シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
カリキュラムが始まる前、ヒフミとハナコは意図的に黙していた秘密を全員に共有した。
今期の補習授業部はエデン条約を妨害する『トリニティの裏切り者』を炙り出すために集められた事。
ティーパーティーの
コハルは特に怪しい部分はなかったものの、単純に成績がヤバかったのと、正義実現委員会……特にハスミへの牽制として入れられた事。
計3回実施される特別学力試験、その全てで不合格になった場合、シャーレの超法規的権限によりあらゆる手続きをスキップしていきなり学籍の剥奪……つまりは退学が行われる事。
裏切り者を見つけ、ティーパーティーに差し出す事ができればその時点で補習授業部は解散、退学の話も白紙になる事。
ヒフミは容疑者の一員として疑いの目を向けられながらも、ナギサから真実をある程度伝えられていた事。
先生はナギサと取引しているものの、『裏切り者』を発見するという仕事に関してはやるつもりが無いと謂う事。
先生との交渉決裂により、もうナギサも形振り構っていられず前回の様な強硬手段に出たと謂う事。
そして、先生も同様に口を開く。
ティーパーティー、ひいてはトリニティの裏で悪意が蠢いていると謂う事。
その悪意を見つけるためにナギサは補習授業部の事を巻きで終わらせるつもりであると謂う事。
それに伴い、試験日程が数日早まる事。
それを聞いたコハルは多いに混乱し、焦り、取り乱したが、次第に状況を呑み込み、最終的には『やるしかない』と決意を固めた。自分の居場所は自分で勝ち取るしかないのだと、戻りたい場所に胸を張って戻るためには正々堂々真正面から相手の意図を超えるしかない。それに、単純明快にコハルは負けたくなかったのだ。目的の為に沢山騙して、沢山傷つけた
対して、アズサはほぼ全くと言って良いほど動揺していなかった。やるべき事は変わらないし、やれることもまた同様。日々の努力を積み重ね、進むだけだ、と。相変わらず鉄の様な意志の固さだったが、その芯のブレなさが今はとても頼もしかった。
ヒフミはトリニティの掲示板を見る。トップに踊っていた文字列は『第三次特別学力試験の試験日程変更について』、先生の言っていたことが現実となった証拠だった。
試験範囲、個々人の合格点のボーダー、補習授業部全体の合格条件は前回……第二次特別学力試験と同等。試験日程は3日早まり、3日後へ。場所は後日発表する、とのことだ。
これにより少女達はあと3日で3倍にまで膨れ上がった試験範囲をカバーし、尚且つ難易度が上がったテストで90点を越えなければならない。
以前であれば『無理』の一言と共に切り捨ててしまっていた事。だが、今は違う。難しいだろう、合格できる確率は低いだろう、もしかしたら前回みたいに試験を受ける土俵にすら立てないかもしれない。だけど、それでも────やれる事はある。諦めなければ実現できる、とは言えないけれど……それでも、抗う限り可能性は0ではない。
だから少女達はペンを取る。この先にある景色に足を踏み入れるために。またあの学び舎で、何でもない生徒として日常を歩むために。
「────皆さん、頑張りましょう!」
────第三次特別学力試験まで、残り3日。
▼
少し蒸し暑い夜。誰一人としていないトリニティ総合学園、先生は石畳とレンガを歩く。偶にすれ違う警備用のオートマタとドローンはまるで先生を居ない者のようにスルーして、ひたすら巡回ルートをぐるぐると回っている。
それを先生は気にも留めずに、夜に順応した眼で道を歩く。こうして学び舎に無断侵入したのは、事が起きる前に一度会っておきたい生徒がいるから。本来であればティーパーティーのテラスすら光を消す時間帯に生徒はおろか職員すらいないのだが────今日は例外だった。
先生が足を止めたのはトリニティ大聖堂。厳かな雰囲気、清廉さと貞淑さは夜のテクスチャにより一層強調されており、教会だと謂うのに人の子が足を踏み入れるのを拒んでいるかのように錯覚してしまう。
「────」
先生は固く閉ざされた正門を素通りし、マリーが手入れしている花壇を横目に奥へ。大聖堂を回り込むように歩を進ませた先にあるのは主にシスターフッドの生徒が早朝や放課後に出入りする際に使用する関係者用の扉。この時間は大半の門や出入口が閉ざされているが、一部の部活や団体が所有する建物の関係者出入口はそこの責任者が施錠する規定となっているため、学校の稼働時間に関わらず中に生徒さえ居れば入れるようになっている。
だが、普通であれば足を踏み入れる事はないだろう。特にシスターフッドであれば猶更で、秘密主義と外部不干渉の性質が災いし、色々と根も葉もない噂が飛び交っている。地下には拷問器具があるとか、古書館にすら見捨てられた禁書が眠っているとか、最下層には墓地に繋がる大迷宮があるとか、夜にはお化けが出るとか。そして、今代のシスターフッドの主であるサクラコも誤解を生んでしまいやすい生徒であるため、その噂に拍車がかかっていた。尤も、サクラコは至って善良な……それこそキヴォトスでも屈指の常識人かつ温厚な人格者であり、甘いものが好きな優しい生徒なのだが。
先生は特に身構えることなく木製のドアをいつもの調子で3回ノックする。すると、微かに足音が聞こえて、ギィ、と古めかしい音を立てながらドアが開いた。
「久しぶり、サクラコ」
「お久しぶりです、先生。お入りください」
サクラコに促された先生は大聖堂の中に入る。それを確認したサクラコは後ろ手にドアを閉めて鍵を掛けた。音も立てずに。この会談は秘匿されているためサクラコの行動は正しいものではあるが、それはそれとして今の一連の動作は普通に怖い。こうした本人の悪意が無い、良かれと思ってやった事が妙な方向に積み上がってしまい、今のシスターフッド、ひいてはサクラコの噂があるのだろう。
先生は天を仰ぐ。思ったより、サクラコの誤解を解く道は険しいのかもしれない。
「えっと、先生……どうされましたか……?」
「あぁ、いや、何でも無いよ。こんな夜遅くにごめんね」
「いえ、お気になさらないでください。それよりも、お身体の方は……」
「大丈夫だよ。怪我の見た目は派手だったけど、それだけさ」
軽い雑談を挟みながらサクラコの持つ燭台の明かりに導かれ、暗い大聖堂を歩く。数部屋の書斎、倉庫を通り過ぎ、サクラコ専用の執務室に通された先生はサクラコと向き合って座った。
「まずは色々とありがとう。本当に助かったよ。サクラコが居なかったら
「ありがとうございます……これは……?」
先生がサクラコに差し出したのは白を基調に金の箔押しが入った、如何にも高級そうな紙袋だった。中身を覗いたが、箱が見えただけでそれが何かまでは分からない。
「チョコレート。甘いもの、好きだよね?」
「確かに好きですが……えっと……」
「遠慮しないで。サクラコの為に、サクラコに喜んでほしくて買ってきたんだ。だから受け取って貰えないと逆に困っちゃうな」
清貧、貞潔、服従の修道誓願を立てているシスターがお菓子を受け取って良いのか。手を伸ばしたい、手を伸ばせない、そんな逡巡をありありと感じさせるサクラコに先生はくすりと笑って背中を押す。こう言えばサクラコは断れないと知っているため、少々狡い言い方ではあるが……彼女はこうでもしないと受け取ってくれないのだ。
「……では、有難くいただきます」
「受け取ってくれてありがとう。もし良かったら一つ食べてみて。味は保証するよ」
尤も、味を保証するのは先生ではなく放課後スイーツ部と美食研究会とハスミだが。彼はにっこり笑ってサクラコを見つめると、サクラコは真剣な表情で考え始めた。
今のサクラコの脳内を埋めているのはシスター特有の戒律や制限事項……ではなく、単純に体重の事だ。今は丁度日付が変わった直後の時間帯。一般的に夜に飲食すると太ると言われていて、それは別にサクラコとて例外ではない。体重の増減、体型は女子高生の最大の悩みの種だ。
だから、ここは食べないのが賢い選択……そうは思っていても、普段の生活では殆ど甘いものを口にできないサクラコの手は自然に袋の中に伸びていた。紙袋の中に入っていたのは同じく高級そうな箱。丁寧に施されたラッピングを解き、箱を開けると中に入ってたのは大小様々な個包装されたチョコレート。サクラコにはそれが比喩なく宝石のように見えた。
それを視界いっぱいに収めてしまったサクラコの脳内に於ける議論は『食べるかどうか』ではなく『どれを食べるか』に一瞬でシフトする。体重や体型なんて何のその、チョコレート一個ならカロリーも大した事はないし、仮に増えたとしても落とせばいい。明日にしてもいいのでは、なんて冷静な意見も遥か彼方だ。
リーフレットの写真と説明は全て魅力的で、どれにするか本当に悩んだが……オーソドックスなミルクチョコレートを手に取り、包装を解いて現れた宝石の様なブラウンを口に運ぶ。
「……!」
舌に乗せた瞬間、口内の温度で溶けていくチョコレート。カカオの風味、ミルクの優しい味が味覚を通して全身に駆け巡り、サクラコの表情が幸福に満ちたものに変わっていった。
「美味しい?」
「はい、とても美味しいです……! 私一人で味わうのが勿体無いくらいで……その、先生。こちらのチョコレートですが、シスターの皆さんと分けても……?」
「うん、勿論いいよ。どれが人気だったか今度教えてね」
「っ、ありがとうございます!」
そう言って、サクラコは先程よりも表情を明るくさせる。こんなに喜んでもらえるなら、追加で買っても良かったな……なんて思っても後の祭り。小さく苦笑を浮べた先生は「あ、そうだ」と思い出したかのように。
「今度はミラクル5000、一緒に買いに行こうね」
「……はい!」
やはり、笑顔は良い。何よりも尊いこの笑み一つで、己は何度でも限界を越えられる気がした。誰かが浮べてくれるこの表情の為に今までも、これからも走っていくのだ。
「じゃあアイスブレイクも済んだし、本題に入ろうか」
「そうですね……先生はこの件の発端が何処にあると思われますか」
「トリニティ外部だね。フィリウス分派が掴んで、ナギサの耳に届いた『トリニティに於ける不穏な動き』……それは外部が掴ませた情報のはずだよ。誤解や疑心暗鬼を生むように、ね」
「……でしたら、この件は仕組まれたもの、と?」
「だろうね。大方、内戦を起こさせてトリニティの結束や戦力を削いでおくのが目的だろうね」
先生の言葉にサクラコは少し考えこんで、それからもう一度口を開く。
「結束や戦力を削ぐこと自体が目的、という訳ではないでしょう。それはあくまで手段。ターゲットは別にある……」
「その通り。
「ルールの書き換え、ですか……本当にそんな事が可能なのですか?」
「可能だよ。第一回公会議と同じ場所、同じシチュエーション、同じ血統。それが揃えば、ね」
「……つまり
「あぁ。そして直に
「時間を稼ぐためにも、今トリニティの戦力を削ったり分散させてしまうわけにはいかない。故に、この動きを此処で食い止めなければならない……この認識で間違いありませんか?」
先生は頷き、机の上にタブレットを出す。画面に映っていたのはトリニティ総合学園のマップだった。
「彼女が仕掛けてくるとすれば第三次特別学力試験の日。この日、ナギサは正義実現委員会に待機命令を出す。第二次特別学力試験の時みたいに後手に回らないよう、初めから動かせる戦力として見せておくんだ」
先生はタブレット用のペンを画面に走らせ、正義実現委員会の本部棟を囲む。
「だけど、それを知った上で彼女は襲撃を仕掛ける。狙う場所はナギサのセーフハウス。ナギサ本人の戦闘能力は高くないから、それなりに訓練を受けた生徒が3人いれば抵抗する間もなく落とされる。ミカが同席していれば回避できるけど……」
「恐らくナギサ様はそうしないでしょう……一気にティーパーティー2人が瓦解するリスク、ご友人であるミカ様を巻き込む危険性。それらを天秤に掛けたナギサ様はご自身と離すはずです」
先生は感情の読めない瞳を細めて。
「ホストの権限がナギサからセイアに移るまでの間、正義実現委員会は軽率に動けない。トップが空白の間に相手はフィリウスにプロパガンダを流布して扇動する。攻撃対象はパテル分派とサンクトゥス分派、ティーパーティーで三つ巴にさせる。この状況になれば相手の狙いはほぼ達成できたも同然だ」
「サンクトゥス分派はセイア様のお言葉で制止できるかもしれませんが、パテル分派は……」
「パテルはちょっと血の気が多いからね。ミカも止めようとしてくれるだろうけど、フィリウスが奇襲を仕掛けてきたって大義名分があると……正直どうなるか分からない。何方にせよ、トリニティの内側で争いが起こるのは確実なんだ」
トリニティを盤上にした勢力図に加筆される。正義実現委員会によるティーパーティー鎮圧作戦。こんな事が起きればティーパーティーの権威は地に落ちるだろう。エデン条約前に行政が機能不全に陥るのは避けたかった。
「幾らシャーレでも学園の中に独自で戦力を持ち込めない。だからこの件はトリニティの中だけで決着をつける必要があるんだ。自由に動かせる戦力はシスターフッドとミネを除く救護騎士団。あとは私と補習授業部だけど……」
「先生と補習授業部の皆さんは合宿施設で起こる襲撃に掛かりきりになってしまう、と」
「あぁ、だからトリニティの本部はシスターフッドと救護騎士団に守ってもらうしかないんだ」
そう言い、逡巡の果てに先生は「サクラコ」と名前を呼ぶ。静かに、だけど……強く。
「この件でシスターフッドが表舞台に立てば、もう政治不干渉の立場にいられない。否が応でもシスターフッドは内政に関わらなければならなくなる」
「えぇ、覚悟の上です。トリニティ総合学園創立以来、守り続けてきた中立と政治不干渉の立場を捨てる事がどれだけ重いか……私は分かっているつもりです。ですが、立場を守るためにトリニティの結束を見殺しにしては本末転倒でしょう。私もトリニティの一員なのです。学友や学び舎が危機に瀕していると知りながら、座して待つ事などできません」
サクラコはふっと笑って、「それに」と呟く。
「シスターフッドの出自を考えれば今まで不干渉で在れたことの方が奇跡だったのです。いつかは私達も表舞台に立たなければならないと思っていました……それが偶然、今だった。それだけの話なのです。ですからどうか、お心を痛めないでください。これは私の選択なのですから」
「選ばせたようなものだよ。私がもっと上手くやれていれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに」
「……私は、そう思いません。先生は最善を尽くしてくださっています。先生ご自身が認めなくても、認め、許している人が確かにいるのです。私も、マリーも、ヒナタも。きっと、沢山の生徒の方がそう思っています。ですからどうか、少しでもご自身を許して、愛してくださいませんか? そうすれば、きっと────」
「それができれば、どれだけ
サクラコの続きを遮るように放たれた言葉は、この世のどんな言葉よりも重かった。
「協力してくれてありがとう、本当に助かるよ……じゃあ、当日の動きを。戦局を決めるのはスピードで、カギを握るのはナギサだ」
「相手がナギサ様を見つけるよりも早く保護する必要がある、と。数あるナギサ様のセーフハウスの中から見つけ出すのは相応に難易度が高いと思いますが……」
「それは私達に任せて。幾つかパターンは立ててあるから。だから、サクラコ達に任せたいのはナギサの件が終わった後なんだ。どう転んでも確実に戦闘は起こる。誰と戦うか、どんな目的で戦うかが変わるだけでね……この先の事は、正直何とも言えない。相手がどう出てくるかによって、状況は目まぐるしく変わる。勝利条件すら不定なんだ」
彼は「だから」と言ってサクラコに金属製のケースを差し出した。疑問符を浮べたサクラコであったが、開けて良いよ、と彼に視線で促されたためロックを外して蓋を開ける。中に入っていたのはシャーレのロゴが刻印されたインカムだった。
「これは……」
「シャーレの秘匿回線が使えるインカム。当日はこれを使って連絡を取り合おう……あ、付け方は大丈夫?」
「えっと、こうでしょうか……?」
「うん、そうそう。大丈夫そうだね」
これで打てる手は全て打った。足搔きに足掻いて、何とか勝負できる土俵まで持ち込んだ。
「さて……どう出るか」
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第四次補習授業部模試、結果。
阿慈谷ヒフミ────92点、合格。
浦和ハナコ────100点、合格。
白洲アズサ────88点、不合格。
下江コハル────87点、不合格。
────第三次特別学力試験まで、残り3日。
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第五次補習授業部模試、結果。
阿慈谷ヒフミ────85点、不合格。
浦和ハナコ────100点、合格。
白洲アズサ────96点、合格。
下江コハル────81点、不合格。
────第三次特別学力試験まで、残り2日。
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第六次補習授業部模試、結果。
阿慈谷ヒフミ────98点、合格。
浦和ハナコ────100点、合格。
白洲アズサ────93点、合格。
下江コハル────91点、合格。
────第三次特別学力試験まで、残り1日。