シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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偽りに満ちた平穏

 波乱と予想外に満ちた第一次特別学力試験が終了し、補習授業部の皆と甘いものを食べに行き、ヒフミのメンタルケアも済んだ後。人工的な明かりが照らす校舎の中を先生は歩いていた。見上げた空は深い藍色、時刻は19時を回っていて、下校時刻は過ぎている。構内を歩く人影はほぼゼロで、偶にすれ違うのは帰宅間際の職員だけ。

 

 先生は脇目も振らずに目的地へ一直線。正門から此処まで結構あるよね、なんて下らない事を考えていると……目的地たるティーパーティー保有のテラスまで辿り着いた。時刻が時刻なため門近くに付き人はおらず、先生は緩く握った拳でドアを3回ノック。扉を開けた。

 

「あら、先生。お疲れ様です」

「ナギサもお疲れ様。突然会いたい、なんて言ってごめんね。お詫び、という訳でもないけど……どうぞ」

 

 言い、先生は紙袋を差し出す。面食らったような表情で受け取ったナギサは中身を見ると……小ぶりなクッキー缶が入っていた。一目で安物ではないと分かる丁重な作りのもの。店の名前までは見えなかったが、どことなく見た事があるため……恐らく知っている店だろう。

 

「口に合うかは分からないけど、良かったら食べて」

「あら……お気遣いありがとうございます」

 

 何時もの冷静沈着な、ティーパーティーのホスト代行らしい笑みではない。年相応の少女らしい笑顔を浮べたナギサに先生も頬が綻ぶ。この笑みを見れたなら並んだ時間の元は充分取れただろう。

 

「ナギサは今まで仕事を?」

「いえ、業務自体は30分ほど前に終えております。今はティータイムを」

「そっか……ナギサも私を頼ってくれていいからね。仕事でも何でも。私ができる事なら手伝うよ」

「お気持ちだけ受け取っておきますね。先生も今はお忙しいはずですので……」

「それでも、だよ。ナギサの為なら時間くらい幾らでも作るさ」

 

 先生の直球の言葉にナギサの頬が緩む。人誑し、と呼ばれる所以がよく分かった気がする。真っ直ぐで、嘘偽りが無くて、博愛精神に満ちている。あぁ、確かにこれは毒だ。しかも、結構質の悪い類の。先生に熱を上げる生徒が多いのも頷ける。そして、その多くに向けられた愛を自分だけに向けてほしいと思う独占欲も。

 

「お優しいのですね、先生は……本日のご用件は補習授業部、でしょうか?」

「うん。ナギサも既に知っていると思うけれど、一応報告にね」

 

 先生はバインダーを軽く掲げる。中に入っているのは補習授業部の少女達のテストの解答用紙……それのコピー。採点され、点数も付けられたそれは恐らくナギサが聞いたものと全く同一だろう。だが、何事にも順序がある。ナギサは空のカップを手に取り、視線で先生に着席を促した。

 

「先ずは紅茶を一杯、如何ですか? 疲労に効く茶葉です。お疲れの先生にはピッタリでしょう」

「ありがとう、じゃあ────」

 

 その続きの声は聞こえない。まるでラジオやテレビの電源を抜いたように言葉の連続性が途絶えた。何かあったのだろうか、とナギサは僅かに心配を覗かせながら先生を見ると……彼はナギサの知る彼ではなくなっていた。柔らかな光のような瞳は不気味に蒼く輝き、切れ味の良いナイフのような鋭さを孕む。纏う雰囲気も一変しており、凪いだ水面のような得体の知れない静けさだけが其処に存在していた。だが、それも一瞬。瞬きを一回間に挟んだら、ナギサの知る彼に戻っていた。

 

「ごめん、気持ちだけ受け取るよ。紅茶をいただいたら長居しちゃいそうでね……今日は手短に済ませたいんだ。ナギサの紅茶は次の楽しみに取っておくね」

 

 ────違和感。彼の言葉には正体不明の違和感が潜んでいた。何に違和感を覚えたのかも分からないのに、ただ漠然とした違和感だけが嫌に鮮明だった。

 

「ごめんね、私が要望しておきながらこんな為体で……ナギサの厚意も無為にしてしまった」

「お気になさらないでください。先生がご多忙なのは存じていますから」

 

 ナギサは上品な所作でティーカップを口に運び、潤してから口を開く。

 

「どうやら、最初の試験は上手く行かなかったようですね」

「……そうだね。皆、頑張ってくれていたけれど……私の至らなさ故かな」

「いえ、まだ試験は2回残っています。そこで合格になれば何の問題も無いでしょう」

 

 少し冷たい夜風が吹いて、服の裾が靡く。カップから立ち昇る湯気が白く靡いて、融けて、消える。それを先生は何も言わずに見つめて、ふと視線を落とすと……テーブルに置かれたチェス盤が眼に止まった。

 

「あぁ、これですか? チェスです。趣味でして」

「駒が少し特殊だね。変則チェスかな?」

「えぇ、よくご存じで。黒はキングとクイーン、後は全てポーンだけ。白はキング、ルーク、ビジョップ、ナイトがそれぞれ3から4個ずつ……きっと、あまり見ない形でしょう」

 

 ナギサは手慰みに駒を指先で摘まみ上げ、それを明かりに照らしながら呟く。駒も盤も長期間使われていた事が分かる使用痕がありながらも、手入れ自体はとても丁寧。察するに、ナギサの愛用品……或いは大切なものなのだろう。

 

「一人で動かしていたのかい?」

「はい、今は私一人で。五月蠅いミカさんも不在ですので」

 

 駒を置き、苦笑いするナギサ。確かにミカはこの手の盤面遊戯を好むイメージはない。相手を読み、策を読み、駆け引きに興じる伝統的なゲームは彼女の得意分野からも外れている様にも思える。こういったゲームが得意なのはそれこそナギサやセイアだろうか。少なくとも、ナギサとミカが対局してミカが勝つイメージはびっくりするくらい頭に浮かばなかった。

 

「先生はどうでしょう? この手の盤面遊戯は得意ですか?」

「それなりに、ね」

「ふふっ、では次の御茶会にご招待した時は手合わせお願いしますね?」

「お手柔らかに」

 

 そう言い、微笑みを浮べる彼を見つめつつナギサはカップを口に運び……チェスの対戦相手が新しく増えたのはいつぶりだろうか、ふとそんな事を考えた。

 

 一番長い付き合いのミカはそもそも思考力を問うマインドスポーツがそこまで好きじゃなかった。盤面をじっと眺めて一手一手を慎重に打つ、なんてミカには似合わない。

 昔……随分昔、彼女にルールを教えて一緒に楽しもうとした事はあるが、初の手合わせで幼さ故に手加減を失敗してしまい、ワンサイドゲームになってしまった。あれ以来、ナギサはミカからチェスの話題を聞いた事が無い。子ども心に刻まれたトラウマになってしまったのだろう。悪い事をしてしまった、と今ではきちんと反省している。

 

 セイアとは何度か手合わせした事がある。彼女は恐ろしく強い。現在進行形でナギサが負け越している。そして、特徴的な点として彼女は持ち時間を殆ど使わないのだ。ターンが回ってきた瞬間に駒を動かし、相手にターンを渡す。序盤でも終盤でもその繰り返し。彼女には駒を動かす前の思考というフェーズが存在しない。恐らく無意識の予知で未来を視てしまっているのだろう。ナギサは『反則では?』と若干思いつつ、口に出す事はしない。彼女はそういう体質なのだから。

 

 そしてハスミ。ティーパーティーの2人と比較すれば共にする時間は短いが、報告などに訪れてくれた後、互いに時間が空いている時に手合わせをした事が何度かある。彼女はナギサと近いタイプで、慎重に思考を重ねて一手を指すプレイヤー。故に、対決していて一番楽しい人であった。チェスの好敵手を挙げろと言われたら真っ先にハスミの名を挙げるだろう。

 

 さて、先生はどうなのだろうか。報告書を読むに戦術指揮のレベルは最高峰。この精度で生徒を動かせるならチェスが弱いなんて事はないだろう。最低でもハスミや自分(ナギサ)並み、下手をしたら予知をフル活用したセイア並みもあり得る。

 

 今後の楽しみが増えたナギサはカップを静かに置き、「話が脱線してしまいましたね」と軌道修正。

 

「今日は先生にお伝えしたい事があったのですが……それよりも先に、先生の方から何か言いたげな事があるように見受けられますね」

「うん、そうだね。聞きたい事、と言うよりは……ある種の確認作業に近しいけれども」

 

 先生は僅かに伏せた瞼を開く。全てを見通す透徹した瞳と真剣な口調で先生はナギサに問いを投げかけた。

 

「計3回行われる特別学力試験。この全てで補習授業部が不合格となった場合に於ける彼女達の処遇を聞かせてほしい」

「……」

 

 彼の言葉にナギサの纏う雰囲気が鋭くなる。人を委縮させるのには充分な重圧は流石ティーパーティーの生徒と言うべきだろう。だが、彼にとってはその程度の圧なんて無いに等しい。そよ風のように受け止めて、その上でナギサに先を促した。

 

「小耳に挟まれたのでしょうか? 出所は……ヒフミさん、ですかね」

「うん、彼女から少し。尤も、彼女から何も聞いていなくても、私は今日此処に来ていたよ。例え今回のテストで全員合格になっていても……ね」

「なるほど、だから確認と称されたのですね……えぇ、素晴らしいリスク管理です」

 

 予想していた行動。彼ならばきっと来るだろうとナギサも踏んでいた。あの時、彼に伝えたのは本当に表層の部分、耳障りの良い話だけ。

 意図的に伝えなかった情報は、全てが上手く運ばなかった場合の彼女達の処理。生徒達が至るかもしれない未来の一つ。彼が訪ねてこないとは思わなかった。例え、彼が既に解を持っていたとしても。故に時間を空けておいた。最初から、ナギサのこの時間は先生の為に作られたものであった。

 

「ヒフミさんはそういう所がありますからね。まあそれが、ヒフミさんの良い所でもあるのですが……」

 

 そう言い、ナギサは一口紅茶を含み、喉を潤してから……語り始めた。

 

「さて、三度の試験で一度も合格できなかった場合の補習授業部の処遇、でしたね。えぇ、質問にお答えしましょう」

 

 ナギサの雰囲気が冷たくなる。夜風が吹いて、空気が冷え込む。天に描かれたヘイローの輝きが一段落ちた気がした。

 

「簡単なお話です。試験で不合格を繰り返す成績不振、落第を逃れられそうにない学習進度、助け合う事もできない愛なき生徒達……だとすれば、皆さん一緒に退学していただく他ありません」

「退学……」

 

 その文字列が2人しかいないテラスに空しく響いた。

 

 学生自治を謳うキヴォトスに於いて、学生と謂う身分を剥奪する退学処分はかなり重い罰だ。破壊と略奪を繰り返し、七囚人の一人に数えられる狐坂ワカモ。様々な自治区の飲食店を結果的に爆破しているゲヘナの美食研究会。同じく様々な自治区で地盤破壊、インフラ破壊を繰り返している温泉開発部。彼女達ですらそれぞれ学校所属になっており、学生の身分を簒奪されていない。

 

 だが、これはあくまで百鬼夜行とゲヘナの場合だ。この二校には二校それぞれの規定があり、トリニティにはトリニティの規定がある。校則も規定も、それを破った場合の処罰も学校それぞれ。それは先生とて正しく理解している。トリニティの退学に関する規定は少なくともゲヘナのそれよりは厳しいだろう。

 

 そして、退学規定の中には学力に関するものも含まれている。トリニティに於いて求められる学力と本人の学力に大きなギャップがあり、その溝を埋める事が不可能だと判断された場合の……落第や停学よりも先に進んでしまった選択肢、学校としてもあまり取りたくない類の最終手段が退学だ。先生とて退学があくまで学校の規定に則った、正規の手続きである事は正しく理解している。そして、それが学校の持つべき権力である事も。

 

 だが、今回のケースはあまりに特殊が過ぎる。退学はあくまで学校と一生徒の間で交わされる手続き。にも拘らず、今回は補習授業部のメンバーの誰か一人でも合格圏内に届かなかった場合、メンバー全員が連帯責任のように退学となるのだ。本人の成績や素行の是非に関わらず、弁明の機会すら与えられずに。真っ当とは言えない処分。少なくとも、トリニティの退学規定の中に集団を纏めて退学できるようなルールは無かった。

 

「勿論、本来は此処トリニティにも落第、停学、退学などに関する校則が存在します。ただ、手続きが長くて面倒でして……沢山の確認と議論を経て、承認を得てから言い渡さなければなりません。ゲヘナと異なり、私達は手続きを重要視しておりますので」

 

 ナギサは優雅な所作で腕を組み、先生を視線で射貫く。ナギサの言う通り、生徒を正式に退学させるためには踏まなければならない手順が幾つも存在する。先ずは学校運営に携わる上層部での議論、確認、承認。その後は教職員を含めた議論、確認、承認。この2つを通過してから初めて該当の生徒に言い渡される。

 だが、当然それで終わりではない。その後は生徒を交えての話し合い等が行われ、最終的には双方の合意の上で退学という処分が正式に決定される。

 

 先生の頭の中に叩き込まれた、トリニティに於ける退学の手続き。その過程には順守すべきルールが幾つもあり、権力により生徒の権利が侵害される事の無いように徹底的に双方の公平性が担保されている。

 

 だが、今回の補習授業部にはそれが存在しない。その理由は────今、ナギサの眼の前にいる彼。

 

「ですが、今回急遽設立された補習授業部は、このような校則を無視できるように調節してあります。シャーレの権限を組み込ませて頂いたこともあり、例外的にこのような処置が可能となっているのです」

 

 結成に使われたものがシャーレの権限ならば、その後の処理に使われるものもシャーレの権限だ。シャーレの超法規的権限……あらゆる自治区、団体、権力に縛られず動く事ができる、連邦生徒会が彼に与えた特殊な立場と権限。本来ならば生徒を守るためにこそ振るうべきものであるのだが、今回は真逆の……生徒の権利を害する圧力として行使された。

 

 ────それについて何も思わないと言えば嘘になる。だが、先生が何かを言う権利は剥奪されている。干渉できなかったとはいえ、ナギサのこれまでを見送った自分には。そして、元より何も言うつもりも無い。この道を選んだのは、自分だ。

 

「そもそも、補習授業部は────」

 

 ナギサはそこで一旦言葉を区切る。先生から目線を逸らさず、彼女は組んでいた腕を解いて……告げる。

 

「────生徒を退学させるために作ったものですから」

「……」

 

 ナギサの声が空に吸い込まれて数秒、2人の間には静寂が横たわった。心地の良いものではなく、肌を刺すような鋭さを持つ沈黙。それを切り裂く様にナギサは再び口を開いた。

 

「あら、あまり驚いてくださらないのですね。これでも、とっておきの秘密だったのですが」

「……そうだね。可能性の一つとして予想はしていたよ……原初(はじめ)からね」

 

 平坦。穏やか。しかし、言葉に貌が無い。のっぺらぼう。ナギサは猜疑を込めて先生をそっと見た。

 

「……こうなる事も予想の範疇、と?」

「さぁ、どうだろうね。だけど、私はあくまで補習授業部の担任。彼女達を助けたいと思ってティーパーティーに協力した。間違っても生徒を退学に追い込むためじゃない。そこだけは嘘じゃないよ」

 

 あくまで退学になりかけている生徒を助けるために協力した。生徒の力になりたいからティーパーティーからの申し出を二つ返事で引き受けた。そこに打算も裏も何もない。彼の願いはシンプルだ。生徒を愛し、慈しみ、助け、救い、未来へ導く事。故に今回も同じ事だ。成績不振で追い込まれている少女達を助けるためだけに、彼はこの仕事を請け負った。

 

 そして、引き受ける際に頭を過った数多の可能性の内の一つ……しかし最も確率の高いものが退学だったというだけだ。

 

「そうですか……えぇ、存じております。ミカさんから、ハスミさんから、それ以外の方からもお話を聞いております。まだ知り合って短いですが、私も先生はそのような方であると……よく分かっております」

 

 そう言い、彼女はカップをソーサーの上に置く。カン、と高く鳴る陶器の音が昏い空に吸い込まれるように消えていく。彼はナギサから視線を逸らさない。愚直なほどに真っ直ぐに、彼女の言葉を待っていた。

 

「このような強引極まる場をセットしたのは勿論目的があります」

「だろうね。ナギサはただ生徒を退学させるためだけにこんな事はしない。寧ろ、彼女達が本当に唯の成績不振ならナギサは彼女達のサポートに回っていた側だろう?」

 

 ナギサは肯定でも否定でもない沈黙を返し続きを促す。それを受け取った彼は言葉を続けて。

 

「にも拘らず、君は特例で補習授業部を作り上げた。それも、シャーレの権限を使ってまで」

「……えぇ。この時期にシャーレの権限をお借りする事はあまり良くないでしょう。外部に『トリニティはシャーレと懇意である』と示すような行動です。威嚇や牽制と思われてしまっても仕方ありませんが……」

「それでも、やらなければならない理由があった」

「はい。加えて、ゲヘナの方々は先生と親しく、何度かシャーレの力を借りたとティーパーティーにも情報が回ってきています。故に、一度先生にご助力を頂いた程度でゲヘナは何も言わないでしょう」

 

 自信たっぷりにそう言うナギサに対して先生は微妙そうな表情。『何も言わない、かなぁ……?』と思い、脳裏に浮かぶのはマコトの顔とイロハの呆れ顔。万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)は今日も平和である。多分。

 

「さて、このような事をした目的でしたね。率直に申し上げますと────あの中に、トリニティの裏切り者がいるからです」

「……裏切り者、ね」

「その裏切り者の狙いは、エデン条約締結の阻止」

 

 静かな言葉が、夜空に虚しく咲いた。

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