私達一家は、スペンサー卿の本邸の門前に立っていた。
これから貴族のパーティーが催されて、私はノーチェスの言う『始祖花』のサンプルを採取しに行かなければならない。
いやでも鼓動が高まってしまう。
会社のプレゼンだって、まだ若干落ち着いていたと思う。
人は何というか、面倒な生き物だ。
人は他種より考えることで、洗練された道具を生み出したり独自のルールを作ることができるのである。
文明の利器も文化もみな、人の思考が生み出してきた産物である。
よって、人にとって思考が最大の長所とはいえ、その長所に振り回されてしまう人も少なくないだろう。
道具をうまく扱えずに上司や先輩に説教される人、会社のルールを知らずにこれまた説教される人など。
これらは思考の産物である道具やルールに振り回された人の一例である。
そんな人達は癒やしを求めるものだ。
どこにだっているはずだ、無邪気に遊ぶ犬やのんびり日光浴をする猫を見て、
「お前はいいよな・・・。」、なんて思考をする人は。
最大の長所が作り上げたものに振り回された結果、その長所である思考を放棄したくなってしまうのである。退化に一瞬でもすがりたくなる時が出てしまうのである。
大概こういう思考になる人は疲れている人だとは思うが。
要するに、私も人が作り上げた組織関係を思考することや知識を集約して作られたこの豪邸を前にして、緊張により早くも疲れ始めているのである。
もういっそこのまま犬にでもなれば楽になれるのだろうか?
そう思っているとリサが私を嫌悪の目で見てくるのが伝わった。
声に出してしまったのだろうか?
それすら自覚できないほどに、私は思い悩んでいるのだろうか。
いかんいかん、私は家族を守らなければいけないんだ。
気持ちを切り替えて、門の先へと進んで行く。
ここの家の玄関ドアはシンプルな装飾だが、重厚感があるため高価なものであろう。
やはり金持ちは使い方が違うな。
私はドアノッカーを叩いた。
中の者が出てくるのを待つ時間が異様に長く感じられた。
後ろのジェシカの顔をチラリと見る。
笑顔だった。それも怒っている時のだ。
これから迎え入れる者は、家族を悲惨な目に合わせたであろう言わば敵の仲間である。
気持ちが溢れてしまうのだろう。
だが、どうにか落ち着かせてほしい。
敵に悟られれば、作戦は失敗となってしまう。
今回の私がやるべきことはジェシカには伝えてある。
彼女は「私もやるべきことをやるわ。任せて。」と言ってくれた。
私はジェシカの瞳をジッと見つめる。
妻は私の視線に気づくと、ハッとして静かに息を整えた。
彼女も無意識に気持ちが高まってしまうのだろう。
そういう私も心臓のエンジンが高まりすぎて、呼吸をするのが若干きつい。
さっきから、はぁはぁと言っている。
その時にドアが開かれた。
中から出てきたのは、燕尾服を着こなす初老の男性であった。
恐らく、ノーチェスの言っていた執事長であろう。
執事長の後ろには、若いメイドとフェンタニル・ノーチェスが控えていた。
彼らは首を垂れている。
当然、正体をバラさないようにするため、私とノーチェスの間に会話はない。
大丈夫、慎重に事を進めればボロは出ないはずだ。
「ようこそいらっしゃいました。秋も深まり本日は風がやや強く冷え込むでしょう。
どうぞ、中へ入り暖をお取りください。」
執事長が私達に笑顔で語りかける。
私もそれに返答する。
「はぁはぁ・・・、本日は招待はぁ・・・、頂きありが・・・はぁはぁ・・・とうございますはぁ。」
「・・・・・・。」
やってしまった。
執事長は笑顔のまま無言である。
リサとノーチェスの視線が痛い。
ジェシカはひそかに私の背中をさすってくれている。
かなり癒される。ずっとそうしてほしい。
「どうぞこちらへ。」
執事長に客室へと案内される。
「主への挨拶は今すぐでなくても構いません。
どうぞ、身体を休まれてください。」
執事長は私に向かって言い、ドアを閉めた。
しばらくはこの部屋には来ないという認識でいいだろう。
今が好機だろうか?
手先が緊張で震えてくる。
いや、まだチャンスはある。
私はコートのポケットから錠剤を取り出して飲む。
「なにそれ?」
リサが聞いてきた。
私は落ち着くように意識して答えた。
「バファ〇ン。」
噓である。
本当は抗不安薬だ。
娘に噓をついてしまい胸がキリキリと締め付けられるように痛い。
「頭痛?それとも熱でもあったの?」
ある意味頭の痛い状況ではある。
何せ命に関わることなのだから。
「いや、半分のやさしさの効能ってどんなんだろうと思って。」
テキトーである。
けれど、やさしさに包まれたい気持ちは現在進行形である。
娘の私を見る目が変わったが、致し方ない。
何て言えばいいのか分からなかったし。
「あら、あなた。私の優しさじゃ足りないんですか?」
ジェシカが尋ねてくる。
私はこれまでの彼女を思い浮かべる。
決意した私を支えてくれたこと、洋館から戻ってきた私を労る言葉をかけてくれたこと、絶品のかつ丼を作ってくれたこと。
足りないはずがないのである。
私は緊張が緩んだことに気がつく。ありがたい。
「いや、君には到底及ばないよ。これは私には必要ないようだ。
困ったモノにあげるとしよう。」
いい雰囲気が出来た時に、コンコンと扉がノックされた。
もう少しこの癒しのひと時を過ごしたかったのだが、そうはいかないらしい。
「どうぞ。」
扉が開くと顔を見せたのは、スペンサーであった。
奴と顔を合わせるのは、設計の依頼後に一度相談を受けた時以来だ。
こいつが私の家族を貶めようとする張本人か。
こいつが友人に手をかけた黒幕か。
怒りが沸き上がるのが分かる。
その気持ちを静めようとすることに大分苦労した。
そのため、スペンサーとの話はぼんやりとしてあまり記憶に残ってないのだが、妻と娘にウインクをしたことに腹が立ったのはよく覚えている。
それ以外の話にしても、潜入することを見透かされないようにうまく言ったと思うので、ボロは出ていないはずだ。
話の後に、体調を聞かれたので問題ないです、と答えた。
パーティーはもう始まるらしい。
先導する奴の後ろに続き、私達一家は大広間へと通された。
大広間では、貴族達がガヤガヤとしていた。
スペンサーは、私達に起こり得たかもしれない悲劇の裏側でもこうやってパーティーを楽しむのだろうか。
ますます不愉快である。
つい不満が口に出る。
「コンクリート打ち放しの大広間ってなんか雰囲気暗くなるよな~。」
この言葉を娘に聞かれてしまった。
いけない、気持ちが昂ぶり過ぎている。
突如、背後からスペンサーが声をかけてきた。
私はトイレに行くと言い、慌ててその場を立ち去る。
もうここに長居しては、ストレスでどうにかなりそうである。
行くなら今行こう。
私は大広間を出た後に、目的地まで急ぎ足で向かおうとした。
しかし、真向かいから貴族らしき人物が歩いてくる。
トイレからの帰りだろうか。
貴族は私の前で立ち止まった。
ゴクリと息を吞む。
「そちらの部屋に入りたいのですが、よろしいですか?」
「え?あ、はい。・・・どうぞ。」
貴族は大広間に戻りたいが、どうやら私がドア前にいたため入れなかったらしかった。
いかん、変に挙動不審だったな。
貴族は気にする様子もなく大広間へと入っていった。
気を取り直して廊下を進む。
突き当り左側奥にあるドアにたどり着く。
音を立てないようにゆっくりとドアノブを下ろして引くと、中は本で敷き詰められたような部屋だった。
ここが書斎で間違いないだろう。
私は向かって右側の本棚に向かう。
中央奥の壁際にある大きなテーブルのそばを通った時に、書きかけの手紙が目に入った。
通りかかる際に、一文だけ読んでみる。
”親愛なるミランダ先生へ”と書かれている。
スペンサーに先生がいるのか。人類を混沌に陥れることを企むような奴の先生とはどんな人物だろうか。
考えるだけでも具合が悪くなるようだ。
私は考えを振り払って先へ進んだ。
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フェンタニル・ノーチェスはジョージ・トレヴァーが大広間から出たのを目視した。
執事長は、大広間で料理の配膳に忙しい様子だ。
ノーチェスは彼の元へ向かう。
これから少しでも時間を稼がないといけない。
執事長の近くではメイドも慌ただしく、すでに料理の無くなった食器を片付けている。
普段はスペンサー卿しかお世話をしないため、こういったパーティーの際に彼らは大忙しとなる。
ノーチェスは、執事長に近づき声を掛けた。
「執事長。」
執事長は振り返り、私の姿を確認するととたんに目つきを変えた。
ノーチェスは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
ゆっくりとこちらに歩んでくる。
目の前に立つ執事長は、ノーチェスに執事としての振る舞いを指南する時の厳しくも優しい姿とは大きく異なる雰囲気を持っていた。
「フィクサーより連絡があった。
ジョニー・ディアスの自宅にて、燃えかけの暗号化された手紙を見つけたそうだ。
解読するのに先程まで時間がかかったそうだが、内容はお前に関することだったらしい。
お前は詰めが甘い。
ジョニー・ディアスが外で殺害されたと思ったか?
遺体は動かないとでも思ったか?
もし殺害されたのが自宅だと気づいたのならば、お前はすぐにディアスの家に向かっていただろうにな。
しかしこの場で拘束しては、お客様のご迷惑となり主の機嫌を損ねてしまう。
今日のパーティーが終わるまで、束の間の幸福を噛みしめるといい。
私は少しだけ所要で離れるが、主に下手な真似はするなよ?」
執事長はメイドに指示を出して大広間から出ていった。
恐らくメイドは、ノーチェスへの監視の任を与えられたのだろう。
執事長が大広間から出て姿を見せなくなっても、ノーチェスは立ちすくんだまま動けずにいた。
執事長は主より、ジョージが何もしでかさないか確認するように指示を受けている。
大広間から廊下に出て立ち止まり、胸元から無線機を取り出す。
「おい、モニターに怪しい動きをする者はいないか?」
無線機から返答がくる。
「ジョージ・トレヴァーが、スペンサー卿の書斎に潜り込みました。
そろそろ出ても?」
「十分だろう、ネズミを捕らえろ。
ただし、大事な被験体だから出来るだけ傷はつけるな。」
執事長は隣の大広間に聞こえない程度の声量で、無線機に向かって指示を出した。
「了解、パトリック執事長。」
男は多数のモニターがある部屋にいた。
椅子からゆっくりと腰を上げる。
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右側の本棚には、背表紙の赤い本が分かりやすく配置されていた。
それを抜き取ると、部屋の中央の床が一部スライドして地下へ通じる階段が姿を見せた。
意外と音が静かで良かった。
良いベアリングを使っているのだろう。
階段上から地下を覗くと、存外明るい様子が見て取れた。
いざという時の明かりはジェシカからもらったライターしかなかったので、ホッとする。
「よお、ジョージ。」
後ろから声をかけられる。
驚いて振り向くと、しばらく消息不明となっていた男ーー
ケリー・ファブロンがそこにいた。