シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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終曲へ足を進め

 コハルの叫び。自分は此処に居る、貴方の瞳に移っている。そして、貴方も此処に居るし、貴方の眼に私は映っている。故に黙殺は許さない。眼を逸らさずに、真っ直ぐ見つめてほしい。強がりも仮面も弱音も嘘も全部取り払った、ありのままの姿を。

 

 何処にもないものを見つめて勝手に悲しむよりも前に、眼の前の自分を見てほしかった。貴方の生徒は此処に居るのだから。

 

 そんな心からの絶叫ですら────彼に巣食うものを壊すには至らなかった。

 

「……」

 

 言葉は届いた。意味も届いた。コハルが何を言いたいのか、何を望んでいるのか、それはちゃんと分かる。コハルの言う通りだ。眼の前に居る彼女を見ずに、他の誰かと重ねるなんて彼女にも他の誰かにも失礼過ぎる。悪い事をしてしまったと認識し、もう二度と面影を見ないと誓おう。彼女は下江コハル、大切な生徒だ。だからそれに対しては真摯な謝罪を送る。ごめんね、と。

 だが、それ以外の事に対して彼は何も言えない。何度も失い、使い潰し続けてきたこの身を今更大切に思う事なんて出来る訳が無かった。それに、いずれはこの最後の体も失う。後の悲劇を生まないために、二度と同じケースを繰り返させないために。先生と謂う存在が死ぬまでがプランの道筋だ。過程を変えずに結果を変える事なんて出来ない。

 

 その場凌ぎの『分かった振り』を演出して、適当に済ませる事は充分可能だろう。生憎と腹芸は得意だ。表情管理もお手の物、彼の口にした嘘は彼以外の誰にとっても真実に見える。だが、それは逃げだろう。口触りの良い嘘を口にして張りぼての安心感を与えて済ませるなんて謂う事を、己に対して真剣に向き合ってくれたコハルにしたくはない。

 

 だからどれだけ残酷でも、救いが無くても、無意味だと突き付ける事になろうとも、本音と真実で以て彼女と対話しようと思って────喉が凍り付いたように動かなくなる。

 

 また泣かせたいのか、と形のない己自身が問いかけた。

 

「なんとか言いなさいよぉ、先生ぇ……」

 

 小さく嗚咽を漏らしながら胸元に倒れ込んできたコハルの背中に半ば条件反射のように手を回す。背中を撫でて、落ち着かせるように。喉を震わせる音だけが響く静寂。閉めたカーテンの隙間から漏れる光はまるでスポットライトのようで、コハル達を照らす。

 

「……私の痛みは、本当に君が泣くのに値するものなのかい?」

「当たり前でしょ、ばかぁ……」

「……そっか」

 

 酷く透明な表情で沈黙を保っていた先生が口を開いたと思えば、そこから飛び出してきたのは酷く当たり前の事だった。そんな当たり前の事すら聞かなければ分からないほどに、彼は自分自身に価値を感じていない。

 そして、生徒の口から揺ぎ無いその言葉を聞いても……先生は自身の命を使い捨ての道具にしか思えなかった。

 

 自分を変えるつもりはない。曲げるつもりはない。止まるつもりはない。この意志を貫き通す。人類の一員として。自分をキヴォトスに生きる同胞として受け入れてくれた人達の為にも。

 生徒の為に生きて、生徒の為に死ぬ。この星を未来ある星にする。ありとあらゆる神秘を根絶やしにする。全ての『神』を昇華させる。

 

 その為に先生は此処に立っている。それ以外の生き方は許されない、許すつもりも無い。それが生徒の望みとはかけ離れていると分かっていても、平和になった世界に自分の居場所も存在意義も無いと知っているから。だからこそ、争いを忌避し唾棄しながらも争いにしか居場所と存在意義を見出せず、永遠に囚われる。愛した日常と平和は遠ざかるばかり。

 

 この生き方は────悪いものだ。誰に言われるまでもなく、先生はそれを嫌と言うほど知っていた。

 

 

 ▼

 

 

「……先ほどのは先生が悪いと思いますよ。あんなに近くにいたのに見ていなかったなんて、コハルちゃんが可哀想です」

 

 泣き疲れたコハルが先生にしがみ付きながら小さな寝息を立てて10分程度経過した頃。別の部屋から持ってきたブランケットをコハルにそっと掛けながらハナコは彼を諫める。人の眼を見て話をする事を徹底している彼が眼の前に居る誰かから目を逸らすなんて異常事態であり、そうさせる何かが彼にあった事は理解しつつも……大切な友人が味わった痛みを思えば、言わずにはいられなかった。

 

「そうだね……」

 

 上の空。譫言。ぽつりと零れた彼の言葉は今まで聞いたどの声よりも静謐さを伴っていた。ちらり、と一瞬だけハナコ達を見た瞳。透徹の眼。奥にある感情が全く読めない、のっぺらぼう。本当に同じ生き物なのか疑わしくなるほどに空虚だった。

 

 ────ハナコはふと思い出す。集めていた先生の情報に『虚無』とか『空虚』とか、その手の言葉が混ざっていた事を。その正体が今分かった。この顔だ。この顔を見てしまった生徒が確かにいたのだ。

 

「……何故、謝らなかったんですか?」

 

 優しい手つきでコハルの髪や頬を撫でる彼に投げかけられたのは、発したハナコ自身ですら驚いてしまうほどに刺々しい言葉の羅列だった。責めるような、或いは糾弾するような。思わず『そのような意図は無い』と口を突いて出そうになったがぐっと堪える。傷ついたコハルの為にも、何かを抱える先生の為にも。大切な人達の為なら自分(ハナコ)は喜んで嫌われ役になろう。

 

 そう思い、ハナコは意を決して先生を見つめると……彼は酷く哀しそうな表情で口を開く。喉を通って、口から出るその音と言葉はまるで涙の音階のようで。

 

「別に大層な理由がある訳じゃないよ。ただ、コハルの涙に対してその場凌ぎの薄っぺらい謝罪を吐く気になれなかった。それだけだよ」

「それは……」

「私が間違っていて、コハルや皆が正しい。それはちゃんと分かっているよ。だから私はコハルに謝るべきだった。傷つけてごめん、って」

 

 彼はそう言ってコハルの髪にそっと指を通す。彼女が目覚めている時に終ぞ言わなかった、言えなかった謝罪の言葉を添えて。

 

 あぁ、そうだ。彼女達が正しくて、彼が間違っている。それは確固たる事実であるし、彼自身も異を唱える事はない。自身の不用意な言動で悪戯に生徒達を傷つけてしまった罪悪に許しを請う事はしないし、断罪は喜んで受け入れよう。

 

 でも────彼はそう言って目を伏せた。

 

「でも、謝った所で私が今後『こう』ならないとは限らないし、似たような状況に直面した時、私は必ず同じ選択をする。綱渡りの状態は変わらない、痛みや傷を当然のものだと思う心は変えられない。人の心は変化しやすいだけで元に戻らないんだ。染みついた思考は変えられないし、焼き付いた地獄は消えない。何もかも元通り、なんて悍ましい」

 

 誰が何を願おうが彼の自滅願望に近しい自己犠牲が変わる事はない。生徒と自分自身を天秤に掛けた時、必ず生徒を選ぶ。そもそも彼が自身をテミスの天秤に乗せる事はないのだ。自分が身を切って解決するなら喜んで肉を断とう、それが彼の本質だ。

 懇願されても、止められても、彼の心は変わらない。自己を無価値、塵芥と思う心理は変わらない。故に躊躇いなく自分自身を犠牲にする、差し出す。それがどれだけ罪深い事だと思っていても。

 

「どんなに否定しても、謝っても、私がこの世界の異端である現実は歪められないし、死と隣人な事も同じさ。私は何処まで行っても、目的の為に自分自身を使い潰せる人でなしなんだ」

 

 結局の所、彼の評価はそれに尽きる。目的の為に自分自身を使い潰せる人でなし。人に憧れ、人であろうとする、インヴェーダーの端末。相互理解など到底不可能、彼は人類ではないのだから。

 

「ハナコには話したよね。『私、本当に酷い人間なんだよ』って。自分の痛みも命もどうでも良いと思ってる。だから……」

「────もう良いのではないですか?」

 

 その言葉の続きなんて聞きたくない、と言わんばかりにハナコは言葉を被せる。それはいつの日かヒナが彼に送った言葉と全く同じ祈り(呪い)だった。人当たりの良さ、暖かさはそのままに彼から表情が抜け落ちる。透徹した瞳に凍えるような蒼が灯り、深淵の様な虚無がハナコの前に在った。

 

「何が先生をそうさせているのか私は分かりませんが……あまりにも重い荷物であるならば、降ろしてしまっても……」

「────いいや、それはできない」

 

 開いた口から零れた言葉は、今まで聞いた全てよりも重かった。

 

「私がやらないと他の誰かがやる事になる。私の生徒に飛び火する可能性があるんだ。そんな事、万一にもあってはいけない。だから私がやらないと。心配してくれるのは嬉しいし、申し訳ないと思うよ。でも、私は止めない」

「そんな生き方は……ッ」

「悪いものだ。それは分かってるよ。でも、それでも私はこうする。この道を選んだのは私だ」

 

 そう言って笑った彼にどんな言葉を掛けていいのか、ハナコもヒフミもアズサも分からなかった。何を言っても傷つけてしまいそうで。何を言わなくても傷つけてしまいそうで。

 

「私と仲良くしてくれるのは嬉しいし、私が皆にとって善い先生で在れているならそれに勝る喜びは無いよ。これは紛れもない本心。でも、私に共感したり、私に心を痛めたり……兎に角、あんまり私に深入りし過ぎないでほしいんだ。私はいつか、君達の前から居なくなっちゃうからさ。訣別の時の痛みはきっと、小さい方がいいんだ」

 

 避けられない別れであるならば、せめて痕を残さないように。哀しみを伴った別れではなく、笑顔で永遠のさよならを。それが、彼の小さな願いだった。

 

 

 

 

 幾度も味わった浮遊感、虚脱感と共に先生は青い教室へ降り立つ。アロナから緊急の呼び出しを受けた彼はその要件の大体を把握しつつも、こうして彼女の領域に足を踏み入れた。アロナが観測したデータが、自身が感じ取った気配が間違いかもしれない……そんな都合のいい一縷の望みに賭けて。

 

「さっきぶりだね、アロナ」

「はい……すみません、お身体が万全でないのにお呼び出ししてしまって。ですが急ぎでお伝えしたい情報を2つキャッチしました」

「いいや、大丈夫だよ。気にしないで」

 

 彼はそう言ってひらひらと手を振り……それから、真剣な眼差しでアロナを見つめる。

 

「それよりアロナ、2つって言ったね。1つは私も分かるけど、もう1つの方は……」

「……どうやら、補習授業部の皆さんが受ける予定の第三次特別学力試験が数日前倒しになるようです」

「なるほど。補習授業部を早めに片付けて、学園内の調査にリソースを割きたいのか。目に見える裏切り者より、目に見えないシンパの方が怖い……情報の確度は?」

「ナギサさんと、ナギサさんの行政官がお話しされている内容を傍受しました。信頼性は高いと思います」

 

 アロナがそう言うなら間違いないと思いつつ、どうやってテラスの会話を傍受したのかという疑問が鎌首をもたげたが、今は関係ないため即座に思考を振り払う。思考をリセットした彼は「ありがとう、2つ目は?」とアロナに次を促す。

 

「神秘の揺らぎを観測しました。出力は準神格級、間違いなく臨戦態勢です。アロナの計算によれば、あと数日……早ければ3日後には仕掛けてくるかと」

「神秘の出典は?」

「……セム的一神教、です」

「そっか。ありがとう、アロナ」

 

 ────早まった試験日程。不穏な神秘の揺らぎ。関係ない、とは思えない。誰の意図がどの様に絡まり関与しているのか、その全体像は先生すら把握できていないが……やる事は酷くシンプルだ。

 

「────来るなら来い、ベアトリーチェ。潰してやる」




 恐らくですが、拙作の最終章はデカグラマトン編をベースに制作すると思われます。いつ辿り着けるかは不明ですが、フィナーレを書けるようにに筆を進めて参ります。
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