シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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この先を思い描いて

 合宿所、教室。トリニティの本校舎にあるそれと何ら変わらない内装が施された室内で先生は一人、生徒が来るのを待っていた。教壇に頬杖を突き、流し目で窓の外を眺める。トリニティの窓から見える景色は石畳の道と石レンガ造りの建物が大半だったため、緑豊かな情景は酷く新鮮に見える。

 思い返せばアビドスは見渡す限りの砂漠であったし、ミレニアムやシャーレの周りはビルが乱立していた。自然の豊かさとはおよそ対極に位置する場所にしか足を運んでいなかったため、よりそう思うのだろう。

 

 そうして何をする事もなく、ただ景色を見つめていると────ふと、教室のドアが開いた。

 

「おはようございます、先生。お待たせしてしまってすみません」

「おはよう、先生」

「さっき振りですね、先生♡」

「お、おはよ……」

「おはよう、皆。昨日はよく眠れたかい?」

 

 彼がそう言うと、皆はそれぞれ違う表情を浮かべる。比率的にはよく眠れた生徒とあまり眠れなかった生徒が丁度半々。大体予想通りだ。

 少女達は教壇近くの席に座り、勉強道具を取り出したり各々準備を始めているのだが……座るや否や机に突っ伏した生徒が一人。先ほどからずっと顔を真っ赤にしていたコハルである。

 

「うぅ……全部見られた……もうダメ……」

「コハルも私の裸を見たんだから、何の問題もないはず。うん、イーブンだ」

「そういう問題じゃない! あんな強引に脱がすなんて! 無理矢理とかそういうのはダメなの!」

「では次は、私がコハルちゃんの身体を洗ってあげましょうか? えぇ、それはもう……隅々まで♡」

「はぁっ!? だっ、ダメ! あんただけは絶対嫌っ!」

 

 コハルは首を全力で横に振り、妖しい笑みを浮べたハナコから距離を取る。良くも悪くもアズサは必要な事しかやらないが、ハナコはそこに遊びがあるのだ。ハナコと『洗いっこ』なんてやろうものならダメージはより深くなっていただろう。ついでに色々と歪みそうである。

 

「あはは……えっと、皆さん……?」

 

 ヒフミは朝から元気な3人を見て苦笑を浮べる。皆と比べて起床時間が15分ほど遅かったため何があったのか正確な事は知らないが、大体予想できてしまった。色々とアズサらしいと言うべきか、何と言うべきか。

 苦笑いを浮べながら仲睦まじいやり取りを眺めているヒフミであったが、先生は彼女の前髪が少し跳ねていることに気が付いた。いつもは綺麗に整えられているが、今朝は時間が無かったのだろうか。

 

「ヒフミ、この辺りの髪の毛ちょっと跳ねてるよ」

「えっ、本当ですか!? ありがとうございます、少し寝坊してしまいまして……」

 

 そう言い、ヒフミは鞄の中を漁るが目的のものはどうやら部屋の中に置いてきてしまったようだ。仕方ないと思い手櫛で跳ねている部分を整えようとすると、彼は徐に何かを差し出す。手の中に握られていたのは手鏡と折り畳み式の櫛。

 

「もし良ければ使って。折角綺麗な髪なんだから大切にしないと、ね?」

「うえぇッ!? あ、ありがとうございます……あはは……」

 

 ヒフミは突然髪を褒められたことにびっくりしつつ、何だか嬉しいと思ってしまう。照れ隠しのような笑みを浮べながらヒフミは彼から櫛と鏡を受け取り、跳ねている髪を下した。念のため他の場所も鏡で見るが、そこ以外は大丈夫そうであった。ヒフミは彼にセット道具をお礼と共に返し、謎の女子力の高さにちょっと負けた気分になる。料理は上手だし掃除も手際が良かったため、家事全般は一通りできるのだろう。何だかちょっと悔しかった。

 

 嗅覚を擽る花の香りは彼のもの。恐らく『男性向け』としては販売されていない、女性か男女兼用の香りは口調や雰囲気が柔らかい彼によく似合っていて。あらゆる身嗜みがばっちりな彼を見ると、時間一杯まで寝ていた自分が情けなくなってしまう。何せ、寝癖を直す暇はおろかシャワーを浴びる時間すらなかったのだ。次からはちゃんと起きようと強く思うヒフミであった。

 

「さ、じゃあ今日の補習授業を始めようか。ヒフミ、号令を」

「は、はいッ! では……よろしくお願いします!」

 

 皆はそれぞれ言い、最後に彼が「今日もよろしくね」と朗らかに笑いかけて補習授業が始まる。だが、今日は合宿。これだけでは終わらない。先生は昨晩からヒフミと一緒になって作成していたプリントの束を人数分取り出しながら。

 

「ヒフミ、昨日作ったこれはもう配っちゃってもいいかな?」

「そうですね……はい、もう配っちゃいましょう!」

 

 先生は「ちょっと重いよ」と言い、ヒフミにプリントの束を手渡す。枚数としては一人30枚程度だが、4人分ともなれば120枚前後だ。塵も積もればなんとやら、一枚一枚は軽く薄くても、重なればそれなりに重く、厚くなる。だが、日常的に銃器を運んでいる生徒にとってその程度の重さは無いのと同じだ。ヒフミは涼しい顔で彼から受け取り……そして、少女達の方を向く。

 

「皆さん、こちらをご注目ください!」

 

 ぱん、と軽く手を叩いたヒフミに3人の視線が集まる。彼女は先生から受け取った紙束を持ちながら、真剣な顔で言葉を紡いでいく。

 

「今日は補習授業部の合宿、本格的なお勉強が始まる大切な日です! 今の私達は大変な状態で、ともすれば慌ててしまいがちな状況ではありますが、難しく考える必要はありません! 私達に必要なのは一週間後の第二次特別学力試験で全員揃って合格する事、ただそれだけです!」

「そうだね」

「ですね」

「……」

 

 改めて言われた条件は先日聞いたものと何ら変わっておらず、特に目新しさを覚えるものでもないが……状況が一つ悪い方向に進んでしまったのだ。目標の再確認は必要な事だった。そして、今からやる事の目的を明確にするためにも。

 

「そこで────今から模擬試験を行います!」

「……模擬試験か」

「なるほど……?」

「きゅ、急に試験!? なんで!?」

 

 アズサはヒフミの言葉を復唱し、ヒフミの指示なら従う姿勢を変わらず貫く。ハナコは突然模試をやろうとしたヒフミの意図を察して理解と納得。コハルは事前連絡なしの抜き打ちテストのような模擬試験に驚きを示した。

 

「今は兎にも角にも時間がありません。私達に与えられた時間はあと1週間。その間に点数を合格ラインに引き上げる事が条件です。なので、試験範囲の最初から闇雲に勉強してもあまり効率がいいとはいえません。着実に目標を達成するためには、何ができて何ができないのか、今どのくらいの立ち位置なのか……まずそれを把握する必要があります! という訳で、昨晩こちらを準備してきました!」

 

 意気揚々とヒフミはそう言い、少女達にプリントを配る。表題には『第一次補習授業部模試』と書かれており、閉じられたそれを捲ると問題が印刷されていた。形式はトリニティの試験と全く同一、確かに本番前の練習としては丁度良いだろう。試験の難易度自体は……第一次特別試験のものよりも難しくなっている。

 ハナコはこの問題全てに見覚えがあった。

 

「昨年トリニティで行われた試験問題と、その模範解答です! まだ中途半端と言いますか、集められたのは一部だけなのですが……先生も昨日夜遅くまで手伝ってくださって、第二次特別学力試験を想定した、ちょっとした模擬試験のような形にしてきました!」

 

 道理で見覚えがあったわけだ────と、ハナコは一人納得。昨年、片手間で解いた試験と同一のもの。心底どうでもいいと思っているから、言われるまで気付かなかった。既に解き終わった試験もレッテルと成り果てた無意味な3桁の数字も、何もかも。彼女にとっては最も無意味で、無価値で、どうでもよくて、醜いものだった。

 

「試験時間は60分、100点満点中60点で合格、つまり本番と全く一緒です。さぁ、まずはこれを解いてみましょう!」

 

 朝一発目のウォーミングアップとしては少々重いが、四の五の言っていられない状況なのは皆一緒。少女達は昨年の試験を流用した模擬試験を受ける事となった。

 

 

 ▼

 

 

 ────第一次補習授業部模試。

 

「皆、準備は良いかな?」

 

 先生は少女達の前に立ち、見渡す。机の上には筆記用具とテスト用紙のみ。中には何も入っていなくて、鞄は後ろの方へ。あくまで模擬試験であるため、ここまで厳格にやる必要は無いのだが……何事も先ずは形から。模試は試験に慣れる目的も含まれているのだ。形式を可能な限り近づけ、場慣れさせることも必要だろう。

 

「試験時間は1時間、合格点は60点以上……頑張ってね」

 

 彼は欠かさずエールを送り、腕時計に視線を落とす。本校舎からの鐘の音は此処まで届かないため、時間管理は彼の時計とタブレットの仕事。彼はそのままじっと待ち、時計の長針と短針が重なったタイミングで────。

 

「じゃあ────試験、開始!」

 

 

 ▼

 

 

 開始の声と共に裏返しになった用紙を捲り、少女達はテストに望む。ヒフミはまず全体像の把握、アズサは最初から手を付け、ハナコは捲っただけ、コハルは初っ端から悩ましそうな呻き声を漏らしている。

 

「……」

「あら、これは……♡」

「どこかで見た様な……見て無いような……」

 

 

 アズサは無言で解き進めている。時折手が止まる事はあっても長時間の停止はせず、数分経てば再びペンを動かす……その繰り返し。難しい問題も一旦考え、駄目そうだったら切り替えて次へ。自身の解き方に合わせて確りと進めていく。

 ハナコは少女達の頑張りを楽しそうに眺めつつ、時折視線を下に投げてペンを動かし……数秒何かを書いてまたペンを置く。随分とマイペースな試験の進め方であった。

 コハルは頭を抱え、唸り、必死に頭の中の引き出しからそれっぽいものを引き出してテストと必死に格闘。取り敢えず頑張ろうと謂う気概は充分感じられるものの、少々不安が残る様子。

 

 仲間達の奮戦を横目で見て、ヒフミは『自分も頑張らないと』と気持ちを切り替え目の前の問題に望む。彼女もそこまで余裕がある訳ではないのだ。補習授業部向けに調整が施されていた第一次特別試験と異なり、この模試は昨年の定期テストをそのまま流用しているため、問題の難易度を比較すれば当然後者の方が難しいものとなる。確りと内容理解度を問われる問題は本腰を入れて勉強しておかなければ点数を取る事は難しく、ヒフミも何度か手が止まってしまう事があった。

 

 ────皆さん、頑張りましょう……! 

 

 ヒフミは苦楽を共にしてきた大事な友達に心の中で激励を送り、再び試験問題に視線を落とした。

 

 

 ▼

 

 

 1時間の模試が終了し、皆から用紙を回収してからは先生の仕事が始まる。少女達の用紙に書かれている解と模範解答を眺めて正誤を判断し、場合によっては部分点やら減点やらを記して点数を算出。それらの作業を4人分終えて先生は赤ペンを胸ポケットに仕舞い、「ヒフミ」と声を掛けた。

 

「では先生、結果発表をお願いします!」

 

 ヒフミの声に頷き、先生は少女達それぞれに点数を口にしながら解答用紙を配布する。

 その結果はこうだった。

 

 第一次補習授業部模試、結果。

 

 阿慈谷ヒフミ────68点、合格。

 浦和ハナコ────4点、不合格。

 白洲アズサ────40点、不合格。

 下江コハル────15点、不合格。

 

 第一次特別試験と比べて点数自体に前後はあれど、結果だけ見れば変わらない。ヒフミは合格し、その他3人は不合格。だが、ヒフミだけ合格しても補習授業部の卒業要件は満たせないため、全体で見れば不合格という結論も……前のものと一切変わらない。

 

 やはり、未だ目指す場所は遠い。自身達の結果に歯痒さを感じた少女達の表情は暗い色を帯びていた。

 

「……そうか」

「……え?」

「あらまぁ」

「……」

 

 アズサは『また届かなかった』と悔しさを滲ませ、コハルは自身の想定を下回る点数に驚き、ハナコはその奥の感情が読めない声。ヒフミは────その惨憺たる点数を前にしても揺らがない。酷い点数に対しての耐性は前回の試験で付けたのだ。この程度は想定範囲内。今のヒフミを驚かせたいのならば全員0点の結果を持ってこいと謂うものだ。いや、持ってこられても困るのだけれど。

 

 ヒフミは全員の点数を噛み締め、固く両手を握る。自分だけ合格で他の3人は不合格。だが、自分の点数もかなりギリギリで、合格点に届いているからといって胡坐をかいていてはいけないと思わされる。

 

「これが私達の現実です。このままだと、私達の先に明るい未来はありません……」

 

 第一次特別試験でも突き付けられた散々な状況。それは今回でも全く変わっておらず、この調子で行けば1週間後の試験でも変わらず不合格を突き付けられる回数を増やすだけになってしまうだろう。このままでは卒業なんて夢のまた夢、そんな事は分かっている────だからこそ。

 

「ここからあと1週間、皆で60点を超えるためには残りの時間を効率的に使っていかなければならないのです!」

 

 通常であればテキストに書かれている事を確りと理解し、問題毎に応用を効かせられるように深い部分まで触れた方が良いのだが……そんな事をしていては時間が幾らあっても足りない。今必要なのは短期間でどれだけ点数を上げられるかで、極論を言ってしまえば内容を理解していなくても点数さえ足りていればそれでいいのだ。

 故に内容を理解する勉強ではなく、如何に点数を取るかの対策に重点を置く。だが、結局点数を取るためにはある程度の内容理解は必須な訳で……だからこそ効率的に行わなければならない。ヒフミは「そこで!」と元気よく言って。

 

「まず、コハルちゃんとアズサちゃんがどちらも1年生用の試験ですので、私とハナコちゃんがお二人の勉強内容をお手伝いします! ハナコちゃん、最近何があったのかは知らないのですが、1年生の時の試験では高得点だったんですよね?」

「あら……? えっと、まあそうですね……」

 

 ヒフミの熱意に溢れた言葉にハナコは歯切れの悪い様子で肯定した。あまり肯定したくはないが、知られているなら肯定するしかない……そんな何処か暗い感情。

 

 ヒフミとハナコは2年生であるため、アズサとコハルが受けている1年生用の試験自体は以前に突破している。ハナコはアズサに教えていた様子から教えるには充分な理解度であり、ヒフミ自身も1年のものであれば他人に教えるに足る程度には把握しているため、まずはこの2人を1年生用の試験を受けるアズサとコハルに教師役として付ける。

 

 そうすれば必然的に教師役の2人の勉強時間は短くなってしまうが、ヒフミは現状でも合格点を超えており、ハナコの点数は察するに学力ではなくもっと別の……何か心理的なものに起因すると思われる。ヒフミは現状維持できれば問題なく、余った時間で多少の点数アップが狙えれば文句なし。ハナコは彼女が点数を取る妨げになっている何かを取り除く事ができれば容易く合格点に届くだろう。

 

「実はその、1年生の時のハナコちゃんの答案を見つけてしまって……それでハナコちゃんの方については後ほど。今の状態になってしまった原因をしっかり把握した上で、私と先生と一緒に解決策を探しましょう!」

「それは……また何とも……」

 

 いつも飄々としている彼女にしては珍しい口調は痛い所を突かれた様な、或いは見られたくない部分を見られた様な。彼女にとって1年生の成績というのはそういうものであった。とは言っても、別にカンニングしたり不正を働いたり、そのような後ろめたい事情がある訳ではない。寧ろ正々堂々真正面から、ペン1本を手にテストに臨んだ。テスト勉強はおろか、一度もテキストを開くことなく。

 

 自分は他人とは違うという当たり前の世界認識。自分の能力は誰かから求められているという実感。此処に居たくないという心。ある意味、今の『浦和ハナコ』という少女を作り上げた理由の一つだった。

 

「まだ途中ですが他にも試験を作成中ですので、今日から定期的に模試を行って進捗具合も確認できればと思っています! 模試と復習を繰り返して、効率的に時間を使えば短い時間でも60点は充分超えられるはずです!」

 

 ────これが恐らくは、今できる私のベストな選択。

 

 先生に言われた言葉。できる事、望む事をしてほしいという祈り。それを思い、今の自分の行動を振り返る。ヒフミには何か力があったり、飛び抜けて頭が良かったり……そういった特別は持ち合わせていない。何から何まで平凡でありふれていて、出来る事も多くはなかった。だが、多くはないだけでゼロではない。ゼロではないなら何かがあるはずだと考えた結果がこれだ。

 

 合格しなければ全員退学。ナギサから語られた裏切り者の話と、持ちかけられた協力。誰かを疑い、欺き、嘘を吐く事。トリニティ、ティーパーティー、シャーレ。どれもこれも話の規模が大きくて、とてもじゃないが手に負えるようなものではない。

 

 だから、従うのは自分の心。自分の心に問いかけた時、返ってきた答えは酷くシンプルだった。

 

 ────皆と補習授業部を卒業したい。

 

 誰かを疑うとか欺くとか、嘘を吐くとかそう言ったのは嫌で、友達を傷つけたりするのはもっと嫌だ。騙したり裏切ったりしたくなんてなくて、友達なのだから仲良くしたい。

 

 だから、この未曽有の困難を真正面から乗り越える。難しい話は全部無し、面倒な話も全部無しだ。ただ、皆揃って笑顔でこの補習授業部を卒業する。ヒフミの望みは、それだけだ。

 

「皆さん、頑張りましょう! きっと、頑張ればどうにか、皆で合格できるはずです……!」

「……うん、了解。指示に従おう」

「わ、分かった……」

「ヒフミちゃん、凄いですね……昨晩だけでこんな準備を……」

「あ、いえいえ。私だけの力ではありません。先生も手伝ってくださったので……」

「なるほど、先生が」

「私は大したことをしていないさ。この模擬試験はヒフミの頑張りの成果だよ」

 

 先生は本当に大したことはしていない。彼女が出した案に意見を出したりはしたが、主導はあくまでヒフミだ。彼がやった主な事はトリニティの過去問にアクセスして問題のデータを入手した事と、問題の選別を行った上でプリントアウトした事だけ。これは正真正銘、ヒフミの努力によるものだ。

 

 彼がそう言うと、ヒフミは照れたような笑みを浮べる。互いに視線を送り、笑い合う姿は眩しくて……思わずハナコも笑ってしまう。

 彼女はこういう光景が好きだ。人の善と呼べる部分、互いに思い合う優しさ。愛を謳うトリニティであればそういうものが溢れていると思っていたけれど……実際には違って。今では権力闘争の本拠地に幼稚な夢を見過ぎだと笑ってしまうが、当時の自分は裏切られた気持ちで一杯だった。

 優しいもの、善いものを見たくて此処に来たのに、耳に入るのも目に入るのも真逆のものばかり。妬んで、僻んで、足の引っ張り合いをして、互いに目を光らせ合っている。

 自分の近くには見たかったものは何処にもなくて、だからといって自分の手で作り上げる事も出来ない。結局の所、自分も同じ穴の狢でしかないと思い知らされた。

 

 ────思わず自嘲してしまうほどに、苦い記憶だ。

 

「それだけではありません。なんとご褒美も用意しちゃいました! えっと、ちょっと待ってくださいね……!」

 

 それだけ言い残して、ヒフミは急ぎ足で教室を後にする。話の流れに付いていけていない少女達は互いに目を見合わせ、きょとんとしながら待っていると1分も経たない内に彼女は戻ってきた。膨らんだ大きなバッグを抱えながら。

 袋に入る何かに疑問を膨らませる少女達を見ながら、彼女は自信満々の渾身の笑みで────袋から白い何かを一つ取り出した。ずんぐりむっくりの、何かよく分からない生物をモチーフにしたぬいぐるみを。

 

「こちらです! 良い成績を出せた方には、この『モモフレンズ』のグッズをプレゼントしちゃいます!」

 

 ヒフミがこよなく愛し、彼女が補習授業部送りになった切欠の一つとも言えるモモフレンズ。そのぬいぐるみであった。

 

 白い体に頭から生えた鶏冠、小ぶりな羽、垂れ下がった舌と上向きになった目が特徴的な謎の生き物。

 若干ボディの色が奇抜なペンギンっぽい謎の生き物。

 妙に胴体が長い猫っぽい謎の生き物。

 黒い体にデフォルメされた骨がくっついている謎の生き物。

 頭が欠けた、推定鳥類の謎の生き物。

 ピンクのアルパカ。

 茶色っぽい体色の謎の生き物。

 

 並べられたぬいぐるみのうち、モチーフが分かるのはほんの少し。それ以外は何処からどう見ても謎生物であり、それを満面の笑みと共に見せられたハナコとコハルは互いに顔を見合わせる。もしかしたら自分達の感性がおかしいだけなのかも、と思っていたが、見合わせた先の少女も同じような顔をしていたため多分おかしくはない。おかしいのはあのテンションのヒフミだ……多分。

 尚、アズサは眼を輝かせていた。

 

「モモフレンズ……?」

「あぁ、昨日の……」

「……ッ!」

 

 ハナコは『モモフレンズ』そのものに対して疑問。コハルは昨日見せられていたためぱっと思い至ったが、『なんかいっぱいいる』と微妙な感想。アズサは思い出のもの達を見て、懐かしさと愛おしさと……そして、あの時と同じような興味と感動を。

 

 だが、3人の内2人が微妙なテンションで、1人肯定的なアズサはそもそも表情に出にくいためあまり変わらないように見える。オーディエンスの間に流れる何とも言えない雰囲気を前に流石のヒフミもうろたえ始めた。

 

「あ、あれ……? 最近流行りの、あの『モモフレンズ』ですが……もしかしてご存じないですか……?」

「初めて見ましたね……いえ、何処かでちらっと見た気も……?」

「えぇッ!? 本当に知らないんですか!?」

 

 街中やテレビのCMで見た気がしなくもないが……あまり記憶には残っていない。ハナコが関わってきた生徒達の中にはこの手のキャラクターグッズを好む人はおらず、人伝に話を聞く事もなかった。ハナコにとってのモモフレンズ初対面は今回であった。

 

 此方が正面から見つめているのに、多くのぬいぐるみと目線が合わないのは仕様なのだろうか。ぬいぐるみがグッズとして出ていて、デザイン自体もデフォルメが強めなことから幼い子どもやティーンの女の子がメインの客層なのだろうが……10代なら兎も角、幼い子どもがこれを貰ったら多分泣くだろう。幼い自分(ハナコ)がこれを貰ったら恐らく次の日には棚の奥に眠ることになる。

 

 一体どの層をターゲットにしていて、どの層に人気なのか……考えるだけ分からなくなってしまった。

 

「改めて見ると……いや、やっぱ分かんない。豚? それともカバ……?」

「ち、違います! ペロロ様は鳥です! 見てください、この立派な羽! そして凛々しい嘴!」

「……目が怖い。それに、なんか名前も卑猥だし……」

「そ、そんな……! た、確かにそう仰る方も一部にはいますけど……よ、よく見てください。じっくり見てると何だか可愛く────」

「……そう、かも……? いや、やっぱ見えない……」

 

 ヒフミの熱量に押されそうになったが、正気を取り戻したコハルは『やっぱり微妙』と心がそっぽを向く。眼の焦点が合っていないし、じっと見ても目線が交わらない。彼女のセンスではこれを『可愛いもの』として扱えなかった。尚、ペロロ様の名前を卑猥だと思っているのはコハルだけである。

 

 ハナコ、コハルと2連続でモモフレンズの布教に失敗したヒフミはがっくりと項垂れる。そのショックの受け方があまりにも可哀そうで、何か話題として出せるものはないかとハナコはヒフミのこれまでを思い出して……ふと口を開く。

 

「あ、思い出しました。そういえばヒフミちゃんの鞄やスマホケースがそのキャラクターでしたね」

「はい、そうなんです!」

 

 そう言い、ヒフミはまた満面の笑みを浮べながら鞄とスマホケースを机の上に並べる。鞄の方は白いリュックサックに足と羽と鶏冠が取りつけられ、上部に目や嘴、舌がデザインされている。外観に目を瞑れば普段使いしやすいだろう。スマホケースの方もペロロの再現に妥協しなかったのか、ケースの縁の方から羽やら足やら鶏冠が飛び出ていて、背面には嘴と眼、舌で立体感を演出。間違いなくポケットには入らないし、鞄にも入り難いデザインはお世辞にも使いやすそうとは言えなかった。これを常用しているのは最早愛以外の何物でもないだろう。

 

「確か舌を出して涎を垂らしながら、『もう許して……ッ!』と泣き叫ぶキャラクターだったとか……?」

「え、いえっ、後半部分は色々と違いますよ!?」

「……折角準備してくれたヒフミには悪いけど、私は要らない」

「あうぅ……」

「ごめんなさい、ヒフミちゃん。私もご遠慮させていただきますね」

「……あう……」

 

 無慈悲な断りを2連発されたヒフミは先のテンションが嘘だったように凹む。しょげる。机に突っ伏して呻き声を上げて、最後の希望になってしまったアズサに視線を送った。とは言っても、駄目元でだ。今までの彼女を見るからにこの手の可愛いものに興味を抱くとは思っていない。彼女がモモフレンズに興味を抱くとしたら何か戦闘における用途で、『無害な外見をトラップにして爆弾にするのが効果的だろう』と言い出しても不思議ではなかった。

 

 ────だが、その予想はヒフミにとって嬉しい方向で外れる事になる。

 

「あ、アズサちゃんはどうですか? モモフレンズ……」

「……うん、私は好き。全部可愛い」

「ッ!?」

「えっ」

「あら……?」

 

 モモフレンズに対する肯定的な言葉にヒフミは暗く落ち込んでいた瞳を一気に輝かせて、ハナコとコハルは驚きを見せる。まさかアズサが興味を示すとは思わなかったのだ。

 

 元気を取り戻したヒフミはアズサに詰め寄り、その手を取る。もしかしたら貴重なモモフレンズ仲間に慣れるかもしれない……そんな淡い希望を抱きながら。

 

「ほ、本当ですか!? 流石はアズサちゃん、ペロロ様の可愛さに気付いてくれたんですね!」

「あぁ……ペロロ、ウェーブキャット、Mr.ニコライ、スカルマン……うん、私は全部好き」

「凄いです! もしかしてアズサちゃん、モモフレンズをご存知でしたか?」

「うん。だけど、ヒフミみたいに何かを持っている訳じゃないんだ」

 

 想像していたよりもずっと好感触で、モモフレンズの名前もキャラクターも知っている。久しく出来ていなかったモモフレンズ仲間を前にヒフミのテンションは過去最高。どのグッズを見せても、どのキャラクターを見せても嬉しい反応が返ってくるため、2人は完全に自分達の世界に入り込んでいた。

 

 そんな時、ふとアズサは口を開く。

 

「……だが、良いのか? ヒフミの大切なものを私が貰っても……」

「いいんです! 頑張ったご褒美ですから! アズサちゃんが欲しいのをどれでも持って行ってください!」

「……そう言われれば頑張らない訳にはいかないな。元から全力だったが、これからはより力を出し尽くそう」

「はいっ! ファイトです、アズサちゃん!」

 

 そう言い、ヒフミはアズサに激励を送る。モモフレンズの可愛さが分かってくれる人が増えて嬉しいし、これを切欠により頑張ってくれる事も嬉しい。なにより、アズサともっと仲良くなれそうな事実が何より嬉しかった。

 

「えへ、えへへへへ……」

「あら、何だかヒフミちゃんが楽しそうに……と言いますか、あのお人形さんと同じような表情に……」

「趣味が合う友達ができて喜んでいるんだろうね。何というかまあ、モモフレンズはデザイン的に好みが分かれそうだし……」

「ふふっ、そうですねぇ」

 

 先生は並べられたグッズの一つ、ペロロ様の口にアイスが突っ込まれているぬいぐるみを手に取る。垂れ下がった舌、半分くらい白眼を向いていて、頬にはアイス。何とも言えない愛嬌を持つそれは、先生とヒフミが出会えたきっかけとも呼べるものだった。まだ2ヶ月ほどしか経っていないのに酷く懐かしさを覚えてしまう。

 

「先生は何かご褒美、くださらないんですか?」

「勿論あげるつもりはあったけど、まずはリサーチからしようと思っていたからね。生憎、今は何も持ち合わせがないんだ……あ、のど飴なら持ってるよ」

「いえ、のど飴は要らないのですが……」

 

 彼は「だろうね」と言い、苦笑い。その視線は仲睦まじい2人に向いている。

 

「ま、私からのご褒美は補習授業部が終わった後という事で」

 

 自分は果たして何を彼女にあげる事ができるのだろうか、そんな事を考えながら。

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