シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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その足を踏み出した

 裏路地から裏路地へ。表の大通りには出ずに、遮蔽物が多い場所を追手の視線と射線を切るように駆け抜ける。

 アヤネと先生が上空に飛ばし、周囲をスキャンしているドローンから得られた情報を元に最適な逃走経路を組み立て、ブラックマーケットを走り続けて約15分。闇銀行とマーケットガードの駐屯地から離れた場所で、一旦少女達は立ち止まった。

 

 尚、身体能力が貧弱(クソザコ)な先生は相も変わらずシロコに抱えられていた。

 

「はひー、息苦しい……もう脱いでいいよね?」

「のんびりしてらんないよ~。急げ急げ、早めにブラックマーケットから出ないと」

「か、可能な限り早く離れないと……まもなく道路が封鎖されるはずです!」

 

 息苦しさに限界を覚えたセリカが目出し帽を脱ぎ去り、大きく息を吸って吐き出す。全力疾走により赤くなった頬を伝う汗、張り付いた長い髪。それらを鬱陶しそうに拭って、もう一度息を吐く。

 そんな彼女を見ながら、ホシノとヒフミは先を急ぐことを促していた。此処は彼等の庭のようなものだ。きっとすぐに道路封鎖が行われ、捜査網が敷かれるだろう。そうなれば発見されずに脱出できる確率は極めて低くなってしまう。だから、なるべく早くブラックマーケットから出ないと────そう思っていた。

 

 だが、この銀行強盗に一枚嚙んでいるのは神算鬼謀の先生なのだ。分かり切っている事に手を打っていないはずがない。ノノミは信頼に満ちた瞳で、シロコに抱えられながらタブレットを操作している先生を見た。

 

「ご心配なく。万全の準備を整えておきましたから☆ ですよね、先生!」

「勿論。内部のシステムは落としてあるし、監視カメラの映像は偽装済み。だから通報するためには堅牢なシャッターを突破してから、最寄りの駐屯地まで走らなければならない。それから現場確認、道路封鎖までやろうと思ったら────最低でも1時間は必要だと思うよ」

「流石だね~、先生」

 

 先生の言葉に今すぐ追手が来る可能性は低いと考えたのか、シロコ以外の皆は目出し帽を脱いで大きく息を吸って吐いた。やはり息苦しいのだろう。先生もいつの間にか帽子を取っていて、見慣れた顔が視界に入った。

 

 僅かな落ち着きを手に入れた皆であったが、先生の「だけど」と云う言葉に現実に引き戻される。

 

「ブラックマーケットの構造は彼らの方が詳しい。人海戦術なんかされたらジリ貧になるから早めに脱出しないとね」

「……先生もそう言ってるし、早めに出よう。こっち、急いで」

「あの、シロコ先輩……覆面脱がないの? 邪魔じゃない?」

 

 セリカの指差した先には、先と変わらない目出し帽を被ったままのシロコ。ニット生地に覆われた狼耳が愛らしい彼女はきょとんとした表情を浮かべていた。それはまるで、『なんで脱ぐ必要があるの?』と言わんばかりだった。そんな様子を見て、ホシノとノノミは……シロコの情操教育に一役買っていた少女達は楽しそうに笑う。

 

「天職を感じちゃったっていうか、もう魂の一部みたいなものになっちゃって、脱ぎたくないんじゃなーい?」

「シロコ先輩はアビドスに来て正解だわ……他の学校だったら物凄い事やらかしていたかも……」

 

 例えば、美食研究会や温泉開発部といったテロリスト集団……もとい、部活動が席を置くゲヘナ学園。シロコが此処にいたらどうだろうか。多分、大惨事になる。集団に席を置くことはないだろうが、恐らく単独で何かをやるだろう。

 次に、トリニティ。此処に彼女がいたら……多分、アズサと結託する。一緒にトラップを設置する仲になるであろう。

 

 軽く引きながら見つめているセリカに、シロコはばつが悪そうな視線を向けて────漸く、青の覆面を脱いだ。

 

「そ、そうかな……」

「うん……多分」

 

 銀行強盗をキメた後とは思えないほど朗らかな空気のアビドスの少女達。だが、それに巻き込まれたヒフミはそうではなく────頭を抱えながら呻っていた。心なしか顔色も悪い気がする。

 

「あうう、ホントにやっちゃいました……紙袋を被ってましたが、バレちゃいませんかね……?」

「まあ、バレないと思うよ。プロトコルを走らせていたからね」

「プロトコル?」

 

 先生は「そう」と頷いて。

 

「鏡面偽装プロトコル……まぁ、相手に幻を見せるって言い換えたら分かりやすいかな」

 

 先の襲撃、集金記録を手渡したオートマタには先生の姿が一般的なキヴォトスの住民に見えたのだ。だが、別のオートマタには先生の姿はヘイローを持つ生徒に見え、また別の誰かには屈強な戦闘職のガードに見えた。他の誰かに聞いても十人十色の答えが返ってくるだろう。同じものを観測しているはずなのに、解が一致しないバグを先のプロトコルは引き起こしている。

 

 姿を隠すのではなく偽る。認識阻害に近い、権能に片足を突っ込んだプロトコルは見られる側ではなく見る側の視覚に干渉するのだ。勿論、万能ではなく穴はあるため、偽装のヴェールの奥を覗かれた可能性は十分に考えられる。その上、本来の……先生が想定した使い方とは異なる使用をしたのだ。あまり過信はできない。

 

「まあ、先を急ごう。此処も直に安全じゃなくなるからね」

 

 

 ▼

 

 

「封鎖予測地点を突破、この先は安全です」

 

 ブラックマーケットと表の境界線。路地と路地を渡り歩き、開けた視界のその先は大通りに面しており、西に傾いた陽が照らす見慣れた街並みが広がっていた。

 急いで歩道橋と横断歩道を渡り、ブラックマーケットの入り口から離れた裏路地で少女達は大きな達成感を伴った息を吐く。

 

 マーケットガードは正式な機構ではない。故に表での活動は出来ず、下手に動けばヴァルキューレ等に逮捕されるのだ。ブラックマーケットという自身の庭でのみ絶大な力を持つ点は他の学園自治区の治安維持機構と変わらない。

 

 よって、表側の世界に帰れば────当面の安全は手に入れられる。

 

「本当にブラックマーケットの銀行を襲って、それも成功しちゃうなんて……ふう……」

「シロコちゃん、集金記録の書類はちゃんと持ってるよね?」

「う、うん……バッグの中に……」

 

 その問いにシロコは微妙そうな顔をしながら頷き、バッグを手渡した。彼女の表情に何処か不安を覚えながらも受け取ったホシノは、その重さに少々驚いた。目的の集金確認書類以外の何かが入っている事は明らかであるが、取り敢えず確認しなければ何も始まらない。

 

 皆が見やすいようにバッグを地面に落としてから、妙に膨れた重いバッグのファスナーを開けると────何やら、有ってはいけないものが見えた。

 

「……へ? なんじゃこりゃ!? カバンの中に札束が……!?」

 

 真っ先に視界に入った大量の札束に、ホシノは思わず絶叫する。その叫びに皆が驚き、ホシノを見ると100万円の束を複数手に持っていた。鞄からも大量の束が覗いており、どう考えてもあの銀行から奪った現ナマであろう。

 

 本来の目的から逸脱した、完全に余分な犯罪行為に全員が顔を青くしてシロコを見る。

 

「うえぇぇええッ!? し、シロコ先輩、現金盗んじゃったの!?」

「ち、違う、目当ての書類はちゃんとある。このお金は銀行の人が勘違いして入れただけで……」

 

 無罪を証明するように首を勢い良く横に振り、バッグをひっくり返す勢いで底を探ると、目的の集金確認書類が出てきた。一応、目的の物は押さえているため作戦は成功であると言えるだろう。

 だが、まさか目的以外の……それも現金を持ってくるとは思っていなかったのだろう。ホシノの顔が露骨に引き攣っている。

 

「ごめんね。本当ならバインダーを受け取ったタイミングで現金は置いてくるつもりだったけど、忘れてたよ……」

「いや、先生の所為って訳じゃ……」

「違わないさ。あの場でシロコと共にいたのは私だからね」

「……そういえば、あのバインダー達は」

 

 こういった所……責任の所在に関しては驚くほど頑固な彼に、これ以上の言葉は届かないと悟ったホシノは話題を変えることにした。

 

 バッグの中に鎮座しているバインダー類は何なのか、と聞かれた彼は「あぁ」と言って。

 

「アビドスの顧客番号の取引履歴だよ。1冊だけがアビドスで、残りは怪しまれないためのフェイクだけど……」

「そっか、証拠を……ありがとう、先生」

 

 直近の集金確認書類だけでも証拠としては強力だが、これだけの取引履歴があれば更に信憑性は増すだろう。

 

 取り敢えず先生の働きもあり、期待以上の証拠は集まった。後は、何故か鞄に突っ込まれたこの現金を何とかするだけ。唐突に増えた頭痛のタネに頭を悩ませつつ、ホシノはバッグの傍に屈み、札束を数える。

 

「どれどれ……うへ、軽く1億はあるね。本当に5分で1億稼いじゃったよー」

 

 呟いたホシノは肩を落とし、溜息を1つ。書類だけならばまだ本格的な、マーケットガードを総動員した捜査にはならない筈だった。だが、これだけの大金が盗み出されてしまったのだ。彼等にも面子がある。確実に黙っていないだろう。

 

 思わぬ大誤算にホシノは頭を悩ませた。

 

「やったあ! 何ぼーっとしてるの! 運ぶわよ!」

「ちょ、ちょっと待ってください! そのお金、使うつもりですか!?」

 

 その反面、喜びに浮かれているのはセリカだった。彼女はその札束を見て歓喜し、学校の為に使おうとしていたのだ。アヤネが慌てて止めようとするが、セリカの意見は変わらないようで。

 

「アヤネちゃん、なんで? 借金を返さなきゃ!」

「そんなことしたら本当に犯罪だよ、セリカちゃん!」

「は、犯罪だから何!? このお金はそもそも、私たちが汗水流して稼いだお金なんだよ! それがあの闇銀行に流れてったんだよ! それに、そのままにしておいたら、犯罪者の武器や兵器に変えられてたかもしれない! 悪人のお金を盗んで、何が悪いの!?」

「────私はセリカちゃんの意見に賛成です。犯罪者の資金ですし、私たちが正しい使い方をした方がいいと思います」

 

 どの様な事にも守らなければならないルールは存在する。無論、セリカとてそれは分かっている。銀行強盗が良くない事や、今自身が提案した方法が良くない事は。それらは全て、ルールを破る行為であると。

 

 だが、最初にルールを破ったのはカイザー側であるため、自分達だけが馬鹿正直にルールの範疇で行動する必要はないだろう。

 

 アヤネは反対。セリカは賛成。ノノミは賛成ではあるが、そこまで乗り気ではない。ホシノとシロコは苦い顔をしている。先生とヒフミは部外者であるため、口を噤んで行く末を見守っていた。

 

「ほらね! これさえあれば、学校の借金をかなり減らせるんだよ!?」

「んむ……それはそうなんだけど……シロコちゃんはどう思う?」

 

 ノノミの賛成を得たセリカは難色を示すメンバーを説得しようと口を開き、捲し立てる。ホシノは彼女の意見に『一理ある』と思いつつも────シロコの方を見た。彼女ならどう思うだろうか、と。

 

「……自分の意見を述べるまでもない、ホシノ先輩が反対するだろうから」

「へ!?」

「さすがはシロコちゃん。私の事、分かってるねー」

 

 驚いた表情のセリカに、ホシノは諭すように語り始める。

 

「私達に必要なのは書類だけ。お金じゃない」

「……でも……」

「今回のは悪人の犯罪資金だからいいとして、次はどうする? その次は? 借金を減らすためだから、悪人のお金を『正しく』使っているだけだから。そうやって自分に言い聞かせて、正当化しながら罪を重ねる。こんな方法に慣れちゃうと……ゆくゆくは、きっと平気で同じことをするようになるよ」

 

 その言葉は、誰よりもアビドスの問題と真剣に向き合ってきたセリカに強く響いた。何か反論しようと思っても、口からは声になり損ねた吐息が零れるだけ。

 

 彼女は唇を噛み、黙ってホシノの言葉を聞くことにした。

 

「そしたら、この先またピンチになった時、『仕方ないよね』とか言いながら、やっちゃいけないことに手を出すと思う。私達の選択肢に、犯罪が入り込んでくるんだよ。それに、このお金で借金を返したとしても結局闇銀行に流れるだけ。額面上の借金は減っても、犯罪者の資金になる現実は何も変わらないと思うな。最後に残るのは、目的の為なら平気で他人を傷つけられるロクデナシと、血と罪に塗れた人生だけ」

 

 ホシノは真剣そのものであった表情を緩ませ、いつもの様に笑って。

 

「うへ〜、このおじさんとしては、カワイイ後輩がそうなっちゃうのはイヤだなー」

「……」

「そうやって学校を守ったって、何の意味があるのさ」

 

 ホシノの意見にセリカは言葉を詰まらせた。紛れもない正論だったのだ。ずっと正しい方法で守ろうとしてきたのに、今になって外法に頼るのは────確かに嫌だ。心の奥でそう叫ぶ自分は否定できない。

 だが、『はいそうですね。分かりました』と割り切るには金額があまりにも多くて。目の前に垂らされた糸に縋ってしまいたい気持ちが強くて。

 

 セリカは俯きながら唇を噛んだ。

 

「こんな方法を使うくらいなら、最初からノノミちゃんが持ってる燥然と輝くゴールドカードに頼ってれば良かったんだ。その方がずっと私達らしいでしょ? 少なくとも、そんなお金を使うよりは」

「……そうですね。ホシノ先輩は、私が提案した時に一番反対されてましたから」

 

 そう言って、ノノミは伏せていた顔を上げた。肩の力を抜いて、自然体に彼女は笑ってみせる。

 

「先輩の気持ち、わかります。幾ら頑張ったって、きちんとした方法で返済をしない限り、アビドスはアビドスじゃなくなってしまう……」

「うへ、そういうこと。だから、このバッグのお金は使わない。全部処分だよ〜。頂くのは必要な書類だけね。これは委員長としての命令だよー」

 

 ホシノにはあまりにも似合わない委員長命令。対策委員会の主人としての命令に逆らえる人物も、逆らうつもりの人物も此処には居らず──────セリカは地団駄を踏みながら叫んだ。

 

「うわああっ! もどかしい! 意味わかんない! こんな大金を捨ててく!? 変なところで真面目なんだから!」

「うん、委員長の命令なら」

「私はアビドスさんの事情をよく知りませんが……このお金を持っていると、何か他のに巻き込まれるかもしれません。災いの種、みたいなものでしょうから……」

「あは……仕方ないですよね。このバッグの処分は……お任せしても大丈夫ですか、先生?」

「勿論、任せて」

 

 処分にはノノミが適任であったのだが、一度は賛成してしまった身の為、持つのは気が引けたのだろう。勿論、アビドスの少女達がそんな事を気にする訳もないのだが、彼女なりのケジメとして──────先生に預ける事にした。

 

 重たいバッグを手渡された先生は、少女達に緩く微笑む。彼女達の選択を心から尊重し、理解している瞳は愛と優しさに溢れていた。

 

「ねぇ、先生は……この決断、どうかな? 馬鹿だって思う?」

 

 何処か弱弱しいホシノの言葉に、先生は「まさか」と力強く言い放って。

 

「立派な決断だよ。君達の選択は誰にも笑わせない。踏み留まってくれてありがとう」

 

 先生はそう言って、心底嬉しそうに笑った。

 

 

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