シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
「お、お話するのは大丈夫なのですが、その……私もそこまで知っている訳ではないので……」
「はい、ですのでヒフミちゃんの知っている範囲で構いません。教えてください、あの場所で何があったのか」
ハナコはそう言って、ヒフミを真摯に見つめる。いつの間にかマリーを含む4人の視線が自身に集中している事に気付いたヒフミは若干あたふたとしながらも、どこか覚悟を固めたかのような表情で顔を上げた。
「……分かりました。お話します、アビドスであった事を」
「ありがとうございます、ヒフミちゃん」
「い、いえいえ! そんな……本当に全然、詳しい事は知らないので拍子抜けされちゃうとは思いますが……」
ヒフミはそう前置きをして、アビドスで起きた事象の内、彼女が知る所を語り始める。
「えっと、まず私と先生がお会いしたのはアビドス自治区ではなくて、D.U.の近郊で……先生がアビドスの生徒の皆さんと一緒にフィールドワークをしている最中にお会いしたんです」
今ヒフミが語ったものは、先生と口裏を合わせて決めたカバーストーリー。先生とヒフミがどの様な経緯で知り合ったのかを聞かれたときの為に用意した、ブラックマーケットや銀行強盗の事などのおいそれと他の人に離せないような事を覆い隠す目的のものだ。
嘘は言っていない。先生とヒフミの出会ったブラックマーケットはD.U.近郊だし、そこで先生が行っていた事はフィールドワークと言えなくもない。だが、実情を知る人にとっては優良誤認も甚だしいカバーストーリーだった。
「そこで少し先生とアビドスの皆さんのお手伝いをして、それから先生にトリニティまで送っていただいたのですが……」
ここまでに不審な点はない。フィールドワークの内情が気になるところだが、ヒフミが詳細を話さないという事は今回知りたいものとは関係ないのだろう。
「次に先生にお会いしたのは……」
そこまで口を開いたところで、ヒフミは逡巡を浮べる。果して言って良いものなのか否か。明確に口止めされている訳ではないが、あの件は現場にいた人員を除くと各学園のトップ、連邦生徒会の室長以上しか知らない情報だ。だから、あまり口外しない方が良いのではないか……と悩んでいると、今まで沈黙を保っていたアズサが口を開いた。
「────アビドスに降臨した第三の預言者の件か」
「ッ! あ、アズサちゃん、どうしてそれを……」
「少し、その手の情報に詳しい人と伝手があって。その人に聞いた」
あっけらかんと言うアズサ。誰から聞いたのかは意図的に伏せている。今は話せない事なのか、それとも別の理由があるのか。ハナコは2人の視線の動きや息遣いを観察しつつ、高速で思考を回していると────話に付いて行けてなさそうなコハルがおずおずと手を挙げた。
「……その第三の預言者? ってそもそも何よ」
「わ、私も全然知らなくて……ただ先生がそう言っていたのを聞いただけで……アズサちゃんは何か知っていますか?」
「キヴォトスと謂う星にプリセットされた
ヒフミとコハルは疑問が深まったばかり。ハナコもアズサの言葉の全てを理解したわけではなく、或る程度部分を掻い摘んで脳内で仮説を組み立てる。察するに、預言者というものは意志を持つ装置の様なものなのだろう。ハナコは自身の持つ知識を引っ張り出して、何か類似している事象が無いか思い出しているとマリーがおずおずといった様子で「あの……」と小さく手を挙げた。
「どうかしましたか、マリーちゃん?」
「その預言者についてですが、少し……」
そう言い、マリーは何かを思い出すように、確かめるように言葉を紡いでいく。
「先生がサクラコ様に文献調査を依頼されていたんです。シスターフッドの過去の文献、サクラコ様の権限でなければ閲覧できないものの調査を先生はご依頼されていました」
「その文献調査、というものが預言者に関係すると……」
「はい……偶然、お二人がお話している場面に遭遇してしまい、その時に『預言者』という言葉が聞こえて……盗み聞きするつもりなんて無かったのですが……」
「……先生は預言者を追っている、のでしょうか」
「恐らくはそうだと思います。ですが……」
マリーの悲しそうな声にハナコは「はい」と確り頷いて。
「色々と情報が足りなさ過ぎますね。そもそも、この傷自体預言者が関係しているとは限りません。全く別のものに巻き込まれた結果という線も有り得ます。ですが……先生の真実に迫るには、恐らくこれを調べるのが一番早いでしょう」
キヴォトスにおける異邦人。異なる生命体。彼の真実に迫るには、彼が求めるものを探るのが一番早い。
「……ヒフミちゃん、アビドスの方とは連絡を取れますか?」
「は、はい! モモトークは交換してるので、いつでも……」
「分かりました。私は何とかしてミレニアムの方と連絡を取ります」
アビドス、ミレニアム。そしてトリニティ。キヴォトスに来てから今まで歩いてきた彼の足跡を辿る。そこにはきっと愛があって、痛みがあって。傷の真実も、彼が抱えている何かの片鱗も隠されているはずだから。
この選択を彼はどう思うのだろうか。嬉しいと思うのか、悲しいと思うのか。それは分からないけれど……あの日、
「皆で協力して、先生の真実を暴き出しちゃいましょうか♪」
▼
────遠い、夢を見る。瞼の裏側。彼の地獄。彼だけの地獄。彼の魂に刻まれた、原初の風景。
数多の命が風に散る花弁の如き重みで散らされる。世界が崩れ去る。幾千幾万の死が大地を埋め尽くした。
それを見続けて、無数の想念が通り過ぎて。余人なら感情など枯れ果てるほどの悲劇を見続けても、怒りは止まなかった。
────何故だ。
この疑問と共に、この怒りと共に私は世界に挑んだ。
望んだのは完全な世界だとか、善なる世界だとか、間違いのない世界だとか、そんな大層なものじゃない。ただ誰もが当たり前に笑えて、怒れて、楽しめて、悲しめる世界。世界の仕組みに対して疑問を持てる世界を、人の手で改革と革新を行える世界。意識が沸騰しようと覆らない、『人類』の生存圏。
その為に全てに挑んだ。その為に全てを捧げた。その為ならば、己の半身に等しい彼女とすら袂を別った。そうしてまで自身はこの世界で生きる人々に奉仕する道を選んだ。
別に感謝されたかった訳ではない。皆に『人類』の一員として認められたかった訳でもない。
ただ────私は
その、果ては。
『貴方の生は初めから奪われるために在った。貴方の命は唯一神へ捧げられる供物だったのです』
黒服の、言葉。
『それは呪われた生であろう。喝采は不要。沈黙こそ、私がそなたに捧げる鎮魂だ』
マエストロの、言葉。
『悲劇的に過ぎるテクストです。貴方は些か、悲劇と憎悪と怒りと死と争いに愛され過ぎている』
『そういうこった!』
ゴルコンダとデカルコマニーの、言葉。
『■■■■■■■■■■■■■、先生』
きみの、言葉。きみの、声。
あの時、君が何て言ってくれたのか。
思い出せない。/思い出したくない。
思い出したら、私は、きっと。
▼
「何故、貴方はそうまでして私達の為に頑張れるんですか?」
2人っきりのシャーレオフィス。今日も今日とて自身の業務を終わらせた連邦生徒会長は当番の生徒が帰宅した夜の9時頃を狙ってシャーレに訪れていた。少なくとも1ヶ月くらいは毎日見ている顔は悪戯っぽく歪み、コーヒーを取りに離席した隙を狙って我が物顔で彼のオフィスチェアに座って図々しくイチゴミルクを要求する始末。
溜息を吐いた彼は冷蔵庫の中から本来の半分ほどの軽さになった紙パックを取り出し、彼女がいつの間にか置いていったマグカップに注ぐ。それを差し出すと屈託のない笑顔でお礼を言い、マグカップを傾ける。それが雑談開始の合図であり、2人はあった事や取り留めのない事を共有するのだ。
無駄使いをしてユウカに怒られたとか。ヒナとピアノの連弾をしたとか。ミカとトリニティの学祭を回ったとか。
リンが先生と連邦生徒会長に対して若干キレていたとか。モモカが効率のいいサボり方を新たに発見したとか。アオイが何度目かのシャーレの総決算を提案してるとか。カヤが良いコーヒー豆を買ったとか。
最近出来たばかりの気になっていたお店が爆発したとか。百鬼夜行のお祭りが楽しかったとか。じゃあ来年は2人で予定合わせて行こうとか。そういった毒にも薬にもならない、だが何よりも美しい日常の話。
その話が一段落して、2人の間を僅かな沈黙が横たわった後に「そういえば」とまるで唐突に思い出したかのように彼女は先の質問を彼に投げたのだ。
「え、それ君が聞くの?」
すると彼はまるで呆れた様な、それこそテストで一桁の点数を取った生徒に向けるような視線と声音でそう言う。そんな初歩の初歩を聞くのかと言外に言われた様な気がした連邦生徒会長は頬をむっと膨らませて不服をアピール。心外だと言わんばかりに口を尖らせて何処か拗ねているかのような口調で言葉を紡ぐ。
「私が聞いたっていいじゃないですか。それとも、人に聞かれて不都合な理由なんですか?」
「いや、てっきり知ってるものかと思ってさ。だって君が私を此処に連れてきたんだから」
「私はエスパーじゃないんですから、先生の話してない事は分かりませんよ」
「まぁ、確かに話した事はなかったけどさ……」
椅子を奪われた先生は隣の当番生徒用の机から椅子を1つ拝借し、ころころとキャスターを転がして連邦生徒会長のすぐ隣にセット。腰を掛けてコーヒーを傾けて、タブレットを眺める。
それを連邦生徒会長はじっと見ていた。別に面白くも無いし、特別なものでもない光景は連邦生徒会長の好きなものの一つ。彼が仕事をしているのを見るのが、彼が頑張っているのを見るのが好きだった。画面を見つめる真剣な眼差しに上機嫌になった連邦生徒会長はご機嫌斜めだった声音を少しだけ持ち直して。
「私にだけ話してない、とかそういう悲しいオチだったりしませんか?」
「いや、誰にも話してないよ。そもそも聞かれたことなんて無いからね」
「じゃあ私が一番ですね、それなら許します」
「何を許すのさ……」
「内緒です」
彼の一番最初、という部分がそれ程まで嬉しかったのか連邦生徒会長は声を更に弾ませる。彼の一番、彼の最初。彼をキヴォトスに連れてきた連邦生徒会長はその特権と言わんばかりに彼の最初や彼の一番を多く持っていて、またそれを1つ持つ事ができて有頂天。
ニコニコ、という擬音が心底似合う笑顔に彼は眼を瞬かせ苦笑いを浮べる。相変わらず忙しい表情筋だ。こんな年相応な少女が連邦生徒会では真面目に仕事をして、剰え『超人』なんて仰々しい名前で呼ばれているなんて俄かには信じがたい。本当に、何処にでもいる唯の女子高生だ。
「とは言っても、理由か……あるにはあるけど、別にそんな大層なものじゃないよ」
「じゃあ、当ててあげます! 先生の頑張る理由!」
「何が『じゃあ』なのか分からないけど、まあ当ててみてよ。それなりに簡単だよ」
彼がそう言うと、連邦生徒会長は「うーん」と声を呻らせ首を傾げる。まるで考える人のテンプレートのようなポーズを取る彼女に彼は小さく声を出して笑って、彼女が静かな内にやれるだけ仕事を進めておこうと指先を走らせた。そうして2人の間に穏やかな静寂が横たわって何分経っただろうか。彼女は唐突に「あ、分かりました!」と声を出して机を叩いた。バンと音を立てる机はシャーレの備品のため壊れた場合はシャーレに、つまり彼に請求が行く。なのでもう少し優しく扱ってほしい、と言うのが彼の本音だった。
まあ、それは今どうでもいい。壊れていないのだから。彼は分かったと豪語する彼女に解答を促すと、彼女は悪戯っぽい表情を浮べる。こういう顔をする時は大体碌でもないものが飛び出てくると彼は良く知っていた。
「……可愛い生徒達に囲まれて、いっぱいイチャイチャ生活するため?」
連邦生徒会長が熟考の末に導き出した解答はつぎ込んだ時間の価値に見合わないどうしようもないものだった。彼は彼女の答えを鼻で笑って、マグカップに口を付ける、コーヒーを半分ほど飲み干した彼は連邦生徒会長をジト目で見て。
「馬鹿なの?」
と、先生らしからぬ乱暴さ……つまるところ連邦生徒会長にだけ見せるフラットな部分で至極真っ当な事を言うと、彼女の持ち直していた機嫌は急速に『怒』の方に振り切りれる。如何にもご立腹といった様子で彼女は彼に人差し指を突きつけた。
「あ、馬鹿って言った! 可愛い生徒に向かって馬鹿って言いました! 先生のバーカ!」
「自分の事を可愛い生徒って言い切れる図太さには感服するよ」
「実際可愛い生徒でしょう?」
「そうだけどさ」
その自己肯定感の高さは何処で養えるのだろうか、とでも言いたげな先生は本日何度目かの溜息を吐いてコーヒーで喉を潤す。
「逆に聞くけど、私が『生徒達とイチャイチャするために頑張ってる』って言ったらどう思う?」
「ドン引きします」
「だろうね。私もドン引きする」
「先生サイテーです」
「何も言ってないんだけど」
人を勝手に誰もがドン引きする変態に仕立て上げた連邦生徒会長に彼は抗議の視線。物理的に突き刺さる様な視線を前に流石の彼女も旗色が悪くなり、話の流れをまるっきり変えるように路線を元に戻した。
「じゃあ真面目に考えます」
「ふざけてた自覚はあったんだね、良かった」
「うーん、理由は1つですか?」
「幾つかあるよ。どれか一つでも当てたら……そうだね、明日はトリニティの有名店のケーキを用意して待ってるよ」
「約束ですからね、先生! ショートケーキでお願いします!」
「はいはい、当てたらね」
再び思考のフェーズに入った彼女は「何でしょうか」と言いながら足をぷらぷらさせて先生の仕事を覗き込むと、その顔を苦笑いに染めた。
「相変わらず凄い仕事量ですね、大変そうです」
「滅茶苦茶他人事っぽく言ってるけど、連邦生徒会の仕事も結構あるからね? こっちで巻き取ってるだけで。その気になれば全部纏めて君宛てに送り返せるよ?」
「仕事終わりに遊びに来れなくなっちゃうからやめてください~」
「揺らさないで、頭がぐわんぐわんする」
連邦生徒会長もキヴォトスの住民の一人。神秘を持つ生徒の一人なのだ。その身体のスペックは先生と比べるまでもなく、彼女の方が全方位に優れており肩を掴まれて揺らされようものなら一瞬で酔ってしまう。先生の静止の言葉に「あ、ごめんなさい」と割と本気の謝罪をしてぱっと手を離した。
「そういえば先生は外からいらしていましたね、忘れてました」
「連れてきた本人がそれ言う?」
心の準備という工程を一切省いて船酔いアトラクションに強制連行された先生は若干恨めしそうな眼で連邦生徒会長を見れば、彼女は『てへっ』という擬音が見え透いてるかのようないい笑顔。元から怒るつもりなんて無かったが、更にその気を削がれた先生は椅子のリクライニングを少しだけ倒した。
「先生の頑張る理由ですが、やっぱり生徒の為ですか?」
「うん、そうだよ。生徒の皆が今日よりも少しだけ幸せな明日を生きれるように、私は今を走ってる。おめでとう、明日はケーキを用意しておくよ」
先生はふわりとした笑みで百点を言い渡し、連邦生徒会長の頭に手を乗せてゆっくりと撫でる。子ども扱いされている、と少しだけ怒りたくなる気持ち。大切にされて嬉しい気持ち。その二つが半々。
「それは、先生が大人だからですか?」
「まあそれもあるよ。私は大人で君は子ども。君が毎日を笑って生きれるような世界を作る責任が大人には、私にはあるんだ」
「……大人と子供の違いについて、先生はどう考えていますか?」
「これまた随分使い古された質問だね」
先生は透明な声音で、どこか授業をするような仕草。それを見ると自然と背筋が伸びて彼の言葉を聞かないと、という気持ちになる。
肉体ではなく、精神における大人と子ども境界線。何を得れば、何を失えば。何を知れば、何を知らなければ。どんな条件で大人になるのか。どんな条件で子どもなのか。明確な答えはきっとないけれど、それでも彼女は眼の前に居る彼の答えを聞きたかった。
「君は大人になりたいと思う?」
「そうですね……なりたいですよ。早く、貴方と同じものを見たいので」
そう言うと彼は嬉しそうな声音で「そっか」と呟いた。いつかの夢想、自分の横で自分と同じ景色を見る彼女。教え子の成長というものはどんな些細な事でも嬉しいのだ。
「でも、教えてあげない。それは君が大人になった時のお楽しみだ」
「えー! この話の流れで教えてくれないんですか!?」
「こういうのは自分で見つけた方が楽しいからね。私から君への宿題さ。君の答えが見つかったら私に教えてよ。大人と子どもの違いについて。その時は私の答えも教えるから、さ」
彼は今日一番優しい声音で、そう言って。窓の外に視線を送った。
「君はどんな素敵な大人になるんだろうね。今から楽しみで仕方ないよ」
「期待していてください、いつか貴方の隣を堂々と歩けるような大人になりますから」