~少し前のこと~
「パトリック執事長。」
ケリー・ファブロンはモニター室より無線機で呼びかけた。
「なんだね。」
声を潜めている。大広間にいるのだろう。
「暗号解読の方が終わりました。
ジョニー・ディアスと手紙で連絡を取っていたのはフェンタニル・ノーチェスです。」
「なんだと・・・。その報告は確かなんだろうな?」
「間違いありません。
燃えカスのような手紙でしたので、2人の名前以外はほとんど把握出来ませんでしたが・・・。
しかし、『始祖花』の文字が確認できています。」
一瞬間が置かれる。
「あいつもH.C.Fなのか?」
「そうでなくても放ってはおけないでしょう。内通者と暗号文を交わしているのですから。」
「・・・昨日までにノーチェスにはそれらしき動きはなかった。
パーティー中に良からぬことをするのであれば、『始祖花』を手に入れるためにジョージ・トレヴァーも関わってくるかもしれん。
2人は7日前に顔を合わせているからな。
どちらかに動きがあった場合、お前も現場に出てもらうぞ。」
「了解、それまでは待機させてもらいますよ。」
「ああ。もう少ししたら、あいつに挨拶をするとしよう。」
「もう少し?何かあるんですか?」
「スペンサー様がシャンパンタワーをご所望でな。
なに、じきに終わる。」
無線が切れる。
さて、執事長はどんな発言を元部下にかますのやら。
その発言がフェンタニル・ノーチェスを二度と戻れない絶望への道へとおいやるのだろう。
振り返ることでしか、心が安らげないような道を行かざるをえなくなるだろう。
しかし、俺には関係ない話だ。
もし、単独で脱走でも企てようものなら、俺が追い立ててその道に引き戻してやろう。
進むべき道から外れた羊は、怖い犬に追われるものだからな。
――――――――――――――――――――
ケリーは書斎のドアの内側に立っていた。
なぜ、お前がここにいるのだろうか?
「ケリー、今までどこにいたんだ!?
ジョニーが亡くなった時に姿を見せなくなったから心配したんだぞ!」
「いや、すまない。事情があってな。
身を隠していなければならなかったんだ。」
ケリーはいつもの仏頂面で返答する。
私はさらに質問した。
「何が起きたんだ?」
「俺はとある組織のスパイだ。
それがアンブレラ社に正体がばれそうになってな。」
ケリーは続けて語る。
「H.C.F・・・聞いたことはあるだろう?」
私はその言葉を何度か耳にしている。
しかし、疑念があった。
ノーチェスは洋館であった日に、ケリーを同じ組織のものではないと言ったからだ。
まさか、ケリーが欺こうとしているのか?
それともノーチェスの方が?
付き合いの長い友人を信頼するのが普通だろうが、さすがに敵地に現れたケリーに何も思わないわけがない。
それとこれはノーチェスの言葉を信じるならだが、ジョニーにも裏があったと聞いたからにはその普通の考えがすんなり飲み込めない。
一瞬、ジェシカとリサの顔が思い浮かぶ。
迷ってはいられない。
今ここでケリーを信じるか決めよう。
私は彼に質問をした。
「ジョニーもH.C.Fに所属していたことは当然知っているのか?
あいつの最後の時にお前はどこにいたんだ?」
「・・・ああ、もちろんだ。同じスパイのジョニーとは影で情報共有をしていてな。
それと、ジョニーが死んだ日は2人でいた。
その時襲撃にあったんだが、あいつは俺をかばって先に行かせたんだ。
ニュースであいつの死を聞いて落胆したな。
お前の方は何ともないようで安心したよ。」
ケリーは硬い表情で言った。
相変わらず感情の起伏が分かりづらい奴だ。
「ジョニーの妻や子どもは無事なのか?」
「そうだな。
ジョージは知らないだろうが、ジョニーは単身赴任でな。
以前あいつの部屋に飲みに行ったことがあるんだが、部屋には妻子の写真が飾ってあっただけだったよ。
あのあと、数日かけて組織に頼んで確認をとりに行ったが妻子は無事だったさ。」
「そうか、妻と息子は無事だったか。」
「ああ。」
「いや、子どもは女だったな。」
「・・・なに?」
「どうして息子だと思ったんだ?」
「いや、髪が短くてな。つい間違えてしまった。」
「そもそもジョニーに妻子はいないけどな?」
「・・・・・・。」
私はケリーの顔をジッと見つめる。
妻子が存在するか否かという意見の食い違いは、まだノーチェスが欺いてるかもしれないという可能性もあるだろう。
そのため、カマをかけた。
ケリーの反応次第で私は彼を信じるか判断しようとした。
その結果、この堅物は感情を押し殺すような反応をした。
なにを隠した?ケリー。
「・・・なあ、ケリー。
ジョニーが死んだ時に愚痴を言った奴がいてさ。
そいつは愚痴を言っているのに憐れむような眼をしていたんだよ。
そいつも甘いよな。
けれども、そういった素直なところは憎めなくてさ。
・・・悪いけど、今はそいつの方を信じようと思う。」
小さな発砲音が聞こえた。
ケリーの手には、サイレンサーがつけられたハンドガンが握られていた。
わずかに硝煙の匂いが漂う。
威嚇射撃なのだろうか。
弾はあたっていないし、それ以上撃ってくる様子もない。
「そのまま動くなよ。」
ケリーが一歩踏み込んでくる。
これは確定的だろう。
身体を固くしてはいけない。
私は気力を振り絞り、手に持っていた赤い本をケリーに投げつける。
そのまま振り返り地下室の奥に向かって足早に駆け出した。
ケリーから呼び止めるような声は聞こえなかった。
――――――――――――――――――――
ケリーは床に落ちた赤い本を見つめる。
ジョージは知り合ったばかりのノーチェスの方を信用したらしい。
仮初の付き合いとはいえ、長年の友を差し置いてその言動は、さすがの俺も不愉快だ。
だが、ジョージがアンブレラ社の闇に深く関わっていることは確定した。
無線機から声が聞こえてくる。
「おい!聞こえるか!?」
執事長はやや声が荒かった。
ケリーは返答する。
「聞こえてますよ。何かトラブルですか?」
「ジェシカ・トレヴァーがシャンパンタワーを粉々に崩しおった!
私は今から大広間に戻り、安全確認と清掃をしなければならん!
ジョージ・トレヴァーのことは任せたぞ!」
「パトリック執事長。
やはりジョージ・トレヴァーとフェンタニル・ノーチェスは仲間の可能性が高いです。
それとジョージ・トレヴァーの方は地下室へと入り込みました。
しかし、奴は間抜けなようです。
このまま入り口を閉じてもよろしいでしょうか?」
無線機から返答がくる。
「それはならん。ただの倉庫なら構わないが、地下室にあるのはスペンサー様の研究資料やサンプルだ。
ジョージ・トレヴァーの気がふれて、それらに少しでも傷をつけられないように行って捕らえろ!」
「・・・了解。」
ケリーは本棚の枠に着いた弾痕を眺める。
ため息をついて、銃をしまい階段を降りていった。
――――――――――――――――――――
地下室への階段を降りると、5mほど先に扉が1枚だけあった。
私はやや焦りの気持ちを抱いてしまう。
これでは、ケリーをまくことができないではないか。
だが、後ろにはもう彼が迫ってきているはずだ。
私は駆け足で進み、扉を開けた。
そのさきには、天井は2m50cmほどと割と低めだが横に長い部屋があった。
真向かいには細長いテーブルが3つあった。
それぞれ試験管やマイクロチューブにピペットなどの小物類が置かれたテーブル、中に液体の入っている濃い茶色の瓶がいくつか置かれたテーブル、光度計や遠心分離機にオートクレーブなどの機器類が置かれたテーブルだった。
いかにも研究しているような道具類である。
右側には、国立図書館の本棚のように長い業務用ラックが六列に並んでいた。
ラックの高さは2mに少し満たないぐらいだろうか。
それぞれのラックには、何かのトロフィーや小難しい題名の本、それに50cmほどのガラス瓶に閉じ込められたホルマリン漬けの実験サンプルと思われるものが大量に配置されている。
左側には大きなテーブルとその両側に紙束の山がいくつもある。
紙束の真ん中には、ガラスのケースに入っている花があった。
これが『始祖花』だろう。
花に近寄ろうとした時に、私の背後にある扉の向こうから階段を降りる音が聞こえてくる。
私は先ほど来たドアに戻り、カギを閉めてドアの上部を確認する。
そこには2つの分電盤があり、片方の扉を開けた。
中には『天井蛍光灯』とシールが貼ってある漏電遮断器があり、それをOFFにする。
とたんに部屋は真っ暗となり、私はライターに火をつける。
念のため、ヒューズも取り出してその辺にぶん投げておく。
足音がかなり近づいてきたため、慌ててラックの方へ向かい奥から2番目の通路に入り込む。
天井を見回して、持ちやすそうなホルマリン入りのガラス瓶を取り出してから、通路の奥に行ってつき辺りでラックを背にして耳をすます。
ガチャガチャッ
ドカァンッッ
ドアが蹴破られる音がした。
ケリーがナイフを片手に部屋に入ってくる。
私はライターの火を消して、身を屈めて辺りの様子を見る。
ケリーは小さい明りだがライトを取り出してきた。
しまった・・・、ラックの陰に隠れて回りこんで逃げ込もうとしたのに、見つかるのも時間の問題かもしれない。
ケリーは辺りを見回して、ラックの並びの所で視線を止めた。
そちらにゆっくりと歩きだし、各通路にライトの明かりを向けるが、私の姿が見つからないと手前から1番目の通路にライトを向けたまま少し立ち止まって考えていた。
そして、手前から3番目の通路に入る。
1番目にライトの明かりを照らし続けたことで、仮に私がその列にいたとしても、恐怖で奥の列へ移ったと考えたのではないだろうか。
それに3番目の通路だと、同時に両隣の通路も確認ができる。
ドアに近い列で対応しやすいというのもあるのだろう。私も人を同じ状況で探すならそうする。
無理な姿勢は取っていないのに、足が小刻みに震えてしまう。
ジョージは狩られる草食動物のような気持ちを抱いてしまう。
心臓の音がロックを演奏するのが分かる。
コツコツと足音を鳴らし通路を進んで行くのが聞こえる。
私はこそこそと来た道を戻り通路真ん中近くに座り込み、彼の足音が一番近い距離になった時に、緊張で息を潜めているのか息を止めているのか分からない状態になる。
もう少し我慢だ。もう少し。
ケリーは大分奥に進んだ様子だ。
私は片手に持っていたガラス瓶をケリーがいる通路のやや後方めがけて投げ込んだ。
やや後方には投げれたが、ガラス瓶は私の隣の通路で砕ける音を立てて割れた。
・・・肩の力弱いな。こうなるなら野球でもやっておけば良かった。
ライトの明かりが私のやや後方をちらつかせる。
私はガラス瓶が割れる音に合わせて、もう片方の手に持っていたライターに火を灯す。
そして先ほど天井部を見回した時に存在を確認した、感知器に火を近づけた。
途端に、奇数列の通路の天井部にあるスプリンクラーヘッドから放水される。
手前から3番目の通路にいたケリーは水を浴びる。
「ぐっ・・・。」
驚いたケリーの足が止まる。
私はラックに向かって思いっきり体当たりをした。
ケリーの方に向かって次々と倒れていくラック。
「ぐあっ!」
ケリーは踏ん張ろうとしたが、濡れた床に足元を取られてそのままラックの下敷きになった。
彼の悲鳴を聞いた私は急いでラックの通路を抜けて、『始祖花』のあるテーブルへと向かう。
ガラスケースの蓋を開けて、中の花を根っこから3つもぎ取る。
それをそばに置いてある大きな紙に挟んでくるくると巻いて、服の内側にしまっておく。
私は大急ぎで来た道へ向かって走り出した。
――――――――――――――――――――
私は書斎に戻ると赤い本を本棚の元の位置に戻して、地下への扉を塞いだ。
地下室にも緊急用の非常ボタンでもあるかもしれないが、これで時間を稼ぐことが出来るはずだ。
廊下を行き、大広間のドアに来た所で振り返る。
ケリーはついてきていないようだ。
もうここまでの事をしたのだから、あとはノーチェスに花を渡して逃亡しよう。
そうしなければ、ここで捕まるか最悪殺されてしまうかもしれない。
大広間のドアに手をかけようとした瞬間、
ワッと大歓声が聞こえてきた。
そろりと扉を開けて覗くと、大広間の左側奥でピアノを弾いたらしいリサが貴族から賞賛を受けていた。
貴族からこれほどの歓声を受ける曲といえば・・・。
恐らく、『月光』だろう。
リサがジェシカの誕生日に弾いていた曲で、親バカかもしれないが見事な出来であった。
娘の曲が貴族の胸打つものだと知り、私は心の中で大絶賛した。
リサの傍には、スペンサーもいた。
奴はリサに笑顔で何か語りかけている。
まんざらでもなさそうな表情のわが娘。
・・・あの男、腹立つから離れてほしいな。
貴族達は、大広間のドアとピアノを半円で囲むようにして隙間なく並んでいた。
私から見て貴族の並びの向こう側、大広間の中央部では粉々になった大量のガラスらしきものをメイドと執事長が一心不乱に掃除している。
・・・何があったんだ?
私が部屋に入ると、ノーチェスが近づいてきた。
彼の顔はやや青くなっている。
あの割れたガラスが相当まずかったんだろうか。
彼が声をかけてくる。
「トレヴァー様。例のものは?」
「大丈夫。ここに入っているよ。ご要望の数通りにね。」
ノーチェスの表情に生気が戻っていく。
「あなたは大した方だ。私なんかよりもよっぽど仕事ができる。心から敬意を表します。」
盗みで褒められてもあんまり嬉しくない。
「ジョージ!戻ったのね?」
ジェシカが私達のもとに来る。
「ああ、例のものもしっかりと取ってきた。
すぐにでもリサを連れて行きたいところだが、何があったんだ?」
ノーチェスが間に入ってくる。
「シャンパンタワーをしたり、ピアノで見事な演奏をしていたのですが・・・。申し訳ありませんが、お話は後の方で。ご令嬢をお連れしてすぐに外に向かいましょう。」
「分かった。」
私はリサのもとに駆け寄った。
「リサ、素晴らしい演奏だったそうだね!親として誇らしいよ!
お祝いの言葉をもっと述べたいんだけど、一旦席を外そうか!」
「何かあったのかな?」
スペンサーが話しかけてくる。
こいつへの言い訳を何も考えてなかったな。
えーと・・・。
「スペンサー卿、実は身内の者の容態が良くないという知らせを受けまして・・・。
これからすぐにでも向かわなければなりません。」
「身内って誰が?」
リサが尋ねてくる。
「エマさんだよ。」
噓である。
またもや娘に噓をついてしまい、やはり胸が痛い。
「えっ!エマ叔母さんが!?
この前までプロテインとジムで作り上げたシックスパックを私に自慢してきたエマ叔母さんがなの!?」
エマさんってそんな筋肉質なの?
「そう!そのエマ叔母さんがだよ!
シックスパックでもかなわない敵が彼女を蝕んだらしい!さぁ、だからリサも行こう!」
「ちょ、ちょっとお父さん!?」
私はあっけにとられるスペンサーを無視し、リサの手を引き連れてジェシカとノーチェスのもとに戻る。
こちらの様子に気づいた執事長が駆け寄ろうとするが、貴族の並びが立ちはだかってなかなか進めないでいた。
私達4人は、もう二度とこないであろう大広間を抜け出した。