シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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現状の少女達

 

 ────第一次特別学力試験、当日。その日は晴れだった。雲一つない晴天。照りつける日差しには夏の色が多く含まれていて、見上げた青さには目を奪われてしまうほど。刻一刻と夏が近づいている。また皆で海へ行くのだろうか。生徒にとってはこれから多く経験する夏の一つに刻まれる、輝かしい記憶。先生にとっては最期の思い出作り。

 

 誘われたなら行きたいけれど……自分の体がどうしても頭を過ってしまう。首の斬首痕に、脇腹の烙印、足の指は欠けていて、それ以外の箇所も人には到底見せられないような有様になっている。人工皮膚も義指も便利ではあれど万能ではない。察しの良い生徒、勘の鋭い生徒なら容易く気付いてしまう。自分の体の事で生徒達に心配をかけたくなかった。

 

 先生は自分に苦笑いする。浮ついている、のかもしれない。何回か死にかけた事はあれど、全体を通してみればこれまでの歩みは順調そのもの。少なくとも、記憶にある限りここまで上手くいった世界は無かった。

 だから先の事を考える余裕が生まれたのかもしれない。これからの事、自分が死ぬ時の事。自分が死んだ後に遺された生徒達の事。

 

 どれもこれも、今考えても仕方がない事。先生は思考を切り替える。今考えなければならないのは今後が掛かった試験を受ける彼女達の事だろう。ヒフミもアズサもハナコもコハルも、皆頑張っている。それは紛れもない事実であり、その頑張りが報われてほしいとは思う。だが、努力したからといって結果がついてくるかと問われれば、またそれは別問題な訳で。

 

 端的に言えば、途轍もないほど心配だった。ヒフミは兎も角として他の3人。彼女達は無事試験を突破できるだろうか……なんて思い、腕時計に視線を落とす。時刻は試験開始の約2時間ほど前。ちょっと早く着きすぎたかもと思いつつ、彼はこれから4人が受けるテストが詰め込まれた茶封筒を抱えてトリニティ総合学園の敷地内を歩く。

 

 休日という事もあり、構内を歩く生徒の数や職員の数は少ない。部活等の課外活動に精を出す生徒は何人かいるが、その人数も然程多くなかった。授業が無い日の学校なんてこんなものだろう。ラボや部室、研究室に泊まり込んで作業する生徒が一定数いたミレニアムがおかしかったのだ。

 

 そうして補習授業部の部室に向かう道すがら、すれ違う生徒に挨拶したりされたりしながら歩いていると……少し先に見慣れた生徒の後ろ姿を見た。風に翻る黒のロングスカートとベール。その後ろから見える結ばれたオレンジの髪。綺麗な姿勢で澱みなく歩く彼女は────。

 

「マリー?」

 

 聞き覚えのある声に振り返った少女は手を振る先生を見て、穏やかな笑みを浮べながら同じように手を振り返す。

 

「久しぶりだね、マリー」

「お久しぶりです、先生。先生はいかがお過ごしでしたか?」

「私はいつも通りさ。マリーこそ元気だったかい?」

「はい。皆様のお陰で私も平穏に過ごさせていただいています」

 

 トリニティ総合学園1年生、シスターフッド所属のシスターである伊落マリー。キヴォトスでは珍しい、争い事が苦手で銃火を交える事を好まない生徒。稀に意図せず彼女の銃口が不良生徒へ向くことがあるが、そこはご愛敬。博愛主義で、分け隔てなく愛を注ぐ姿は正にシスターのお手本であるが、彼女は自身をまだ未熟と見ている。尤も、その謙虚な姿勢がサクラコや他のシスターからの信頼に繋がっているのだろうが。

 

「なら良かった。少し前までトリニティには顔を出せていなかったからね……マリーはこれから何処に?」

「他のシスターの方々とご一緒にボランティアへ参加させていただく予定です。梅花園の教官の方々もいらっしゃるようなので……あ、もしよろしければ先生もいかがですか?」

「お誘いありがとう。参加したいのは山々だけど、今日はちょっと大事な別件があってね。申し訳ないけど、今回は遠慮させてもらうよ」

 

 そう言い、先生は茶封筒をひらひらさせるとマリーは見慣れないものに目を愛らしく瞬かせて。

 

「そちらの封筒は……?」

「補習授業部のテスト。さっきナギサから受け取ってね。これから部室に行って、試験をやるところさ」

「そうなのですね……でしたら、あまり引き留めてはいけませんね」

 

 補習授業部に何か思う所があったのか、マリーは一瞬だけ思案顔になるが……すぐに穏やかな表情に移り変わる。

 

「今日はお会いできて嬉しかったです」

「此方こそ。マリーに会えたから良い一日になりそうだよ……今日はあまり時間取れなくてごめんね」

「どうか謝らないでください。先生がご多忙なのは存じていますので」

「それでも、さ。近い内にシスターフッドに顔を出させてもらうよ」

「本当ですか?」

 

 先生の言葉に空が晴れるような笑顔を浮べるマリー。久しぶりに彼とゆっくり話せる時間が楽しみなのか彼女のベールに隠れた耳がぴこぴこと動いていた。恐らく無意識なのだろう。それが何とも可愛らしくて、くすりと笑って動く耳を見ていると……それに気づいた彼女は少し頬を赤らめてベールを整えた。

 

「ありがとうございます。サクラコ様もシスターヒナタもきっと喜びます」

「あれ、マリーは喜んでくれないのかい?」

「もう、意地悪なこと言わないでください」

 

 頬を膨らませるマリーに「ごめんごめん」と謝る先生。険悪な空気なんて何一つ感じられない、仲の良い二人の会話は穏やかで暖かで、互いにもう少し続けていたいなと思うが……2人ともこの後の予定がある。名残惜しいが今日はこれで終幕。だが、また別の機会があるから会話の続きは楽しみに取っておこう。

 

「じゃあ、またねマリー。ボランティア頑張ってね」

「はい。先生もどうか」

 

 先生とマリーは互いに一礼して、それぞれの行くべき場所へ歩き出す。先生は試験会場である補習授業部の部室へ。マリーはボランティアの会場へ。

 

 

 ▼

 

 

 先生が補習授業部の教室に到着したのは、試験開始まで1時間45分ほどの頃だった。補習授業部のメンバーは既に全員揃っていて、先生が一番最後の到着。

 まだ試験開始までそれなりの時間があるため、彼は「試験が始まるまでは楽にしてていいよ」と声を掛けたが……それもあまり効果は得られなかったようで、少女達……特にヒフミとコハルの表情は何時もの授業の時と比べて明確に固くなっており、緊張していると誰の眼から見ても明らかだった。反対に、ハナコとアズサはいつも通り。緊張している素振りは欠片もない、自然体そのものの姿。

 

「うぅ……」

「……」

「ふふっ」

「……ッ」

 

 ヒフミはテキストに視線を落とし、頻出する式や言葉の最終確認。だが、どこか落ち着かない様子で時折身を捩らせている。

 アズサも同じくテキストを見ている。その表情はいつも通りの透明な色彩。平常を保ち続ける彼女からは最後まで時間を無駄にしないという意気込みを感じられる。

 ハナコは穏やかな笑顔。テキストすら出さず、ペンを机に置いていつでもテストを受けられる状態。それは余裕とも取れるし、別の何かとも取れる。

 コハルもテキストを眺めているが、ヒフミやアズサのそれよりも切羽詰まっていた。焦りが滲む表情で、少しでも点数を上げようと必死になって暗記系の科目を頭に叩き込んでいる。

 

 先生は教壇に立ち、腕時計で時間を確認する。少女達の未来を決するまでのカウントダウン。

 

 補習授業部が結成されてから第一次特別学力試験まで短い期間ながらも色々なことがあった。この試験はその真価が試される場だ。どうか、悔いのないように実力を出し切ってほしい。

 

 シャーレの仕事や個人的な雑務、後の布石や不確定要素の処理をする傍ら、彼女達の勉強を見る時間を作るのはそれなりに難航したが……今となっては良い思い出だ。彼女達の担任を引き受けた事に対する後悔は一切ない。どれもこれも先生にとっては大切な思い出。彼女達の為ならこの程度の無理、幾らでもやれてしまう。

 

「────時間だよ。さ、テキストを仕舞って。机の中も空っぽにして、鞄は後ろの席に置いておいてね。筆箱も鞄の中へ。机の上はペンと消しゴムだけにしておいてね」

 

 先生がそう言うと、既に準備が済んでいたハナコ以外の少女達は試験のための環境をセッティングする。それが済んだことを確認すると、先生は予め取り分けておいた試験の問題用紙、解答用紙、メモ用の白紙の計3枚をそっと机の上に置いて回る。試験開始まで残り1分弱。

 

「用紙に何か不備は────無さそう、かな。もし試験中に見つけたら手を挙げて知らせてね」

 

 再び裏返した試験用紙を眺める表情は人それぞれ。ヒフミとコハルは緊張した面持ちで、ハナコとアズサはいつも通り。テスト前独特の緊張感と静寂、それに混じる僅かなアドレナリンの匂い。

 

「皆、落ち着いて頑張って。応援してるよ」

「え、エリートの力、見せてあげるんだから!」

「あはは……が、頑張ります」

「ふふっ、応援ありがとうございます」

「準備は完璧」

 

 細やかな激励を1つ送り、それに生徒がそれぞれ応えた後に……先生も口を噤む。視線を落とす先は腕時計。秒針と長針が重なった時────教会の鐘の音が鳴った。それと同時に先生も宣言する。

 

「────試験、開始」

 

 瞬間、裏返しになったプリントを表にする少女達。手に握るのはペン。短い期間ながらも重ねてきた努力、その成果を問われる時。

 

 第一次特別学力試験が、此処に開始された。

 

 

 ▼

 

 

 試験開始して直ぐ。

 

 ────あっ、これ、補習授業でやった所です……! 

 

 ヒフミはセオリー通りに先ずテスト全体の把握から始めた。特別学力試験と仰々しい名前が付けられているが、所詮はただの試験。点取りゲームである事に変わりなく、基準以上の点数を取ればいいだけだ。試験で大事なのは取捨選択。取れる部分は確実に取り、部分点さえ狙えないようなものは早々に切り捨てる。時間は有限なのだ。点にならない問題に固執する理由はない。故に彼女はその取捨選択を行おうと問題用紙全体に視線を走らせていたのだが……。

 

 ────この問題も、この問題も……見た事あります。

 

 前半部分の大半が補習授業で取り扱った問題とほぼ同じだったのだ。数値や言い回し、答えとして出さなければならない部分等に細かな差異はあれど、誤差の範囲内。解き方が頭に入っている今、数値を変えただけの問題なんて恐れるに足りない。

 

 ────先生に解説していただいた内容や皆で勉強した問題が、殆どそのまま……! それに、難易度としては初級……いえ、基礎のレベル! 

 

 さっと目を通した後半の記述部分は流石にそれなりに難しいが、それでも歯が立たないというものではない。恐らくは補習授業で取り扱ったものの類題。確りと考えれば確実に解けるだろう。時間さえ充分あれば、満点すら現実的なラインだ。凡ミスにさえ気を付ければ確実に基準へ届く。

 

 ────これまで色々と怖い事を言われてしまいましたが、もしかしてこれは私達への救済措置という事でしょうか……!? 

 

 ヒフミはペンを握り、解き進める。試験の問題は把握した、今の自分でも充分解けるレベル。時間に気を配りつつ、解けるものから手を着けて解答用紙に解を記入し、メモ用紙の余白を埋めていく。

 

「こ、これは……ええっと……」

 

 コハルは時折呻き、問題用紙と睨めっこしながら、自分のペースで問題を解いていく。そのスピードは決して速いとは言えないが、試験終了前には最後の問題まで辿り着けるだろう。

 

「ふふっ……」

 

 ハナコは先程から一切ペンを動かしていない。全員の頑張りが見える特等席で頬杖を突きながらテストを解く少女達を眺めている。用紙も全て裏返しのままで、不備を確認した時から変わっていなかった。

 

「……ふむ」

 

 アズサは定期的に頷きながら問題を解き進める。ペンの動きは一定リズム、思考が止まる事も無ければ加速する事もない。どれほど簡単な問題だろうが難しい問題だろうが、彼女の解くスピードは一定だった。

 

 ────ですが、油断は禁物……! 皆さん、最後まで気を抜かずに、笑顔でこの補習授業部を卒業しましょうね! 

 

 ヒフミは心の中で皆に激励を送り、意識を切り替えて自身の問題と向き合う。他の人の事は気になるが、自分の事が先だ。この試験と補習授業部を笑顔で終えるためにヒフミはペンを進めた。

 

 

 ▼

 

 

「────そこまで」

 

 教会の鐘が鳴ると共に彼の声が聞こえる。試験終了の合図。未だ解き進めたい気持ちをぐっと抑えて、少女達はペンを机の上に置く。そして、先生は封筒を片手に4人分の解答用紙を回収し、封を閉じた。それを教室の外で待機していた採点担当者たるオートマタに渡す。

 

 この措置は先生とトリニティの合意の上だった。補習授業部の顧問とはいえ、先生の本来の所属は連邦捜査部シャーレ。トリニティの職員ではないのだ。公平性等の理由により、彼が関与するのは試験の実施までで、その後の採点はトリニティの職員が担当する手筈になっている。

 オートマタは彼と数回会話を交わした後、踵を返して教室のドアへと向かい……そして、退室した。同時に『試験が終わった』という実感が湧き上がり、それに伴いどっと疲れが押し寄せた。

 

「はぁ……と、取り敢えず終わりましたね……」

「ふふっ、そうですね」

「ああ。後は結果を待つだけだ」

「う、うん……」

「皆、お疲れ様。試験結果が届いたら何か甘いものでも食べに行こうか。試験の結果に関わらず、さ」

 

 そう言うと、少女達は固くなっていた表情を綻ばせる。年頃の少女らしく、皆甘いものは好きなようだ。

 疲れた体には甘いものが良い。頭脳労働は意外にカロリーを使うのだ。使った頭の分だけ糖分を補給する事は次の良いパフォーマンスに繋がる。

 

 良いお店はそれなりに蓄えがある。伊達に放課後スイーツ部の活動に付き合っていないのだ。トリニティ自治区は勿論、その他自治区のお店も把握している。だが、今回はこの後の事も考えてトリニティ自治区内、それも可能な限り学園近辺が望ましかった。先生は私物のスマホで頭の中に幾つか浮かんだお店を検索し、店の混雑状況や空席状況をざっと流し見していく。

 

 ……短い期間ながらも、彼女達は善くやってくれたと思う。例え結果が実らなくても、その努力だけは肯定してあげたい。彼女達の最も近くで、彼女達の頑張りを見続けた者として。

 

 どのお店が気になるのか、とか。どんなものが好みか、とか。1つのタブレットの画面を皆で見ながらこれから行くお店の選定をしていたら、あっという間に10分が経過し……教室のドアがノックされた。途端に微かな緊張感が満ちる教室。

 

 ドアが開けた先にいたのは先程先生から4人の解答用紙を手渡された採点担当者のオートマタ。2人は事務的なやり取りを短く交わし、お互い軽く一礼してからオートマタは退室していった。残ったのは封の開けられた、4人の解答用紙が詰まった封筒を持つ先生と補習授業部の少女達のみ。

 

「────さて、じゃあ結果を返そうか」

「み、皆さんお疲れさまでした……!」

 

 先の先生の言葉をリフレインするように、ヒフミは先生の横に立って皆に声を掛ける。ヒフミの顔には合格の確信が浮かんでいた。手ごたえはばっちりだったのだ。確実に60点は超えているだろう。

 アズサの顔には達成感のようなものが見えていて、そこにはどこか結果に対する自信が溢れている。ハナコはいつも通りの笑顔で、一切の変化が無い。コハルは何処か不安げで、自信が無さそうだった。

 

「えっと、100点満点で60点以上でしたら合格だそうです! 高得点は取れなくても、取り敢えずそのラインだけ超えられれば大丈夫です。それに、内容も結構簡単でしたし……では、結果発表と行きましょう! 先生、お願いします!」

 

 ヒフミからバトンを受け取った先生は封筒から中身を取り出す。4枚の解答用紙。4人の現在地を示すもの。取り出す過程で全員分の点数が垣間見え、それに苦笑いのような微妙な表情が浮かびそうになるが……その程度で先生の表情は揺らがない。意識していれば尚の事だ。彼は極めて冷静にポーカーフェイスを演出する。

 

「先ずはヒフミから────阿慈谷ヒフミ、72点。おめでとう、合格だよ」

「あ、ありがとうございます! 何だか無難な点数ですが、良かったです!」

 

 採点済の解答用紙を受け取ったヒフミの表情は安堵が色濃く滲んでいた。想像していた点数よりは若干低く、もう少し取れたのではないかと思ってしまう。不正解になっている箇所ももう少ししっかり見直ししていれば気付けたような箇所が大半で、少し悔しさを覚えてしまうものの……条件は充分に達成できている。文句の付けようもない合格だ。

 

 滑り出しは上々。そもそも、試験の内容もかなり簡単だったのだ。このテストで60点以上取る事は容易く、全員同時合格もかなり現実的なラインに思える。

 

「では、次に……」

 

 そうして、ヒフミは期待に満ちた表情で次を望む。次の点数もきっと合格点以上だとヒフミは確信していたのだが……そんな都合の良い希望は少女の点数により木端微塵に砕かれることになる。

 

「白洲アズサ、41点。残念だけど、不合格だね」

「……えッ!? はいぃッ!?」

 

 驚愕を浮べたまま、アズサの解答用紙を覗き込むヒフミ。そこには確かに先生が言った通りの点数が赤ペンで刻まれている。アズサは模範のような良い姿勢で先生から解答用紙を受け取り、其処に書かれている採点結果を一瞥して……可愛らしい舌打ちを1つ。

 

「ちッ、紙一重だったか」

「ま、待ってください! そこまで惜しくないですよ!? 紙一重って点数じゃありませんよ!? 結構足りてませんよ!? 20点ほど足りてませんからね!? 20点ですよ!? 20点足りないって事は……20点足りないって事ですよ!?」

 

 達成感6割、悔しさ4割のアズサ。せめてその感情の比率くらいは逆転した方が良いのではないかと言う人は誰も居ない。想定外の点数にキャパオーバーしたヒフミはアズサの肩をぐわんぐわん揺するが、彼女の鍛えられた体幹はその程度で乱れない。

 

 そして、ヒフミにとって非常に残念な知らせであるが……不合格者はアズサだけではない。何なら、アズサはまだ比較的良い方だ。真の絶望はこれからである。

 

「下江コハル、11点。な、ナイスファイト……?」

「!?」

「コハルちゃんんんッ!?」

 

 その点数にヒフミは本日2回目のショックを受ける。アズサの点数の約四分の一。6倍してやっと合格点に届くという、アズサを下回る激ヤバトンデモ点数にヒフミは、普段の穏やかさが彼方へ飛んで行ってしまった。

 

「コハルちゃん、ち、力を隠していたんじゃないですか!? 今回はちゃんと1年生用の試験を受けたんですよね!? ま、まさかまた2年生用の……いえ、その点数、3年生用の試験を受けちゃったんですか!?」

「やっ、その……か、かなり難しかったし……」

「すっごく簡単でしたよ!? 基礎確認の小テストのレベルでしたよ!?」

「あらあら……うふふっ」

 

 残念ながらコハルはちゃんと1年生用の試験を受けていて、その難易度もヒフミの言う通り基礎レベル。補習授業をそれなりに真面目に受けていれば、余程でない限り軽々と60点は超えられる程度のものであった。そのテストでこの悲惨な点数という事は、つまりはそういう事である。

 

 そして、3人の愉快な惨状を遠巻きに眺めて楽しそうな表情を浮かべているハナコ。彼女も徐に立ち上がり、教壇の方へ。先生から採点結果を受け取ろうとする。

 

「うぅ、合格したのは私とハナコちゃんだけ、という事でしょうか……となるとまた次の試験……二次試験を受けないと……あうぅ……」

 

 そして────そんなヒフミの希望的観測を粉々に打ち砕く、今日一番のトンデモ点数が開示される。

 

「浦和ハナコ、2点……まあ、うん。不合格、です」

「あらら……」

「に、に────2点!?!!??」

 

 ヒフミのライフポイントが底を突きた瞬間であった。ヒフミは発条(ゼンマイ)仕掛けの玩具のようなぎこちない動きでハナコを見る。変らず見惚れそうな穏やかな笑み、だがヒフミにとってはそれは最早理解不能の何かであった。100点満点のテストで2点を叩き出した人間とは思えないほどに、余裕に溢れたにこやかな笑顔は怖いほどにいつも通り。ヒフミは思わずハナコの肩を両手で掴んでしまった。

 

「2点、2点ですか!? 20点ではなく!? いえ、20点でも駄目なのですが……! 寧ろ何が正解だったんですか!? と言いますか、待ってください。ハナコちゃん、物凄く勉強ができる感じでしたよね!?」

「確かに私、そういう雰囲気あるみたいですね。まぁ、成績は別なのですが」

「雰囲気!? 雰囲気だけだったんですか!? 成績は別ってどういう事ですかッ!?」

 

 ヒフミを除く3人の点数はそれぞれ41、11、2。死屍累々とは正にこの事。3人の点数を足しても合格点たる60点に届かない惨状。生徒全員の学力を測る普通の定期試験ではなく、落第してしまった生徒向けの、難易度をかなり落とした基礎を問う特別学力試験でこの点数なのだ。

 

 確かに見えていたはずの希望の光は一瞬で遠のき、ヒフミに絶望が重く圧し掛かる。本当にこれで卒業できるのか、と思ってしまったヒフミを誰も責める事などできないだろう。

 

「あ、あうぅ……」

「ヒフミ、しっかり。深呼吸を。今は気を確かに……!」

 

 青白い顔で卒倒するヒフミを先生は咄嗟に抱きかかえる。背に手を回し、細い体をそっと抱き寄せ、絶望と不安に揺れる瞳を覗き込むと……彼女は涙が滲む瞳で、この場に於ける唯一の味方になった先生に縋る。

 

「せ、せんせぇ……」

「傷は浅……くないな、コレ。でもきっと大丈夫……かなぁ……」

 

 微妙に信用ならない、ふわふわとした慰めを投げかける先生。ヒフミの傷は決して浅くない。寧ろ致命傷と呼んで差支えないほどだ。彼女達の点数は彼女の希望と楽観を切り裂くには充分すぎる鋭さと重さを持っていた。嗚呼、何かヒフミが悪い事をしたのだろうか。あまりにもあんまりな仕打ちに先生の心も痛むが、彼女の方が何倍も痛いだろう。その痛みが少しでも和らぐように先生は少しだけ強く抱きしめる。手は背中を擦り、或いは頭を撫でて。胸に顔を埋める彼女が少しでも安心できるように。

 

「私はヒフミの味方だからね。大丈夫だよ、一緒に頑張ろう。気晴らしにこの後一緒にモモフレンズのお店に行こうか。そうすれば少しは楽になると思う。確か期間限定でペロロのフリーハグスペースがあったはずだから、それでペロロ成分を補充しよう」

「うぅ……ありがとう、ございます……」

 

 ヒフミの背中、頭、髪を撫でて、彼女が落ち着くまでこのままの状態を保つ。今ばかりはコハルも目を瞑ってほしい、これは医療行為なのだから……と思い流し目で見ると、顔を赤らめながらもそれ以上はない。許されたという事だろう。

 

 ヒフミを安心させるように抱きしめつつ、彼は全員の点数を思い返す。72点、41点、11点、2点。ヒフミを除いて合格点に届いていない現状。

 

「────これが、今の限界か」

 

 先生は悔いるように言葉を漏らす。

 

 想定は、していた。多少点数の前後はあれど、概ねこの通りの結果になると、先生は彼女達がテストを受ける前から分かっていた。想定通りの予定調和。予測済みの解。

 

 この試験の問題は基礎レベル、難しい問題なんて一つもない。普通に授業を聞いていれば容易く60点は超えられる難易度となっている。だが、基礎レベルでも躓いてしまう生徒は一定数いるのだ。

 

 小学校から中学に進学し、高校に入学する。その間に受ける義務教育9年分の知識が高校では前提として要求される。その前提が怪しい場合や、そもそも前提が無い場合は、基礎レベルの問題と雖も解くことは難しい。

 

 ────あぁ、分かっていた。当然こうなるだろう、と。アズサの学習進度、コハルの学力、ハナコの心理。それらの問題が一個も解決していないのに、全員同時に合格なんてできる訳がない。当然の帰結であると、ちゃんと分かっている。

 

 だが、それでも……口惜しさは感じてしまう。彼女達がこうして、真っ当な形で真っ当な試験を受ける事ができる……最初で最後のチャンスが今回の試験だったのだから。

 

 この先は向こうも手段を選ばない。折角の公平な機会を無為にしたのは此方だ。今後、彼女はあらゆる手を使い少女達の試験を妨害するだろう。

 

 だが、先生のやるべき事は変らない。彼女達のサポートをして、全員を無事に補習授業部から卒業させる。それが……先生の仕事だ。

 

 

 ▼

 

 

 第一次特別学力試験、結果。

 

 阿慈谷ヒフミ────合格。

 浦和ハナコ────不合格。

 白洲アズサ────不合格。

 下江コハル────不合格。

 

 補習授業部、『合宿』決定。

 

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