シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
感想評価お気に入り登録誤字報告で助かる命があります。
閑静な砂漠地帯を1個中隊程度の人数が歩いていた。一目でアビドス自治区の生徒ではないと分かる出で立ち。黒い軍服のような荘厳な制服を纏う彼女達はゲヘナ学園の風紀委員。キヴォトス有数の強者たる空崎ヒナが委員長を務めている、不良にとっては悪夢よりも恐ろしい集団であった。
ゲヘナを拠点とする彼女達が僻地を歩いている理由は便利屋68にある。ざっくりと言ってしまえば、タレコミを受けたのだ。便利屋68がアビドスで活動している────という内容の。
風紀委員会の中で便利屋68の危険度は然程高くない。他の
────エデン条約。
大事な条約が控えているのに、万が一にも他の自治区で問題なんか起こしてほしくなかったのだ。廃校寸前の学校が相手とはいえ、外交問題になったら不味い。ゲヘナの信用問題に関わるのだ。
故に、彼女達に与えられた任務は便利屋68構成員の速やかな無力化及び捕縛。命令に忠実な彼女達は隊列を乱さずに、アル達がいる場所であるラーメン屋柴関に向かっていたのだが……。
「……ん?」
隊列の先頭を歩いていたイオリが唐突に足を止めた。それから彼女はキョロキョロと辺りを見渡すが────特に何もない。気のせいだったか、と思い再び歩を進めようとする。
「どうしましたか、イオリ?」
そんな彼女の後ろからチナツが心配そうに問いかけた。何かあったのだろうか、と。イオリが任務中に他の事に気を取られるのはとても珍しい。
「何か聞こえた気がしたけど、気のせいだったみたい。このまま任務を続行する」
「音、ですか……」
チナツはどうにも胸のざわめきが収まらず、タブレットを用いて周囲の状況を走査する。だが、住民の影ひとつないゴーストタウンが眼下いっぱいに広がるのみ。
やはり、イオリの言った通り気のせいなのだろう。そう思い込むことにして、再び目的地に向かおうとする刹那────。
『私の声が聞こえる全てに伝達する』
声が聞こえた。息も絶え絶えな、男の声。時折苦しそうにせき込むが、その声に宿る意志だけは煌々と燃えている。
「……この声は、まさか……!」
この声を、柔らかな春のような声を聴いたことがある。チナツは顔を不安一色に染め上げながら、走査範囲を拡大。お願いだから間違っていてほしい────そう思った彼女を酷薄な現実が嘲笑う。この声の発生源はラーメン屋柴関であり、その中には民間人2人の反応。片方のバイタルは
彼女の顔が真っ青になった。
『これより本区域は連邦捜査部シャーレの管轄下に入る』
「シャーレって、あの……」
「ッ! 救護班、各キットの準備を! ラーメン屋柴関に急行します!」
叫ぶチナツと、突然の命令に困惑しながらも忠実に熟そうとする救護班の人員達。それを訝し気に見ていたイオリは彼女の叫んだ内容と、聞こえた声をを元に情報を組み立て────一つの結論に至った。
便利屋68がシャーレの先生をぶっ飛ばしたのではないか────そんな疑念。仮にこれが正しかった場合、ゲヘナは多方面に敵を抱えることになる。
特に、長らく敵対していたトリニティのティーパーティーの1人はシャーレの先生に入れ込んでいると聞く上に、ミレニアムのセミナー生徒も頻繁にシャーレに出入りしているらしい。ゲヘナ生徒によって先生が傷つけられたともなれば、間違いなくこの2校は敵に回る。
『大規模な戦闘行為が予想されるため、速やかに退避を』
誰かが息を呑む音が聞こえた。大規模とはどの程度なのか、それは分からない。だが、この放送が聞こえる範囲は戦地になる可能性があるのだろう。現在地からラーメン屋柴関まで直線距離5km────冗談ではない範囲だ。
『何としてでも、貴方達の命は守る』
その声を最後に、放送が途切れる。
鋼の意志、鉄の決意、死線を踏み越える不退転の宣誓。この身の全ては誰かを守るためにある────そう言わんばかりの声だった。
▼
気力を振り絞り、最低限の避難勧告を終えた先生はタブレットを落とす。もう何かを持つ力が残っていないのだ。震える指先でそれを拾い、コートのポケットに仕舞って荒く呼吸をする。
今、こうして意識を保っているだけでも精一杯。本当に情けない事この上ない。
「はぁ……はぁ……カハッ……」
酷い痛みだった。まるで体の内側を蟲に啄まれているような激痛。視界が霞む。耳鳴りが酷い。
アロナの防御は正常に作動した。巡航ミサイルですら無傷で防ぎきる概念防御は先生とアル達、大将を包み込んだが────貫通された。
攻撃の位相をずらせなかったのだ。咄嗟に物理防御壁に切り替えなければアル達や大将は兎も角、彼は物言わぬ肉塊に成り果てていただろう。
『先生ッ!』
「あ、ろな……」
呼吸するだけで胸に激痛が走る。肋骨が折れたのだろう。だが、内臓には刺さっていない。
────いや、自分の傷なんてどうでもいい。死んでいなければ、それでいいのだ。
咄嗟に抱きしめたムツキに怪我は見当たらない。恐らく、軽い脳震盪を起こして気絶しているだけ。すぐに目を覚ますだろう。彼女を汚す赤い血は全て先生のものだ。
良かった、心からそう思う。守れた大切な温もりを確かめるようにもう一度強く抱きしめて、ゆっくりと地面に下して、寝かせる。そして、優しい手つきで髪を撫でて────その瞳を
「先生ッ」
「カヨコ……」
この惨状を作り出した敵を排除すべく、傷だらけの体に鞭を打った先生の前に現れたのはカヨコだった。彼女は先生の状態を見て、息を呑む。彼女は端正な顔を歪ませ、駆け足で彼の元へと寄り、彼の状態をしっかりと観察した。
────重傷だ。右足は人体の構造上あり得ない方向に曲がっている。脇腹には棒状の何かが突き刺さり、貫通。白い制服は至る所が砂塵と血に塗れ、見る影もない。右腕は鈍い何かに切り裂かれたような傷跡、肉が抉れている。頭部からの出血もあり、油断は許されない。
「出血が酷い。何か止血用の……」
カヨコは服のポケットを漁り、ハンカチを取り出す。心許ないが、何も無いよりはマシだ。傷口を固く縛ると彼が苦悶の声を上げ、咳込む。口元を覆った手の隙間から粘度の高い赤黒い血が零れて、砂漠に毒々しい華を咲かせた。
それを見て、カヨコは更に顔を歪ませた。内臓まで傷ついている。早く病院に行かないと。
逸る思考と五月蠅い心音を理性で封じ込めて、冷静を取り戻す。刻一刻と擦り減る先生の命、彼のタイムリミットは自身に左右されると分かってしまったから。
カヨコは周囲を見渡す。前方約300m先、人影。先生の権能により五感を拡張された彼女は目を凝らし、その詳細を捕えた。だが、それはあまりにも信じられないもので。
「なに、あれ……」
推定50体のヒトガタが伽藍堂の顔を一様に此方に向けていた。手もある。足もある。だが、顔に当たるパーツだけない。カヨコは恥も外聞も捨てて悲鳴を上げたくなった。生理的嫌悪、というべきだろうか。無条件で『駄目だ』と思ってしまうような。
「天使の眷属だよ……ある種の超自然現象さ」
「天使……」
譫言のようにカヨコが呟けば、先生は力なく笑って咳込む。湿っぽい、気道に詰まった血を吐き出すような音。咄嗟に背中をさすっても、状態は悪化するばかり。
「み、皆さん、ご無事で────」
「けほッ、ゴホッ! な、何よこれ!? 何なの!? 誰の仕業よ!」
砂塵の中から現れたのはハルカとアルだった。彼女達も傷らしい傷は負っていない。彼女達は木端微塵になった辺りを見渡し────そして、血塗れの先生と、彼の応急処置をしているカヨコを視界に入れた。
「先生!? だ、大丈夫なの!? 血が、こんなに、あ、足も……」
「……大、丈夫だ、よ……あはは」
「喋らないで先生!」
どう考えても強がりだった。いつもの様な口調ではあるが、声音は落ち込んでいて顔色は悪い。そんな彼を見て、ハルカは奥歯をガタガタと震わせて────弾かれたように駆け寄り、恐る恐る彼に触れる。弱々しい脈、触れた掌にはべったりと濡れた血がこびり付いて、彼女は「ひッ!」と小さく悲鳴を上げた。
「ち、血がいっぱい……お医者様に、行か、行かないと……! 先生、死んじゃう……!」
そう、病院に急がなければならない。応急処置でお茶を濁せるような怪我ではないのだ。だが、どうやって? ここはアビドス。近くの病院なんてない。それに、今は敵襲を受けている状況なのだ。大人しく逃がしてくれるとは思えない。次々と頭をよぎる悪い予想を強引に振り払うように、叫ぶ。
「ハルカ、多分店のカウンターに医療キットがあるはずだから取ってきて! 社長は敵をッ!」
「えっ、えぇ! 分かったわ!」
「は、はいッ!」
カヨコの指示に従い、2人は弾かれたように飛び出す。全ては先生の安全のために。
アルは瓦礫に隠れながら射撃を行い敵を倒して行く。だが、敵の増殖スピードが速すぎる。倍々ゲームのように増えていく敵影に彼女の顔が青くなるが、それでも先生をここから逃がすために奮闘する。敵は全て倒さなくていい。ただ、彼を逃がすための時間稼ぎに徹すれば。
無論、それを加味しても状況は悪い。間違いなく便利屋史上最大の危機だろう。だが、未来の大事な経営顧問のために殿として壁となる決意は揺るがなかった。
ハルカはカウンターの瓦礫の山をひっくり返す勢いでキットを探し始める。半分泣きながら、頭を過る悪い未来を振り払うように。彼女の存在を無条件で肯定してくれた彼を、大切だと笑ってくれた彼を────失わないために。
「──────んぅ」
その時、ムツキは目を覚ました。彼女は霞む視界で辺りを見渡す。粉々になったラーメン屋、吹き飛ばされた全て。そして──────。
「──────せん、せ」
悲鳴にも、吐息にも似た声が漏れた。目の前の光景が現実であると信じたくなかったのだ。噎せ返る様な血の匂い、その裏側に燻る死臭。悪夢なら覚めてくれと願っても眼前の光景は消えてくれない。
体が硬直し、目が見開かれ──────それから弾かれたように
「ムツキッ」
「分かってる! アルちゃんと一緒に敵をぶっ飛ばせば良いんでしょッ!」
ムツキは怒りのまま飛び出し、アルに加勢する。だが、多勢に無勢。目を覆いたくなるような劣勢である事に変わらない。そもそも、2人がこうしてあの軍勢を相手に『戦闘』を行えているのも先生のアシストに依る所が大きいのだ。彼との接続が途切れた瞬間、彼女達は磨り潰されるだろう。
「カヨコさんッ! 先生ッ!」
「先生、無事かッ!」
此方に駆け寄ってくる影2つ。ハルカと大将だ。その手には救急箱が握られている。
受け取ったキットには包帯や止血用パッチが詰められており、使用期限も切れていない。万が一に備えて大将がこまめに交換してくれていたおかげだ。これで出血は多少マシになるだろう。
「酷ぇ……」
「大将……ご無事で、何よりです」
「言ってる場合かよッ! そこのお嬢ちゃん、添木を持ってきてくれ! 足を固定する!」
大将は先生の惨状に顔を悲痛そうに歪めた後、ハルカに指示を飛ばす。出血の手当てはカヨコがやってくれている。だが、足の骨折は手つかずだった。大将はその手当をしようと──────彼の足を握る。
「痛てぇかもしれないが、我慢してくれよ」
鈍い音と共に、折れ曲がっていた足が戻される。先生は痛そうな呻き声一つだけ上げて、「ありがとうございます」と笑った。全身が痛すぎて、新たに痛む箇所が分からないのだろう。痛覚の麻痺、大将は不味いと思った。
その後、ハルカが持ってきた添木を使用して足を固定、止血もある程度は終わった。この場で出来る事はもう無い。あとは彼を病院に送るだけ。
「皆、撤退するよ! ハルカは2人のカバーを!」
「奥に車がある! 急いで持ってくるから待っててくれ!」
言うや否や、駆け出す大将。
アルとムツキはラインを下げて、ハルカが前衛として2人のカバーに入る。何とか窮地は脱出できた────そう思ったカヨコは先生に肩を貸して、戦闘の余波が届かない場所まで運ぼうとする。
「逃げるよ、先生。ちょっと乱暴になるかもしれ────ッ」
カヨコは何が起きたのか分からなかった。ただ、何かに優しく突き放される衝撃は体に鮮明に残っていて。右肩にあったはずの先生の温度は何処にもなく。
虚空を切った手、向けた視線の先には────彼女を優しく退けた彼の左手と、血色の悪い顔に浮かんでいた申し訳なさそうな苦笑い。
「せ────」
その、彼の眼前。何かがいた。2m程度のヒトガタ。だが、どう見ても真面な生命ではない。体も背中の羽も白一色、顔に当たる場所には無数の歯車が回り、軋んでいる。頭上に浮かんでいるのはヘイローに似た何か。唐突に見える出現は限定的な空間跳躍に依るものだろう。
そして、直感した。こいつがこの惨状を作り出したのだと。
だが、そんな事はどうでもいい。問題なのは、そんな訳の分からない生命体が────先生に向かって手を振り下ろそうとしている事だ。それはまるで、断頭台のよう。
「やめろッ!」
カヨコの祈りにも似た叫び。その声に振り返ったアル達。止めようにも、全てが遅かった。
「
あらゆる祈りと心を踏み躙り、嘲笑うかの如く、ギロチンのような手が振り下ろされた。甲高い、何かが砕けるような音。次いで、肉が潰れ骨が砕ける音。
ゴムボールのように吹き飛ばされた先生は勢いよく地面を転がり、そのまま瓦礫の山に背中から衝突した。
「カハッ……」
口から血と共に息を吐きだした先生はそのままピクリとも動かなくなり、四肢が力なく投げ出される。彼の懐から滑り落ちたタブレットには赤く点滅するバイタルサインが主張していて、再び彼が死の淵に立たされている事が分かった、分かってしまった。
「お前ェッ!」
ムツキの怒号と共に、全員の戦意が滾った。銃のグリップを壊さんばかりに固く握り締め、先生を傷つけた悪意を睨みつける。
────こいつだけは許せない。全員が、そう思った。
敵識別名称、
「ぶっ殺してやる」
【OPEN COMBAT】