シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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深海より深い、はじめまして

「最低、最悪……本ッ当に最低……」

 

 苛立ちを隠そうともせずコハルは口から不満と呪詛を零す。机に突っ伏し、小さく握った拳を天板に打ち付けて精一杯不服をアピール。

 

 先生含む4人に啖呵を切り、意気揚々と正義実現委員会の部室に戻ろうとした彼女。しかし、その歩みは先回りして扉の前に陣取っていたガスマスクガールことアズサによって阻まれた。

 

 コハルを視界に淹れた途端、ゆっくりとした、だが決して逃がしはしないという意志に溢れた歩みで以て近づいてくるアズサ。対して、その言いようのない圧力に気圧されてじりじりと後ずさるコハル。

 そして────ガスマスクの不審者ににじり寄られる恐怖に負けたコハルはアズサに背を向けて全力疾走し、その背を追うアズサも全力疾走を開始。トリニティの校舎内で決して負けられない追いかけっこが始まった瞬間だった。

 

 正義実現委員会の小柄な女の子がガスマスクの生徒に追いかけられるという摩訶不思議な光景は、幸か不幸か目撃者が居なかったことにより人知れず終わりを告げる。コハルの身体能力よりもアズサの身体能力が上と謂う、どうしようもない現実を前に。抵抗虚しく捕らえられたコハルは補習授業部の部室に連行され……そして、今に至る。連れ戻される手段が強引極まる上に、ガスマスクがトラウマになりかけたのだ。不満に思うのも無理はないだろう。だが、この場にコハルの味方はいなかった。

 

「まぁまぁ、そう言わずに。元は逃げたコハルちゃんが悪いんですよ?」

「うぐッ……で、でも、だからってコレをぶつける事はないでしょ!?」

 

 そう言い、叫んだコハルは丁度ガスマスクを脱いだアズサを指差す。コレ呼ばわりされたアズサは若干不満げな表情を浮かべるが、それも直ぐに霧散。彼女は先生に『褒めて』と言わんばかりに頭を差し出し、その意図を察した彼も苦笑いしながらアズサの頭を優しい手つきで撫でる。擽ったそうに、嬉しそうに、心底幸せそうに目を細めるアズサは先程まで表情変化に乏しかった少女とはかけ離れていて……綺麗な笑顔だと、お世辞抜きにヒフミは思った。

 

 だが、その時間も終わり。先生はアズサから離れて、コハルの元へ向かう。机に突っ伏している彼女とは目が合わないけれど、もし彼女が顔を上げてくれたらその眼を真っ直ぐ見れるように。

 眼と眼を合わせて話をする、仮にそれができなくても相手の眼を真っ直ぐ見る努力はするべきだ。それが対話の基本であると、先生は知っている。

 

「強引な手段を取っちゃってごめんね。許してほしい、とは言わないけど……アズサは責めないであげて。アズサは私のお願いを聞いてくれただけだからさ」

 

 耳朶を擽る優しい声音。慈しみと愛、優しさ、善性に溢れた彼の声は確かにコハルの耳に届いていた。しかし、顔は上げない。眼は見ない。そこまで心を許した訳ではない。悪い人ではないと思うけれど……それでも、現状にコハルの心が追い付いていないから。今は自分の事で精一杯で、周りを気にする余裕なんて無い。

 だが、話だけは聞こう。彼は補習授業部の担任で、ティーパーティーから直々に生徒の身を預かった人。連れ戻したのも何かきっと理由があるはずだから。

 

「コハルが何処まで話を聞いてたのかは分からないけれど、この補習授業部は例年と終了条件が異なるんだ。コハルの成績が良くても、他の誰かの成績が基準に満たなければコハルは卒業できない。コハルがこの補習授業部を無事に終えるには、コハルを含めた4人が同時に合格しないといけないんだ」

「……ッ!」

「無理に皆と仲良くしてほしいとは言わないよ。人には合う合わないがあるからね。仲良くするしない、友達になるならないを決めるのはいつだってコハルだ。その選択を強引に歪める事はしない。君の選択を私は尊重する」

 

 コハルの選択はあくまでコハルの選択。それを歪める権利は先生にも、他のメンバーにもない。決めるのはいつだってコハルで、その選択権は常にコハルが握っている。先生に許されるのはコハルの選択を受け止める事、尊重する事。それ以上は許されないし、自身に許すつもりも無い。だけど────そう、だけど。

 

「でも、少しだけ……うん、ほんの少しでいいんだ。ヒフミやハナコ、アズサに力を貸してあげてほしい。3人にはコハルの力が必要なんだ」

 

 確かな言葉。虚飾はなく、偽りはない。真っ直ぐが過ぎる言葉はコハルの耳に、心に届いていた。全員の成績が良ければ卒業できないならば確かに協調性を求めるのは当然で、先の行動はそれを乱していたとコハルは自身を顧みる。

 

 ……補習授業部に入れられたことは不満。でも、思い当たる節が無い訳ではない。背伸びをしたまま戻れなかった自覚はある。望んだ自分と今の自分が大きく乖離している事も、ちゃんと分かっていた。

 

 補習授業部を抜けられずに落第するのは勿論嫌だ。そんな結末になれば自分の憧れは遠ざかってしまう。

 でも、それと同じくらいには────自分の成績や不満で頑張っている誰かに迷惑をかけるのは嫌だった。

 

 だから────コハルは少しだけ顔を上げて、目元を覆い隠していた翼を退けた。髪色と同系色の瞳に映るのは雲一つない晴天のような人。多くの人の光。

 

「……うん」

「ありがとう、コハル」

 

 小さくも、確かな頷き。それを受け取った彼は嬉しそうに微笑む。彼は立ち上がり、「さて」と言って空気を切り替えた。

 

「この教室は補習授業部の割り当て教室になっているから、室内は校則に違反しない常識的な範囲で使って大丈夫らしい。ロッカーや教材も自由にどうぞってナギサから伝言を預かってる。教室も基本は開放しているから、自習室代わりに使っていいよ。もし鍵が掛かっていたら、ヒフミか私に声を掛けて」

 

 彼は「ヒフミと私がこの部屋の鍵を持っているからね」と言い、胸ポケットから鍵を出す。ヒフミもそれにつられたのか、鞄から鍵を取り出した。ヒフミがこの部屋専用の鍵、先生はナギサの権限で与えられたマスターキー。

 

「私は主にスケジュールの調整と補習を行う予定だよ。日中は席を外しているけど、放課後はこの教室で皆を待ってるよ」

「あら。日中はいらっしゃらないんですか?」

「私もシャーレの業務があるからね。でも、可能な限り授業終わり前後にはこの教室にいるようにするから、そこは安心してほしい」

 

 彼は「外せない用事があるとその限りではないけれどね」と付け足したが、そのような特殊な事情が無い限り、基本的に放課後はこの部屋にいるのだろう。そして、日中はシャーレのオフィスにいる。何か相談事、他人に聞かれたくない類の事があれば彼はオフィスまで来てほしいと言外に言っている。事前に来訪予定を伝えれば人払いもしてくれるだろう。

 

「今皆のメールアドレスに私の日程を送っておいたから気が向いたら確認しておいて。こまめに更新するようにするから、私が何処にいるか分からないって事にはならない……はず」

 

 スマホに届いたメールには彼の予定表が添付されていて、一か月後に控えるエデン条約締結日までの彼の日程が事細かに記されている。それを確かめた少女達は各々のスマホをスリープモードにして……示し合わせたかのように先生を見た。だが、彼はこれ以上話す事が無いようで困ったように苦笑い。

 

「そんなに見つめられても何も出ないよ。伝えるべき事は全部伝えたからなぁ……此処はヒフミにバトンタッチしようか」

「は、はいッ!? 私ですか!?」

「うん、ヒフミが部長だからね。さ、今日はどうしようか。折角集まってもらったり、連れ戻してもらったんだ。事前説明とオリエンテーションだけじゃ味気ない。校舎が閉まるまでまだ充分時間はあるし、やれる事はあるはずだよ」

「えっと、その……実は今日、教本とか持ってきていなくて……」

 

 申し訳なさそうにそう言うヒフミに対して、彼は柔らかな笑みを浮べて。

 

「別に何も勉強だけがやるべき事じゃないよ。さっき自己紹介をしてもらったけど、皆が共有できているのは名前と学年だけなんだ。もう少し踏み込んで、互いを知ることから始めるのはどうかな?」

「互いを、知る……」

「そう。好きなもの、得意なこと、最近あった嬉しかったこと。休みの日の過ごし方とか、趣味とか。美味しかったお店とか、昨日の晩御飯の事……これ以外にも色々。話の種は色々な所に転がっている。折角歩みが交わったんだ。異文化交流じゃないけれど、色々と話してみるのも良いと思うよ」

 

 先生の視線を受け取ったヒフミは頭の中で考えて……そうして、彼と同じ選択をする。やはり、始めるならば自己紹介(はじめまして)からだ。

 

「先生の言う通り、私達はお互いの事を殆ど知らないので……もう一度、自己紹介から始めましょう。話したいこと、何でも話してください。質問も無理ない範囲でしましょう」

「ふふっ、そうですね。先ずは互いを知ることから。私も勿論参加しますよ」

「ヒフミの決定なら従おう。しかし、話したい事か……難しいな」

「……皆がやるなら、やるけど」

 

 ハナコ、アズサ、コハル。全員の賛同を得たヒフミは少しだけ表情が明るくなる。一先ず、皆が同じ方向を向けたのだ。とても喜ばしく、嬉しい事。このメンバーならきっと大丈夫だと、何の根拠も理由もないのにそう思った。

 

「決まりだね。先ず自己紹介をやって、時間が余ったら何か他の事をやろう」

 

 彼は『皆で出来るようなものなんてあったかな』と脳内のライブラリで検索を掛けつつ、この場を仕切る少女に声を掛ける。始まりの一歩は、やはり部長たる彼女から踏み出さなければならないだろう。

 

「さ、ヒフミ。号令を」

「は、はいッ!」

 

 言い、慌ただしい音を立ててヒフミは立ち上がり、皆も立ち上がる。これから過ごす仲間達。一蓮托生の仲。共に歩む人達を見渡す。仲良くなれたら嬉しいな、友達になれたら嬉しいな……そんな願望を抱きながら、ヒフミは最初の一歩を青空に宣誓する。

 

「では……これより、補習授業部の第一回授業を始めます! よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします」

「よろしく頼む」

「よろしく……」

「よろしくね、皆」

 

 ヒフミの机はペロロを始めとするモモフレンズのぬいぐるみやグッズ。

 アズサの机は弾薬、ガスマスク、手榴弾、トランシーバー。

 ハナコの机は本が一冊、世界三大性典の一つ(カーマスートラ)

 コハルの机は特徴的な物が見当たらないが、机横に下げられた通学鞄からはどう考えても少女の年齢では買えない本が覗いている。

 

 個性的、というにはあまりにもパンチが強すぎる4人の少女達。少女達の第一歩がこの場所で踏み出された。

 

 いつまでも大切な思い出として思い返す暖かな記憶。

 これからずっと過ごしていく大好きな友人達との出会い。

 

 今、この瞬間────補習授業部の少女達は始まりの思い出を紡ぎ出した。

 

 

 ▼

 

 

 幼年期の終わり、その最初の日。

 

 何も知らずにいられた。

 無垢なままで在る事ができた。

 

 しかし、その純白は続かない。この日を始まりに少女達の日常は切り替わる。薄氷の上で成り立っていた幸福は崩れ去り、終焉の喇叭が鳴り響いた。無知は罪に、無垢は罰に。知らずにいられた世界の側面、あるべき残酷さは少女性に牙を突き立てる。

 

 世界と人々のために全てを捧げ、何度も自分自身を殺し続けた────普通の青年(先生)

 

 システムに成り果ててでも彼の傍に在り続けた────普通の女の子(連邦生徒会長)

 

 想い人が笑って生きられる世界のために愛を捧げた────無邪気な夜の希望(聖園ミカ)

 

 憎しみの因果を超えて、まだ見ぬ幸福の為に銃を握った────夜明けを望む少女(錠前サオリ)

 

 この全てから眼を背けることはしない。例え辛くとも、逃げないと決めた。世界に抗い続ける。己の存在を叫び続ける。

 

 その果てに────救世主は天から零落する。多くの願いを、多くの祈りを、少女の涙を糧にして。救世主は宙を堕ちる星となる。

 

 ────七の落陽、七の古則。始まりは訪れた。

 

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