シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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砂漠の太陽の元、対極に立つ2人が相対した。
シャーレの先生は全体的に白い色彩だ。白の車椅子、白の制服。ブランケットがわりに膝にかけられた真白いコート。シャーレを示す腕章は制服のジャケットに付けられている。ネクタイも絞めず、第一ボタンを外しているラフな姿は少女達の目には新鮮に映った。
彼は基本的に制服やスーツは隙なく着こなすタイプだ。着崩す事は殆どなく精々屋内でコートを脱ぐ程度であり、それ以上の遊びはない。だが、今の彼は少々異なる。普段は皆無だった露出がそれなりに多いのだ。
髪も全て下ろされており、普段とは異なる雰囲気。着崩した制服と相まって、先生ではない彼の側面が顕になっているのだ。これで着ている服が制服でなく私服であったなら、本当に普通の青年であっただろう。
風が吹いて、首元のIDと前髪が靡く。それに伴い、彼の瞳から蒼色の燐光が零れた。
「自己紹介は不要だろう? 何せ、貴方が秘密裏に消そうとした人間だ」
「……」
「おや、釣れないね。殺したはずの相手が目の前にいる気分を聞かせてほしかったんだけど……」
「最悪の気分だ、シャーレの先生」
先生の口元が耽美に歪み、その表情に嘲笑を張り付けた途端、空気が一変する。カイザー理事が一歩前に踏み込み込んだ。彼我の距離は1mもない。カイザー理事は怒りと驚愕が相混ぜになった表情で彼を見下ろしていた。
暗殺は滞りなく行われていたはずだった。点滴に致死毒を混ぜられた彼はベッドの上で眠るように息を引き取るシナリオだったのだ。もし仮に目を覚ましても、病院に紛れ込ませたカイザーPMCが誇る特殊暗殺部隊が一切彼に悟らせずに絶命させる筈だった。
それなのに、彼は今この場にいる。負った傷はそのまま、決して良くない顔色。だが、その蒼い瞳に灯る意志の強さだけは変わらない。世界そのものを屈服させてしまうレベルの精神強度は、カイザー理事が思わず胸元に隠してある護身用の銃の感触を確かめてしまう程だった。
その場に現われただけで全てのイニシアティブを握った彼は悠然と辺りを見渡し────組み伏せられたシロコと、銃口を突き付けられた愛しい生徒達を視界に収めた。
「────とりあえず、彼女達を解放してもらえないかな?」
「……断る、と言ったら」
「君達が二度とPMC事業をやれなくなるけど、それでもいいなら選ぶと良い」
断ったら今この場にいる全てのPMCを破壊すると言っているようなものだった。そして、それが脅しではない事はカイザー理事もよく分かっている。彼は本気だった。
断った瞬間、彼は一切の躊躇いなく作業のようにPMC達を鉄屑へと変えるだろう。手段も方法も分からない。何をしてくるか、その全てが詳細不明だ。だが、必ず彼はやるだろう。その果てに如何なる損害を負おうともやり遂げる目をしている。
「────拘束を解け」
今、この段階で彼と戦争するのはリスクリターンが釣り合わない……そう考えたカイザー理事は拘束解除を部下に命じた。PMC達は一瞬戸惑ったが、命令を受託し拘束を解いて理事の護衛へ戻る。それを見た先生は初めてその笑みを穏やかさを含んだものへと変えて。
「賢明な判断、感謝するよ。私も無益な殺生はしたくないんだ」
「ふん……貴様、恐らく部隊を破壊していないだろう? その礼だ」
「そうかい……」
呟き、口元を僅かに綻ばせる彼。カイザー理事の言う通り、彼は暗殺部隊を不可逆な損壊へ追いやっていなかった。精々、システム部分に量子コンピュータすら機能不全に陥らせるウィルスを流し込んだ程度。今頃、彼を殺そうとした人狩り部隊は病院の屋上で転がっているだろう。
「一応聞いておく、貴様……何故、生きているのだ」
「色々と要因はあるよ。例えば、暗殺に毒物を使った事。サブプランの実力行使でオートマタを使った事。私の意識があった事。でも、強いて言うなら──────」
先生は唇の両端を吊り上げ、三日月を浮かべながら。
「貴方達の杜撰な仕事のおかげだよ」
結局の所、そこに行き着く。仮にカイザーがオートマタやドローンといった電子駆動の機械人形ではなく、生徒等の生身の住民を仕向ければ彼だって無傷では済まなかった。
毒物はそもそも使った事が間違いだ。彼の血中には毒物を瞬時に分解するナノマシンが撃ち込まれている。そのため、彼を毒殺するならば独自の機密性の高いロジックで動いているナノマシンを機能停止に追いやった上で毒を仕込まなければならないのだ。無論、それが非常に難易度の高い仕事なのは言うまでもない。現に、カイザーは彼の毒殺に失敗しているのだから。
故に、彼を殺すのならば必然的に物理的な、凶器を伴う手段に限られる。彼に正面から戦いを仕掛けるか、或いは長距離狙撃。暗殺も選択肢に入るだろう。
しかし、そのどれもが基本的に困難極まる手段だ。
正面の戦闘は彼と彼が指揮する生徒に勝たなければならないが、まずこの時点で厳しい。彼と接続している生徒は普段より戦闘力が高まっている上に、連携も高度に取れるのだ。そこに彼の指揮や戦術眼も合わさるため、彼を殺すための前提条件にすら辿り着けない可能性が非常に高い。
かと言って、長距離狙撃と暗殺はアロナと先生の探知を掻い潜る必要がある。広大なアビドス全域すら手中に収められる2人だ、如何なる隠密も不意打ちも通用しない。容易く発見され、カウンターで返り討ちに遭うのが関の山だ。
もし仮に、彼を殺せる状況まで運べたとしても、今度はシッテムの箱の防御壁を貫通する必要がある。巡航ミサイルすら無傷で防ぎ切る物理防御壁と権能に等しい概念防御は突破する手段が非常に限られており、その手段の用意も難しい。
たかが大企業の精鋭暗殺部隊如きが、彼を殺せるはずなかった。
「何の力もない、車椅子に頼る手負いの私を仕留められないなんて軍事に向いてないんじゃないかい? 赤字になる前に撤退をお勧めするよ」
「減らず口を。貴様程度────」
「いつでも殺せる、かい? でも、その言葉は殺すべき時に殺せなかった言い訳にならないって事は、貴方も良く知っているはずだ」
怪我を感じさせない飄々とした態度と涼やかな笑み。生徒達には決して見せられないな、と自嘲するほど、彼の笑みは邪悪が過ぎた。犬歯を剥き出しにし、凄惨に嗤う彼。だが、その悪の中に輝きが燐然しているのも確かだった。例えるなら、黒曜石やオニキスのような。何者にも侵されぬ、染まらぬ漆黒。普段の彼……純白や蒼、黄金に照らす光輝とは対極に位置する暗い煌めき。
「ほざいたな、脆弱な人間風情が……!」
「脆弱なのは貴方も同じだ。この場に出てきた以上、貴方は、貴方が見下している他の誰かと違わない。撃たれれば傷つく鉄の体。自分を一方的な強者と思わない方が良い。私達は皆、弱者だよ」
先生は「それにしても」と言って、辺りをぐるっと見渡した。砂漠に広がる巨大な施設、闊歩するPMC達。アビドスのものだった、誰かの居場所。
「キヴォトスに何らかの施設を造る場合、必ず連邦生徒会に認可を取らなければならない。施設の規模、目的、想定運用年数、掛かる資金……その詳細を提出し、審議で可決してから初めて施工できる。この規則に自治区は関係ない。アビドス自治区だろうが、貴方達の土地だろうが、そのプロセスは飛ばせないんだよ。だけど、カイザーPMCがアビドスの砂漠に掘削施設を作る、なんて記録は無い」
「だからどうした。仮に施設建設に必要なプロセスを経ていなくとも、此処が正式な手順で買い取った我々の土地であることには変わりない」
「その土地の売買も連邦生徒会の立ち合いの元で行わなければならない。仮にそれが出来なくとも、取引内容の事前申請と取引後の登録申請は最低限行わなければならないんだ。でも────」
彼は市販のタブレットの画面をカイザー理事に突き付けて。
「連邦生徒会に保管されているデータの中に、貴方達がアビドスの土地を買い取った記録の一切が存在しないんだよ」
「……ふん、当然だ。何せ────」
「アビドスの全てを手中に収めるまで提出するつもりなんてなかったのだろう? 自治区が残っている段階で提出すれば、『生徒の土地を奪った企業』としてバッシングは必至だ。自治区の在校生や住民だけでなく、他の自治区でも反感を抱く人は必ず出てくる。その企業イメージの低下から不買運動に繋がれば、カイザーだってそれなりのダメージを受けてしまう」
先生は「だけど」と言葉を続けて。
「何もかもがなくなった時点の提出ならば、ただ使われない土地を買い取っただけに過ぎない。マイナスイメージも大してないだろう。貴方は始めからそれを狙っていた」
「リスクマネジメントなんぞ、どの企業でもやる。我々の行為が珍しいわけでもあるまい。大人の貴様なら分かるだろう?」
「あぁ、よく分かってるよ……正式な届出も悪事も時効になってから。全ての反対者を根絶やしにしたタイミングで己の利権を主張する。小賢しい小悪党が考えつきそうな案だね」
先生は嘲笑を浮かべ、タブレットを仕舞う。余裕を感じさせるその所作にカイザー理事は言いようのない不快感を感じた。この手の人間……如何なる状況においても迷わず、恐れを抱かず、己の意志を貫く存在は昔から嫌いだった。見ると殺したくなるほどに。
そして、先生も同じ意見だった。彼はカイザー理事に純然たる敵意を向けている。カイザーは彼の地雷を踏み過ぎた。
先生は強い輝き……生徒を優しく導く灯ではなく、悪意と罪悪を焼き尽くす浄化の火を灯した瞳で真っ直ぐカイザー理事を射抜いた。
「天災を利用した学生、および自治区からの搾取。アビドス高等学校の機能不全。連邦生徒会の手が及ばない僻地での利己的な活動。今まで散々好き放題してきたんだ。玉座の上で踏ん反り返る快楽はもう充分味わっただろう? そろそろ年貢の納め時だよ。貴方達の活動は、流石に目に余る」
「ほう、面白い事を言うな、先生。その意見は連邦捜査部としての意見か?」
「勿論、その側面もある。私の言葉はシャーレの言葉だ。だけど、あぁ、そうだね……」
先生は車椅子を一歩進ませる。交錯する蒼と赤、彼我の距離は全て踏み潰された。
「これは、
「ならばどうする? その生徒と貴様の戦力を連れて、我々と全面戦争でもするつもりか?」
「無益な殺生はしたくないって言っただろう? 夥しいスクラップの山を積み上げる趣味は、私にはないんだ。ただ、そうだね……」
彼は怖気が走るほど美しい笑みを浮かべて。
「貴方達の目的とシナリオを全て御破算にするのも、悪くないね」
言葉と同時に、黒の巨体が奔った。車椅子の倒れる音、刹那の交差。
先生の胸ぐらを掴み上げ、彼の顔を憎悪に塗れたアイラインで睨みつけるカイザー理事。身を竦ませてしまうような形相に一歩も引かず、寧ろ相手を踏み潰さんと青筋を立て、犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う先生。
言葉を重ねるまでもなかった。意志を確認する必要はなかった。この2人は原初から敵同士、己の道を通さんとする限り敵対は必然であった。
「吹けば飛ぶ肉体でよく吼えたな、人間ッ! 与えられた力に酔いしれた偽りの存在如き、今すぐこの場で縊り殺せる事を証明してやろうか……ッ!」
「私の愛する生徒を傷つけた下郎が、良く云った。貴方には、貴方自身の罪悪で滅んでもらおう。自業自得のアポトーシスさ。恨むなら、惜しげもなく悪意を重ねた過去の己自身を恨みなよ。それに、私の命は下衆にくれてやるほど安くないんでね……!」
凄まじい気迫だった。恵まれた鋼の体格と、細身で手負いの肉の体。前者の方が圧倒的に優位なはずだが、その身から発せられる威圧感は拮抗している。その拮抗が、カイザー理事は気に食わなかった。
他者を威圧する支配的な色と、世界すら染め上げる覇者の色。方向性こそ異なるが、同一系統にある圧力は2人の間で鬩ぎ合いをし、周囲に緊迫した空気を伝達する。
先生は本気であった。本気で怒っていた。踏み潰された誰かのために、傷つけられた誰かのために。そして、何より────アビドスの少女達のために、この場の誰よりも激怒していた。
子ども達のような銃で語る戦いではない。言葉と意思で信念を貫く大人の戦いが幕開けた。