何もかも失った少女が幻想郷で夢幻の幸せを見つける話 [完結] 作:抹茶だった
受験生のような生活をしていると思う。
アリスに援助してもらいながらの、勉強の毎日。
衣食住の全てを提供しながら、魔道書の理解を助けてくれる彼女はもはや私の親であり師のよう。
魔理沙様だけでなく、アリスにも感謝しなくてはいけない。
「……あとは魔法が上手く動けば良いんだけど」
本の内容は概ね理解した。ただ、実践が難しい。
使ってみないことには上手く機能するか分からない。でも試すにしても記憶を扱う以上、何か間違えていれば大変なことになる。
人相手じゃないと実験できないけれど、それをするにはリスクが大きすぎる。
「困った……」
読みこんだせいで少しくたびれてきた魔道書のページを、パラパラとめくる。どのページにも、もはや未知の理論は書かれていない。
本当に、あと必要なのは実践だけ。
ベッドに寝転び、左腕の端を指でなぞる。
知らないうちに変な癖ができちゃった。
腕がなくなってしばらくの間は無いはずの場所が痛くて仕方なかった。でもその痛みは気がついたら痒い程度になっていて、今は意味もなくさする癖だけが残ってしまった。
「アリスに相談しようかな……」
寝ていても仕方ない。
記憶消去魔法の実験をしたい旨をメモに書き、人形を呼ぶ。
……人形を呼んで色々やってもらう生活に、すっかり慣れてきた。
人形を呼ぶと大抵、学級委員長っぽい雰囲気の子がメモをとりにきてくれる。ゆっくり開いた扉から出てきたのは、今回もその子だった。服の着こなしや所作から人形の個性を感じる。
「お願いします」
彼女にメモを渡す。
人形はそれを受け取ると、可愛らしく礼をしてすぐさま去っていく。
また寝転ぼうとすると、再びドアが開かれた。
さっきとは別の人形が目隠しを持っている。
……これはどうやら、アリスからのお呼び出しのようだ。
人形に連れられ、紅茶の香りがする部屋に着く。アリスはいつも3時ごろにティータイムを楽しむ習慣がある。この家にいるとそのうち紅茶の種類に詳しくなりそう。
部屋の中で立ち尽くしていると、膝の裏に座面の角が当てられ、座ることを促された。
目隠しをしたまま椅子に座るのは何度やっても慣れない。片脚ではゆっくりと腰を下ろせないから余計に怖い。
意を決して座ると、急に目隠しが解かれる。
「ちょっと⁉︎」
金髪を見ると発作が出るんだけど⁉︎
「安心して。認識阻害魔法を使っているの。貴女は私を認識することができないわ」
急に開けた視界には、アリスの声で話す誰か知らない人がいた。何というか、見た目に特徴がない。少し目を瞑っただけで姿を思い出せなくなる。顔も髪型も服も記憶できない……。
目の前に誰かいるということ以上の情報がいくら見ても認識できない。
魔法ってすごいな。
「どうやって見えないようにしているんだろ」
「――この魔法にも興味があるのね。貴女ほど勤勉な魔法使いは初めて見たわ」
彼女は少し楽しそうに話す。
「記憶魔法の内容を短期間で理解するのは並大抵のことじゃない。誇るといいわ」
「アリスが色々教えてくれたからできたことだよ。本当にありがとう」
「貴女のような良い子をあの白黒に返すのをもったいなく感じてきたわね……」
アリスはため息をついた。
「さて、記憶消去魔法の実験がしたいのね?」
「はい」
「ちょうど活きのいい実験台を捕らえていたとこなの。行きましょうか」
……実験台?
〇 〇 〇
「放して! あたいに何をする気なの⁉︎」
目隠しが解かれると、水色の髪の子供が木に縛りつけられているのが目に入った。
――事件では?
「この妖精を相手に魔法を色々試すといいわ。ちょっとくらい失敗しても誰も困らないから、リラックスすることね」
「えぇ……」
子供を実験台にするのはいくら何でも気が引ける。
私が躊躇していると、アリスが後ろから呆れたような声色で言った。
「妖怪相手なんだから躊躇わなくていいのよ。何に左手を食べられたか忘れたの?」
無いはずの左手が痛む。あの地獄は女の子みたいな見た目をした妖怪によってもたらされた。
……まだ完全には納得できないけど、見た目なんて関係ないのも確か。それに、郷に入っては郷に従えって言うしね。
妖怪ならたとえ子供みたいな見た目でも、好きにしていいんだ。
右手に魔力を集めて、魔法を構成する。
試しに、ここ数日の記憶を消去してみようかな。
「……あなたの左手を食べたのあたいじゃないよ?」
妖精の頭に触れ、魔力の揺らぎを記憶の波に同調させる。妖精の記憶と同調させた魔力を今度は自分に戻すことで記憶を閲覧する。
「これが貴女の数日前ね」
これは――なるほど、カエルを凍らせて遊んでる……。この子が心底楽しんでカエルを凍らせているのが、こちらにも伝わってくる。
人の記憶を観ると、その人が目で見たものや匂い、温度、それに当時何を思っていたかがよく伝わってくるみたいだ。
――それにしても趣味が悪い。カエルなんか追いかけ回して何が楽しいのだろう。
「人のこと捕まえておいて趣味が悪いとか言うのひどくない?」
妖精は私の心の声でも読んでいるみたいに話してくる。いや、違うな。たぶん私の意思とこれの記憶が同調してるから、私の考えが読まれるんだ。あんまりうるさくするとあなたの記憶を全て焼き払うよ。
妖精の記憶をさらに見ていくと、アリスが育てている花を凍らせ、粉々にして遊んでいる光景が見える。そして、人形たちに捕縛され今に至ったようだ。
もう十分観れたかな。さて、記憶を消す手順だけど――。
魔力を一部の記憶のみと同調するよう調整し、一体化させた後、全て熱に変える――要するに特定の記憶だけ焼き払う。
「あっっっちぃ⁉︎」
……これで消せたはず。記憶の一部とだけ同調させるというのが特に難しいのだけれど、結果はどうだろう。
「……はっ。ここはどこ? あんたは誰? あたいは……チルノ」
妖精が急に自問自答を始めた。これはこれはなるほど……。
「どこの誰か知らないけど、人が寝ているところを燃やすなんて信じられない! 凍らすわよ!」
やった。本当に記憶を消せた。ついさっきまでの記憶がないのは眠っていたと解釈されてるみたい。人格に影響はでてなさそうだから、たぶん成功してる。
緊張が緩むと、どっと疲れが押し寄せてきた。魔力のコントロールに集中したせいか体も火照っている。この妖精から漏れている冷気が心地よい。
「初めて使う魔法をいきなり成功させるなんて。いいセンスね。他のパターンも見せてほしいわ」
「あたいに何をした⁉︎」
アリスはチルノと名乗る妖精を糸のようなもので縛りながら話す。
「反撃はさせないから。続きをどうぞ」
「なら、お言葉に甘えて……」
再び記憶魔法を使おうとチルノに手を伸ばす。
そうすると、不意に聞き覚えのある声で話しかけられる。
「……へぇ、何だか面白そうなことをしてるな。私も混ぜてくれよ」
魔理沙様!
声がするほうに反射的に振り返る。
彼女の声を聞くのはどれだけぶりだろう。
「魔理沙っ! ――うっ」
魔理沙様の姿を直視すると吐き気がこみ上げてきた。咄嗟に目を薄める。ちょっと見ただけで体が拒絶反応を起こす。やっぱり本能が怖がっているんだ。
「ごきげんよう。魔理沙、ずいぶんやつれたわね」
「愛弟子が突然行方不明になったからな。――まさかあんたが攫っていたとは思わなかったぜ」
私が何も言わずにいなくなったばかりに、魔理沙様が勘違いしてしまっている。
心なしか頬はこけていて、目元にはクマができている。髪型も乱れていて――相当心配をかけてしまった。本当に申し訳ない。
「あらあら、酷い言い草ね。アイは自分の意思でここに来たと言うのに」
「
「魔理沙もたまには面白いことを言うじゃない。アイは私が死ぬまで借りるだけ。しばらくの間、返すつもりはないわ」
次の瞬間、二人が魔法陣を広げ、弾幕を張った。
大量の魔力弾がぶつかり合い、イルミネーションのように瞬く。
二人とも景気良く魔力弾を撃っているけれど、一つひとつの弾が当たりどころ次第では命に関わる威力を持っている。
止めないと大変なことになるんじゃ……?
「魔理沙! アリスは悪くないの、私が勝手なことしただけだから戦うのはやめて!」
魔理沙様はこちらを一瞥して言った。
「――アリス。人を操るなんて見損なったぜ」
「あらあら、誤解は解けないようね。でもアイ、貴女ならどうにかできるでしょう?」
「……うん」
魔理沙様の誤解をどうにかする方法は一つある。
"私が魔理沙様の家から勝手に出て行った"という記憶を丸ごと消して、ここ数日をなかったことにすれば良い。
でもそのためには魔理沙様に近づかないといけない。そうなるとあの麗しい金髪から目を逸らすことはできない。
必ず発作が起きる。遠目に見ても吐き気がこみあげてくるのだから、近づけばきっと魔法どころじゃない。
「だから、自分の記憶を――改変する」
トラウマを消すために記憶消去魔法を覚えた。でもトラウマに関わる記憶を完全に消したら、この魔法を覚えた理由が分からなくなって不都合が生じる。
であれば、トラウマに関する記憶を全て見直し一部分を消せば良い。記憶を構成する要素――音や匂い、感情に……色とか。
「でも、自分の記憶とはいえ見返したりなんてしたら……」
さっき記憶を観たときは五感で感じられる全てが体験できた。だから、あの時の記憶なんて魔法を使って思い起こそうものなら、また激痛を体験し直すことに――
「ゔっ………」
考えるだけで吐き気がする。視界に涙が滲む。
だからと言ってやらないわけにもいかない。二人のどちらかが大怪我をするくらいなら、痛みを我慢する方がずっと良い。
自分の頭に手を当て、魔法を構築し――数日前の記憶を再度見る。
――あの日は空が紅かった。魔理沙様の言いつけを破って家から出たのが運の尽きだった。
私はルーミアと名乗る妖怪に押し倒され、なすすべなく右手を噛みちぎられ――
「あ゛ッ⁉︎」
焼き石を押し付けられたような熱と、骨の奥まで響く痺れが同時に右手を襲った。同時に生暖かい血が頬に付き、顔の輪郭をなぞるように垂れ、閑散とした森の匂いが、酷く濃い鉄の臭いに変わった。
記憶にある五感が再現されているだけだから、自分の肉体に何かがあるわけではない。でもそんなことじゃ気休めにならないほどに辛い。この痛みから逃れられるなら死にたいとさえ思える。
この痛みに耐えないと、記憶の改変はできない。
少女が私を押し倒し、右腕を噛みちぎるまでの記憶を、白黒写真のように色を消して改変し、上書きする。
まるで動画編集みたいだ。これが本当にそうならもっと便利に――少なくとも痛みは伴わずにできるのだけれど。
「これを……完遂しないといけないんだ」
激痛を歯を食いしばって耐え、記憶の続きを見る。
記憶の中の私は、次に左手を喰われた。指先から徐々に齧られていくせいでさっきの右腕の比じゃないほど痛い。でも、それ以上に辛いことがある。
両手がいとも容易く欠けたことによる絶望が心に広がる。当時の私の心境がフラッシュバックする。他人の感情ではなく、自らの感情だからか、私の心に生じたのは共感ではなかった。色水に墨汁を垂らしたかのように、過去の私の心情が今の私を上書きしていく。
生きていたくない。
早く痛みから逃れたい。
もう元の生活には戻れない。
私を必要とする人はもはや誰もいない――。
いっそ殺して――。
やがて、左腕は肘から先を全て食べられた。
痛みは徐々に体の芯からの冷えへと置き換わっていく。
右腕は肩から無理やり引きちぎられた。
最後に抵抗虚しく、喉元を噛みちぎられ、私は――。
「――はっ!」
記憶の中の私の意識が途切れたことで冷えと痛みが引いた。それと同時に、トラウマの根幹部分の改変が終わった。
魔法が解けたのと同時に、張り詰めていたものまで解け――
「おえええっ……」
胃の中身が全てびちゃびちゃと地面にぶちまけられた。
口に残った胃液が、唇から糸を引きながら落ち、土を濡らす。
涙とか汗とか胃液とかで顔が気持ち悪い。手足が酷く痺れ、うまく動かない。
汗で張り付いた衣服が風で冷え、体温を奪っていく。
でもそんなことはどうでもいい。
「あぁ、やっと――やっと!」
空を見上げると、金髪が夕陽に照らされて光っているのが目に入る。白黒の衣装を見に纏った少女は、花火のように派手な魔法を間断なく放ち続けている。
魔理沙様を直視できた。
私の人生が再開できた。これで魔理沙様にたくさん恩返しができる。
幻想入りした私を居候させてくれたこと、脚を無くして取り乱した私を救ってくれたこと、魔法を教えてくれたこと、生きようと思わせてくれたこと――勝手に家出したのを心配してくれたこと。
この全部の恩を必ず返す。
だからまず、魔理沙様に落ち着いてもらうためにも――
私なんかを心配した無駄な
魔力を体に纏い、ゆっくりと飛び上がる。
体調がすこぶる悪い。でもそんなの知ったことじゃない。ここで頑張らずいつ頑張るというのか。
高速で飛び回る魔理沙様を、蚊の止まるようなスピードで追いかける。
こんなのが今の全身全霊。このままじゃ到底追いつけるとは思えない――
「……世話が焼けるわ」
「――アリスッ! なんのつもりだ⁉︎」
魔理沙様が急に空中で静止した。
目を凝らすと、無数の糸で拘束されていた。今の私でも魔理沙様に追いつけるように、アリスが手助けしてくれたみたい。
「よりにもよってアイの手で終わらせるつもりかッ!」
「――流石に抵抗が強いわね。アイ、早くしなさい」
「分かってる」
ようやく魔理沙様の元へ辿り着けた。あとは魔法を使うだけ。集中すれば良い。
魔理沙様と目があった。今にも泣き出しそうな目をしていた。
そんな彼女の額に手をかざし、魔法を使う。
記憶と魔力を同調させると魔理沙様の見聞きしたことや考えたこと――無数の想いが伝わってくる。
私が出て行った直後は、私のことを相当心配していたのが伝わってくる。そして、日が経つにつれ、自責の念や焦燥感が強くなっていくのも感じ取れる。
私が勝手に出て行ってから今に至るまで、魔理沙様は私のことをずっと考え続けていた。
そのことが私は――心底申し訳ない。
だから丁寧に魔力を操作し、ここ二ヶ月ほどの記憶を――まとめて焼き払う。
「……ごめんね」
「――熱ッ⁉︎」
魔理沙様が熱に顔を歪めた――直後、落下し始めた。異変が解決した後から今現在に至るまでの記憶をまとめて消したせいか、魔力の制御まで途切れてしまったようだ。
咄嗟に魔理沙様の体に片腕を回し、抱き寄せる。
残り少ない魔力を使い、低速で地面へと降りる。
「――何がどうなってるんだ⁉︎」
記憶を消した影響で魔理沙様が動揺している。当たり前だ。魔理沙様の認識では異変を解決し、自宅に着き、扉を開けたと同時に突然空に放り出されたようなことになっているのだから。
彼女にとっては今、記憶に齟齬がある状態だ。だからうまく誤魔化さないといけない。
「魔理沙様……!」
「――アイ? どうした怖い夢でも見たのか……?」
頑張って言いくるめないといけない。ここでうまくやらないと、記憶の違和感に気づかれてしまう。
「魔理沙様」
「なんだ」
でも都合の良い嘘は何も思い浮かばない。
「魔理沙様……!」
今日まで恋しくて仕方がなかった魔理沙様の温もりが、この腕の中にあるのが嬉しくてたまらない。
ようやく戻ってきた幸せを噛み締めるように、思わず私は――
「ずっとそばにいて……」
本心を話していた。
チルノはどさくさに紛れてどこかに行きました。