シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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深夜、月明かりの三人

 

「……成程。そういう事だったのですね」

「……はい。本当に、全員退学なんです」

「いえ、お二人を疑ってはいません。ただ、信じ難い事だっただけで……それにしても、全ての試験で不合格であれば全員退学……この仕組み自体そもそもおかしいですが、シャーレの超法規的権限があれば可能ですね」

 

 補習授業部の裏の事情……裏切り者に関するもの以外のすべてを先生とヒフミの口から聞いたハナコは思考を巡らせる。

 元々怪しい話だとは思っていた。規定に存在しない程に時期尚早な補習授業部の設立。それに誘致されたシャーレの先生。テストを受けるのは個々人であるにも拘らず、卒業条件は全員が基準を満たす事という不合理が過ぎるもの。怪しめる証拠は充分すぎるほどに揃っていて、実際ハナコも当初は推理自体はしていたのだが……現実と謂うのは自身の想像の先を行くものだと突き付けられた気分だ。まさか不合格の先に待っているのが全員の退学なんて思ってもみなかった。

 

「補習授業部の発足を理由に先生を誘致したのではなく、補習授業部にシャーレの権限を使ったから先生を顧問として雇った。先生はこの話が来た段階で断る選択肢を剥奪されていたんですね。断ればシャーレの権限を理由に、先生の関与できない場所で各校の生徒会や有力な集団が勝手を出来る前例を作ってしまうから。さしずめ、シャーレが人質、という訳ですか」

 

 先生はシャーレの透明性を人質に取られたのだ。彼に関しては、初めから断る選択肢を奪われている。どんな思惑があれど、彼はこの話に必ず乗らなければならなかった。この一件を見過ごせばシャーレの権限が不都合な生徒を手を汚さずに最速で排除できてしまう便利なツールになってしまうから。

 

「これについて連邦生徒会は何か言っていますか?」

「特に何も。表向きには連邦生徒会とシャーレは独立してるからね。あの子達も大っぴらにシャーレに手を出せないんだ」

「そうですか……なら、不幸中の幸いですね。現時点で関与してないなら連邦生徒会はこの件に関しては静観するつもりでしょう。連邦生徒会との戦争は回避できた、と考えられます」

「せ、戦争ですか……あ、あうぅ……」

 

 トリニティはシャーレの権限を責任者たる先生の与り知らぬ所で濫用したのだ。シャーレやその権限と密接に関わっている連邦生徒会から見れば喧嘩を売られたも同然の行為。戦争を嗾けられても文句は言えないほどの行為であるのだが……どうやら見て見ぬ振りをしてくれたようだ。想定していた最悪を下回ってくれた現実にハナコは安堵の溜息を吐く。

 

「あ、そ、そういえばハナコちゃん、本当は成績が良いんですよね!? 1年生の時に、3年生の難しい試験まで全部満点でしたよね……!?」

「……」

 

 ヒフミが思い立ったかのようにそう言えば、ハナコはその表情を翳らせる。それを見たヒフミは思わず二の句が継げなくなった。彼女の表情があんまりにも痛ましくて、悲しそうで。でも、今は四の五の言えるような状況ではないのだ。

 もしハナコの点数がわざとであれば悩みの種が1つなくなり、目標まで一歩近づく。元より彼女は教える事が抜群に上手いのだ。時間を効率的に使えば全員の点数を更に上げて安全マージンを作れるかもしれない。それを見逃すわけにもいかないヒフミはハナコに申し訳なさを覚え、嫌われることを覚悟しつつ勇気を持って更に踏み込む。

 

「あの、ごめんなさい……模試の為に昔のテスト用紙を探す途中に、偶然見つけてしまって……」

「……そう、ですか」

「ど、どうして今はあんな点数を……? わざと、ですよね……?」

「……ごめんなさい、知らなかったんです。失敗したら全員退学だなんて……」

 

 俯き、ヒフミの真っ直ぐな目を直視できないハナコ。声音には大きな後悔が滲んでいて、本当に悔いている事がよく分かる。

 彼女は失敗したら落第するだけだと思っていて、でも皆に迷惑を掛けたくないから次回で合格点を超えるつもりでいた。落第するなら一人で、誰も居ない場所で。折角作れた友人に嫌われたくない。

 

 そんな思いすらも今齎された情報の前では無意味だ。落第と退学では重みが違う。学生身分を剥奪された先の未来なんてどう考えても明るいものではない。裏社会に吸収されるか、根無し草として転々として生きるか。どれだけ良い方向に転がったとしても、今の様に光の当たる生活には戻れないだろう。

 

 そんな大事な未来を決める天秤の上で踊っていた────その事を心の底から彼女は後悔していた。

 

「────いえ、知らなかったと言って許されるものではありませんね……私は、皆さんの頑張りを無為にしてしまいました。先生にも、ヒフミちゃんにも……アズサちゃんとコハルちゃんにも申し訳ない事をしました」

 

 そう言い、彼女は真剣な表情で頭を下げた。

 

「ごめんなさい、先生、ヒフミちゃん」

「い、いえ……その……」

「……」

 

 ヒフミは突然の謝罪にたじたじになり、先生は真っ直ぐと受け止める。

 数秒間頭を下げたハナコは徐に顔を上げ、それからまたポツポツと語り始めた。

 

「……ヒフミちゃんの言った通り、私のあの点数はわざとです」

「や、やっぱり……!? ハナコちゃん、どうしてそんな事を……?」

 

 ヒフミの真っ当な疑問にハナコは口を閉じる。

 ヒフミから見れば成績を態と落とすなんて意味が分からないだろう。成績なんて良ければ良いほど嬉しいものであるし、点数が高い事で困る事なんて無いと断言できる。頭が良いのは凄い事で、褒められるべき事で、良い事だ────ヒフミはそう思っている。そして、ハナコもそれには概ね同意を示していた。

 

 だが、この成績にはそれだけで片付けられないような、ハナコの過去が関わっている。言おうか、言うまいか。少しの間だけ迷って……申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……ごめんなさい、言えません」

「!?」

 

 驚きのまま口を開こうとしたヒフミを制止したのは肩に軽く置かれた手。その手の主たる彼を見ると、眼を閉じて緩く首を振っていた。

 

「言えなくてごめんなさい。私の、凄く個人的な理由なので……ですが、それで皆さんが被害を受けてしまうのは望むところではありません」

「ハナコちゃん……」

「なので、安心してください。最低限皆さんが退学にはならないよう、今後の試験は頑張りますので」

「うん、それで充分だよ……ありがとう、ハナコ」

 

 一先ず、ハナコはこの先の試験で必要以上に手を抜く事は無い。今後の試験では彼女はその実力を発揮してくれるだろうし、協力も惜しまない筈だ。

 彼女は自身の矜持や想いを曲げてまで皆を選んでくれた。皆の為に頑張ってくれると言った。その事に彼が頭を下げればハナコは先の寂しそうな笑みとは打って変わって、花が咲いたような笑みを浮べて。

 

「お礼を言うのは私の方ですよ。先生は私の触れられたくない場所に触れなかった。今まで騙し続けて、その上で隠し事をする私を真っ直ぐ受け止めてくださった。それがどれだけ嬉しかったのか、貴方はきっと知らないでしょう」

 

 真相を知らなかったとはいえ、皆を騙し続けてきたのは事実。それについて咎める事をせず、話したくないと言った事には決して踏む込まなかった。唯、ハナコの言葉と心を真っ直ぐ受け止める在り方。

 それだけでハナコは充分すぎるほどに嬉しかった。それこそ、自分を曲げても良いと思ってしまうほどには。

 

「だから、ありがとうございます、先生。ヒフミちゃんも。深く聞かないでくれて嬉しかったです……いえ、これでは誠意が足りませんね。裸で手をつけば大丈夫でしょうか……?」

「いえそれは逆にやめていただけますと……!? 今後頑張ってくださると聞けただけで私は安心したので!」

「……そう、ですか。いえ、別に不服という訳ではないですよ?」

「あうぅ……なんで少し残念そうなんですか、ハナコちゃん……?」

 

 目に見えて肩を落とすハナコに疑問符を浮べるヒフミ。ハナコの事を少し理解できたような気がしていたが、趣味や趣向の部分に関してはまだ理解できておらず……恐らくもっと仲良くなっても理解する事は無いだろう。

 

「ところで……この事実を知っているのはヒフミちゃんと先生だけですか?」

「そうですね、私達以外はまだ誰も……」

「成程。となると、アズサちゃんの不安は試験に起因するものではなさそうですね。何か私がまだ知らない事がある、と……いえ、それ以上に今はこの補習授業の存在そのものが気になりますね」

 

 ハナコは呟き、思考を回す。今の自身が持つ情報を順序立てて並べ、空白を前後関係から推察し、考察して埋めていくフェーズ。この補習授業部が先生、シャーレによって成立するものだというのは先でわかった。であれば、先ずは補習授業部を誰が作ったか。

 ここまで規模の大きな事をやろうと思えば、その実行者は必然的に限られる。正義実現委員会、シスターフッド、ティーパーティーの三択。この内、正義実現委員会は真っ先に除外できて、シスターフッドもサクラコがそんな事をやるとは思えないため除外。であれば残るはティーパーティーのみ。では、ティーパーティーの誰がやったのか。

 

「ミカさん……は無理でしょうし、セイアちゃんは……まあ、こんな事を企むのはナギサさんでしょうか。ですが、どうしてエデン条約を前にしてこんな……今は内外の動きが激しいですからそれを見張るだけでも膨大なリソースが必要でしょうに……いえ、寧ろ目の前だからこそ……?」

 

 ティーパーティー、ひいてはトリニティ自体が一枚岩ではない。そもそも分派が集まって出来た学校のため、分派単体や仲の良い分派同士の結束は強くても、それ以外の派閥とは関係性が希薄である事なんてよくある事だ。

 ティーパーティーを構成する3人の分派はそれぞれフィリウス、パテル、サンクトゥス。3つの仲が良好か、と言われれば首を横に振らざるを得ない。寧ろ真っ向から対立していると言った方が良いだろう。個々人の友好関係は別として、分派全体を考えるとそういった評価に落ち着く。

 

 エデン条約を推進しているのはフィリウスを率いるナギサ。彼女がもしエデン条約を無事に締結すればその功績はフィリウスのものになり、学園内外へ与える影響力は強くなる。そうなればパテルとサンクトゥスは良い顔をしない。だからといって分派が表立って邪魔をするとは思えないが……功績を掠め取ろうとする動きは裏で盛んに行われているはずだ。

 

 そういった動きの牽制や対応はフィリウス分派の長としての仕事。それとは別にティーパーティーの通常業務は舞い込むだろうし、エデン条約に関するものも彼女に入ってくるだろう。例えば調印式の段取り、会場の警備、人員の配置、締結後に発足するETOの動きや業務、フローの作成、権力や戦力の配分や決定権、定期的な会合の設定……軽く考えるだけでこれほどあるのだ。細かいものまで含めたらこの10倍には膨れ上がるだろう。

 

 それ以外にも条約締結相手であるゲヘナ学園にも目を光らせなければならない。特にゲヘナ風紀委員と万魔殿の2つは必ず見張っていなければならない。万魔殿はゲヘナの行政、此処が不穏な動きを見せればエデン条約は崩壊してしまう恐れがある。風紀委員はゲヘナの政治に関与していないが、単純にその武力が大きな脅威なのだ。きちんと見ておかなければ足元を掬われかねない。

 

「それなのに態々、問題の種を増やしてまで今直ぐにやらなければならなかった……しかも退学をちらつかせ、シャーレを巻き込んでまで。一歩間違えれば踏まなくていい虎の尾を踏む羽目になったのに、そのリスクよりも補習授業部を作らない場合のリスクの方が……」

 

 この時期に補習授業部を設立するなんてハナコから見れば愚策も愚策。忙殺されそうな時期に態々問題の種を自ら増やすなんて馬鹿のやる事で、しかも作る過程でシャーレを巻き込んで連邦生徒会に喧嘩を売りかけたのだ。最悪、ゲヘナよりも先に連邦生徒会に戦争を吹っ掛けられかねないほどの外交問題。彼と連邦生徒会が見逃してくれたから良いものを、そうでなければどれほどの被害が出ていたか分かったものではない。

 

 だが、ナギサはそのリスクよりも『補習授業部を作らないリスク』の方が上だと判断したのだ。それには必ず理由がある。

 

「内部の引き締め、権力の誇示、結束の強化……ではありませんね。その手の事なら締結後に幾らでも出来ます。今というタイミングでやらなければならない事、エデン条約を前にしたトリニティにとってのアキレス腱、これ以上ない急所……」

 

 真相に近づきつつあるハナコは更に早く思考を回す。

 内部に溜まった膿を吐き出させるなら別の方法があるだろう。権力を誇示するのは余計な敵を増やす事に繋がる。結束の強化ならばもっと時と場合を選んだ方が良い。これらの事は少なくともトリニティの内側だけでどうにかできる範疇にあり、別に今直ぐやらなくても良い事に類する。そもそも、その程度の問題なら退学なんて謂うカードを切るはずがない。ナギサは慎重だ。彼女は必要な時に必要な手札を切る。

 

「────」

 

 であれば必然、この補習授業部はナギサが退学を使わざるを得ないほどの何かがある。それは何か。エデン条約を前にしたトリニティの、ナギサの急所。そこまで考えたハナコは1つの仮説に辿り着く。

 

「成程。この補習授業部はエデン条約を邪魔しようとしている疑惑がある容疑者の集い、というところですか」

「え、えッ!?」

「ご明察だよ、ハナコ」

 

 先生がそう言うと、ハナコは肩を落とす。当たってほしくない推察が当たってしまったと内心で思いながら、テラスで紅茶を片手に憂いているナギサの姿を幻視した。

 

「ナギサさんらしいと言いますか、相変わらず狡猾な猫ちゃんですねぇ」

「ね、猫……? ナギサ様が……?」

「集めたのも、どうせなら纏めて処理してしまった方が効率的、といったロジックでしょうか。何だか私達、まるで洗濯物みたいな扱いですね」

 

 先生とヒフミはそれよりも尚酷い、補習授業部を表す言葉を聞いていたが……本筋と関係ない部分のため口は挟まない。

 

「……先生もナギサさんにしてやられた形でしょうか」

「一応、そうなるかな。補習授業部の顧問になって成績の振るわない生徒達を助けてほしいってナギサから話を聞いて、この話を請け負ったからね」

「そうですか。先生は私達を助けるという名目で、その善意を利用されてこの役割を担い、その実裏ではシャーレの超法規的権限が利用されている……ですが逆に言えば、先生は純粋に私達の為に頑張ってくださっていたのですね……」

「これでも先生ですから。一応ナギサからその類の話はある程度聞いてるけど、全部断ってるよ」

 

 補習授業部を請け負ってからの彼の働き……模試や資料の作成、授業、解説、採点と言った事は全て彼の善意が動力で、ただ純粋に生徒を思ったが故の行動だ。それを改めて理解したハナコは柔らかく微笑んでそっと感謝の言葉を告げる。

 

「……ありがとうございます、先生。先生はやっぱり善い人ですね、ふふっ♡」

「未来ある子ども達を助けるのは大人として当然さ。それに方便でも『助けてあげてほしい』と頼まれたんだ。その願いに背を向けられないよ」

「先生らしいですね♪」

 

 手を差し伸べてほしいと言われた。助けてほしいと願われた。であれば、迷いなく手を差し伸べて助けよう。そこに如何なる理由があろうが構わない。願われたのであれば応えるだけ。それが先生としての本懐だ。

 

 生徒の為に尽くし、生徒の為に頑張り、生徒の明るい未来を願って走り続ける……その姿にハナコは光を見た。底抜けに暖かくて、優しい、善い人だと。

 

「ハナコちゃん、凄いですね……すぐにそこまで分かっちゃうなんて。まるで探偵みたいです」

「そうでしょうか? 上層部の方と関わっていた時期もあるので、ちょっと詳しいだけですよ」

「それでもです……『トリニティの裏切り者』、ナギサ様はそれを私に探してほしいと仰っていました」

「……ふふ、なるほど。『トリニティの裏切り者』ですか……ナギサさんらしい表現ですね。ティーパーティーのホスト代行であるナギサさんの計画を邪魔したら該当する、とも考えられますし。私が疑われるのは何ら不思議ではありません」

 

 ハナコはそう言い、指を立てながら。

 

「アズサちゃんは書類も経歴も怪しいですから無理もありませんね。コハルちゃんはどうして……強いて言うならば正義実現委員会の人質という観点なら無茶はありつつも納得できますが……」

「それで合ってるよ。コハルは正義実現委員会、もっと言うとハスミへの牽制で補習授業部の一員になった」

「なるほど、ハスミさんはゲヘナがお好きではないですから……となると、コハルちゃんの枠は正義実現委員会なら誰でも良かったんですね。偶々成績が悪かったからコハルちゃんが選ばれただけで」

 

 ここまでは分かる。ハナコもアズサも疑われるべくして疑われ、補習授業部に集められた。コハルは半分事故のようなもので彼女自身に直接の原因は無いが理解できる理由を得られた。

 だが、1人だけ集められた理由が分からない少女が居る。ハナコはその少女……ヒフミに視線を向けた。

 

「……あら、そう考えると、ヒフミちゃんはどうして容疑者になってるんです? ナギサさんと親しかった筈では?」

「えッ!? わ、私もやっぱり容疑者なんですか!?」

「……まあ、少しは疑われてる、かな」

「あうぅ……た、確かに親しくさせて頂いていたような感じですが……ど、どうして私なのでしょう……? 原因に心当たりが無くて……」

「あー……」

 

 ヒフミ自身、テストを忘れてライブに行った事は悪いと思っている。それを起因とする成績不振は身から出た錆、仕方ないと受け入れるしかない。だが、ナギサから疑われ、容疑者の一員として此処に居ると思うと……悲しくなった。

 少なくともヒフミはナギサとは良好な関係を築けていたと思っていたし、憧れの人であるし……恐れ多いが大切な友人だとも思っていた。

 そんな人に疑われていると思うと、ヒフミの内心も穏やかではいられない。悲しいし、寂しい。彼女に疑われている理由を考えてみても思い当たる節が無くて堂々巡り。

 

 ハナコの視線は頭を悩ませるヒフミから微妙な顏を浮かべている彼に移動する。その表情と声音から何か知っていると思ったのだろう。ハナコは疑問を投げかけた。

 

「先生は何か知っていますか? ヒフミちゃんが疑われている理由を」

「一応、知ってる、かな……」

「わ、私は一体何をやっちゃったんですか、先生……?」

「……ヒフミに非がある訳ではなくて、何方かというと巻き込まれた側なんだけど……まあ、どうしても気になるなら後で教えてあげるよ」

 

 ヒフミに全く非が無いかと言われれば微妙だが、少なくともあの件は此方が一方的に彼女を巻き込んでしまったのだ。それについては本当に申し訳ないと思っている。

 

 ヒフミの件については一旦保留にして、話を前に進ませようと口を開きかけるが……彼のポケットから着信音が鳴った。仕事用のではなく、私用のスマホ。これに掛けてくる人物は彼と個人の親交がある人物だけ。

 

「今日は電話が多いねぇ」

 

 苦笑いした彼はヒフミとハナコにコンタクト。電話に出る許可を貰った彼は画面を見て通話開始ボタンをタップ。すると聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。

 

『……こんばんわ、先生。超天才美少女ハッカーにして夜天に輝くシリウスを霞ませる地上の花こと明星ヒマリです。いかがお過ごしですか?』

「こんばんわ、ヒマリ。こんな夜遅くに珍しいね、何かあったのかい?」

 

 ミレニアムの生徒、特異現象捜査部の部長たるヒマリがいつもの長い自己紹介を携えて彼に夜の挨拶を送った。この自己紹介、毎回微妙に違うが自分で考えているのだろうか……なんて思っていると、先の柔らかい雰囲気から一転。ヒマリは真剣そのものな口調で語り始める。

 

『……先生はハブを覚えていますか?』

「ミレニアムの通信ユニットAIだよね。8の預言者にクラッキングで奪われた」

『えぇ、それで合っています。そのハブ……いえ、8番目の預言者のピラーと思わしきものが近頃ミレニアム郊外を中心として半径200km圏内に出現しています。現在確認できた総数は6本、全て特異現象捜査部とC&Cで破壊済です』

「分かった。後で出現前後のログと出現ポイントを送って。解析作業は私でやっておく。皆は対処を最優先でお願い。必要ならシャーレの人員も動員して大丈夫。私が話を付けておくから……本体の動きは?」

『特徴的な神秘の放出が確認できていないので、恐らく起動していないのかと。ですが、万一の場合に対応できるように本体周辺と思わしき場所にドローンは配備済みです』

「流石だね、その対処で問題ないよ。今日はその報告で電話をくれたのかい?」

『はい。気が利くのが超天才美少女ハッカーの星の数ほどある美点の一つですので』

 

 その自信と自賛に溢れた声にヒフミとハナコがくすりと笑えば、彼も思わず表情が綻ぶ。

 

『私達は引き続き警戒とピラーの対処を行いますので、先生は解析をお願いいたします……全く、リオは肝心な時にいないんですから』

「……あの子は必ず戻ってくるよ。それだけは約束できる」

 

 彼の信頼に満ちた声にヒマリが辟易した溜息を吐く。全く、随分高く買われてるんですね……と。少しだけ羨ましいと思いつつ、話すべき事は話し終えたため電話を切ろうとすれば彼も終わりの雰囲気を感じ取ってくれたのか。

 

「今日は連絡ありがとう。それじゃあ、お休み」

『はい、お休みなさい……ふふっ、寝る前にセイレーンのような私の美声を聞けたなんて先生は幸運ですね?』

「ふふっ、そうだね。ヒマリの声を聞けて良かったよ。お休み」

 

 ヒマリが電話を切るのを待って、先生は電話を切りスマホを仕舞う。そして、ふわりと微笑んで。

 

「電話、出させてくれてありがとう。少し話しこんじゃってごめんね」

「いえ……先ほどのちょっと愉快そうなお方は……?」

「あぁ、ヒマリ? ミレニアムの子なんだけど……まあ、端的に言えば天才かな。勿論、他にも良い所はいっぱいあるけどね。今はちょっと私の手が回らない事を頼んでるんだ」

 

 ハナコとヒフミは『ミレニアムにはこんなに面白い人がいるのか』と思っているが、ヒマリの様な生徒はミレニアムでもあまり見ない。別ベクトルで面白い生徒やぶっ飛んでいる生徒はいるが、あの方向性はヒマリだけだ。

 

 先生が苦笑いを零せば、少女達も緩く笑う。どうやらこの話し合いもそろそろ閉幕が近いようだ。時計の短針は12に差し掛かりそうで、寝るにはいい時間だった。

 

「一先ず、これで情報の共有はこの位かな」

「そうですね……アズサちゃんは後でもう少しお話をしてみた方が良いかもしれません。その他についても幾つか私の方でも確認してみます」

「はい、もし何か分かりましたら教えてもらえると嬉しいです」

「分かりました。という事は私もこの深夜の密会に参加させていただけるという事でよろしいですか? うふふ、嬉しいです♡」

「深夜の密会……間違ってはないけどね」

「深夜の密室で、三人寄り添って秘密の遊びだなんて……ドキドキが止まりません♡」

「そ、その言い方はちょっと……」

 

 まるで深夜で三人集まって何かいけない事をしているような言い方に、ヒフミは少し頬を赤らめて遠慮を申し出る。別にそういう事をしている訳ではないし……三人はちょっとハードルが高い。

 

「……そろそろ良い時間だし、もう寝ようか」

「はい、ではまた明日という事で」

「そうですね。お休みなさい」

 

 

 ▼

 

 

 ヒフミとハナコ、アズサが各々の理由で席を外している最中。コハルは一人だけ熟睡していた。コハルは9時半を過ぎれば眠くなるし、10時は起きていられる限界ライン、どれだけ遅くとも11時にはベッドに入って夢の中だ。今どき小学生でも珍しいほどの健康優良児であるコハルは全員が居ない状況に於いてもスヤスヤ寝息を立てていたのだが……ふと、目が覚めてしまった。

 

「んん……トイレ……」

 

 生理現象により安眠から突き放されたコハルはベッドから起き上がり、寝ぼけ眼を擦りながらふらふらとした足取りでドアまで向かう。扉を開けると冷たい空気がするりと入り込んで、コハルの全身を少しだけ冷却した。

 

 そのまま彼女は窓の外から月明かりを頼りに廊下の先にある共用のお手洗いに向かい用を足し、蛇口から流れる冷たい水が眠気で霞んだ思考を少しずつ解いていく。だが、それも少し経てばまた睡眠欲が首を擡げ、心地の良い微睡の最中にコハルを招いた。

 

 行きと同じようなふらふらとした覚束ない足取りで寝室まで向かうコハル。入り込む風は昼のそれとは全く異なり、夏の色を感じさせないほどに冷たい。ぶるり、と少しだけ体が震えた。見れば体操服がずり落ちていて、寒いわけだと一人納得。成長を見越して買ったサイズの大きい体操服を整えながら部屋まで向かっていると……ふと、廊下の先に人工的な明かりを見た。

 

「あれ、先生の部屋? こんな時間まで……」

 

 先生の部屋から零れるのはシーリングライトの光。部屋の主たる彼が起きている証だった。一体こんな夜中まで起きて何をしているのだろうか。

 彼女にとって深夜……特に日が変わる前後の、具体的には11時半ごろから3時までの間は未知の時間だ。今回の様な生理現象でもない限りまず目覚めず、仮に目覚めたとしても直ぐにベッドに向かってまたスヤスヤ眠るため、この時間に碌に活動らしい活動をした事が無いのだ。

 

 皆が寝静まるそんな時間に彼は何をやっているのか。コハルの好奇心が胸の内側で膨らんだ。

 インターネットの情報によると、聖夜の9時から3時までは『アレ』の時間らしい。日付こそ違うが、今の時間はそこに合致している。加えて、彼は大人で、先生。であれば、深夜にやる事なんて……と、妄想を重ねたコハルはごくりと生唾を呑んだ。眠気なんて一瞬で消し飛び、彼女は猫のような目のまま彼の部屋に向かった。

 

 そう、これは確認だ。先生がエッチな事をしてないかの確認。コハルの目の届く所でエッチな事をするなんて許さない。自分は誇り高い正義実現委員会の一員として確認しに行くだけ。それ以外の感情は無い。決して下心はないし、期待もしていない。

 

 コハルは先生の部屋の扉の眼の前に立ち、一度深呼吸。高鳴る心臓と赤くなる頬に見ない振り、まずは聞き耳を立てようと足音を殺して近づくと……不意にドアが開いた。

 

「それでは先生、ありがとうございま────あれ?」

「ッ!?」

 

 部屋の中から現れたのはパジャマ姿のヒフミ。内側から扉を開けて、彼に『ありがとうございました』と言って出てきた。コハルの眼に間違いはない。こんな深夜に、ヒフミは先生の部屋から出てきた。

 

 それの意味する事は(コハルの脳内辞書の中では)たった一つ。

 

「ひ、ヒフミ!? せ、先生の部屋で一体何を……ッ!?」

「あうぅ、えっと、その……」

「ま、まさか────!」

 

 まさか本当に2人でR18制限がかかりそうないかがわしい事を────と、思っているともう一度ドアが開いた。

 

「ふふっ。では、また夜の密会を楽しみに……あら?」

「さんぴぃ!?」

 

 同じように彼の部屋から出てきたのはハナコ。体操服姿で、にこやかに。それは最早『私がやりました』と自白しているのも同然で、コハルの脳内では3人が口に出すのも憚られるような、つい先日返却しに行ったエッチな本に描かれていた内容よりも数倍過激な事が繰り広げられていた。逆に煩悩の方が退散するほどに頭の中が真っピンクなコハルは、今が深夜だという事も忘れて叫ぶ。

 

「バカ! ヘンタイ! 淫乱族ッ! エッチなのはダメ! 死刑!」

 

 

 ▼

 

 ────後日。

 

「えっと、先生……あの、私が疑われてる理由をお聞きしても……?」

 

 皆がそれぞれの理由で席を外している時間帯。そこを見計らってヒフミは先生の袖を引っ張り、先日の話し合いで露骨に避けられた話題をもう一度ぶつける。すると彼は微妙な表情を浮べつつ周囲を確認。誰も居ない事を確認して、そっとヒフミの耳に口元を近づけた。

 

「アビドスで、さ。たい焼きの袋を……」

「たい焼き……? え、あ、ああああぁッ!?」

 

 彼の言わんとする事に気付くまで一瞬のタイムラグがあった。アビドスで疑問符を浮べ、たい焼きの袋で更に謎が深まるばかり。はて、アビドス、たい焼きの袋……その二つに何か関連があるだろうか。ましてやそれが疑われている理由に繋がるだろうかと思って……ふと、その全てを満たす一件がある事に気付く。

 忘れる訳もないブラックマーケットの件。アビドスの生徒達に案内役として雇われ、散策し、仲良くたい焼きを食べて……それから、その食べ終わった袋を被ってブラックマーケット最大規模の闇銀行に銀行強盗を敢行した。しかも、何故か主犯格に祭り上げられた状態で。

 

「あの件ですか!? あの件なんですか!? あの件が原因で私、疑われてるんですか!? 確かに途轍もない事をやりましたけど、本当にあれなんですか!?」

 

 渦中にいた時はアドレナリンの大量放出で何が何だか分からなくて、事が済んだ後は自身のやった事の大きさに青褪めて、彼に言われる今まで頭の隅っこの最下層に置かれていた一件。まさかそれが原因なのだろうか。

 

 確かにヒフミ自身もやらかした自覚はある。覆面水着団なる集団のリーダーとして神輿にされ、色々と多方面に喧嘩を売った事は事実だし、そもそもトリニティの校則でブラックマーケットへの出入りは禁じられている。並べて羅列すれば疑われるのも当然とも言える経歴であるが、あれが原因だとヒフミは認めたくなかった。だって、ヒフミはあの渦中にいながら巻き込まれた側なのだから。

 

 だが、現実は非情で。

 

「多分、ね……他にもあの場所への出入りとか細かい疑念はあったと思うけど、決定打はあれのはず……」

「あうぅ……誤解、誤解なんです、ナギサ様……」

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