シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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不和

 天使を撃退し、先生が入院することになってから明けて、翌日の朝。吹き抜ける春風は初夏の香を感じさせる青さと清涼感に満ちている。D.U.の何処か、或いは百鬼夜行に赴けば散る間際の美しい桜が拝めるだろう。

 

 春の陽気と夏の訪れを感じさせる麗らかな朝日が照らすアビドス高校の校門前には箒を片手に砂を払うノノミの姿があった。アビドス高校を含むこの自治区は砂嵐と切っても切れない関係にある。不規則に襲い掛かる砂嵐は、放置しておくと一瞬で道を砂の中に沈めてしまうため定期的な清掃が欠かせないのだ。

 

 それに、この道は皆が登校する際に通る場所だ。通学路まで砂に埋もれていては気分も滅入ってしまう。今日のような日は、余計に。

 

「……先生」

 

 ────どうしたんだい、ノノミ。

 

 いつもなら聞こえるはずの声は聞こえない。白のコートを纏う彼は何処にもない。優しい声で名前を呼んでくれる彼は、天使の羽が落ちたような笑みを浮べる彼はいない。一緒に居た期間は1ヶ月にも満たない筈なのに喪失感が酷い。心にぽっかりと穴が開いたような寂しさ。思った以上に彼を必要としていたんだ、とまるで他人事のように思ってしまう。

 

 1日経った今でも先生は目を覚ましていない。その事実が両肩に重く圧し掛かる。もし彼がこのまま目を覚まさなければ、もし容体が急に悪化すれば。暗い想像ばかりが頭に浮かんでは消えて、ノノミの思考を雑念で埋め尽くす。

 

 気分転換で始めたはずの掃除も全く手に付かない。先ほどからずっと同じ場所を箒が往復している。風に巻き上げられた砂がスニーカーに入っても気にならない位には、彼女は上の空だった。

 

 昨日見た最後の彼は、饒舌に尽くし難いほど痛々しい姿をしていた。

 全身を埋め尽くす切創、擦過傷、刺創、内出血。拭い取れない血の香と死相。点在する重傷。体の各部位に繋がれた多数のケーブルとその先の機械。

 

 弾丸を『痛い』で済ませる民が住まうキヴォトスでは、まず見ないレベルの処置。その光景が脳裏に焼き付いて離れない。

 

 そんなノノミの嫌な想像を搔き消すように自転車のブレーキ音が鳴り響いた。俯いていた顔を上げた彼女の視界の片隅に水色と黒のロードバイクと其れに跨る銀色の少女が映る。シロコが登校したのだ。

 

 ノノミは暗い顔色を努めて明るくし、自転車を手で押すシロコを出迎える。

 

「シロコちゃん、今日はいつもより早いですね。おはようございます」

「うん……おはよう、ノノミ」

 

 ノノミの朗らかな挨拶に頷き、返すシロコの表情は思案顔であった。彼女にしては珍しい顔だな、とノノミが思っていると。

 

「ノノミ、ホシノ先輩が今何処にいるか分かる?」

「ホシノ先輩ですか?」

 

 ノノミがそう聞き返すと、シロコは頷いた。何か用事があるのだろうか、と彼女は思いながらこの時間帯におけるホシノの行動パターンを思い浮かべながら、最も可能性が高い予想を口にする。

 

「多分、学校の何処かの教室でお昼寝してると思いますよ」

「そっか、ありがとう。じゃあ、先行ってるね」

「……?」

 

 短く言い残し、自転車と共に校門を潜っていくシロコ。その後ろ姿を見ながらノノミは疑問符を浮べる。足早に立ち去る彼女はどこか焦りが見えたのだ。そして、不安も。だが、それよりも目を引くのは怒りの感情だった。

 

 聞かれたホシノの所在、シロコの怒り。間違いなく何かが起きる。ノノミの直感が囁いていた。

 

「ついていく、べきでしょうか……」

 

 次第に小さくなるシロコの背中を見送るノノミ。彼女の呟く声は砂塵に吹かれて空を舞った。

 

 

 ▼

 

 

 机と椅子が倒れる喧しい音が、静寂を切り裂く様に教室の中で響いた。

 

 アビドス別館。本館の奥、隠すように建てられた小規模の建築。この場所も教室を複数保有する校舎であるが生徒数の減少に伴い使用する機会が減り、いつの間にか使わない机や椅子、道具や機材を保管する倉庫になっていた。

 街の喧騒からも離れ、生徒が使用する本館からも切り離されているためホシノはこの場所をお昼寝用のスポットとして使用している。或いは、皆に明かせないようなやり取り……大っ嫌いな大人と連絡を取る秘密の場所としても。

 

 そんな場所で、シロコとホシノは対峙している。片や怒り、片や何時もの表情を取り繕って。

 

「いたた……酷いな~、もう……おじさんはシロコちゃんをそんな子に育てた覚えはないのにな~」

「……いい加減にして。いつまでシラを切るつもり?」

 

 ホシノは先程の倒壊で出来た机と椅子の山に座り込みながら、冷たい表情で見下ろしているシロコに視線を送る。仲間を心から大切にしているシロコが、彼女にとって最初の恩人であるホシノを突き飛ばしたのだ。異常事態、と言う他ないだろう。だが、ホシノは彼女の怒りに心当たりがある。故に、口では兎や角言いつつも彼女の行動を内心では責めていなかった。

 

 何せアビドス対策委員会に対する明確な裏切りだ。5人の友情に泥を塗る下劣な行為だ。寧ろこの程度で済んで温情と言う他ないだろう。

 そう思い、ホシノは自嘲する。こんな事をしても誰も喜ばないなんて、ずっと前から知っていたのに。

 

 ────先生なら、この複雑に絡まった糸も心も解いてくれるのかな。

 

 なんて、思う。甘え過ぎだろう。浅ましいにもほどがある。傷だらけで歩む彼に、これ以上の重荷を増やさないって決めた筈なのに。

 

「うへ~、何の事言ってるのか、おじさんはよく分かんないな~」

「……嘘、吐かないで。ホシノ先輩は知ってるでしょ」

 

 何かを堪えるような声音で呟くシロコ。真っ直ぐとホシノを射貫く彼女の視線は虚偽を許さない。必ずホシノが口を割るまでは諦めないだろう。

 

「嘘じゃないって~」

 

 だが、ホシノは正直に話すつもりはなかった。のらりくらりとシロコの追及を躱し、その真実と胸の奥の本心は誰にも明かさないつもりであった。そんなホシノに対して次第に苛立ちを隠せなかったシロコは、座り込んでいるホシノの胸倉を掴もうと手を伸ばそうとして────不意に、教室のドアが勢い良く開け放たれた。

 

「ホシノ先輩! シロコちゃん! 一体どうしたんですかッ!?」

 

 肩で息をしながら教室の中に入って来たのは、先刻シロコが校門で出会ったノノミ。恐らく心配になって追いかけてきたのだろうとシロコは当たりを付ける。それに、先ほど机と椅子の山を倒壊させたのだ。この校舎は木造のため遮音性が低い。大きな音はさぞ良く響いただろう。

 

 ノノミは教室の中を見渡す。目に飛び込んできたのは崩れた机と椅子の山に座り込んでいるホシノであり、彼女はノノミを見てへにゃっとした笑みを浮べる。対するシロコはノノミと視線を合わせずに、何処か気まずそうな表情のまま瞳を逸らした。

 

「シロコちゃん、どうして……」

「ノノミ……」

 

 シロコがホシノに対して強い怒りを抱いた結果の行動。それがこれだと悟ったノノミは窘めるような、或いは非難するような表情で狼耳の少女を見つめる。

 シロコが理由もなくこのような暴挙をするとは彼女も思っていない。だが、それでも────仲間に暴力を振るうのは駄目だろう。

 

 シロコもその辺りの自覚はあるのか、ノノミが来てからはずっと居心地が悪そうにしている。唇を噛み、俯いて────だが、その迷いも即座に終わる。彼女は何かを決意したような瞳でノノミを射貫いた。

 

「ホシノ先輩に用事があるの。ノノミには悪いけど────2人きりにして」

 

 決して覆せない意志が籠った眼差し。確かに自身の行動は悪かった、反省している……だが、それよりも優先すべき『何か』があるのだとシロコの視線は訴えていた。その強い我に呑気に机を背もたれ代わりに座り込んでいるホシノは苦笑いを浮かべる。本当に強い子だと、若干の羨望を込めて。

 

 そんな2人をノノミは厳しい表情のまま交互に見比べる。そして────。

 

「うーん、駄目です☆」

「えっ……」

 

 いつも通りの笑みを浮べて告げる。

 

「私達対策委員会に、『2人だけの秘密』みたいなものは許されません。なんたって運命共同体ですから!」

「……でも」

「ですから、きちんと状況も説明してくれない悪い子には────」

 

 そう言って、ノノミは右手で銃の形を象りシロコの胸元に付きつける。

 

「お仕置き☆ しちゃいますよ?」

「う、うーん……」

 

 シロコは戸惑いの表情を浮かべる。予想外、と言えば予想外なのだが……ノノミが飛び込んで来た時点でこうなる事は彼女も薄々分かっていた。口では物騒なことを言っているが、その全てが2人の為であることはシロコも理解している。優しいノノミはこれ以上、2人が衝突する場面なんて見たくないのだ。

 

 ノノミの善性と好意を前に、シロコは先程までの勢いを無くす。固められた決意には迷いの色が差し込み、どうするべきか────と思考を回し始めたとき、不意にホシノが声を上げた。

 

「えっとねぇ、実はおじさんがこっそりお昼寝していたのがバレちゃったんだよね~」

 

 そう言い、立ち上がりながら頭を掻く。その顔は張り付けられたような、緩んだいつも通りの表情。スカートやシャツに付着した埃と砂を手で払う動作は自然体そのもの。先ほどまでの険悪な空気が嘘だったかのように振る舞うホシノは、はっきり言って────異常であった。

 

「私がのんびり屋で怠け癖があるのは今に始まった事じゃないけど……ほら、私は先生のピンチに間に合わなかったじゃん? 全部終わりかけていた時になって漸く来て、さ……だから、その事でシロコちゃんにお叱りを受けてたってワケ。おじさんも最近はちょっと怠けて寝すぎたかもって反省中なんだ。だから、ね?」

 

 何処か申し訳なさそうにホシノはそう言う。真新しい癒えぬ傷口を自ら切開するような糾弾の言の葉は、柔いホシノの心に容赦なく突き刺さった。これは紛れもないホシノの本心だ。だが、これはシロコとの衝突の原因ではない。

 

 曰く、嘘の中に真実を混ぜるとバレにくい。そう思い至ったホシノの、咄嗟の転換。そして最後にシロコに向けてアイコンタクト。『話、合わせてね』と。

 

 ホシノの視線と意図を受け取ったシロコは一瞬苦虫を嚙み潰したような顔をした後、何処か申し訳なさそうな顔をしながら呟いた。

 

「……ん、ごめん。少し気が立ってた。ホシノ先輩に当たっても、どうにもならないのに……」

「ま、誰しもそんな時はあるよね。おじさんもそういう経験あるある。ま、私は気にしないよ~? 可愛い後輩の不満を受け止めるのも、先輩のお仕事だからね」

 

 ホシノはシロコとノノミを通り過ぎ、出入り口のドアの方へ向かう。そして、教室と廊下の境界線で振り返って。

 

「ほら、そろそろ集まる時間だから、行こっか」

 

 それだけ言い残し、足早に別館から立ち去るホシノ。そんな彼女を追う様に、倒してしまった椅子や机を綺麗に片づけたシロコも去ってしまい────ノノミだけが残された。

 

「────ホシノ先輩、シロコちゃん……」

 

 2人のやりとり、一瞬で交わされた誓約。彼女達は何かを隠したのだ。ノノミに、他の誰かに知られたくない秘密を。

 確かに、人は誰だって知られたくない事の1つや2つはあるだろう。何でもない事から重大な事まで、秘密の数や種類は人によって千差万別だ。だが────シロコが思わず手を上げてしまうような秘密なんて皆目見当がつかない。

 

 いずれ中天に座す太陽を眺めて、ノノミは思う。どうか何も起きませんように、と。

 

 だが────ノノミは近い内に致命的な何かが起こると、嫌な予感がして仕方がなかった。

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