卒倒しそうになったが……今は違う。全員できっと乗り越えられると信じている。教え合い、助け合い、協力すれば……きっと、未来は明るいはずだと。

 

「特別学力試験は第3次まで、つまり3回まであるようですが……そのうち一度でも全員同時に合格すれば、そこで補習授業部も終わりとのことです! そうすれば落第も撤回され、皆さんも晴れて元の生活に戻れます!」

「うん、理解した。3回のミッションのうち、1度でも良いから全員で成功を収める。その為に此処に毎日集まって訓練を重ねる……それほど難しい任務じゃない」

 

 アズサはヒフミの言葉を自分なりに噛み砕き、解釈して口に出す。その過程でどこか軍事訓練のようになっているが、内容としては別に特に大きな乖離は無いためスルー。彼女が自分なりに理解しようとしているのに口を挟むのは無粋だろう。

 

 うんうんと頷き、アズサは改めて現状を把握する。補習授業部のメンバーと落第を免れる条件はアズサの知るものと全く同じ。トリニティやアリウスを取り巻く状況はアズサの知識と異なる部分もあるが、そこは誤差の範囲。計画を修正する必要が有る様な大きな差異はない。アズサの任務は予定通りに続行される。

 

「つまりこの集まりは、各自のリタイアを防ぐための措置……私としては特にサボタージュする気はない。ヒフミと先生に全面的に協力しよう」

「アズサちゃん……! そ、そうですね! 頑張りましょう! えっと、アズサちゃんは転校してからあまり時間が経ってないんですよね? まだこの学園に慣れてなかった所為もあるでしょうし、皆で頑張ればすぐに何とかなると思います」

「ヒフミは前向きだな」

 

 そう言い、表情を綻ばせるアズサ。過去に撮った写真を見返しているような、思い出を懐かしむような顔。その表情を浮かべた人物こそ違えど、ヒフミは似たものを何度か見た事があった。遠くで、或いは近くで。

 アビドスの少女達。仲睦まじくたい焼きを頬張る少女達の輪の中に居ながら、『自分はその輪の中に入れないから』と言わんばかりに一線を引いていた彼の姿とアズサが重なって見えた。

 

「あら? 白洲さんは此方に転校されて来たんですか? トリニティに転校生だなんて、珍しいですね……?」

「……」

 

 ハナコの疑問にアズサは口を噤む。僅かに眉を顰めた刃のように鋭い沈黙。拙い事を聞いてしまったのか、とヒフミは申し訳なさそうな顔をしながら、恐る恐るアズサを見た。変らず、切先のような静寂。

 

「あ、えっと、私達が受け取った書類にはそう書いてあって……も、もしかして私、余計な事を……?」

「いや、別に隠す事じゃないし、隠したかった事でもないから気にしないで。私が転校してトリニティに来たのは歴とした事実だ。物珍しく言われるのは慣れるべき事だし、そのための努力もする」

「なるほど……それでは私もアズサちゃんって呼んでも良いですか?」

「うん、構わない。ハナコの好きなように呼んで」

「では、アズサちゃん、と」

 

 真っ直ぐで、純真無垢。言葉を飾る事を知らず、ありのままを口にする。自分自身を取り巻く何かにここまで真剣に向き合っている生徒をハナコは見た事が無かった。今まで出会って来なかったタイプの人。ハナコはアズサの事を好ましく思っている。

 

「ふふっ、アズサちゃんにヒフミちゃん、それからコハルちゃん……うふふふ、何だか良い響きですね。私達はこれから、補習授業部の仲間という事で。アズサちゃんは一見冷たそうに見えますが、何だか可愛らしいですし……ふふっ」

 

 そう言い、ハナコはぐるりと回りを見渡す。

 平凡で、普通で、でも何処か芯の通った少女。

 自分自身とそれを取り巻く全てを真摯に見つめ受け止めている少女。

 揶揄い甲斐がありそうな、可愛らしい少女。

 贖罪と巡礼の旅を続け、いつか遠い空で変革の鐘を鳴らす彼。

 

 異なる方向を向いているその歩みは、補習授業部が無ければ決して交わらなかっただろう。これも何かの縁、折角歩み寄れたのならば仲良くしないのは損だろう。どうせなら楽しく、華やかに。つまらなかった今までの歩み、そのフィナーレを飾れるような楽しい最後の思い出を。

 

 そう思い、ハナコは改めて全員を見渡すと……暗く澱んだ感情を視線に乗せてこの場に居る全てを睨んでいる少女が視界に映った。

 

「あら、そんな憎悪に満ちた目でどうしたんですか、コハルちゃん?」

「言っておくけど、私は認めないから……ッ!」

「えっと……」

「あら、何を認めないんですか?」

「認めないも何も、私達が補習授業部に呼ばれたのは曲げられない事実だけど」

 

 アズサの静かな、だが有無を言わせない言葉。それすらも振り払い、コハルは椅子から勢いよく立ち上がり、全員を睨みつける。視線に籠るのはやはり憎悪、怨念、怒り。突然そのような感情を向けられたヒフミは驚き、ハナコは微笑みを絶やさず、アズサと先生は特に反応なし。

 

「わ、私は正義実現委員会のエリートだし! 私の方が年下だからって、あんた達を先輩だなんて呼ぶつもりはないから!」

 

 勢い任せの喧嘩腰。机に掌を打ち付け、まるで親の仇を見るように全員を射貫く。正義実現委員会のエリートにして期待の新人を自称するコハルにとって、補習授業部に放り込まれただけでも耐えがたいほどの屈辱だった。

 

 しかも、そのメンバーが眼が完全にイッてる推定鳥類のキモいグッズを身に着けている少女と、スク水の露出狂、正義実現委員会に喧嘩を売ったガスマスクの狂人、何してるか分からない得体の知れない大人なのだ。こんな頭のおかしい人間達と一緒に居る事は耐えられないし、他人から『頭のおかしい集団の一人』として見做される事はもっと耐えられない。

 

 コハルは言い聞かせる。自分は正義実現委員会のエリート、未来の委員長か副委員長。此処にいる変態達とは違う、違わなければならない。違う事を証明しないと、自分は。

 

「それにそもそも、こんな部活さっさと抜けてやるんだからッ! あんまり馴れ馴れしくしないでもらえる!?」

「なるほど……確かに補習授業部の中でまで先輩後輩なんて扱いにする必要は無いと思います。あくまで同じ部活に所属する学友であり仲間。私としては何も問題ありません」

「私も別に。そもそも、そういう文化は不慣れだし。元々、仲良くなるために集まっている訳じゃない。仲良くなることに越した事はないかもしれないけど、無理に親しくする必要は無い。その温度感はコハルの好きにしていいはず」

「あ、あうぅ……」

 

 個人の成績が良ければそれで終わりではないのだから、団結して試験に挑みたい……と謂うのがヒフミのスタンス。だが、そのスタンスはコハルの方針に一定の同意を示したハナコとアズサにより崩れ去った。アズサは全面的に協力すると言ったが、それはあくまでアズサ自身が関与できる範囲内での話。アズサは他人に自身の方針を強要するつもりはなかった。

 

 コハルはコハルの好きなように、ハナコはハナコの好きなように。だから、アズサはアズサの好きなようにヒフミや先生に協力する。それだけの話。

 

 ヒフミは『折角まとまりかけたのに』と頭を抱え、見えた光明は再び暗闇の中。対して、コハルはこの場の半数以上の賛同を得たため饒舌だった。

 

「じゃあ決まり! それに、そもそもの話なんだけど私が試験に落ちたのはあくまで飛び級のために一つ上の2年生用のテストを受けた所為だから!」

「あら、飛び級ですか? どうしてそんな事を……?」

「ど、どうしても何も……私はこれから正義実現委員会を背負う立場になる訳だし……忙しくなるから勉強くらいは早く終わらせようと思って……」

「成程、将来的に圧し掛かるウェイトを減らそうと……でも、それで落第してしまったんですよね? 一度試しにチャレンジするという事であれば理解できますが、何故それを何度も……?」

「う、うるさいうるさい! 私が言いたいのはそういう事じゃなくて!」

 

 遠回しに『2年のテストをやるなんて身の丈に合ってないのでは?』と言われた気がしたコハルは顏を真っ赤にする。勿論、ハナコにそのような……果敢にチャレンジしたコハルを馬鹿にするような意図は無い。ただ単純に飛び級に固執する姿勢に疑問を持っただけである。だが、そんなハナコの内心を露ほども知らないコハルは勢いのまま自信たっぷりに叫ぶ。

 

「つまり私は今まで、本当の力を隠してたってこと!」

「……?」

 

 ────本当の力を隠していた。その言葉は多分比喩でもなんでもなく、言葉通りに受け取って良いものだろう。コハルの自信満々な表情がその解釈を助長させる。だからこそ、何のために本当の力を隠していたのかが不透明になりハナコとヒフミの頭に疑問符が浮かんだ。

 

「今度のテストはちゃんと1年生用のテストを受けるから! そうすればちゃんと優秀な成績を収めてはい終わりってわけ。分かる?」

「あ、あはは……」

「それで、直ぐにこんな補習授業部なんて辞めてやるんだから!」

「えっと、個人で優秀な成績を出したとしても、それでこの部を卒業できる訳ではないので……」

 

 恐らく先ほどまで塞ぎ込んでいたコハルはヒフミとハナコ、先生の会話を一切聞いてないのだろう。3人の会話の中で補習授業部の解散条件、つまり全員同時に合格しなければ卒業できないため、いくらコハル個人の成績が優秀でも大きな意味はないのだ。

 その誤りは早めに解消しなければならない。そのままにしておいてもコハルが後で傷つくだけだ。ヒフミは苦笑いをしながら、先ほどのおさらいがてらその辺りの話をするべくそっとコハルに耳打ちしようとするが。

 

「成程、経歴を隠していた訳か。相手の眼を欺くのは有効な戦略だ。戦場ではその誤認が敗北に直結する……ちなみに私も、以前在籍していた学校との学習進度の違いから1年生用のカリキュラムを使用している。試験も1年生のものを受ける予定だ」

「あ、じゃあ同じ……い、いや! どうせすぐ関係なくなるけど!」

 

 口では強気に色々と言っていたが、一人だけ1年生という状況はやはり不安だったのだろう。所属する学年こそ違えど、アズサが同じ1年用の試験を受けると知ったコハルは露骨に顔が綻んだが……直ぐにその表情は鳴りを潜めた。

 

「私は短い付き合いになるけど、あんた達はそんな感じじゃないみたいだし? あははっ! じゃあね、精々頑張って!」

 

 そう言い、満ち溢れる自信のまま教室を後にするコハル。呼び止める間もなく、彼女は早々にも席を外してしまった。始まる前から一人不在、という惨憺たる状況にヒフミは先生を見上げた。

 

「……い、行っちゃいました……どうしましょうか、先生……?」

「どうするも何も、行っちゃったものは仕方ないから……」

 

 今日はこの三人で進めよう……そんな言葉が聞こえてくるかと思ったが、ヒフミの耳に届いたのは彼女の想像とは正反対の言葉だった。

 

「コハルを連れ戻そうか」

 

 去ってしまったならば連れ戻すまで。折角集まっているのだ。何もしないのは悪手だろう。試験までの時間は有限。無駄遣いできるほど現状に余裕がある訳でもないため、活用できるものは活用するに限る。この後の時間の使い方……勉強するにしても仲良くなるにしても、コハルを連れ戻すのは確定事項だった。

 

 幸い、その手の事が得意な少女が此処にいる。先生はアズサの肩にぽんと手を乗せた。意志の伝達は、それだけで充分だった。

 

「アズサ、ゴー」

「了解。コハルを捕まえてくるから待ってて」

 

 そう言い、いつの間にかガスマスクを装着したアズサは鮮やかな身のこなしで教室を去っていく。

 

 作戦目標は逃亡したコハルの確保、或いは拘束。彼女の逃走経路は把握済、トリニティの校舎の構造も頭に入っていて、足の速さではアズサに軍配が上がる。

 

 端的に言えば────コハルが逃げられる訳なかった。

 

「さ、2人が戻ってきたら今日の補習授業を始めようか」

「あはは……」

「ふふっ、楽しくなりそうですね」

 

 数分後、可愛らしい悲鳴が少し離れた場所で木霊した。

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