シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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貴方の守り方

 

 D.U.シラトリ区の一角にある総合病院。救急医学部の車両によって其処に運び込まれた彼は、病院に着くや否や血相を変えた医師達によって集中治療室(ICU)に運び込まれた。やはり相当に悪い状態であったのだろう。生命維持装置を始めとする様々な機械とケーブルを取り付けられ、担架に乗せられて厳重な設備が施されている部屋に運ばれていく彼を見送ったワカモとアビドス、便利屋の面々は全員が沈痛な面持ちをしていた。

 

 清潔感のある白色で統一された部屋。そこに並ぶ無機質なミントグリーンの椅子達。部屋の隅には観葉植物が供えられ、壁に埋め込まれたテレビは誰も聞いていない音声を垂れ流している。

 

 誰もが彼の無事を祈って待っていると、不意にドアが開いた。現れたのは彼を担当した医師の1人。

 

「先生はッ!」

「峠は越えました。意識はまだ戻っていませんが、数日経てば目を覚ますでしょう」

 

 緑の手術衣を身に着けたアンドロイドはアイラインを何度か点滅させながら、言葉を紡ぐ。

 

「微細な出血は全てパッチで止めました。右腕の挫創は縫合しました。右足、左上腕骨骨幹部、左鎖骨、肋骨の骨折も処置しました。損傷した内臓に関してもです。その他、壊死寸前の箇所や凍傷箇所の治療もある程度は終え、後はナノマシンの働きと自然治癒に任せるしかありません」

 

 医師の口から語られる、先生の傷の数々。そのどれもが、柔い彼の体が負うには余りにも重かった。彼の痛みを思うと胸が張り裂けそうなほど苦しくなる。泣いてしまいたいほど悲しくなる。

 

「あと少しでも遅かったら、皆さんの応急手当が無かったら、氷室セナさんの車内処置がなければ……彼は帰らぬ人になっていたでしょう」

「……ッ!」

 

 その道のプロから告げられた一言。それは余りにも重く、彼女達の肩に圧し掛かった。彼の喪失は決して絵空事ではなかったのだ。本当に……本当に些細なボタンの掛け違いで、彼はその命を散らしていたかもしれない。そう考えるだけで吐きそうになってしまう。

 

「今は容体も安定しています。まだ油断はできませんが……恐らく、命に別状はありません」

「……そうですか、ありがとうございます」

 

 そう言って、深々と頭を下げようとするワカモであったが────医師の「ですが」の一言に遮られる。

 

「左腹部の刺傷、これだけはどうにもできませんでした」

「どうにも、とは」

「傷は塞がっています。ですが……あぁ、実際に患部を見て頂いた方が早いですね」

 

 そう言い残し、手術室の奥へと入っていく医師。それを訝し気な目で見送る彼女達であったが、その内心は先程の不穏な一言……「どうにもできなかった」がこびり付いて離れない。跳ねる心臓の鼓動と、背中に感じる冷や汗。嫌な想像が頭を過って仕方がなかった。

 

 ────そうして、どれほどの時間が経ったのだろうか。戻ってきた医師の手にはレントゲン写真大の大きさの紙が握られていた。医師はキャスター付きの長机にその写真を広げ、全員に見えるようにする。

 

 その写真に写っていたのは、先生の上半身だった。沢山のケーブルが取り付けられ、傷だらけの体を晒している彼。見ているだけで痛ましさを感じて目を逸らしてしまいたくなる程であったが、誰一人としてそんな逃避はしなかった。

 彼女達はその視線を、件の左腹部へ持っていき────。

 

「なに、これ」

 

 言葉を、失った。

 

 左腹部。鋭く尖った鉄製の棒が貫通していた場所には、傷跡があった。色濃く残る痛みの痕、これは確かに完治は難しいだろう。きっと、彼の体に残留し続ける古傷になる。だが、それよりも目を引くのは。

 

「────痣……?」

 

 茫然とした様子で呟くカヨコ。目の前の写真を食い入るように見ながら、思考する。

 

 それは傷跡を囲んでいる植物のツタのような何かだった。そのツタには棘の様なものが生えており、迂闊に触れると痛みそうな造形をしている。

 

 まるで痣のように彼の体に焼き付いている円環を描く植物。恐らく、タトゥーや刺青ではないだろう。もし仮にそうであれば、医師はここまで深刻な顔をしないはずだ。それにカヨコ達が処置したときにこんなものはなかった。故に、それ以降に焼き付いたものなのだろうが……如何せん、情報が少なすぎる。

 

 彼が天使に攻撃を受けたのは2回。1回目は超重力による建物圧壊に巻き込まれ、2回目は手刀を振り下ろされた。

 この傷跡は1回目で負ったはずだ。特に深い傷だったからよく覚えている。彼が天使と呼称した何か、それが生んだ超重力によって圧壊した建物が作り出した天然の凶器によって作られた刺傷。それを取り囲むような、件の痣。関連していない方が不思議だ。遅効性の敵の攻撃だろうか。

 

 しかし────カヨコの直感が違うと囁いている。

 

 丁度傷跡を囲むように焼き付いていることから、無関係でないのは事実だろう。だが、あの攻撃が直接の原因ではないのかもしれない。もっと他の、何か……深い場所に原因がある気がしてならない。

 

「現状これが何なのかは不明です。スキャン等も全て試しましたが実りある結果は得られませんでした。害があるもの、という訳ではないようですが……少々不気味です。我々でも経過観察をしますが、恐らく解明はできないでしょう」

 

 苦い表情をディスプレイに映し、首を振る医師。それを見て、皆もまた同様に表情を暗くする。

 

 深い傷跡を囲むようにできた、植物のツタの様な痣。どう考えても彼にとって良い方向に働くものではないだろう。より一層、彼の言動に注意を払わなければならない。今後はこんな無茶をさせて堪るものか。

 

 それに、彼に対して言いたいことが山のように増えた。取り敢えず意識が戻ったら病室で全員で説教だ。絶対に逃がさない。自らの行いを心から反省するまで決して許さない。

 

 だが、それよりも先ずは先生の無事を喜ぼう。彼が生きていてくれて、本当に良かった。

 

「それで、面会は可能ですか?」

「最低でも1週間は面会謝絶です。大勢の方が面会にいらして、体力を消耗してはいけませんから」

 

 まぁ、当然だろう。絶対に面会を断れないであろう彼に代わって、病院側で拒否してくれたと考えればありがたいとすら思った。最優先なのは一刻も早い彼の快復。それの障害になるであろう要素を可能な限り取り除くのは当然であろう。

 

 一通り必要な事を話し終えたのか、医師は腰を折って「では、失礼します」と言って退室した。それを見送り、ドアが完全に閉じられたことを確認した彼女達は────皆、一様に脱力した。

 

 張り詰めていた緊張の糸が解けて、どっと疲れが押し寄せてくる。今日は色々と濃かった。まるで1ヶ月の出来事を無理矢理1日に圧縮したような、そんな気がしてならない。

 

「……取り敢えず、先生が生きていてよかった」

「えぇ、そうね……本当に、今日だけで5年くらい寿命が縮んだわ……でも、何であんなになるまで我慢してたのよ……」

「誰かに心配させたくなかったんだと思うよ。全く、少しは自分を顧みてよ……」

「そうだね、先生はそういう人だもん」

 

 アルの疑問に、それぞれカヨコとムツキが答える。彼の人柄はある程度分かった。彼は致命的なまでのお人好し。自分よりも他人を優先する困った人であり、生徒を心の底から大切に思っている。だから余計な心配をさせたくなかったのだろう。ワカモを残して全員を帰そうとしたのもその性質の表れだ。本当の限界……気合とか精神論で抑えられないラインまで我慢し、如何にも大丈夫であるかのように振る舞う。彼がやりそうなことだ。彼が好みそうな手段だ。全く、心配すらさせてくれないなんて馬鹿げている。

 

 だが、彼女達が一番怒っているのは他ならぬ彼女自身だ。彼の状態に、彼の限界に気付かずにずっと無理をさせていた。誰よりも傷ついていたのにも関わらず。

 

 ギリ、とムツキは奥歯を嚙み砕かんばかりに喰いしばる。柴関が倒壊した時の記憶、霞む意識でも鮮明に覚えている彼に抱きしめられた感触。自分が受ける筈だった傷を彼が肩代わりしたのだ。何故、と聞いても彼は『生徒を守るのに理由なんて要らないよ』といつものように笑って言うだろう。彼はそういう人だから。

 

 彼に守られた(ムツキ)は、彼を守ることができなかった。その事実が本当に苦しくて。

 

 険悪な空気になりつつある待合室。肌を刺すような鋭さを伴っている空気の中、セリカの「そういえば」と声が響いた。

 

「大将もここに入院するのよね?」

「多分そうなると思うよ~」

 

 セリカの疑問に、ホシノが間延びした声で答える。

 到着した救急医学部の車両は先生の為に風紀委員が用意したものであるが、彼と一緒に大将も乗せたのだ。そのまま一緒にこの病院に運び込まれ、片やICU、片や外来に通されてそれぞれ適切な処置を受けていた。幸いにも大きな怪我はなかったようだが、建物の倒壊に巻き込まれたという事もあり念のため精密検査を受け、入院するようだ。

 

 ヘイローを持たないとはいえ、流石キヴォトスに住まう人と云うべきだろう。アロナの物理障壁があった事、標的となった先生から離れていた事などの要因はあるが、それを踏まえた上でも重傷を負っていても不思議ではない攻撃だった。

 

「先生は面会できませんし、一度お顔を見に行ってみましょうか?」

「そうね。一応避難はしてもらっていたけど、心配だし……」

「あ、あの……私なんかが、い、行ってもいいのでしょうか……」

「良いに決まってるわよ! 大勢いた方が大将も喜ぶわ!」

 

 席を立ち、大将の病室へと移動を始めるアビドスと便利屋の少女達。一斉に押しかけると迷惑だろう、と判断したカヨコとアヤネがグループ分けを行っているのを尻目に……ワカモは彼女達とは正反対の方向へ歩を進めた。

 

「……貴方は行かないんだね」

「えぇ。あの方以外は全て些事ですから」

 

 それに気づいたホシノがワカモを呼び止めるが、ワカモは振り返る事すらせずに答える。

 先生の多くを知る彼女、先生の愛を知る彼女。彼が生死の境目を彷徨ったあの時、彼女の内心は如何ほどだったのか。きっと、身を焦がすような怒りと憎しみと悲しみで一杯だっただろう。彼女は真実、彼を愛している。愛する誰かを失いかけたとなれば────その心は筆舌に尽くし難い程、乱れていたはずだ。

 

 それなのに、彼女は自分のやるべきことを果たそうとしている。その在り方はホシノにとって余りにも眩しすぎた。

 

「……強いね、貴方は」

「あの方の安息すら守れない私が……強い訳がありません」

 

 暗い、暗い声音。有り余る悲しみを伴った、自責の音階。それは強く、ホシノの耳を打った。

 

「もう、二度と失わないと決めたはず……でしたのに……」

「二度と……?」

 

 訝しむようなホシノの声。だが、それについて深く考えるよりも先にワカモが振り返った。先の戦闘で破壊された狐の面は外されており、泣き腫らした赤い瞳が真っ直ぐとホシノを射貫いた。

 

「大事だと思う事は、誰にでもできます。私達はその先────どうすれば守れるのかを考えなければなりません」

「────」

「大切な何かが掌から零れ落ちた時、誰よりも悲しみ責めるのは……他ならぬ、私達自身なのですから」

 

 そう告げて、ワカモはこの場から立ち去った。ホシノに対する忠告と、ワカモ自身の自責と自罰。

 

 余りにも重い言の葉に押し潰されそうになりながら、ホシノは小さな掌をぎゅっと握り締める。

 

 ────言われなくても、分かっている。そんな事、分かっているのだ。彼を大切に思っている事や、失いたくない事も。

 

 此処に至るまで、多くを手放した。多くを取りこぼした。その果てに残った細やかな、だが確かな幸せと居場所。そして、自身の全てを受け入れ肯定してくれた彼。守りたい。手放したくない。ずっと掴んでいたい。

 

 でも、この手は何かを守るにも、掴むにも小さすぎて。

 

「ホシノ先輩……」

 

 無力感に打ちひしがれる小さな少女を見て、ノノミは目を伏せた。

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