シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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誰かを迎える花

 D.U.地区。どこの学園の管理下にも存在しないキヴォトスの中では異例の都市。複数の空港や駅を備え、高層ビルが立ち並ぶその様は正に都心だ。その中でも一際目を引くのは連邦生徒会が所有する……キヴォトスの中で最も高いビルであるサンクトゥムタワー。首が痛くなるまで見上げても、その頂上を地上から伺う事はできない。

 

 空に聳えるサンクトゥムタワーは進化を重ね、空に手を掛けるに至った知性体の足跡だ。自分達は此処まで来た────その跡を残し、証明しようとする心の現れ。

 我らの前に栄えた知性体に対する感謝と、我らの後に栄える知性体へ送るエール。それを今期に栄えた生命の誇りとして残す。バベルの塔、とは言い得て妙で、何時か滅びるその時まで愚直に(ソラ)へ手を伸ばし続ける。

 

 閑話休題。

 

 D.U.地区にはサンクトゥムタワー以外にも多くの高層ビルが存在する。その中で最も目を引くものと言ったら、唯一つしかないだろう。ともすれば、キヴォトスの中で有名になろうとしている組織が保有する建物。サンクトゥムタワーよりは低いが、それでも地上からではその全貌が伺えない高さを誇る高層ビルは、ビルの主と合わせて密かに観光スポットと化しているシャーレのオフィスタワーだ。

 

 D.U.地区は眠らない街であるが、やはり最も活気に溢れるのは多くの人が活動する時間……朝の9時から夕方の6時の間になる。人で賑わう街。キヴォトスの繁栄、その縮図。

 ガラス張りになったエレベーターから下を眺めているのは、最早シャーレの常連と化した早瀬ユウカだった。特徴的なヘイロー。綺麗な青の髪を何時ものツーサイドアップに結んでいる彼女の表情は柔らかい。何せ、久しぶりの当番なのだ。アビドスに行き、入院し、またアビドスに行ったかと思えば、シャーレとして協力を要請され。彼の頼みを断る訳もなく同じセミナーのノアとコユキ、暇そうにしていたヴェリタスやエンジニア部、特異現象捜査部まで巻き込み過剰戦力で彼の下に行き、彼と共に神話の怪物と戦った。

 そして、戦いが終わったかと思えば彼はもう一回病院に叩き込まれたのだ。面会自体はしたものの、彼に負担を掛ける事を良しとしなかった彼女は比較的短い滞在にしており……ぶっちゃけると、彼に会えなくて寂しかったのだ。

 

 だが、今日のユウカはシャーレの当番。仕事という大義の元、一日中彼を独占できる。最近頻繁に当番に来ていたアビドスの少女達は、今日の当番の名簿欄に名前が記載されていない。更に言えば、ユウカ以外の名前は存在しない。つまりは突然の来客やプライベートで遊びに来る生徒を除けばシャーレのオフィスの中で彼と二人っきり。それに、少しだけ優越感を抱いていた。

 

 微弱な振動を味わった後、エレベーターのドアが開いた。オフィスがある階層。ユウカは肩に鞄を掛けて、黙々と足を進める。カーペットが敷いてある明るい廊下を迷いなく進めば、目的の場所に辿り着いた。

 

 扉の横のディスプレイには先生の予定と、本日の当番の生徒の名前。そして彼のステータスは在室になっていた。恐らく既に仕事を始めているか、或いは仕事をしながら寝落ちしているか。

 ユウカは深呼吸を1つして、鞄の中から手鏡と櫛を取り出して最終チェック。前髪を整え、肌や服にゴミが付いていない事を確認した彼女は道具を仕舞い、襟を正してからオフィスに足を踏み入れた。

 

「先生、いらっしゃいますか?」

 

 自動ドアを潜った先には白を基調とした清潔感のある見慣れたオフィス。明かりこそ点いているが、人の気配は感じられない。ユウカの声に対する返事も返ってこなかった。無論、予想通り。否、彼女風に言うなら『計算通り、かんぺき~』だろうか。彼女は足音を殺して奥のデスクまで歩いていき……突っ伏して寝ている先生を見つけた。

 

「……先生」

 

 呟き、彼を見る。まるで眠った春のような、小さな寝息を立てる彼。黒のスラックスと第一ボタンが外された黒シャツというラフな姿。基本的にいつもはかっちりとしている彼が見せる隙の多い姿は余りにも蠱惑的だった。

 

 彼女は毒気を抜かれた様な顔を浮べ……キャスター付きの椅子を転がし、先生の近くに座って彼を眺める。睡眠を因数分解する(叩き起こす)事はしない。ただ、隣に座って見つめるだけ。きっと、酷く疲れているのだから。コンシーラーで隠されている隈が動かぬ証拠。また徹夜したのだろう。デスクの上にはスリープ状態のシッテムの箱とノートPC、デスクトップPC。置かれたマグカップのコーヒーは一口も飲まれずに室温に冷めている。

 

「お風呂は……」

 

 立ち上がり、彼の頭と首元を嗅ぐ。汗混じりの匂いがするだろうと思っていたが、そんな事は全くなかった。勿論、寝汗の関係で全く汗を掻いてないわけではないだろう。だが、頭からはトリートメントの香りがして、首筋からはボディーソープの香りがする。シャツとスラックスは主張が控えめな柔軟剤。何時も彼が付けているホワイトリリーの香水と競合しないもの。

 

 ────お風呂には入ったみたいね。良かった。

 

 口には出さず心の中で思うだけに留めて、再び彼を眺める。よく見ると、彼は普通に整った顔をしていた。夜を退けるような長いまつ毛、愛に溢れた瞳と優しい言葉を発する口は閉じられている。健康的な肌色には毛穴すら見当たらない。女性として普通に羨ましいくらいだった。

 服の隙間から覗く鎖骨と、その下に続く女性と比べて筋肉質な体。ユウカ達よりも弱くて、脆くて、柔らかい体なのにいつも最前線に立ち誰かを守り続けてきた。

 

 ────貴方を守らせてほしい。決して折れない貴方を。傷ついたままの貴方を守らせて。そう希っても貴方はきっと申し訳なさそうに微笑むばかりで、きっと頷いてくれない。

 

 本当に難儀な、罪作りな人……そう思っていると、「んぅ」と悩ましそうなくぐもった声が聞こえた。先ほどまで閉じられていた瞳が薄っすらと開かれていて世界を映していた。手を突いて上体を起こし、椅子の背に凭れながらぼうっと天井を見つめている彼にユウカは声を掛ける。

 

「おはようございます、先生」

「……おぁよう」

 

 半ば反射のよう。声が聞こえた方へ顔を向けて、呂律が回っていないふにゃふにゃな挨拶をした。彼は朝にあまり強くないのだ。視界もピントが合っていないから、挨拶をした生徒が誰かも分かっていないだろう。

 彼は寝ぼけ眼を擦りながら冷めたコーヒーを口に含み、意識を覚醒させた。

 

「改めておはよう、ユウカ」

「はい、おはようございます、先生。お仕事も良いですが、徹夜続きは駄目ですよ?」

「あはは……私にしかできない仕事が多くてね。でも、セーブしながらやってるから大丈夫だよ」

 

 カイザーコーポレーションが行ってきたブラックオプスの数々に対する報告書と、それに対するシャーレの方針。これは彼の一存で決められるような簡単な事ではなく、連邦生徒会とも擦り合わせなければならない。連邦生徒会はキヴォトスの治安全体を見据えた方針で、シャーレの方針は生徒の安全に寄り添ったもの────そんな棲み分けがされている。

 

 そして、ビナー戦。当然の如く戦闘データは全て提出。引き摺り出した攻撃パターン、防御パターン、回避パターンの羅列とその対処法を全てレポート形式で連邦生徒会のデータベースに保存した。そして、数日後には連邦生徒会主催の各学園の重鎮を招いた対策会議が開かれる。恐らく今後も戦う神名十文字(デカグラマトン)を見据え、各学園が円滑に協力できるように情報共有を図るのだろう。当然、その会議で使う資料の作成者と当日の発表者は先生だ。だが、来る日の為に連邦生徒会が昼夜関係なく動いてくれているのは彼も良く知っている。

 ────彼が休まずに働き続けるのは自分以外の生徒が頑張っているからだろう。

 

 ゲマトリアの暗躍は意図的に省いた。これは彼の仕事だ。他の誰かに、ましてや生徒に任せる訳にはいかない。大人の相手は大人がすべきなのだから。

 

 協力を要請した各学園への報酬の支払いもある。生徒達は皆『報酬はいらない』と口を揃えて言っていたが、今回はシャーレの正式な依頼のため受け取って貰わなければ彼と連邦生徒会が困る。使われた弾丸だって無料ではないのだから。働きに対する正当な報酬とお礼だと思ってどうか受け取ってほしい。

 これに加えて、動員した学園の生徒会に対する事情説明と、発生したインシデントの後処理、事後処理……そして、実際に戦ってくれた生徒達に対するお礼。特に生徒に対するお礼はちゃんと一人一人面と向かって告げている。勿論、例外はない。文字通りあの場に居た全生徒に真正面から向き合い、真摯に感謝の言葉を送ったのだ。

 

 ────と、これらが彼にしかできない……彼自身の意志が大きく干与する仕事だ。

 当番の生徒には細々としたその他の雑務を任せ、その間に彼は自分にしかできない仕事を行う。

 当番の生徒がいないときは一日中シャーレを留守にして各学園へお礼をしに赴き、言葉を交わす。尤も、これは数日前に全員分が終わってしまったが。

 

 故に彼はここ数日、殆ど外に出ずシャーレに引きこもりながら書類と格闘している。気が滅入りそうになるが、先延ばしにしても良い事なんて何もないと知っている彼は黙々と仕事を行い続けていた。当番の生徒と交わす取り留めのない会話を癒やしにしながら。

 

 凝り固まった体を解すように伸びをする彼は「あ」と短く声に出して。

 

「何か飲むかい? コーヒーも紅茶もあるし、多分冷蔵庫の中にはジュースも入ってるけど……」

「いえ、お構いなく……というか先生、食事はちゃんと取ってくださいね」

 

 ユウカはジト目で先生のデスク横に設置されている小さなゴミ箱を指差す。中身はゼリー飲料とカロリーバーのゴミが大半で、残りは仕事の合間に摘まんでいたと思われる高カカオのチョコレートが幾つか。

 時短を意識した食事はまるで生存に必要な栄養さえ補給できれば良いと言っているようなもので、彼の多忙さが伺える。だが、そんな状況でも食事は疎かにすべきではないのだ。

 

 痛い所を突かれた彼は誤魔化す様に苦笑いを浮べて「大丈夫だよ」と口にするが、何も大丈夫な事はない。このまま突き進むと近い内に栄養失調で倒れてまた病院のお世話になりそうだった。ユウカは『全く、先生は私が居ないと駄目なんだから』と内心で思いながら、椅子から立ち上がる。そして、奇しくも先生も全く同じタイミングで立ち上がった。

 動作がシンクロした2人は互いに顔を見合わせて一瞬だけ微笑みを交わし、キッチンへ向かっていく。ユウカは先生の朝食を作りに、先生はユウカの分の飲み物を淹れに行くのと、彼女の手伝いをしに。

 

 

 ▼

 

 

「ご馳走様でした」

「ご馳走様でした……私の分までありがとうございます」

「気にしないで。それに、ユウカも朝食まだだったんでしょ?」

 

 互いに専用のマグカップを傾けながら、食後のコーヒーを楽しむ。インスタントではない、一から焙煎して淹れたコーヒーは手間の分だけ美味しく思える。誰かと飲むなら猶更。

 

「ユウカは朝ご飯を食べれる、私は誰かにご飯を作れて嬉しい。正にWin-Winの関係じゃないかな」

「そういうものですか?」

「そういうものだよ」

 

 ユウカが少し手を伸ばせば触れられる距離にいる先生。彼はいつものように笑っている。

 

 ────彼は文字通り、二度死にかけた。一度目の詳細は不明だが、二度目は知っている。その場に居たのだから。

 心臓の真下に直径5mmの風穴が空けられた。無論、致命傷だ。仮にナノマシンが定着しなければ帰らぬ人になっていただろう。そんな状態で、彼は誰よりも戦っていた。自分以外の誰かの為に。

 

「先生」

「どうしたの?」

「……もう無茶はしないでくださいね」

 

 ユウカの健気なお願い。それに先生は上手く頷けない。だから、苦笑いとも微笑みとも取れる曖昧な表情を浮かべて笑う。その笑みが、ユウカは酷く痛々しく見えて仕方がなかった。

 

「全く、私は駄目な大人だよ」

「そうですね。お金の管理もできないし、すぐに食事は疎かにするし、徹夜ばかりですし……」

「困ったな。身に覚えがありすぎて全部否定できない」

 

 お手上げだ、と言わんばかりに両手を上げる彼。確かに彼は駄目な大人だろう。特に私生活、生徒が絡まない部分は非常にだらしない。

 

 だけど────そう、だけど。

 

 彼はそういう甘さを補って余りある魅力がある人なのだ。寧ろ、その甘さすら人を惹きつけるスパイスになっている節がある。例えば────今のユウカのように。

 

「えぇ、先生は駄目な大人です」

 

 お金の管理はできなくて。

 書類仕事が苦手ではないけど嫌いで。

 終わらないからと徹夜を続けて。

 私生活はだらしがなくて。

 

 しかし。

 

 困っている人に真っ先に手を差し伸べる善性がある。

 生徒に向き合い、寄り添い、教え、導き、守り、救う優しさがある。

 先生として、大人として、一人の人間として心の底から生徒を愛し、大切に思っている。

 

 そういった部分がユウカは非常に好ましかった。

 

 

 ▼

 

 

 その後はユウカと先生は阿吽の呼吸で仕事をし続け、本日分のタスクは全て終わらせた。当番が終わる時間まではユウカと雑談をしながら穏やかな時間を過ごし、帰る彼女を見送り……先生は広いシャーレに一人残された。

 

 彼は明日の準備や生徒の前ではできない類の仕事を済ませ────今は、シンデレラの魔法が解ける頃合い。

 

「さて」

 

 先生は酷く優しい声音で語る。

 

「ユウカは帰宅、ワカモは不在。電子機器も全て動作を停止させた。この場で起きる事は記録に残らず、記憶に残るだけ」

 

 誰も知らない、たった二人の会合。

 

「ビナー戦以来だね────ノア」

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