シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 感想評価お気に入り登録誤字報告を主食に生きています。


残照、暁を呑む

 

 生きている体には代謝が付き物だ。一定のサイクルで体を生まれ変わらせる行為、細胞の入れ替え。段々と古いもの、役目を終えたものが破棄されて新しいものに切り替わる。尤も、心筋細胞等の筋肉細胞や神経細胞といったものは入れ替わりのスパンがとても長い。人生の終焉を迎える時ですら、心筋細胞は半分しか入れ替わっておらず、半分は生まれた時の細胞のままで終わる。

 

 だが、それでも、全身が生まれた時と同じ細胞を保ったままの生き物は存在しない。必ず代謝によって体を生まれ変わらせなければならない。生まれたときの体を手放さなければ、違う体にならないと命になれない。

 

 そう考えると、生まれたときの自分と今の自分は果たして同じものなのだろうか。仮に同じだとしたら、何処で誰が判断したのか。仮に違うとしたら、何処に差異を感じたのか。言うなればテセウスの船、個の連続性……そのパラドックス。

 

 その観点で考えると、先生という存在は非常に不思議に思える。彼は殺されている。それも、数えるのも億劫になる程に。彼という個体は殺された時点で途切れ、彼の物語はピリオドを打たれる。その筈なのに彼は続いているのだ。

 

 断絶しているのに、連続している矛盾。死んだ自分、生きている自分……それらが混ざり合っているから、彼は明確に他の存在と異なる。文字通り、生きて(死んで)いる世界が違う。生も死も、対立する二項を同時に矛盾なく内包している。

 

 死、と云うのは恐ろしいものだ。暗く、冷たく、辛く、痛く……どこまでも悲しいもの。一度味わったから耐えられるものではない。寧ろ、あらゆる生命が一回しか耐えられないものが死なのだ。それを何度も味わい、耐えて、それでも尚前を向いている彼は異常という他ないだろう。

 

 彼がキヴォトスで疎外感を感じるのも不思議ではない。何せ、彼を象っている全てが、凡ゆるものから外れている『異質』なのだから。

 

 

 ▼

 

 

 息を吸うとその分だけ何か大切なものを手放さなければならない気がしたから、大事なものは何処かに仕舞っておかないといけなかった。

 奪われないように、無くさないように、置いていかないように。呼吸と一緒に、出て行かないように。生きる代償として捨ててしまわないように。

 その代わりに捨ててきたのが自分だった。生きる為に自分の荷物を捨ててきた。他の誰かから受け取ったものを捨てたくなかったから。

 

 別に、その事を後悔しているわけではない。自分の命なんか比べ物にならないくらいに大事なものが多くて、それを守る為なら何だって惜しくない。

 だが、時折考えてしまう。自分はどこにいるのか、という事を。今ここに立っている自分は、本当に自分なのかと。他の誰かで構成される自分は本当に自己を持っているのか────そんな、哲学のような問いを。勿論、答えなんてない。

 

 海底からゆっくりと引き上げられる感覚。目覚めだ。意識の覚醒だ。夢と現、大脳皮質が作り出していた深海から浮上する。

 

 薄らと目を開けると、白が飛び込んできた。まるでカーテンで視界を遮られたような光景は、目に包帯が巻き付いている事の証拠。視覚は正常だ。聴覚も同じく心電図の音が聞こえる為、正常。嗅覚もアルコールの匂いを捉えているから、正常。触覚も同じく。四肢もある。肉の四肢だ。内臓も恐らく大丈夫だろう。

 

 ベッドのリクライニング機能を使って、上体を起き上がらせる。その時、声すら上げられない鋭利な痛みが全身を襲うが、それを呑み込んで意識を覚醒させた。

 

「……はぁ」

 

 そのまま手を突いて、足を使って立ち上がろうとするが……体が動かない。神経がおかしくなったか、それとも……有ると思い込んでいるだけで、実際には欠損しているのか。最低でもそこは確認しておかないと……と、そこで漸く手や足を折っていたという事実を思い出す。

 

 取り敢えず、視界を塞いでいる包帯を外さなければ何も始まらないだろう。彼は左手を動かそうとするが……やはり、上手く動かない。ケーブルの感触だけが鮮明で、それ以外の感覚が皆無だ。だが、右手は動くため、それを自身の顔の方へ持っていき、手探りで包帯を外していく。手先が覚束なくて、最終的には巻かれていた包帯をずり落とす形になってしまったが……視界の確保はできた。

 

 明るい日の光。太陽の位置的に正午を少々回った程度だろう。瞳孔が収縮して必要な光量を確保させて、そこで漸くぼやけていた視界のピントが合った。

 

 先ず、視界に飛び込んできたのは右手。内出血は多いが、目立つ傷は数える程度。次に左手、指先が黒く変色し壊死しかけているが……これは日数を掛ければ完治する。

 

 ────思ったよりも随分軽いが、油断はできない。何処かが軽ければ、その皺寄せのように別の何処かが碌でもない事になっているのだから。

 

 体に掛けられていたブランケットを退け、病衣を肌蹴させると、そこには思った通りの光景が広がっていた。

 

 先ず、左脇腹。刺し貫かれた箇所を囲むような植物の痣。

 

 当然、心当たりはある。共鳴だ。

 

 ────曰く、救世主がゴルゴダの丘で磔刑に処された後、その生死を確かめるべく磔になった彼の脇腹に槍を突きたてたと云う。

 

 この痣はその伝承と重なったが故に現われたのだろう。所謂、類感魔術。類似したもの同士は互いに影響しあうという発想だ。救世主という共通項、刺し貫かれた脇腹……それによって現われた聖痕(スティグマ)、或いは烙印。この植物も茨だ。円環は王冠を表している。荊冠、受難の証。安息などないと改めて突きつけられる。

 

 ────自身を救世主と思った事はないが、ここまで雁字搦めにされてしまうと苦笑が出てしまう。そんなに大層な存在ではないというのに。

 

 兎も角、この烙印は放置で構わない。ただの消えない痣だ。これが原因で死ぬことはない。ただ、生徒達には見せないようにしないと。

 

 そしてそのまま視線を下半身に持っていき────。

 

「……あぁ」

 

 と小さく呟いて、苦笑いを浮かべた。

 

「────アロナ、起きてるかい?」

『先生ッ! 大丈夫ですか!? 異常とか、変な所とか、痛い所とかありませんか!?』

「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」

 

 来客用のテーブルに置いてある白いタブレットに話しかけると一瞬でシステムが起動しホログラムのアロナが現れた。彼女の顔は涙と不安でいっぱいになっていて、どうやらかなり心配をさせてしまった様子。ズキリ、と先生の胸が痛んだ。

 

「……あれから、セナが私を此処に?」

『……はい。倒れた先生をセナさんが治療しながら此処まで……アビドスの皆さんや便利屋の皆さん、ワカモさんも走って此処まで付いてきました』

「そっか。また、迷惑かけちゃったな」

 

 呟き、体の感触を確かめていると────突然、咳込んでしまった。『先生ッ!』と叫ぶアロナを宥める余裕もなく、喘息の発作のような音を繰り返す。血の混じった胃液が手前まで昇ってきて、堪えようにも抗えずにそのままベッドに吐き出した。丸一日以上何も食べてなかった事から、幸いにも吐瀉物はごく少量だったが、胃の不快感は消えてくれない。

 

『先生ッ! すぐにナースコールを────!』

「必要ないよ。吐き出し損ねた血が昇ってきただけで……あぁ、大丈夫さ」

『そういう問題じゃないです……!』

 

 叫ぶアロナを落ち着かせながら頭の中で状況を整理する。先の戦闘から丁度24時間が経過した程度だ。ワカモはアビドスの面々に伝言を伝え終え、彼女自身の仕事に取り掛かってくれているはずだ。

 そして、アビドスの面々は砂漠へ向かっているだろう。ワカモを経由して伝えた真相を確かめる為に。

 

 そうなると、先生も此処で寝ているわけにはいかない。皆の為に動かなければ先生の名折れだ。

 

「アロナ、病院の基幹システムのジャックをお願い」

『……まさか、先生……』

 

 彼の不穏な一言を聞き、アロナの顔色が露骨に悪くなる。病院のシステムの掌握? 何のために? いや、そんな事は分かりきってる。だが、しかし────そんな思案が見え隠れしている彼女に、先生はふわりと微笑んで。

 

「病院の方々には申し訳ないけど、脱出しちゃおうかなーって」

『無茶です先生ッ! 今動かれると体の傷が……!』

「そんな事は承知の上だよ、アロナ」

 

 彼はそう云いながら、手元に持ってきたスマホの通知欄を見て────それから、僅かに頬を緩めた。

 

『先生は頑張りすぎです! 何でも1人で頑張って……もっとアロナ達に────!』

 

 言葉の続きを勢いのまま口に出そうとしたアロナを、先生は「アロナにそう言われるのは嬉しいけど」と言って遮り。

 

「私ひとり、じゃない。皆、頑張ってるんだ。このキヴォトスにいる人達は全員、頑張ってるんだよ。そんな中で、私だけが惰眠を貪るわけにはいかないさ」

『う、うぅぅ……!』

 

 先生の言葉に納得がいかないのか、海を望む青い教室で地団駄を踏みながら愛らしく膨らませるアロナ。言葉でダメなら泣き落としで、と言わんばかりに涙目で先生を見つめる彼女には何としてでも休んでほしいという意思がはっきりと見て取れる。泣き落としは今咄嗟に思い付いた苦し紛れの策であるが、それでも効果は覿面だ。何せ、先生は人の涙には弱い。特に、生徒やアロナの涙は。

 

 だが、それでも此処で止まるわけにはいかないのだ。アロナの意思と善意を踏み躙ってしまう事に申し訳なさを覚えながら、彼は此処を立つ準備を進める。

 

 ベッドのすぐ隣にはシャーレのコートと制服、そしてヒマリが使用している車椅子と同型の物が鎮座している。どうやらワカモが色々と計らってくれたようだ。迷惑をかけてばっかりだ、と思い己を嘲る。詰めが甘いにも程があるだろう。だが、懺悔している場合でないから思考を切り替えて、アロナに向かって声をかけた。

 

「クラフトチェンバーの……そうだね、FS-104を貰えるかな?」

『……は、はい。勿論ですが……何か冷凍保存しなきゃいけないものでもありました?』

 

 疑問の声を上げながら、アロナは先生の言葉通りの物を固定化した。物質を冷凍保存するためのキューブを受け取った彼は、苦笑いを浮かべながら。

 

()()()()()()()()()、それを保存したくてね。此処に残しても仕方ないし、誰かに聖遺物として利用されるくらいならクラフトチェンバーの対価物質に突っ込んだほうがマシだからね」

 

 その言葉に、アロナは弾かれたように彼の足の指先へと視線を持っていき────そして、絶句した。

 

 彼の左足の指が2本無くなっていたのだ。視線を足からずらすと、白いベッドの上に無造作に転がっている肉塊が2つと、赤い血痕。

 欠落したのは左足の小指と薬指。包帯は巻かれていない事から、病院での処置後に取れたと考えられる。凍傷と壊死が同時に発現した事が原因だろう。断面からの流血が僅かなのが救いだ。

 

 彼の体に付けられた取り返しのつかない傷。それを見て、とうとうアロナは泣き出した。

 

『先生……ごめんなさい……アロナが、アロナがもっと────』

「違うよ、アロナ。君の所為なんかじゃない。君が責任を感じる必要なんてないんだ」

『でも……でもぉ……』

「咄嗟にアロナが守ってくれたから、私は生きている。私にとってアロナは命の恩人なんだ……ありがとう。心からそう思ってるよ。それにほら、よく言うだろう? 死ぬこと以外は掠り傷ってさ」

 

 そう言って、彼は笑う。だが、そんな事でアロナの涙が止まる訳もなく。

 

 アロナは言ってほしかったのだ。苦しいって、痛いって。足の指が欠けて平気な人間なんていない。大丈夫な訳がない。彼の事だから、きっともう人前で素足を晒さないのだろう。海に行ってもサンダルすら履かないのだろう。なのに彼は平気な顔をして笑うのだ。

 

 それが、本当に苦しくて。

 

 彼の痛みを悼み、啜り泣く青い少女。そんな彼女の元へ向かうべく、先生は青い教室を保有するシッテムの箱へと手を伸ばした。

 

 ────ずっと傍にいてくれたアロナの涙を拭ってあげたいから。

 

 

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