シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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身体が軋むほど抱きしめて

 ハナコを部屋まで送り寝かせた後、先生はそのまま自室に戻っていた。シーリングライトの光量を最小まで落とし、部屋の下の方に溜まっていた淀んだ空気を追い出す様に窓を開ける。吹き込む風は少しだけ熱を持っていて、雨上がりの独特な湿り気も相まってあまり心地良いものではなかった。

 

「────」

 

 先生はその風を全身で浴びて、眼を閉じる。夜に吹き抜ける風は宙の溜息のようで、朝や昼の溌溂とした生命の活気に溢れるものとはまた異なる感触。冷たさと静寂で満ちた濃紺の風は先生の全身を確かめるように撫でて通り抜けていく。身体と心が冷える感覚はクールダウンに近いが、彼の目的はそれではなかった。

 

「……らしくないな」

 

 生徒には決して見せる事のない自傷行為にも似た嘲笑。その矛先は徹頭徹尾自身に向けられていて、彼は馬鹿の一つ覚えの様に自身の喉元に切先を突きつけている。

 

 彼が罰した己の感情の名は郷愁。ハナコと話した時に思い起こした最初の後悔。連邦生徒会長について。

 

 互いが互いの最大の理解者。互いが互いの星。互いが互いの唯一無二にして特別。口には出さないが周りの誰もが2人についてそう思っていたし、彼も連邦生徒会長も心の奥底では『あの人を真に理解できるのは自分だけ』と自負にも似た感情を抱いていた。

 

 今考えれば酷く傲慢な思い上がりだ。彼は彼女について知らない事ばかりで分からない事ばかり。いつか星を殺すインヴェーダーの端末如きが、あの子の何を語れるというのだ。

 

 ────そうだ。知らない事しかない。分からない事しかない。問い質したい気持ちで一杯だ。

 

 自分は彼女の事を何一つ分かってあげられなかった。何一つ彼女にしてあげる事ができなかった。それなのに、何故。

 

「ねぇ、教えてよ。連邦生徒会長。何故、君は────」

 

 何故、私を『先生』としてキヴォトスに誘致したのか。

 何処を見て、何を感じて、何に触れて、先生に相応しいと思ってくれたのか。

 

 何故、自分にキヴォトスの後を託したのか。

 君をずっと傍で支え続けたリンではなく、君の背を追い続けたカヤではなく。何処までも断絶している異邦の生命を後継者として選んだのか。

 

 何故、居なくなってしまったのか。

 誰よりもキヴォトスで生きる人々とこの世界を愛していたのは君だった。誰よりもこの星の未来を信じていたのも君だった。君がこの世界で生きるべきだ。君こそが幸せになるべきだ。それなのに、今の世界に君はいない。

 

 あの時、消えるべきは。死ぬべきは。人としての全てを失うべきは……救世主(わたし)だったのに。

 

「……」

 

 先生はゆっくりと眼を閉じる。寒さの厳しい冬の朝、火の消えた暖炉の前に立っている時の様な熱の残滓と灰の香り、寂しさ。吸い込むと主張無く灰を通り抜けて、僅かに焦げた香りと共に感情を飲み干す。この感情は先生(わたし)に相応しくないものだから。その感情は、その想いは、あの子と共に駆け抜けた先生(わたし)のものだから。

 

 壁に掛けてある時計を見る。時刻は午前3時を回った頃。あと1時間も経てば空が明るくなる。すっかりと早くなった日の出に季節の変遷を感じるが、まだキヴォトスに来てから2ヶ月程度しか経っていない。やるべき事は山積みだ。だが、今は目の前の事に集中しないといけない。補習授業部を無事に卒業させる事と、エデン条約を締結させる事。この二つを完遂しない限り、望みの実現は叶わない。

 

「よしっ」

 

 先生は両頬を軽く叩き、気合を入れ直す。先ほどまでの憂いを帯びた姿は忽ち消え去り、いつも通りの先生に早変わり。今日という一日を精一杯生きるべく彼は立ちあがり、郷愁と後悔に別れを告げた。

 

 

 ▼

 

 

 午前4時が目前に迫る頃。今日の準備を済ませた先生はいつも使う教室の前に立っていた。授業が始まる9時を前にするまでは先生以外はあまり足を踏み入れない場所であるのだが、今日はどうやら違う様で扉の隙間から明かりが漏れている。誰かいるのだろうか、と思いながら扉を開けると其処に居たのは。

 

「……む、先生か。おはよう」

「おはよう、アズサ」

 

 制服姿で机に向かっていたアズサが扉から現れた先生にふわりと笑いかければ、彼も同じように笑って少し早い挨拶を交わす。彼女の手元にあるテキストは試験に出そうな応用問題が幾つかあるもの。既に基礎は充分固まっているため応用の方に手を出し、合格点を超える勉強ではなく、点数を伸ばす勉強にシフトしたのだろう。ちらりとノートを見れば苦戦の形跡こそあるものの太刀打ちできているようで、これならば部分点は勿論、完答も狙えるレベルだ。目覚ましい成長に彼は喜び、使っていない椅子を1つ引っ張ってアズサの隣に座る。

 

「自習かい?」

「うん、目が覚めたからやっておこうと思って」

「偉いね」

 

 彼がそう言うとアズサは分かりやすく胸を張り、自信満々な表情。その表情のまま彼の方にずいっと頭を差し出す。何度か見た彼女のサイン。分かりやすいそれに彼は酷く優しそうな笑みを浮べて、彼女の頭を撫でていく。枝毛一つない、丁寧に手入れされた長い髪。擽ったそうに細める眼からは様々な感情が溢れていて、心からリラックスしているように見える。

 

「前から思ってたけど、アズサって甘えん坊だね」

「……先生は、迷惑?」

「いいや、全然。寧ろ嬉しいくらいだよ。アズサが甘えてくれて、ね」

 

 どこか不安そうにそう問いかけてきたアズサの不安を薙ぎ払うように彼がそう言えば、安心したような表情を浮べて彼の肩に身を預ける。それを拒む事はせず、彼は椅子同士をぴったりとくっつけて更にアズサの近くへ。そうして何分か頭を撫でているとアズサは満足したようで、徐に彼に預けていた頭を離した。

 

「元気が出た。ありがとう、先生」

「それは何よりだけど、無理は駄目だよ。朝早く起きた分、今日は早めに寝ようね」

「うん、了解した」

 

 アズサは再びテキストに視線を落とし、ノートに問題を解いていく。それなりに難易度の高い問題が集められたテキストだが、ハナコやヒフミ、コハル、先生に教えられ、その多くを吸収しているアズサはしっかりと解き進め順当に正解を重ねていた。初見の問題であっても今までの知識を動員し取り敢えずやれるところまで進めて、これ以上はどうにもできなくなった段階で「先生、少し教えてほしいんだけど……」と彼の袖を引く。

 2人きりの静かな時間はあっという間に過ぎて、ふと時計を見ると6時前になっていた。少女達の起床時刻の1時間前。

 

「一旦休憩を挟もうか。アズサ、朝食は食べた?」

「まだ食べてない。先生は?」

「私もまだだよ。作ったけど、先に授業の準備をしようと思ってこっちに来たからね」

「そっか、なら一緒に食べよう。一人で食べるより先生と一緒に食べた方が美味しいから」

「……そう言われると断れないな」

 

 彼は苦笑交じりの曖昧な笑みを浮べて立ち上がり、ぐっと背伸びをする。

 未練、甘え、感傷。喉の奥でずっと燻っている死に逝く体への感情。明日を思って生きると決めた自分には必要無いもの。それをそっと心の奥に追いやって、彼はアズサに手を差し伸べる。

 

「行こうか、アズサ」

 

 

 ▼

 

 

 8時半過ぎ。ベッドから出て、シャワーや歯磨き、着替え、朝食、その他身嗜みを整えたヒフミ、ハナコ、コハルは廊下を歩き、いつもの教室に向かう。少女達の会話の内容は今この場に居ないアズサについて。朝起きた時にはベッドは蛻の殻で、食堂にも大浴場にも姿は見えず。もう教室に行っているのかなと会話を交わしていると教室の扉の前に辿り着く。

 

 先頭に立つヒフミは取っ手に手を掛け、押し込むと中から柔らかい先生の声と鋭いアズサの声が同時に聞こえた。

 

「おはよう、皆」

「遅い! おはよう!」

 

 教室の中にはいつも通りの笑みを浮べ手を振る先生と気合十分な表情で問題集と向き合うアズサ。彼は椅子を元の場所に仕舞い教壇の方へ移り、少女達も各々の席に着く。

 

「おはようございます。お2人とも早いですね?」

「おはようございます、アズサちゃん、先生」

「おはよ……もう勉強してたの?」

「あぁ、私と先生は2人とも日が昇る前には既に此処で予習と復習をしていた」

 

 そう言って、アズサはこれまでの頑張りの成果を皆に見せる。早朝から今までテキストと向き合っていた成果は問題の横のチェックマークとノートに書きこまれた解法。恐らく何回も繰り返し解いたのだろう。ページには折り目が付いていて努力の形跡がはっきりと分かる。

 

「ふふっ、やる気満々ですね。アズサちゃん」

「当然だ。なんせ、今日も模擬試験がある……あるよね、ヒフミ?」

「はい、朝一でやろうかと……アズサちゃんはその様子ですと、もう模試への準備は万全という感じですね?」

「うん、第二次特別学力試験まで2日しか残ってないし、いつまでも皆に心配をかける訳にはいかない。そして、今回こそ……!」

「す、凄い気合い入ってるじゃん……」

 

 そう言い、アズサは掌を力一杯握り締める。一体、何が彼女をここまで駆り立てるのだろうか。明らかに今までと異なる充分過ぎる気合いに少女達は若干気圧されるが、それも一瞬。負けてはいられないとばかりに彼女達も気合いを入れ直し、各々意気込みを口にする。

 

「試験範囲の予想問題も、もう何週もしてある。準備は完璧だ」

「わ、私も負けないんだから! 正義実現委員会のエリートの力、見せてあげる!」

「では、私も精一杯頑張るとしましょうか♡」

 

 必ず良い結果を出すという意志。充分に入った気合いと熱意。それを見てヒフミは心底嬉しそうな笑みを浮べる。色々あったが、こうして同じ方向を向いて頑張ろうと思えるようになった。これならば合格に届くかもしれない────そんな期待を胸に抱き、ヒフミは皆と同じく気合いを入れる。

 

「皆、良い感じに張り切ってるね」

「はい……! では、折角の勢いですし、早速模擬試験を始めても大丈夫ですか?」

「そうだね。じゃあ皆、準備しようか」

 

 

 ▼

 

 

 ────第三次補習授業部模擬試験。

 

「用紙は全部行き渡ったかな? 問題用紙は2枚、どちらも両面印刷。解答用紙は片面印刷で1枚。白紙のプリントが1枚。印刷ミスがあったら教えてね」

 

 先生は教壇に立ち、4人を見渡す。机の上には配られた4枚のA4サイズの紙と筆記用具のみ。この形式の試験は本番も含めるとこれで4回目。丁度良い緊張感はそのままに、どこかリラックスしているような少女達は一様に自信満々な表情。これまでの努力、重ねてきた時間が少女達の背中を強く押す。必ず合格できる、してみせると言わんばかりの彼女達に先生は嬉しそうな笑みを浮べたのち、表情を引き締めた。

 

「無さそう、かな。では────」

 

 先生は時計に視線を送る。カチカチと鳴る時計の針の音。静寂に満ちた十数秒が過ぎ、時計の長針が12に重なった瞬間────。

 

「試験開始!」

「……っ」

 

 試験開始の合図が聞こえるや否や、少女達は背面を向けていた用紙を裏返し問題に視線を走らせる。テストの形式はトリニティ基準のオーソドックスなタイプ。前半に一問一答形式の基礎問題、中盤は基礎の範囲で思考力、理解を問う記述問題、後半は難易度が高めな記述問題。このうち、第一次特別学力試験や一回目の模擬試験では点数を稼げるはずの前半部分ですらミスが目立ち、躓いていたが……今の彼女達であるならば。

 

「……」

「ふふっ……♡」

「こ、これ、知ってるはず……えっと、んと、んんん……っ!」

 

 黙々と手を動かすアズサ。まるでペンを転がすような手つきでさらさらと解答欄を埋めていくハナコ。呻り、頭を抱えつつも手を動かしペースは遅いながらも着々と解いていくコハル。テストの問題に全く太刀打ち出来ていなかった最初の頃とは全く異なる様子に、ヒフミは歓喜に似た感情で以て心の中で呟く。

 

 ────何だか皆、手の動きが以前より早くなっているような……! 勉強の成果がちゃんと出ています……! 

 

 自信、不安……各々の感情を抱えて、目の前の問題を解き進める少女達。それに負けていられないと強く思ったヒフミはペンを握り締め、問題用紙に視線を落とした。

 

 

 ▼

 

 

「皆、お疲れ様。採点終わったから結果発表したいんだけど、準備はいいかな?」

「は、はい! では、先生、発表をお願いします!」

 

 テストが終了して20分ほど経過した。皆の解答用紙を回収し採点を済ませた彼は、4枚の紙とその上に書かれた点数に視線を落としながら皆に声を掛ける。

 コハルは自信と不安が丁度半々で、これから配られる結果に期待しつつも……といった表情。

 アズサは達成感に満ちているのはいつも通りだが、そこに自信も加わっているため一人だけ既に合格したかのよう。

 ハナコはいつも通りの笑みを浮べて余裕綽々、まるで結果なんて見ずとも分かっていると言わんばかり。

 

 ヒフミは皆の様子を眺めつつ、緊張と期待と不安が相混ぜになった表情で先生に結果の開示を求めた。こんなに緊張するのはいつ振りだろうか、なんて思い固唾を呑んでいると……彼の口から少女達4人の点数と合否の結果が語られる。

 

 第三次補習授業部模試、結果。

 

 阿慈谷ヒフミ────75点、合格。

 

 浦和ハナコ────69点、合格。

 

 白洲アズサ────73点、合格。

 

 下江コハル────61点、合格。

 

 その結果を聞いた少女達の空気が一瞬固まる。少女達は配られた自身の解答用紙の右上に書かれた点数に視線を落とし、それから他の用紙も見た。何度見ても間違いはない、全員の点数が60点を超えている。これは、つまり────全員合格、補習授業部の卒業要件を満たしたという事。

 

 それを正しく認識した少女達は大きな歓喜の声を上げる。

 

「や、やりました……ッ!」

「ほ、本当ッ!? 嘘ついてない!?」

「……!」

「あらあら……♡」

 

 歓喜のあまり解答用紙を握り締めて全身を使って心を駆け巡る想いを表現するヒフミ。

 自身の点数には全く関心を持っていないが、皆と一緒に合格できたことを心から喜ぶハナコ。

 自信こそあったものの、点数が予想よりも高くどこか呆気にとられた様な表情のアズサ。

 信じられないと言わんばかりに点数と名前欄、解答欄の間を視線が往復するコハル。

 

 理想とも呼べる喜ばしい結果。だが、これは決して理想ではなく現実なのだ。それはこの解答用紙達を採点した先生が、皆で頑張ってきた努力が強く裏打ちしている。積み重ねてきた努力が花開いた証明とも呼べる点数に喜びと達成感を花束の様に抱えた少女達は思いの丈を口にする。

 

「凄いです! アズサちゃん、60点どころか70点を超えてしまいました! 本当に凄いです! 頑張りましたね!」

「……うん!」

 

 アズサの点数はヒフミと僅差。最初は41点と合格には遠かったが、二回目の模擬試験で合格点に迫り、今回で晴れて合格点を超える事ができた。僅かな期間で30点以上伸びたのは彼女の努力の賜物だろう。ヒフミはアズサの両手を取ってまるで自分の事のように喜び、アズサもまた笑みを零す。

 

「コハルちゃんも! 以前のテストでも伸びが凄いと思っていましたが、あれから更に伸びるなんて凄いです!」

「ゆ、夢とかじゃないよね……! ほ、本当に……!」

「夢でも嘘でもないよ。これは正真正銘、コハルの実力だ。よく頑張ったね」

 

 半信半疑で採点者を見れば、コハルの実力が点数として出たのだと太鼓判を押す。すると彼女は両肩を僅かに震わせ、若干涙目になってガッツポーズ。収まらない喜びと達成感のまま、彼女は結果に裏打ちされた自身を携えて胸を張る。

 

「あはっ……! こ、これが私の実力よ! 見たか!」

「はい! これぞ正義実現委員会のエリートです! 流石です!」

 

 コハルの大躍進とも呼んで差支えない点数の伸びに喜ぶヒフミはアズサと同じように手を取って大いに喜ぶ。大袈裟と言えなくもないほどに喜ぶ彼女の姿を見ると、頑張って良かったと心から思い、同時に本番も決して気を抜かず臨もうと思える。自分の点数をこんなにも喜んでくれた人を悲しませたくはない。

 

「それに、ハナコちゃんも……!」

「……えぇ、運が良かったですね、うふふ。良い感じの数字です♡ そうは思いませんか、先生?」

「ハナコもよく頑張ったね」

 

 華麗に点数に関してスルーした先生はハナコに微笑む。思う所は色々とあっただろうに、彼女はそれを抑え込み皆の事を優先してくれた。その善意と努力には心からの感謝と賞賛を送りたいと謂う彼の想いを持ち前の洞察力で察してしまった彼女は少しだけ恥ずかしそうに笑うと……とん、と体の正面に軽い衝撃が訪れる。

 

「は、ハナコちゃん……ッ!」

「あら……?」

 

 ハナコを真正面から抱きしめたのはヒフミであった。綺麗な瞳に大粒の涙を浮べ、しかしその笑みは決して崩さずに抱きしめる彼女には流石のハナコも困惑が勝るようで驚きの表情。喜んでくれるのは嬉しいけれども、別に泣く程の事でもないだろう。そもそも、ヒフミはハナコが今まで手を抜いていた事を知っているし、この点数がハナコの本気ではない事も分かっているはずだ。一体、何が彼女の心に触れたのだろうと思っていると。

 

「良かった、本当に良かったです……ハナコちゃん、うぅ……」

「ひ、ヒフミちゃん……?」

 

 ヒフミはハナコに抱き着いたまま、喜びや安堵が相混ぜになった涙を流す。

 

 ────ずっと、心配だった。ヒフミの心にあった一番の心配はハナコについてのものだ。

 アズサとコハルが抱えている問題は単なる点数であり、テキストの内容を理解し切れていないが故の学力不足が原因だった。これらは根気強くテキストを読み込み内容を噛み砕いたり、実際に問題を解いて定着させれば解決する問題だ。

 だが、ハナコは違う。学習内容は理解しているし、それをアウトプットする事も出来る。そうでなければあそこまで分かりやすく教える事はできないだろうし、何より彼女の優秀さは盗み見る形ではあったものの明確な点数として知っている。だからこそ、彼女が点数を取れない、或いは取らない事が一番大きな問題であり気がかりな事であった。

 

 一体、彼女に何があったのだろうか。テストの点数を見たと言った時、何故あんなにも傷ついたような表情を浮べていたのか。彼女の心には何があるのか。何を抱えて、今此処に居るのか。それについて最近知り合って友達になったばかりのヒフミは知らないし、ハナコが話してくれるまで知るつもりも触れるつもりも無い。

 だが、ただ心配だった。皆が合格できるように点数を取ってほしい……そうやってお願いした時に見せた表情。彼女に無理をさせていないか。彼女の悲鳴を聞き逃していないか。彼女の涙を見逃していないか。彼女の心が傷ついていないか……それが、本当に心配で。

 

「ハナコちゃんに何があったのか、何を抱えているのか。私には分かりませんが……ずっと、ハナコちゃんが無理していないか心配で……でも良かったです……」

「ヒフミちゃん……」

 

 鼻を啜り、涙を浮べてそう言うヒフミにハナコは言葉を詰まらせる。だって、自分(ハナコ)は皆を騙していた訳で。皆が頑張っている中、ずっと違う方向を向いていて。今もまだ本気でやっていないのに────優しい彼女にそんな事を言われる資格が果たしてあるのか。そう考えると途端に自分が汚らわしいものに思えて、汚したくなくて彼女の抱擁から逃れようとしても……彼女は抱きしめる力を強めて離してくれない。まるで、どんなものを抱えていても肯定し続けると言うように。

 

「……私の事を、そこまで考えてくれていたんですね。本当に、嬉しいです……」

「い、いえ! お友達の事を思いやるのは当然ですから! 前の実力を取り戻せるよう、私も精一杯お手伝いしますね! 本当に、本当に善かったです……!」

「はい……ごめんなさい。ご心配をおかけしてしまって……」

 

 そう、これはヒフミにとっては当たり前の事。友達の事を心配するのも、思いやるのも、喜ぶことも、涙を流す事も当たり前。その当たり前がどれほど素晴らしいものなのか、その当たり前で救われる人がいるのか……彼女は知らないまま歩んできた。知らないまま優しい人になった。だからこんなにも暖かい。

 

 ハナコはそっと手をヒフミの背に回し、同じ力を込めて抱きしめる。するとヒフミは更に嬉しそうな表情を浮べて、ハナコも思わず微笑みではなく年相応の少女らしい笑顔が内側から零れた。

 

 ────漸く見つけた大切な居場所。大切な人達が当たり前に笑うこの小さな世界を守りたい。絶対に、何としてでも。

 

 ハナコはそう思い、胸に満ちた暖かさと共に眼を閉じた。

 

 

 ▼

 

 

「……という事で、約束通りモモフレンズグッズの授与式を始めますっ!」

 

 最初の模擬試験が終わった折に約束したご褒美の話。特に細かい条件は決めていなかったが、渡すなら全員が合格点を越えた今がベストだと判断したのだろう。このご褒美を糧に本番でも頑張ってほしいという彼女なりのエールなのかもしれない。

 

 全モモフレンズファン垂涎のぬいぐるみたちが教壇の上に並ぶ光景を前に、渡す側だというのに既にテンションが最高潮なヒフミは声でステップを踏むかの如く。一般的なフォルムの教壇の上にぬいぐるみが所狭しと整列している光景は若干異様であるが、これはこれで良いだろう。先生は皆から離れた場所で微笑ましそうにその光景を眺めていた。

 

「……ッ!」

「あはは……」

「……」

 

 ヒフミのテンションの高さに追いついているのは同じくモモフレンズに大きな興味を示しているアズサだけで、ハナコは苦笑いしながらさらりと流し、コハルに至っては死んだ魚の様な目をしながら教壇の上に並ぶぬいぐるみ達を見ている。どうやら2人の趣味には合わないようだ。

 

「さあどうぞ! 皆さん好きな子を、欲しい子を自由に選んで良いですよ!」

「なるほど、となると……! むむ……!」

 

 ヒフミがそう言うや否や教壇まで駆け出し、至近距離でぬいぐるみを見るアズサ。キラキラと宝石のように輝く瞳で見つめる彼女は年相応か少し幼く見えて、ぬいぐるみを手に取るとふわふわとした感触に幸せそうな笑みを浮べている。

 

「ハナコちゃんとコハルちゃんもどうぞ!」

「えっと、私は謹んで遠慮しますね」

「わ、私も……」

「あ、あうぅ……そ、そうですか……」

 

 ヒフミは席から動かない2人に声を掛けるがあえなく撃沈。2人が興味を示してくれなかったのは残念だが、無理に押し付ける真似はしない。ヒフミは気持ちを切り替えてアズサの方に視線を送った。

 

「ど、どうしよう……私は、私は……!」

 

 ぬいぐるみを両手に持ち、視線は右往左往。本当に心の底から悩んでいる時にしか出ないような声を上げる彼女は意を決し、何方かを選び取らんとするが……やはり決め切れないようで。

 

「ダメだ、この中から選ぶなんてそんな難しい事……! スカルマンも良いし、ペロロ博士も捨てがたい……!」

「……ヒフミちゃん、私とコハルちゃんの選ぶ権利をアズサちゃんに譲渡する事はできますか?」

「は、はい、別に大丈夫ですが────」

「いや、それは駄目だ。ご褒美は一人一つまで、それは譲れない」

「なんでそこは頑固なのよ……」

 

 あまりにも難しい二択を突きつけられたアズサを救うべくハナコが助け舟を出すが、その申し出はアズサ本人によって一蹴される。ご褒美は一つ、例え本人から譲り受けたとしてもそれを覆す事を彼女は良しとしなかった。ルールや決まりに厳格なのは彼女らしいと言えばらしい。

 

「どうすれば……この何方かを選ぶなんて、私には……! 私には、無理だ……頼むヒフミ。ヒフミが私の代わりに選んで……」

「わ、私が、ですか? えっと、スカルマンとペロロ博士ですよね? でしたら、そうですね。強いて選ぶとすると……」

 

 白羽の矢が立ったヒフミはアズサが手に持つぬいぐるみを受け取り、交互に見る。スカルマンとペロロ博士。確かに何方も捨てがたいが、勉強を頑張ったご褒美であげるキャラクターとして相応しい子が何方かと言われると……。

 

「ではこちらの、インテリなペロロ博士でどうでしょうか!」

「……! よし、じゃあこの子だ!」

「実はこのペロロ博士は物知りで勉強もできるという設定なんです。正に今、お勉強を頑張って、凄い成長をしている真っ最中のアズサちゃんにぴったりかなと!」

「なるほど……」

「ちょ、ちょっとだけ勉強しすぎた所為で、少しおかしくなっているという裏設定もあるのですが……」

 

 アズサはヒフミから受け取ったペロロ博士を大事そうに抱きしめ、はにかむ。顔を埋めてふわふわとした感触を味わい、緩んだ笑顔を見せる少女に皆も一様に笑みを浮べた。

 

「良かったね、アズサ」

「うん、気に入った。本当に可愛い、好き。えへへ……ありがとう、ヒフミ。これは一生大切にする」

「あ、ありがたいのですが、そこまで言っていただけるとちょっとビックリしてしまいますね……!? ですが、私も嬉しいです! それは、アズサちゃんがやり遂げた証明ですから!」

「うん。それに、大切なヒフミから貰った初めてのプレゼントだから……これからはペロロ博士の事をヒフミだと思って大事にしよう」

「そ、それはちょっと恥ずかしいですね……!」

「うーん、趣味の世界は広いですねぇ」

「そうだねぇ」

「……アレのどこがいいのよ……」

 

 コハルの若干引いたような声に先生とハナコが苦笑いを浮べて……仲睦まじい2人の少女に暖かい視線を送る。どうか、この平穏な日々が毎日続きますように、と。

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