シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
3分30秒の戦闘。トリニティの命運を賭けた戦いとも言えるこの戦いは時間にするとたったそれだけだった。
爆発で抉れた床材。根元からひしゃげて折れたバスケットボールのゴールポール。辺りに散らばった薬莢。至る所に刻まれた弾痕。割れた窓ガラスが月光をキラキラと反射していた。
「ぐ、うぅ……」
弾丸がアリウスの少女に容赦なく撃ち込まれる。マガジンに残っていた弾の全てを放出した銃撃は防弾プレートを貫通し、少女の意識を容易く刈り取った。がっくりと項垂れ、銃を手放す少女。それをそっと地面に下したアズサは辺りを見渡す。体育館は倒れ伏したアリウスの生徒ばかりで、嫌なくらいに静かだった。
「か、勝った……?」
「全員の戦闘不能を確認」
「あうぅ……な、何とかなったんですよね……?」
「はい、私達の勝利です♡」
体育館2階の足場で狙撃体勢を取っていたコハルは何の予備動作も無く飛び降り、そのままアズサの近くに駆け寄る。それに合わせるようにヒフミとハナコも檀上裏とお手洗いの壁裏から、周囲を警戒しながら歩いてきた。隠れている者も、息を潜めて好機を伺っている者もいない。
だから正真正銘、補習授業部の勝利。その上、先生含めて特に怪我をしている訳ではないため完全勝利と言っても過言ではないだろう。だと謂うのに少女達は何故だか胸騒ぎがしていた。声にも達成感と言うより、安堵と困惑が浮かんでいて。
「これで一先ず難所を一つ乗り越えました。次のフェーズに移りましょうか」
そう言い、ハナコは仕切り直す。胸騒ぎを覚えているのは事実だが、一旦気にしない。それよりも先に共有すべき事を共有する。
「今此処に居るアリウスの部隊は倒しましたが、恐らく直ぐに増援が来るはずです。ですが、真正面から相手にする必要はありません。徹頭徹尾逃げの姿勢で、兎に角時間を稼ぎさえすれば、騒ぎを聞いた正義実現委員会の部隊が此方まで駆けつけて来るはずです」
「あ、ハスミ先輩には連絡しておいた! だからきっと直ぐに来てくれるはず!」
「はい、ありがとうございます♡……ティーパーティーの命令下にある正義実現委員会が動けるとしたら、それはティーパーティーの身辺に問題が生じた時だけ。定期連絡も取っているでしょうし、きっと今頃はハスミさん達はナギサさんに何かあった事には気が付いた筈ですし……そうでなくともミカさんから連絡が行っているでしょう」
これがハナコが立案した作戦。ナギサを先んじて確保しておくことで襲撃者から守り、ナギサと連絡が取れないという異常事態によって正義実現委員会を動かす。
ミカの乱入こそ予想外であったが、彼女もティーパーティーのため正義実現委員会とコンタクトを取れるのだ。正義実現委員会さえ動かせれば状況をひっくり返せる今、彼女が補習授業部の作戦をある程度知っている事は絶大なプラスだ。その上、ミカが近くに居るなら余程の事が無い限りナギサを害する事などできない。
「それに合わせて、コハルちゃんの連絡……これだけ状況証拠があれば『何かがあった』と判断してくださるはず。それから整理と確認、作戦立案から行動開始までそうそう時間は掛からないはずです」
ハナコは顎先に手を当てる。ナギサの異変に気が付かなくてもコハルの連絡があり、それが届かなくてもミカが居る。三重に張り巡らされた保険。それに加えて、これだけ騒ぎを起こしているのだ。きっと正義実現委員会に何らかの連絡が行っていて、動き出すまであと残り僅か、或いは既に動いている頃合いだろう。
「あとは、此方が持たなくなるより早く来てくれる事を願うばかりですが……」
だから後は我慢比べだ。体育館に籠城し、徹底的な遅滞作戦と防衛を行って正義実現委員会が此処に来るまで耐えればいい。
そう思い、アリウスの生徒がいつ来ても対応できるように再びポジションに戻ろうとした時に────いち早く異変を察知したアズサは叫び、先生はシールドを展開した。
「伏せろッ!」
アズサの声に反応した皆は咄嗟に地面に伏せ────刹那、外壁が吹き飛んだ。猛烈な熱風と粉塵、破片が煙と共に背中の少し上を通り抜ける。
巨大な風穴が空けられた外壁から大勢の生徒がぞろぞろと突入してくる。その数は先程少女達が相手にした人数とは比べ物にならないほどで、あっという間に包囲された。
「増援がこんなに早く……」
「え、えっ……?」
「ど、どうなってるんですか……!?」
「数が多い。大隊単位だ。アリウスの半数近くが動員されて……」
「だ、大隊ですか!? そんな沢山の方が、平然とトリニティの敷地内に……!?」
そう言っている内にどんどんと数が増えていく。二重、三重に囲まれ、先ほどまで静かだった体育館は軍靴の音で満たされた。この人数を相手に防衛戦を行うのは流石に厳しい、何よりも先に弾薬が尽きてしまう。
一瞬で形勢が入れ替わってしまい、ハナコは奥歯を噛み締めた。
「おかしい。幾ら何でもおかしいです。これだけ銃声と爆発音が鳴り響いているのに、コハルちゃんとミカさんから連絡が行っているのに、まだ正義実現委員会が動く気配が無い……? 一体彼女達は何をして……いえ、そもそもこの人数を正義実現委員会が見逃すなんて……」
「恐らくこの人数ならトリニティ本校舎に突入する部隊もこっち側に動員しているはず。だから正義実現委員会がアリウスの部隊に足止めを食らっている訳じゃない。なら、何故……?」
「────正義実現委員会はアリウスではない別のものに足止めを食らっている」
その声を発したのは、皆に庇われている先生だった。彼は平坦で、感情が籠っていないような虚無で、淡々と言葉を紡ぐ。
「私が
あの聖女も囮だった。存在するだけで世界を蝕むあの聖女を、彼が無視しないと彼女は分かっていたのだ。そして、彼が聖女を相手にするために異界へ潜行している僅かな時間で命令を回してこの状況を作り上げた。
トリニティ本校舎を担当する筈だった部隊と、戦闘配備状態だった部隊。その混合が今彼等を取り囲んでいる少女達だった。
「そうなればトリニティ本校舎側は手薄になり、正義実現委員会がフリーになる。だが、正義実現委員会に動かれては困るから、半活性状態にあったホドを使って足止めをしている。本体が動いた形跡はないから、恐らくはピラーと眷属を使っているんだろうね。そして、
認識阻害の効能、現実を曇らせる暈。あらゆる知覚を鈍らせる、知性を持つ存在に対する特攻。展開する瞬間を見逃した時点でこうなる事は確定していた。
「だから正義実現委員会は動いていないんじゃない。動いているけど此方に来れないだけだ。本体が動いていないとはいえ、相手は
これが相手の描いたシナリオだと断言して────先生は闇夜に閉ざされた壇上に視線を向けた。
「そこに居るんだろ、ベアトリーチェ」
「────えぇ、正解ですよ。シャーレの先生」
鋭い、文字通りナイフのような声。先生の喉から発せられたとは思えないそれに応える存在が一つ。
「アリウスの子供達に加え、失敗作の廃棄品とはいえ邪龍の聖女まで動員したと謂うのに」
月光の差し込まない暗黒領域。そこから声が一つ聞こえてきた。何もかもを蔑み、見下している────傲慢がそのまま形になったような声音。
ヒフミやハナコ、コハルにとっては初めて聞く声ではあるが……それでも、今まで聞いてきた全てのものと『違う』と否応なく感じさせるものだった。悪意、敵意。どす黒くて、粘ついていて、思わず嫌悪を抱いてしまうような……おぞましい邪悪そのもの。
アリウスの生徒達にとって、その声とは恐怖の象徴だった。声の主の機嫌一つで生死が決まり、苦しさが決まり、痛みが決まる。気分を損ねない事こそがアリウスで生きるための最低条件。反抗する気持ちも、抵抗する気持ちも何もかもずっと昔に磨り潰された。
アズサにとっては最終標的であり、必ず乗り越えなければならない障壁。越えなければアリウスの安息は取り戻せない。今此処に在る命の為に、次に生まれる命の為に────何が何でも倒すべき悪意。
そして────先生にとっては不倶戴天の敵だ。
「桐藤ナギサと先生、そのどちらも殺せないとは……全く、雑用の一つすらできないなんて、これでは
そう言いながら姿を現したのは────キヴォトスの基準から大いに外れた異形だった。真っ赤な肌、長い黒髪。それに対を成すように纏っているのはウェディングドレスにも似た真っ白のドレス。そして、何よりも目を引くのは目玉が付いている翼で覆われた頭だろう。
ヒトガタではあるものの何処からどう見ても異形であり、キヴォトスにおける
「ま、マダム……」
「口を開く許可を出した覚えはありません。
倒れ伏したアリウスの生徒の一人はベアトリーチェのもう一つの名を恐怖に引き攣った声で、或いは一握の希望に縋る様な声で呼ぶが、彼女はそれを一瞥もせず切り捨てた。
役割を果たせなかった手駒に掛ける慈悲はなく、ましてや道具の分際で主人に助けを求めるなんて言語道断。この場で処分しないだけ感謝しろ────そんな心情が透けて見えるような冷徹な声に貫かれたアリウスの生徒は黙って引き下がった。まるで、従う事以外を知らないかのように。
子どもを、生徒を、己の願望を叶えるためのモノとしか捉えていない在り方に先生は怒髪冠を衝く想いだった。これ以上生徒達が侮辱される前に、今すぐにでも手を伸ばしたい。脳内に響いたアロナの制止が無ければ間違いなく礼装を顕現させていただろう。噛み締めた唇から血が零れるほどに感情を堪えて────彼はベアトリーチェと視線を合わせた。
「さて……初めまして、シャーレの先生。私はベアトリーチェと申します。先日、貴方に接触した黒服と同じくゲマトリアの一員。
「故あって、ねぇ……『内乱に乗じて玉座を掠め取った』の間違いじゃないか?」
「……吠えますね。人間の分際で」
「吠えて抗うだけが取り柄だからね」
売り言葉に買い言葉。声音こそ穏やかであるが、その偽装の表層を一枚剥がすと悍ましいほどの負の感情。胸の内側に抱くのは敵意、殺意、憎悪。『お前だけは認められない』と声高に叫びながら、互いに激情の切先を向けている。
あぁ────そうだ。この存在だけは許せない。その
「ふふ……元々、私はこんな下らない言い争いをするために此処へ来た訳ではないのです」
「じゃあ、何のために」
「それも違いますよ。えぇ、単刀直入に言いましょう────シャーレの先生、私と手を組みませんか?」
「は?」
まさかの協力要請であり、同盟。そんなものを持ちかけられるとは思っていなかった先生は何よりも先んじて困惑を抱いた。その困惑を他所にベアトリーチェは饒舌に語り始める。彼にとっては聞くに堪えない妄言を。
「その眼、その能力、その特権。貴方個人の事はこの上なく気に入りませんが、貴方が持つそれらには利用価値があります。貴方も至高天に興味があるでしょう?」
ベアトリーチェが言っているのは死後の保証だった。
彼女の目的はキヴォトスのテクスチャを『神曲』で書き換える事。その世界でベアトリーチェは彼を天国に連れて行く、と言っているのだ。彼女の恋人であったダンテと同じように。
先生は鉛を吐き出すような重苦しさで「はぁ」と溜息を吐いて────ベアトリーチェに分かり切っていた否を叩きつける。
「一昨日来やがれ。お前と手を組むくらいならカイザーの奴隷になった方が万倍マシだ。地獄も煉獄も天国も興味ない。巡りたいならどこか遠くで一人で巡ってろ。その願いに生徒達やこの世界を巻き込むな」
先生は自身の行先を分かっている。そして、それが決して変えられない事も。故に天国とやらに行ける訳もないし、誰かに保証してもらう必要なんて皆無。そもそも死後なんて心底どうでもいいのだ。その程度の安いもので靡く事はない。
もし仮に自身の死後が定まっていなかったとしても……彼がベアトリーチェと組む事は絶対にない。理論とか理屈とか、その様な次元でなく────魂がそれを拒絶する。
「生徒を傷つけ、苦しめてる時点でお前は問答無用で私の敵なんだよ」
「……そうですか。えぇ、予想できたつまらない解答ですね。いけ好かない黒服が『一度は勧誘を』と宣うから言いましたが、無駄に私の時間を浪費させられただけでした。全く、どいつもこいつもこのような男の何処が良いのやら」
ベアトリーチェの在り方が『生徒を虐げる大人』である限り、先生は必ず彼女と敵対する。相互理解など断じて不可能。そも、生徒を傷つける心情を理解するなど願い下げだ。故に彼は何処までもベアトリーチェを理解不可能な怨敵と見做す。
アロナの制止は解かれた。彼を縛るものは何もない。彼は自身の譲れないもののために、一つの殺意を装填する。
「で、遺言はそれだけか」
「おや、随分短絡的ですね。大人である貴方はもう少し理知的だと思っていたのですが……私に聞きたい事があるのでは?」
「まぁ色々と言いたい事や聞きたい事はあるよ。アリウスの事とか色彩の事。数多の神秘を利用して何を産み出そうとしているのか、とかね」
先生とてベアトリーチェの活動の全てを把握できているわけではない。気になる事はそれなりにあるし、知りたい事や問いたださなければならない事もあるにはある。後の憂いは断っておくに限るし、先生もそれには全面的に同意する。ここでベアトリーチェを消せば何かがブラックボックスになってしまう可能性もあるのだ。
────だが、その上で。
「だけど、諸々全部ひっくるめて……
先生の瞳に死が堕ちる。透き通るような青空の色彩。シッテムの箱の内側、『教室』と深く同調した彼。旧世界言語すらはっきりと視認できるほどに強い接続は身体的な負担も大きいが、出し惜しみして勝てる相手ではないのだ。故に彼は手を緩めずクラフトチェンバーを使い、礼装を顕現させた。
先生が持つ礼装は全部で四種類。それぞれが全く異なる敵を想定し、全く異なる用途で運用される対終末要素。天命、天理、獣殺し、神殺し。この中でベアトリーチェに特攻があるのは天命か神殺し。獣殺しは相性や特攻を無視した単純な出力で押し切れるだろうが、現在は未完成であるし、そもそもそんな高出力武装を生徒がいる場所で運用したくない。そして神殺しはまだ設計図が完成した段階だ。だから使う礼装は必然的に一つに限定される。
対神秘、対神性に特化した────尊きものを蹂躙し尽くす天命の杭を。
「お前の目的も望みも、此処で終わりだ。多少なりとも
ベアトリーチェは生徒を傷つけ、苦しめ、搾取し、目的の為に利用し続け……暴虐の限りを尽くしてきた。それを繰り返させる訳にはいかない。ここでベアトリーチェを終了させる。残りの懸念事項はその後だ。
礼装が展開する。生徒が運用する前提ではあるものの、それは相手が顕現状態の
「目的のためなら他者を使い潰す
そう言って笑って、嗤って。
「だから同類は同類同士で憎み合って、喰らい合って、殺し合って、後には何も残さない。此処で朽ち果てろよ」
誰からも理解される事なく、誰も理解する事も無い孤独な命。誰一人として同胞はおらず、生きる意味も幸福も何一つ手に入れる事はない存在。
キヴォトスの外から訪れ、キヴォトスの命を搾取し、今のキヴォトスを壊そうとする外部からの侵略者。
キヴォトスの異物も害悪も、先生から見ればどっちもどっちだ。そして、どちらも部外者ならその争いに他を巻き込む訳にはいかない。同類同士で殺し合うのが当然だ。
「これは、お前を排斥できなかった