ゴッド・オブ・ウォー《オラリオ》   作:スパルタ人

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プロローグ
終末の後に(アフター・ラグナロク)


 

 

 ある日、夕暮れの帰り道。

 つい先月まで、二人の周囲には麦の海が広がっていた。収穫時期をとうに過ぎ去った今では、生命の無い荒野が果てしなく続いている。その荒んだ畑を西に沈んでいく太陽が照らす光景は、まるで御伽噺の中で語られる終末戦争(ラグナロク)の後のようだった。

 その風景をぼんやりと眺めながら歩いていたベルは、そこでふと、隣にいる人物を見上げる。

 

 ――まるで、歴戦の戦士のような出で立ちの男だった。

 

 頭髪は剃られ、頭皮には左眼から背中側まで伸びた赤い刻印のような入墨が彫られている。

 年を感じさせない彫りの深い顔立ちも男らしく、右目の古傷や口と顎周りに蓄えられた髭も、ベルにとっては憧れだった。

 服装はズボンと上半身は肩から伸びる革ベルト一枚と、まるで季節を感じさせない。

 さらにその背中には、彼が愛用している白い布に巻かれた大斧が携えられていた。

 

 見れば見るほど、歴戦の戦士や狩人と言う言葉が似合う。実際、二人は狩りの帰りで、今日仕留めた獲物も祖父が小脇に抱えていた(大柄な祖父が抱えるとまるで小鹿のようだった)。獲物はベルが頑張って弓で仕留めたものの、ベルの小さい身体では動かせなかった。

 

 威圧感あるいかつい顔つきは常に無表情で、ベルは祖父が笑っている時の顔を、この世に産まれてからついぞ見たことが無い。

 ベルは彼の横顔を見上げながら、意を決したように目上の祖父に口を開いた。

 

 

「………………ねぇ、お爺ちゃん」

 

 

 ピタリ、と隣に立っていた祖父が立ち止まった。

 

 ベルはその瞬間、不味い、と思った。

 

 義母の時も「おばさん」と呼んで同じやらかしをして、あっちは容赦なく超高速でベルの頭を殴ってきた。だが、こっちの祖父はもう一人の好々翁な祖父と違って終始仏頂面なので、こうして無言で見つめられると威圧感が半端なかった。

 そうして祖父の反応に恐怖でベルが表情を青く変化させると、厳格な祖父はゆっくりと口を開いた。

 

 

「………何度、言えば分かる」

 

「ごめんなさい、御爺………上………」

 

 

 心臓が止まるかと思う程の沈黙の後、何とかベルは声を絞り出した。

 何故かこちらの祖父は、家族でも親しい名で呼ばれるのを好んでいないのだ。彼はベルの家の中で最も恐れられており、もう一人の祖父がやらかした時も無表情だったが、あの時は確かに静かにキレていて、珍しく義母の方ももう一人の祖父には手を出さなかった。

 その翌日、もう一人の好々翁の祖父は丸一日その姿をベルの前に見せることは無かった。

 

 だが助かった、今日は幸運にも御爺上の機嫌は悪くなかったらしい。

 痛い程の沈黙の後、再び歩き出した祖父は、ベルに無愛想にこう言った。

 

 

「聴きたいことが、あるのだろう。言ってみろ」

 

「ええっと………」

 

 

 まさか許可されるとは思いもせず、このまま家の方まで気まずいまま着くんだと思っていたベルは不意をつかれ言い淀む。

 またとないだろう機会に、ベルは慎重に言葉を捻り出そうとして、その間も祖父は歩きながら黙って待っていてくれた。

 そして、ベルがたどたどしい言葉遣いで喋りだす。

 

 

「ちょっと、気になることがあって………」

 

「何だ………?」

 

「おじいちゃん―――もう一人のおじいちゃんが、僕に本を読んでくれた時に言ってたんだけど………」

 

 

 ベルは息を詰まらせながら、それでもその名前をはっきり口にする。

 

 

「――――『ヘラクレス』って、どういう意味?」

 

 

 祖父は黙ってしまう。

 荒野と化した野道に、秋の乾いた風が吹き抜けた。

 ベルは緊張からゴクリと唾を飲み込み、勇気を出して祖父からの答えを得ようとする。

 

 

「ちょっと前に、おじいちゃんが僕の事、『ヘラクレス』って………でも、おじいちゃんとお義母さんは忘れろって………」

 

 

 その名を聞いたのは、ほんの一週間前の事だ。

 ベルがおじいちゃんと呼んでいる方の祖父が、ベルに英雄譚を読み聞かせている折に、不意に彼がベルを『ヘラクレス』と呼んだのだ。

 思わず口にしてしまったのか、祖父にしては珍しく「しまった」という表情になり口を噤み、義母に聞いても「忘れろ。それ以上聞いたら【福音(なぐる)】」の一点張りだった。

 

 

「………あの狒々翁が着けようとした、お前の名前だ。ヤツなりに、妻への愛と償いの証として、名付けようとしたようだが………その意味は【女神の英雄】だ」

 

 

 ベルの方に一度視線を送り、祖父はまた視線を切って前を向く。

 一体どうして【女神の英雄(ヘラクレス)】という名が、この場にいない祖父の会った事もない妻への愛と償いの証になるのか気になったが、せっかくのチャンスを不意にしたくないベルは余計な詮索はせず、質問を続けた。

 

 

「………なんで『ベル・クラネル』にしたの? ヘラクレスの方が、強そうじゃん」

 

「それをお前が知る必要はない」

 

「教えて、お願い」

 

 

 ベルが懇願する。こちらの祖父は重要な所をあえてはぐらかす癖があるのだが、この時のベルはその巌のような拳骨を恐れてでも、どうしても彼の口から答えを得たかったのだ。

 数秒沈黙すると、祖父は髭を蓄えた口を開いた。遠い場所で起きた自身の半生を、思い出すかのように。

 

 

「………かつて私のいた地にも、同じヘラクレスの名を冠する男がいた。その男は神の血を引く男だったが、愚かにもその神の甘言に踊らされ、尽き果てる最後までただの【道化】でしかなかった」

 

「………」

 

「名前が同じだけの、別人だ。【英雄】どころか、神々にも見限られた【愚者】……。だが、お前は愚かではない。お前の名前は、お前の義母の魔法から取って名付けられたものだ」

 

 

 つまるところ、かつて故郷にいた『ヘラクレス』という男が愚者であったがため、縁起が悪いと隣の祖父はもう一人の祖父の提案を却下し、別の名前を付けさせたのだ。――厳密には、好々翁の事情に息子を巻き込むな、という義母の強い反対があったのだが――。

 

『ベル・クラネル』。父から受け継いだ姓、母が姉への尊敬から着けた名。決して愚か者の名などではなく、親からの愛が籠った名であった。

 

 

「お前の母親、メーテリアは病弱で無力だったが、あのアルフィア達が総出で守ろうとする程の、誇り高い女だった。決して私が言えた義理ではないが………お前の父親には勿体が無い程に気立てが良い女だった」

 

「…………僕、本当の母さんも父さんの顔も見たことない………」

 

 

 ベルの実父母は物心ついた時にはいなくなっていた。赤子だった自分を育ててくれたのは二人の祖父で、実伯母にあたる義母のアルフィアと義伯父のザルドは彼らより少し遅れてやってきた。

 そのため、ベルが自分をこの世に産み愛してくれた人達の顔を見ることができない事に落ち込んでいると。

 

 

「お前の瞳は父親譲りのものだが、髪や顔つきなどの見た目は母親によく似ている。………その父と母の瞳と髪も、元はそれらの親から譲り受けたものだ。そしてお前の子もまた、お前の一部を譲り受ける。そうやって、人は世代を重ねていくのだ」

 

 

 そう言って、祖父はベルから視線を外し、瞳を前方の遠くにへと向ける。その瞳はどこか遠い思い出を呼び戻しているようで、それ以外の感情は窺えなかった。

 

 

「ほんと? 僕、お父さんとお母さんに似てる?」

 

「あぁ、本当だ。お前の脚の速さは騒がしかった父親と同じで、穏当な性格は誇り高かった母親によく似ている」

 

 

 ベルは「そっか………そうなんだ」と、確かな両親との繋がりを感じて喜色の笑みを浮かべた。

 

 

「………見えてきたぞ」

 

 

 隣からの声にベルはふと前を向くと、いつの間にか大好きな家族の四人と暮らす、もう何度新築したか分からない我が家が見えてきた。

 話し込んでいる間も一直線の道をずっと歩いていたのだから当然といえば当然だが、今のベルにはその大きな荒屋が暖かで待ち遠しいものに見えていた。

 あそこにはきっと今頃、仕事を終えた義母と祖父が夕飯の支度をしている。今季はジャガイモが沢山採れたと言っていたから、きっと伯父特製の熱々のシチューだろう。

 ベルは浮足立つと――祖父の大きな一歩を飛び越えて、彼より少し前に出て祖父の方を振り返る。

 

 

「ねぇ、僕、ヘラクレスじゃないけど………! 大きくなって【英雄】になれば、女神様に会えるかな!?」

 

「………何故、女神に会いたがる。それに【英雄】などと……」

 

 

 ベルの【英雄】と女神という言葉に、祖父の声色が明らかに張り詰めた。

 しかし、幼子はそれに気づかず、くるくると祖父の周りを走り回りながら無邪気に瞳を輝かせている。

 

 

「だって、絶対綺麗だよ!? お義母さんと一緒くらいものすっごく美しくて、優しい女神様に、会ってみたい!」

 

「………………」

 

 

 もう一人の祖父が読んでくれる英雄譚や御伽噺を好むベルは、純粋に祖父が話す物語の「美女神」にすっかり惚れ込んでいたのだ。

 

 すると祖父は「この年であの狒々翁(ゼウス)の好色が移ったか………」と珍しく明確に顔を顰めたが、目を輝かせて理想の女神を妄想し「それでね、それでね!」とはしゃぐベルがついぞそれに気づく事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕、御伽話に出てくる主人公みたいな………【英雄】になりたい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 祖父は珍しく呆れたように大きなため息をつき、幼いベルの手を繋ごうとした。ベルもそれに応じるように、祖父の巌のような手を受け取る。

 並んで歩く二人の影が、あぜ道に後ろへと長く伸びていった。

 

 

 そうして間もなく、二人は家路についた。

 夕食の折、騒がしい好々翁の祖父のやらかしに巻き込まれて、義伯父が義母に家ごとぶっ飛ばされるという一悶着があったものの、狩人の祖父は微動だにしなかった。

 ベルはその夜、満点の空の下、震えながら義母の腕の中で夜を過ごすことになった。

 

 

 

 ベル・クラネルが、この世界に生を受けて七年が経つ。

 今も彼の周りには暖かな幸福と家族がいた。

 決して豊かではないが、愛に満ちたりた永遠とも思える温もりを、四人は一心に少年に与え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




クレイトスが流れ着いたのは、少なくとも『ラグナロク』後としています。
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