シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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「……何が起きてるんだ、これ……」
ゲヘナ風紀委員達が辿り着いたラーメン柴関は、地獄のような戦場の中心地だった。飛び交う銃弾、微かに香る血。
ゲヘナ自治区の抗争よりも凄惨で、流血に愛されている戦地。キヴォトスでは遠いはずの『死』がとても身近に感じてしまう。だが、誰の死か分からない。辺りに飛び散る血も、骨片も。果して誰のものか。
イオリは茫然とした様子で呟きながら戦場の全体像の把握に努める。この戦場にいるのは便利屋68の4名と、七囚人の一人のワカモ。それから見ない制服を纏った4人。だが、生徒同士で撃ち合っている訳ではない。寧ろ、今挙げたメンバーが一丸となって何かと戦っているような。
そう思っていたイオリの隣に、どちゃり、と何かが落下した。恐る恐る、落とされた何かを見ると────目があった。
「ひッ!」
何か、見てはいけないものが。だが、目を離せないような。目が合った、と云うのも語弊がある。なにせ、今落ちてきた何かには目に当たる器官は疎か顏すら無いのだ。しかも、胸から下は全て消え失せ背中の翼は弾丸で風穴が空けられている。
生きているはずがない損傷だ。上半身と下半身を切り離された状態で生きていられる存在なんて、ヘイローを持つ生徒であっても有り得ない。故に、これは死んでいる。命の呼吸は止まっている。その筈なのに。
「Aaaaa────」
ある筈がない口から福音が聞こえる。耳を犯す音色。聞いてはいけない呪詛のような、或いは聖歌のような。兎も角、耳を塞がなければいけない筈なのに────聞き入ってしまう。
────イオリが知る所ではないが、彼女は既に大脳皮質を掌握されている。先の戦闘、ワカモと先生が破壊し尽くしたグレゴリオ聖歌隊の
憐れみと祈りと礼賛で以って花を手折るように命を摘む、かつての
次に掌握されるのは大脳辺縁系。此処を相手に握られると、いつ精神崩壊が始まってもおかしくない。
カラン、と音を立てて手から滑り落ちる
──────全く、何とも悪趣味だよ。
イオリの脳内で、聞こえるはずのない男の声が聞こえた。何処か懐かしいと感じてしまう優しい声音。
──────愛しい者を自らの手で縊らせ、その罪悪で諸共滅ぼす浄化の歌。天に使える己は尊い者である、という傲慢さの現れだけど……あぁ、確かに効果の程は充分か。
苛立ちと怒りが混ざりながらも、それでも奥に確かな温度がある。泣きたくなるほど愛おしくて、悲しくて、悔しくて──────でも、会えた喜びを感じてしまう声はイオリの脳に優しく浸透して言葉の意味を伝達した。
──────あぁ、だけど……旧い時代の遺物如きが偉そうに私の大切な生徒の心に足を踏み入れるのは我慢ならないな。
パキパキと何かが剥離する音が聞こえる。先程まで福音だったものが悍ましい呪詛のように思えて、何かに酩酊したような感覚が急速に消え失せた。
体の主導権が戻る。誰かの首を縊りたくて宙を彷徨っていた両腕に力が入り、地面に転がった銃を拾い上げた。過呼吸気味の呼吸は戻り、開き切っていた瞳孔が収縮し正常な状態へと遷移。
──────君の心は君のものだよ、イオリ。
その声と共に、イオリは覚醒した。
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「──────ッ!」
ハッとして飛び起きるイオリ。周囲を手短に見ると、丁度彼女の部下が到達した頃であり、唄を聞いてから10秒も経っていない。
「……今のは……何……?」
あの時……男の誰かの声を聞いた記憶はある。だが、誰のものか分からない。覚えていない。いや、そもそも声を聞いた記憶すら薄れてきた。あと数秒も経たずに何もかも忘れ去るだろう。だが、地面に横たわった謎の生命体の死体が現実を突きつける。あれは紛れもない真実であると。
苛立ち混じりにトリガーを引く。鋼の弾丸は何の抵抗もなく、吸い込まれるように白の心臓を貫いた。耳障りな福音も聞こえない。生理的な反応もない。完全に沈黙した……はずだ。なのに、あの薄気味悪い音が脳裏から離れてくれない。肩で息をして、冷や汗を拭って……それから一度深呼吸。漸く少し落ち着いた──────そんな時に。
「大丈夫かい? ゲヘナ風紀委員、銀鏡イオリ」
柔らかい、つい先ほども聞いた声が聞こえた。イオリは緩めていた気を咄嗟に引き締めて、煙を吐く銃を構えて声の主に突きつける。それに連動して、彼女の部下たる風紀委員の少女達も銃口を向けた。
「ッ! 誰だ!?」
「連邦捜査部シャーレ顧問の先生だよ。初めまして」
イオリの5m先、ひらひらと手を振る大人がいた。数多の銃口を向けられているのにも関わらず、柔らかな笑みを浮べている誰か。誠実で優しい真面目な人間である事が即座に分かる奇妙な出で立ち。手を振るという軽薄な仕草も、かっちりとし過ぎない優しい雰囲気を醸し出している。
だが、彼の顔色は決して良くない。破れた服から覗く素肌には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。1人で立つ事も儘ならないのか眼鏡の生徒に肩を貸して貰いながら立っており、少女の方は猜疑心に富んだ瞳でこちらを見ていた。空いている片手は銃のホルスターに伸びており、少しでも不審な言動を行ったら即座に脳天を射貫かれるだろう。
イオリはシャーレ、という名称を聞いて眉を顰め────一旦向けていた銃口を下げ、訝し気に口を開く。
「シャーレって、あの……」
「君の想像通りだよ、イオリ。あぁ、証拠は────」
「全員銃を下ろしてくださいッ!」
イオリの考えを肯定した彼は自身の身分を示すシャーレオフィスのIDカードを提示しようとした時、雑踏の後ろから叫ぶ声が聞こえた。焦燥感に背中を押されているような、切羽詰まった声。
人混みをかき分けながら先生の前に現れたのはチナツであり、この場にいる風紀委員全員に武装解除を促した。その声に戸惑いながらも応じ、全員が銃を下したタイミングで────先生は彼女に声を掛けた。よく見ると、彼に肩を貸しているアヤネも銃のホルスターから手を放している。
「や、チナツ。久しぶり、元気してたかい?」
「そんな事言ってる場合ですかッ! 今、救急医学部を手配します! それまでは──────」
「ありがとう。でも、私は最後までここで戦うよ」
「……どうしても、ですか?」
チナツは先生のアナウンス……シャーレの権限を利用した戦争開始の宣言を聞いている。この場所は一時的にシャーレの管轄に入っており、責任者がその場を離れるわけにはいかない。故に、その解答をある程度予想はできていたのだろう。彼女は冷静を装い、そう返す事ができた。
だが、彼女も理解はできても納得できない。そんな、自身の命を薪に焚べるような選択を許容できるわけないのだ。
「どうしてもだよ。これが私の存在理由なんだ。今更後には引けないさ」
「ですがッ」
「こんな死に体でも、私は先生なんだ。どうか、私の我儘を分かってほしい」
そう────この身は先生だ、誰かに死の悼みを押し付ける事はしない。死ぬなら全て終わった後、孤独に死ぬと決めている。
「そ、その……大丈夫、なのか? 外の人間は私達と違って……血もいっぱい出てるし……」
「────」
イオリの何処か心配そうな、気遣うような声を聴いて先生は少し目を丸くした。彼女とは初対面であり、先ほど初めましてを済ませたばかり。彼女が優しい生徒であるのは勿論分かっていたが────それでも驚いて。だが、その驚きを打ち消すくらいには嬉しかった。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、イオリ。血はちょっと足りないけど万一に備えて輸血パックは持ってるし、ある程度無茶は────」
「絶対にしないでください」
「……できないけど、戦場に立つのに不足はないさ」
アヤネの有無を言わせない圧力に屈して、先生は苦笑いに近しい表情を浮かべながら返した。きっと、彼女も彼がこの場に今も尚立っている事には思う所があるのだろう────そう判断したチナツは、それ以上の追及を止めにする。
「……分かりました。ですが、一応診察はさせてください」
「構わないよ。それで、君が安心できるなら」
そう言って、彼は自身の体をチナツに差し出す。あまりにも無防備な彼にアヤネは驚くが、知り合いのような口振りであったので咎める事はせず、彼の一番傍で成り行きを見守っている。
そして、チナツは「失礼します」と一言告げて、患部の観察に入った。
「────」
正直、何故意識を保ち正常に会話ができているのか不思議な程の傷だった。だが、その余りにも多すぎる傷の悉くは正しく応急手当を行われており、重傷の箇所は再生が始まっている。恐らくナノマシンを使っているのだろう。
────現状、この場で出来る事は無い。そう判断したチナツは診察を止めて、彼に向き直る。
「……とても丁寧な手当でした。これ以上の処置は専用の設備がないと厳しいです。救急医学部の車両を急いで手配するので、戦闘終了後はそちらで処置を受けていただきたいのですが……宜しいですか?」
「……搬送先の病院だけ、私が指定して大丈夫かい?」
「構いませんが、どうしてですか?」
「ゲヘナの病院に搬送されると、私も君達も都合悪いだろう? 特に、条約前だからさ」
シャーレの先生をゲヘナで匿っている、という事実は誰も幸福にならない。先生も公平を謳えなくなり、ゲヘナは外に敵を作ってしまう。そのような事態を避けるための提言はチナツの「分かりました」の一声と共に受け入れられた。
それを見て安心したような笑みを浮かべた彼であるが──────直ぐに、表情が真剣なものに切り替わる。
「……アヤネ、支援準備。セリカは
「はいッ」
「若干押されている。ワカモを……いや──────」
『あまり状況は良くないようですね?』
先生が苦い顔で矢継ぎ早に指示を飛ばしていると、唐突に第三者の声が響いた。オープンチャンネル、発生源は……チナツ。
彼女が持つタブレットからホログラムが投影され人の像を結ぶ。水色の髪を揺らす少女が、取り繕ったような笑みを浮かべてそこに立っていた。
全員の視線が向いた事を確認した少女は、腰を深く折って一礼し言葉を紡ぐ。
『初めまして、シャーレの先生、奥空アヤネさん。私はゲヘナ学園風紀委員所属行政官、天雨アコと申します』
アコが通信越しとはいえこの場に現れた事により、風紀委員の面々に緊張が走る。自然に背筋が伸び、姿勢が正されて────脳内でアドレナリンが微かに分泌された。イオリは譫言のように「アコちゃん……」と呟き、事の成り行きを見守る。
「行政官……風紀委員のNo.2が、どうして……」
「まぁ、ある程度は予想できるけど……今はそれを言ってる場合じゃない」
『ある程度は予想できる、ですか……凄まじい洞察力ですね。ひょっとして私の心の中とか覗いてます?』
アコは若干ジト目で先生を見ると、彼は「そんな事できないよ」と呟き肩を落とした。
その様子にイオリとチナツ、アヤネは何処となく違和感を覚えた。先生は兎も角、アコがフレンドリー過ぎる。現れるだけで部下に緊張が走るような彼女が冗談を言うようには見えない。それなのに、彼に対してはまるで気心が知れた仲のように軽口を叩いたのだ。先ほど、「初めまして」と言ったのにも関わらず。
アコは仕切り直すように『それよりも』と言って、佇まいを正し──────先生をしっかりと見据えた。
『先程仰った状況不利……今現場にいる風紀委員、全員を参戦させたらどうでしょうか』
「──────」
『先生の手腕であれば、この程度の人数を淀み無く指揮する事など造作もないはずです』
「……ゲヘナ風紀委員のメリットは?」
『先生指揮下での戦闘経験。あとは……貴方に恩を売れる事でしょうか?』
突然の申し出にアコと先生以外の全員が驚愕する。まさかシャーレと共同戦線を張るとは思いもよらなかったのだ。知らない所で事態が急速に大きくなる中、彼は考え──────苦笑いを浮かべた。
「……依怙贔屓はできないよ」
『知っています。貴方はそういう方でしょうから……それよりも、ヒナ委員長が会いたがっていましたよ』
「そっか……なら、近い内に会いに行かないと。勿論、アコにもね」
彼が微笑みながらそう言うと、画面越しのアコははにかむように笑った。初めて見る彼女の柔らか過ぎる表情に風紀委員の全員は驚愕し、二度見したが──────次の瞬間にはいつもの行政官としての顔に戻っていた。
『では、これより該当するゲヘナ風紀委員は一時的にシャーレの管轄下に入ります……宜しいですね、イオリ、チナツ』
「かしこまりました」
「わ、分かったよ、アコちゃん……」
現場の幹部クラス2名の了承を得た事により、正式にシャーレの所属となった風紀委員。だが、彼女達のやる事は変わらない。敵を、風紀を乱す者を倒すだけ。アコの元でも先生の元でも──────銃を握る理由は変わらない。
「戦線を再構築する。突然で申し訳ないけど、どうか私の指示を聞いてほしい」
先生の声に、この場にいる全員が強く頷いた。