シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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最後の嘘

 陽が落ちてから1時間が経過した。僅かな茜の残滓すら消え去り、深い藍色が夜の色彩として周囲を染め上げる。空には月が浮かんでいた。十五夜の満月。古くから月は信仰の対象であった。ツクヨミ、アルテミス、セレネ、ディアーナ、マーニ。

 当然、エジプト神話にも月神はいる。コンス、トート、ハトホル……そして、ホルス。太陽神でありながら月神であるホルスは確かに天空神の名に相応しい。天空を統べる神とは主神であり、最も全能に近いのだから。

 

 明日は十六夜だろう。満月から僅かに欠けた月。月は信仰の対象であると同時に、狂気の象徴だった。狂気を表す『ルナティック』の語源はラテン語の月であり、心理の変化と月は結び付けられることが多かった。満月に変身する狼男が良い例だろう。

 他にも前述のアルテミスは、より詳細には三相女神の1つの側面であり、処女性と若さを表すアルテミス、豊穣と母を司るデメテルまたはペルセポネ、死を表すヘカテーの3つの姿があり、月の満ち欠けのように刻一刻と姿を変えていく。

 

 兎にも角にも、月は信仰であり狂気であった。太陽が堕ちた闇を淡く照らす青褪めた光に、人々はそれらを見出した。

 

 それは今でも変わらない。明かりがチープになった現代でも月明かりは特別であり、真昼の太陽や人工的な明かりとは異なる趣を与えてくれる。そうでなければ、『月が綺麗ですね』なんて言葉は生まれなかっただろう。

 

 だから、この時間は特別であった。夜の校舎、自分達以外誰もいない静寂。まるで周囲の時間が止まったような空間の中に、2人の呼吸音だけが存在する。足を動かせば鳴る床の軋む音も、鈴虫が鳴く音も、風の音も、何故か遠のいている気がした。

 

 ホシノは窓枠に腰掛けたまま夜空を見上げる。思えば、こうして夜に誰かといるのは久し振りだ。いつも夜は一人で街のパトロールをしてそのまま朝を迎えていたから。

 

 彼女はちらりと隣に視線を送る。ホシノが窓の外を見つめているのに対して、彼はいつの間にか反対方向……校舎の木造壁をぼうっと眺めていた。ガラスに背を預け、月を見ていた透明感を保ったまま。彼女は窓枠に乗せられた手を見つめる。自分のものよりも大きな手。優しく頭を撫でられた感触をよく覚えている。行かないでほしい、と握ってくれた優しさをよく覚えている。

 

 ホシノは彼の手の甲に、そっと自身の手を重ねた。彼は少しだけ驚いたような顔をしたが、直ぐに微笑みを浮べて────ホシノの手が覆い被さる自身の手の向きを変える。先ほどまで彼の手の甲と彼女の掌が向かい合う形だったが、今は互いの掌同士が向かい合う形に。

 

 所謂、恋人繋ぎ。勿論彼とホシノは先生と生徒以上の関係ではないが、それでもこんな手の握り方をされると否が応でも意識してしまう。恐る恐る彼の手を握ると、同じように握り返してくれた。手のひらから伝わる彼の優しさと温度に背中を押されたように、ホシノは少しずつ語り始める。

 

「カイザーコーポレーション……提案というか、スカウトというか。アビドスに入学した直後からずっと、何回もね。そう云えばついこの間もあったな~」

 

 先生の方を見る事なく、ホシノは淡々とした口調で己の秘密を明かしていく。持ち掛けられた取引はこの一連の出来事の全ての元凶たるカイザーコーポレーション近辺から。尤も、全ての元凶だと確信したのはつい最近であり、それまではホシノもきな臭いと思っていた程度だった。勿論、この背後関係を漁ろうと試みた事はあったが有効な調査方法が思い浮かばず、事此処に至るまで放置してしまった。無理をしてでも調べれば良かった、と思うが結局後の祭りだ。既に事態は一刻を争う段階まで進んでしまっている。

 

「アビドス高校を退学して、指定の企業に所属する。その条件さえ呑めば、アビドス高校が背負う借金の殆どを負担するって契約」

「……2年前、か」

「うん。そいつ等は私の体に10億近い価値を付けてる。誰から見たって破格の条件だったけど、でも当時は私がいなくなったらアビドス高校が崩壊するって思ってたから、ずっと断っていたけど……」

 

 提示された内容はホシノの体。17歳のうら若き少女の体の全てを差し出せば、アビドスが背負う借金の殆どを負担する……人権やキヴォトスのルールを鼻で嗤うような巫山戯た取引だった。

 彼女が高校に在籍している期間の殆どに、その勧誘話がついて回っている。彼女が入学した時、生徒会に在籍していた時、2年に上がり後輩ができた時、そして今に至るまで。そして、その悉くを断ってきた。

 

 理由はやはり、唯一の年長者たるホシノが居なくなればアビドス対策委員会が纏まらないと思ったからだ。唯一の3年生として、アビドス存続に関して人一倍責任を感じているのだろう。或いは、見殺しにしてしまった夢物語への負い目か。

 

 ホシノは彼と絡めた指先を解いたあと窓枠から降りて……振り返った先生の背中に自身の背中を預けながら続きを語る。決して、この顔が見られないように。今、これ以上優しくされてしまうと……本当に、泣いてしまいそうだから。

 

「アイツ等、PMCで使える人材を集めているみたい。何をするつもりか知らないけど、多分悪い事。カイザーPMCも、そいつ等と組んでいるはず。私も連中の正体は知らない……ただ、私は黒服って呼んでいる」

「────黒服」

 

 先生がその名を口にしたときに浮べていた表情は……絶対に生徒に見せてはいけないと断言できるほど、剣呑さと敵意に溢れていた。

 

 ベアトリーチェは見えた瞬間必ず殺すと決めているため例外であるが、黒服等の他のゲマトリアは然程憎んでいる訳ではない。故に利害が一致するなら協力関係を築くのもやぶさかでないし、その信条や誇りには一定の信頼を置いている。

 だが、生徒に害を及ぼすなら話は別だ。探求の為に生徒を泣かせるならば彼は迷いなくゲマトリアの敵になる。ゲマトリアを殺すとまではいかなくとも、その不愉快な目的は確実に御破算にするだろう。

 

 この世界での対ゲマトリアへの方針を固めつつ、先生はホシノの続きに耳を傾ける。

 

「何となくぞっとする奴で……キヴォトス広しと雖も、ああいうタイプの奴は見たことなかったし……怪しい奴だけど、別に特段問題を起こしたりはしなかった。何なんだろうね。あのカイザー理事ですら、黒服の事は恐れているように見えたけど……」

「じゃあ、この退部届は────」

 

 先生がそう言うと、ホシノは「……うへ」と口癖を呟き……彼の正面へと躍り出た。その手にはポケットから取り出した退部届が握られていて、暗い光を灯した瞳で月明かりに照らされた紙面を眺めている。

 

「まぁ、1mmも悩んでいなかったって云ったら嘘だし。ちょっとした気の迷いっていうか……うん、もう棄てちゃおうか」

 

 言うや否や、ホシノは先生の前で退部届の紙を破り捨てた。無数の紙片となった退部届を掌の上に乗せ、外へと散らす。風に舞いながら夜空に消えていく紙を見つめながら、「うへ~、すっきりした」と彼女は満足そうに呟いた。

 

「余計な誤解を招いちゃってごめんね。ただ、こんな話を皆にしたところで、心配させるだけで良い事なんて何一つ無さそうだったからさ。でもまぁ……可愛い後輩達にいつまでも隠し事をしたままっていうのも良くないし……明日、皆にちゃんと話すよ。聞かされたところで困らせちゃうだろうけど、隠し事なんてないに越したことはないだろうし。まあ、一種のけじめみたいなものだよね」

 

 悪戯っぽく笑う彼女に、先生は同じように笑みを浮べて、頷いた。

 

「……実際、今はあの提案を受ける以外に他の方法は思い付いていないんだけどね。あんな大金、学生の私達にどうやって払えばいいのやら……」

「────大丈夫。大丈夫だから」

 

 言い淀んだ彼女を否定するように、彼は力強く、優しく断言する。膝立ちになった彼、合わせられた視線の高さ。吸い込まれそうな瞳には、全てを抱擁する宇宙のような色彩が覗いていて……そこに映る自身が酷い顔をしていることに今更気付いた。

 

 彼はまるで幼子をあやす様にホシノをゆっくりと抱きしめた。何度も「大丈夫だから」と耳元で優しく呟く彼と、抱きしめられる自分。それを、何処か他人事のように感じていた。

 

 彼は自分を許していない。自分を誰よりも憎み、自分に誰よりも怒っている。非常時に銃一つ満足に握らない己を、無力極まる己を、世界すら救えなかった己を……誰よりも許していない。

 

 彼は傷ついている。心も体も、この世界に住む誰よりも傷ついている。痛くて、辛くて、泣き叫んでもいいのに……それを選択せず、誰かの傷に寄り添い、癒すことを選んでいる。

 

 彼の原点を、ホシノは詳しく知らない。だが、その歩みは傷と痛みに彩られている事は分かってしまった。そして、この道の果てで彼が救われない事も。

 

 それなのに……何故。

 

「必ずなんとかなるから……信じて」

 

 誰を信じればいいのか。何を信じればいいのか。アビドスか? 先生か? それとも、己自身? 世界にでも縋ればいいのか? 或いは────。

 

「……そうだね、奇跡でも起きてくれたら良いのだけれど」

 

 呟き、ホシノは己を嘲った。

 奇跡なんて起きない。この世界が厳しい事なんて随分昔に学んだ。現実は驚く程正しい者が身を削るようにできている。善は小賢しい悪を前に蹂躙されるしかないのだ。アビドスがカイザーに絞り殺されそうになっている今、それに否を唱えることは許さない。それに……誰よりも正しく、善性と優しさに満ちている彼が傷だらけなのだ。奇跡は起きないし、現実は正しさを糧に成り立っているのは疑いようのない真理だろう。

 

 でも、今はそんな子ども染みた願望に縋るしかないのだ。たった漢字2文字の言葉が重く圧し掛かる。

 

「奇跡、かぁ……」

 

 譫言のように呟く。息をすると花の香り……彼の香りが頭の中で弾けて、消えて。あぁ、昔もこうやって抱きしめられた。大きくて、暑苦しくて、鬱陶しくて────でも、とても暖かくて。

 

「さて、湿っぽい話はこれでお終い!」

 

 彼の抱擁から脱出したホシノは手を鳴らし、全ての感情を呑み込んだ。

 これ以上は涙を堪えられる気がしなかった。みっともなく彼の胸の中で泣きたくはなかった。だって……。

 

「じゃあ、私も帰るから……おやすみ、先生! また明日!」

 

 明るい声でそう告げて、来た道を引き返す。

 足取りは軽やかに。一番綺麗な自分を最後に見てほしいから。

 そうして、彼女は振り返って。

 

「さよなら!」

 

 花が咲いたような笑顔で、別れを告げた。

 

「────ホシノ」

 

 だけど、まだこの別れは終わらず。

 

 振り返った彼女の視界に入ったのは、シリウスに照らされた先生の顔。彼は、ホシノの心に届く様に────その胸を焦がす思いを叫んだ。

 

「ホシノがその身を捧げなくていい。自己犠牲なんて必要ない。私が何とかする。絶対に奪わせないから……」

 

 ────いいや、そんな言葉を伝えたい訳ではない。もっと、心の奥。己の本音を今にも泣きそうな彼女へと送った。

 

「私が、君を守るから」

 

 先生は、この世界の異物であった。

 先生は、よく分からない人であった。

 先生は、ホシノの知る大人とは違った。

 

 先生は……誰よりも、『先生』であった。

 

「……うん」

 

 その声に、ホシノは心の底から安心したような笑みを零して。

 

「ありがとう、先生」

 

 ────ねぇ、ユメ先輩。私、ちゃんと笑えてるかな? 

 

 

 ▼

 

 

 アビドス対策委員会の皆へ

 

 まずは、こうやって手紙でお別れの挨拶をする事になったこと、許して欲しい。おじさんにはこういう、古いやり方が性にあっていてさ。

 皆には、ずっと話していなかった事があって──実は私、昔からずっとスカウトを受けていたんだ。カイザーPMCの傭兵として働く、その代わりにアビドスが背負っている借金の大半を肩代わりする……そういう話でね? 

 うへ~、中々良い条件だと思わない? おじさんこう見えて、実は結構能力を買われていてさ~、凄いでしょ? 

 借金の事は、私がどうにかする。直ぐに全部を解決は出来ないけれど、まずはこれでそれなりに負担が減ると思う。ブラックマーケットでは急に生意気なことを云っちゃったけれど、あの言葉を私が守れなくてごめんね。

 でも、これで対策委員会も少しは楽になる筈だから。

 アビドス高校からも、キヴォトスからも離れる事になったけれど、私の事は気にしないで──勝手な事をしてごめんね。

 でもこれは全部、私が責任を取るべき事……私は、アビドス最後の生徒会だから。

 だから、此処でお別れ。

 じゃあね。

 

 

 先生へ

 

 実は私、大人が大嫌いだった、あんまり信じてなかった。

 シロコちゃんが先生をおんぶして来たあの時だって、なんか駄目な大人が来たなって思ったくらいだし? 

 でも、先生みたいな大人と最後に出会えて、私は……いや、照れくさい言葉はもう良いよね。

 先生、最後に我儘を云って悪いんだけれど、お願い。シロコちゃんは良い子だけれど、横で誰かが支えていないと、どうなっちゃうか分からない子だから、悪い道に逸れちゃったりしないように、支えてあげて欲しい。

 先生なら、きっと大丈夫だと思うから。

 

 

 シロコちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃん、セリカちゃん

 お願い、私達の学校を守って欲しい。砂だらけのこんな場所だけれど……私に残された、唯一意味のある場所だから。

 それから、もしこの先どこかで万が一、敵として相対する事になったら……。

 その時は、私のヘイローを壊して。

 

 ──よろしくね。

 

 

 アビドス高校、対策委員会部室。朝の雲雀も鳴かぬころ、先生はその場所に佇んでいた。テーブルに置かれた退部届と、仲間達、先生に宛てられた手紙。

 

「────行かせる訳、ないだろ」

 

 それは、彼女を引き留める声だった。優しく、真剣で、芯の通った────数多の決意を含んだ、彼女の為だけに発せられた声。

 

「アロナ、生徒に連絡を」

『はい! 分かりました!』

「あと、クラフトチェンバー、テイラーメイドの13番……天命の起動準備」

 

 その宣誓にアロナは息を呑んだ。クラフトチェンバーの13番、概念武装の起動準備をすると言う事は────始まるのだ。世界を救う聖戦が。

 だが、アロナは迷わない。彼の為に、世界を救うための術を準備する。

 

「行こう……私は、もう決して立ち止まらない。二度と手を離さない」

 

 その道中が地獄でも。

 その果てが虚無でも。

 

 それでも────あの日、零れ落ちたものを取り戻すために此処に来たのだ。

 

「私の全ては、(きみ)を守り抜くために」

 

 そのために生きると────決めたのだ。

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