シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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斬刑

 

 事の発端は、ヴェリタスが謎の機械を偶然発見し、それを自身の部室に運び込んだことだ。

 継ぎ目も無い球体型のボディと、そこから垂れ下がる数本の触手と、蜘蛛のような足。幾ら弄ってもうんともすんとも言わないそれに不気味さを覚えた彼女達は先生を呼んだ。よく分からないものが見つかったから助けてほしい、と。

 ヴェリタスから機械の特徴を聞いた彼は、即座にその謎の機械が無名の守護者だと至り、機械に触らない旨と、その場から離れてほしい旨を告げて通信を切り全速力でミレニアムへ向かった。

 

 向かう途中、彼は『間抜けが』と内心で己を罵倒する。学園の事情に精通している彼は当然の如く無名の守護者が活発化しているのを知っていた。そして、危険極まるそれらを掃討する為の作戦も既に立てていて、あとはリオの押印を待つだけであったのだが……現実は彼の事情なんて知った事ではなく、待ってはくれなかった。

 ならば、せめて────その一心で、彼は街を駆けていた。

 

 切羽詰まったような、彼にしては珍しい余裕のない口調を聞いた少女達は『これちょっと拙いんじゃない?』と思いながら、一先ず大事なものだけ持って部室の外に出たところ────ばったりと、ゲーム開発部の少女達と出くわした。

 

 聞けばヴェリタスが謎の機械を入手した、という話を風の噂で聞いたらしく、それの見物に訪れたようだった。新作ゲームのインスピレーションを得るために。だが、先生が通信越しに言っていた内容を話すとあっさりと引き下がり、また別のインスピレーションを探しに4人は踵を返そうとして────その時、聞こえた。

 

 モモイのゲーム機が起動する音が。

 

 瞬間、アリスの様子が変貌した。まるで電池が切れたような……或いはPCが再起動したような。アカウント(人格)が、切り替わった。

 

「────起動開始」

 

 日常が音を立てて崩れて。

 

「コードネーム、AL-1S、起動完了」

 

 少女達に決定的な終わりを突き付けた。

 

「プロトコルATRAHASISを実行します」

 

 

 ▼

 

 

 先生が訪れたときには、もう既に戦闘は始まっていた。爆発して瓦礫と化したヴェリタスの部室と、断続的に奏でられる炸裂音と銃声。遅かった、と奥歯を嚙み砕かんばかりに食いしばって彼は生徒達と接続する。

 

 状況は全て把握している。アリスの人格がケイに切り替わった事、それがトリガーとなって無名の守護者が起動した事。C&Cは別の場所で起動した無名の守護者の対処に当たっているため、此処に来るのは速くて10分後。

 

 通常の無名の守護者が相手ならば苦戦はしない。このメンバーでも充分に勝てるだろう。だが、相手にアリスが居るならば話は別だ。彼女が機械のスペックを過剰なまでに高めている。恐らくは神秘を供給しているのだ。それも、無名の守護者本体の方が耐えられずに自壊するレベルの量を。

 

「……アリス(■■)ッ」

「有機体の生存反応を確認。照合……照合完了。プロトコルLONGINUSを実行します。救世主(先生)に、(救済)を」

 

 先生の声は届かない。否、届いている。届いているが────彼女は止めなかった。苛烈を極める攻防、互いに一歩も退かぬ凄惨な戦闘は、とうとうシッテムの箱の電力を食い潰す。途端に無くなるシールドと攻撃支援。生徒との接続は何とか持たせているが、それも長続きするものではない。

 

 故に────大人のカード(切り札)を何時でも起動できる状態にした。

 

 その善性を、輝きを見て彼女は不快そうに眉を顰めた。

 ────そうだ、あの眼だ。諦めを投げ捨てた不撓不屈。絶えず前進し続ける鋼の決意。誰か(みんな)を救わんとする光の権化。例え手が折れても、足が折れても、死んでも、心だけは折れない。

 

 その姿が、その心が、彼女は死んでしまいそうなほど大嫌い(大好き)だった。

 

「プロトコルCalvariaeLocusを実行します。先生(あなた)安らぎ(口づけ)を」

 

 更なる出力上昇。それは何とか拮抗していた戦線を崩すのに充分過ぎる決定力を持っていた。徐々に押される前線、真綿で首を締めるように少しずつ敗北の足音が近づいてくる。

 

 そして、ついに恐れていた事態が起きた。

 

「ミドリッ! 避けてぇッ!」

 

 耳に届いた姉の声、絶叫。顔を上げると、謎の機械が刃を振り抜いていて────ミドリは『死んだ』と思った。理屈は無いが、あれは確かに己を屠るだけの殺意と機能を備えていて、切り裂かれた瞬間に絶命する────なんて、出来れば当たってほしくない直感が囁いた。

 

 だが。

 

「────ぇ」

 

 刃とミドリの間、彼女を庇う様に白が立ち塞がった。何度も見た背中。何度も守られた手。なんで、なんて思う暇はなくて。伸ばした手は届かなくて。

 

「ごめん」

 

 そう呟いた、彼の顔は見えない。

 

「おやすみなさい、先生。どうか、良い死後(ゆめ)を」

 

 何処か安堵したような、アリス(■■■)の声。

 

 そして──────全ての銃声が遠のいた。

 

「──────っ」

 

 それは、あまりにも呆気ない幕切れだった。思わず興醒めだ、と呟いてしまうほどに拍子抜けで、無様で、三文芝居じみていた。

 

 自在にうねる触手。そこから繰り出されるしなやかで鋭い斬撃。それは無防備な軟い皮膚を切り裂き、総頸動脈を切り裂いた。そこに一切の迷いも、狂いもない。人間一人を屠るのに必要十分な力、深さで以て、まるで撫でるように。

 

 一拍置いて、ぱっと咲く赤い花。切り裂かれた首から溢れる夥しい量の命の色。それは周囲に飛び散り、瓦礫と化したヴェリタスの部室と、彼のすぐ近くにいた生徒を毒々しく彩った。

 

「せ、んせ……?」

 

 顔に、手に、髪に服に感じるのは少し前まで体に通っていた筈の温度。視界に映る彩度がきつい赤は少女達の思考を絶望に塗り潰す。周囲に立ち込める咽せ返るような血臭と、死の香り。彼の香り……ホワイトリリーが散って、その上から彼岸花が咲いた。

 死人花────死体の上に咲く、血を吸った赫。葉見ず花見ずの曼珠沙華。

 

「な、なん、な、あ、あああッ……!」

 

 全身が赤でべったりと濡れた。濡れた。何で────答えは、もう分かっている。その筈だ。解は唯一つ、この目で見た。今、目の前で起きた事こそが現実だ。夢なんて都合の良い現実逃避に縋る事なんてできない。

 

 首から溢れる鮮血が網膜に焼き付いて離れない。

 髪に、顔に、服に、手に染みついた血の香りは拭い取れない。

 零れた命の温度は忘れられない。

 

 あの光景が、数瞬前のあの惨劇がずっと脳内でリフレインする。まるで少女達の首を縊る呪いのように。

 

 だが、それでも────この場にいた全員が、その光景を現実として受け止められなかった。受け止めたくなかった。

 

 視界がブレる。声帯が凍り付く。奥歯がみっともなくがちがちと音を立てて、心臓が早鐘を打った。酷い吐き気がして思わず口を押さえてしまって……その所為で、掌に付いた彼の血が、口元にべったりと。もう何がなんだか分からなくなって、今自分が何をしているのかすら分からない。

 

 ぱしゃり、何かが水溜りに落ちる音。崩れ落ちた肉体が鮮血の元に斃れた。ぴくりとも動かない。

 

 そして────ミドリは喉が張り裂けんばかりに絶叫した。

 

「いやあぁぁぁぁぁッ!」

 

 銃を放り投げた彼女は糸の切れた人形のように倒れる先生を抱えて泣き叫んだ。何時もなら優しい笑顔を浮べていた顔はもう見る影もない。口から血の泡を零し、それよりも多くの血を切り裂かれた首から流す彼はミドリの呼びかけに一切の反応を示さなかった。眼も酷く虚ろで、呼吸の度に命が失われる。意識もあるのかないのか分からない。

 

「先生ッ! 先生ッ! 目を開けてッ! 先生ッ!」

 

 抱き締めると、彼の体の温度に絶望しか浮かばなかった。首から滴る鮮血。綺麗なままの肌に刻まれた致死の一撃、斬首痕。真一文字に切り裂かれた場所からは絶えず命が零れて、彼を黄泉の国へ連れて行こうとする。

 飛び散った血に反比例するような、青褪めた肌。これほど冷たい、命から肉塊に成り逝くモノを抱えるのは初めてだった。

 身体の震えが、涙が止まらなくて。死んでしまいそうなほど苦しくて。

 (ヘイロー)が、砕け────。

 

「揺らすんじゃねぇ!」

 

 その怒りに満ちた、だが何処か理知的な声は一瞬だけミドリの震えを止めた。そして、その一瞬でネルはひったくるようにミドリから彼を奪い取り、その傷を見る。

 

 切り裂かれたのは本当に必要最低限。然程深い訳ではない。だが、それでも総頚動脈を切り裂かれたのだ。即座に命に関わる致命傷。流れた血の量も決して少なくない。彼の体重から逆算して、死に至る流血量を算出。恐らくまだそのラインには至っていないだろうが、それでもあと数分で届く。一瞬の油断も許されない。そして、斬首痕以外に傷は見られない。処置しなければならない患部が一ヶ所だけなのは、此方としてもありがたい。

 

 最後に虚ろな、蒼が明滅する眼を覗き込むと……僅かに瞳孔の収縮反応が見られた。小さく弱いが脈もあって、自発呼吸も止まっていない。

 

 ────まだ、助かる見込みはある。

 

「今は止血が先だ。何が何でも血管を塞げ。ナノマシンを投与して、服を傷口に巻きつけろ。その後はミレニアムの保健室だ。全員ぶん殴ってでも処置に当たらせろ。アカネ、アスナは先生を連れて撤退。カリンは援護だ。アタシは此処で殿をやる」

「了解ッ!」

 

 ネルの的確な指示の数々。C&Cのリーダーとしての状況判断能力は確かに先生の命を繋ぐ最適解を導き出した。

 

 アカネが彼を治療しながら、アスナが持ち前の規格外の直感と幸運を活かして事前に危機を察知。そしてアカネや先生に矛先が向かない様に前衛を務める。

 

 どうか、彼女の幸運が彼を守らんことを────今はそんな神頼みしかできない。

 

 カリンはアスナとアカネの援護に徹させる。先生を抱えている今、アカネは戦闘は可能な限り避けた方が良いだろう。アスナだけでも充分だとは思うが、先生の命に関わる今、念には念を入れておく。出し惜しみはしない、フルスロットルだ。

 

 そして、暴れるのか得意なネルはこの場で殿を務める。逃すつもりはない。一切合切、スクラップにしてやる。

 

 適材適所とは正にこの事。エージェント1人1人の得手不得手を知り尽くしている彼女だからこそできる人員配置であったが……それでも、間に合うかどうかは分からない。

 

 しかし────諦めることだけはしない。

 

「ご主人様、意識を確かにッ。必ず助けてみせます……!」

「ご主人様の道は私達で切り開くッ!」

「もう先生に指一本触れさせない。敵は任せてッ」

 

 先生を抱え、戦場から離脱する3人。その顔は焦燥と不安、恐怖に歪んでいるが、やるべき事は決して見失っていない。それぞれが先生を生かす為に、己の全力を尽くしていた。

 

 そして、その背に追い縋る謎の機械。鮮血が滴る刃を携えた個体が再び彼に牙を剥かんとした時────ネルの手が閃き、破滅的な銃撃音が奏でられた。怒りの爆発に伴い上昇した神秘によって何倍にも増幅された威力の銃弾は忽ち敵を滅ぼし、嵐の後には穴だらけの、原型を留めていない何かが残るのみ。

 

「おいチビ共、泣くのは早ぇ。先生は助かる。C&C(アタシ達)が助ける。だから銃を取れ。前を向け。諦めるな。アタシ達で、コイツら全員叩きのめすぞ」

 

 その言葉を聞いて、モモイとユズの相貌に僅かな光が灯る。あのC&Cが助けると言った、助かると言った。彼女達の強さは、心強さは良く知っている。だから、今回もきっと大丈夫だ。保健室できっと目を覚ます。眼を覚まして、きっと何時もみたいに笑ってくれるはずだ。

 

 そう思って、そう思い込む事にして、胸に巣食う黒を現実逃避の袋小路に叩き込む。そうしないと不安と絶望と焦燥でどうにかなりそうだったから。ネルの言葉が信じられない、という訳ではない。ただ、あの光景が網膜に焼け付いたままなだけで。

 

 ────2人は震える小さな手で、再び銃を握り締める。

 

「ヴェリタスはチビ共を見張ってろ。自暴自棄になんてさせるな。危なくなったら撤退も視野に入れて良い。最悪、アタシ一人でもなんとかなる」

 

 有無を言わせないネルの指示を前に、彼女達は静かに頷いた。荒事がそこまで得意な訳ではないが、それでもゲーム開発部共々真面な戦力としてカウントされていないのは思う所がある。しかし、それも仕方のない事だろう。ネルの前では殆どの生徒が足手纏いになってしまうのだから。

 

「ハレ、マキ、大丈夫ですか? 辛いのであれば……」

「……まだ、大丈夫」

「あたしも……モモとユズは?」

 

 マキの目配せに、モモイとユズは気丈に頷く。瞳孔が開き切っていて、どう見ても大丈夫な状態ではないが……それでも、此処に残る事を選んだ。大切な仲間の為に。

 

 だけど、ミドリは。

 

「ごめんなさいッ……ごめんなさいッ……先生……」

「……ミドは、下がらせた方が良さそうだね」

 

 大粒の涙を流しながら後悔を紡ぎ続けるミドリだけは下がらせた方が良い。もう戦える状態ではない。銃も放り出して、震える体で泣き続ける彼女をこの場に留まらせ続けるのは悪手であろう。

 

 無理もない話だった。第三者の視点……離れた場所であの光景を見た自分達と違って、彼女は目の前で見てしまったのだ。飛び散った血も、その温度も、全て。慕っていた、好いていた人の斬首を脳に焼き付けて、その血を浴びて冷静でいられる訳がない。

 

 だから、下がらせる────理屈的には正しい。だが、どうやって下がらせる? 彼女一人では無理だ。ヴェリタスの誰かが付いた方が良いのだが……C&Cが3人抜けてしまった今、これ以上動かせる人間を減らすのは戦力的に少々厳しい。ネルは『一人でも良い』とは言ったが、相手は正体不明の敵。万一の事を考えると、残せる戦力が多いに越したことはない。

 

 だが、しかし────思考が袋小路に入りかけたその時。

 

「何の騒ぎかと思って来てみれば……こんな事になっていたなんて」

「……副部長」

 

 ヴェリタスの副部長、各務チヒロがM27IAR(バックドア)を担ぎながら瓦礫の山と化した元部室に足を踏み入れた。彼女は眼鏡の奥の瞳に訝し気な色を灯して、周囲を見る。

 まず一番最初に飛び込んで来たのは謎の機械達。これは知っている。最近、ミレニアムの郊外で発見されている出所不明の何かだ。何故此処にあって、起動しているのかは分からないが……それはいいだろう。大事なのは、それらが自分達に敵対しているだろうという事だけ。

 

 そして、その機械の指揮官と思われるのは────。

 

「……何があったのか分からないけど、あれが部室を?」

「はい。部室を破壊し、先生を……いえ、丁度良い所に来てくれました。彼女を任せてもいいですか?」

 

 コタマにしては珍しい、切羽詰まったその様子にチヒロも少々驚いたが……それだけ拙い状況なのだと判断して思考を切り替える。気になる事なんて山ほどあったが、聞くべきは今ではないと思い……彼女はミドリの方まで歩を進めて。

 

「立てる? 立てないなら背負うけど……」

 

 中ば条件反射のようにミドリは差し出された手を握る。己の手で。先生の血で染まった、赤い手で。

 

 ミドリの手を引き、一先ず安全な場所まで離脱していくチヒロを視界の隅に入れながら……ネルは、目の前の見知った見知らぬ少女を見る。

 

「────おい、アリス(チビ)

 

 普段なら肩を跳ねさせ、怯えつつも愛らしい反応を返してくれるアリス。しかし、彼女は虚ろな瞳でネルの向こう側、虚空を見つめている。

 当然の如く反応は皆無。青空を写したような瞳は赤とピンクが混ざったような不気味な色合いに。そして、ヘイローもアリス本来の色からその色に侵食されつつある。

 

「テメェに何があったかは知らねぇ。コイツ等との関わりも分からねえがよぉ……それでも、アタシの知るお前はそんなんじゃなかった。だから、よぉ────ちっとばっかし、寝てろ」

 

 無数の無名の守護者(謎の機械)を率いるアリス(■■■)と、ミレニアムが誇る最強(ネル)が再び激突した。

 

 

 

 

「……んで、何があったんだ?」

 

 大半の無名の守護者を一人で叩きのめし、アリスの意識を刈り取ったネルは辺りの惨状を見渡しながら瓦礫の山に腰掛ける。耳に付けた通信機からひっきりなしに届く報告に眉を顰めながら、今の自分に必要な情報だけ聞き取り、記憶に留めていく。

 

「すげぇ音がしたら来てみれば先生は拙い状態になっていたし、部屋が木っ端微塵じゃねえか。あのチビも分かんねぇ事になっていたし……あぁ、テメェ等は大丈夫か?」

「そんな事より先生はッ」

「……首の皮一枚繋がった。これ以上の処置はウチじゃ厳しいから、D.U.の病院で治療中だ。護衛にはC&Cからアスナとカリン、セミナーから会計(ユウカ)書記(ノア)が付いてる」

「ミレニアムの技術でも厳しいって……そんなに先生の怪我は……」

「怪我自体は別に複雑じゃねえ。程度を無視して言えば単純な切り傷だしな。だが、輸血が出来ないんだとよ」

 

 ミレニアムの保健室にストックしてある輸血パックはヘイローを持つ者(生徒)のフォーマットに合わせてあるため先生には使えない。故に、血が足りない場合は他の場所に態々足を運ばなければならないのだ。キヴォトスの中にある無数の病院の中から、彼用の血がストックされている病院を見つけ出した上で。

 

 だが、今回はそれらの工程を全てすっ飛ばせた。ノアの尽力のおかげで。彼女の力添えが無ければ……そう思うだけで背筋が凍り付いてしまう。

 

 ────総頚動脈の完全切断ではなく、損傷。ナノマシンの早期投与。ネルの指示。アスナ、カリン、アカネの尽力。救護班の懸命で的確な処置。過去の記憶を頼りにしたノアの協力。

 

 最後に、アロナ。彼女は電源が切れても尚、傷口の拡大を防ぎ、血流を操作し、助かる状態を維持し続けた。これがなければ、彼は確実に帰らぬ人になっていただろう。全員が全員やれる事をやって、最善を尽くしたおかげで彼は首の皮一枚、命を繋ぐことができた。

 

「一応、覚悟だけはしておけよ。首を掻っ切られてんだ、いつ天秤が傾くか分からねぇ」

「……ッ!」

 

 彼の命は依然薄氷の上、いつ黄泉に転がり落ちても不思議ではない。元より、総頚動脈を切り裂かれて生きている方がおかしいのだ。命の灯が消えていない今が奇跡の状況。この先も奇跡が起きてくれるとは限らない。何度星に願っても起きないから奇跡なのだ。

 

 故に、『覚悟(死を受け止める準備)だけはしておけ』とネルは告げた。心の整理だけはつけておかないと、受け止めきれずに壊れてしまうかもしれないから。自暴自棄になるのは駄目だ。自刃も許されない。そんな事をしても彼が決して喜ばないのは、彼と関わった全ての時間が証明している。

 

 ────斯く言うネルも、別段心の整理が付けられている訳ではない。今自分が冷静にならないと終わる、という自制心が彼女の心を押さえつけて無理矢理冷却している。それに、この場における年長者としての意地もあった。後輩に無様な姿を見せる訳にはいかない、と。

 

 彼女は数回深呼吸して両手で頬を叩き、意識を切り替える。今は、目先の事を考えなければ。

 

「おいチビ共、そっちは……」

 

 視線を向けたその先には、ゲーム開発部の少女が2人居た。先に撤退したミドリと、ネルの近くで眠るアリスを除くメンバー……モモイとユズ。だが、2人の内意識があるのは1人しかいなかった。

 

「ネ、ネル先輩……あぁッ、も、モモイが……!」

 

 意識のないモモイを抱えるユズは泣いていた。奥歯をがちがちと鳴らして、自分とそう変わらない背丈の大事な仲間を震える手で抱えて、ネルに縋る。どうか、仲間を助けてほしいと。

 

 もう彼女は限界だった。アリスが何かに乗っ取られて、敵になり、先生とモモイを傷つけて。

 彼女からしてみれば、いきなり大事な人を3人も失ったようなものだ。心が砕けてしまうのも無理はないだろう。

 

「チッ……おい、救護班。怪我人1人追加だ。意識不明、原因は恐らく頭部への衝撃……あぁん? 非番? 知るか、全員引き摺り出せ」

 

 ネルはユズから受け取ったモモイを診ながら通信機越しに指示を飛ばす。非番も休暇も知った事ではない。大事なのは怪我人の処置だ。ミレニアムの中で、自分の庭でこれ以上の失態を重ねるのはネルのプライドが許さない。

 救護班に檄を飛ばし、非番の人員すらも総動員し、それでも足りない人材は他の部門から引っ張って、何とかモモイの処置ができるだけの人材を確保した。

 

「ほら、とっとと行け。このチビは大丈夫だ。意識はねぇが、息はある。安静にしてれば(じき)に目を覚ますだろうよ」

「は、はいッ! あ、ありがとうございますッ!」

「礼はアタシじゃなくてアイツ等に言ってやれ」

 

 ぺこりと頭を下げ、駆け足で去っていくユズ。遠くなる背中を眺めながら本日何度目かの溜息を吐いて……横たわったまま動かないアリスを抱えた。

 

 彼女もまた傷を負っている。先生は勿論モモイと比べても軽傷であるが、処置が必要な怪我もあり、彼女の早期復帰も考えると保健室に運んで専門家に任せた方が良いだろう。しかし、目が覚めた時……その時のアリスは本当にあのアリスなのだろうか。

 

 その不安もあり、ネルはアリスをこの場に留める選択をした。怪我人と非戦闘員が集まる保健室で、先ほどのように暴れられたら本当に拙い。

 

 だが、それでも────アリスを信じたい気持ちが強い。目を覚ましたら、あの生意気な笑顔で『チビメイド様』とか『チビネル先輩』とか呼んでくれるのではないか。そんな希望的観測が、脳裏から離れてくれない。

 

 そして、先生についても。ひょっこりと何食わぬ顔で『遊びに来たよ』と笑ってくれる……という都合の良い妄想がずっとリフレインする。

 

「……儘ならねぇなぁ」

 

 細く、誰にも聞こえない声量。ネルは曇天を見上げた。

 

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