シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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事後処理

 

 便利屋68、狐坂ワカモ、飛鳥馬トキの協力によりゲヘナ自治区に繋がる連絡橋を抜けた補習授業部。寿命を燃やす勢いで全力疾走を重ねればヘイローを持つ少女と雖も限界で、車通りの少ない大通りに出た瞬間に荒い息を吐き出した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 酷使によりがくがくと震える膝から下。汗で張り付いた制服の感触が何とも不快で、火照った体を冷ますように風が通り抜けても夏の始まり特有の生温い風では却って不快指数を上昇させるばかり。半ば過呼吸になりかけている息を整える事をほどほどに、少女達の視線はアズサの後ろで眠っている先生に向かった。

 

「アズサちゃん、先生は……!」

「大丈夫、息はさっきから安定してる。でも、傷が開き始めてるから急がないと……」

 

 アズサは背負っていた先生を前に持ってきて横抱きにし、そっと顔色を窺う。先ほど……彼が終末悪の落胤と呼んでいた何かと戦っていた最中よりはかなり良くなっていて、呼吸も安定してきた。シッテムの箱のリソースが生命維持に割り振られたお陰だろう。だが、シッテムの箱でも傷口を完全に塞ぐ事は難しかったようで、少女達が処置した包帯やガーゼの下からは徐々に血が滲んでいた。失血死のラインが分からない今、少量の出血でも油断はできない。

 焦燥を滲ませたアズサはまるで宝物を抱えるように、ぎゅっと大切そうに彼を抱きしめる。もう失わない、失いたくない、二度と手放さない。繋いだこの手だけは絶対に離すものかと言うようにアズサは彼と固く手を結び、帰りたい場所に帰るべく前を見据えた。

 

 その決意に溢れた彼女の姿を見て、ヒフミも息を呑んで握った拳に力を込めた。そうだ、まだ何も終わっていない。一番危険と思われるゲヘナ自治区を抜けたとしても彼が生死の境目を彷徨っている事実に変わりないのだ。鉄火場を抜けて緩んでしまった気を引き締め直した所で、ハナコが真剣な表情で「……皆さん」と呟いた。

 

「ど、どうしたのよ、ハナコ?」

「時間が惜しい。何かあるなら手短に頼む」

「此処からの行先についてです。私達は何処に向かうべきか、或いは皆さんが何処に行くつもりだったのか」

「どこって、あの合宿施設ですが……」

 

 ハナコの言いたい事がよく分からなかったヒフミは疑問符を浮べながら、数時間前に出発地点となった場所を呟いた。と言うより、そこ以外に行けるような場所なんて無いのだ。ヒフミやハナコ、コハルが住んでいる寮はとっくに施錠されているし、学校もまた同様。アズサの自宅ならば行けるだろうが、合宿施設よりも離れているため態々目的地に据える必要は無い。

 何故こんな事を聞くんだろうと隣を見るとコハルも同じような疑問符を浮べていて質問の要領を得ていない様子。対して、アズサは神妙な表情で「……成程な」と呟いた。

 

「今トリニティ自治区に入るのはリスクが高い……ハナコはそう言いたいんだな」

「えぇ、トリニティ自治区はティーパーティーの庭です。ゲヘナ自治区よりも余程やり易いでしょう。荒事があっても揉み消せますし、こっそりと邪魔者を排除するにはうってつけだと思いませんか?」

「そ、そんな事……」

「しない、と言い切れますか?」

 

 ヒフミとコハルは言葉を詰まらせる。しない、なんて言い切る事は出来ない。だって、自分達は今までその正反対の渦中に居たのだから。寧ろ逆で、肯定できるような証拠しか持ち合わせていなかった。

 

「今回の件は不可解な点が多過ぎます。ナギサさんとて、先生を巻き込んだらどうなるか分からない訳ではないでしょうに。最悪、エデン条約を結ぶ前にトリニティが地図から消えかねない暴挙です。加えて、現地にいた監視員まで巻き添えにしていますし……」

「それは考えても仕方ない事だ。分からない事は分からないで良い。今は目的地を決める方が先だ」

「候補は2つです、シャーレか近場の緊急外来か……」

「安全性を考えるならシャーレだが、此処からは遠いな……緊急外来は?」

「こちらも近くはないですね。最低でも30分は掛かるかと」

 

 アズサは舌打ちを1つする。安全地帯と呼べる場所は遠い。時間を掛けていられない容体のため、遠いならそれだけで候補から外れる。だが、合宿施設はティーパーティーの庭の中。何処へ行っても角が立ってしまう。どうすれば、と思考を必死に回していると腕の中の先生が少し震えた。

 

「……げほッ、げほッ」

「先生ッ! 大丈夫か!?」

 

 弾かれたアズサは彼が楽な体勢になれるように抱え方を変え、心配そうに彼を覗き込む。薄く開いた眼は血で濁っていて、口元を押さえた袖口は少しずつ赤に染まっていく。少女達は彼の傍に近寄り祈りを込めて見守っていると、それが通じたのか徐々に発作が落ち着く。咳が止まった所で彼は口を覆っていた手を退けて、まるで少女達を安心させるように笑いかけた。

 

「皆、無事……?」

 

 今にも消え入りそうな声。血で塗れて、苦痛で歪んで、それでも尚優しさと暖かさを失わない彼の姿。ふわりと笑ったその表情は文字通り散る間際の花のようで……それを見た途端、とうとうコハルの堪忍袋の緒が切れた。

 

「こんな時くらい自分の心配してよ! バカじゃないのッ!?」

 

 この期に及んで、こんなにボロボロになって、文字通り死んでもおかしくないような怪我をしているのに、目を覚まして一番最初に出てくる言葉が生徒への心配の言葉。一番痛いのも辛いのも自分だろうに、他人の心配をする彼に堪忍袋の緒が切れたコハルは大きな瞳に涙を溜めてまるで怒鳴るように叫んだ。彼がこんな容体でなければ胸倉を掴み上げていたであろう勢いには流石の彼も驚きで目を瞬かせて……それから、悲しそうに眼を細めた。また悲しませた、また泣かせたと、消せない痛みと共に。

 

 心の底から怒る事なんて滅多になかったのだろう。コハルは肩で息をしていて、明らかに怒り慣れていない様子。そんな優しい彼女をここまで追い詰めてしまった罪悪は首を絞めて、益々自分が嫌いになった。

 そうして彼が自己嫌悪を新たにすると、コハルは気丈に固めた表情をくしゃりと歪めて小さな手で縋るように抱き着いた。

 

「本当に、本当に怖かったんだからぁ……ッ」

「ごめん、ね……」

 

 失う事が怖くて。居なくなってしまうのが怖くて。もう会えない事が怖くて。もう一緒に居られないのが本当に怖くて。涙で滲んだその声は恐怖と安堵で彩られていて、彼は壊れたオルゴールのように「ごめんね」という何の気休めにもならない4文字を呟く他なかった。彼女の涙よりも強い言葉も意志も、彼は持ち合わせていない。

 

 彼はある程度意志に沿って動かせる右腕でコハルを抱き寄せ、頭を撫でつつヒフミとハナコに視線を送る。ハナコも大きな安堵を浮べていて、ヒフミに至っては半泣き。こんな自分を思って苦しまなくて良いと嘯くのは、彼女達の優しさに対する侮辱なのだろうか。答えの出ない問いを喉の奥に仕舞い込んで、先生は再び「皆は大丈夫?」と声を投げた。

 

「わ、私達は無事です。便利屋68の皆さんと、ワカモさんとトキさんに助けていただいたので……」

「そっか……なら、良かった……今は、何を?」

「今行先を考えていたところ。シャーレか緊急外来か。先生はどっちがいい? 私達は先生の意見を優先する」

「……いや、そんな遠くまで行く必要はないよ。合宿施設に行こう」

「だが……」

「こんな事になったとはいえ、今合宿期間中なんだ……あそこから離れるのは得策じゃない」

 

 不測の事態になったとはいえ、今は合宿期間中。ナギサからは不要な外出は禁止されているのだ。この外出は試験会場へ行くためのものと言い切る事が出来るが、今から別の場所へ行ってしまえばルールに抵触する。ただでさえ立場が良くない今、下手にティーパーティーに突かれる隙を増やすわけにはいかないのだ。

 

「ですが……」

「お願い……だよ。それ、にッ……ハナコの想像してることは起こらないさ。何も、トリニティ全体が相手って訳じゃない、から……」

 

 懸念を示すハナコに先生はふわりと笑う。トリニティ全体が相手であればハナコの懸念は正解だったが、恐らくはそうではないのだ。そもそも、この件全部をナギサが仕組んだとは先生は考えていない。命令の行き違いか、それとも外部の介入か。ナギサの意図していない何かがあっただろうと彼は確信しているのだ。ナギサの性格は良く知っている。彼女は本質的に、誰かを傷つけるのに向かない子だ。

 

 そう言うとハナコは渋々と言った様子で「……分かりました」と呟く。彼は自身の安全と彼女達の事情を天秤に掛けて、それでも尚彼女を選んだ。それについてはハナコとて全く以て納得なんてしていないが、一応彼の言葉にも一理はある。彼が大丈夫と言った以上、そう言い切るだけの何かはきっとあるのだ。だから、後はそれを信じてあげるだけ。

 

 ハナコは自分の心にある程度決着をつけ、一つ深呼吸。それを霞んでいく意識の中で見届けた先生は、今度は心配させないように気力を振り絞り皆に声を掛けた。

 

「ご、めん……皆……ちょっと、起きてるの、しんどい……」

「無理はしないで、先生。後の事は私達に任せて」

「……あり、が……と、う」

 

 それだけを言うと彼の意識はまるで解けるように失われ、ゆっくりとその眼を閉じた。先ほどと同じく安定した息、脈と鼓動は少し荒いが許容範囲内。元々、何故起きていられるのか不思議なほどだったのだ。こうして意識を失って眠るのは無理もない事だろう。

 アズサは再び腕の中で眼を閉じた先生を固く抱きしめる。この温度がある限り、自分は何処までもやれると信じて。

 

「……行こう、皆」

「はいッ!」

 

 

 ▼

 

 

 境界地区からトリニティ自治区に入り、合宿所近隣に辿り着くまでは彼の言う通り安全そのものだった。街全体が眠りにつき、人の寝息すら聞こえてきそうなほどの静寂。その静けさは却って不気味なほどであり、彼の言葉が無かったら罠の可能性を考えて即座に引き返してきただろう。

 

 襲撃はおろか、人通りすら皆無。偶に巡回している警備オートマトンやドローンに遭遇する程度で、無機質なセンサーアイは少女達を視野角に収めても特にアクションを起こす事もなく素通りして元の巡回ルートに戻っていく。全部が全部、相手に回っているという訳ではない。少なくともこの手のオートメーション化された街の安全を司るシステムは少女達を『トリニティに仇なす者』として見ていなかった。

 

 補習授業部を排除しようとしているのはティーパーティーのナギサを筆頭とするフィリウス分派だけなのか。それともパテルやサンクトゥスも協力しているのか。或いは、それすらも飛び越えて正義実現委員会や救護騎士団、シスターフッドといったティーパーティー以外のビッグネームも関わっているのか。その辺りの規模感は依然として闇の中。色々と落ち着いたらまたその部分を考察してみるのも良いだろう。今、自分達は何と戦っているのか。何と戦わなければならないのか。それを考えるために。

 

「……皆、止まって」

 

 いよいよ合宿所が目と鼻の先になった頃、アズサはいつになく鋭い声で皆に制止を呼び掛けた。彼女の視線の先には、皆で1週間過ごした見慣れた合宿施設。照明の落ちた施設はまるで時が止まったかのようで、少々不気味な印象を抱かせる。

 

「あ、アズサちゃん、どうかしましたか?」

「敵が待ち伏せしている可能性がある。私が先行するから合図を送るまで此処で待ってて……先生を頼む」

「あ、アズサちゃん、待ってください!」

 

 アズサは言い終わるや否や背中に背負っていた先生を近くにいたヒフミに預け、風のように走り去っていってしまった。その身の熟しは正に特殊部隊のようで、音すら立てることなく気配すらも遮断して瞬き一つの間に居場所が特定不能に。追いかけようにも先生を背負った状態では下手なアクションを起こせず、どうすればとハナコに視線を送ると、彼女は緩く首を横に振った。

 

「一先ず、アズサちゃんからの連絡を待ちましょう。アズサちゃんの言った通り潜伏していても何らおかしくないんです」

「で、ですがアズサちゃん一人だけなんて……」

「恐らく合宿施設にはアズサちゃん手作りのトラップが仕掛けられてますから、私達が行っても却って……」

 

 微妙な表情を浮べながらそう言うハナコにヒフミは『そういえばそうだった』と思い出す。つい先日、純粋な訪問客であったマリーがトラップの餌食になったのは記憶に新しい。

 

 トラップが何処に仕掛けられているか知らない少女達がアズサと共に行っても足手纏いにしかならず、侵入者を捕えるためのトラップに引っ掛かってしまう……なんて事になっても不思議ではなかった。抜け目ない彼女なら万一の脱出ルートも確保しているだろうし、それを鑑みれば彼女一人の方が動きやすいだろう。

 

 だが、それでも……友達を一人にしてしまっている現状はヒフミの心に影を落としてしまっていた。

 

 

 ▼

 

 

 補習授業部から一人離れたアズサはガスマスクを装着し、銃の感触を確かめる。残弾は充分、マガジンもある。合宿施設の構造は熟知しているため籠城戦も問題なく熟せる。脱出ルートも幾つか候補あるため、侵入者達を倒し切れなかった場合の保険も確保済だ。

 

 憂いはない、後には退かない。先生一人分の重さが無くなった体は泣きたくなるくらいに身軽で、いつも通り。アズサは周囲を警戒しながら、仕掛けられているかもしれないセンサートラップに引っ掛からないように一歩一歩慎重に歩みを進める。

 

 そうして道中を静かに踏破した彼女は合宿施設の正門を視界に収めた。ガスマスクに仕込まれたアイセンサーによって増幅された視覚は夜という環境要因すら捩じ伏せてアズサに情報を伝達。正門前に……人影、数は2。

 

 それを確認した途端アズサの脳内のスイッチが戦闘用に切り替わった。分泌されるアドレナリン、肌の感覚が鋭くなり、眼は熱を持ったかのように開かれる。カラビナに吊るされた手榴弾と閃光弾、スモークが軽い金属音を立てた。

 

 ────トラップが動作した形跡はないけど、中に入られてる可能性はある。見たところ門前に立ってる2人は素人だから10秒で2人とも落とせる……いや、一人は尋問用に残しておくべきか。

 

 街路樹の影からそっと音を殺して、アズサは門前に陣取る2人に近寄る。彼我の距離は徐々に100m、50mと段々縮まり……そこで、ふと彼女は門前の2人のうち1人が見た事ある顏である事に気付いた。身に纏うトリニティの制服、シスターフッドの正装。ベールで被われたオレンジの髪。間違いない、つい最近トラップに引っ掛けてしまった────。

 

「伊落マリー、か?」

 

 アズサはそう呟きながら身を隠していた街路樹から姿を現す。警戒のレベルは落としたが解くことはしない、見知った顔とはいえ彼女は目的の分からないアンノウンである事は変わらないのだから。

 

「アズサさん!」

「何か用? それと、そっちは……」

「初めまして、白洲アズサさん。私は救護騎士団の鷲見セリナです」

 

 ナース服によく似た白い制服を纏う彼女は救護騎士団の一員、鷲見セリナ。一部では呼べば来るとまで言われている神出鬼没な彼女は先生の健康管理の一部を担っており、それを加味しての人選であったが、アズサにとっては初対面もいいところ。依然として警戒しており、銃のトリガーから指を離していない。

 

「シスターフッドと救護騎士団が何か用?」

「怪我をした方の治療、救護です」

「……誰からの依頼?」

「ティーパーティー、正義実現委員会、救護騎士団、シスターフッドの4団体連名です」

 

 それを聞いたアズサは────下ろしていた銃を跳ね上げた。

 

「なら話す事はない。帰って。帰らないなら力づくでも帰らせる」

「ま、待ってください、アズサさん! 私達は────」

「うん、知ってる。伊落マリーも鷲見セリナも、私達に対する敵意はないと思う。正義実現委員会は分からないけど、救護騎士団もシスターフッドもこの件に関しては関与していないはず。だから2人の所属してる組織からそれぞれ依頼されて来たなら信用しても良かったんだけど……ティーパーティーが関わってるなら話は別」

 

 アズサはガスマスク越しに2人を射貫く。声音は冷たく、温度は低く。何時でもトリガーを引けるように。

 

「私達はティーパーティーから攻撃を受けた。私達を攻撃した組織からの依頼で来た2人の事は信用できない。2人個人、じゃない。バックにいる組織の事が信用できない」

「……」

 

 この反応を予想していなかった、と言えば嘘になる。彼女達は攻撃されたのだ。誰が敵で誰が味方かも分かっていない現状、信用はリスクに直結する。だが、信用してもらわないと話が進まないし、帰れと言われて『はい分かりました』と素直に頷く訳にもいかない。故に交渉してどうにか信用を得ようとマリーとセリナが意を決すると、徐にアズサは「でも」と呟いた。いつの間にか肌を刺すような敵意は鳴りを潜めている。

 

「今は人手が足りない。皆、大なり小なり怪我をしてる。治療が終わったら知ってる事洗いざらい話してもらう。それが条件。呑めないなら────」

「吞みましょう。それで信用していただけるのなら」

「私も呑みます。ですが、今は治療が先です。怪我をされた方は……」

「向こうで待機してる。呼ぶから少し待って」

「分かりました。では、私達は先に道具などをセットしておきます。ロビー、使わせていただきますね」

「了解した。トラップも解除したから、入っても大丈夫」

 

 一先ず、協力を取りつけられた2人は開いた正門から足早に施設内へ入り、玄関ドアを開けてすぐのロビーに簡易的な医療設備をセッティングする。流石に救護騎士団本部には劣るが、それでも大体のものであれば治療できるであろう設備を遠目で見たアズサはモモトークをタップして、ヒフミにコールした。

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