シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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独自解釈、独自設定のオンパレードです。
陽の光が差し込む暖かい部屋だった。木を主として使用された内装は素朴な雰囲気を出しながらも、気品の高い高級感を演出する。
赤い火が点けられた暖炉は冬の寒さを優しく溶かし、まるで麗かな春の様な熱を部屋に灯していた。
スーツ姿の黒い男は本革の手帳を机に置いて、デスク裏の窓から庭を眺めている。庭に居るのは白く美しい毛並みの犬と、幼い女児。噴水が鎮座している芝生の上で楽しそうに走り回っている彼女達は、飛沫によって生まれた虹を掴もうと手を伸ばし、跳ねている。それを母親がウッドデッキから見守り、ハーブティーを嗜んでいた。
彼女達の頭上には、くるくると廻るヘイローが浮かんでいる。
寒さが厳しい冬のある日の、昼下がり。とても穏やかな午後であった。
「良い天気ですね。外遊びにはもってこいですよ。今日は然程冷え込みませんし、空が高く、青色に澄んでいる」
応接用のソファに腰掛けた青年が口を開いて、こう言った。彼は少し着崩したスーツと白のコートを整えて、妖艶に窓の外を見た。そして、すぐに本へ視線を戻す。
フランツ・カフカ、変身。毒虫になったグレゴール。まともな人付き合いがなくて、気苦労ばかり。父親にステッキと林檎で傷つけられ、最期は家族全員に見捨てられた。
誰が悪かったの? グレゴール? それとも世界?
「それは読んだことがありませんね。面白いですか?」
「私は好きですよ。ですが、面白いかと言われると、それは貴方次第です。ハンニバル、羊達の沈黙、ドグラ・マグラ。この辺りのサイコホラーが好きなら、読んでみるのも良いかと」
ただ、少々不条理です、と青年は言って本を閉じた。オルタナが普及している現代であるにも関わらず、ハードカバーの実本だった。
「この本を読んでいると、過去の虐殺を思い出します」
「そういう内容なんですか?」
彼は優雅な所作でハーブティーを口に運び、喉を潤してからもう一度口を開いた。
「いえ。変身にその様な描写はありません。ただ、毒虫になったグレゴールが不条理に排斥される様子が、そういった虐殺を思い出させるんです。ジョージ・オーウェルの1984を読んだ時にも同じ感覚を味わいました」
「1984は読んだ事があります。反全体主義、反共産主義、反集産主義のバイブル。ビッグブラザーはテレスクリーンから全て見ている、我々も……貴方も。オーウェルの世界、1984のオセアニアはとても窮屈な世界です。アナキズムを徹底的に排斥した管理社会は、まるで闇夜の屠殺場……だから、それを想起したのですか?」
その言葉に彼は「えぇ」と返して。
「ビッグブラザーから想起するとなると……カチンの森。ソ連政府によるポーランド人の虐殺。強制収容所から輸送された夥しい数の命がボルトアクションの銃で撃ち抜かれ、肉となって処理される光景を幻視してしまいます」
青年は本を開いて、パラパラとページを捲る。文字を追うのではなく、紙を捲る事を主目的とした動作。
「ふむ。まるでその場にいた様な口振りですね」
「以前、機密文書が保存されているサーバをハッキングした事があるので。その時にこっそりと」
スーツの男は青年の真正面のソファに座った。足を組み、彼の言葉を待っている。
「国連がジェノサイドと見做すケースは少ないのです。カチンの森はロシア政府が捜査を打ち切って、それっきり。ポルポト政権による原始共産主義を目指した知識人殺戮は、国内法廷。
ダルフール紛争はジェノサイドに相当すると思いますが……これも中々難しいでしょう。国連の常任理事国であるアメリカと中国が、それぞれ反乱軍と政府軍を支援している。ある種の代理戦争状態です。停戦協定が結ばれて、はいお終い。それ以上は踏み込めない。踏み込んだ場合、もっと莫大な血が流れる事になるから。安保理が機能しないことは昔からの教訓です。あんなものは紙切れよりも軽い……尤も、スレブレニツァの様に、彼らの鼻先で虐殺が起きればまた違いますが……」
青年は懐から手鏡を取り出す。辺りに映る背景と陽の光が乱反射して壁に影を作った。
「貴方は文化的なジェノサイド、文化浄化をご存知ですか?」
手鏡に彼が映る。見慣れた自身の顔と、見慣れない背景が溶け合って新たな絵画を形作った。
「何てことはありません。文化的、宗教的な存在や資産、人員を部分的に、もしくは全体を破壊する意図を持って成される破壊。それが文化浄化です。ラファエロ・レムキンはジェノサイドを構成するファクターの一つとも。言語破壊──使用されている言語を禁止し、その言語を用いた書物や記録、情報の破壊といった物もありますが、典型的な物としては像や遺産の破壊でしょうか。あぁ、それと──」
青年は、とっておきの悪戯を思いついたように。
「
その言葉に、スーツの男の笑みが深くなった。パキパキと、何かが剥離する音が聞こえる。
「やはり、貴方は面白い。招き入れて正解でしたよ……彼女の反対を押し切ってまで捩じ込んだ価値は大いにあります……えぇ、その通りです。そして、そのジェノサイドはまだ続いている。十字の周りには争いが絶えません。思想が変われど、時代が変われど、実行者が変われど、形を変えて虐殺は続いている。
それは旧時代から連綿と受け継がれるバトンです。この星は混沌から脱却できていません。故に、時折恋しくなってしまうのでしょう。全てが決められた理路整然とした徹底的なディストピアが」
「まるで、隣の芝生が青く見えるように」
スーツの男は「えぇ」と肯定して、腕を組んだ。だが、視線は変わらず手鏡を眺めている青年を捉えて離さない。
「時に、貴方はディストピアはお好きですか?」
「いえ、私は全体主義は迎合していませんよ。これでも教育者ですから、個性の輝きを消してしまうのは好ましくありません。ディストピアは悲しい、ユートピアは寂しい……」
「ふむ、貴方らしい答えですね。確かにその通りです。ですが、個人主義にも全体主義にも悪性があります。どちらの悪性を選び取るか、それによってその思想が垣間見えます」
スーツの男は一旦言葉を区切り、「そういえば」と言って。
「どうやら、カイザーコーポレーションの様子がおかしい様です。先程、ゴルコンダとデカルコマニーから連絡がありました」
「恐らく、本社が吹き飛ばされたのでしょう。巨大な民間軍事会社と言えど、戦術兵器には無力です。それに、彼らの大半はオートマタだ。ADS……アクティブ・ディナイアル・システムには抗えません」
その様子に、スーツの男……黒服の割れた様な目が細められる。遠い場所で、現在進行形で起こっている事を当然の様に把握している彼を興味深そうに見つめていた。
「何の力もない貴方が、何故そこまで早く情報を得れるのか……教えていただけませんか? とても興味深い」
「ただの推察ですよ。カイザーが慌てふためくとなれば、ある程度は予想がつきます」
「なるほど……いえ、深く追求するつもりはありません。良い男には秘密があるものです」
黒服はそう言って、窓の外を見た。青い空と、聳えるサンクトゥムタワーは彼らを見下ろしている。それはまるで、ビッグブラザーのように。
そして、青年は黒服の出したゴルコンダ、という名前に関連する物を挙げた。
「ヘイローを破壊する爆弾は、確かゴルコンダの作品でしたよね?」
「えぇ。彼の作品ですよ」
「ヘイローの破壊、とはよく言ったものですね。それは結果でしかない。アレの本質は神秘を失墜させる事にあります。僅かでも神秘を持つキヴォトスの住人なら猛毒になる、まさに神殺しの兵器だ」
「我々は神秘の探究者です。故に、それを否定する物をおいそれと認めるわけにはいきませんが……えぇ、アレは良い物です」
黒服は、伽藍堂の瞳で青年を見つめる。
「キヴォトスとは聖典等神話に語られる存在達のモデルケースだと考えられます。
ゲヘナは悪魔、トリニティは神の使い。この箱庭は突き詰めてしまうと驚くほど単純な二項対立になっている。ミレニアムはどちらかと言うとトリニティ側ですが、必ずしも神の使いという訳ではありません。
ミレニアム、千年王国は国家である以上人間によって運営されます。人間ですから善にも悪にもなる。数式を扱うのもそれが特徴です。人間は数字と計算式によって神々を暴き、世界を解き明かしてきたのですから。
アビドスは分かりやすい試練です。
この都市は箱舟ではなく箱庭、神話の存在達を観測するメガロポリス規模のモデルケースです」
黒服の語りを、青年は黙って傾聴している。ハーブティーを飲み、本をパラパラと読みながら。手鏡はすでに胸ポケットの内側に仕舞われていた。
「では、そこにおける先生の役割は何なのか。即ちそれは、神の子の代理人、少女から原罪を奪い去るもの。彼が磔になったその暁に、彼女達はこの箱庭の意味を理解するでしょう。彼を貫くロンギヌスこそが自身の罪を雪ぐ真実を。彼の遺体は分解され、各学院の最奥へと格納される。それは宛ら奇跡を起こす聖遺物のように。そこからまた信仰が生まれる。聖遺物信仰、神秘を持たぬ身でありながら神の子となった奇跡の主。どうか、その善性で我らを救い給えと祈り──────」
──────それによって厄災から守られるのです。
キヴォトスに存在する大きな意志は先生の死を望んでいる。そうした方がより長く、より良く、より強く繁栄できると知っているから。故に、彼はどんなに万全を期しても必ず何処かしらにつけ込まれる綻びが生まれる。それは彼の生存を許さない天上の神意であり、死因そのもの。
生徒個人が彼の生を望んでいようが関係ない。彼はキヴォトスにおいては生よりも死に重きを置かれているから、何をどうしようと決して長く生きられない。多少の足掻きも精々余生を気休め程度に長くするだけ。
事象改変型プロトコル、
使用する度に運命力と時間、人生を消費し……その果てには、肉体そのものや身体の機能、記憶、果てには概念まで簒奪してしまう。
有形無形問わず、先生という個体の大切な物を奪い取る機構。それが大人のカードの正体。現に、先生はこのカードの使用によって自身の名前を、
彼はこの箱庭に招き入れられた時点で詰みなのだ。
「いやはや、貴方も数奇な運命をお持ちだ……正しく、貴方はデバッガーです。ですが、例え貴方が正常でも、貴方以外の全てが異常であれば……貴方はマイノリティになる。大勢が白といえば、黒でも白になってしまう。キヴォトスの意志とは、そういうものです」
黒服はそう言って、ソファから立ち上がった。背後にある本棚、そこに収納されている本の背表紙を撫でて紙の感触を楽しむ。そして、目的の本を見つけたのか手に取り、パラパラとページを捲り……ソファに座ったままの青年に差し出した。キェルケゴール、死に至る病。
「キヴォトスの意志……えぇ、そうですね。キヴォトスには意志がある。続けようとする意志と、終わらせようとする意志。
生徒や私、貴方達は続けようとする意志です。生徒はここで輝く青春を謳歌したい。楽しいこと、辛いこと……彼女達はあの場所で生きたい。
私はそんな少女達を見守りたい。辛かったら手を差し伸べたい、あの子達の笑顔を守りたい。
貴方達は私達を観察対象としているから、続けてもらわないと困る」
青年はその本を受け取った。
「私の本当の敵は、終わらせようとする意志だ。この箱庭に潜む最後の問い……
「ええ。素晴らしい選択です、
その言葉に、
彼は座っていたソファから立ち上がり、服装を整える。シャーレの刺繍が施された白のコートが翻った。
「馴れ合うつもりはありませんよ。私は貴方達を使う、貴方達も精々私を上手く使ってください。全ては、あの場所にいる彼女達の為……その為に、私は貴方達という
──────ある回帰の会話より抜粋。
感想へのリンク
ゲマトリアメンバーの好感度
先生→黒服
年賀状くれたしそれなりに好き。でも生徒の為なら殺す。
先生→マエストロ
あの芸術性や美学は嫌いじゃない。でも生徒の為なら殺す。
先生→ゴルゴンダ&デカルコマニー
虚像と非実在の哲学は話していて楽しい。でも生徒の為なら殺す。
先生→ベアトリーチェ
死ね。
拙作を読んで下さっている読者の皆様の中でブルーアーカイブをプレイされていない方がいらっしゃいましたら、ぜひインストールしてメインストーリーをお読みください。2022/11/30のアップデートにてクエストを進めずとも読める様になったので、何卒……! 私は沼の底でお待ちしております。