シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 お待たせいたしました。本日から第2章スタートです。
 プロットは浜で死にました。



誰かを信じる事(それは盲目でなく)

「信じる、か」

 

 先生はまるでオウム返しのようにミカの言葉を反芻する。アズサを信じてほしい。ミカの眼を見ればその意志に一切の偽りが無い事は明らかで、彼女は本心からアズサを信頼してほしいと言っていた。

 

 無論、改めて言われるまでもなくアズサの事は信じている。アズサだけでなく、補習授業部の生徒全員の事を彼は信じているが……ミカが直接、彼女自身の口からそう伝えた事に意味があるはずだ。例えば、アズサが怪しまれてしまうような行動を取る事がある、とか。

 

 可能性としては十分あり得る。それなりに正確に把握できているミカとの関係、推察に過ぎないがある程度当たりは付けれているサオリとの関係。ミカが話した、知られても構わない情報。それらを踏まえればアズサがこの補習授業部と謂う機構を使って、或いは利用して何かを成そうとしている事くらいは簡単に思い至れる。だが、その先は依然として闇の中だ。これ以上の考察は追加の情報が無ければ数ある可能性の一つの域を出ない。彼は思考を分割させ、再度口を開いた。

 

「信じるとは随分と抽象的だね。アズサに猜疑心を持つつもりは勿論無いけれど……それだけじゃないんだろう?」

「あー、ごめんね。ちょっと色々端折り過ぎちゃったかな? ナギちゃんの悪い癖が移っちゃったのかも。順を追って説明するね」

 

 そう言って、ミカはくるりと回る。翻るスカートとケープには優雅さが満ちていて、彼女は本当にお嬢様なのだと改めて思った。その親しみやすさと天真爛漫さのため忘れてしまいそうになるが、彼女はトリニティの生徒会たるティーパーティーの一人で、パテル分派の長で、普通の人間は中々お目に掛かれないほどの高嶺の花なのだ。

 彼女は上品に笑いながら、しなやかな人差し指を少し先に向ける。その指差す方向にあるのは……少し前に交換したばかりのパラソルデッキ。

 

「ちょっと長い話になるから、あっちの方で話さない? ほら、今日は日差しも強いし、話してる最中ずっと立ちっぱなしなのも疲れちゃうし」

「そうだね、そうしようか」

 

 彼はプールサイドから立ち上がり、少し先まで歩こうとするが……言い出したミカは座ったままだった。期待を滲ませる流し目に一瞬何故と疑問が浮かんだが、即座に彼女の意図を理解した彼は苦笑い混じりの微笑を浮べる。可愛らしい我儘、自分から言うのは恥ずかしいから察してほしいというアピール。或いは、夢見がちな少女性。彼は『らしくないし、きっと自分には似合わない』と自覚的だった。だが、察した上で願いを無下にする事はできないから、彼は彼女の望みを叶える事を選んだ。

 

「お手をどうぞ」

「ふふっ……うん」

 

 言い、ミカはそっと手を重ねて立ち上がる。分かりやすいほどに喜色を称えた笑み、満足そうな横顔。彼女のこの顔が見れたなら、柄じゃない事でもやった価値はあるだろう。ミカをデッキチェアに座らせてからパラソルを開いた彼は『さて、どこに座ろうか』と思っていると……彼女は自分の真横をぽんぽんと叩いた。見れば人一人がギリギリ座れるスペースがそこにはあって、少し迷ったのちに彼はそこに腰掛ける。全く論理性の欠片もない唯の直感、単純に断ったら駄目な気がしたのだ。

 

「うーん、ちょっと暑いね」

「結構近いからね。少し離れようか?」

「ううん、このままが良い」

「……そうかい」

 

 有無を言わせないミカに彼は静かに頷くと、彼女はまた口を開いて。

 

「私はナギちゃんやセイアちゃんみたいに、あんまり頭が良い訳じゃないんだけど……ちゃんと伝わるように頑張ってみるから、何か分かんない事とかあったら遠慮せず聞いてね!」

「うん、お願いするよ、ミカ」

「えへへっ、任せて! まずは……そうだね、うちの学校(トリニティ総合学園)について話そっか。先生はトリニティに対してどんな認識を持ってる? 綺麗とか優雅とか紅茶とか、そういうのじゃなくて学校の成立の背景……みたいなニュアンスなんだけど」

「教義の基盤を同じくした複数の分派が集まってできた、キヴォトスに於ける最大規模の学園」

 

 彼の解答にミカは満足そうに「うんうん」と頷き、持ち込んだメモ帳にペンでさらさらと何かを書き始める。

 

「先生の言った通り、トリニティの一番の特徴は『沢山の分派が集まってできた学校』だって事。パテル(Pater)フィリウス(Filius)サンクトゥス(Sanctus)……この三つの分派がトリニティの中心になったのは前に話した通り。学校がトリニティ(三位一体)って名前になったのも中心にこの分派達があったから……ってのは今は関係ない話かな」

 

 パテルは父、フィリウスは子、サンクトゥスは聖なる。その三つが中心となったから三位一体。一つの本質、父と子と聖霊は3つの位格。神と救世主と聖霊の本質は同じものである────その教義を元にしているからこそ、今のトリニティ総合学園がある。

 

「でも、これは正確じゃないんだ。設立の中心になったのはこの3つの分派だけど、あくまで中心ってだけ。今の救護騎士団の前身に当たる派閥だったり、その救護騎士団のトップのミネ団長がリーダーのヨハネ分派だったり、シスターフッドとかも含めた大小さまざまな派閥が幾つもあるの」

「……内部もかなり複雑なんだね」

「そうそう。トリニティが何で『権力闘争の本拠地』って呼ばれてるか知ってる? トリニティが今の形になる前はしょっちゅう紛争が派閥間で繰り広げられてたからなんだ。同じ教えを元にしてるけど、考え方がちょっと違うだけでお互いを敵視して、対立して、争って、それの繰り返し」

「それはまた、何とも血生臭いね」

 

 実際の争いの規模は書物による伝聞程度にしか残っていない。物理的に血を流すような争いがあったのは確実だが、それがどの程度の規模で起きていたのかは書物を漁らないと記録を得る事は難しいだろう。映像記録や写真記録が発達する前の、数世紀以上昔の事だ。

 

 一つ確実に言えるのは、流された血は決して少なくない事と、様々な工作が行われていた事。伊達や酔狂で権力闘争の本拠地と呼ばれていないのだ。裏工作、交渉、取引……物理的な力ではなく、社会的な力で何かを進めることがトリニティの特徴。今も尚、ティーパーティーや権力に近しい場に残るトリニティ結成以前の伝統だ。

 

「本当にね。少しでも隙を見せれば勢力が削られたり、最悪分派が乗っ取られたりしたらしいからね……そうやって毎日争い続けて、誰かを蹴落として蹴落とされて……でも資源も人材も無限って訳じゃないじゃん? これ以上続けると勢力全体が衰退するって分かったタイミングで、いい加減争いはやめようって各派閥の穏健派とか中立派が中心になって声を上げたの。その動きを上手く掴んで利用したのが────」

「パテル、フィリウス、サンクトゥス……現在のトリニティに於ける三大分派」

「大正解」

 

 ミカは悪戯っぽい笑みを浮べて、言葉を続ける。

 

「元々大きかった派閥達なんだけど、色んな派閥の争い疲れた中立派や穏健派を引き込んだのがターニングポイント。ほぼ全部の勢力が疲弊してるのにも関わらず3つの分派は成長したんだ。それから、ある程度成長し終わったタイミングで三大勢力になったパテル、フィリウス、サンクトゥスは連名で会議開催を全派閥に申し出たの。それが第一回公会議」

「トリニティ総合学園が生まれた切欠、最初の公会議か」

「そう。これ以上の争いは止めよう、同じ教えを元にしているんだから一つの学園になろう……そんな話が主な議題だったらしいよ。この公会議の結果、三大分派は結成される連合における大きな権力を得て、疲弊した各分派は自分達の勢力を立て直す時間を作れたんだ」

 

 トリニティが今の形になる前の、様々な分派が入り乱れる坩堝。同一の教えを基盤としていながらも主義主張が交わらない分派が互いに擦り合わせ、歩み寄り、協議を重ね、漸く一つになる事ができたのだ。困難極まる事だっただろうが、当時の彼女達は成し遂げた。その裏側にどんな意図があったかは関係ない。彼女達は流血を止めたのだ。偉業と呼んで相応しいだろう。

 

「それで今のトリニティ総合学園の原型が出来たんだけど、設立当初はまだ色々と柵があったらしくてね。年々健全化してるけど、今でも分派だった頃の余波が無い訳じゃないの。でも、随分前の話だから、今ではもうそんなの全然気にしてないっていう声の方が多いはず」

 

 例えば、生徒会たるティーパーティーはパテル、フィリウス、サンクトゥスの三大派閥からそれぞれ一人ずつ選ばれるため他の分派からでは立候補すらできなかったり。

 例えば、今の正義実現委員会の前身に当たる治安維持部隊とティーパーティーとの癒着が酷く、謂れのない弾圧を受けたり。

 例えば、有力でない小さな分派に所属している生徒や何処の分派にも所属していない生徒に対する風当たりが強かったり。

 

 平等ではない部分は時代が経つに連れて、分派の影響が弱まるに連れて正されていった。同一分派の結束ではなくトリニティの結束が強くなり、それに伴うように分派間における小競り合いも規模や頻度を落としていく。そうしてトリニティは血で濡れた過去を清算し、『伝統が残るミッション系お嬢様学校』としての地位を確立した。

 

 しかし、全部が全部上手く行ったわけではない。歴史の闇の中で悪と断罪された嘆きは確かに存在した。

 

「でも、その会議は円満に話し合いが終わった訳じゃないの。最後の最後まで一つに纏まる事に反対していた分派があったの。それが────」

「アリウス分派」

 

 あらゆる分派が統合されるはずだった。もうこれ以上の争いはしなくて良いと、漸く銃声を聞かない安全を手に入れられると誰もが安堵した。もう終わりの見えない、何の為かも分からない戦いに身を投じなくても良いと皆がそう思った。

 流血を止め、争いを止め、平和のための最初の一歩となるはずの第一回公会議……そんな甘い夢想(エデン)は1つの分派の拒絶と共に否定された。その融和を拒絶した分派こそがアリウス。第一回公会議の後に闇に葬られた……時代の暗い部分、その象徴。

 

「元は私達と何一つ変わらなかったはずの同胞で、一つの分派。経典に対するちょっとした解釈の違いがあった程度で、結構色々な所が似てたんだって。ちゃんとチャペルの授業もあったし、見た目も殆ど一緒で……それでいて、他のトリニティ生徒と一緒でゲヘナを心底嫌ってた」

「アリウスにしても全くメリットが無い話じゃない。だけど、彼女達は……」

「うん。アリウスは連合を作ることに最後まで反対して……結局、話し合いじゃ解決できないって結論付けて最終的には争いに繋がっちゃったの」

 

 もし、アリウス以外の分派も反対していれば。もし、アリウスの勢力が強大であれば。結末は違ったのかもしれない。だが、アリウス以外に反対派はおらず、アリウスの勢力は然程大きいものではない。有力でもない分派の一つが反対の意思表明をしたところで連合を組む動きに抗う事は出来なかった。

 

 圧倒的なマジョリティの中に生まれたマイノリティ。つい少し前まで血で血を洗う紛争を繰り広げていた間柄。悲劇が起きるための条件は充分すぎるほどに揃ってしまっていた。

 

「連合になって強大な力を持つようになったトリニティは、その大きな力でアリウスを徹底的に弾圧し始めた。アリウス自体、物凄く大きな分派って訳じゃなかったらしいし、相手はアリウス分派以外の全部だから、当たり前だけど勝算なんて無かった。あまりにも大きな力を持ちすぎると、その強大さを確認したがる……なんてのは良くあるお話でしょ?」

「あぁ。それに、集団に於ける心理として、共通の敵があった方が団結しやすい。アリウスは連合となったトリニティの力試し相手として、集団が団結するための礎として……或いは連合に反旗を翻した場合の見せしめとして丁度良いターゲットになった。だけど、それは……」

「虐殺、だったらしいよ。争いとは到底言えない。今までの分派間の紛争が温く見えるほどに、公会議場は血に濡れたの。アリウス分派ってだけで処罰の対象、弾圧に否定的な立場に立っただけで異端扱い」

 

 アリウス分派に所属しているというだけで、一切の区別なく処罰とは名ばかりの一方的な暴力の対象となった。年齢が両手で数えられるようになった小さな子どもであろうが、少し前に入学式を済ませたばかりの新入生であろうが、あとは卒業を待つだけとなった最高学年の生徒だろうが……全て平等に殺戮の対象。

 

 闘争における一つのファクターである暴力には快楽が付随する。ヒエラルキーの上に立ち、下層を蹂躙する獣性。人間だけでなく全ての生命に初めからプリセットされている闘争本能。嫌な言い方をしてしまえば、誰もが誰かを傷つけて悦ぶサディズムを持っているのだ。

 だが、その欲求は表向きには肯定されない。人間には社会というものがあり、直接的な暴力は抑圧される傾向がある。キヴォトスに於いてもそれは同じで、道を歩けば1日1回は銃撃戦に遭遇すると言われている昨今でも、一般的に暴力は善くないもの、肯定されないものだ。

 

 だが、それはあくまで社会性が機能していた場合の話。何らかの要因で社会が機能不全に陥ったり、或いは社会性を捩じ伏せるような何かがあれば────人は簡単に転がる。

 

 第一回公会議で連合は結成したばかり。大小様々なルールは各分派から引き継いだもの以外にも新しく作ったものが多く、把握し切れていない人多かった。

 たった一つだけの反対意見。共通の教義がある同胞であったはずなのだが、たった一つ譲れない教えがあり……それが異端と見做された。

 

 その反対意見を聞いた、連合を提言した三大分派の上層部達は渡りに船だと思っただろう。面白くなってきたとさえ考えたかもしれない。大小様々な分派が入り乱れる連合、その力の大きさは誰も正確に把握していなかった。今の自分達は何処までやれるのか、そんな疑問を抱くのは当然の道理。

 

 だが、力を試そうにも犬猿の仲であるゲヘナや当時キヴォトスに於ける最大規模の学校であったアビドスに喧嘩を売った場合に訪れるのは学校間の全面戦争だ。どんな結末になるにせよ、連合を組む前よりも勢力は確実に弱体化する。漸く一つに纏まった今、その努力を無にするのはあまりにも惜しかった。

 

 そんな時に現われてくれた共通の敵がアリウスだ。アリウスの勢力は1つの分派の域を出ず、どう転ぼうが連合の勝ち戦に変わりない。あくまで内部闘争のため後処理もしやすく、外部や外交に悪影響が出ないように覆い隠すのも容易。加えて、初の連合側の戦いが異端の処罰となればいがみ合う仲にも多少の仲間意識や共通認識が生まれてくれるだろうし……連合を裏切った場合の見せしめにもなる。やらない理由は何処にもなかった。

 

 これは正義である。これは断罪である。これは聖戦であり、聖絶であり、聖抜であり、聖罰である。偽りの教義を持つ異端者を神の名の下に処罰せよ。連合内において異端審問の権限を与えられたユスティナ聖徒会、シスターフッドの前身に当たる彼女達は声高にそう叫んだ。

 アリウス分派は我らを乱す敵であると、大義名分の正義を得た連合はその渇きの赴くままに命を貪った。そして、その果てに。

 

「アリウス分派は……徹底的に潰された。正確な記録は残ってないけど、最低でも8割以上、推定9割のアリウス分派の信徒が弾圧の果てに命を落としたみたい。アリウスを庇った人達も、その多くが……」

 

 今現在、古書館を訪ねようとも第一回公会議後……アリウスの悲劇に関する詳細な情報は残っていない。あまりにも悲劇と憎悪に満ちた惨劇だったから残すのも憚られたのか、それともトリニティの汚点故に記された書物が須く焚書されたのか。その理由は不明であるが、第一回公会議のアリウスに対する弾圧は断片的にしか残っていない。

 

 だが、その断片でも……アリウスの怒りと悲しみと憎しみは察するに余りある。昨日まで一緒に笑い合っていたはずの友人が十字架に掛けられて燃やされ。毎朝挨拶をしてくれた近所の優しい人が見るも無残な『もの』になって捨てられ。庇ってくれた人やこれはおかしいと声を上げてくれた人は磔にされ吊るしあげられていた。

 

 分派の勢力が小さくなるとか、分派が乗っ取られるとか、その程度の話じゃない。文字通り全滅する。アリウス分派が根絶やしになる。そう思い、武器を取り徹底抗戦に入って……状況は更に泥沼化。この泥沼化こそが連合側の狙いだと気づいた時には、全てが遅かった。

 

 異端と審判されたとしてもアリウス分派は同胞だ。一方的な虐殺に世論は賛成を示さない。だが、相手が武器を取り反撃したなら、それは『虐殺』ではなく『戦争』だ。反撃、報復の口実を得た連合は世論を抗戦派に傾けて先よりも更に苛烈な弾圧を加え、それに反発するようにアリウスも抗戦する。

 互いに手段を選ばず、今更引き返す事は出来ない。着地点を探す事も出来ず、唯只管に命を消費する争いは最終的に戦闘員だけでなく非戦闘員をも巻き込んだ戦争に発展した。住宅地への無差別攻撃や学校や教会の破壊……互いの憎悪は留まる所を知らず、暴走した車輪は数多の命を轢殺する。

 

 屍山血河を築き上げ、悲しみと怒りと憎しみを積み上げて残ったのは……僅か十数名になったアリウス分派の生き残りと、内部の粛正により中立派、穏健派の声が小さくなった連合。誰もが平和な時代の幕開けであると確信した公会議は夥しい量の血と屍と怨嗟が降り積もる地獄となった。

 

 ミカはきゅっと閉まる様な胸の痛みを覚えながら、続きの言葉を紡ごうと口を開きかけるが────それよりも先に彼が言葉を発した。

 

「────ミカ」

 

 静かながらも一番届いてほしい人には確かに届く声。穏やかで優しい声音でミカの名前を呼んだ彼は痛みを想い、過去を悼んでいた少女の手にそっと自身の手を重ねて、緩やかに首を振った。

 

「いいんだ。辛いなら無理に話さなくていい。君がそんな顔をしてまで話す事じゃないんだよ」

「優しいね、先生は。でも、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 

 確かにアリウスの件は悲劇だ。多くの悲しみに溢れ、血に塗れ、涙が流れた事だろう。だが、それを想ってミカが心を痛めなければならない訳ではない。冷たい言い方だが、この悲劇はもう過去で、終わった事だ。

 過去の悲劇を忘れない事は確かに大切だろう。過去を悼み、偲び、もう繰り返さないと花を供える事もまた同様に。それ自体は先生も肯定する。

 だが、その過去を自分の罪と思う事は違う。彼女が生まれた時にはもう何もかもが終わっていたのだ。選択権すら与えらず、先達がやった果ての結果と責任を生まれ育ちや身分を理由に背負う必要は無い。ミカの所為ではないのだ。ミカが変えられる事ではないのだ。だから、遠い過去の出来事を生まれた時から背負わなければならない原罪だと思って……心を痛めなくていい。

 

 ミカは彼の言葉を嬉しそうに受け取った。だが、話を止めるつもりは無い。

 

 ────心配してくれている。少しの心の機敏も見てくれている。それだけで嬉しい、本当だよ? でも、この話は自分(ミカ)が話さなきゃいけない事だから。

 

 そう思って、彼女はもう一度口を開いた。

 

「もう分派として機能しない、あとは緩やかな滅びを待つだけになったアリウスだったんだけど……それでも、追撃は止まなかった。連合も自分達の権威が掛かってるから止まるに止まれない状態だったんだろうね。連合はアリウスの残存信徒を追い回して、捕まえては異端審問に掛けて。そうして、もっと沢山の人が血を流した段階で……アリウスは忽然と表舞台から姿を消したの」

 

 ここでアリウスを取り逃がせば連合の権威に翳りが生じる。大きな機構には相応の強度が必要で、結成当初ともなればその重要度は更に跳ね上がるだろう。裏切り者一つを処罰できない機構には誰もついて来てくれない。連合最初の仕事を失敗で終わらせる訳にはいかなかったため、連合は是が非でもアリウスを取り逃がしたくなかった。

 対するアリウスも今更和平や停戦を呼び掛けられる訳もなく、だが何時までも争えるほど潤沢な人材や資源を持っている訳でもない。この段階で取れるのは逃げの一手しか残されておらず、日に日に減っていく分派の人達に誰もが『次は自分だ』と漠然とした不安を抱いて、あと何度夜を越えられるだろうと思いながら日々を過ごしたはずだ。

 

 そんな連合とアリウスの対立はどうしようもない物量差で押し潰され、アリウス分派の消失という形で幕を閉じると思われたが、アリウスの僅かな生き残りは忽然と姿を消した。

 

「表向きにはアリウス分派はトリニティ自治区から追放されたってなってるけど、どっちかって言うと何とかトリニティ自治区から脱出したって言った方が正しいかも。連合が追放処分を下した訳じゃないし、アリウスだって住み慣れた地を離れたくは無かっただろうし。詳細は分からないけど、今もキヴォトスの何処かで隠れて過ごしているみたい」

「そっか……」

「相当激しい戦いだったんだろうね。その後、捜索を掛けても全然見つからないような場所に隠れたみたいで、多分、連邦生徒会ですら未だにアリウスが何処に居るのか分かってないくらいなの」

 

 トリニティとしては表舞台や自治区内から消えたのであれば、カバーストーリーの流布でどうとでもなる。ミカの言うように追放処分を下したと記録に残し、連合としての仕事に戻ったのだろう。成立したばかりの時期だ。やるべき事、やらなければならない事は山ほどあって、僅かな生き残りを根絶やしにするために人材と資源を投入するのは採算が合わないと判断したのだろう。

 

 連邦生徒会としても自治区内の事に大きく干与する事は無く、アリウスに起きた悲劇こそ知っていても、その後にどうなったか……ましてや何処に逃げたのかは把握していない。

 

 そして、アリウスも。これほど苛烈な弾圧と虐殺に晒された記憶があるのであれば、今更表舞台に立とうとは思えないし、ましてやトリニティに戻る事なんてありえない。

 

「そんな事があっても、今のトリニティの生徒にとっては『そんな学園あったっけ?』って感じだと思う。ほとんどはきっと、そんな争いがあった事すら知らない。私達にとって何かを忘れ去るには、何百年は充分な時間だったんだ。そうして表舞台には姿を現さなくなって、今となっては存在の影すら忘れられてしまった存在……それがアリウス分校だよ。白洲アズサは────そのアリウス分校の出身」

「……」

 

 アズサの隠されたものは過去にある。アリウス分校出身、歴史の闇の生きた証人にして後継者。彼女を取り巻く事情はまだ齢16の少女が抱えるにはあまりにも重すぎるだろう。だが、過去は過去。どんなに願っても変えられない────ハナコはそう言っていたし、何より先生もそう思っている。

 

「それで……ナギちゃんが推進しているエデン条約、あれはさっき話していた第一回公会議の再現なの。細部を見れば色々違うし、別に統合されたりもしないけど……別々の方向を向いていて、いがみ合っていた学園が、これからは仲良くしようねって約束。どう? こう聞くとなんだか良いお話に聞こえるよね?」

「そうだね。争い合うより手を取り合った方が私も良いと思うし、流血や痛み、悲しみが減るのは善い事だと思うよ」

「うん、私も同意見。喧嘩ばっかりより仲良くお茶してた方が絶対楽しいもん。でもさ、本当のところはどうだと思う?」

 

 ミカは少し彼の傍に寄り、顔を覗き込んだ。少し湿り気がある冷たい風が吹いて、2人の間を通り抜けていく。丁寧に手入れされたミカの髪から甘い香りが運ばれ、少しずつ解けていくように消えた。

 

 そして、彼の香りであるホワイトリリーも。既に過ぎ去ってしまった遠い世界、ミカが『きっと似合うから』と彼に送ってから、今に至るまでずっと使い続けている……彼女、或いは過去との繋がりを示すもの。白百合(ホワイトリリー)。その透明感は穢れを知って尚、純白であろうとする彼にとても似合っていて。

 

「エデン条約の核心……調印式で締結されたら、先生は何が結成されるか知ってる?」

エデン条約機構(Eden Treaty Organaization)、通称ETOと呼ばれることになる集団。ゲヘナからはヒナを筆頭にしたゲヘナ風紀委員会、トリニティからはツルギ筆頭の正義実現委員会がそれぞれ戦力を出し合い、全く新しい組織が結成される。政治面では万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)、ティーパーティーが担うことになる……私が知っているのは、この程度」

「うん、その認識で大正解。結局、エデン条約って謂うのは、言ってみればある種の武力同盟。トリニティとゲヘナの戦力を合わせた、一つの大きな武力集団の誕生と、それを使った治安維持と武力介入が目的なの。行儀の悪い言い方をしちゃうと、従わない誰かを力で従えて捩じ伏せるためのものなんだ」

 

 エデン条約が果たして和平に繋がるのか。ミカは暗に先生にそう問いかけてた。

 和平、仲良く、手を取り合う。そういう上っ面の良い言葉で誤魔化しているが、結局の所出来上がるのは武力集団だ。力は唯の力、明確な方向性がある訳でもなく、それをどう使うかは使用者に一任される。

 

 両校の治安維持、衝突回避のための武力介入がETOの存在意義であるが、それ以外に使用しないと誰が断言できるのか。誰かが自分の気に入らないものの排除のために、適当な理由をでっち上げてETOを私兵同然のものとして行使しないと……一体誰が保証できるのか。もしかしたらETOの利権を巡って、更なる混迷が齎されるかもしれないのに。

 

 勿論、これらはあくまで想像の域を出ない。作ってみれば案外上手く行くかもしれないし、平和な時間が訪れるかもしれない。だが、その上手く行くかもしれない、と謂うのも想像の域を出ない。結局の所、賽を投げてからしか出目は分からない。

 

 しかし、今までの二校の関係性……憎み合い、いがみ合い、銃口を突きつけ合った歴史を鑑みれば、その先の平和よりもETOを巡る争い方が数倍想定しやすかった。

 

「さっきのアリウスの話と一緒だよ。対立した何かが手を取り合って、一つの大きな武力集団が誕生する。しかも、連邦生徒会長が行方不明っていう、こんな混迷な時期に……ここまで言っちゃえば、勘のいい先生なら分かるよね?」

「……誰かがエデン条約を悪用する可能性がある。従わないものを無理矢理屈服させるための圧力として」

「そう。そして、その誰かさんはきっとエデン条約を何が何でも締結したくて、進めていた人だとは思わない?」

 

 口遊むように言うミカの内側、その感情は読めない。だが、彼女の言葉を文面通りに受け取るとするならば、彼女は────ナギサを疑っている。

 

「そんな大きな力を使って、ナギちゃんは果たして何をしようとしてるのかな? 会長が不在の連邦生徒会を襲撃して、自分が連邦生徒会長にでもなるとか? それともミレニアムっていう新しい芽を摘むとか、アビドスみたいな過去強かった学校を潰すとか?」

「今の連邦生徒会にサンクトゥムタワーを除けば大きな権威は無い。狙う意味は然程無いと思うけれど……」

「それでも、連邦生徒会長はキヴォトスの象徴みたいな立場なんだ。たとえお飾りでも、手に入るなら欲しいって思う人は居るんじゃないかな?」

 

 サンクトゥムタワーは稼働しているし、室長や行政官も通常通りの業務に戻っている。連邦生徒会長の座に居るべき少女が居ないという一点を除けば、その機能の大半が回復したと言えるが……その影響力は地に堕ちたままだ。

 キヴォトス全体を統括していた、なんていうのは過去の話。今の彼女達はサンクトゥムタワーとその周辺を維持するだけで手一杯だ。キヴォトス全体に影響を及ぼす業務はシャーレに引き継がれる形で移行したため、外部との干渉も少ない。彼女達が外部と関わるのは正式な認可を下す時や、キヴォトス全土に関係のある災害等が発生した時のみ。先生の言う通り今現在の連邦生徒会に過去程の権威は無く、ミカの言う通りそんな時に連邦生徒会長に就任したとしてもお飾り以上の意味は持てない筈だ。

 

 だが、それでも────連邦生徒会長の立場はキヴォトスの象徴。欲しい、と思う人が居るのは当然の事だった。

 

「細かい目的は知らないけれど……でも、これだけはハッキリ言えるよ。そんなに大きな力を手に入れたら、きっと自分の気に入らないものを排除する。昔、トリニティがアリウスにしたみたいにね」

 

 力を手に入れた瞬間から誰かを泣かせるものになってしまう。悲劇を生み出す側になってしまう。ミカはナギサにそうなってほしくなかった。

 無論、ミカとてナギサがそうなるとは思っていない。ナギサは優しくて暖かい子だ。でも、だからこそ……補習授業部を犠牲としてエデン条約を生み出してしまったら、その犠牲に報いるように魔道へ堕ちてしまうだろう。彼女は誰かに犠牲を強いて、それを大義の為と言い張って割り切れるような人ではないのだ。かといって犠牲を無駄にできるような為人もしていない。故に彼女は軋む心に鞭を打って、自分は鉄の心を持つ冷酷無比だと言い聞かせて、楽園の殉教者になってしまう。

 

「もう先生も分かってると思うけど、アズサちゃんをトリニティに転校させたのは私。ナギちゃんには内緒でね。生徒名簿とか書類とか、そういうのを全部捏造して、ティーパーティー特権もちょっと使って無理矢理入学させた」

「……何故、と聞いてもいいかい?」

「……アリウス分校は今もまだ私達の事を憎んでいる。私達はこうして豊かな環境で、何の憂いも影もなく生きているのに、彼女達は劣悪な環境の中で『学ぶ』という事が何なのか分からないまま生きている。全部、拒絶しているの。色んなものを全部纏めて、『要らない』って言い張ってる。過去の憎しみが今もまだあの場所で生きているから」

 

 過去を過去と割り切れるのはその過去が終わったと思っている人だけ。アリウスにとってあの弾圧と迫害、虐殺の嵐は今も尚続いているのだ。終わったものではないが故、割り切れるものではない。憎悪と怒り、呪いは募るばかりで、差し伸べられた手を『何を今更、お前達が殺し続けたのに』と振り払う。

 

 その気持ちは、分からなくもない。今もまだ痛くて、苦しくて、辛くて。でも、だからこそ……これ以上は暗い底を歩いてほしくなかった。もう終わりにしてあげたかった。それが、偽善と呼ばれようとも。

 

「……私は、アリウス分校と和解がしたいんだ」

 

 その声は、2人しか居ない空間に響いて解け消えた。

 

「でも、その憎しみは簡単には拭えないほど大きくて……これまでの間に積み上がった誤解と疑念もあまりに多い。私の手に負えないくらいに」

「アリウスの和解について、ナギサとセイアは?」

「ナギちゃんは反対で、セイアちゃんはどうだろ……明確に反対はしていないのかな。ま、でもそれも分からない訳じゃないよ。私達はそれぞれ三大分派の首長で、ティーパーティーだもん。政治とは切っても切り離せない」

 

 自分の一挙手一投足には責任が伴う。トリニティのティーパーティーとは、パテル分派首長とはそういうものだ。ノブレス・オブリージュ(高貴な者の責任)とナギサが時折言っていたがまさにその通りで、ミカの両肩にはトリニティの1/3が在り、パテル分派が在る。数多の特権や立場はそれを齎してくれる誰かのためにこそ還元すべきものであり、故に有事の際には真っ先に矢面に立ち、身を切らなければならない。政治もその一環なのだ。故にどれほど嫌おうとも、その闘争からにげる事は許されない。立ち続ける事、逃げない事こそが、ミカを支える誰かがミカに望む願いだ。

 

「私は不器用だから、そういう政治とかはちょっと得意じゃないんだけど……でも、また今から仲良くするのってそんなに難しいのかな? 前みたいにお茶会でもしながら、お互いの誤解を解くことはできないのかな?」

「……それは」

「うん、分かってるよ。口で言うのは簡単だけど、実際はそんな単純じゃない。だって、アリウスの子達は今もまだ地下で昏い太陽を眺めてるもん。終わった事、過ぎた事じゃない。あの子達にとって、第一回公会議の戦争と迫害は続いてる」

 

 夢物語。空に描いた夢想の絵画。それが実現できるか否かを問われた時、彼は続きの言葉を呑み込んだ。それは自身の領分を超える行為だと思ったから。

 彼はキヴォトスの生命ではない。此処で生きていた訳でもなく、数か月前に()()しただけの異邦の有機生命体。過去には関われないし、口を出す権利も無い。この過去を左右できるのはトリニティで生きる今の命達と────霞む太陽で生きてきたアリウスの生徒達だけだ。それ以外の誰にも口を挟む事は許されない。

 

 だが、それでも、先生は肯定してあげたかった。必ずできると背中を押してあげたかった。だって、この身も子どもじみた理想の為に今も尚走り続けているから。いつか、皆が花束を抱えて大輪の笑顔を咲かせてくれることを希っているのだ。ミカの願いを、理想を────彼は肯定する。決して届かない星に手を伸ばす者として。未来の為に足掻き続ける者として。

 

「私はアズサちゃんに、アリウスとトリニティの和解の象徴になってほしかったの。アズサちゃんはアリウスの中でも五本指に入るくらいには優秀な生徒だから、懸け橋としては申し分ない。あの子がトリニティでちゃんと笑えているなら、他のアリウスの子だってきっと笑えるはずだから」

 

 アリウスの生徒が、トリニティで笑う彼女を見て。そして、『この世界もそんなに悪くないのかも』と思ってくれれば。

 

「ナギちゃんを説得して、ちゃんと正式に進めるって手段もあったかもしれないけど……一から手順を踏んでたらアズサちゃんの入学が年末くらいになっちゃいそうだったし、ナギちゃんはそういうの多分聞いてくれないし、私が全部進めちゃった。それに、エデン条約が締結されたら……その時はもう今度こそ本当に、アリウスとの和解はできなくなっちゃう。だから、どうにかその前にアズサちゃんの入学だけは捩じ込みたかったの」

 

 エデン条約の締結後にトリニティとアリウスが和解する、となればそれは二校だけで完結しない。間違いなくゲヘナにも影響がある。

 そも、エデン条約はゲヘナとトリニティのパワーバランスが対等である事を前提に成り立っているのだ。和解だけならばまだいいが、二校が融和し合併するとなればゲヘナも黙っていられない。確実に否を出すだろう。

 

 だから、そうなる前に。トリニティがエデン条約に縛られていない今の段階でアズサという前例を楔として打ち込む必要があった。

 

「アリウスの生徒がトリニティでもちゃんと暮らしていけて、幸せになれるんだって……皆に証明してみせたかったの」

 

 そう言って、ミカは遠くを見つめながら笑った。

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