シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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互いに譲れない目的を抱えたまま、この場をもう一度戦場にしようとしていた2つの集団を止めたのは、白い長髪と捻れた角を持つ小さな身体の少女だった。小学生にも見えるほど細く薄い華奢な体躯であるのにも関わらず、放たれるプレッシャーは紛れもなく強者のそれ。ワカモをも凌ぐ圧倒的な存在感は周囲の全てを威圧している。
担いでいる巨大な銃……
明確な脅威だ。
鷹のような鋭い目を携えながら欠片も表情を変えずに、感情が抜け落ちた声でアコの名を呼んだ彼女こそ。
『えっ……ヒ、ヒナ委員長!?』
ゲヘナ学園風紀委員長、空崎ヒナ。キヴォトスに於ける最強の一角であり不良達の恐怖の象徴。凡百の生徒とは隔絶した、文字通り次元が違う戦闘能力を誇る一騎当千の少女。
彼女に平坦な声音で名前を呼ばれたアコは、思わず叫び姿勢を正した。背筋が伸び、緊張した空気が走り、冷や汗が頬を伝う。
その様子を、アビドスの少女達は訝し気に、興味深そうに眺めた。
「委員長……?」
「風紀委員会のトップ!?」
アヤネが疑問の声を、セリカが驚愕の声を上げる。纏っている軍服のような制服は確かにゲヘナ風紀委員の正装であり、袖を通していない羽織っているだけのロングコートには『風紀』と記された腕章が見える。
彼女が────ゲヘナ最強、風紀委員長。
アビドスと便利屋の顔色が悪くなる。特にアルは白目を剥いて何時もの表情を浮かべていた。
『お、お疲れ様です、ヒナ委員長……ですが、どうしてこんな時間に……』
『アコ、今どこ?』
『えっ、私ですか? えっと、その……わ、私はゲヘナ郊外の市内を、風紀委員メンバーとパトロール中でして……』
視線を左右に動かしながら歯切れの悪い回答を述べるアコ。無論、全て嘘だ。彼女はゲヘナ学園風紀委員の本部の一室におり、パトロールもしていない。大隊規模の風紀委員はゲヘナ郊外の市内ではなくアビドスの砂漠地帯におり戦闘行為を行っていた。
嘘に嘘を重ねた言葉に、思わずセリカは怒りの声を上げる。
「はぁ!? アイツ、思いっきり嘘吐いてるじゃん!?」
「やっぱり、行政官の独断専行だったみたいですね……」
アコの独断専行、それが持つ意味はこの場に於いて大きい。少なくともヒナの参戦という最悪の事態は想定されない上に、これ以上の増援もないだろう。
アコの行政官という肩書は重い。だが、独断で大隊規模の兵力を、それも他の自治区で動かせる程ではないのだ。間違いなく必要なプロセス……風紀委員長たるヒナと生徒会の
この結論にいち早く至ったカヨコは安堵の溜息を吐いて、銃口を下げる。
『それより委員長、何故この時間に……出張中だったのでは? 帰還予定にはまだ早かったかと記憶しているのですが……』
『思ったより早く片付いたから、さっき帰ってきた所』
『そ、そうでしたか……! そのぅ、私、今すぐ迅速に処理しなくてはならない案件がありまして、後ほどまたご連絡いたします! 今は、ちょっと、立て込んでいて……ッ!』
先程よりも更に早く捲し立てるアコに、無表情を貫いていたヒナが初めて感情を表した。疑問の顔を。
『立て込んでいる……? パトロールなのに珍しい。何かあったの?』
行き場のない指先でタブレットの画面を弄びながら、アコは思考を巡らせる。失敗した────そう思ったのだ。嘘に嘘を重ねてしまい、ヒナに疑問を抱かせる隙が生まれた。
そもそも、彼女が他の風紀委員と共にパトロールする事自体が希である。大抵の場合、彼女は各地のパトロールを統括する側であり現地参加する事は少ない。
あったとしても、それは大きな問題が起きたとき……それこそ、美食研究会が他の自治区のレストランを爆破したとか、温泉開発部がD.U.の敷地内に風穴を開けたとか、そのレベルでないと動かないのだ。
そして、そのレベルの事件ならば真っ先にヒナに連絡が行くはずだ。だが、ヒナの端末は帰還して以降全く震えておらず沈黙を貫いている。
無論、アコはアビドス襲撃……否、先生捕縛作戦を実行する旨をヒナに伝えていない。完全な独断専行なのだ。故に彼女はヒナに怪しまれないように偽のそれらしい報告を速やかに行い、煙に巻く必要があったのだが……偽装に使えそうな事柄は今の所起きていない。アコが手を焼く事件なんて輪をかけて無い。
平時なら喜べる平穏が、アコは今ほど恨めしく思った事はなかった。
なりふり構っていられないと思ったアコは、適当な事件……温泉開発部が校舎に風穴を空けて逃亡したという事にでもして、何とか穏便にやり過ごそうかと口を開こうとした。
だが────。
「他の学園の自治区付近で、風紀委員の大隊を独断で運用しなければならない事が?」
『────えっ』
今までの様な通信越しの音声ではない肉声が聞こえた。チナツから見て、右側から。
それを認識した途端、チナツとイオリは驚愕の表情を浮かべて慌てて声が聞こえた方を向いた。
「……っ!?」
「ッ──!」
「はッ、あれっ!?」
「!?」
いつの間にか、彼女はそこに立っていた。紫の制服とその上に羽織ったロングコートを風に靡かせ、自身の身長に匹敵する銃を軽々と担ぎ、時折背中の長大な翼を羽ばたかせる少女。
彼女は仏頂面でアビドスの面々と便利屋、風紀委員、ワカモを見て……それから最後に先生を見た。
「い、委員長!? い、一体いつから!?」
イオリが驚愕の声を上げるが、当のヒナは先生をじっと見つめたままだった。彼女は様々な感情が入り混じった瞳で先生を射貫く。そして、彼もその視線に気づいたのか蒼のままの瞳を動かし────視線が、交錯した。
「……せん、せい」
「────ヒナ」
ヒナの噛み締めるような、泣き声を堪えるような声。
先生の後悔と自責、会えた喜びと深愛が複雑に絡まった声。
互いの声は耳に入らない。元々、誰かや相手に聞かせるための声ではないのだから。
一瞬の邂逅。互いに視線を交わらせたのは1秒にも満たない時間であり、それ以上の事はしていない。だが、それだけで充分であった。
先に先生が視線を切る。その最中、彼がはにかむように、愛しいものを見たかのように寂しく笑ったのは────誰も気づかない。
そして先生からの視線を無くしたヒナもまた自身のやるべき事を果たそうと氷のように冷たく鋭い口調で告げた。
「アコ、この状況、説明して……1から10まで、全部」
その身から放たれる威圧が、更に増した。まるで空気が意志を持って全身を圧壊させに来ているようなプレッシャー。アルはもう一度白目を剥いた。
「ゲヘナ風紀委員長、空崎ヒナ……外見情報も一致します。間違いなく、本人です……!」
「……これは、本格的に不味いね……」
アヤネとカヨコの苦々しい呟き。ないと割り切っていた『ヒナの合流』という最悪の事態が目の前で実現してしまったのだ。
特に、ヒナの強さと恐ろしさを骨の髄まで知っているカヨコはその表情を露骨に歪めている。
「名実ともにゲヘナ最強。この状況であっちに味方されたら、勝ち目が完全になくなる」
「うーん、そうだけど……なんか向こうの雰囲気悪くな~い?」
「ん、そうだね……もしかして仲間割れ?」
ムツキとシロコの言葉通り、ゲヘナ側の雰囲気は非常に悪い。剣呑と言っても差支えがない程だ。だが、対立している訳ではない。ヒナの放つ威圧感が圧倒的過ぎて対立の体を成していないのだ。チナツやイオリといった幹部クラスの少女も自然と背筋が伸び、その他のメンバーは露骨に顔色を悪くしながら冷や汗を流している。
『い、委員長、その、これは……えっと、素行の悪い生徒達を捕まえようと……!』
「便利屋68の事? それにしては少々大勢いる様に見えるけれど。彼女達はこんな数で相手しなきゃいけない相手じゃない」
ヒナは「それに」と言って。
「シャーレにアビドス──何故、彼女達と戦闘状態になっているの? そもそも、私はこの作戦行動を認知していない。自治区を越えた作戦行動には事前に私の認可が必要な筈」
『え、えっと……委員長、全て説明いたしますので、どうか──』
「──…………いや、もう良い。大体把握した」
『えっ』
アコが述べようとしていた弁明と説明を『不要だ』と言わんばかりにばっさりとヒナは切り捨てた。無論、詳しい説明はしてもらう。だが、それは報告書の上でだ。
怒りと共に戦意を燃やしていたアビドスと便利屋68、災厄の狐。ヒナが知らない風紀委員の動き。アコの動揺。
今この場で起きた、或いは起きようとした事柄は大体把握した。唯一分からないのは、先生が致命傷一歩手前の傷を負っている事だけ。
「察するに、ゲヘナにとっての不安要素の確認及び排除。そういう、政治的な活動の一環ってところね」
ヒナはその明晰な……情報部に所属していたことが分かる頭の回転で、アコの意図を状況証拠のみで見抜いた。やはり侮れない────そう思ったワカモはヒナの評価を一段階上げる。
「でもアコ、私達は風紀委員であって生徒会じゃない……連邦捜査部シャーレ、ティーパーティー、失踪した連邦生徒会長、その他学園のパワーバランス。そういうのは、
『ヒ、ヒナ委員長……』
仕えている上官から明確な叱責。淡々とした口調ながらも、何処か怒りを感じられる言葉にアコは言葉を詰まらせる。何か口を開こうにも、通信越しに向けられる厳しい視線に射貫かれてしまい……彼女は口を噤んで、黙って首を垂れた。
「詳しい話は帰ってから聞く。通信を切って校舎で謹慎してなさい、アコ」
『……はい』
その一言と共に、アコとの通信が切断される。彼女の沈痛な面持ちを見た先生は思わず胸が痛んだ。確かに、彼女の言動はゲヘナ風紀委員としては逸脱しているのだろう。だが、彼は彼女の独断専行の力添えもあって勝利を掴んだ身なのだ。何とか罰を軽くしてあげたいが、干渉し過ぎてはいけない。どうにか、その辺りの落としどころを探らないと────そう考えていた先生であったが、その思考はシロコの突拍子もない一言によって切り裂かれる。
「……じゃあ、改めてやろうか」
「ハァ!? ちょ、ちょっと待ちなさい!?」
シロコが『仕切り直し』と言わんばかりに銃を構え、風紀委員に銃口を向けるとアルが顔を真っ青にしながら止めに来た。その様子を見てアビドスの面々には動揺が走り、ムツキが笑い、カヨコは溜息、ハルカはおどおどしている。
当然、この状況で開戦しても蹴散らされるだけだ。弾薬の底は突きかけて、此方側の体力と気力は限界、銃も酷使してしまったため早急にメンテナンスが必要な状況なのだ。そして、相手側には単騎で風紀委員全勢力を凌駕しうるヒナがいる。無謀どころの話ではなかった。
「ま、待ってください! ゲヘナの風紀委員長と言ったら、キヴォトスでも匹敵する人物を見つけるのが難しいほどの強者の中の強者ですよ!? ここは下手に動かず、一旦交渉するのが吉です! 先生が怪我をしている現状、不要な戦闘は避けるべきですッ!」
「ご、ごめん……」
アヤネが凄い剣幕で捲し立てると、シロコもその迫力に気圧されて頷く。
それを確認したアヤネは一歩前に出て、風紀委員長と対峙した。
「初めまして。私はアビドス対策委員会所属、奥空アヤネです。ゲヘナ学園の風紀委員長、空崎ヒナさん、で宜しいでしょうか」
「えぇ、そう」
「この状況については把握されていますか?」
「……勿論。事前通達なしでの他校自治区付近に於ける無断兵力運用、及び他校生徒との衝突────」
「それは未遂だよ」
ヒナの言葉を遮るように言葉を述べたのはシャーレの先生だった。ワカモに支えられながら何とか立っている彼は、白を通り越して青白くなった手をひらひらと振っている。
「あぁ、私がボロボロなのは今は深く詮索しないで。後で……そうだね、3日後くらいに報告書として送付するから」
「……そう、分かった」
先生の有無を言わせない発言に、ヒナは何処か釈然としない表情で了承する。そして、彼女は「兎も角」と言って。
「私達に不手際があったのは認める。けれど、其方が風紀委員会の公務を妨害したのも事実。違う?」
「……ッ!?」
「それはそうかも」
「ふーん、それで?」
「私達の意見は変わりませんよ? 先生は奪わせません」
ヒナの言葉に一歩も引かないアビドス。と
「……アビドスの連中、好戦的過ぎるでしょ」
「先生を奪われるのが嫌だからじゃない?」
カヨコはこの場をどうやって切り抜けるか考える。アビドスが戦う意志を見せている現状、便利屋だけ逃げる事は出来ないだろう。恐らく先生は戦闘を止めたい側だろうが、誰かが一発でも銃弾を放てば即座に開戦するだろう。世界を変えるのに必要な銃弾の数はたった一発で充分だと、サラエボ事件とレキシントン・コンコードの戦いが証明している。
仮にこの状況で戦闘が起きた場合、最低でもヒナだけは持っていかなければならない。それも、可能な限り早く。そうしなければ本当に勝ち目がないのだ。
緊迫した空気が2つの勢力に流れる中、アヤネはタブレットを握り締めながらポツリと呟いく。
「せめて、ホシノ先輩がいてくれたら……」
「────ホシノ」
その名前を出したとき、確かにヒナが反応した。ぴくり、と眉が僅かに動いて鉄仮面を崩すに至ったその名前は、彼女にとって記憶に留めておくべき特別な意味を持っていたから。
「……小鳥遊ホシノ、か」
「はいはい、お呼びかな~」
間延びした声が良く響いた。