シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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貴方を待っていた

 

 戦闘も終了し混乱していた事態も収束する兆しを見せてきた頃、先生の端末に一件の着信があった。先生の端末に登録してあるアドレスは現状一つしかない為確認するまでもない。当然、別働隊を呼びに行き、独自で動いていたリンである。

 

 画面をタップし、回線を繋いだ。端末からホログラムが投射され、彼女の姿が空間上に展開される。そして数回視線を左右に動かし、状況を把握した彼女は口を開いた。

 

『先生、お疲れ様でした。どうやら掃討も終わったようですね』

「ありがとう。でも、彼女達が頑張ってくれたおかげだよ。現状、他の勢力は見当たらないよ。リン達側では何か反応をキャッチできた?」

『いえ、こちらでも特には見つかっていません。シャーレ奪還完了、と考えて良いでしょう。私もすぐに向かいます。先生は先にシャーレの中、地下スペースへ向かってください……詳しい話はそちらで落ち合ってからにしましょう』

 

 プツリ、と通信が切れる。リンが何処にいるかは分からないが、恐らく30分程度で到着するであろうと当たりを付けて端末をしまう。

 

「では、私はシャーレの中へ行くよ。4人は地上で見張りの方をお願いしたいけど……頼めるかな?」

「それは構いませんが……その、宜しいのですか? 先程の戦闘ではワカモが見つかりませんでした。既にここから離脱している可能性も考えられますが、シャーレの部室にいた場合は……」

「うん。彼女が害意を以て私に銃口を向けた場合は間違いなく死ぬよ」

 

 先生はその可能性を、自分が死ぬ可能性を何でもないことのように言い切った。

 

「では何故──────!」

「少し確かめたい事もあってね……あぁ、大丈夫だよ。君達が想定している事はきっと起きないさ。それに、危なくなったらちゃんと呼ばせてもらうよ」

 

 先生に武装はない。過去のループにて、アリウススクワッドの4人に叩き込まれたCQCやシラット等の格闘術は行使できるが、その武力を生徒相手に振るうつもりは毛頭ない。元より神秘を全く持たない己では擦り傷一つ負わせる事もできないだろう。

 

 故に先生は本当の意味で、丸腰で敵が逃げた可能性がある場所に行こうとしているのだ。そして、先生はそれが可能性ではなく確定であることも分かっている。

 

「危険すぎますッ! せめて護衛を1人……!」

 

 先生の身を案じたチナツが叫ぶ。その言い分は尤もであり、単に自分の命が可愛いならその申し出に喜んで縋るべきなのだろう。その上、先生はこれが最後なのだ。失敗も敗北も死も許されない。慎重になり過ぎたほうがよい。

 

 だけど。

 

「シャーレはこれから多数の生徒が集う場所になる。ミレニアムもゲヘナもトリニティも問わず、学校やコミュニティという枠を超えてね。ある意味、キヴォトスの縮尺版になるんだ。そんな場所で、私は『自分の立場と異なる者だから』という理由で生徒を排除したくない」

 

 それは意思だった。それは誇りだった。世界に那由多の果てまで殺され、何度も滅びに打ちのめされた先生がたった一つ守り続けたプライド。

 

 ──────何があろうと、自分は生徒に銃を向けない。

 

 偽善だと嗤うだろう。ペテン師だと嘲るだろう。自分の手を直接汚さずとも、先生の意思で誰かを傷つけた事は沢山あるのだ。今回の戦闘だってそうで、先生の意思に従いユウカ達は不良達に銃を向けた。それなのに何を今更と彼自身ですら思ってしまうが──────それでも。

 

「私達には言葉がある。思いを、意思を伝えるツールがある。君達が銃を武器とするように、私はこれを使うんだ。勿論傷つける道具ではなく、ね。誰かの心を聞きに来たのに、手元に人を傷つける道具があったら意味ないだろう? ワカモが居たとしても私は言葉を尽くしてみるよ。駄目だったらまた考えるさ。逃げてみるのも良いかもしれないね。そして時間をおいて、また顔を合わせて、何度も語りかけてみるよ」

 

 彼女達は、今しがた倒した子達は敵ではなく愛すべき生徒なのだ。ワカモだって、愛すべき生徒の一人に変わりはない。

 そんな風に、何処までも先生と生徒としての関係性を大切に。そして、お互いたった一つの命として対等に。

 生徒達のあらゆる想いを、立場を、心を許してあげる存在こそが『先生』なのだと……そう説いた。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

 

 ▼

 

 

「……連邦捜査部、シャーレ」

 

 ワカモはシャーレの地下にいた。無人の其処には執務用の机や椅子といった備品の山が形成されている。

 その中で、一際目立つ異形の機械。用途も使用法も見当が付かない巨大な構造物……正式名称、クラフトチェンバー。連邦生徒会の切り札の一つをじっと彼女は眺めていた。まるで主人を待ち続けているような空間はワカモの思いと孤独を包み込んで、優しく溶かしていた。

 

 近くにあった一際大きい机に、ワカモはそっと手を置く。撫でるように、慈しむように。新品で汚れがない純白のソレに、積み重ねた想いをのせるように。

 

 目を閉じると鮮明に浮かび上がるあの日々。異なる世界、異なる未来……其処で過ごした甘く溶けるような陽だまり達。物心付いた時から覚えていた記憶であり、実体験。パラレルの世界での出来事をワカモは全て持っていたのだ。

 

 その記憶の中で、一際輝く人こそが連邦捜査部シャーレの先生だった。彼と過ごした全ての時間がワカモにとっては何よりも大切な宝物。

 彼が名前を呼んだら胸が弾んで。彼に触れると体温が高くなってしまって。彼と二人でデートした記憶は、思い返す度に1日何も考えられないほど顔が赤くなってしまった。

 

 ──────ワカモ。

 

 彼の言葉たった3文字で、ここまで舞い上がり、満たされてしまう。ワカモは世界を超えても、彼にずっと恋していて、愛していたのだ。

 

 だけど同時に、彼女はこの恋は叶わないと知っていた。あの人は先生だから生徒一人を愛する事も、特別扱いもできない。彼は他の生徒の名前も呼ぶし、髪をそっと撫でるだろう。

 愛した人の唯一になれない事は重々承知していたが、それでもよかった。彼の視界に、心にワカモという彼に焦がれた少女を映せるなら。彼を心から愛せるならば。

 

 でも、彼はいない。死んでしまった。生徒の為に、礎となって。少女の罪も悪も全て持って逝ったのだ。たった一人、孤独に。

 とは言っても、アレは異なる世界の出来事のため、この世界の彼は死んでいないだろう。きっとキヴォトスの外を探し回れば彼を見つける事はできるはずだ。

 

 だが、ワカモはそれをしなかった。

 

 自分が恋した、あの世界での彼が死んだからではない。ワカモは彼の全てに惚れたのだ。故に、彼と出会えば必ず溺れるような初恋をするだろう……何度でも。あの日々の続きを歩めるとなれば、それはこの世のどんな甘露よりも甘い誘いだが……その選択は、彼がキヴォトスに関わる事を指す。

 

 キヴォトスに関わってしまった所為で彼の人生が歪んでしまった事を知るワカモは、それを受け入れられなかった。

 

 本当に優しい彼のことだ。彼はきっとどんなに擦り切れても、生徒を諦める事をしない。故に何度でも同じ選択をして、同じように生徒の為に死ぬだろう。

 

 それは駄目だと、ワカモの心が叫んだ。それだけは否定しなければならない。愛する人の死を、彼女は認めることなど出来なかった。

 

 草木や花を愛でる彼を知っている。料理をする彼を知っている。寝坊をする彼を知っている。生徒を心から愛し信頼する彼を知っている。

 本当に、何気ない日常の一片。其処で垣間見える純朴な等身大の青年こそが、先生だとワカモは分かってしまった。

 

 そう────彼の本質とは『日常の象徴』なのだ。

 何気ない一言で相手を癒し、戦いから遠く離れたところで帰りを待ち……戦う者は日常での彼の笑顔や何気ない一言を糧として帰るために奮起する。

 そして非日常の牙が向いたとき、命を懸けてその牙から守り抜くと皆に決意させる。

 そんな戦いとは全く無縁な普通の青年が、先生と呼ばれた彼の本来の在り方だったのだ。

 

 だから硝煙弾雨飛び交うこの箱庭に来なくても、それでよかったのだ。彼がこの世界で幸せになって、陽だまりで笑ってくれるなら。

 

 そうやって、見知った見知らぬ彼の平穏と生存、幸福を祈っていたワカモに『シャーレの先生赴任』という報告と、ある依頼が届いたのだ。

 

 業腹だが、彼女はその依頼を受けた。シャーレを傷つける事はしたくなかったが、それでも────彼女にとって『先生』は、あの世界で微笑んで、愛を込めて名前を呼んでくれた彼一人なのだ。もし仮に、それ以外の俗物が赴任する位なら、いっそ自分の手で……そう思った。

 

 そしてシャーレの部室前で、連邦生徒会の軍勢を待ち伏せていて……あの場所に、彼は来た。あの日々と寸分違わぬ姿と声と心で。

 自分が先生と呼んでいた彼を見た時、正しく運命に射止められた気がしたのだ。

 

 ──────えぇ、分かっていましたわ。貴方様がそういう方である事は、とても良く。

 

 ワカモは彼に銃を向けられる訳もなく、そのまま全部を丸投げして……そうして、此処で大切な人を待っている。

 

「…………」

 

 彼女の耳がピクリと反応する。コツ、コツと靴底がリノリウムを叩く音が聞こえたのだ。早くもない、遅くもない、普通の歩きのペースで、一定間隔で。まるで自室に行くような軽い足取りで。無音のシャーレによく反響する音は徐々にワカモへ近づき……そして、止まった。

 

 ワカモは優雅に後ろを振り返る。視界に飛び込んで来たのは、連邦生徒会の白と対を成すような黒の青年だった。スラックスも、ジャケットも、ネクタイも、シャツも、靴下や革靴まで全て黒で統一された丸腰の男。記憶と同じ姿。連邦生徒会の制服以外では、彼はこの黒に塗り潰されたような服を着ていたのだ……尤も、記憶の中では更にその上から連邦生徒会の刺繍とシャーレの腕章が施された白いコートを着ていたのだが……きっと、キヴォトスに訪れたばかりのため無いのだろう。

 

 その青年は透徹した眼差しと、春の陽のような口調で彼女の名前を呼んだ。

 

「ワカモ」

「はい、狐坂ワカモですわ」

 

 ──────あぁ、とても狡い方。名前を呼ぶだけで、こんなにも多幸感で満たされてしまうなんて。

 

「シャーレの先生、貴方は何故、お一人で此方に来られたのですか? 護衛もつけず、何も持たず……危険だと思わなかったんですの?」

「シャーレで争いたくないからね。危険なのは分かっているよ。だけど、これは私のささやかなプライドさ……私は生徒達に銃を向けたくない」

 

 そう言って真っ直ぐワカモを見る瞳には……愛と優しさに溢れていて。

 

「……貴方様は、やはりお変わりないのですね」

 

 その言葉に、先生の目が見開かれた。彼の口から声になり損ねた吐息が漏れるが、ワカモはそれに気づかぬまま。

 

「いえ、お忘れくださいな。私の世迷言です。ですが……私の大切な方と、余りにもお姿と心が似ていたもので」

 

 彼女はぽつりぽつりと語る。言霊に込められた感情は──────世界を焼くほどの後悔と悲しみ。

 

「その方はとても残酷な運命をお持ちでしたが、決して諦めなかったのです。私達の手を決して離さず、最期まで側に居てくださいました。でも、あの方は本質的な所でずっと孤独だったのです。あの方にとって、私達は守るべき存在ではあっても……痛みを分かち合う存在ではありませんでした。一人ぼっちで、思い出を抱いて歩き続けて……。

 あの方はこれまでに抱え込んだもの全てを飲み干してしまいました。孤独も、怒りも、哀しみも、愛も、痛みも。その残滓が夜毎に涙になっていたのです。私達の前で泣くことはなくても、分かってしまいました。私の送った、『貴方様は正しい』という言葉が呪いになっていないか……本当に、心配なのです」

 

 そう言って、悲しそうに目を伏せる少女に────先生は奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばった。拳も硬く握りすぎて皮膚が破れそうだが……それが気にならないほど、自分に対する怒りで一杯だった。

 

 ──────私は愛する生徒にこんな顔をさせない為に走ってきたのに。

 

 本来ならば記憶を持っている事は誰にも言わないつもりだった。だけど、目の前で悲しんでいる少女を助けられなくて何が先生か。涙をそっと拭えなくて何が大人か。故に、彼は──────。

 

「君は私にとっていつまでも大切な光だよ、ワカモ。君がいてくれたから、君が私を支えてくれたから……私は何度だって、立ち上がれたんだ」

 

 君にそんな顔は似合わない、と精一杯の笑顔と強がりでワカモに感謝を送った。君の言葉は呪いではない、祝福なのだと。だから君は悲しまないでくれ。君が送ってくれたおかげで、今こうやって立てているのだと。だから、その花の様な笑顔を見せてほしい──────。

 

「──────ぁ」

 

 ぽた、と雫が一つ。狐のお面で隠されたその瞳の奥から涙が零れた。ただの感謝、ただの言葉。それを、他ならぬ彼が言ってくれた。全てを覚えていた彼が、世界でたった一人のワカモに綴った──────それだけで、彼女は救われたのだ。

 

「ありがとう、ワカモ。ずっと一緒に戦ってくれて。私を守ってくれて。君には何度も助けられたよ。海に行くって約束、破ってごめんね……だから今度一緒に行こう」

「はい……! はい……!」

 

 先生はワカモの方へ歩いて行き、そっと腰に手を回す。彼女の体に先生の体が重なり、体温と心臓の音が溶け合っていく。互いの胸に伝わる鼓動は命の証。例え打ちのめされて、何度も殺されても──────その果てに喜びがあるという証明。

 

 彼は彼女の顔を見て……そして、そっと微笑んだ。

 

「お面、退けていいかな? 折角の再会なんだ、君の綺麗な顔が見たいな」

「本当に狡いお方……そんな風に頼まれたら断れませんわ」

 

 先生は硝子細工を扱う様にそっとワカモの狐を模したお面を横にずらす。目尻に雫を溜めた、妖しく輝く金眼が先生を射抜いた。何度も見てきた彼女の素顔だが、本当に目が覚めるような美人だなと思っていたら……ワカモが視線を外した。

 

「あ、貴方様……その様に情熱的に見つめられると……その……」

「あぁ、ごめんね、恥ずかしい思いをさせちゃって」

「いえ、貴方様に見つめられるのはとても幸せでしたわ」

 

 少し赤くなった顔と早まった鼓動を隠す様に、ワカモは先生の胸に顔を埋めた。安心するホワイトリリーの香りと少し低めの温度、狐の耳には彼の吐息が当たって少し擽ったい。ぎゅっと強く抱きしめると、同じ様に抱き締め返してくれて……何から何まで、全部見知った彼のまま。

 

 今度こそ守り抜こう。この優しい彼が二度と苦しまない様に、笑える様に。彼の命と幸せと平穏を脅かす全てを踏み潰そう。彼を世界に奪われない様に──────今度こそ。

 

 ──────全ては、愛する貴方様のために。

 

 

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