シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
あけましておめでとうございます。家内で色々とバタバタしていて、更新が止まっていました。申し訳ございません。本日よりまた投稿を開始していきます。
冬の真っただ中ですが、夏休みの話です。
爽やかな潮風。磯っぽい香りと瑞々しい大気。肌を焼く太陽の光は夏の真っただ中と謂う事を強く主張している。天気は快晴で、空は高く澄んでいる。気温と日焼けにさえ気を付ければ絶好のお出かけ日和だった。
そんな空の下、公道を走るのは────戦車だった。誰が何処からどう見ても戦車としか言えないような、純度100%の戦車であった。トリニティの正義実現委員会で正式採用されている、性能と運用実績に裏打ちされた優等生。しかも実戦想定である。
海を臨む公道を走る実戦配備の戦車の時点で色々とおかしいが、それに輪をかけておかしくしているのが、この戦車を操縦している人物は別に正義実現委員会の所属でも何でもないという点だ。何なら、操縦者は正義実現委員会に喧嘩を売り、正義実現委員会のメンバー30人余りを病院送りにし、トリニティ総合学園構内で破壊の限りを尽くし、その上で備品の戦車を強奪した。その辺の不良よりもよっぽど不良だろう。
そんなとんでもない事を成した少女2人のうちの一人────ヒフミは戦車の上部ハッチを開けて外に身を乗り出した。
「────ッ」
ぱっと明るくなり、白飛びする視界。日差しを遮るように目の上に手をかざすと、直ぐに視界が鮮明になった。目に飛び込んできた光景は、どこまでも続いていそうな海と空。青く広がる境界のような地平線。その光景にテンションが振り切れたヒフミは下に居るアズサ────戦車強奪事件のもう一人の実行犯に満面の笑みで話しかける。
「アズサちゃん見てください! 海ですよ、海! 漸く着きました! 本物の海ですよ、アズサちゃん!」
「うん、海だ……綺麗……」
ヒフミと同じようにハッチから顔を出したアズサは青い視界に溜息のような呟きを零し、ぼうっと眺める。綺麗で、透き通っていて、どこまでも続いていて……世界の広さを思い知らされる場所。以前は皆揃っては来られなかった。だが、今回は違う。今回は皆一緒だ。それがたまらなく嬉しい。願わくば、来年は大切な家族とも来たいな────なんて思いながらそっと微笑む。
「はい、とっても綺麗ですね! もう直ぐビーチですから、降りる準備しましょう!」
ヒフミは微笑みに対して満面の笑みで返し、ハッチを閉じて戦車の中に戻る。戦車の中は少々手狭ながらもストレスなく長時間の移動ができるように工夫されており、外観のイメージよりは広いスペースが確保されていた。だが、そんなスペースも5人で使えばぎゅうぎゅう詰めで少し窮屈に感じられるが……大切な友人同士のため、不快感なんて覚えるはずもなかった。
ボリュームを落とした声で談笑しているハナコとコハルは降りてきた2人の表情を見て察する。もう直ぐ着くのだろう、と。であれば後は────と、ハナコに膝枕をされて熟睡している先生に視線が集まる。出発して30分経った頃にはすでに半分ぐらい眠っていて、その10分後には完全に熟睡。ハナコの肩を借りて夢の国に旅立っていた。その後、ハナコは彼を起こさないように膝枕に移行して今に至る、という流れだ。彼の頭がハナコの肩に触れたとき、とても可愛い声が彼女から飛び出していた。自分から触れるのは兎も角、相手から触れられるのは耐性が無かったようだ。コハル曰く『あんな顔のハナコ初めて見た』との事。
ヒフミは彼の肩に手を当て、軽く揺らしながら声を掛ける。
「先生、先生。起きてください! もう直ぐ着きますよ!」
「んー……」
ヒフミが耳元でそう言うが、先生の瞼は閉じたまま。微睡からは離れられず、ヒフミが肩から手を離した後はまた穏やかな寝息を立て始めた。転寝や居眠りではなく、本格的な睡眠。車の振動によって眠くなる人は一定数いるが、運転中の戦車で寝るのは珍しいだろう。騒音も振動も一般車とは比較にならない。それでも眠れるのは、そういったデメリットを捩じ伏せるほど睡眠欲が強かった……即ち、毎日の激務の影響に他ならない。
「先生は激務ですから、この3日間を捻出するために沢山無理をしたのでしょう。もう少しだけ寝かせてあげてもいいのではないですか?」
「あうう……そ、そうですね。確かに最近の先生はお疲れに見えましたし……」
緊急時に於ける学園間の連携円滑化を目的とした、シャーレ主催の交流合宿……と謂う建前の夏季休暇。何事も建前は大事だ。先生が普通に『生徒と遊びたいからお休みください』と言っても間違いなく却下される。『お休みするのは問題ありませんが、遊ばずに体を休める事に専念してください。ただでさえ病み上がりの体なのですから』とリンに正論で殴られて撃沈させられるのが関の山だ。
だからこそ、仕事という建前が必要だった。仕事ならリンもあまり強くは言えない。特に昨今は規模の大きい、単一の学園で解決できかねる戦闘がちらほらと発生しているのだ。そうした事態に対応するためには現場で戦う生徒同士の連携が必要であり、その為にシャーレが仲介役となり、生徒間の交流を促す……と書けばそれっぽくなる。
こうして合宿期間である3日と合宿所を確保した先生は海へ行きたいといった補修授業部と正義実現委員会に声を掛け、そこからミレニアムセミナー、ゲーム開発部、ゲヘナ風紀委員会、アビドス対策委員会、忍術研究部……と、参加人数を着実に増やしていった。
だが、参加人数が増える事と調整業務が増えるのは同義。ただでさえ3日シャーレを空けるために膨大な仕事を前倒しにしなければならないというのに、そこに加えて調整業務までも降りかかるのだ。それも、退院して間もない、病み上がりの体に。早々に無理と悟った先生は恥も外聞も無く生徒に頭を下げて頼り、生徒もまんざらでもない様子で応え……出発の1時間前に最後の業務を終わらせ、戦車の中で爆睡している今に至る。
「えぇ。それに、まだ退院して2週間しか経っていません。まだ本調子でないでしょうから、可能な限り先生には負担をかけないようにしましょう」
ハナコは穏やかに微笑み、膝の上で眠っている彼の髪にそっと指を通す。あどけない顔は起きている時よりも幼く見えて、可愛らしい。何より、彼の信頼が嬉しかった。無防備な寝ている姿を晒してもいいと思ってくれて、身を預けてもいいと思ってくれて。
「……ふふっ♪」
上機嫌に笑うハナコを見て3人にも笑顔が零れる。補習授業部の一件から、ハナコは良く笑うようになった。初対面の時にあった、何処か作り物みたいな表情ではなく、本心からの笑顔を見せてくれるようになった気がする。それが本当に嬉しくて仕方がなかった。
再び戦車を自動運転に切り替え、4人は再びお喋りの場に戻る。旅行の道中のこうした時間が一番ワクワクするよね、なんて毒にも薬にもならない、だが何よりも掛け替えのない時間を過ごし……そうして話題は自然に水着にシフトする。
ヒフミとアズサはフリルの付いた可愛らしいセパレートの水着。ヒフミは白で、アズサは青とピンク。何方も良く似合っていて、彼女達らしい装い。どうやら2人は先生と一緒に選んだようだった。
コハルは真ん中にリボンのような装飾がついたセパレートの水着。黒ベースに花柄の紋様がピンクの髪と色白の肌、謎の黒線に映えている。本当に、あの線はどこまで続いているのだろうか。
ハナコはレディース水着の代名詞とも言えるビキニタイプの水着で、スタイルに対する自信が見える。実際、彼女のスタイルは抜群で、誰もが眼を奪われるだろう。だが、彼女を見た時に一番最初に目に飛び込むのは上に羽織っている白のシャツだ。尚、水着のボトムはシャツの下に隠れて見えていない。彼女曰く、『これも古則の5番目です♡』との事だった。
「ハナコちゃんの羽織っているシャツはどこのブランドですか?」
「ふふっ、気になりますか? とは言っても、元は私の持ち物ではないですし、タグも無かったのでブランドまでは分からないのですが……このシャツの元々の持ち主はお教えできますよ♡」
ヒフミの疑問にハナコは心底楽しそうに返す。丈が余っている袖、膝上まで覆える裾の長さ。ゆとりのある首元。大きめのサイズとは思っていたが、まじまじと見るとよりその印象が強くなる。ルーズシルエットのファッションにしても度が過ぎているように見えるし、ハナコがサイズを間違えて買ったとも思えない。であれば、この服は元々ハナコが着る事を想定していない……誰かから譲り受けたものなのだろうか。そして、ハナコでも持て余すサイズの服を着用できる人となると一人しか思い当たらない。
「正解は、先生のシャツです♡」
その推理、思考に正解をあげるように、ハナコは膝の上で寝ている先生の頬を人差し指で優しく突いた。
ハナコよりも身長が10cm以上高い先生の持ち物であれば、サイズを持て余すのにも納得できるが……どの様な紆余曲折があれば先生からシャツを受け取れるのだろうか……なんて思っていると、その疑問を読み取ったようにハナコは徐に人差し指を立てる。
「合宿施設の体育館でお喋りした時を覚えていますか?」
「あぁ、停電した時だな。あの時も水着で話したな……うん、凄く楽しかった。またやりたいな」
余程楽しい思い出だったのだろう。まるで思い出し笑いのように表情を綻ばせるアズサは心底楽し気で、記憶を宝物のように抱きしめていた。
そんな彼女を見てハナコも「ふふっ、いつでもやりましょう♡」と笑いかける。またいつでも、何度でもやればいい。時間は幾らでも捻出できるし、思い出は幾つでも作れる。楽しい思い出を沢山作って、それを編み上げてブーケにすれば……それはきっと、世界で一番綺麗な花束になるだろうから。
「あの時、先生が私達に服を掛けてくださいましたよね? アズサちゃんは先生の膝の上でしたが……」
「あはは……そんな事もありましたね。私はジャケットで、コハルちゃんがコートだったような……?」
「う、うん。それで、確かハナコはシャツで……もしかして、それが?」
「はい。洗濯してお返ししようと思ったら、色々とあって返すタイミングを見失ってしまって。先生にその事を言ったら、もう使わないから私に処分を任せてくださるとの事でしたので……こうして有効活用しています♡」
「ゆ、有効活用ですか?」
「えぇ。言ってしまえばアピールですよ♡」
ハナコは7割の愛しさ、2割の悪戯心、1割の不満を乗せた指先で先生の頬を突く。我が物顔で膝の上を独占して、今も呑気に夢の世界に居る人。
────
「先生は沢山の生徒の方と関わっていますから。何もしないと私の存在はきっと埋もれてしまいます。だから少しでも先生の印象に、記憶に残るようにしたいんです。先生の人生にある楽しかった瞬間の中に私の居場所があるように」
思い出すのは合宿施設で過ごした夜。先生の欠落を聞いた夜と、ハナコの等身大の悩みをぶつけた夜。そのどちらも、彼は誤魔化す事をしなかった。向けられた言葉に、問いに、真剣に向き合っていた。紡いだ言葉に噓偽りはなかった。
だから彼が自嘲するように言った、眼を背けたくなるような彼の残酷な事実はきっと現実なのだ。彼に過去の思い出はない。記憶もない。『そこに在った』事を示す欠落しか、彼の思い出を証明するものはない。彼は0から積み上げるしかなくて、その積み上げたものも……きっと、彼の今までと同じ末路を辿る。彼はいつか居なくなってしまうのだ。言葉にこそしていないものの、ハナコはそれが分かった。分かってしまった。
一体どうすれば彼の絆創膏になれるのだろうか。あの日からずっと、頭の片隅でそれを考えている。しかし、考えても堂々巡りにしかならなくて、どうにもできない事を何度も突きつけられて。でも、補習授業部の一件で諦めが悪くなったハナコはそこで止まる事を善しとしなかった。まずは出来る事を、手の届く事を。一歩でも進めば霧が晴れるかもしれないから。これもその一環だ。記憶のページを捲った時に笑みが零れるような思い出を作る事……それがこの休暇に於けるハナコの目的だった。
「私の人生の楽しかった瞬間に先生が居るのに、その逆が無かったら不公平ではありませんか? だからアピールしてるんです。貴方の問題児は此処ですよ、って」
友達の前では、彼の前では自分らしくありたい。何も隠さない、何も偽らないでいたい。彼を困らせたい訳ではないけど、構ってほしいのは本当で。もう少しいい方法があるんじゃないかと思わなくもないが、きっとこれが一番自分らしいと、何故だか今は誇らしい気持ち。『手のかかる子だね』なんて苦笑いで慈しみながら頭を撫でられたら、きっと嬉しくてたまらないだろう。
「このお休み中は沢山遊んで、沢山思い出を作りましょう♡」
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「大変申し訳ございませんでした……」
燦々と輝くビーチ。太陽が見下ろす砂浜であまりにも似合わない謝罪をしているのは、先ほどまで爆睡していた先生だった。水着の生徒……しかも下半身にちゃんと水着を着ているか疑惑の判定がある生徒に膝枕をしてもらう、というセクハラのラインを大幅に超えた事をやらかしているのだ。淫行教師の烙印を押されても文句が出ないだろう。
「いえ、私がやりたくてやった事ですから。役得でしたよ♡」
まるで世界の終わりかのような表情で断罪を待つ先生に反して、ハナコはとても上機嫌。本当に嫌だったのなら振り落とすことだってできたし、それをしなかったのはハナコの選択。彼女はこのままが良いと思ったのだ。彼に頼られて嬉しい、彼が寄りかかってくれて嬉しい。心の底からそう思えた。
「ふふっ、可愛らしい寝顔でしたよ」
「揶揄わないで……」
「何時ものお返しです♡ ほら、もっとお顔を見せてください♡」
少し頬を赤くして照れている先生。視線もハナコから少し背けていて、何だかいじらしい。初めて見る彼の表情に益々上機嫌になったハナコはこの有利を手放すものかと言わんばかりに追撃している。何時も上手の先生が自爆で弱点を出してくれたのだ。珍しい顔の彼を一瞬も余さず記憶したいという少女性。補習授業部になってから、ハナコは本当に本心を出すのが上手になった。
「え、えーっと、他の方達はまだ来ていない感じでしょうか……?」
「そうだね、私達が一番乗りだ。先に色々設置だけやっておこうか」
「先生は水着着ないの?」
「着てもいいんだけど、交流合宿って建前があるからね。私まで水着になると本当に遊びに来ただけに見えちゃいそうだからさ」
コートとジャケットはないが、先生の服装はいつもとそこまで変わらない。ハナコが着用しているものと同じ白い長袖シャツと、見慣れた黒いスラックス、革靴。見慣れた服装ではあるものの、砂浜を背景にしても違和感がない恰好かと言われれば首を横に振らざるを得ない。
「ですが、郷に入っては郷に従えという言葉がありますよね? でしたら水着になるのが自然ではないですか?」
「それを言われるとちょっと弱いな……え、私も水着になった方が良い?」
そう言い、先生はヒフミ達を見渡す。帰ってきた答えは全て肯定。一人だけ仲間外れにならずに水着を着ろ、という圧力に彼は「そっか」と苦笑いした。
「も、もしかして水着持ってきてないの……?」
「いや、何があるか分からないから一応持ってきてるけど、着るつもりは全く無かったからね」
薄着になると、自分の体に気を配らなければならなくなる。人工皮膚は張り付いたままか、全て隠せているか。もしこんなものが見えてしまえば場の雰囲気はどうしても盛り下がる。折角の楽しい時間なのだ。そこに無意味な傷を付けたくはない。
だが、彼女達が『水着の方が良い』と望むなら……それは叶えてあげたい。楽しいものがより楽しくなるのであれば、猶更だ。
「ま、後で着替えてくるよ。皆が日焼け止めを塗り終わったら準備に移ろうか」
「先生は塗らないのですか?」
「私は大丈夫だよ。水着じゃない分、あんまり肌の露出ないし」
「それもそうですが、首やお顔は出てますし、そこだけでも塗っておいた方がいいような……」
「ヒフミの言う通りだ。先生も一緒に塗った方が効率的だぞ」
「えぇ、全身隅々までたっぷり塗って差し上げますよ♡」
「え、エッチなのは駄目! す、隅々って……外じゃ絶対ダメなんだから!」
「いや、隅々塗るのは大事だぞコハル。日焼けは肌が痛むからな」
「そういう問題じゃないの! ハナコに塗らせたら何処触られるか分かんないの!」
「不可抗力ですよ♡ えぇ、日焼け止めを塗る為には肌に触れないといけませんから……」
絶好調のハナコは揶揄う対象をコハルに移し、コハルは可愛らしい反応を返す。見慣れた、日常になった補習授業部の光景。何時もよりもテンションが高く、楽しそうに騒ぐ少女達を見るだけで胸が満たされる。
「あはは……でも、大丈夫なのですか?」
「嬉しいけど、大丈夫。出る前に一応塗ってるからね。水着に着替えたらまた改めて塗るよ。さ、行っておいで」
ビーチに設置された更衣室へ向かう少女達を見送った先生は空を見上げる。燦々とした太陽、青い空、海風。それを全身で浴びた先生はポツリと呟く。
「……穏やかだな」
この平和に、自分の居場所があっても良いのか────そんな疑問を抱えた呟きは波音に掻き消された。