シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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夜明けの太陽

 

 爆縮するビナー。光を集め、神秘を集め、アビドスを臨終させる悪意。その破壊規模は先生の予想した通りそこまで広くはない。精々ビナーを中心として半径100m程度。それが一次被害の及ぶ範囲だ。だが、二次被害……放出された神秘は半径数kmに渡って有機生命体に悪影響を及ぼす。

 

 ここまでが、直接的な規模や破壊範囲……生徒達に与える被害の話。この先はもう少し別の……アビドスやキヴォトスという土地に与える被害の話だ。

 

 まず間違いなくアビドス砂漠の地盤が崩れる。砂漠という誰もいない土地だから、と言って見過ごすことはできない。いつかの未来に此処に住む誰かの為にも防げるものは防がなければならないだろう。

 そして、キヴォトス全体の話。此方は推測になるが、運が良ければ被害なし、悪ければ星の自転が狂う。

 

 故に、止めなければならない。

 

 集束するビナーと相反するように先生は光を、神秘を放出する。それはアビドスを、キヴォトスを生かそうとする善性。高らかに謳い上げるは星を見上げた知性体への喝采、賛歌。キヴォトスに住まう全ての命をただ愛した。例え己と違う種であろうとも、どれだけ遠くとも、それでも心から愛したのだ。

 

 その想いは、今でも変わらない。

 

「────」

 

 蒼い光が満ちる、アビドスを照らす。暗い世界に溢れる光は正しく道標。誰かの為に未来を創るその姿は紛れもなく救世主だった。

 

「────終わりを此処に」

 

 先生の代償が支払われた後、奇跡が起きた。

 

 

 ▼

 

 

「素晴らしい輝きです、先生。あぁ、眼が焼かれてしまいそうです。これほどまで心を揺さぶられるものを、私は見たことがありません。あぁ、貴方は何と────」

 

 誰もいなくなったビルの最上階、遠くで繰り広げられていた戦闘の全てを俯瞰していた黒服は哄笑を上げていた。狂喜を抱き、狂気に震え────彼の魅せた輝きに見入っている。

 あれが救世主。他人の為に他人を救う者。誰よりも愚直に、世界と人の善性を信じる存在。生徒を教え、導き、寄り添い、見守り、救う先生。

 

「素晴らしい、素晴らしい。神暦最後の神子、星の海を渡る者。あらゆる救世主の概念、その集合体」

 

 そう────黒服は見抜いていた。誰よりも早く、彼の最奥を。彼は確かに救世主だ。だが、一口に救世主と言ってもその人物は多岐に渡る。

 黒服も最初は最も有名な十字に纏わる神の子だと思っていたが────それは部分的な正解だった。彼を構成する救世主の要素はそれだけでない。

 

 ゾロアスター教、3名の救世主(サオシュヤント)────フシェーダル、マー、アストワトウルタ。

 仏教の開祖たる覚者と、未来仏の弥勒菩薩。

 ヒンドゥー教、カルキ。

 同じ唯一神を信仰する教えの救世主、メシア或いはメサイア、マフディー────そして、神の子。

 

 それらすべての要素が救世主の名の下に統合されている。一切の矛盾なく、破綻なく、相性すら超越した次元で融和している。正に『救済』という言葉が擬人化したような存在。

 

 これが連邦生徒会長が後を託した者。キヴォトスの救世主(せんせい)

 

「あぁ、疑う余地はありません。貴方こそが真なる崇高。星の救世主です」

 

 常人では到達できない頂きであった。影すら踏むことができない在り方であった。一生を掛けても……否、無限の時間を使っても至れぬ場所に彼は立っている。

 考察は不要だ。推測は不要だ。そんな無粋な真似は、彼の輝きを侮辱することになる。彼に最大の敬意を表する黒服が己に許した行為は、彼の齎す光をただ観測し、記録し、色褪せぬように留める事のみ。

 

 彼はきっと普通の人だったのだろう。連綿と続く星の歴史の中で頭角を現すこともなく、何処にでもいるありふれた只人として生きる筈だった。親から生まれ、成長し、誰かと結ばれ、多くの人から惜しまれその生を終える。戦いからは縁遠い世界で毎日を営み、懸命に生きる普通の人間────そうなる運命を変えたのは、やはりキヴォトスと連邦生徒会長なのだろう。

 

 そして、その果てに救世主と呼ばれるに至る程の何かを重ねた。苦痛、悲哀、決別、憎悪、悪意、絶望────受難の道。発狂する事が道理な困難を乗り越えて、彼はこの場に立っている。その精神強度は計り知れない。世界の滅びや生命の絶滅ですら彼の足を止める事はできないだろう。

 

「おぉ、これが先生か。私の理解者となってくれるかもしれない存在。つくづく口惜しい。時間が許すのであれば歓談をしたかった。彼に祝福を。生命の解答を持つそなたに、万雷の喝采を送らせてくれ」

 

 ギシギシと木が軋む音と拍手の音が重なる。彼方の先生へ最大の称賛を携え、ゲマトリアが有する領域に現われたのは木製の双頭人形────マエストロ。

 

 彼もまた、先生にとても高い評価を下していた。その輝きは芸術品の様なものであり、神秘でも、恐怖でもない新たなる価値。或いは、生命体としての解答。短命であるがゆえに持つ命への諦観、客観性。自身の一番効率の良い使い潰し方を心得ている。その在り方がマエストロの琴線に触れた。

 故に口惜しい。彼が初めて目の当たりにしたマエストロの作品が、あの出来損ないの複製(ミメシス)であった事が。彼と相対する定めであったのならば、ベアトリーチェの(気に入らない)依頼であっても己の美学と威信を賭けて本気で作り上げるべきだった。

 彼に粗雑な作品を見せてしまった事が、酷く恥ずかしい。

 

「神の代行者による原罪浄化は果たされず、代わりに救世主が夢を失いつつある世界に希望を見せました。これは失敗とも、成功とも呼べるでしょう。目的こそ果たせなかったものの、より価値あるものが生まれましたから」

「そういうこった!」

「彼……先生の介入により物語の主軸がブレて、全ての概念が変わってしまいました。悲劇は喜劇に、涙は笑顔に、絶望は希望に。これは歓待すべきことでしょうか。それとも忌避すべきことでしょうか。私の好む文学的なテクストとは異なりますが、そこに価値を含むのもまた事実です。彼の持つ数多の救世主の記号を解釈しなければならないでしょう。彼の価値を知るために」

 

 紳士然とした立ち姿。右手に杖を持つ、前まで留めたトレンチコート姿の男性。本来頭部があるべき場所には何もなく、代わりに首と思われる場所から黒い靄を吐き出していた。

 左手に抱える額縁にはスーツを纏ったシルクハットを被る男の後ろ姿があった。

 ゴルコンダとデカルコマニー。互いが虚像と非実在を象徴する相棒であり記号である関係。

 

 彼はこの結実を『それもまた一興』と受け入れていた。望んだ結末からは乖離しているが、代わりに興味深いものを見つける事が出来た。あらゆる負を反転させるその姿はある種の痛快さすら孕んでいた。

 悲しみの中にいる者は哀れみでは救えない。マイナスはマイナスで打ち消せないのだ。だからこそ、彼は笑いながら救いに行く。マイナスをプラスで打ち消すように。太陽のよう、とは言い得て妙で、彼は確かに空を照らす恒星のようであった。燃え尽き、冷えるその末路まで踏まえて。

 

 そうなる前に、世界にその身を捧げる前にメタファーである彼を通じて完成させなければならないだろう。

 

「アレは最早我々とも、生徒とも異なります。同じ地平を見ていません。ミクロとマクロを矛盾なく成立させるその視点……アレは知生体であっても人類ではありません。何か転換期があったのでしょう。先生と呼ばれる何かは、ヒトと呼べない別の生き物です」

 

 3名が先生に好意的な反応をしているのに対して、彼女だけは異なった。

 

 燃えるような赤い肌を持ち、白いドレスを纏う女性の異形。頭部は翼のようなものが覆っており、その中央には赤と黒の目が蠢いている。床に届く程長い髪と引き摺る純白のドレスも相まって邪悪な花嫁のようであった。その名はベアトリーチェ。神曲。ダンテを求める、地獄界の教導者。

 

「ベアトリーチェ、その物言いは些か礼を失している」

「あれは害虫です。不当に荒らす虫に尽くす礼はありません」

「来訪者、という意味合いであれば我々も同じでしょう。彼は我々と同胞に成り得る存在です」

 

 マエストロ、黒服の彼を擁護するような言葉にベアトリーチェは忌々しそうに鼻を鳴らした。

 

「虫けらと同胞とは、面白い事を仰いますね。良いですか、ヒトとは呼べない生き物に居場所はないのです。早急に踏み潰し、穢れを浄化しなければ」

「……」

 

 余りにも傲慢な物言いだった。自らを支配者と言って憚らないその様子は3名が思わず絶句してしまうほどであった。ベアトリーチェは彼を排除したくて堪らないようで、既に不倶戴天と見做している。

 

 彼女はある意味、先生という存在の危険性と異常性を正しく認識していたのだ。それは必ず敵対する運命であるからか、或いは本能か。彼は己と見えたその瞬間、あらゆる障害を踏み越えて殺しに来ると悟ったのだ。

 

 故の警戒、殺意。ベアトリーチェにとって先生は敵なのだ。己の目的を全て御破算にする恐るべき敵なのだ。

 

「御三方、落ち着いてください。此処で争う必要はありません。マダム、彼の物語は一度エンディングを迎えました。完成した脚本に続きを加える行為は美しくありません。どうか、矛を収めてください」

「ゴルコンダ……私に指図をするつもりですか?」

「いえ。我々は互いに不干渉。貴女の目的に助力も邪魔もするつもりはありません。ですが、今の貴女が単身で彼の下へ出向いても勝利を収める事は難しいでしょう」

「────」

 

 その忠告にベアトリーチェは無言を返した。確かに彼を本気で殺すのであれば相応の準備は必要だ。勢いに任せても良い事なんて無い────それはよく分かっている。

 ビナーを機能停止に追い込んだ、あの概念武装。気軽に使える類のものではないだろうが、それでも次弾装填に1時間は掛からないはずだ。

 

 故に、彼は今現在あの恐るべき突破力を所有していると見た方が良い。そして、アレを食らえば神秘をため込んだベアトリーチェですら塵すら残らず消し飛ばされる。

 

 ────狙うなら彼が一人の時だ。

 

 そうやって無理矢理自分自身を納得させ、彼女は憎悪と殺意を呑み込んだ。

 

 そして、この会談もお開きになる。4名がそれぞれ己の持つ領域に戻ろうとした時────黒服は思い出したかのように呟いた。

 

「あぁ、生徒の皆さんにご忠告を。彼の荷物は彼しか抱える事ができません。生徒の皆さんが出来る事は、彼の荷物を共に背負う事ではなく────」

 

 この会談を覗いている予知夢の少女に向けて。

 

「────荷物の重さで倒れそうな彼を支えることです」

 

 

 ▼

 

 

「────んぅ」

「目が覚めたかい、ホシノ」

 

 眼を覚ましたホシノが見たのは穏やかな笑みを浮べる先生であった。手や足が大地に触れている感触はなく、代わりに何かに抱かれているような────と、そこまで考えて、今の自分の状況が理解できた。岩陰に座る彼に横抱きにされている状況を。

 

「え、ちょ────ッ!」

「まだ立てないと思うから、じっとしていて」

 

 それに何とも言えない恥ずかしさを覚えた彼女は降りようと万一にも彼を傷つけぬように小さく足掻くが、彼がぎゅっと力を込めて抱きしめただけでその反撃の一切は封殺された。

 確かに、まだ全身の感覚が覚束ない。今下ろされても不格好な尻餅をつくだけだろう。だが、それは彼だって同じのはずだ。疲労感で一杯のはずなのに、ホシノを抱えていて大丈夫であるわけがない────そう思って彼を見上げると、ゆったりとした微笑みを返した。

 

 これは何を言っても駄目だと悟った彼女は諦めて彼に抱かれたままでいようと思った。至る所が汚れ、血が付着している彼の制服をぎゅっと握り、辺りを見渡す。

 

「……あれから、どうなったの?」

 

 ビナーが自爆しようとしていたため大人のカードで被害を極力抑える防壁を張りつつ近くにいた全員を転移し、防いだ後は風紀委員等と協力しつつ残党を掃討していた────と説明したら彼女は『休め』というだろうから暈しつつ顛末を話した。全てを話し終えた後、彼女は「そっか」と短く呟き、肩の力を抜いた。漸く戦いが終わったと認識したのだろう。

 

 風紀委員の医療班が忙しなく動き回っており、少し先には一緒に戦ったアビドスの仲間達や便利屋、ワカモがそれぞれ治療を受けている光景が見える。ヒフミの姿が見えない事から、彼女は一足先に退散したのだろうか。

 

「そういえば、先生は何で私を抱っこしてるの?」

「……なんとなく?」

「うへ、何それ」

 

 ホシノが何とも言えない表情で呟くと、先生のインカムに通信が届いた。正確な内容は分からないが、恐らくホシノか先生の治療の番が回ってきたのだろう。彼は「ありがとう、チナツ」と呟き────それから、立ち上がった。

 

「────夜が明けたね」

 

 ビナーが退けていた夜明けがアビドスに訪れた。差し込む朝日、新しい1日の始まり。再びキヴォトスを照らした太陽を眺めていた2人であったが、タイミングを示し合せたかのように互いの顔を見つめて。

 

「おかえり、ホシノ」

「うん────ただいま、先生」

 

 こうして、アビドスを巡る一連の戦いは終わりを迎えた。

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