シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
感想評価お気に入り登録誤字報告で助かる命があります。
闇の中から現れた先生は、不気味なほど穏やかな微笑を携えていた。細められた瞳から覗く青の燐光が夜の空気に尾を引き、残像のように見える。
人の身から放たれているとは思えないプレッシャー。圧倒的とすら言える覇者の気質。身体能力の強弱や武力の有無といった次元ではない、異質なもの。
その空気に吞まれないように、ヘルメット団は気を奮い立たせて口を開く。すぐ後ろで仲間達が黒見セリカをトラックに詰め込んでいる事を確認しながら。
「私達に何の用だ」
「うーん、君達に用はないかな」
「……シャーレの先生だろうに、随分薄情だな。黒見セリカの奪還が目的ではないのか?」
「あぁ、心配せずとも
先生は「私はアビドス対策委員会の顧問だからね」と言って分かりやすく肩を竦めた。
そして、彼の隣に音もなく降り立った狐面の少女は狐坂ワカモ。銃剣を肩に担ぎ、仮面の奥からは憎悪にも似た感情が渦巻いている。
「セリカの奪還は確かに最重要だ。私も今すぐ助けたいのは山々だけど……我慢するしかない」
そう言った先生のすぐ隣、セリカを乗せたトラックが走り去った。舞い上がる砂塵が月光に煌めく。残されたのは先生とワカモ、不良1人と──────後ろに控えている何か。
先生とワカモならばこの場でトラックを破壊して中のセリカを助け出すことは充分可能だ。不良程度ならばワカモの戦闘能力と先生の指揮が合わされば無傷で叩き潰せる。だが、彼らはそれを選択せずにトラックを見送った。
その理由は、今も不良達の後ろで微動だにしない──────セリカがヘルメット団と誤認した存在達。万が一これを取り逃がした場合、アビドスは詰むと判断した。
「一応聞こうか……君達とアレを引き合わせたのは誰だ?」
先生は不良達の更に向こう側の存在に指さして問うが返答はない。だが、彼は構わず言葉を紡ぐ。
「カイザー理事長か。それとも黒服か。はたまたマエストロ本人か。まあ、誰だっていいか。本題はそこじゃない」
彼は言葉を区切って、眼前の2人を見つめる。ヘルメットの奥に隠された感情は窺い知れない。
「
君達に渡したのも恐らく実験だろう。不完全な状態で、どれだけの効果を期待できるか……それを確かめる為の」
この3つの祈りで構成されるグレゴリオ聖歌。本来ならば攻撃性は皆無なのだが──────マエストロに手を加えられた聖歌隊は、歌を呪詛に変換している。
それは祈りの言葉を全て反転させた上で発動する、主への信仰が無い者を呪殺する聖歌。聴覚を防ごうが関係なく聞こえる音色は魂で捉える死の旋律であり、防ぐ術がほぼ全く無い精神汚濁。仮に使用された場合、千単位で死者が出るであろう災害にも等しい兵器だ。
ただ、これは未完成品であるため、そこまでの効能はないだろう。精々、最後まで聞いた者の精神を木っ端微塵に破壊する程度。主の権能に直接アクセスし、その一部を振るう本来のカタチから考えると大幅に弱体化していると言える。
だが、もし仮に先生が居ない所でアビドスの面々が接敵した場合は──────明確な脅威になり得る。
「未完成品……」
「そう、未完成の失敗作だ。仮に完成状態で聖歌を歌われた場合、君達のポケットにある遮音装置は意味を成さない。歌を聞かないように工夫するだけで呪いの対象から外れる内はガラクタでしかないさ」
彼は「だけど」と言って──────懐からタブレットを取り出す。
「ガラクタと言えど放置するわけにはいかない。増殖されても面倒だ。この場で全部破壊する」
その刹那、ヘルメット団の所有する電子機器全てが沈黙した。それについて驚愕する間もなく、周囲一帯の街灯の光が途絶える。星と月の明かりしか光源がない闇の中、先生の声だけがやけに響く。
「聖歌隊を分散させていたのは君達の判断かい? それとも、君達にこの作戦を提供した黒幕かい?」
「ッ!
「遅いですわ」
闇夜に乗じて接近していたワカモの容赦ない一撃はヘルメット団の意識を容赦なく刈り取った。
先生は倒れ伏したヘルメット団の方へ向かい、ポケットの遮音装置を取り出して──────気絶した少女に装着した。これで戦闘中に彼女が起きても大丈夫だろう。
「聖歌は私側でシャットアウトする。だから──────」
「えぇ。あの不愉快な作品を叩き潰してきますわ」
ワカモは聖歌隊を見つめる。彼と接続されているため、闇の中でも視界は良好だ。耳障りな歌も聞こえない。聖歌隊の壊し方も殺し方も心得ている。
先程──────先生と共に此処に来る前に戦い、潰してきた聖歌隊は7人、この8人を加えて合計15人。
シッテムの箱の感知範囲であるアビドス全域で捉えた聖歌隊の人数と一致する。
「では──────貴方達の仮初の生に幕を下ろしましょう」
黒い着物が夜空に舞った。
▼
8人の聖歌隊を一方的に蹂躙する姿は、正に災厄の狐と呼ぶに相応しいものだった。個人ではなく災害と呼称した方が納得できる暴力の嵐は蟻を踏み潰すように敵を壊していく。
まるで踊っているようだった。和服を揺らし、銃撃音を奏でながら舞う姿は残虐性よりも美しさが目立つ。破壊の中に美がある様は正にワカモという少女性をよく表していて、目を逸らせない危険な熱を感じてしまう。
ワカモが戦闘とも呼べない蹂躙を行っている傍ら、先生は倒れた少女を安全な場所に運び──────現在地を中心とした半径500m圏内に立ち入り禁止令を敷いていた。時刻は遅く、周囲もゴーストタウンのため人が入ってくる可能性は限りなく低いのだが──────念には念を入れておく。
そのままタブレットを起動させ、マップ上のマーカーを撫でる。黒見セリカの現在地。リンク状態のため、各種バイタルも全て手に取るように分かる。
「まだ、意識は戻ってないか……まぁ、こんなものを使われてはね……」
先生は呼吸を僅かに荒くして、右脇腹──────セリカが狙撃銃で撃ち抜かれた場所に手を当てる。
システムで接続されている時に起こる、生徒の触覚のフィードバック。傷を生まず、ただ神経に直接痛みだけを与えてくる作用。
セリカはキヴォトスの生徒であるため狙撃銃で撃ち抜かれたとしても『痛い』で済んでいるが、彼は脆弱な人の身だ。
彼は現在進行形で、文字通り全身が千切れ絶命するような激痛をその身体で受けている。
「──────っ……」
呻き声を1つ出して、先生は鞄の中から市販の鎮痛剤を取り出して患部に注射する。即効性はあるが、効果時間は短い。オーバードーズをしてもセリカ奪還までは持たないだろう。
そう思っていた先生の隣に、湿っぽい音と共に何かが落下した。白と赤のローブを纏い、虚な瞳で上空を見つめている。ワカモが破壊した聖歌隊だ。よく見ると下半身は存在せず、右腕は根本から吹き飛んでいる。全機能が停止していることは誰の目から見ても明らかだった。
「丁度良かった。聖歌隊の組成を調べさせてもらうよ、マエストロ」
この先も聖歌隊と対峙する場面は必ずあるだろう。その時の戦闘を有利に運ぶために──────彼は聖歌隊の神秘を暴こうとした。
「素体は、ユスティナ聖徒会。ネウマ譜はやはり偽典を擬似的に再現した粗末なものか。聖歌の作用方は──────」
作成者のマエストロからすればあり得ないくらいに粗雑な作品。恐らく取引材料として嫌々作ったのだろう。
取引先は恐らくベアトリーチェ。彼女が黒服に性能テストの依頼をし、カイザー理事長を経由して不良の手に渡った─────こんな流れだろう。
想定外の収穫はあったが、概ね予定通り。あとはワカモが全滅させるまで周囲の警戒を怠らないように──────そう思っていた刹那。
「──────ッ!」
視界が赤熱した。先生の視界ではない。共有しているワカモの視界が。彼女が狙われたのだ。ぞくり、と首筋に死神の手を当てられる感覚。
そこからの判断は早かった。
「接続解除ッ!」
ワカモに向いていた攻撃の矛先を無理やり自分に向けた上で、接続解除を宣言。彼の言葉と共に生徒達とのリンクが切れる。瞳の青が戻る。湿っぽい音、何かが潰れ破裂する音。涙とは異なる粘性のある液体が流れる。
アロナの悲鳴が脳内に反響し──────その声によって先生は意識を繋ぎ止めた。
片膝を突き、荒い呼吸を繰り返す。赤く、紅く点滅する視界。激痛。右眼から大量の血が溢れて、視界と瞳を緋色に染める。
脳が沸騰する。大脳皮質が焼け焦げる。内側から切り崩される自己意識。
システムの演算に介入された。誰に? ゲマトリアに決まっている。過度な情報を脳に直接流し、オーバーヒートを強制的に起こさせた。生徒の脳を焼き切る目的で。
だが、先生が身代わりとなったため、生徒へのダメージはない。間に合ってよかった、心からそう思う。ワカモもセリカも無事だ。
自身の脳の損傷は不明。右眼は恐らく失明には至ってないだろう。致命傷には程遠い。
「貴方様ッ!」
血を吐く様なワカモの悲鳴。それに応えるように彼もまた叫ぶ。
「私は大丈夫だッ! それよりも、今は──────!」
目元の赤を拭い、眼前の敵を見据える。派手に血を流したが、血管が幾つか破裂しただけの様で損傷は軽微。奥の手たる医療キットを使うまでもない。
「失せなさいッ!」
ワカモの怒号と共に放たれた一閃。それは神速で最後の聖歌隊の首を吹き飛ばし一瞬で機能停止に至らせた。
だが、ワカモは勝利を碌に確認もせずに銃を放り投げて先生に駆け寄る。苦悶の表情を浮かべている彼は彼女が近づいた途端に優しい笑みを繕って。
「お、疲れ……様……ありがとう……」
「そんな事よりも、早く手当をッ!」
滲んだ涙を隠す事すら忘れて、先生のバッグの中からミネラルウォーター、コットン、細胞活性ナノマシン溶液を取り出す。
ワカモは膝立ちの彼の体勢を処置しやすいように変更。彼の頭を自身の膝の上に乗せる──────所謂膝枕の姿勢。こんなシチュエーションでなければ本当に嬉しかったのに、とワカモは内心歯噛みする。
ペットボトルの蓋を開けて、患部に水を流していく。透明な水が血によって赤く濁り、肌を伝って地面に落ちる。赤が洗い流されて、ワカモが愛した彼の瞳の色が次第に戻っていった。
先生は左目を動かして、ワカモを見る。視界に飛び込んできたのは血で汚れた彼女の綺麗な和服。
「ワカモ、服が──────」
「構いません。貴方様の方がずっと大事ですわ」
涙で滲んだ瞳。泣き顔を隠すように必死で取り繕った笑顔。
──────また、こんな顔をさせてしまった。
自己嫌悪の念は募るばかりだ。何度繰り返しても、
泣きそうなワカモの顔にそっと手を伸ばして、頬に触れる。存在を確かめるような手付き。彼女は彼の手を震えながら掴む。まだ暖かい。命の鼓動を鳴らしている。
「ごめんね」
胸が張り裂けそうな悲しみの音色を伴った声は、ワカモの耳に確かに届いた。
「君の、所為じゃないんだ」
回避不可能の攻撃であった。予測不可能のアプローチであった。先生もアロナもワカモも油断していたわけではない。ただ、相手が上手だっただけ。
だから、ワカモが自分自身を責める必要はない。寧ろ彼女はとても頑張ってくれた。先生もワカモに対する感謝はあれど、責めるつもりなんて欠片もない。
だけど──────それでワカモが自分を許せるかと言われれば、それは否だ。
今回も、ずっと前も──────彼が傷つく姿を眺めることしかできなかった。最早呪いだ。流れる血を何度も見てきてしまった。手当だって何度も行ったから慣れている。
──────それだけ、彼は傷を負い続けてきた。彼よりもずっと強い
ワカモの瞳から零れた涙が彼に伝う。その温度はとても冷たかった。
▼
「ありがとう、ワカモ」
「いえ……貴方様を守れず……」
「そんなこと言わないで。ワカモはずっと守ってくれたよ。君が君を許せなくても、君にずっと感謝しているから。それだけは、忘れないで」
そう言って微笑む先生の右目には医療用の包帯が施されていた。
誰かに心配をかける事を極端に嫌う彼は、一目で『何かがあった』と勘付かれてしまう包帯処置には難色を示していたが、ワカモが説き伏せて着用させるに至った。
「それで、貴方様は──────」
「あぁ、勿論救出に行くよ。途中でリンクを切ってしまったから位置情報の更新はできてないけど……通ったルートから何処に行くかは簡単に割り出せる」
先生はタブレットを操作している。アビドスの面々に送るメールの文を書いているのだ。そんな彼の袖口をワカモはしなやかな指で掴んで、嘆願する。
「行かないでください、とは申しません。ですがせめて、傷が癒えてから……」
「……でも、そうすると──────きっとセリカは不安になってしまう。手が届く誰かを助けずに見過ごす事なんて、私には出来ない」
彼はタブレットを仕舞い、両手でワカモの手を包み込む。それから、しっかりと彼女の瞳を見て。
「ワカモの気持ちは嬉しい。嘘じゃない、本心だよ。でも、私は──────セリカを助けに行く」
彼の宣言に、ワカモは端正な顔を歪めた。止められなかった。止まらなかった。例え誰が止めても、言葉を尽くしても──────彼は決して意見を曲げないだろう。自傷行為のような、命と身を削る優しさに心が苦しくなる。
だけど、同時に安心した。こんな人だから、
「……分かりました。ですが、約束してください。貴方様の護衛に私を置く事と、システムを使わない事を」
「──────あぁ、必ず守るよ」
裾が赤くなったシャーレのコートが夜風に靡いた。