シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
感想評価お気に入り登録誤字報告に救われる命があります。
アビドスを舞台にしたカイザーコーポレーションの策略、黒服を筆頭とするゲマトリアの暗躍、そして滅びの一柱たるビナーの目覚め、及び総力戦……クロノススクールのニュースでそれらがひっきりなしに報道されていた時期が少し前の事になった頃。
キヴォトスやアビドスは日常を取り戻し、いつも通りを謳歌していた。対策委員会は学校の借金を減らすために勤しみ、アビドスの住民は住処にて生活を営む。何かに笑い、怒り、喧嘩して、仲直り。眩しいくらいに美しい日常。アビドス対策委員会が守った、彼女達の居場所。その場所も完全復興が近い。
目まぐるしく事態が動き、それらが終息した時期のシャーレは酷く静かだった。主たる先生は入院しており、仕事は全て連邦生徒会が請け負っていたから。退院後も仕事自体は回されたものの、その量は普段とは比べ物にならないほど減っており……。
そういった事情もあり、先生はここ最近はかなり自分の時間……余暇を手に入れる事ができた。とは言っても、今現在趣味なんていうものはない。昔は人並に好きなものはあったが、精神を摩耗してしまい楽しむことができなくなってしまった。つまらない人間になった、と自分でも思う。だが、そんな事は嘆いても仕方がない。だからやれる事を、したい事を探そうと思考を回しても特には出てこなくて。
結局、今まで削りに削っていた睡眠時間に余暇を回していた。
「……んぅ」
シャーレオフィス、デスクで先生は目を覚ます。ぼんやりとしてピントが合っていない視界。数回瞼が引き合って、そして弾かれた。ライトを消している暗い部屋。窓から差し込む光もない今は午前3時に差し掛かる直前。意識を手放したのが午前2時過ぎであるから、1時間も寝ていない計算になる。
────最近、こういう事が多くなった。寝れないわけではないが、眠っても短時間で目覚めてしまう。浅い睡眠。疲労はきっと溜まっている。今は然程気にならないが、どうしても辛くなったらサヤに頼んで導入剤を処方してもらわなければならないだろう。或いは、自分で調合するか。
タッチディスプレイになっているデスクを操作すると、シャーレオフィスに明かりが灯った。視線だけ右に動かすとイルリガートル台が目に入る。上部にぶら下がった輸液バッグの中身は殆ど残っていない。
右腕に刺さった翼状針を手慣れた動作で引き抜いて、立ち上がった先生は軽く伸びをする。パキパキと音を立てて、体が解れた。
そのままデスクの引き出しを静脈認証で開けて、中に仕舞ってあるケースを取り出す。蓋を開け、中身の錠剤を3錠出して口に含み、水で飲み込む。
そのまま彼は必要な荷物を持ち自身専用のシャワールームへ足を運び、内部に入って鍵を掛ける。
ID、靴、靴下。コート、ジャケット、シャツ、カットソー、肌着。ベルト、スラックス、下着。その順番で服を脱ぎ、生まれたままの姿となった彼は体の表面……巻かれている包帯を確かめた。血は滲んでいない白を全て外し、彼の素肌が全て露になる。
火傷、切創、擦過傷、裂挫創、刺創。心臓付近の背中側まで貫通した傷と、左脇腹の痣。体に刻まれたそれらの経過を確認してシャワーを浴び、湯上りに包帯を巻くか、或いは人工皮膚を張り付けるかを選択する。朝のルーティンワーク。
そして、これらをすべて終え先生としての姿に戻った彼は普段通りならばオフィスに戻るのだが……今回は戻らずシャーレの地下、クラフトチェンバーが座す場所へと降りて行った。
「────まずまず、かな」
そう言って彼が出来栄えを評したのは、少し前に欠損した左足の指2本……それを補うための義指だった。
今までバタバタしていて頭の中から抜け落ちていたが、彼はあの時から足の指を失ったままであり、それを癒やす事も代替する事もなく今まで歩んできた。カイザー理事に啖呵を切った時も、黒服と対峙した時も、ビナーと殺し合った時も、ずっと。
ビナー戦後に運び込まれた病院で欠損が露呈しなかったのは偏にアロナが偽装鏡面プロトコルを局所的に稼働させてくれたからだ。
彼女には色々と無茶をさせてしまった。暫くは機能の負荷を先生側で請け負わなければならないだろう。
昔からそうだった。彼女は無茶をすると、無理をするとその皺寄せのように眠る時間が長くなる。睡眠をしてエネルギーの消費を抑えるために。
だから、眠る彼女を見ると本当に胸が締め付けられるような気持ちになる。己が彼女を酷使した動かぬ証拠を突き付けられるようなものだから。
「────アロナ」
呟くような声を1つ漏らして、彼は義指の取り付け作業に入る。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、指が3つしかない素足を晒す。そして、2本の指を取りつければ見た目は幾分かメカニカルだが形だけは一般的な足と変わらなくなった。左右の足を見比べても特に違和感はなく、そのまま歩いたり走ったり飛んだりしても動きにくさは感じない。概ね成功と言えるだろう。
仕上げに義指に人工皮膚を張り付ければ、見た目も生身と相違なくなった。実際に触れられない限りは恐らく気付かれる事はないだろう。
足の指が無くなった程度の怪我で誰かに心配を掛けたくない。踏ん張りが効かなくなったり、少し歩き辛かったりする位で日常生活を営む上では何も不便ではないのだから。
己の傷は隠すもので、痛みは呑み込むものだ。無闇矢鱈に訴えても状況は改善する事は無くて、失ったものは失ったまま。良くも悪くも元通りにできない。
キヴォトスの医療は優れているが、それでも欠損を再生できるほどではない。元の人体と相違ない形と機能を備えた義体を作れるが、中身はロジックの塊で肉の塊ではないから。
勿論、それについて不満に思ったことはない。義体と云えど、その性能は途轍もないほど優れている事は身に染みて分かっているし、一度失くしたものを代替できるだけでもありがたい。しかし、失った肉体が全く惜しくないかと問われれば────。
「……良くないな。思考が分散している。集中できていない」
先生は頭を軽く振り、思考をリセットする。最近はこうやって雑念が混じることが多い。アビドスに巣食う大きな問題が片付いたからか、それとも仕事に意識を向けられなくなったからか。或いは、単純な睡眠不足からか。いずれにせよ気が緩んでいる事は間違いない。
眠気覚ましも兼ねて両手で軽く頬を叩いて、先生は『先生』としての自己を再定義する。
「……よし、今日も一日、頑張ろう」
再び靴を履いた先生は、何時もの先生らしい顔を浮べてシャーレのオフィスへと戻っていった。
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「うへ、おはよう~、先生」
「ん、おはよう、先生」
「先生、おはようございます☆」
「おはよ、先生」
「おはようございます」
午前10時。ぞろぞろとオフィスに入ってくるのは、アビドス対策委員会の少女達だった。今日はシャーレに所属する運びになった彼女達に諸連絡や諸々の登録を行う日。先生の仕事場を見渡しながら、朝の挨拶をする彼女達の表情は好奇心や興味が透けていた。
「おはよう、皆。そして、いらっしゃい。シャーレへようこそ」
そう言って、にこやかに笑う先生。彼は慣れた動作で5人を応接室まで通し、お茶とお茶菓子を用意して、チェアに座らせ……プロジェクターを起動させて説明を行う準備を完了させた。
「さて、じゃあ早速だけど説明をさせてもらうね。何か分からない事があったら、気軽に聞いてくれると嬉しいな」
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最初は連邦捜査部シャーレの役割について。全体の仕事の内容や権力の範囲、連邦生徒会との位置付けについての話。
次は生徒が行う事について。当番制、と言われているアレだ。生徒が行う仕事内容や、各種規定……簡単に言えば業務を行う時間や、休憩、お給料の話だ。
仕事内容は基本的に先生のサポートであり、本人の能力や経験に応じて行う仕事内容は大きく異なる。例えばユウカは数理系の仕事が多くなり、ハスミは様々な仕事をバランス良く……といった具合に。
業務時間や休憩についても当然規定はあるが、然程かっちり決まっている訳ではないためある程度は融通が効く。
お給料についてはかなり良い額を貰える。平均的な時給を大きく超える額に、セリカの目が輝いたのはまた別の話だ。
一通り話し終え、質問も全て答え、一旦小休止。
先生はノノミとシロコに挟まれ、膝の上にはホシノが乗っている。最早見慣れた光景にアヤネもセリカも一々突っ込まなくなった。彼女達も随分強かになったものである。
「へぇ、アビドスに新規店が……」
「そうそう。砂嵐の影響が少ない駅近の郊外でも、土地代はかなり安いからね。今はカイザーも大人しいし、タイミングとしては丁度良かったのかも。店主さんも良い人そうだったよ」
「ん、これを機に少しずつ人が戻ってくると良いけど……それはまだ難しそう」
「ですが、大きな一歩です☆」
過疎化を重ねたアビドスに訪れた新しいもの。その到来をアビドスの少女達は心の底から歓迎していた。嘗てのような賑わいを見せるのはまだ先だが、それでも大きな一歩だ。店が増えれば経済が動き、経済が動けば人も増える。勿論、現実はそう単純ではないが、良い転機になることは間違いないだろう。それに、彼女達は愛した場所に人が訪れてくれるだけでも嬉しいのだ。来て、過ごして、その果てに『良い所だった』と思ってくれるならば、それに勝る幸福はない。
「先生はあれからどうなの? 沢山怪我してたし……」
「私は大丈夫だよ。連邦生徒会の子達が色々と気を遣ってくれてね。そのお陰で休める時間とか、色々と整理する時間が出来たんだ。あと数日もしたら、私も通常通りにシャーレの仕事をやるつもりだよ」
ホシノの裏から顔を出して微笑めば、セリカも安堵したような溜息を吐く。周りを見れば全員が同じような表情をしていた事に気付いた彼は「心配をかけてごめんね」と呟いた。その時、彼の吐息が首筋にかかったホシノは顔を真っ赤にしながら俯くが、真後ろにいる彼は当然気付いていない。
その後も取り留めのない話を続け、気が付けば全員のティーカップの中身とお茶菓子が無くなっていた事に気付いた彼は腕時計を一瞥して……ホシノを猫のように持ち上げ、膝の上から下した後立ち上がった。
「丁度良い時間だし、シャーレの中を案内するよ。ついでに、認証系も済ませちゃおうか」
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シャーレの中の施設と一口に言っても、中身も種類も様々だ。
彼や当番の生徒が実際に働くオフィスと、お客様を通す応接室、先生が時々使う休憩室。
体育館や図書館、視聴覚室、教室等の学校の施設が集まるフロア。
キヴォトスの生徒には欠かせない射撃場。
実験室、工作室、検証スペースといった一部の生徒が喜びそうな場所。
居住区の方に行けば生徒が宿泊できる部屋や浴場、食堂、菜園、果てにはゲームセンターやトレーニングルームまで完備されている。ワカモは基本的にこの居住区の一室か、先生の休憩室を寝床にしているが、今日は不在であった。
生徒が主に利用するのはこの位であり、階数的には1Fのエントランスからオフィスまで。クラフトチェンバーやその生成物の待機場、外部に漏らせない機密が保管されている書庫、危険物の保管庫が存在する地下は立ち入り禁止であり、管理者たる先生と連邦生徒会の室長以上のみが足を踏み入れる事ができる。
このように地下に関しては秘匿されているのに対し、オフィスより上の階……先生の私室や展望回廊があるフロアはオープンであった。アビドス対策委員会の少女達にも紹介できる程度には。だが、彼の私室と名前こそ付いているが、全くと言っていいほど利用しないため殺風景であり、これを見た生徒は皆苦笑いをしていた。
シャーレのビルのワンフロアを貸し切っただだっ広い部屋には利用した形跡のない電子レンジと冷蔵庫が無造作にあるだけ。これは『何もないのはちょっとな』と思った先生が買い、置いたものなのだが、却って逆効果だったようだ。先生にはインテリアコーディネートの才能がないらしい。
一通りの紹介を終えた後は彼女達が持つ学生証とスマホをシャーレのカードキーとして登録し、ついでに虹彩と静脈の登録も済ませ、5人から書類を受け取れば、彼女達は正式にシャーレ所属の生徒となった。
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「シロコ、そこの棚の……F61のファイル取ってくれないかな?」
「ん、分かった」
「ホシノ先輩、これって大丈夫?」
「ん~、多分いいと思う。でも、念のため後で確認した方が良いかも」
朝の静寂が嘘だったかのように賑わうオフィス。今日の日程はオリエンテーションのみで、その後は解散の流れであったが、彼女達は「実際に仕事やってみたい」と言って……そして、今に至る。異例の当番5人態勢。シロコは先生のサポート、ホシノとセリカには機密性の低い書類仕事を任せて、ノノミとアヤネは別件で外に出ている。
5人に仕事を割り振る事は大変だったが、単純計算でマンパワーが6倍になったため、見る見るうちに片付いていく。元からさほど量がない事も相まって、午後3時前だというのに本日分の仕事が終了しそうな勢いだった。
「アヤネちゃんとノノミ、ただいま戻りました~☆」
「2人ともおかえり。どうだった?」
「良い経験になりました。あの場で出た案をアビドスでも採用できないか、一度持ち帰って検討してみます」
そう言い、メモを片手にアヤネは満足そうな笑顔を零す。彼女達にはシャーレも一枚噛んでいる町興しのディスカッションに参加してもらった。
本来は先生が行くべきものであったが、彼が怪我を負ったと知った主催者達が『無理をせず休んでくれ』と、連絡をしたのが数日前。ぐうの音も出ない正論であったが、自身が関与した事を無責任に投げ出してしまったような気分で一杯になり……そこで、今日思い切って彼女達に聞いてみたのだ。
シャーレも噛んでる町興しに興味あるかな? ────と。
衰退の道を辿るアビドスに住む彼女達は当然興味を示し、彼は急いで主催者に連絡をし、主催者も快諾をしてくれて────今に至る。彼女達の様子を見るに良い刺激になったようだ。
「これ、主催者さんから頂いたお菓子です。皆さんで食べてくださいって」
「ありがとう。もう少しで今日の仕事は片付くし、終わったら皆で分けようか」
紙袋を受け取りながら、先生は『ちゃんとお礼しに行かないと』と思い、残りの仕事を片付ける。
全員の仕事が終わったのは、それから約10分後の事だった。
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仕事を終え、お菓子を摘まみながら雑談し、5時になったタイミングでシャーレを出た6人。そのままアビドスの方面の電車に乗り、最寄りから向かった先は屋台で再出発を果たした柴関であった。久しぶりに6人揃って夕食を楽しめば、時間なんてあっという間に過ぎ去っていく。
先生が会計を済ませ屋台から出たら、辺りはかなり暗くなっていた。
「今日はありがとう。本当に助かったよ」
「うへ、こっちこそありがとう」
「すみません、ご飯まで出していただいて……」
「この位、なんてことないさ」
彼がそう言って返せば、皆も顔を緩める。あぁ、こういう人だったな、と。
颯爽とした夜風が吹き抜ける。初夏の訪れを告げる風を肌で感じた彼は、歌う様に言葉を発する。
「じゃあ、今日はこの辺りで解散にしようか」
「ん、先生。夜道は危険。私が送ってく」
「心配ありがとう。でも、大丈夫だよ。駅も近いからね」
シロコの申し出をやんわりと断った彼は踵を返した後────顔だけを彼女達の方に向けて。
「また、いつでも遊びにおいで。当番じゃなくてもいいからさ」
少女達に向けられたその顔は、あまりにも儚くて。まるで蜃気楼、或いは雪の結晶のような、一瞬でも目を離したら溶けて消えてしまいそうな微笑みだった。
「それじゃあ、おやすみ。またね」