シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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祈り、捧げ

 ミカと交わした会話を一旦袋小路に叩き込み、思考をクリアホワイトに染め上げる。彼女から告げられたこと達は考えなければならない事であるが、それは今ではない。此処に居る彼は補習授業部の顧問で、彼女達の勉強の手助けをするのが仕事だ。これ以上席を外したり、職務怠慢をするわけにはいかない。

 

「あ、先生! おかえりなさい!」

 

 教室のドアを開けた時に出迎えてくれたのはヒフミの笑顔だった。勉強の最中は成績の事等があり比較的暗い顔をしている事が多かった彼女であるが、今の彼女にそういった暗さは見受けられない。寧ろ逆で、何処か嬉しそうな……希望が見つかったような顔。何かあったのだろうか、と思いつつ見渡すと教室にはヒフミ以外の少女も全員揃っていて、彼女達も「おかえりなさい」と手を振っている。

 

「遅くなってごめんね、皆」

「いえいえ。先生が忙しいのは存じていますので、お構いなく……あ、そういえば何方に行かれていたんですか? どうやらプールの方から戻って来られたようですし……」

「んー……来客対応、かな。お忍びで来た子だから人目に付きにくいプールの方で話してただけだよ」

「あらあら……お忍びで来た方とプールで逢瀬を重ねた、という事ですか♡」

「な、何でそんな言い方するのよ!? もっと普通の言い方すれば良いじゃん!」

 

 ハナコの言っている事は強ち間違いではないが、それでも言い方があるだろうとコハルは椅子を跳ね除けながら立ち上がる。その勢いでオーバーサイズの制服が僅かにずれ何かの肩紐が露になれば、コハルは顔を真っ赤にさせながら急いで整えて……気丈にもハナコを睨み付けた。自爆のとばっちりを受けた様な気がするハナコは苦笑いを浮べつつ、もう少し揶揄ってみようかと口を開きかけるが……それよりも先に先生が掌を打ち鳴らした。

 

「ま、この話はこれでお終い。あまり大っぴらに出来ない事だから深く探らないでくれると助かるよ……皆を放って席を外していた挙句にこんな為体でごめんね」

 

 彼は「お詫びに今度何か買ってくるよ」と苦笑い混じりに付け足せば、空気がクールダウンする。今の時間は休憩時間とはいえ、勉強と勉強の隙間時間。羽目を外しすぎるのは良くない。その上、休憩を開始してからもう直ぐ10分が経過しようとしていた。もうそろそろ勉強の方に戻った方が良いだろう……ヒフミはそう思い、意識を真面目な方向に切り替え……とても喜ばしい事を報告しようと息を吸った。

 

「先生、見てください! 先生が席を外している間に、準備した模擬試験を受けて採点したんです!」

「あ、もう先に済ませてくれたんだね。ありがとう。結果、見せてもらってもいいかな?」

「はい、勿論です!」

 

 そう言い、ヒフミは4人分の解答用紙を教壇に横並びにする。そこに視線を落とせば前回、前々回とは一線を画すような点数が並べられていた。

 

 第二次補習授業部模試、結果。

 

 阿慈谷ヒフミ────64点、合格。

 浦和ハナコ────8点、不合格。

 白洲アズサ────58点、不合格。

 下江コハル────49点、不合格。

 

 合否の結果だけを見れば、第一次特別学力試験や第一次補習授業部模試と変わらない。ヒフミだけ合格で他の3人は不合格、全体の判定としては不合格。だが、その内情は異なる。合格ラインには届かないながらも飛躍的に点数が伸びた生徒が居るのだ。

 

「……紙一重の差だった。あの二択を外したのが悔やまれるな」

「はい! 今回は本当に紙一重でした! アズサちゃん、本当に惜しかったです……!」

 

 前回の試験からプラス18点、一気に合格ラインに近づいたアズサは少しだけ誇らしそうにしながら、だが確かな手ごたえがあっただけに悔しさもひとしお。二択まで絞り込めたが、最後の最後で外してしまった。それさえあっていればギリギリではあるが合格できたのに。だが、その悔しさを吹き飛ばすようにヒフミが喜べばアズサの頬も綻んだ。

 このままのペースで点数が伸びれば、数日先に控える二回目の本番では合格点を越えられるだろう。

 

 そして、点数が伸びたのはアズサだけではない。

 

「ヒフミ、先生! 見て! 私も結構上がったよ!?」

「うん、コハルもよく頑張ったね。点数の伸び率では一番じゃないかな?」

「はい! 勿論確り見ました! コハルちゃん、前回から30点以上も上がってます! 伸びしろでは一番です!」

「ふっ、ふふーん! 言ったじゃない、本当は実力を隠してたんだって!」

 

 先生とヒフミに褒められたコハルは満面の笑みで胸を張る。点数としては49点、60点にはまだ少し距離があるが、彼女の当初の点数から比較すると一気に目的地に近づいたと言える。前回との差分は34点、恐らく今まで重ねてきた努力が花開きつつあるのだろう。彼女もこのまま順当に点数を伸ばせば合格ラインに充分届きそうだ。

 

「そして、えっと……ハナコちゃんは……」

「あら? ヒフミちゃん、どうしてそんなに声量が下がってしまうのですか?」

 

 そして、ハナコ。点数が伸びた2人の少女達と異なり、彼女は未だ点数が低空飛行気味だ。何せ、まだ一桁代を突破出来ていない。一応、順当に点数は上がっているがその上昇幅は微々たるもので、これでちゃんと試験を突破できるのかと思ってしまう。見下ろした点数に先生も苦笑気味だ。

 

「最初の試験が2点、次の模試が4点、今回は8点ですよ?」

「えっと、その、点数は確かに上がってるのですが……あうぅ……」

「でしたら次は16点、その次は32、さらに次は64……ほら、あと3回で合格圏内に届くはずです♪」

「そ、そう考えたらそうかもしれませんが……」

 

 最早テストで遊んでるとしか思えない発言にヒフミは困惑を返す。冗談で言っているのか本気で言っているのか分からないのが質が悪い。ハナコの点数は初項が2、公比が2の等比数列と見做せ、nを試験回数とすると確かに5回目で64になるため合格点を超えるが……果たしてそれで良いのか。

 

「……興味本位で聞くんだけど、64点を取った後にもう一回試験受けたらどうなるんだい?」

「算術オーバーフローでnullを返します♡」

「0ですらないんだね……」

 

 先生は『これが浦和ハナコ.exe……』と至極どうでもいい雑念を抱きつつ、少女達を見やる。各々の上昇幅は兎も角として、成績が上がったのは全員共通。喜ばしい事であり、良い傾向だ。

 

「うん、皆よく頑張ってるね。これなら第二次特別学力試験は大丈夫そうだ」

「はい! この調子でしたら、思ったより早く目標に届くかもしれません……!」

「必ず任務を達成し、モモフレンズのぬいぐるみを受け取ってみせる。それが私が此処に居る理由であり戦う目的だ。待っていてくれ、スカルマン……!」

「あ、アズサちゃん!? 私達が此処に居る理由は試験と勉強であって、目的は落第を回避する事ですよ!? 目的がすり替わっちゃってます!」

「ん? あぁ、それもあったな。問題ない。それもやるつもりだ。私に抜かりはない」

「あうぅ……も、モモフレンズファンとしては嬉しくもあるのですが、これで良いのでしょうか……?」

 

 同じ趣味を共有できる友達が増えたのは嬉しいが、これで良いのだろうか。戸惑いの表情を浮かべるヒフミに対して、アズサは何処までも真剣であった。あのぬいぐるみを何としてでも手に入れたいと謂う気概を感じさせる。動機は兎も角としてやる気なのは良い事だ。先生はふわりと微笑み、少女達も苦笑いを零して────そこでふと、電子音が鳴り響いた。

 

「……?」

「むっ」

「あら?」

「インターホンの音?」

「みたいだね」

 

 正面玄関に備え付けられているインターホンが押された音に少女達は眼を瞬かせ、疑問符を浮べる。初日に機能が生きている事を確認したが、この施設の利用者は補習授業部の少女達と先生のみで、先生は兎も角として生徒達の外出は制限されているのが現状だ。故に玄関を外から使うのは食材等を搬入する業者か、来客の二択。だが、生憎とどちらも心当たりはない。伝え聞いていた来客はミカだけだったはずだ。彼は壁掛けの時計を眺めるとその時刻は昼食時で、来客にしては少々珍しい時間だ。

 

「どなたかいらっしゃったようですね?」

「そうですね……先生、何か心当たりは……?」

「んー……食材も発注してないし、設備の修理も頼んでないから、私は特に。皆も無さそうだね」

「となると、どなたでしょうか? この合宿所にどんな用事で……」

 

 頭に疑問符が浮かぶ。誰も知らないとなればアポなしの来客である事は自明だ。であれば、誰が何の目的で来たのだろうか。皆が心当たりを探っている最中、彼はふと思い出したかのように「あっ」と声を上げて……アズサの方を見た。

 

「……アズサ、一応聞くけど……」

「あぁ、無論大丈夫だ」

 

 自信満々なその声に胸を撫で下ろしたのは束の間。

 

「侵入者対策のトラップの準備は出来ている」

「ご冗談でしょう、アズサさん……」

 

 先生が苦笑い混じりに呟けば、ヒフミが物凄い顔をしながら勢いよく振り返った。トラップの準備は出来ている? 設置場所は? もしかして正面玄関? それともロビー? 

 この合宿所に裏口や別口の類はない。故に外部と繋がっているのは正面玄関のみで、正面玄関はそのままロビーと直結している。故に外から誰かが来る場合、必ず玄関とロビーの二か所を経由しなければならない。そんな場所にトラップを仕掛けたのならば……結果は火を見るよりも明らかだ。

 

『お昼時に申し訳ございません。あの、どなたかいらっしゃいますか?』

「あら、この声は……?」

 

 インターホンに備え付けられたマイクから聞こえてきた声にハナコが反応し、先生も玄関の向こう側にいる人物に当たりをつけた直後。

 

『失礼いたします────へっ……? きゃあッ!?』

 

 そっとドアを開け、ロビーに足を踏み入れた少女を盛大に出迎えたのはアズサお手製のトラップ達。それは少女に悲鳴を上げさせるのに充分すぎる威力を保有しており、ヒフミの顔はさらに青褪め、コハルは甲高い声に肩を跳ねさせ、ハナコも驚きを覚え……アズサは一人達成感に満ちた表情。とても来客をトラップに嵌めた後の表情とは思えない。

 

「よし、上手く動作したみたいだな。殺傷力のない簡易的なブービートラップだが、これはこれで悪くない。金属探知に引っ掛からないし、隠密性も高い」

「アズサちゃん!? 先生に言われて撤去したんじゃないんですか!?」

「あぁ、全て撤去した。だが、侵入者対策を一個も仕掛けないのは良くないから、数を絞って再設置したんだ」

「だからって玄関に設置したらダメでしょ!?」

 

 達成感に満ちたアズサに正論を浴びせるヒフミとコハル。正面玄関は皆が使うスペースで、利用する頻度もそこそこだ。侵入者もこのルートを使うとは考えにくかったが、その思考の裏を読まれる可能性をアズサは捨てきれなかった。故に少女は人知れずトラップを仕掛け、誰かが利用すると分かっていた時は手動で解除していたのだ。手間ではあったが、これにより正面玄関は盤石になり、事実侵入者を探知する事ができた。

 それなのに何がいけなかったのだろうか。常在戦場を徹底しているアズサは疑問符を浮べる。

 

『こ、これは一体……? え、あ、こっちにも……!?』

「逃げても無駄だ。逃げる方向を予測して、その先にもちゃんと仕掛けてある」

「アズサちゃんッ!?」

 

 アズサのスマホに次々と入る通知はトラップの動作履歴。侵入者はアズサの予想した逃走ルート通りに動いてくれていて、フルコースを味わっている最中だった。煙幕が動作し、手足を縛るロープが少女の肢体を絡め取る。通常、悪い視界の中突然手足の自由を奪われたら誰もがパニックになり、この時点で捕縛という目的は充分達成できているのだが……アズサはまだ、止まらない。このトラップを仕掛けた際の仮想敵は戦闘訓練を受けてきたプロフェッショナル。故に最後の一押しが存在する。

 

『あ、あの!? どなたか助けていただいても……きゃあああッ!?』

「よし、捕縛用のネットに引っ掛かったな。全員、銃を取って。ネットの強度は問題ないはずだが、相手が特殊な装備を持っていたら突破される可能性がある。侵入者が逃げる前に制圧しよう」

 

 そう言い、素早い身のこなしで銃とガスマスクを片手に駆け出していくアズサ。白翼を携えた背中が遠ざかっていく光景を半ば茫然としながら見送る少女達。そして、ヒフミは青褪めた顔で先生に縋るように。

 

「あ、えっと……あうぅ……せ、先生……」

「……私達も行こうか」

 

 

 ▼

 

 

「けほっ、けほっ……けほっ……」

「だ、大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」

「は、はい。私は大丈夫です……皆さんもご無事で何よりです……けほっ」

「無事っていうか、私達は仕掛けた側だからね……」

「そうですねぇ……」

 

 ハナコと先生の良心がゴリゴリと音を立てて削れてゆく。理不尽なトラップのオンパレードに見舞われながら、それでも尚此方を心配してくれている彼女。だが、悲しきかな。彼女が心配しているのはトラップを仕掛けた側なのだ。

 

 コハルがロビーの窓を全開にしてくれているのもあり、煙幕に包まれた空間が少しずつ鮮明になる。少女は手足をがっちりロープで拘束され身動きを取れない状態、その上でネットに包まれて宙吊りになっていた。その拘束を何とか抜け出そうと身を捩るが、目の前に人が立っているのを感じ取った少女は何時もの穏やかな笑みを浮べ、祈りの言葉を紡ぐ。

 

「きょ、今日も平和と、安寧が……けほっ、けほっ……あなたと共に、けほっ、ありますように……」

「先ずはご自身の安寧を心配してください!?」

 

 手は組めないし姿勢も相応しくないが、せめて言葉だけでも……そんな健気な思いを感じさせる彼女に思わずヒフミは声を上げた。この状況で他人を心配するのは人が出来過ぎているというか、その優しさと善性で損をしていないか逆に此方が心配になってしまう。

 

 開けた窓から入り込んだ風が煙を攫い、視界が更に鮮明になれば……煙幕に包まれていた少女の姿が露になる。トリニティの校章が入った、黒色の制服。一般の生徒が着用するものではなく、かといって正義実現委員会のものでもないこの制服はシスターフッドの修道服。ぴこぴこと揺れる耳と鮮やかなオレンジの髪が特徴的な少女……マリーを見てハナコは驚いた表情を浮かべた。

 

「あら、マリーちゃんじゃないですか。お久しぶりですね」

「あ、ハナコさん……」

 

 見知った顔にマリーの顔も綻ぶ。そして、そのまま周囲を見渡し……一番奥に立つ、少女達より頭一つ分以上高い背丈の見慣れた大人を視界に収めた途端、その顔を驚きに染めた。

 

「せ、先生!? も、申し訳ございません、こんな姿でお目にかかってしまって……」

「いや、それは全然いいんだけど……あ、スカート捲れちゃってるから少し失礼するね」

「えっ!? あ、ありがとうございます……」

 

 顏を真っ赤にして俯き、花を揺らすようなか細い声で呟くマリーに近づき、先生は後ろに手を回す。可能な限り体に触れないよう細心の注意を払い、スカートの裾を優しく引っ張った。恐らくネットに引っ掛かり、捲り上がってしまったのだろう。後ろを見ないようにしていたため分からないが、捲れていた布の長さから察するに太ももから下の部分は出てしまっていたと思われる。体操服ですら『肌の露出が多くて恥ずかしい』と思う彼女にとって、スカートが捲れてしまっている状態は気が気でなかったはずだ。

 

「……彼女が侵入者?」

「どっからどう見てもお客さんでしょ!? 銃を構えちゃダメ!」

 

 ガスマスク姿で銃を構えるアズサは一人状況を呑み込めていない状況。取り敢えず銃を構えているが、それもコハルが前に立ち塞がった事により下ろされる。「撃っては駄目か……」と少ししょんぼり気味。

 

「誰かナイフとか刃物を何か持ってないかな? できればよく切れそうなの」

「持っているが……良いのか?」

「うん、彼女はお客さんだからね……ごめんね、マリー。すぐ下ろすから、あとちょっとだけ耐えてほしい」

「は、はい……ありがとうございます……」

 

 アズサから差し出されたサバイバルナイフを受け取った先生は『さて、どこから取り掛かろうか』と思案顔。此処にマリー救出作戦が始まった。

 

 

 ▼

 

 

「はい、お水」

「あ、ありがとうございます、コハルさん」

 

 マリー救出作戦が開始されてから約10分後。無事に拘束から脱出した彼女は教室の方に通され、コハルから受け取った水を両手で受け取り、こくこくと喉を小さく鳴らして飲んでいく。コップに注がれた水の嵩が大体2/3ほどになると彼女は縁から口を外し、「……ふぅ」と一息を吐いた。修道服を整えた彼女は穏やかに微笑み、皆の方を向く。その笑みは正にシスター然としているものであったが、僅かに紅潮した頬と疲労、困惑は隠せていない。

 

「……びっくりしました。入った途端に煙が出て、何かが作動して……逃げようとしたらいつの間にかあのような事に……」

「本当にごめん。気付かなかった私の責任だ」

「い、いえ、そんな……どうか頭をお上げください」

 

 本当に申し訳なさそうに頭を下げる彼にマリーはあたふたとする。状況を呑み込めていない彼女から見れば彼が頭を下げる理由なんて無いのだが……彼女が引っ掛かったトラップはアズサが仕掛けたもので、アズサがやった事に対する責任の所在は彼にある。大人として、一人の人間として頭を下げるのは当然の事だ。

 

「……アズサちゃん」

「……」

 

 その光景を見て、ヒフミはアズサにそっと耳打ちをする。彼女にしては珍しい少しだけ圧のある声。何を求められているのか察したアズサはマリーに対して頭を下げた。

 

「ごめん、てっきり襲撃かと思った」

「え、えぇっと……? な、何だかよく分かりませんが、幸いにも大きな怪我もありませんでしたし、お気に病まないでください」

 

 そう言い、この件を全て水に流してくれるマリー。優しいというべきか、それともお人好しというべきか。相変わらず彼女は自身に何かが降りかかっても余程の事が無い限り笑って許してくれる。その優しさに甘えないようにしなければ、と先生も気を引き締めた。先ずはマリーが帰ってから全てのトラップを撤去しよう。

 

「と、ところでどうしてシスターフッドの方が此方に……?」

「あ、それはその……此方に補習授業部の方々がいらっしゃるとお聞きしまして……」

 

 マリーは「ただ」と一旦区切り、少し言い難そうに言葉を紡ぐ。

 

「ハナコさんが此処にいらっしゃるとは存じておりませんでしたが……」

「……私も、成績が良くないので」

「そう……でしたか。はい……」

 

 何処か影を含ませたように微笑むハナコにマリーは下唇を噛んで俯いた。マリーの所属はシスターフッド、一時期ハナコを引き込もうとしていた場所。トリニティの才女と呼ばれていた彼女と、そこから逃げるように去っていった彼女……その何方もマリーは知っていた。知っていたからこそ……こんなにも、苦しい。

 2人の間に流れた微妙な温度感の空気を見かねて……という訳でもなく、単純に接点の無さそうな2人が顔見知りだった事に少し驚きながらコハルは問いかける。

 

「ハナコ、知り合いなの?」

「えぇ……少しだけご縁があって、と言いますか……それより、マリーちゃんは私を訪ねて、という訳でもなさそうですね。補習授業部にどういった用事で?」

「えっと、はい」

 

 ハナコの言葉を受け取ったマリーはコップから手を離し、背筋を正す。その視線の向く先は……白洲アズサ。

 

「本日は補習授業部の白洲アズサさんを訪ねて此方に参りました。伺ったところ、此処にいらっしゃるとお聞きしまして」

「うん? 私に?」

 

 名前を呼ばれたアズサは意外そうな顔をしながらマリーを見る。2ヶ月ほど前に転入してきたばかりのアズサにトリニティ内の知り合いの数は然程多くなかった。マリーとも初対面であり、トラップを仕掛けた側と引っ掛かった側以外の関係性はなく、当然ながらシスターフッドに面識のある人物はいない。生憎と彼女が訪ねてくる理由なんて皆目見当がつかなかった。

 

「はい。実は、先日アズサさんが助けてくださった生徒の方から、感謝をお伝えしたいとの事でして。諸般の事情によりご本人からではなく、私が代わりにお伝えに参りました」

「感謝……? すまないが、感謝される覚えが無い。別の人と間違えていないだろうか?」

「いえ、白洲アズサで合っていますよ。ただ、アズサさんにとっては当たり前の事をやっただけなのかもしれませんね。ですが、それで救われた方がいるのです。どうか、その方の感謝の気持ちを受け取ってください。アズサさんの行動は生徒の方にとってとても有難い事だったのですから」

「……そういうものか?」

「はい、そういうものです」

 

 疑問符を浮べるアズサにふわりと微笑むマリー。そこまで言われてしまうと、話を聞かずに『人違いだ』と決めつけて突っぱねるのも申し訳なくなり、取り敢えず話を聞く姿勢に移る。だが、感謝されるようなことをやった覚えなんてないため、アズサの頭の中は疑問符で一杯だった。

 

「此処からの話はどうかご内密にお願いします。ご本人からお話しする許可は頂いていますが……あまり気分の良いお話ではありませんので」

 

 マリーは一言そう断り、視線を送ると皆は静かに首肯。安心したように語り始める。

 

「クラスメイトの方々からいじめを受けてしまっていた方がいらっしゃいまして……その日もどうやら突然、建物の裏手に呼び出されてしまったのだと聞きました」

「そ、そんな事が……」

「いじめ……ッ!?」

 

 マリーから告げられた言葉に声を上げる補習授業部。

 ヒフミは驚きと戸惑い。まさか自分の居る学び舎でそんな事が起きているなんて知りもしなかったのだ。周りにいる人達は皆優しかったからこそ、その衝撃は大きく……戸惑いも同じくらいにあった。

 対して、コハルは驚きこそすれ困惑はしていない。彼女は正義実現委員会、自治区内の治安機構の所属であればその手の話を耳にする機会は当然ある。だが、耳にするから慣れたかと問われれば……否だ。いじめは良くない事だと、彼女の正義が怒りを訴える。

 

「……まぁ、聞かない話ではありませんし、珍しい話でもありませんね。皆さん狡猾に、陰湿に行うせいで表に出てきにくいだけで、その手の話はトリニティ内部ではありふれています」

 

 そして、誰よりも冷静だったのは悲しそうに眼を伏せているハナコだった。

 心苦しいが、社会性と知性を持つ集団である以上この手の行為は無くならない。特に権力と策謀が渦巻くトリニティに於いては表沙汰にならないだけで、少し裏を見れば程度の差はあれどいじめやそれに類する悪質な行為は有り触れている。

 直接的な暴力……例えば服で隠れてしまうような場所に弾丸を当てたり、灼けた銃身を押し付けて火傷の痕を作ったり、或いは膂力にものを言わせて殴ったり蹴ったり。そういった分かりやすい行為に発展する事は少ないが、文房具やテキスト、体操服、水着といった個人の所有物を隠したり捨てたり、落書きしたり。或いは仲間外れにしたり、集団で特定人物の陰口を言ったり、無視したり、距離を置いたりなど……このような行為は横行してしまっている。

 

 トリニティは幾つもの分派が合わさって生まれた学校だ。その中には仲が良い分派もあれば仲の悪い分派もあり、そういった分派間の関係性によって衝突が生まれいじめに発展するケースもあれば、分派の中の序列やカースト、立場によって生まれるいじめもある。所属している集団によって差はあれど権力等に関わる所は大体似たような状況であり、トリニティの成立や校風、伝統に密接に関わる部分であるため今すぐに解決できるような事ではない。根が深い問題なのだ。

 

「────」

 

 マリーの視線の先、口を噤む先生の瞳には冷たい色。純白は冷気を連想させるほどに凍てついていて、何かを呑み込んでいるように見える。如何なる感情をそこに籠めているのかは不明だが……決して良い類のものを抱いていない事は眼に見えて明らかだ。彼がこのような行為を好むとは全く思っていない。きっと心を痛めて、悲しみ、誰よりも怒っているだろう。そうやって誰かを想うだけで救われる何かがあると、マリーはよく知っていた。

 

「私達も、その方から相談を受けて漸く知ったのですが……そうして呼び出されてしまった日……そこを偶然通り過ぎたアズサさんが、彼女を助けてくださったとのことで」

「そ、そうなんだ……」

「……そういえば、そんな事もあったな。ただ、数にモノを言わせて弱い対象を虐げる行為が目障りだっただけだ」

 

 アズサは少しぶっきらぼうにそう言う。彼女が件の生徒を助けたのは正義感や義務感、倫理観ではない。単純に目障りで、気に食わなかったから銃口を向けたのだ。別に誰かを助けようと思ったわけではなく、助けたのは結果に過ぎない。だが、その結果だけで充分だったのだ。少なくとも助けられた少女にとっては。

 

「そしてその後、アズサさんに怒られた方が正義実現委員会と連絡を取られて……どこで情報が湾曲されたのか分かりませんが、何やら正義実現委員会とアズサさんの間でそれなりの規模の戦闘に発展してしまったとか……」

「確かアズサちゃん、初日は正義実現委員会に……」

「捕まっていましたねぇ」

 

 記憶に新しい補習授業部の初日。アズサはハスミとマシロに連行されて正義実現委員会の部署に来ていた。アズサが正義実現委員会を相手に大立ち回りしていた戦闘が此処に繋がるのか、と謎が一つ解けた心持ち。

 

「アズサさんが催涙弾の倉庫を占拠し、正義実現委員会の方々を相手にトラップを駆使して3時間以上戦い続けたと……」

「やっぱりあの時の事じゃん……アズサ、あんた何やってんのよ……」

「当然だ。何がどうであれ、売られた喧嘩は買う。あの時も弾薬さえ切れていればもっと長く戦えたし、あれ以上に道連れも増やせたのに……改めて思うと、惜しかったな」

「あ、あうぅ……」

 

 アズサとの戦闘によってどれほどの損害が出たのかは分からないが、少なくとも10人や20人ではない。戦闘のプロである正義実現委員会を相手にたった一人でそこまで立ち回れただけでも凄まじいのに、彼女は弾薬さえあればもっと行けたと言っているのだ。あの時は弾薬が切れたのもさることながら、マシロを仕留め損なったのが何よりの痛手だった……と脳内で一人反省会。彼女を倒せていれば、或いは……と思うが後の祭り。あの時の自分は捕まったのだから。その敗北は覆せない。

 

 そんな反省が行われているとは露知らず、ヒフミは引き攣った顔で笑みを浮べていた。色々と物騒過ぎる、と。

 

「それで、その方が報告も兼ねて私達の元に訪れてくださり、アズサさんに感謝をしたいと……ですが、学園内では見つけられず、補習授業部に参加されてることを耳に挟み、此処に辿り着いたという次第です」

「……そうか、事情は分かった。別に、特別感謝されるようなことじゃない。結局私も最終的には捕まった訳だし」

「こ、後半は関係ないと思いますが……」

「それに、あの事態は気の毒だけど、いつまでも虐げられている現状は駄目。それが例え虚しい事であっても、抵抗し続けることを止めるべきじゃない」

「……そうかもしれませんね。はい、あの方にもそうお伝えします」

 

 アズサが真剣な表情でそう口にすれば、マリーは言葉に込められた意味を噛み締めて一礼する。今回はアズサが助けてくれたが、次もそうとは限らない。マリーも可能な限り気に掛けるが、それでもずっと一緒にはいられないだろう。一人の時でも抗えるようにするべき……その願いをマリーは確かに受け取った。

 

「アズサさんは暴力を信奉する氷の魔女……だなんて噂がありましたが、やはり噂は噂ですね。こんなにも優しい方が冷たい筈がありません」

「ふふっ、それはそうですが、アズサちゃんには意外と『氷の魔女』らしいところもありますよ? ほら、他の方からするとちょっとだけ表情も読みにくいですし」

「むっ……そうか? これでも表情には出しているつもりだったが……まだまだだな。精進しよう」

 

 アズサがどこかずれた所感を口にすると少し空気が和らぎ、皆が笑みを浮べる。するとマリーは何か思い出したかのような表情を浮かべ、バッグの中を弄り……缶を一つテーブルの上に置いた。

 

「あら、これは?」

「お茶菓子です。ボランティアのお礼でいただいたものですが、私達だけでは食べきれず……もしよろしければ受け取ってください」

「ありがとうございます、マリーちゃん」

 

 受け取ったハナコはお礼を言い……それから良い事を思い付いたように言葉を紡ぐ。

 

「マリーちゃんはお昼ご飯は食べましたか? もし食べていないのでしたらご一緒したいのですが……皆さんはどうでしょうか?」

「えっと、お誘いは嬉しいですが……皆さんのご迷惑になるのは────」

「はい、勿論です!」

「うん、問題ない。賑やかなのは良い事だ」

「わ、私も大丈夫……」

「私も大歓迎だよ」

 

 遠慮しがちなマリーが断りの言葉を言うよりも前に全員が返事の声を上げる。反対意見なんて皆無、寧ろ全員歓迎ムードだ。誰も迷惑なんてしていないし、折角だからもう少しマリーと話したいと思っている。

 

「ふふっ、マリーちゃんはどうですか?」

「……ご迷惑でなければご一緒したいです」

 

 そう言い、マリーはどこか嬉しさを滲ませる表情で微笑んだ。

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