シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
「────驚かないんだね、先生。やっぱり知っていたんだ」
白洲アズサが裏切り者だと告げられても、彼のバイタルには一切の揺らぎが無かった。驚きも怒りも悲しみも、何も。まるで当然の現実を受け止めただけに過ぎないような、そういった温度感。全ての感情が動いていない彼を見て、ミカは自身の推測が当たっていたと確信する。
白洲アズサのトリニティ入学前のデータは先生も入手していた。トリニティ自治区内の小学校を卒業し、その後は生活圏を変えD.U.の中学校に入学。高校も同様にD.U.地区内の学校に入学し、そこで1年間過ごした後にトリニティ自治区に戻り、トリニティ総合学園に転入した。
それがアズサの書類上の経歴だが……その経歴が全て偽装である事は多少なりともフィールドワークを行えば自ずと分かる。それらの学校に通っていたアズサの姿を一度たりとも見た事が無い、と云う生徒の証言によって。
それをナギサが調べられないのは単純にトリニティの規定だ。通っていた学校や派閥によって不当な扱いをされないように、それらが記載された書類はティーパーティーであろうとも閲覧できない規定が定められている。生徒が入った後は更に扱いが厳格になり、最早誰も閲覧できないと言っても過言ではないほどだ。ナギサがこの情報を把握できないのは無理もないだろう。
逆に、それをミカが知っているという事はつまり。
「うん、知ってるかもしれないけどあの子、実はトリニティに最初からいた訳じゃないんだ。ほんの数か月前に入ってきたばっかの転入生。元の出身校は随分前にトリニティから分かれた、所謂分派……『アリウス分校』出身の生徒なの。ほら、先生も会った事あるでしょ? サオリとか、アツコとか。その子達と一緒だよ」
先生は頭の中で思考を回す。
アリウスが自身の経験と異なる状況にある事は分かり切っている。それはアツコが一人で外に出ていた事やサオリの纏う雰囲気が何処か柔らかかった事が何よりの証拠だ。
経験上、表舞台に立つ前の彼女達と出会い『アリウス分派の生徒』と認識すれば……問答無用で銃口を向けられる。目撃者は消せ、認識されたら殺せ。彼女達はそう言い聞かされて育ってきた。今まで出会った2回、その両方で銃口を向けられなかっただけでも異例中の異例だ。
だが、彼女達がベアトリーチェの支配や教育を全く受けていない訳ではない。それはトリニティ自治区内で仕掛けてきたアリウスの生徒が証明している。ベアトリーチェはアリウス自治区を根城にしていて、生徒達に洗脳教育を施しているのは事実。サオリやアツコ……希望的観測を含めるとミサキやヒヨリを含むアリウススクワッドは何らかの要因でその洗脳教育から逃れている、或いは効果が薄い……これが現在までの情報だ。
そして、この先がミカの一言で齎された情報。彼女の口からサオリとアツコの名前が出された。アツコと会ったのは2ヶ月ほど前だが、サオリと会ったのは比較的最近。それを把握しているという事は近日中に連絡を取ったのだろう。
アリウスとミカが連絡を取り合っている事は別に然程不思議ではない。彼女がアリウスに飲食料品を支援しているのは先生とて知っている。それを鑑みれば彼女とサオリ達の間で現在進行形で情報のやり取りが行われていると考えた方が寧ろ自然だ。
重要なのはミカがそれを先生に話した事。ミカは自分がアリウスと繋がっていると謂う、補習授業部の真相に最も近い情報を『先生に知られても構わない情報』として開示したのだ。
────私は何を見落としている?
脳のニューロンが赤熱していると錯覚してしまうほどに先生は思考を回す。
ミカが行っているのはあくまで飲食料品の融通。弾丸や爆弾等の武器類は一切取引されていなかった。故に彼女がアリウスに期待するリターンは戦闘能力以外の何か。取引の主体は恐らくミカとサオリ。彼女達はどんな約定を交わしたのか。
地下に自治区を構えるアリウスに取引できるような資源は無い。アリウスにあるのは長きに渡り戦闘訓練を受けてきた生徒達と廃棄され続けてきた危険物のみ。この内、戦力をリターンとして求めていない事から生徒達は除外され、危険物はそもそも興味を示すとは思えない。
では、ミカがアリウスに、サオリに求めたリターンは何なのか。ミカ側がアリウスに何も求めていない、とは考えられない。自分達に都合が良すぎる取引が耳に入った時点でベアトリーチェは確実に止める。見返りを求めないボランティア染みた慈善事業なんて彼女は絶対に信用しないのだ。故にミカは形だけでも何らかの、提供するものに見合ったリターンを求めただろう。そのリターンこそが……恐らく、アズサの転入。
ミカ、アズサ、サオリ。三人の関係性。ミカとサオリは定期的に連絡を取り合っている。アズサはミカの手配でトリニティに入学した。
では、アズサとサオリは? 彼女達はどの様な関係性を現在持っている? そこがきっと鍵だ。自分の致命的な見落としを暴くための。
「うーん、よく考えると『生徒』って呼んで良いのか分からないんだけどね」
「……と言うと?」
「『何かを学ぶ』という事が無い生徒の事を生徒って呼べるのかな?」
「────呼べるよ」
ミカの懸念を両断するように先生は言葉を紡ぐ。何かを学べなくても、学ぶ機会が与えられなくても、学ぶ意志が無くとも構わない。このキヴォトスという世界で懸命に前を向いて生きている子ども達は皆、彼にとっての生徒であり愛し子だ。そこに差はなく、特別も区別もない。彼女達がどんな子であろうとも、この身は先生として溢れんばかりの愛を送る。
「少なくとも、アリウスの子達は私にとって大切な生徒だよ。他の誰が何と言おうともね」
「……ふふっ」
先生の声にミカは心底嬉しそうに笑う。鈴を転がしたような声音に籠っている感情は何なのか、それはミカにしか分からない。期待や喜び、嬉しさ、楽しさ……その裏に隠れた仄かな寂しさと悲しさ。
「……本当に綺麗で良い眼だね。綺麗で、透明で、全てを知っていて。でも……愛に溢れてる。うん、私は好きだよ。先生のそういう眼」
「褒め言葉……として受け取って良いのかな?」
「勿論! ま、あれこれ誤魔化しても仕方ないし、先生に嘘なんて通じないし……うん、端的に言おっか」
ミカの琥珀の瞳。それは先生を真っ直ぐ見据える。そして、先生もまた同じようにミカを見つめると────その蠱惑的な唇から言葉が紡がれる。
「白洲アズサちゃん……あの子を信じてほしいの」
▼
時は遡り────補習授業部、1日目の夜。
ヒフミとコハルが寝静まり、ロビーではハナコと先生が談笑している頃。10分ほど前、ハナコに寝るようにと言われたアズサは足音を殺して廊下を歩いていた。人の気配はない。ロビーから漏れる話し声に不自然な点はなく、2人の寝息も穏やかそのもの。彼女は明るさを最低まで落としたスマホを取り出し、画面をタップ。マップに移るマーカーは4つ、トラップにも動作した形跡はない。
「……ふぅ」
一先ず、1日目は何事もなく乗り切った。少し羽を伸ばしすぎたし、楽しみすぎてしまった気もするが……まぁ許容範囲内だろう。皆の護衛という任務は今のところ全うしているのだから。
アズサは壁に背を預けて、スマホのスクリーンに映る時間を見る。あと数分でサオリから定例報告の電話が掛かってくる時間だった。1階だと声が通ってしまうかもしれないため、踵を返し階段へ向かう。そのまま2階、3階と上がり、廊下を歩いて角部屋へ入った。勿論、入室前のクリアリングは忘れない。
そうして彼女は一人で時間を待っていると……スマホが微かに震えた。迷わず通話開始ボタンをタップし、耳に当てる。
『……アズサ、私だ。首尾は?』
「今のところは順調。サオリ達は?」
『此方も現時点で大きな動きは無い。懸念していたアリウスからの襲撃も数日は可能性から排除しても良さそうだ』
少女達が懸念していた合宿所への襲撃。人目につかず、戦力も限られる場にいる事を好機と見て命令を受けたアリウスが仕掛けてくる可能性……それを期間限定とはいえ排除できる。彼女は少しの安心感を覚え、思わず溜息を零すが……即座に気を引き締める。今排除できたのはアリウス生徒による襲撃であり、襲撃自体ではない。ベアトリーチェが用意した外部戦力からの襲撃は変らず選択肢として残っている。
「サオリは今何処に?」
『トリニティ自治区郊外の廃校舎だ。人目は無い』
サオリの現在位置は地下にあるアリウス自治区……ではなく地上の廃校舎だった。第一回公会議前、トリニティが多数の分派によって構成されていた頃に使用されていた校舎にサオリは居る。放棄されて数世紀が経つ廃校舎は風化寸前であり、風が吹くだけで建物全体が軋んでしまう。だが、短時間の話し合いの場には充分だった。
『先生に関してはどうだ?』
「今のところは、何も。だけど……」
今のところ、彼は通常通りだ。生徒を大切に想い、愛し、身を粉にして頑張る先生像。アズサを見る視線に不自然な色が混ざる事は無く、その瞳の奥にはいつだって暖かな心がある
だが、アズサは見透かされているような気がしてならなかった。あの透明な眼はあらゆる虚飾を取り払い、真実のみを映しているような気がして。
『恐らく、アリウスに関する詳細な情報を既に掴んでいる。自治区の現状や支配者についても。それに対してアクションはあったか?』
「……特に何も無かった。先生から
キヴォトスに於いて転入とはそれなりに珍しい事で、頻繁には発生しない。故に何か特殊な事情があり、それに踏み込むべきではないと彼は判断したのだろうか。その真相は彼しか知らないが……踏み込んでくれないのはありがたい。
思えば、彼はこの手の距離感で間違えた事は無かった。聞かないでほしい事は決して聞かなかったし、踏み込まないでほしい場所には足を踏み入れる事は無い。反面、聞いてほしい事は聞いてくれて、踏み込んでほしい場所には踏み込んでくれていた。彼はそのような心の些細な変化や律動を見抜く事が抜群に上手く、だからこそ多くに信頼され、好かれていたのだろう。
『……そうか、なら良い。先生に気付かれないように細心の注意を払え。あの人をこれ以上巻き込むな』
「うん、分かった」
サオリの強く頷くアズサ。あぁ、そうだ。これ以上は巻き込めない。巻き込みたくない。彼には争いが無い場所でいつまでも笑っていてほしい。ありふれた日常の中で、皆の帰る場所で在ってほしい。彼には銃も争いも何もかもが似合わないから。
────その願いをアズサの冷たい部分が嘲笑う。争いの無い場所なんて、銃声が聞こえない場所なんてキヴォトスには何処にもない。彼は此処に居る限り争いに巻き込まれ続けるし、傷つき続ける。本当にそう思うのなら彼を一刻も早くキヴォトスから逃がすべきなのだ。例えそれが叶わない夢物語だとしても。
先生だってそうだ。アズサが、サオリが、ミサキが、ヒヨリが、アツコが、ミカがどれほど争いから遠ざけようとも彼の向かう場所には必ず流血と憎悪と悲しみで満ちた戦場がある。彼が彼で在る限りその軛から逃れる事はできない。彼女達が遠ざけても別の誰かが、或いは彼自身が彼を戦場へ呼び戻す。
だけど、それでも何もしないのは違う。例え虚しくても、意味が無くても、価値が無くても……何かが成せる以上、救える何かがあるはずだ。虚しさを口にして斜に構える事はしない。全身全霊でこの世界に存在し続ける。この命がある限り足掻き続ける。それが生きる事だと────誰よりも鮮烈に前を向いて、『先生』として生きていた彼の背中から学んだ。
アズサはそっと窓の外に視線を投げて、空を見上げる。いつか見た星空。課外授業と称して補習授業部の皆と見に行った思い出。結局、日が変わって少ししたら全員寝てしまったな……なんて苦笑い。彼女は少しだけ佇まいを正し、喉元の緊張感を呑み込んで意図的に固い声を出す。
「……サオリ、本当に先生に主神の気配を感じたのか? 私は何も……」
『本当だ。ミカも同じことを言っている。アズサ、お前が感じられないのは単純にその手の経験が足りないからだろう』
尤も、あって嬉しい類の経験ではないが。そう言うサオリに賛同しつつ……彼の変調を感じ取れない
『次の定例は3日後の同じ時間だ。何か緊急があれば都度連絡する』
「分かった。サオリも気を付けてくれ……何か胸騒ぎがする」
『……アズサもな』
これ以上共有すべき話題がなかったため、次の予定を取りつけてから少女達は定例報告を終わらせる。アズサは兎も角として、建物外で回収部隊と云う名の監視役がいるサオリはこれ以上長居できなかった。
アズサは画面が暗転したスマホを仕舞い、先ほどと同じように空を見た。深い夜の帳。沈んでしまいそうなほどの暗さを視界に収めながら、少女はポツリと言葉を紡いだ。
「────先生」
その声は、誰にも聞かれる事なく。