シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 先生最後の休暇こと夏休み編は今回で終了です。


最後の思い出作り(ハッピーサマーバケーション)

「ん、ホシノ先輩。折角の海だから泳ごう。取り敢えず10kmくらい」

「うへ~、そんなに泳いだらおじさんくたくたになっちゃうよ~」

「『そんなに泳げない』って言わないあたり、ホシノ先輩も大概よね……」

「シロコ先輩がいるから感覚が麻痺していますが、ホシノ先輩もスタミナ凄いですからね……」

「うんうん、お二人とも元気いっぱいです☆」

 

 有事の時や追い詰められた時、或いは形振り構っていられなくなった時以外に全力、本気を出さない昼行燈な性格と、身近にシロコという分かりやすい体力お化けが居るため影に隠れがちになっているが、ホシノもシロコに負けず劣らずの体力お化けだ。キヴォトスの生徒達であってもかなり負荷のかかる10kmの遊泳も、この2人にとっては準備運動にすらなり得ない。

 

 シロコはサマーベッドで寝転んでいるホシノの両脇に手を入れて持ち上げ、そのまま砂浜に歩き出す。当然ホシノは抗議の声を上げるが、声を上げるだけで抵抗はせず大人しくシロコに連行されていた。口では言いながらも、どんな内容であれ後輩と遊べるのは嬉しいのだろう。素直じゃない先輩の姿に残された3人達は顔を見合わせて笑い、2人の後を追った。彼女達のように10km泳ぐのは厳しいが途中までは着いていけるだろうし、疲れたら海辺で帰りを待っていればいい。5人の思い出を作りたい、というのがアビドス対策委員会の総意だ。

 

 ────と、微笑ましい少女達を眺めていた先生であったが、視界の端にぴこぴこと揺れる狐耳を捉えた。青と白のボーダーの水着とホットパンツ、目のやり場に困るほどの肌面積のイズナは先生と目が合うと、満面の笑みで瓶のラムネを差し出した。

 

「主殿! こちら、冷たいお飲み物です!」

「ありがとう、イズナ。瓶のラムネって普通のやつの2割り増し位に美味しくなるよね。中身は全く一緒のはずなのに」

 

 先生はイズナから受け取った瓶を傾ける。パチパチとする炭酸と、清涼感をそのまま形にしたような味。この味に色をつけるならきっと青だろうな、なんて事を考えながら口を離す。カランと鳴るビー玉。隣でじっと見つめているイズナと目が合った。

 

「私の事は大丈夫だから、イズナも皆と遊んでおいで」

「で、ですが、イズナには夏の暑さから主殿をお守りする使命が……」

「その使命はビーチパラソル(これ)がちゃんと果たしてくれてるよ。しっかり遊んで羽を伸ばすのもイズナの使命だ。ほら、ミチルとツクヨが待ってるよ」

「……はい! イズナ、主殿の命をしっかり果たしてきます!」

「熱中症には気を付けてね~」

 

 ビーチパラソルの下、レジャーシートの上に座った先生は駆け出していくイズナの背に手を振り……海岸線を眺めた。波の音と、皆の楽しげな声。何処までも続いていそうな海と空。青い、青い境界線。その風景に彼は何かを懐かしむように眼を細めた。頬を撫でる夏風が少しだけ体温を冷却し、郷愁を強める。

 

 忘れたくない思い出、忘れてしまった思い出。何方も沢山ある。今の自分はきっとその多くを取り零してしまった。何を忘れてしまったか、それすらもう思い出せない。那由多の果てまで繰り返した世界全てを覚えきれるほど、人間の容量は大きくないのだ。

 

 しかし、それを仕方のない事と割り切る事はできなかった。皆が前を向いている中、一人だけ後ろを眺めているようで申し訳なかったが、それでも……自分が忘れてしまったら本当の意味で無くなると思えば、割り切る事なんて出来ない。喜びも悲しみも、一つ余さず覚えておきたい。我儘だろうが、それでも。

 

「せめて、今持っているものだけは最後まで抱えていたいな」

 

 先生は苦笑いを浮かべながら、思考を切り替える。折角の機会だと謂うのに感傷的になってしまった。思い出を見返すのは後、今は作る事に全力にならないと。

 

 ラッシュガードのポケットにシッテムの箱を入れ、浜辺に向かう準備をする。此処から全体を眺めるのも良いが、どうせならもっと近くで皆の笑顔を焼き付けたい。カメラの準備もできているため、後は向かうだけ────と、その時、いつの間にか居たワカモが控え目に袖を引いた。

 

「貴方様、そちらでは些か人目に触れすぎます。こちらへどうぞ」

「えーっと、私が人目に触れる事に何か問題あるかな……?」

「えぇ、由々しき事態です。ただでさえ魅力的な貴方様が、日差しの元に玉体を晒しているのです。どこの馬の骨とも知れない者どもが変な気を起こす前に匿わなければ……!」

「変な気なんて起こさないと思うけど……」

「いえ、必ず起こします」

「いつになく断言するね……」

 

 苦笑する先生に、事の重大性をまるで分かっていないとワカモは熱弁する。暑さによっていつもより血色の良くなった肌と、浮かぶ汗。膝より少し上のサーフパンツと、前のジッパーを開けたラッシュガード、ビーチサンダル。普段は見えない部分を惜しげもなく晒しているのだ。大人の色気が普段より5割増えている彼はワカモの贔屓目抜きでも魅力的に見える。

 そのような事を捲し立てられた彼は「私、なんか妙なフェロモンでも出てるの……?」と微妙な表情を浮かべた。

 

「ん、また先生が女に絡まれてる」

「シロコ先輩言い方」

「まあ事実だけどね~。いや~、先生も罪な男ですな~。ここは1つ、おじさんが助けに行ってくるよ」

「ん、私が行く」

「私もご一緒しますね~☆」

 

 そんな彼を遠巻きに見ていたアビドスの少女達。ホシノは彼に助け舟を出すべく動こうとするが、シロコとノノミも当然のように立候補。助けるという大義名分の元、先生を独占しつつゆっくりとしようと思ったホシノの企みは実行前に御破算になる。

 

 抜け駆けは許さない、という意志をシロコとノノミからひしひし感じ取ったホシノは『大きくなったね〜』と内心で感慨深くなりながら、しかし譲る気は全く無い。恋は戦争と言うが、キヴォトスでは本当の意味で戦争になりかねないため、色々な意味で拙かった。

 

「あ、アヤネちゃん、暑いはずなのになんか寒気が……」

「せ、先輩達! 喧嘩は止めてくださいね!?」

 

 

 ▼

 

 

「……ふふっ」

「貴方様、いかがされましたか?」

「賑やかだなって思ってね……あぁ、本当、楽しいよ」

 

 泳ぎの前の準備体操を全員揃って仲良くやっているアビドス対策委員会。

 水の上を走ろうと苦心しているミチルとツクヨ、水上を5秒ほど走って、その後沈んでいるイズナ。

 新鮮さを味わいながら合同訓練を行なっているゲヘナ風紀委員会と正義実現委員会。

 

 皆、とても楽しそうだった。沢山の笑顔と煌めき。見ているだけで笑みがあふれる光景が、先生の守りたい全て。その全てを決して忘れないように目に焼き付ける。どんな地獄に落ちても、どんな夜が続いても、この思い出だけは抱き続けられるように。

 

 ────潮風に靡く髪。優しい眼差しで愛し子を眺め続けている彼。触れたら壊れてしまいそうな、繊細で儚い人。

 

 ワカモはそっと手を伸ばし、先生の頬に指を滑らせる。すると、彼はくすぐったそうに、「どうしたの?」と穏やかに微笑んだ。細められた瞳から溢れるのは際限のない慈しみ。その瞳に射抜かれるだけで、たちまち多幸感で満ち足りてしまう。どうか、これからもずっと、穏やかな時間を共にできますように────そんな願いはものの数秒で木端微塵に打ち砕かれた。

 

「パンパカパーン! 先生、アリスとユウカがお使いクエストにやってきました!」

「何ですかこの騒々しい小娘は」

「お休みのところ失礼します、先生」

「失礼と思うなら帰ってくださいまし」

「貴女の意見は聞いていないわよ、狐坂ワカモ」

 

 緩く、穏やかな時間を邪魔されたワカモは一瞬で不機嫌になり、忌々しそうに舌打ちを一つ挟むが、それ以上の事はしない。ワカモとて先生が自分一人のものではないことは分かっているのだ。ましてや今はワカモ以外に多数の生徒がいる場。邪魔が入ることはあるだろう。腹立たしいことこの上ないが、当然と受け入れよう。

 

「いらっしゃい、アリス、ユウカ。お使いって事は飲み物とか? ちょっと待ってね……」

 

 先生はふわりと笑って歓迎し、端に置いてあったクーラーボックスを引き寄せる。中にあるドリンクは適度に冷えていて、炎天下で火照った体温も幾許かクールダウンできるはずだ。皆はどれを飲むのかな、なんて思っていたが、どうやら彼女たちの目的はそれでは無かったようで。

 

「いえ、お使い内容は先生です!」

ゲーム開発部(あの子達)が先生と遊びたいって言って……コユキは兎も角、ノアもノリノリだし……お疲れでしたら無理に来なくても大丈夫ですからね」

「お呼ばれしたなら、私も混ざらせていただこうかな。ちなみに何をやる予定?」

「ビーチバレーです!」

「……お手柔らかに頼むよ。いや、本当に」

 

 最大限手加減してくれないと文字通りミンチになる。砂浜に血の花を咲かせたくはないのだ。先生は苦笑いをしつつ、アリスとユウカに手を引かれてビーチパラソルの外に出る。燦々と照らす太陽、肌を焼くような強い日差し。それに負けないように、先生は肺いっぱいに青い空気を吸い込んで歩き出した。

 

 邪魔をされたワカモは色々と思うことはあれど、『貴方様が楽しいのであれば』と気持ちを飲み込み、手持ちのパラソルを開いて先生の後に付いていった。

 

 

 ▼

 

 

 先生がやるという事もあり、ビーチバレー人口はどんどんと増えてきた。軽い遊びだったものがトーナメント性になり、先生はレフェリーにお引越し。生徒達の高い身体能力をフルに使ったビーチバレーは苛烈を極め、時々爆発のような着弾が起きる始末。残ったチームは必然的にこの中の上澄になり……。

 

「何故私がこのような事を……」

「まあまあ、そう言わずに。ほら、先生に良いところ見せるチャンスだよ?」

 

 Aチーム……ホシノ、ワカモ。

 

「これ、ただのビーチバレーなのよね? 何でこんなことに……」

「……知らん」

 

 Bチーム……ヒナ、ツルギ。

 

「キヴォトス最強決定戦でも始めようとしてるの?」

「先生、凄いです! レベルカンストの人達が沢山います!」

 

 レベルカンストとは言い得て妙で、彼女達は生徒が辿り着ける頂点に位置している。そんな生徒達が、先生に見られているからと張り切ってビーチバレーをやるとどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

「じゃ、始めよっか~」

 

 ホシノは緩い声音でそう言い……瞬間、眼つきが一気に鋭くなる。暁のホルス時代を思わせる双眸はヒナとツルギに緊張を走らせた。ふわりと浮かぶボール。それが頂点に達したとき、ホシノは飛び上がり、思いっきり掌を叩きつけた。凡そボールから鳴ってはいけない音を鳴らし、ボールが出してはいけない速度で相手コートに突き進む。普通の生徒であればこのサーブの時点で決着していただろう。だが、相手もホシノに匹敵する頂点。驚異的な反射神経でツルギは駆け出し、ボールを上空に弾いた。

 

「カバー!」

「分かってる!」

 

 ツルギの声よりも早く動いていたヒナは上に弾かれたボールと同じ高さまで飛び上がり、そのままスパイクを決める。響く轟音は音速の壁を越えた証明。しかし、そのまま得点になることはない。ワカモが的確にボールを弾き、ホシノに繋げる。

 

「甘いですわ!」

「ワカモちゃんナイス~! よい、しょっと!」

 

 かわいらしい声に反する轟音。レーザーのような軌跡を描くボール。両者一歩も譲らない、完全な拮抗状態。弾丸のようなスパイクが飛び交う、平穏なビーチバレーとは口が裂けても言えない戦場(コート)を見ながら先生は呟く。

 

「……レフェリー、って言ってもどこにボールがあるかすら分からないんだよね……」

「あはは……そ、そもそもあのボールって何でできているんですか? 普通、あの速さだったらボールの方が耐えられない気が……」

ミレニアム(ウチ)のエンジニア部製よ。海に来る前、アリスちゃん達に色々遊び道具を渡してたみたい」

「……次からはあのメンバーで組むの禁止にしようか。特にヒナ、ツルギ、ホシノ、ワカモはチームを分けておかないとワンサイドゲームになりかねない」

 

 先生がそう言うと、コート内で盛大に砂が舞い上がった。どうやらどちらかが一点を決めたらしい。

 

 

 ▼

 

 

 ビーチバレーという名のキヴォトス最強決定戦は引き分けという形で収束し、先生が『もう少し砂浜に優しい遊びにしようか』という提言がされたことにより、第二回はかなり平和に進んでいった。その後、休憩がてら海の家でアイスを買い、日陰の下で涼みながら熱を冷まして、それからはまた別の遊び。

 

 砂の城を作ったり。

 

「これは城というより要塞だね……」

「敵襲はいつ如何なる時もあり得る。遮蔽物も塹壕もないから不安だったんだ。これなら敵の攻撃があっても大丈夫、安心して」

「同意します。逆にこちらからの狙撃がしやすい造りになっていて、とても良い感じです」

「……あの子達はいったい何と戦っているのかしら……?」

「あはは……」

 

 スイカ割をしたり。

 

「500mの距離と目隠しをものともしないなんて、流石はハスミさんです♡」

「褒めていただくのは嬉しいですが、これは果たしてスイカ割なんですか……? 普通は銃ではなく棒を使うのでは……?」

「まあ、スイカは割れてるし……結果だけ見ればスイカ割だよ、うん」

「なんか段々と適当になっていませんか、先生……?」

 

 そうして一頻り楽しむと、時間は直ぐに過ぎ去る。まだ空は明るいが、時刻は夕方に差し掛かっていた。今日の夕飯はバーベキューの予定で、そろそろ準備しないと夕食時に間に合わないだろう。

 

 先生と生徒達は協力して準備を進める。大人数ということもあり準備の規模も大きかったが、そこはマンパワーでごり押し。手際よくてきぱき進めてくれたおかげで先生の想定よりも少し早い開始となった。

 

「パンパカパーン! アリスのサバイバルスキルが向上しました!」

「アリスちゃん、口元にソースが付いてるわよ」

「にはは! なんかお母さんみたいですね!」

「せめてお姉さんとかにしてほしいんだけど……」

 

「ユズちゃんは何か食べたいものありますか?」

「え、えっと、じゃあ……お野菜を……」

「飲み物取ってきたよー!」

「ノア先輩はどれがいいですか?」

「ふふっ、ありがとうございます。では、お水をいただけますか?」

 

「脂質の多い部位さえ避ければさほど太らない。だから、大丈夫のはずです……!」

「……ハスミ、今日くらいはいいんじゃないか?」

「そうっすよ、何事もメリハリっす。頑張るのはいいっすけど、あんまり食事制限すると却って代謝が落ちて痩せ難くなっちゃうっすから」

「はい。それに、今日は体を動かしています。適度なカロリーの補給こそ正義のはずです」

 

 皆の楽しそうな声が響く。その輪にいるヒナはコップのドリンクを傾けつつ、羽を伸ばす風紀委員会のメンバーを眺めていた。訓練とは名ばかりの娯楽行事。だが、いつも働きっぱなしの彼女達には必要な休息だった……なんて考えていると、ポケットに入れたスマホが軽く震えた。

 

「……っ」

 

 ヒナのモモトークに一件の新規通知。先生から。『今日の21時空いてる? 一緒に夜風に当たろうよ』という文面。多分、あの時……ゴールドマグロを巡ったときに結んだ約束。それを叶えようとしているのだ。ヒナは胸いっぱいの嬉しさを抱えながら、『大丈夫』と返信。その時、先生と目が合って……お互い示し合わせたかのように笑いあった。

 

「委員長、何かあった?」

「……いえ、なんでもないわ。何でもないの」

「委員長、どこか嬉しそうですね」

「……えぇ、そうですね」

 

 そうして楽しい時間は過ぎて……今日最後のイベントは花火。小型ではあるものの、本格的なそれは暗い夜空に大輪の花を咲かせていた。どん、と響く音と火薬の香り。夜空を彩る花弁は一瞬の煌めきと共に燃え尽きていく。

 

 砂浜で四人仲良く並んで座る補習授業部の少女達は花火を見ながら、ぽつぽつと言葉を交わしていく。合宿の時、話せなかったこと。あの時よりも親交がさらに深まった証。学年も所属も生まれ育ちも違う少女達は小さなきっかけ一つで一生ものの友達になった。

 

「……綺麗ですね」

「うん……綺麗」

 

 呟いたハナコにコハルは小さく同意する。本当に綺麗だった。花火も、これから思い出になるこの情景も。全てが煌めいていて、輝いていて。一瞬たりとも見逃したくないと思うほどに、美しくて。

 

「皆、ありがとう」

「アズサちゃん?」

 

 花火と花火の間、一瞬の無音にアズサの感謝の言葉が差し込まれた。一体何だろうか、とアズサの方に視線を向けると、彼女は心の内側を一つ一つ大切に言葉にするように紡ぎだす。

 

「皆が居てくれたから、この夏が楽しい思い出になった。皆と過ごして、本当に楽しかった。だから、ありがとう」

「ふふっ、こちらこそ、ですよ♡ それに……」

「そんな最後みたいな顔しなくても、次があるわよ」

「その通りです。また来年、一緒に来ましょう!」

「あぁ……また、来年」

 

 

 ▼

 

 

 夜、ヒナは部屋の外に出る。同室のアコ達には『夜風に当たりに行く』と言って、適当に誤魔化して。別に嘘は言っていないのだ。ただ、一人ではないだけで。寝ている人もいるかもしれないから、音を立てないようにドアをそっと閉めた。

 

 静まったホテルの廊下を歩いて、エントランスホールまで下る。先生はすでに其処に居て、ヒナを見ると微笑みを浮かべながら歩いてきた。

 

「こんばんわ、ヒナ」

「えぇ、こんばんわ、先生」

「二人で、って約束は叶えられなかった。ごめんね、ヒナ」

「いいのよ。こうして二人の時間を作ってくれたのだから。それに、今年がダメでも来年があるでしょう?」

「……そうだね。じゃあ、行こうか」

 

 そうして先生は歩こうとしたが、袖を控えめに引っ張られた。振り返ると、ヒナは赤らめた顔を少し背けながら右手を差し出していた。

 

「エスコートは任せてもいいのかしら?」

「勿論。お手をどうぞ、ヒナ」

 

 ヒナの手を握った先生は軽い足取りで砂浜へ歩く。夜天に煌めく星の下、2人は歩幅を合わせながら。口数は少なく、ただ思いついた取り止めのないことを共有して、笑い合って。互いに話せない事を多く抱えるから、深い詮索はしなかった。口振や律動から察する事はあっても、それを言葉にはしなかった。言葉にして伝えてしまったら、この宝石のような時間が崩れてしまうと思ったから。

 

 ヒナが先生と過ごした時間は30分にも満たない短い時間だった。だが、この30分にも満たない時間こそ────ヒナが求めて止まず、そして終ぞ手に入れることが叶わなかった幸福だった。

 

 

 ▼

 

 

 このような楽しい日々を繰り返せば、すぐに最終日が訪れる。随分とあっという間だった。テントやパラソルが置かれていた場所も、今は何もない。すべて片付けてしまった。まるで長い夢を揺蕩っていたかのような感覚だが、過ごした日々は確かな現実だ。この思い出は決して消えないし、消したくない。

 

「……ありがとう。私に最期の思い出をくれて」

 

 この思い出を抱えて歩こう。いつか終点にたどり着くまで。

 

「今行くよ」

 

 先生は荷物を抱え、生徒の方へ歩き出した。

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