シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
「……全く、先生は無茶ばかりして……」
「ごめんね、セリナ。でも……」
「言い訳は聞きたくありません」
部屋を飛び出したヒフミが20秒後に血相を変えたセリナを連れてきて5分が経った頃。血の滲んだ包帯やガーゼを流石の手際で交換しながらセリナは先生を絶賛叱りつけていた。どれもこれも身に覚えしか無いものばかりで、真実や現実と謂うものはナイフのような鋭利さを伴いながら浅慮を彼に突き刺す。助けを求めてヒフミの方に視線を送るが、彼女も大変ご立腹の様子。分かってはいたが、今この場に味方はいないらしい。無論、こんな大馬鹿者の味方がいたらそれはそれで困るのだけれど。
「……本当に、心配したんですよ?」
そう言って、彼の胸に頭を預けるセリナ。ミントグリーンの患者服を小さな掌で握りしめて、彼が生きているという事実を胸いっぱいに吸い込む。そうすると大きな安堵が胸の内側が湧いてきて、溜息と共に緊張を吐き出した。眼に少しだけ力を入れて、涙が零れないように。だが、その少しだけ震えた背中からセリナがどんな内心なのか、どんな表情なのか分かってしまった先生は少しだけ目を伏せた。
いつも医療従事者として、救護騎士団の一員として、鑑足らんとしているセリナ。そんな彼女を傷つけてしまった己が何よりも許せない。
「私は先生失格だね。誰かを泣かせる事しかできない」
「そんな事はないと思いますよ。先生はちゃんと先生です。ただ、その先生と謂う証が自傷行為になってしまう時もあるだけで」
そう言いながら部屋に入っていたのは、時間まで休んでいるはずのハナコだった。彼が漏らした『先生失格』と謂う言葉を強く否定した彼女は、いつも補習授業部で過ごしている時に見せる表情よりも随分大人びたそれを浮べている。憂い、安堵、悲しみ、それ以外にも色々と混ざり合って一口に表せない感情を抱えたハナコは翡翠の瞳を細めて……先生から僅かに視線を逸らした。
「……ハナコ」
それに見つめられた彼は視線が交わった彼女の大切な名前をまるで譫言のように呟く。それ以外の言葉はまるで重りをつけたように喉の奥側に沈んでしまった。2人の間に落ちた沈黙は1秒にも満たない僅かなもの。だが、その沈黙はあまり似つかわしくないものであり、ヒフミは思わず交互に2人の顔を見てしまった。先生はいつも通り、柔らかくて温かみのある表情。対してハナコは……彼を直視できていない。意図的に逸らして、何かを我慢している。何を? 分からない。そんな疑問を脳内が占領しつつあると、先生は気まずい沈黙を払拭するように意図的に明るい……それこそ、今の状況に似つかわしくないほどに朗らかな声を出した。
「少し騒がしかったかな? ごめんね、起こしちゃって」
「いえ、元々起きていましたから。それに騒がしくなんてないですよ。アズサちゃんもコハルちゃん、マリーちゃんもぐっすりです」
「そっか……」
「おはようございます、先生。お身体はどうですか?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「ふふっ、さっきからそればっかりですね」
彼が「確かに」と言うと、ハナコは初めて小さく笑った。何時も見せてくれる年相応の笑顔。ハナコがトリニティで過ごして、擦り切れて、疲れて、いつしか忘れてしまったもの。それは補習授業部と過ごすうちに段々と蘇ってきて、今ではこうして自然に笑ってくれるようになった。その変化が本当に嬉しくて仕方が無くて。
「先ほどの続きですが」
そんな干渉を抱いていると、ハナコは何時もよりも少しだけ上機嫌に笑って。自己否定ばかりの彼が、少しでも彼自身を肯定してくれるように彼を祝福する。
「先生は誰よりも真剣に、真摯に私達に向き合ってくれています。先生は誰よりも先生です。それだけは私が保証しますよ♪」
「……だったら、いいんだけど」
先生失格、その言葉がまるで返しの付いた刃物のように刺さって抜けないまま。
「ふふっ、では、もう直ぐ時間ですし、私は皆さんを起こしてきますね♪」
そう言って駆けていく足はまるで天使の羽のように軽かった。
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その後は色々と大変だった。ハナコに起こされた3人が駆け足で部屋に転がり込んで来て、心配の言葉を掛けて。それに対して『大丈夫』だと返答すると、アズサには呆れられて怒られ、マリーには苦言を呈されて、コハルには泣かれてしまって。それに収拾がついたのは皆が集まってから1時間が経過した頃だった。
「じゃあ、現状のトリニティ……いや、補習授業部とティーパーティーについて少し話そうか」
場が落ち着いたタイミングで彼がそう切り出すと、少女達は皆一様に襟を正す。これから語られるのは彼の考察という形ではあるが、少女達の今後を大きく左右し得る重要事項だ。一言一句聞き逃さないようにしなければ、と緊張していると彼は「っと、その前に」と呟いて。
「ティーパーティー所属の君、起きているでしょ?」
「ッ!?」
彼が何でもない事のように言ったそれは爆弾発言も良い所で、アズサは咄嗟に銃口を跳ね上げて件の生徒に狙いを定める。一瞬で臨戦態勢に入ったのはアズサだけであるが、ハナコも警戒レベルを最大に上げて、ヒフミとコハル、セリナとマリーも緊張した面持ちで視線を固定した。
件の生徒は先生の言う通り起きており、その覚醒時間は先生と多少前後するものの大体同じであった。今まで気づかれなかったのは皆の関心が先生の方に向いていたから。故に狸寝入りを出来ていたのだが、そんな偽りは先生に通用しない。どうにかバレませんように、という少女の健気な祈りは容易く打ち砕かれてしまった。6人分の視線と警戒を一身に受けた少女は悪夢のような現実から逃げるようにきゅっと目を瞑ってブランケットを固く握り締めるが、まるで彼は『そんな事をする必要はないよ』と言うように苦笑混じりの言葉を紡ぐ。
「そんなに怖がらなくて良いよ。別に取って食べたりしないから出ておいで。これからの話は君にも聞いてほしいんだ」
彼がそう言うと、ブランケット越しの背中が微かに震えた。そうして、幾ばくかの逡巡の後に少女は観念したようにベッドから起き上がり、身なりを整えて先生達と相対する。
「……は、初めまして」
「初めまして。知ってると思うけど、一応自己紹介を。私はシャーレの先生。今は補習授業部の顧問をやってるよ」
「えぇ、お噂は予々……」
自然体な先生とぎこちない少女。視線の方向は明後日を向いていて、ばつの悪そうな顔。尤も、それは仕方ない事だろう。大義や正義があったとはいえ少女はこの場にいる皆を陥れ、排除しようとした側なのだ。それが失敗し、あまつさえ陥れようとした者達に助けられたともなればその表情も当然といえば当然だろう。気にするな、堂々としろと謂う方が無理がある。
「あ、喉とか乾いてない? お水あげるよ」
「え、あ、はい。い、いただきます……」
だというのに、彼はそんな事一切気にしていないように振る舞う。親しみやすく、暖かく、優しく。他の生徒達と全く変わらない態度で。手渡された新品のペットボトルの蓋を開けて口に含み、喉を潤す。頭から抜け落ちていたが、随分と乾燥していたらしい。
彼は少女が落ち着くまでの小さな隙間で他の生徒達との話を付ける。聞こえるのは「警戒しないであげて」とか「あの子も被害者」とか、「あの子は何も知らない」とか。それに対する生徒の返答は基本反対意見ばかりで、多少中立のものが聞こえるくらい。まあ当然だろうと少女が思っていると、彼の話術の成せる技なのか徐々に意見が軟化し、『そこまで彼が言うなら』というような雰囲気になっていた。
「さて、じゃあ補習授業部とティーパーティーの認識の擦り合わせをしようか。先ずは君の身分から。君はトリニティ総合学園の2年、ティーパーティー所属でフィリウス分派。合宿が始まったタイミングで、ナギサからの指示で補習授業部と私の監視を行なっていた……合っているかな?」
「……はい、その認識で相違ありません」
「じゃあ、昨日の動きを。私とナギサの会談後、君は一足先にゲヘナに向かった。試験の監視員としてね。その後はナギサと連絡を取りつつ補習授業部を待ち、到着したタイミングでナギサに指示を送った」
「その通り、です……」
「君の認識では指示を送った事で試験が開始され、そのまま試験監督としての仕事が始まると思っていた。だけど、実際はその合図が砲撃の号令で、近くにいた君は巻き込まれて一転して追われる立場に。そのままなし崩し的に私達と行動を共にして今に至る……こんな感じかな?」
その確認に少女が肯定を示すと、先生はこれまでを纏めるように結論を述べる。
「君が知っているのは試験当日の私たちの動きだけ。その動きをナギサに知らせていただけで、ナギサが何を行なっていたか、何を意図していたか君は何も知らない。君は第二次特別学力試験が行われると思っていた」
彼の言う通りだ。少女は何も知らない。彼女が受けた命令は試験監督と、補習授業部と先生の動向を逐次報告することだけ。その報告を受けてナギサやフィリウス分派、ひいてはティーパーティーがどの様に動いていたのか全く知らないのだ。
だからゲヘナで起きていた騒動がナギサの手によるものだという事も、試験前に先生達を排除するべくフィリウス分派の戦闘部隊が動いていた事も知らない。ましてや砲撃なんて寝耳に水であった。need to know、という言葉があるがまさにその通りで、彼女は知るべきでなかったから知らなかっただけだ。少女というエージェントを動かすのに、それらの情報は不要であったから。
「……ナギサ様は、私も疑っているのでしょうか」
ポツリと漏らしたのは幾重にも重なったヴェールによって覆い隠された先にある本音だった。
「至らない身ではありますが、私はフィリウス分派の一員としてナギサ様に尽くしてきたつもりです。よりトリニティが素晴らしき場所になるように。後ろめたい事や恥ずべき事は無いと断言できます。それでも、ナギサ様から向けられる猜疑は晴れなかったのでしょうか?」
一度溢れてしまったものを留めることはできず、まるで口だけが別の意思を持っているかの様に少女の思いの丈を吐き出し続ける。目が覚めた時からずっと考えていた事。
ナギサが目算を誤るわけがない。故にあの攻撃は少女ごと巻き込むつもりで行われたのだ。
「ナギサ様にとって、私はもう『被疑者』なのですか? 被疑者だから、トリニティに仇なすから皆様と一緒に排除しようとしたのですか? 無知な私には……もう、何も分かりません」
分からない。何も分からない。何も話さなかった事ですら、排除するつもりだったから話さなかったと解釈できてしまう。何を信じれば。何が真実で、何が嘘なのか。それを知りたくて、それを告げてくれる誰かを求めて顔を上げれば……先生と視線が交わった。
「……君はナギサの事をどう思ってる?」
「えっと、どう、とは……」
「ティーパーティーとかフィリウス分派とか、そういった身分とか立場とか所属とか小難しいことは全部一旦放っておいて、桐藤ナギサという人間を君がどう思っているのか聞かせてほしいな」
彼がそう問いかけると、少女は少しだけ驚いた顔を浮かべる。驚いたのは問いの内容ではなく、その問いがまるで胸に空いた穴を埋める様にすとんとはまったから。答えを見つけられたら、この暗い心も晴れるかもしれない。そう思って少女は記憶を探していると……ふと、最初に会った時の事を思い出して。その時に感じた印象を、その時から積み重ねた姿を口に出した。
「……いつも優雅で優しい、頼りになる尊敬する先輩……でしょうか?」
「そっか、素敵な印象だね」
「す、少し無礼過ぎたでしょうか……?」
「いや、そんな事ないと思うよ? 多分そう思われて、ナギサも嬉しいはずだし」
彼はそう言って、くすりと優しく笑う。近寄り難いかもしれないがナギサだって唯の女の子なのだ。そういった素朴な飾らない印象はきっと人並みに嬉しいはずだろう。上辺の賛辞を常日頃から浴びていれば、特に。
「さっきの君の問いに答えられるのはナギサだけなんだ。ナギサしか答えを持っていないし、ナギサしか答えることができない。だから、帰って聞いてみなよ。ナギサにとって君がどんな存在なのかさ。この世界、聞かないと分からない事の方が多いからね」
口を開かないと言葉は伝わらない。言葉にしなければ思いは分からない。思っているだけでは何も分からないのだ。だって、人間同士は他人なのだから。
他人は分からない、当然の真理だ。だからこそ、分からないから分かろうとする、歩み寄ろうとする。私の事を教えます、だからあなたのことを教えてください。あなたの事を知りたいのです、あなたと仲良くなりたいのです────と。
「でも、一つだけ言えるのは……君がそう思ってくれる様にナギサも頑張ってるんだよ。何かあった時、君に頼ってもらえる様に。その頑張りは、君が見続けたナギサの姿は本当だと思うよ。もし嘘偽りだとしても、それは
「……なんだか少しだけ楽になった気がします。戻った時に、一度お伺いしてみようと思います」
「なら良かったよ」
そう呟く彼は『生徒の力になれて良かった』と心の底から思っている事がよく伝わってきて、彼が皆に慕われる理由が少しだけ分かった気がして。
「……参考までに先生はナギサ様の事をどう思っているのかお聞きしても?」
「何の参考か分からないけど、そうだね……頑張り屋さんの、可愛い生徒かな?」
「ふふっ、先生らしいご感想ですね」
先生が先生と呼ばれて慕われている理由。彼はいつも生徒のありのままを見て、それを肯定している。その温度と優しさが居心地良くて惹かれていくのだろう。噂を聞く限りは
そんな事を思っていると、彼は軽く手を叩いて「それじゃ話を戻そうか」と言う。頭から少し抜けていたが、今は互いの認識を擦り合わせこの件の真相を説いている最中なのだ。
「私達が標的にされた砲撃だけど……恐らく全部が全部ナギサの仕業、という訳ではないと思う。砲撃指示はナギサが出した。だけど、砲撃自体はティーパーティーによるものではないはず。恐らく本来は試験会場を吹き飛ばして、解答用紙を焼却する程度に留めるはずだったんだ。だけど、それに外部から干渉して改竄した奴がいる」
「……そう思った理由はありますか?」
「ナギサの性格だよ。ナギサが信頼する自分の身内を巻き込んでまで私達を物理的に排除するとは思えない。あそこまで派手にやれば、いくら密約を交わしていたとしてもゲヘナも流石に目を瞑れなくなる。エデン条約締結を目指しているナギサが、どう繕っても爆弾にしかならない事態を引き起こすとは思えない」
一理ある、と思っていると彼は続けて。
「決定的なのが、シッテムの箱の防御障壁を突破した事。あの障壁は物理と概念の二重防御なんだ。普通の手段じゃまず突破できない。あの時使われたのはサーモバリックだと思うけど、それを使ってもシッテムの箱があれば私達は無傷だった」
「ナギサさんが突破する手段を用意した線はありますか?」
「ないね。用意しようと思って用意できるものじゃない。用意できるとしたら……ゲマトリアか、無名の司祭。その二択に絞られる」
その言葉は、嫌に脳に残った。
「まあ、この辺りの話は忘れて。兎に角大事なのは、ナギサは利用された側にいるって事。多分、今頃トリニティも大騒ぎだと思うよ。犯人探しに、ね」
此方に来る前のトリニティの状況を伝聞ながら多少知っているセリナとマリーは苦笑いを浮かべる。確かに、蜂の巣を突いていた様な惨状になっていた。あそこまで色々なトップがバタバタしていたのは初めての事な気がする。
「セリナ達3人はトリニティに戻るだろう? 報告でナギサやサクラコ、ミネに会うと思うから……その時に伝えて。まだ終わってない、って。事態が大きく動くとすればこの先だ。警戒レベルを上げてほしい。ベアトリーチェが儀式の為に動き始めた」
▼
セリナ、マリー、保護された生徒の3人は補習授業部のメンバーと先生に見送られながら合宿施設を後にする。
セリナもマリーも先生が心配なため残ろうとしたが、自身の為に彼女達が拘束される事を善しとしなかった彼の説得の結果、最終的には渋々といった様子で頷いた。一応彼の容体は安定しているし、ナノマシンの働きもあり快復傾向に向かっているのだ。それに何かがあった時には即座に連絡を入れると約束したため、多少は後ろ髪が引かれるものの、安心して出発する事ができた。
公共交通機関を乗り継ぎ、トリニティの正門まで辿り着いた3人はそれぞれの道に進む。救護騎士団の病棟、シスターフッドの聖堂、ティーパーティーのテラス。すれ違う生徒は何時も通りモラトリアムを謳歌しているが、何処か空気全体が張り詰めているような気がする。
少女は何時も通っている道を歩く。テラスへ向かう道。十数時間前に逆順とはいえ通った道だというのに、何故か久し振りと感じてしまう。優雅な挨拶を交わし、青い夏風に靡く花を横目に歩いて、いつの間にか辿り着いたのはティーパーティーの抱えるテラスへ繋がる門。今日に限って門番は誰も居ない。取り次いでもらおうと思ったのに、と内心で溜息を吐くが居ないものは仕方がない。一回深呼吸をし、意を決して扉をノックすると中から『どうぞ』とくぐもった声が聞こえた。その声に従い少女はゆっくりと扉を開ける。
柔らかな光が差し込む、トリニティの生徒の誰もが一度は憧れるテラス。その中心特等席に鎮座するティーテーブルには色とりどりのお茶菓子と香り高いティーカップが置かれていた。そして、優雅な装飾が施されたチェアには驚愕を浮べるナギサが座っていて────。
「そ、その……ナギサ様、只今戻りました……」
ぎこちない沈黙を切り裂いたのは帰還の声。それをしかと聞き届けたナギサは何かを堪えるような表情のまま立ち上がり、一言も話すことなく少女の方へ歩を進める。至近距離に立ったナギサを少女は『やっぱり目が覚めるような綺麗な方』と思っていると……そっと、ナギサの柔らかな両掌で少女の手が包まれた。
「よく、戻って来てくださいました……本当に、無事でよかったです」
「い、いえ、そんな……私は任務も果たせず……」
「そんな事はどうだっていいのです。あぁ、本当に無事で良かった……」
その声は本当に少女を案じていて。心から少女の無事と帰還を喜んでいて。こんな人が、こんなに戻ってきた事を喜べる人が……あの砲撃の様な暴挙に出るとはどうしても思えなかった。
「さぁ、お掛けになって下さい。お茶をお出しします。お疲れのところ申し訳ありませんが、少しだけお聞きしたい事があるのです。もう少しだけ、貴女のお時間を頂かせてください」
そう言い、ナギサは椅子を引いて少女に着席を促す。ティーカップとソーサーをもう一人分用意し、紅茶を注いで歓談の準備を整えた。
少女は恐れ多さを感じつつも好意を無下にする訳にもいかず、落ち着かない様子で椅子に座り紅茶に口を付ける。ふわりと漂う花の香り、すっきりとした後味。カップを静かにソーサーに於けば、眼前に座るナギサは静かに話を切り出した。
「貴女は今まで何方に……」
「えっと、砲撃に巻き込まれて意識を失っていたのを先生と補習授業部の方々に助けていただいて、それから目が覚めるまで合宿施設の方に……先ほど、救護騎士団の鷲見セリナさんとシスターフッドの伊落マリーさんと共に戻って来た次第です」
「そう、ですか……敵対し、剰え陥れようとしたと謂うのに……先生と補習授業部の方には感謝してもし足りませんね」
「はい……先生は私とナギサ様を庇い、補習授業部の方を説得していました。それが無ければ、今私は此処に居なかったかもしれません」
「貴女は兎も角、何故私を……?」
ナギサの疑問は当然だった。ナギサは彼の眼の前で彼と敵対すると宣言したのだ。あの時からナギサと彼は敵同士、交わる事も無ければ情けをかける事も無い。何処までも冷酷に、冷徹に、相手を打ち負かす。そういう関係性のはず。それなのに、なぜ庇う必要があるのか。
「先生はナギサ様の策が利用されたと仰っていました。ナギサ様は此処までの事をしないと、誰よりも信じていました……そして、心配もしていました。先生はナギサ様の心が軋んでいないかを案じていました」
「……ッ」
その疑問に対し、少女の口から発せられたのは何処までも『生徒の味方たる先生』としての在り方だった。確かに敵対した、プレイヤーとしてどのシナリオを完成させるかを競う相手だ。だが、それ以前にナギサは愛すべき生徒であり、可愛い教え子の一人だ。当たり前に慈しむし、信じるし、心配する。それが先生だ。知っていたはずなのに、今はその優しさが、善意が────酷く、痛む。
「ナギサ様、補習授業部は……」
「────分かっています」
口から零れた
「分かっているのです。こんな事で何かが解決する訳が無いと。血を流した機構は最後まで流血を欲すると、私も分かっています。疑惑があるからと善良かもしれない生徒を巻き込み、生徒の味方である筈の先生を巻き込み、仕えてくださる貴女すら傷つけてしまった
「ナギサ様……」
「……失礼しました。こんな事、貴女に聞かせる話ではありませんでしたね」
そう言って、ナギサは力なく笑う。零れてしまった弱音は返らないから、せめてもの誤魔化しで有耶無耶に。自分はトリニティのトップ、情けない姿は見せられないから仮面を被るのだ。それが、どんなに愚かな選択であっても。
「暫く貴女には休暇を言い渡します。ゆっくりお休みください。何かがあればすぐに連絡ください……今日はありがとうございました。無事に戻ってきてくださって、本当に嬉しかったですよ」
「……承知しました。では、最後に幾つか先生からの伝言をお伝えします」
少女がそう言うと、ナギサは背筋を正す。先生からの伝言。それは、きっと大きな意味があるものだから。
「先生はまだ終わっていないと仰っていました。事態が動くとすればこの先、警戒レベルを上げてほしい……と」
「……分かりました。肝に銘じておきます」
「それから……先生はナギサ様の事を『頑張り屋さんの可愛い生徒』と仰っていました。私はナギサ様の事を『いつも優雅で優しい、頼りになる尊敬する先輩』と思っています……申し上げたい事は以上です。お時間いただきありがとうございました。ナギサ様も、お気をつけて」
少女は立ち上がり、「失礼します」とドアを静かに閉めた。そうしてこのテラスに残ったのはナギサ一人。
「いつも優雅で優しい、頼りになる尊敬する先輩……」
少女から見たナギサの姿。
「頑張り屋さんの可愛い生徒……」
先生から見たナギサの姿。
その二つは本来であれば、本当に嬉しいものである筈なのに────今は。
「お二人には、私の事がそんなに立派に見えているのですね……そんな評価を受ける資格など、私にはないと謂うのに」