シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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「うふふ……♡」
「あはは……き、来ちゃいましたね」
「だ、大丈夫なの……」
「ふむ……」
トリニティ自治区、都市部。日中であれば柔らかな日差しが降り注ぎ楽しそうな人の往来が見られる場所であるが、雨上がりの夜は違う。店も半分強程度閉まっていて、幾つかあったはずの露店も全て店仕舞い済。明かりが点いている店も客足は疎ら。
水溜りに反射した街路灯の明かりは何処か神秘的で、昼間とはまた違った様相を見せている。空気を吸い込むと雨上がり独特の湿り気、ペトリコールが肺の奥まで入って来て、それは常であれば不快にこそ思えど快くなんて感じない筈なのだが……合宿所を抜け出して此処に来ていると謂うシチュエーションの影響もあってどこか浮足立つような感覚を覚える。
だが、楽しみとは雖も不安は残っているようで根が真面目なヒフミとコハルはそれぞれ心配そうな、不安そうな表情を浮かべていた。
「どうですか? もう既に楽しくないですか? 禁じられた行為をしているというこの背徳感、そして同時に皆で一緒にしているからこその安心感、この二つが合わさって……!」
「なるほど、深夜の町はこんな感じなのか……思ったより活気がある」
「そうなんですよ。24時間営業のお店も幾つかありますし」
少女達はメインストリートを歩き、お店を眺めて目的もなく適当にぶらぶらと歩く。何か気になるものがあれば近寄って、見て、それからまた離れて。特に行きたい店は無いが、何かピンときたお店には入ってみても良いかもしれない。
「あれはスイーツショップ? 24時間開いている店もあるのか……あ、喫茶店も開いてる」
「ここからもう少し行くと、モモフレンズのグッズショップもあるんですよ。その向かいには限定グッズだけ取り扱う隠れたお店もありまして……」
「むっ、それは重要な情報だ。今すぐ現場に急行しよう。ヒフミ、ついて来てくれ」
「ご、ごめんなさい、そのお店は今だともう閉まっていて……」
「……そうか、いや、仕方ない。日を改めるとしよう」
「ふふっ、流石はヒフミちゃん、詳しいですね」
「あ、あははは……」
少女達は夜の街を歩く。ヒフミは愛想笑いとも苦笑いとも言えるような微妙な顏。如何にも『こんな事をするのは初めてです』という雰囲気を醸し出している彼女であるが、ぶっちゃけてしまうとこの手の経験はそれなりに豊富だ。
寮の規約を無視して夜に駆け出し、モモフレンズのグッズを求めて歩くなんて序の口。ブラックマーケットにも足を運んだり、普通では行くという選択肢すら浮かばないような場所にも時折向かっている。故に夜の街を歩いていると言ってもその程度で、ヒフミの今までの経験とは比べられるようなものでもない。故に胸に一抹の不安こそあるもののシチュエーション自体には耐性が出来ており、彼女は割と楽しむ事ができていた。
「うぅ……結局乗っちゃったけど、こんな所万が一ハスミ先輩に見られたらすっごい怒られそう……」
「コハル、前にも言ったけどこういう時こそ胸を張るんだよ。挙動不審だと却って怪しまれちゃうから、堂々とするのが吉だよ」
「う、うん……」
先生はふわりと笑って、不安そうなコハルを少しでもどうにかしたいと思い声を掛ける。しかし内容はルールに真っ向から楯突いており、到底先生が口にするようなものではなかった。
しかし、以前正義実現委員会に押収品を返却しに行った際に似た様な事を言われたコハルはそれを思い出し、少しだけ不安が和らいだような表情を見せるが、何かに気付いたような表情を浮かべて。
「……というか、お金はどうするのよ。この辺り観光地だし、結構価格帯が……」
「ま、そこは私が何とかするよ」
「え、良いんですか? それは流石に申し訳ない気が……」
「良いんだ。私が持ってても使える時なんて無いから預金の数字になるだけだし、だったら生徒達の為になるように使いたいんだ」
時間があってもお金がないのが学生であれば、その逆が大人。年間休日が0を通り越してマイナスに突っ込みそうなほどに多忙を極めている先生は特にその気が強かった。
自宅兼臨時用の拠点としてD.U.自治区の郊外に一つ部屋を借りているため、その家賃と水道ガス光熱費が毎月のランニングコストとして掛かっているくらいで、それ以外に纏まった金額を使う事なんて皆無。食事代わりの栄養剤や点滴は全てクラフトチェンバー産、寝泊まりはシャーレであるためそこで発生する料金は経費で落とせて、お金を使うような趣味なんて忘れてしまった。
であれば、先生の生活でお金を使う機会は必然的に限られる。それは当番の生徒との食事であったり、誕生日の生徒に送るプレゼントだったり、或いはお土産だったり。そういった何かしらの形で生徒に還元されるようなものにしか先生のお金は使い道がない。それなのに、今ここで出し渋ってどうするのだ。後でユウカに怒られる事なんて気にしない……訳では無いが、まあ多分大丈夫。
「ハスミさんですが、その様な方なのですか? 私が知る限り、ハスミさんは後輩に優しい方だと聞いていましたが……」
「も、勿論優しいわよ! それに文武両道で、さいしょくけんび……? で、品もあってすっごい先輩なんだから! で、でも怒る時はほんとに怖くて……」
「そういえば最近似たようなことを聞いたね。何でも、ちょっと荒れるようなことがあったとか……」
「う、うん……前に一回あって、私もその場に居たんだけど……」
偶然その場に居合わせたコハルは、その恐ろしさを思い出し震えながら語り始めた。
▼
「……」
正義実現委員会、ロビー。普段は落ち着いた空間であるのだが、今は異なり物の倒れる音や荒々しい足音が響いていた。部屋で仕事をしていたツルギは困惑した表情を浮かべながら、部屋を騒々しくしている少女……自身の右腕たるハスミを見る。
彼女の表情は怒り心頭といった様子。普段の冷静さや優しさは引っ込み、自身の中の荒ぶる感情を落ち着かせようと必死だが、無遠慮に地雷を踏み抜かれた怒りは収まらない。掌の皮膚が破れて血が滲みそうなほどに力を込めて手を握り、その内に秘めた激情を示したような何かを堪えるように食い縛る口からは歯ぎしりの様な音が聞こえる。
「ハ、ハスミ先輩、落ち着いてくださ────」
「絶対に、絶対に許しません! 万魔殿! ゲヘナッ! どうして、どうしてあそこまで……!」
「ひっ……!」
雷鳴のような鋭い声は、何の役職も持たない平の委員の少女を委縮させるのには充分な威力を持っていた。怯えで二の句を告げなくなった少女の表情を見て『またやってしまった』と内心歯噛みしたハスミは自身を落ち着かせるために深く深呼吸。
「……よく、よく聞いておいてください。私は今ここに、宣言します。これから私は……私は……ッ!」
そう言い、瞳に大きな決意と熱意と覚悟を示した彼女は、この部屋全てに響き渡る様な大きな声量で叫ぶ。
「────今度こそダイエットをしますッ!」
「……!?」
「……?」
「だ、ダイエット……ですか?」
「はい! ダイエットです!」
ハスミが打ち震えるほどの怒りと、それによって生み出されたこの惨状とダイエットがどうしてもうまく結びつかず、少女達はそれぞれ疑問符を浮べる。ダイエット、とは一般的な体重を落とす意味合いでのダイエットなのだろうか。それとも何らか別の事柄を指す言葉として『ダイエット』があるのだろうか。何方にせよ、よく分からない。それが巻き込まれた少女達の総意だった。
困惑する周りの少女達と裏腹に、発言した当の本人たるハスミは本気である。必ずダイエットしてみせると、体重を落としてみせるという気概に満ち溢れていた。その本気度合いが更なる困惑を生んでいる事に気付かず、ハスミは力強い声で皆に向けて言う。
「これから私が1日に2回以上食事をしたり、おやつを口にするところを発見したらその場で指摘してどうか叱ってください! こういった事は自分の力だけでは難しいので、宣言しておくのが良いと聞きました! 皆さんの助けが必要なのです!」
「は、ハスミ先輩……ゲヘナ学園との会議で一体何が……」
ハスミは先程までエデン条約、ひいてはETOに関する打ち合わせのためゲヘナ学園の
その指摘にハスミは一度口を噤み……先ほどまで鎮静化していた怒りを再び滾らせる。
「……ッ! 許せません……! なんて、なんて事を……!」
────事の発端は数時間前に遡る。
▼
ゲヘナ学園、
頭部から生えている4本の角、軍服の様な制服。涼やかで鋭い目つき、隙の無い装いはハスミも感嘆する程だった。なるほど、あのゲヘナで政治のトップを張るだけの事はある。
そう────彼女こそが
「はじめまして、と言うべきかな。私が
足を組み、尊大な態度でハスミを見るマコト。来客に対する態度としては0点も良い所だが、これまでの2校の関係から考えれば何事もなく応接室に通してもらえただけでも大きな進歩だ。それに、条約が締結されるまでは水面下での敵対関係は続いている。仮想敵に対する態度、として見ればまた別の感想が浮かぶだろう。
とはいっても和平条約に関する事で話に来たのだから、お茶の一つくらい出しても良いと思うのだが。実際、トリニティでは同じく訪れてきたゲヘナ風紀委員会に対して振る舞ったのだから。
「初めまして。私は正義実現委員会所属の────」
「いや、構わない。お前の素性は把握している」
「……そうですか。では、挨拶は省略させてもらいます」
素性を把握されているならば、態々改めて挨拶や自己紹介をする必要は無い。ハスミは若干浮かせていた腰をもう一度ソファーに下し、マコトに視線を送る。腕と足を組み、見下ろすような眼光に宿るのは尊大な態度。普通であれば傲慢と切って捨てられるようなそれであるが、相手はゲヘナのトップ。全く以て油断ならない。直接の戦闘ならば兎も角、この手の政治が絡む事柄では相手の方が格上だろう。
だが、今のハスミは正義実現委員会の代表として、ツルギの代わりとしてこの場に来ている。例え相手がゲヘナの長だろうが後れを取るつもりは無かった。
一度自身の心情をリセットしたハスミに対して、マコトは先と同じようにハスミを見ていて……ふとしかめっ面で忌々しそうに呟いた。
「……なるほど、お前が『トリニティの戦略兵器』と呼ばれる剣先ツルギか」
「……え? あ、いや、私は────」
「そうか、想像以上に規格外だな。不愉快になるくらいに」
まさか別人と間違えられているとは思わなかったのだろう。ハスミは驚きで素に戻り、訂正しようと言葉を紡ぐがマコトは聞く耳持たず。意味深に、神妙に言う彼女はハスミをガン見していた。正確に言えば、ハスミの制服を押し上げる胸元の大きな二つの塊を。
「キキッ! だがそんな戦略、このマコト様には通用しない! 出会い頭のインパクトで我々に勝とうなど万年早いわ!」
「……はい? 一体何を……いえ、そもそも私は────」
「イロハ、サツキを連れてこい! 我々がトリニティの奴等に負けてなどいない事を示してやるぞ!」
「はぁ……」
ハスミの関与できない場所で話が明後日の方向に飛んでいく話。最早何の話をしているのかよく分からなくなってきた頃、マコトは勢いよく立ち上がり後ろを振り向いて
名前を呼ばれた彼女……棗イロハは手元で行っていた作業の手を止め、これ以上ないほどに大きな溜息を吐く。その声音から読み取れるのは『面倒』の一言。うちのトップはこの会議でなにをやっているのだと、そんな呆れを隠そうともせずに口を開く。
「マコト先輩、この方は委員長のツルギさんではなく副委員長のハスミさんです。予め書類にも書いてあったと思いますが、目を通していないのですか? それと、今もし胸の大きさの話をされているのであれば、多分サツキ先輩が来ても勝てないと思いますが」
「……は? 胸……?」
「な、なにぃッ!? ツルギじゃないだと!? なるほど、代役か……舐められたものだ、この期に及んで小細工とは……!」
この会議と胸に何の因果関係があるのか。ハスミは自身のそれを見て、マコトのそれを見るが……謎は深まるばかり。しかし、その行動はマコトにとって挑発行為そのもの。勢いよく立ち上がった彼女は侮辱されたと思い込み、ゲヘナで培われた思考回路をフル活用。作り上げられたこの状況が何を意味するのかを冷静に、素早く分析せんと呻りを上げた。
そんな彼女をいつも通りに無視して、イロハは淹れておいたお茶をハスミの真正面にそっと置く。
「初めまして、羽川ハスミさん。
「あ、はい。初めまして。羽川ハスミです……」
「うちのマコトがすみません。もしご不快な思いをされたら殴っていただいても大丈夫ですので」
「えっと……」
ハスミは話が通じそうな人がいてよかった、と内心ほっとする。客人に対する礼節やもてなしもちゃんとしているため、彼女がきっと
「はッ! つまりそもそも、この会議はフェイクという事か!? 我々を呼び出しておいて身長と胸の迫力で此方の出鼻を挫いておこうだなんて……!」
「胸と身長で出鼻を挫かれるのなんてマコト先輩だけですよ。そもそも、此方にいらっしゃる予定だったのは元々ハスミさんです。私の話聞いてますか? 聞いてませんね?」
「くッ! 不愉快なくらい大きな胸を見せつけおって……! 喧嘩を売ってるのか! この
「落ち着いてください。何方かというと喧嘩を売っているのはマコト先輩ですから。あともう胸の話は止めてください。そろそろ万魔殿として恥ずかしいです」
「イロハ、こうなったらアレを用意しろ! このまま
「────デカ女……?」
マコトが無遠慮に放ったその一言。それはハスミにとっての地雷であり、コンプレックス。それを初対面の、元々あまり好いていないゲヘナの生徒に踏み抜かれたともなれば……一瞬で沸点を越えるのは当然。ハスミは自身の血が熱を持った事を自覚した。そして、同時に浮かぶ額の青筋。途轍もないほどに凄く怒っているのは誰の眼から見ても明らかだ。
「『あれ』と言われても何のことかさっぱりですが、取り敢えずこの会議がおじゃんなのはよく分かりました。私はイブキとの約束があるので失礼しますね、それでは」
ハスミの怒りを間近で感じ取ったイロハは会議どころではないなと失敗を予感し、早々と見切りを付けて一人だけ退散。マコトがそれに気づいた時には2人分の資料と紅茶だけ残されており、イロハはもう何処にもいない。
「イロハ待て、会議はまだ────」
「ああ……あああぁぁぁぁぁッ!」
「急に叫ぶ……いや、待て! 止まれ! 止ま────ッ!」
▼
「……」
コハルから聞いた仔細に全員が言葉を詰まらせる。皆の間に横たわる微妙な空気、何とも言えない沈黙が夜風に乗って冷たく運ばれた。
「それで、その会議自体ダメになって……それ以来ハスミ先輩、あんまりご飯も食べてないから心配で……」
「そんな事があったのですね……ゲヘナの方々に怒るのも分かります。無理はありません……大きいのは素晴らしい事ですのに……」
「な、何言ってんのよ!? ハスミ先輩をそんな眼で見たら死刑だからッ!」
「あら、身長や翼の話ですよ? 女性としてあの長身はちょっと羨ましいと思っただけで。コハルちゃんは何を想像されたんですか?」
「コハル、ステイ。そのセイなる手榴弾を仕舞ってね。それ仕舞わないと私達が纏めて正義実現委員会とお話しコースだから。夜の散歩とか言ってる場合じゃなくなるから」
ハナコの指摘に顔を真っ赤にしたコハルは銃を通り越して手榴弾を投擲しようとしたが、先生が待ったをかける。人通りの少ない夜とはいえ、此処は大通り。手榴弾なんて投げようものならすぐさま通報されて正義実現委員会が飛んでくる。そうなれば夜の散歩が夜の逃亡か夜の事情聴取に早変わりだ。ただでさえ合宿所を抜け出している今、罪に罪を上塗りするわけにはいかない。
その必死の説得が功を奏したのか、コハルはハナコとついでに先生をジト目で睨んで渋々手榴弾を鞄に仕舞う。取り敢えず一難去った、と思った先生は息を1つ吐いた。
「でも、ハスミ先輩は色んな意味で強いから大丈夫! あれからずっと、自分との約束を守って頑張ってるし……」
「私としてはあんまり無理はしてほしくないし、心配なんだけど……こればかりは本人の心持だからどうにもできないからなぁ……」
「そうですねぇ……過度なカロリー制限は却って体に悪いですし……」
元々、ハスミは自分自身の体の事を気にしていたのだろう。
制動を掛けれる上に、射撃の反動を御せる大きな翼。高い身長とそれに伴う長い手足は銃火器、特に全長が長いスナイパーライフル等を十全に扱うのに必要不可欠だ。故に彼女の体躯は正義実現委員会として、戦闘行動に従事するものとして、スナイパーとして恵まれた体格そのものであり、メリットこそあってもデメリットは然程ない。
だが、それはそれとして女子高生にとって自身の体系は悩みの種。身長が高い分、体重があるのは当然の事……頭ではそう分かっていても周りと比較してしまうのは避けられない。周りにコハルやマシロを始めとする小柄な少女が多く居たのも助長させていただろう。
そうして降り積もった悩みの種にマコトの発言が火を点けてしまい……今のダイエットに繋がっているのかもしれない。
この手の問題は本人の感情が一番。生徒が心から改善したいと思うのであれば、先生はそれを受け止めて本人に悪影響が出ない範囲で手助けする事が仕事だ。
────今度会った時、『全然軽いよ』と言って抱き上げれば少しは悩まずにいてくれるかな。
なんて下らない事を頭の中で考えながら道を歩いていると、ふとアズサの足が止まった。視線の先にあるのは煌びやかな装飾が施された可愛らしい店構え。
「あ、此処にもスイーツ屋が」
「何だか食べ物の話をしていたらお腹が減ってきましたし、此処で何か食べましょうか?」
「あ、ここの限定パフェすっごい美味しいって聞きました! ちょっと前にニュースでも取り上げられていて……」
「パフェか……うん、悪くない。行こう」
「え、えっ……!?」
あれよあれよと言う間に話は決まり、いつの間にかこのお店でパフェを食べる方向で固まってしまう。そのまま少女達はお店のドアを開け入って行き……出口には話にも、物理的にも置いてきぼりにされたコハルと先生だけ。
「ほら、コハルも一緒に行こう?」
「うぅ……誰も見てないよね……?」
先生に声を掛けられたコハルは素早く左右を確認。人がいない事を確認し終えて、まるで逃げるように店内へと走っていった。
▼
「いらっしゃいませ~」
「あはは……真夜中にスイーツ屋さんだなんて……緊張もありますが、何だか凄くワクワクしますね」
「確かに」
時間帯も相まって店内の人の数は疎らだった。見える範囲に座っているのは片手で数えられる程度、恐らく2階も似た様な状態だろう。ショーケースの中に飾られたケーキやタルトは大半が残り少なく、もう既に空になっているものも幾つか。24時間営業とはいえ朝に仕込みをやる関係上、この時間では売り切れのスイーツがあるのは仕方のない事だ。果して、ヒフミが言っていた限定パフェはまだ残っているのだろうか。
心地いい温度に整えられた空調が歩いて温まった体に丁度良く、コーヒーの落ち着く香りとスイーツの甘い香りが鼻孔を擽れば少し小腹が空くような感覚を覚えた。
「5名様でしょうか? 席はお好きな場所へどうぞ。お決まりでしたら先にご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「私はホットのカプチーノで……皆さんはどうされますか?」
「私はレモネードでお願いします♪」
「ふむ……じゃあ私はホットミルクを一つ」
「お、オレンジジュース……」
「私はホットのコーヒーを」
「ホットのカプチーノをお一つ、レモネードをお一つ、ホットのミルクをお一つ、オレンジジュースをお一つ、ホットのコーヒーをお一つですね。かしこまりました。他に何かご注文はございますか?」
「えっと……あ、限定パフェってまだありますか?」
「申し訳ありません……限定パフェは丁度先ほど、別のお客様が3つ購入されたのが最後でして……」
「あ、そうでしたか……」
「一歩遅かったか……こんな時間まで狙われているなんて侮れないな」
申し訳なさそうに頭を下げるオートマタの店員。レジカウンターの隣に置いてあるブラックボードには限定パフェの事が描かれおり、その上から紙で『本日売り切れ』と貼ってあった。元々人気が高い上に数量限定のパフェだったのだ、この時間では売り切れるのも当然とも言える。少し残念だが無いものは仕方ない、何か他のスイーツを頼もうとヒフミはメニュー表に視線を走らせて────。
「……あら?」
コハルや先生にとって聞き覚えのあるその声は店の中から聞こえた。その声の主に一瞬で思い至ったコハルの顔は青褪め、先生は少しだけ驚いて……それぞれの感情を抱えて声の方を向くとやはり想像した通りの人物。
「せ、先生……?」
「こんばんわ、ハスミ」
ふわりと笑う先生と『まさか会うとは思わなかった』と言わんばかりに驚くハスミ。その2人の視線が交わった。
「は、ハスミ先輩!?」
「あら、それが限定パフェですか? 何やら沢山……」
コハルはばったりと会ってしまった尊敬する先輩の姿に青褪めながら驚き、ハナコの視線はハスミが座る席の方へ。テーブルの上には中身が空になったパフェの容器が一つと、食べかけのものが一つ、手が付けられていないものが一つ。恐らく彼女が先ほど店員が言っていた『別のお客様』だろう。
そして、ばっちりパフェに舌鼓を打っている場面を見られたハスミは羞恥と困惑と驚きとがごちゃ混ぜになった表情を浮かべ、取り敢えずスプーンを置いた。
「先生、それに補習授業部の皆さんまで……このような時間にどうして……」
「あ、あぁあぁぁぁ……! ち、違うんです……!」
ハスミは自分の言っている事が自身にも突き刺さっていると自覚しながらも思わず問いかける。彼女から見れば、トリニティ自治区内の24時間営業のお店でばったりと補習授業部のフルメンバーと鉢合わせるなんて意味不明だった。
合宿期間中の不要な外出は禁止され、トリニティの校則でもこの時間帯の出歩きは禁じられている。謂わば、二重で違反しているようなものなのだ。その事実がハスミを見た途端物理的な重さを伴ったと錯覚するほどに圧し掛かってきたコハルは見る見るうちに顔面蒼白になり、対するハナコは違反しているとは思えないほど堂々たる足取りでハスミの傍まで近寄って興味深そうに眺める。
「ハスミさん、奇遇ですね♡ あら、真夜中にパフェを3つも……たしか、ダイエット中だと伺いましたが?」
「こ、これはですね……その……」
「はい、心中お察しします。真夜中に襲ってきた悪しき欲望に導かれて、此処まで来てしまったのですよね?」
「え……!? い、いえ、その……」
「そうして欲望のまま滅茶苦茶にしてしまった後、理性を取り戻した頃にはもう取り返しのつかないほどに乱れて……」
「真夜中ってなんかお腹空くよねぇ……あ、ご一緒してもいいかな?」
「あ、はい、勿論です。どうぞ……」
ハスミが座っていた席にぞろぞろと座る補習授業部のメンバー。ハスミの隣には宣言通り先生が座り、その隣にアズサ。正面にヒフミ、ハナコが座る。コハルはハスミに見つからない様に精一杯身体を縮ませハナコの背中に隠れていたが、そのような拙い偽装が通じる訳もなく。
「……こほん。その、自分の事を棚上げするようですが、補習授業部の皆さんはそもそも合宿期間中の外出が禁じられていたはずでは……?」
「そうなんだけど、適度なお休みも必要かなと思ってね。ずっと合宿施設に籠りっぱなしだと息が詰まっちゃいそうだし」
「そうですか……」
先生らしいと言うべきか、何と言うべきか。生徒の為になるならば多少の道理を曲げる事も厭わないその姿はハスミ個人としては好ましいが、規則違反を取り締まる側の人間としては大っぴらに賛同しにくい。
正義実現委員会の副委員長としては注意すべきなのだが、今こうしてパフェを食べている自分にそんな事を言う資格があるとは思えなかった。別に何か規則を違反している訳ではないが、これは自分なりの線引き。ダイエットすると言い周りの人を巻き込んだのにも拘わらず、人目を忍んで夜に甘いものを食べているハスミがそれを言えば『どの口が』と他ならぬハスミ自身が思ってしまう。
「……ここはお互いに見なかったことにするとしましょうか」
「そうしてくれると助かるよ……ありがとうね、ハスミ」
此処にはハスミも来ていないし、補習授業部も来ていない。限定パフェ? 何の事でしょうか? そういう事にしておく。これも処世術の一つだ。人の眼と謂うものはとても都合が良いのである。
「は、ハスミ先輩……」
「コハル、お勉強頑張っていますか?」
「あ、えっと……それは、その……」
怒られる、と思ったコハルであったが、ハスミから掛けられた声は柔らかかった。視線を上げて前を見ると憧れた先輩が優しい眼差しでコハルに問いかける。
成績はどうなのか……その問いに自信満々に肯定できる程、自身の成績が良くない事は自覚していた彼女は言葉を詰まらせた。確かに最初よりは上がっているが、結局まだ合格ラインには届いていないのだ。頑張ってはいるけれど胸を張れるほどのものじゃないと謂う微妙な成績をどう伝えようか迷っていた時、聞こえたのは嬉しそうな先生の声だった。
「コハルは最近、凄く成績が上がってるよ。伸びはこの中で一番なんだ」
「は、はい! そうなんです! コハルちゃんはこのまま行けば余裕を持って合格できるくらい頑張っていて……!」
「なるほど、そうでしたか」
補習授業部の顧問たる先生と部長のヒフミ、2人から太鼓判を押されたコハルの成績。それはきっとハスミが知る合宿前の結果よりもずっと良い方向に向かっているだろう。彼女は満足そうに頷き、自身なさげに俯いているコハルの肩に手を乗せた。それはまるで胸を張れと告げているかのようで。
「うぅ……その、えっと……」
「それは何よりです。言ったではありませんか、コハルはやればできると」
「ハスミ先輩……」
「あの時も言った通り……」
▼
「応援していますよ、コハル。お勉強、頑張ってください」
「は、はい……分かり、ました……」
時は遡り、先生とコハルがR18な本を保管室に返しに行った日。偶然にもハスミとばったり出会い、『2人で話したい』と言われ、近かった部屋の中に入ったコハルは緊張と不安が混ざった面持ちでハスミを見上げていた。
今の彼女は正義実現委員会の所属ではなく補習授業部。本来ならこの場所への立ち入りも禁止されていて、温情で見過ごしてもらったに過ぎない。成績も振るわず、ルールすらも破ったともなればどんな言葉が飛び出してきても不思議ではなかった。
「本来の目的を忘れないでください。ただ目の前の勉強の話だけをしている訳ではないのです。コハルは私達が卒業した後の正義実現委員会を担う人材なのですから」
「で、でも、そんな……私には、到底無理です……せ、成績だって全然上がらなくて……先輩と一緒に居たい気持ちは本当ですが、私にはあまりにも難しい事で……私なんかじゃ、ハスミ先輩みたいになれなくて……」
コハルは俯き、弱音を吐いて唇を噛む。ハスミの言葉は嬉しい、それは紛れもなく本心だ。また正義実現委員会として頑張れたら本当に嬉しいし、何よりハスミもそう思ってくれている事が嬉しかった。今後の正義実現委員会を担う人材として気に掛けてくれているのも嬉しいし、そんな彼女の期待に応えたいと思っているのも本当だ。
でも、そんなのはきっと無理だ。そもそも正義実現委員会に復帰するには補習授業部を卒業する必要がある。今回の卒業要件は全員同時の合格。ヒフミは全然問題なくいつも合格点を越えていて、ハナコは手を抜いているだけ、アズサはちゃんと伸びていて、残るコハルはずっと低空飛行気味。分かっている、現在一番足を引っ張っているのは────
────あぁ、そうだ。分かっている。本当はずっと、分かっている。
頭の出来は補習授業部に放り込まれるほどだし、戦闘における強さだって正義実現委員会では中の下で、かといって指揮官としての才覚なんて持ってる訳もなく、大きな分派の後ろ盾や政治や外交の手腕もない。
何処まで行っても持たざる者で、ただの一生徒、特別なんかじゃない。平凡で、凡人で……皆の様に空を舞うような素晴らしい何かなんて、何一つとして持っていなかった。
決して届かない空を見上げるしかなかったコハルが憧れた場所が正義実現委員会だ。正義を体現する姿を見て、『自分もあんな風になりたい』と強く思った。そんな願いを抱いたまま、あの日憧れた背中を追って門を叩いた事から始まって、今では一番の尊敬している人から温かい言葉を掛けられている。
もう充分すぎる位に思い出は貰った。短い期間ではあったが憧れの人達と轡を並べ、過ごす事ができたのだ。例えこのまま夢に溶けてしまっても、過ぎた日々の残滓だけで────。
「それでは駄目なんですッ!」
そんな後ろ向きなコハルの思考はハスミの怒号にも似た叫びと共に吹き飛ばされる。
急な大きい声にびっくりしたコハルは怯えを携えて恐る恐るハスミを見れば、真剣な眼差しが真っ直ぐと彼女を貫いていた。その瞳に籠められた感情なんて分からない、コハルはエスパーでも超能力者でもないのだから。でも、本気で、本心で、コハルの諦観を消し去ろうとしてくれている事は、コハルを奮い立たせようとしている事は────ちゃんと分かった。
「……ごめんなさい。急に大声を出してしまって……ですがコハル、私達がこれからもずっと一緒に居るためには、今頑張ってもらわないと駄目なのです」
「……」
両肩に置かれた掌から伝わるのは確固たる信頼と期待。ハスミは必ずコハルならばやり遂げられると信じている。どの様な困難であっても、遠い道のりであっても必ずコハルならば歩けると。その信頼と期待に思わず目の奥が熱くなって、先とは違う感情を燃やして唇を噛み、小さな手を力一杯握り締めた。
────この信頼を、この期待を、この心を……裏切る様な事だけは絶対にしたくない。
「それに先生も必ず手助けしてくれます。そんな先生の為にも、同じ部員の方達の為にも、勉強を頑張るのが今コハルがやるべき事です」
「……はい。私、精一杯頑張ります! 頑張って、絶対に戻ってきます!」
「えぇ、期待していますよ。また一緒に正義実現委員会として頑張りましょうね────コハル」
▼
「えへへっ。は、ハスミ先輩の期待を裏切りたくないですから」
コハルは嬉しそうに頬を綻ばせる。期待されたことが、信頼された事が本当に心の底から嬉しかったのだろう。そんな彼女の様子を見てハスミもまた柔らかい表情を浮かべ、慈しむような手つきでコハルの頭をそっと撫でた。
「はい。引き続き応援していますよ、コハル。早く正義実現委員会に戻ってきて、一緒に任務が遂行できる時を心待ちにしていますから」
「は、はいッ、頑張ります……!」
意気込むコハルと、そんな彼女を心から信頼するハスミ。先輩と後輩の関係としては理想のそれに皆も胸の内側が暖かくなった。
「先生、皆さん。コハルをよろしくお願いいたします」
「勿論。責任を持ってコハルを送り出すよ」
「はい! コハルちゃんが復帰できるよう、私達も精一杯頑張ります!」
「無論だ。それが私達の任務だからな。コハルが頑張っているのに手を抜く理由が無い」
「ふふっ……私も、これからは頑張りますよ♡」
「……本当に良い友達を持ちましたね、コハル」
1つだけ手つかずのパフェはハスミが「皆さんが食べてください」と言ったため、補習授業部の4人で分け合って味わい。ハスミは半分ほど食べ進めたパフェに舌鼓を打つ。6人が話すのは補習授業部の事やトリニティの事だったり、或いはスイーツの事だったり……本当に色々な取り留めのない事。
そうして時計の長針が1周するほどの時間が過ぎた頃、不意にバイブレーション音が聞こえた。先生はポケットからスマホを出すが着信の通知は来ていない。
「失礼、私です」
音の主はハスミのようで、彼女はポケットからスマホを取り出して画面を傾ける。ホーム画面には着信の通知、掛けてきたのは正義実現委員会の後輩である仲正イチカだった。ハスミは「こんな時間に連絡……?」と疑問を抱きつつ、応答をタップし耳に当てる。
「イチカ、どうかしましたか?」
『こんな時間にすみません、ハスミ先輩。ちょっと問題が発生しちゃいまして……今何方にいらっしゃいますか?』
「所用があったので外出中でしたが……問題ですか。詳しく聞かせていただけますか?」
『えっと、私もあんまり詳しく把握してないんですが……どうやら学園の近郊にゲヘナ所属と推測される生徒が無断で侵入、更に無差別に銃撃を行いつつトリニティの施設を襲撃している、との情報が』
「襲撃……」
その言葉でハスミのスイッチが切り替わる。先ほどまで幸せそうな顔でスイーツを食べていた姿は何処へやら、一瞬で正義実現委員会のNo.2に相応しい固く鋭い雰囲気となる。急いで荷物を片付け銃を手に取り、何時でも出撃できるように。
「誰が襲撃を掛けたのですか? ゲヘナの風紀委員会ですか? それとも万魔殿が遂に本性を?」
『あ、いえ、それが……』
「いえ、誰であれ構いません。きっとエデン条約を邪魔しようとする意図に違いありません……! すぐに向かいます! 敵の規模、詳細な場所、施設の情報、私達の動かせる人員を教えてください」
『先輩、落ち着いてほしいっす。取り敢えずゲヘナの風紀委員会でもないですし、万魔殿でもないっす。兵力も全然少なくて、今確認されてるのは4人だけっすよ』
「……はい? 4人ですか? それも風紀委員会でも、万魔殿でもなく……?」
『はい、それで合ってるっす』
てっきりエデン条約を妨害しようと卑劣にも夜襲を仕掛けてきたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。しかも相手は風紀委員会でも万魔殿でもないとなれば、一気に心当たりが無くなってしまった。
その上、相手は4名。フットワークを重視するにしても4人は流石に戦力としては少なすぎる。片手で数えられる人数でトリニティの勢力は崩せないのだ。その4人が全員空崎ヒナであれば話は別だが、人は突然増えたりしないし、分身もできない。となると、本当に一体誰が────?
『それで、襲撃されたのは……アクアリウムみたいっすね』
「あ、アクアリウム……? アクアリウムとは、あのアクアリウムですか?」
『はい、水族館のアクアリウムっす』
「えっと、一体どうしてそんなところを……?」
『さあ? 私もよく分からないっすけど、何だか展示中だった希少種のゴールドマグロを強奪して逃げてるとかで』
「ゴールド、マグロ……? すみませんイチカ、本当に一体何が……?」
『いやー、それが私達もさっぱりで。一応、ゴールドマグロは凄い高い魚らしいので、何処かに売り飛ばそうとしてるって考えてるんすけど……あ、追加で幾つか情報が送られてきたっすね、ちょっと待ってほしいっす』
向こう側でイチカが別の誰かと数回会話した後、『うーん』と呻る声が聞こえた。それから紙にペンを走らせる音がかすかに聞こえたのち、再びイチカがスマホを手に取った。
『お待たせしましたっす、先輩。どうやら正体はゲヘナのテロリスト集団、美食研究会らしいっす』
「美食……? 待ってください、まさかゴールドマグロを食べるつもりなのですか? そもそも食べられるのですか? アクアリウムは生簀ではないのですよ?」
『いやー、それは本人達のみぞ知るって感じっすね。一応、種別的にはマグロらしいんで食べられるとは思うっすけど、美味しいかどうかは……で、その美食研究会ですが、会長の黒舘ハルナはゲヘナの中でも要注意人物とされてる例の奴っすね』
────遠くで爆発音が聞こえた気がした。