シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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先を生きる

 暁で立ち止まる世界。眠りから覚めるにはまだ早い時間、夢の中。キヴォトス外部から現れた未知の変数達は向き合っていた。

 

「何故、か」

 

 彼は口遊むように、そう言葉を紡いだ。

 

「それが、私の望む未来ではないから」

「ほう……では、貴方の望みとは何ですか?」

「彼女達を教え、導き、寄り添うこと」

 

 余りにも『自分』が無い理由だった。他人の為に人生を捧げている、と言っているようなものだった。しかも、それを自身の至上としている。自分の為に生きるよりもそちらの方が良い、と。

 

「クク……ならば、貴方にとって我々は────」

「あぁ、よく分かっているじゃないか……貴方達はホシノ達を騙し、心を踏み躙り、その苦しみを利用した」

「えぇ、確かに仰る通りです。私達は他人の不幸を用いて、自らの利益を得ました。それは否定しません。私達の行動は善か悪かと問われれば、きっと悪でしょう」

 

 黒服は芝居染みた大げさな身振りで、その両手を広げる。

 

「しかし、ルールの範疇です」

 

 その割れたような瞳が細められた。真っ直ぐに射貫くのは、目の前の純白、他人を殺傷できる程恐ろしく澄み渡ったクリアホワイト。

 

「そこは誤解しないでいただきたいです。アビドスに降りかかった災難は私達の所為ではありません。アビドスを襲うあの砂嵐は、大変珍しい事とはいえ一定の確率で起こり得る現象です。誰か明確な悪役がいる訳ではない、天変地異とはそういうものでしょう。私達はあくまで、その機会を利用しただけ」

 

 そう、この件の始まりはカイザーが、黒服が悪いわけではない。誰も悪くない自然災害が発生したのが事の発端だ。それ自体は先生も、ホシノも否定しない。

 

 先生が気に食わないのは────助けを求める手を踏みつけた、その性根だ。

 

「砂漠の中、脱水症状で死に逝く者に水を提供する。ただし、一生奴隷として働いても返済できない額で。ただそれだけのことです。さして珍しくもない、世の中にはありふれた話でしょう。何も私達が特別心を痛め、全ての責任を取るべき事ではありません。私達が初めて作った事例でもなければ、私達がそれをしなかった所で消えるものでもないのですから」

「……それが、世界のシステムだから」

「ご明察です。持つ者が持たざる者から搾取する。知識の多いものが、愚者から搾取する。大人なら誰もが知っている、厳然たる世の中の真実ではありませんか」

 

 当たり前の社会構造。世界は下にいる者を食い潰して成り立っている。犠牲の無い社会は数万年の進化で辿り着けるものではなく、未熟な知性は排斥できる誰かを探した。発展は流された血の量に比例し、繁栄は下に積み重なった死体に決定される。栄光が輝けば輝く程、その裏の闇は深く強い。そもそも、根本的に人間は他人が嫌いだ。分からないから、遠いから、理解できないから。

 

 だから、先生の『生徒の為に生きる』という信念も綺麗事にすらなり得ない悍ましい何かだ。

 

 ────そんな事は、分かっているんだよ。

 

「……あぁ、そうだね。確かに、この世界は案外厳しいよ。傷つき傷つけられ、殺し殺され……下にいるものを踏みつけて、この世界は成り立っている」

「そうでしょう。なら、今回も同じではありませんか。どうか、放っておいてください。元々、貴方の与り知るところではないのですから」

 

 ────そう。彼の知るところではなかった。彼の手が届く話ではなかった。もし彼の範疇であるならばこんな回りくどい手を尽くしていない。人間は自分しか、自分の世界しか救えない────そう言ったのは誰だったか。

 

 そもそも、アビドスに来たのは本当にギリギリだ。あと少しでも事態が動くと取り返しのつかない事になる一歩前に、漸く彼はこの地に足を踏み入れる事ができた。余りにも遅い。遅すぎる。もっと早く来ていれば……そう思ったのは1度や2度じゃない。もっと早く来ていればホシノの後悔も、重荷も軽くできたかもしれないのに。何かが変わったかもしれないのに。

 

 しかし、それはできない。彼はアビドスの人間ではないし、キヴォトスの人間ですらないから。目覚めの時間は大体同じで、そこからの流れは大きく変えられない。プリセットされたソフトウェアのように。

 

 だから、諦める────そんな潔く区切りを付けれるなら、こんなにも足掻いていない。

 

 この世界が厳しいことも、冷たいことも、苦しいことも、辛いことも分かっている。全てが虚しいと諦めていた少女達を知っている。

 だからこそ、優しい人になりたかった。自分の所に来れば『もう大丈夫』って安心してくれるような人に。

 

 その願いは、今も変わらない。

 

「……この子達の苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった」

「だから、貴方が責任を取るのですか。家族でも、保護者でも、ましてや同じ生き物ですらない貴方が。偶然アビドスに呼ばれ、あの子達と出会っただけの……他人である貴方が」

「偶然じゃないよ」

 

 先生は黒服の言葉を否定し、懐から大事そうに何かを取り出す。

 それは、彼とアビドスを繋いだ縁。彼をこの場に呼んでくれた────助けを求めて伸ばされたもの。

 

「手紙を貰ったんだ、助けてほしいって。それに、私は先生……彼女達の責任を取る理由なんて、それで充分すぎるくらいだ」

「そうですか、そうですか……では、私達の仲間になるという提案は?」

「断る」

「……その真意をお聞かせいただいても?」

 

 これまで彼が語ったのは彼のスタンスであり、『先生』としての理念だ。勿論、これらも提案を蹴る理由だが、根本は別にあると黒服は判断した。彼は大人だ、清濁併せ吞む事だってできる。理念を曲げない範囲で黒服と協力する事もできたし、ゲマトリアも約一名を除いて最大限の配慮はするつもりであった。

 

 彼は聡明だ。ゲマトリアの一員となるメリットはよく分かっているだろう。その利点を捨ててまで、ゲマトリアと敵対する理由を黒服は知りたかった。今後……彼と協力するために。

 

 故に知りたい。彼が何を持つのか。彼が何を求めるのか。彼が何を望むのか。金銭や名誉、権力といった俗物的なものではないだろう。そんなものでは目の前の純白を揺るがす事など敵わない。

 では、何だ? 穏やかな生活か? 孤独を癒す誰かか? 戦いから離れた安息か? いいや、どれでもいい。それが黒服に用意できるのであればなりふり構わず用意し、先生の為に用いよう。用意できないものであれば、用意できるように研鑽を重ねるまで。

 そう思うほどには、黒服は先生に入れ込んでいた。彼と共に歩めるのであれば、どれほどの対価も時間も労力も犠牲も惜しくない。

 

 そもそも、今この瞬間……彼と対等に言葉を交わせるだけでも喜びを覚えるのだ。

 

 是が非でも、仲間に欲しい。共にキヴォトスの、神秘の先を見たい。

 そう思う黒服の伽藍洞が先生を射貫けば、彼は溜息を吐いて耳に掛る髪を後ろに流しながら答え始めた。

 

「色々あるよ。私の望みと乖離している事。他人の不幸を利用した性根が気に入らない事。カイザーと協力した事。ただ、一番の理由は────」

 

 刹那、先生は激情を灯した。世界を焼き尽くさんばかりの嚇怒は、たった一人の為に。

 

「お前、ホシノを泣かせただろ」

 

 ホシノを傷つけた。ホシノを苦しめた。ホシノを悲しませた。彼の大事なホシノを────泣かせた。

 

「それに勝る理由はない。ゲマトリアは私の敵だ」

 

 その言葉と同時に黒服から庇う様にホシノを抱き寄せる。『もう大丈夫だ』と、安心させるように。

 ────もう、会えないと思っていた。あの時が最期だと信じて疑わなかった。頭を撫でてくれた温度を。手を握ってくれた愛しさを。抱きしめてくれた優しさを。

 

 二度と思い出さないように、忘れないように心の奥底に仕舞っていたそれを想起させた彼は『最後なんかじゃない』と優しく強く否定する。

 

 何度だって頭を撫でるし、手を握ろう。抱きしめる事だって。それが生徒の為ならば喜んで。バッドエンドなんて認めない。一人で消える事なんて許さない。自己犠牲なんて以ての外だ。

 

「いやはや、これが──────救世主。父なる聖四文字(テトラグラマトン)の神子という事ですか」

 

 黒服は再び狂喜していた。想像以上、と彼を称した自身を殴りたい気分だった。彼はそんな単純な物差しで測れる存在ではない。

 

 その能力、素質、才能は誰かと手を繋ぐために。

 その善性と優しさと愛に満ちた性格は、誰かに手を差し伸べるために。

 その信条と理念は大切な生徒達を真実守らんがため。

 例え運命が決まっていようとも、誰かの為に走り続ける精神性。

 

 望むのは皆が笑う日々。また明日ねと言い合える平穏。希望に満ちた明日の花束。

 利他的で、博愛に満ちていて。誰かを受け入れる受容性は他の追随を許さず、繋がる心と心の輪はまるで星々を包む宇宙のよう。その在り方は絆と対話であり、共に歩む誰かがいる限り無限の可能性を持っている。正しく全は一、一は全の究極だ。

 

 救世主だ。誰よりも救世主だ。己をそう認めていない事も含めて、誰よりも救世主に相応しかった。その輝きに目を焼かれる生徒がいるのも頷ける。

 

 最高評価、という言葉すら足りえない評価を黒服から受けた彼は────その表情を、有り余る悔恨に歪めた。

 

「はッ……」

 

 彼の口から発せられたとは思えない程、冷たく乾いた声。

 

「買い被りすぎだよ。私が救世主であるものか。この身が真に救世主であったならば────こんなにも、守れなかったものが多い筈ない」

 

 頭を過るのは後悔の記憶。助けられなかった。守れなかった。救えなかった。そんな思い出ばかり。次こそは、と決起しても無意味に屍を重ねるだけだった。滅び逝く世界を眺める事しかできなくて。

 魂が擦り切れるまで世界に挑んだにも関わらずこの体たらく。無能にもほどがある。無価値にもほどがある。

 

「──────ククッ」

 

 先生の原点。有り余る後悔の記憶。言葉にならない想いを受け取った今でも、黒服の中での彼への評価は天井知らずに上がっていっている。

 彼の暗く澱んだ中には、確かに輝きがある。捨てられない何かがある。たった一つ捨てられなかった『救い』を、プライドを大切に持ったままだ。

 

 その上、この後悔は非常に重要だ。過去の悲劇を『済んだ話』と切り捨てられるようならば、こんなにも彼は救世主ではない。愚かしい、と誰もが思うような情こそが彼の神髄だろう。

 

 過去も現在も未来も、生徒も住民も何もかもを大切に思える精神……それに最大の賛辞と喝采を送りたい気分だ。

 

 その心を。そのプライドを。彼の輝く純白を聞きたい。そう思った黒服は、敢えて答えの分かり切った問いを口にした。

 

「しかし、貴方は誰かを救うことを諦めていない。最も救われなければならない貴方自身を蔑ろにして、他人の為に他人を救っている。何故ですか?」

「────私の大事な……愛しい生徒だからだよ」

 

 他人の為に他人を救う綺麗事を、空想で終わらせない。

 苦楽なんて共にしない。共有するのは楽だけだ。

 望むのは問答無用のハッピーエンド。

 失い続けた日々を上回る愛と平和。

 

 ────そう。

 例えば、彼女の昏く沈んだ瞳が。

 私の手に、少しでも明るい未来を視てくれるように。

 

 

 ▼

 

 

 黒服は腕を組みながら、今の状況を俯瞰する。

 

 ホシノを手に入れるならば先生を相手にしなければならないが、黒服はそんな事をしたくない。意見が交わらないから実力行使、と行くのは少々短絡的が過ぎる。

 そして、黒服は先生が欲しい。彼の全てが欲しい。だが、それは叶わないだろう。彼の地雷を踏み過ぎた。この一件が片付けば話くらいは聞いてくれるかもしれないが、それまでは何を言っても否で返される。勿論、彼を仲間に引き入れる方法としても実力行使は存在するが……行うつもりは全くない。彼は言葉を尽くせば理解してくれる。それなのに力を使うのは……余りにも醜い。

 

 それに、彼は無理矢理な手段で仲間に引き入れようとしても即座に自殺するだろう。脊髄に仕込んである自決装置……恐らく一点もの。人質として捕らえられたとき、生徒の荷物になると判断したとき……或いは、生徒を傷つける存在に反転したとき。そういった時に迷わず命を投げ出せるように、キヴォトス赴任初日に、己自身の手で脊髄を切開して仕込んだセーフティ。

 

 彼の脳波、またはシッテムの箱からの命令を受けた瞬間、彼の脳と全神経を焼き切って死体にした後、肉体を結晶化して砕け散らせる。

 その真意は己の遺体を残さないためであろう。このキヴォトスに於いて、彼の肉体は最高純度の聖遺物だ。彼の肉体に神秘を流し込めば、神に等しい権能を振るう事が出来るだろう。その危険性を正しく認識している彼は、死後に肉体を残さない事を選んだ。肉の一片、霊の一欠けすら利用させないために。

 

 他人の為に人間らしい死に方すら迷いなく捨てることができる精神性────益々、『欲しい』と思った。

 

 だが、彼と話す機会はこれっきりではない。今後も彼と何度か顔を突き合わせるだろう。その時は同じ方向を向いていたいものだ────そう思いながら、黒服は再びチェアに腰掛けた。

 

「よろしい。では、ホシノさんを連れて帰ると良いでしょう。ですが……」

 

 黒服は腕をゆっくり持ち上げ────その指先が先生を指した。

 

「私は、貴方の輝きが見たいのですよ……先生」

 

 刹那、砂漠が蠢動した。神秘が満ちる。神秘が吐き出される。神の代行者。楽園に座す生命の樹。忘れるな、忘れるな、思い出せ、思い出せ。ヒトの原罪を、唆されて食んだ知恵の果実を。神の御許から追放された、その罪悪を。

 

「本日は土星がよく見えます。炉心の真珠と鉛。意味は勿論、お分かりですね?」

「あぁ、よく知っているよ────」

 

 致命的な神秘が覚醒する。過去のケースもデータも話にならない。正しい手順で以って解放された一柱は、正しく神の御許に在るもの。

 

 ────キヴォトスを消し去る『滅び』が目覚めた。

 

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