ゴッド・オブ・ウォー《オラリオ》   作:スパルタ人

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お待たせしました、今話より原作に突入します。

クレイトスさんが来たことで、天界だけでなくオラリオにも変化が起きています。

2023/10/07 後半に修正


無名の少年
第一章 白兎の決心と回帰


 

 祖父の墓地が建てられたのは、村の外れにある崖の上だった。

 生前、祖父――おじいちゃんがお気に入りだと言っていた場所だ。「ここからだと星が見渡せて地平線までよく見える」と僕をここに連れてきてはそう語っていた。

 けれど、その墓標の下には肝心の彼の死体は無い。数日前、用事で村の外に出た途中に怪物(モンスター)に襲われて、遺体も残らなかったそうだ。

 

「おじいちゃん………」

 

 産まれてから十四年間、ずっと一緒に居てくれた肉親がいなくなった現実を僕は受け入れられない。こうして形だけの墓を作った後も、僕はその木と石でできた簡素な墓標の前でじっと佇むしかできなかった。

 

「ベル………まだここにいたのか」

 

「………御爺上」

 

 後ろからやってきた低く通るような声の主は、僕のもう一人の祖父だった。僕は涙声になるのを堪えながら、御爺上の方を振り返らず口を開く。

 

「御爺上は、なにも言わなくていいんですか?」

 

「………かける言葉などない。ヤツとの別れの言葉は既に済ませた」

 

 御爺上はそれだけ言って、何も言わなくなる。

 相変わらず、御爺上は言葉少なげだ。薄情にも聞こえるけど、その実は誰よりも家族思いで情に厚い人物であることは僕もよく知っている。

 生前のおじいちゃんと御爺上の仲は、何というか複雑だった。たまにおじいちゃんが御爺上を怒らせたり、お義母さんと一緒におじいちゃんを土に埋めたりしてたけど、嫌いな相手と十四年間も一緒にいられるはずもないし、二人とも僕を育ててくれた大切な家族なのだ。

 痛い程の沈黙の後、御爺上はいつもの鈍重な声で喋りかけてくる。

 

「どこか、具合が悪くなってはいないか?」

 

「いつの話をしてるんですか。もう七年も前の事ですよ……」

 

 そう、七年前。

 ――僕がこうして家族を失ったのは、何も初めての事じゃない。

 

 おじいちゃんと御爺上が偶々どちらもいなかったある日の昼、数日前にやって来た黒い神様が、再び僕たちの家を訪ねてきた。

 お義母さんと義伯父さんは神様と一言二言話した後、僕を家の中に隠し、そしてしばらくしてまた家に入ってきて僕にこういった。

 

『すまない……。私は、私たちは、行かなければならない』

 

 お義母さんは初めて会ったあの時のように、僕を抱きしめてそう言った。彼女がすまないと何度も謝るのも、泣いた顔を見たのも、これが初めての事だった。

 

『約束を守れないのは、私の方だった……。すまない……』

 

 そうして、二人は黒い神様に連れられて家を出ていった。

 夕方になり、家の異変に気づいた二人の祖父がようやく駆けつけた。おじいちゃんが泣き喚く僕を抑えながら、御爺上はすぐに二人を追いかけて行った。

 

 だけど結局、二人は帰ってこなかった。また数日して帰ってきた御爺上が告げたのは、二人の死だった。

 死体も無かったため信じたくもなかったが、明るかったおじいちゃんも滅多に表情を変えない御爺上も、揃って鎮痛な面持ちをしていた事から事実だと悟り、僕は二人が居なくなってしまった事にただ泣きじゃくっていた。

 

 ショックから僕が体調を崩して気を失ったのは、そのすぐ後だった。それから数日間の記憶はない。ひたすら高熱が出て、二人の祖父はお義母さんと同じ病気が発症したのではと心配していたらしい。

 御爺上がこんな寒空にやってきたのも、僕が病気を再発するのを気にかけての事だろう。

 

「お義母さんも、義伯父さんも……おじいちゃんまで……」

 

 家族がこの世から居なくなったと突きつけられた時の、身も心も引き裂かれるような感覚が僕を支配する。

 家族を亡くすなんて、このご時世では何も珍しいくもないのだろうけど、二度目でも、きっと何度経験してもこうして悲しんでしまうに違いない。

 

「………私は先に家に帰っている。決心がついたのなら、帰ってきなさい」

 

「………決心?」

 

 決心? 決心って、何のことだ?

 御爺上が発したワードをオウム返しして、僕は後ろを振り返る。

 僕の背後には生い茂った森が広がっていて、その中を御爺上の広い背中が掻き分けるように消えていった。

 呆然とした僕は再び墓の方へ向き、散々やってきた答えのない問いを再び始める。

 

(『オラリオ』に行け、か……)

 

 迷宮都市オラリオ。

 地下に深く広大な『ダンジョン』という迷宮を有する、世界の中心とまで呼ばれる街。たくさんの人々がそこに集まり『冒険者』となって、富や名声を求めてモンスター蔓延るダンジョンへと潜っていく。

【英雄】の産まれる街、なんておじいちゃんは言ってたっけ。

 そして彼は頻繁に、自分が死んだらオラリオに行け、とも言っていた。

 

「…………………僕は………」

 

 御爺上の言っていた決心とは、この事なんだろうか。

 けど同時に、ダンジョンは常に命を落とす危険に満ちた場所でもある。今までずっと誰かの庇護のもとでいた僕が、果たしてその街で生きていけるのだろうか。

 おじいちゃんの言葉を内心で何度も復唱しながら、僕は墓標をじっと見つめた。

 

 ――僕が、さいごの【英雄】になる。

 

 脳裏にふと浮かんできたのは、夕日で交わした義母への宣言だった。

 

 かつて御爺上の前で語った、『なりたい』などという願望ではない。病のせいでゆっくりと死へと向かっていた彼女が語る、未来への不安を払拭するための、稚拙な英雄願望。

 それを厳格な義母は子供らしい夢だと一笑に付す事なく、微笑んで肯定し、喜んでくれた。その時の彼女の儚くも美しい表情は、今も鮮明に思い出せる。

 

「………【英雄】に」

 

 自然と口から言葉が零れ落ちる。

 同時に、冷たくなっていた心の内から、火を灯したように『熱』を持った何かが産まれた。

 

「―――なりに行こう、オラリオで」

 

 過去の僕と現在の僕の気持ちが、確かに繋がる気がした。

 祖父が語った【英雄】が産まれる街、オラリオ。

 そこに行く決心が、やっとついた。

 

 村の近辺の怪物すら倒せない僕には命知らずに等しい事かも知れない。

 けれど、ここで何も決められず佇んでいるのは、一番恥ずべき事であると彼から教えられた僕はよく知っている。

 

「………ありがとう。さようなら、おじいちゃん」

 

 もう、彼らに守られているだけの自分でいることはできない。『ひとり立ち』の時が来たのだ。

 僕は祖父の墓標から背を向けて、飛び跳ねるかのようにもう一人の祖父の、あの森の中へ消えてった大きな背中を追った。

 

 

 

 Ω

 

 

 

 突然だが、オラリオで英雄を目指すのは間違っているだろうか?

 

 

 神々が降臨する以前の『古代』と呼ばれる時代から存続する世界有数の大都市であり、同時に世界で唯一の迷宮都市。

 モンスターやダンジョンから得られる巨万の富と、巨大な怪物を倒す事で神様たちから『英雄』の如き名声を得られる事から、オラリオを『世界で最も熱い都市』なんて呼ぶ者もいる。

 

 決心を伝えてからの半年間、極寒の中での御爺上からの稽古に耐え。

 街に来てから御爺上の紹介で念願の女神様に眷族にしてもらい。

 ギルドという所でハーフエルフの受付嬢さんに冒険者登録をして貰ってついに英雄候補の仲間入り。

 支給されたナイフと、僅かな回復薬をポーチに入れて、いざダンジョンへ。

 

 オラリオで英雄を目指す、なんて青臭い事を言いながら、心の隅でダンジョンで可愛い女の子との出会いを求めるのは間違っているだろうか。

 

 結論。僕が間違ってました。

 

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

「ほぁああああああああああああああああああああああああああっ!!?」

 

 

 義母との約束に邪念を抱いてしまった罰があたったのだろうか。甘っちょろい願望で多数の死者が出るダンジョンに潜った新人の心をへし折ろうとする、迷宮からの洗礼を僕は受けていた。

 

 エイナさん(アドバイザー)()()()()()()()()()()()()降りたは良いものの、上層には出現しないはずの『ミノタウロス』に運悪く遭遇。

 体のいい獲物を見つけたミノタウロスは人ならざる怒号をあげ、必殺の剛腕を振り回しながら僕に襲いかかってきたのだ。

 

 鋭利な角の牛頭と屈強な筋肉質の人体を兼ね備えたモンスターの適正は、およそLV.2。

『恩恵』を授かったばかりのLV.1の僕ではどう足掻いても勝てはしない相手だった。

 

 だから、僕は一目散に脱兎の如く逃げ出した。下ってきた道を逆走し、必死に地上へ繋がる出口に向かおうとする。

 だが、後ろを追いかけてくるミノタウロスの蹄は僕の全速力をたった数歩で詰めてくる。

 

「ぐぅっ!?」

 

 上から振り下ろされた蹄が地面を叩き割り、間一髪それを避けた僕は土の上を転がる。

 九死に一生を得たと安堵したいところだが、直ぐ側まで近づいてきた荒々しい吐息の音がそれを許してくれなかった。

 

「フゥー、フゥーッ……!」

 

 上を見上げると、ミノタウロスは動けなくなった獲物を前にして、涎を垂らし舌なめずりしていた。

 よほど僕が弱くて簡単な獲物だと思ったのだろう。

 

「ちくしょうッ……!」

 

 その事に沸々とした怒りを感じながらも、立ち上がって腰からナイフを抜く。

 きっと諦めず逃げた方が良いのだろうが、LV.2の怪物の中でも殊更厄介とされるミノタウロスから、LV.1の僕がこの状況から逃げ出せる気はしなかった。

 

 ――僕の人生、ミノタウロスに食われて終わりかよ……!

 

 心の中でそう毒づきつつ、逆手にナイフを構え、目の前の強大な怪物と相対する。

 全身は今も恐怖に支配され震えているが、このまま恐怖に怯えながら、義母との約束も果たせずに目の前のモンスターに鏖殺される事が何よりも許せなかった。

 

 ――来い! ミノタウロス(おまえ)なんかより、よっぽど怖い女の人(おかあさん)男の人(おじうえ)を僕は知ってるんだからな!

 

 家を祖父ごと破壊する義母や、威圧感だけでモンスターを気絶させる御爺上と比べれば、ミノタウロスなんて赤子にも等しいと。

 僕は自分にそう言い聞かせ、無理やり奮起させる事で恐怖を更に上の恐怖で塗り潰して、体の震えを強引に止める。

 そして、僕はミノタウロスに向かって最初で最後の攻撃を試みた――。

 

 

「アイズ! 俺が止めたらお前がやれ!」

 

「分かった!」

 

 

 次の瞬間、目の前でミノタウロスの半身が『凍った』。

 続いてその怪物の胴体に一本の線が走る。

 

「え?」

 

「ヴぉ?」

 

 僕とミノタウロスが同時に間抜けな声をだす。

 走り抜けた線は凍った胴だけにとどまらず、肩口や下肢、そして頭部などと、銀の光ともに線が身体中を走っていく。

 

 やがて、何故かミノタウロスが断末魔の叫びを上げると、牛頭人体の怪物は氷漬けの肉塊に成り下がった。

 一瞬の出来事に僕が時を止めて呆然としていると。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「おい! ビビって死んでねぇだろうな、そいつ!」

 

 消滅していくミノタウロスの死体の向こうからやってきたのは、女神と見紛う容姿の金髪の女性と、キツイ目つきと銀髪を逆立てた無頼漢の狼人だった。

 

 

 

「死にてぇのか馬鹿が。LV.1の雑魚がミノタウロスに勝てる訳ねぇだろ」

 

「はい……。ごもっともです……」

 

 無謀な突撃を試みた僕を助けてくれたのは、双角を成す都市最大派閥の片角である、【ロキ・ファミリア】の冒険者の人たちだった。

【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインと、【凶狼】ベート・ローガ。どちらもLV.5の第一級冒険者であり、新人の僕には及びもつかない英雄候補たちだ。

 

「あのまんま、尻尾巻いて逃げようとしなかったのかよ」

 

「に、逃げられなくて……仕方なく……」

 

「ベートさん、それくらいにして。元はと言えば、私たちがミノタウロスを逃したせいだから………」

 

「チッ……。分かってんだよ、それくらい」

 

 僕を詰るベートさんの言葉は最もだ。

 LV.も【ステイタス】も未熟な僕がミノタウロスに対してやった事は、結果が見えきった無謀な突貫だ。

 あの時僕が取るべき最善手は、僅かに可能性の残っていた『逃走』の選択。恐れを他で誤魔化して『冒険』をしてしまった。

 ……エイナさんの『冒険者は冒険をしてはいけない』という言葉が、今の僕に突き刺さる。

 きっと二人があと一歩でも遅かったら、ベートさんの『魔法』が間に合わなかったら、彼らがミノタウロスを倒した頃には既に僕は潰れたトマトみたいになっていただろう。

 

 ダンジョンは無慈悲に命を刈り取ってくる。

 今回のようなイレギュラーを含め、ソロだろうとパーティを組もうと、危機が訪れた際の一瞬の判断の誤りは命取りとなるのだ。

 

「ごめんね……? 怪我は無い……?」

 

「は、はい……。助けて頂いて、ありがとうございます……」

 

 アイズさんが心配そうに僕の顔を覗く。こてんと首を傾げるその相貌はとても可憐だった。

 単純な雄である自分に呆れつつ、若干と赤面した僕はお礼の言葉を述べる。

 

「ミノタウロスが逃げるとは思わなくて……。私たちのせいだ。本当に、ごめんなさい」

 

「……さっさと行くぞ、アイズ。あんまり遅れるとババアたちがうるせぇ」

 

「……君は、これからどうする?」

 

「えっと、魔石も十分集まったから、帰ろうかと……」

 

 送っていかなくてもいいかとアイズさんに聞かれて思わず頷きそうになったが、後ろのベートさんが怖かったので断った。

 それに、5階層より上にミノタウロスより強い怪物がいるとは思えないし、帰りの体力だって十分にある。

 

「じゃあ、またね……」

 

「フン……」

 

 アイズさんたちは仲間と合流するために下の層に戻るらしい。

 逃げたミノタウロスを討伐した事をファミリアの幹部の方々に報告をしなければならないらしく、なおさら断って良かったと思った。

 

 あちらとは反対方向に向かう僕に、アイズさんは最後まで僕を見送ってくれた。

 

 

 Ω

 

 

「あの子、大丈夫かな……」

 

 白い兎。アイズが最初に少年を見た時に抱いた感想がそれだった。

 しかし、ミノタウロスを逃したのを自分達だと知って全く糾弾しようとしないお人好しな性格の反面、LV.が違うと知って敵に立ち向かう無鉄砲さもとい、恐怖を克服する勇気を秘めている。

 

 最初は追い回されていたものの、遂にルームの隅に追い込まれて、ミノタウロスに決死の突貫をかけようとする少年を見た時、アイズは直前まで確かに彼の脚が震えていたのが見えた。

 

 今回はそれが仇となってしまったようだが、アイズはその格上にも臆せず立ち向かう『冒険者』の姿に興味を惹かれた。

 

「ほっとけ。LV.1であの『敏捷(あし)』してんなら、上層の怪物に手間は取らねぇだろ」

 

 ベートはあの少年に対して終始素っ気ない態度をとっていたが、言葉の節々からは彼を評価しているようにも聞こえる。

 わざわざ肝煎りの『魔法』まで使ってミノタウロスの動きを止めたのは彼なのだが、いざ助けた後で何故ベートがあんな態度をとったのかアイズにはよく分からなかった。

 

「でも、私たちのせいで……」

 

 彼が無謀な突貫をした発端は、自分たちがミノタウロスを逃した事にあるのは間違いない。命の危険に晒した責任はこちらにある。

 しかし、アイズの言葉をベートは遮る。

 

「んだよ、アイズ。えらくあのガキを気に掛けてんじゃねーか。まさか【剣姫】ともあろう女が、あの雑魚に惚れたのか?」

 

「そんなんじゃ、ありません」

 

 冷やかすように笑うベートに、首を横に振って否定する。

 

 アイズは色恋沙汰に興味は無い。

 強くなる。モンスターを倒す。十六という年頃の少女であるにも関わらず、これまでの人生でアイズはその一点のみを突き詰めてきた。

 

 しかし、あの少年に対して、冒険者としての興味以外のある『感情』をアイズが抱いていたのも確かだった。

 

「あ……」

 

「あ? どうした?」

 

 そこでふと、アイズはある事に気づいた。

 

「…………あの子の名前、聞いてない」

 

 

 Ω

 

 

 

「はぁ……」

 

 ため息をついてとぼとぼと地上のストリートを歩く。

 半月ほど前に神様から『恩恵』を授かり、ステイタスの伸びも良いから強くなったと思っていたが、たった数字一つのLV.の差は大きかった。

 

 今さらになって、御爺上の仰っていた「『恩恵』の力は大き過ぎる」という言葉が胸に突き刺さる。

 何せダンジョンに潜った初日で、僕が稽古してやっと倒せたゴブリンを、何十匹も屠れるようになったのだ。しかも地上ではなくダンジョン産をである。

『恩恵』に振り回されないためにも、と御爺上は村近辺の山で稽古をつけてくれたが、それで分かったのは僕に冒険者や戦士としての才能の無いことだった。

 きっと、『恩恵』を手に入れた事で僕は有頂天になっていたのだろう。だからミノタウロスに突貫なんてマネを……。

 

「ダメだダメだ。過ぎた事だ、切り替えよう」

 

 頭を振り、ネガティブな思考を取り払う。

 悪い事ばかり考えていてもダメだ。御爺上の教え通り、逆にあれから得られた事を考えていこう。

 

 ミノタウロスにあれだけ追い回されたのだから、きっと敏捷のステイタスは伸びている。元から脚には自信はあったので、最新で更新した熟練度の中でも敏捷の値は一番高い。

 それに、第一級冒険者と顔見知りになる事も出来た。本来なら上層を探索する僕には彼らとは縁もゆかりもないため、こうした『出会い』は大切にしていきたい(特にアイズさん)。

 

 こうして改めて考えて見ると、ミノタウロスと遭遇した事は僕にとってプラスになったかも知れない。

 

(だったらもう一度ミノタウロスに追い回されてみるのも……いや、やっぱ無理。思い出しただけでもまた体が震え上がる)

 

 すぐさま思考を切り替え、僕は意識を外に向けた。

 バベルから四方八方へ伸びるオラリオのストリートは、相変わらず市民や商人、冒険者などの人達でひしめいている。

 ドワーフや地精霊、エルフや小人族など、オラリオでは多種多様な種族が住み着いており、只人の田舎で育った僕にとってこの街は全てが新鮮で色鮮やかだ。

 この人混みの波なんて始めてだったし、各々から鳴り響く喧騒にも一つ一つに思わず耳を傾けてしまいそうになる。

 そしてその人混みの中には、眷族を連れ歩いている神様なんかもいる。

 

『おるぎあー、おるぎあぁぁぁー……狂乱はいずこにぃ……うおえぇぇぇ……』

『ああっ、ディオニュソス様っ! このような昼間に、酔っ払って出歩かないで下さいっ!』

 

 金髪の優男風の神様と黒髪のエルフの女性の姿が目に入る。

 お酒を大量に飲んだのか神様の顔は赤く、足元も覚束ない。酒乱の男神様に振り回されている眷族らしきエルフの女性は、衆目に晒されているせいか別の理由で顔を赤くしていた。

 

 これも御爺上から教えて貰った事だが、神様は基本、娯楽に飢えているらしい。

 娯楽に乏しい天界では、常に退屈に殺されそうになっていて、僕の主神様も辟易とした顔でそう仰っていた。一昔前には争い事も絶えなかったそうだが、それすらも飽きてしまい、そんな中でふと下界での僕たち人の営みを覗き、その無駄だらけの在り方に興味を持って天界から降りてきたそうな。

 その代価として作られたのが、神から人へ授けられる『恩恵』というシステムである。僕たち人は神様から力を授かるために神様を重宝し、神様は無駄だらけで未知に溢れた世界で人たちに養ってもらう。

 一見してギブアンドテイクの関係だが、実際には『恩恵』の剥奪権も神様側にあるため、不公平な契約だと御爺上は語っていた。

 悪い言い方をすれば、神々は人間をさながら玩具扱いしているとも。僕の主神様は幸運にもそのような享楽主義の方では無いが。

 

 しかしその惨状が余りに見ていられなくなって、ふと目線を逸らすと、麻布の上に並べられた武器が視界に入った。

 やはりどの鍛冶屋の露店にも、斧が最前列に並んでいる。

 その値札の数字の横には、『戦神の加護付き』『あの冷海の覇王(リヴァイアサン)を再現したモデル!』など、戦の神であるクレイトス様に纏わる真偽不明な謳い文句(キャッチフレーズ)が書かれてあった。

 

 言うまでもなく、この斧たちはクレイトス様とは何の関係ないのだろう。こうしたネームバリューに相乗りしただけの武器はオラリオで数多く売られているが、一方でこういった『戦斧(せんぷ)』が冒険者に最も人気のある武器なのは事実だ。

 

【戦神】クレイトス様。

 下界に降りてきた神々の中でも最も古くに降り立ち、数々の伝承と英雄譚にも登場している、僕含めて全ての冒険者の憧れだ。

 だが、戦神として崇め奉られているクレイトス様はもう一千年近くお隠れになっているし、かの神の武器である冷海の覇王(リヴァイアサン)も誰もこの目で見た者なんていない。

 

 けれど、最強の神様が使っている武器を使いたくなる気持ちは分かる。僕も幼い頃にお義母さんの御伽噺のクレイトス様に憧れて、こっそり御爺上の愛用の斧を持ち上げようとしたが、重さで潰されそうになった事があった。

 あの重量の斧をモンスターにぶん回していた御爺上は、やはり化け物なのだろう。まぁ、稽古の内に小柄な僕にはナイフや双剣が斧より適していると知ったのだが。

 

 そしてある程度ストリートを進んだところで、大通りから逸れて僕は細道に入った。

 いかにも裏道といった暗い場所をくぐり抜け、やがて喧騒が遠のいたところで、目的地に到着する。

 

 着いたのは半壊した廃教会。扉のない玄関口を通り抜け、地下へと続く階段に降りる。そして、えらく生活臭のある空間に置かれた、紫色のソファーに寝転がっていた女神様に声をかけた。

 

「神様! ただいま帰りましたー!」

 

 僕の声に気づいた女神様は幼い顔に笑顔を浮かべ、トトトトと音を立てて僕の目の前までやって来た。

 

「やぁやぁお帰りー。今日はいつもより早かったね?」

 

「ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」

 

「おいおい、大丈夫かい? 君に死なれたらボクはかなりショックだよ。柄にもなく悲しんでしまうかもしれない」

 

 小さい両手が忙しなくパタパタと僕の体に触れて、怪我はないか確かめてくる。その気遣いと告げられた言葉に僕は嬉しくなり、頰を染めて照れてしまった。

 

「大丈夫です。神様を路頭に迷わせることはしませんから」

 

 僕の主神――炉の女神ヘスティア様。

 御爺上の古い知り合いで、僕がオラリオに行く決心を伝えた際に、ほぼ唯一に信頼できる女神だと珍しく太鼓判を押してくれた。

 それに違わず、ヘスティア様は二つ返事で僕を眷族に加える事を受け入れてくれたらしく、稽古中にそれを聞いた時は、念願の女神様に会える事に僕は思わず飛び上がってしまった。

 

 そんなヘスティア様を路頭に迷わせる訳にはいかないと改めて心に決めると、彼女はニマニマとした嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「あっ、言ったなー? なら大船に乗ったつもりでいるから、覚悟しておいてくれよ?」

 

「なんか変な言い方ですね……」

 

 二人して笑みを漏らし、寝台のある部屋の奥に進んだ。

 

「魔石の換金はもう済ませてあります。ここに置いておきますね」

 

「おおー! 凄いじゃないか、昨日よりメッチャ増えてるー!」

 

 どっさりと寝台の側に金貨の入った袋を置くと、神様は目を輝かせた。

 どうやら僕が来る以前まではバイトで食いつないでいたらしいが、御爺上から送られてきたお金も僕を思って手を付けないでいたそうだ。

 しかも今も僕だけに働かせる訳にはいかないと、バイトを続けている。

 本当に神格者だ、何で今まで一人も眷族がいなかったんだろう?

 

「いやー、ミーミルのヤツもボクをコキ使うばっかりで、ろくに給料も渡さないからさー。ジャガ丸くんのバイトはハードな分、給料は良いからなー」

 

 ミーミルさんとは、オラリオでも有名な書店兼学び屋、『知巨人(ちきょじん)蔵庫(ぞうこ)』の店主だ。

 噂によると彼は生首だけで生きているらしく、主なバイト内容は彼の代わりにお客への対応をしたり、本を捲ったりする事らしい。

 あとはたまに動けない彼を移動させたりとか、お喋りな彼の話し相手になったりだとか。そういう役目は何故か女の人に限るそうだが。

 生首だけで生きていると最初に聞いた時は僕も驚いたが、神様が地上に存在している時点でもはや何でもありなのだろう。

 

「あの、僕に気を使わなくてもいいんですよ、神様? 無理してそんなに働かなくても……」

 

 神様はいわゆるダブルワークをしている状態だ。矮小なファミリアとはいえ、僕の今の稼ぎならその日暮らしは出来るし、御爺上からのお金も装備品の購入費用分以外はほぼ手つかずで残っているはずだ。

 けれど、神様は頑なだった。

 

「何回も言うけど、君に養われるだけにはいかない。へっぽこ女神なんて呼ばれてるけど、眷族に頼り切りなんて情けないだろう? ありがたいけど、これはボクの意地だ、分かっておくれよ」

 

「神様……」

 

 慈愛の笑みを浮かべて優しく僕を諭す神様。

 そこまでされると僕もこれ以上は何も言えなくなる。

 けど、やっぱり心配だ。長時間労働による過労が祟っているのか、神様は夜中になると「クレ……ス、分かった、ボク働く、ぐうたらしないから……グゥ……」と魘されている事があるのだ。

 

 一刻も早く労働から解放してあげねばと気炎をあげ、僕は神様に促されるままに上半身の服を脱ぎ、寝台に仰向けになった。

 

「じゃあ、始めるよ」

 

「はい。お願いします」

 

 神様が僕の背中の上にピョンと跨ると、いつものように【ステイタス】の『更新』の儀式を始める。

 

 神様達が扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】を、神血を媒介にして刻むことで対象の能力を引き上げる、神のみに許された力。

 今回もいつもと同じく、経験した事象である『モンスターを倒した』という一つの軌跡を引き抜いて、【経験値(エクセリア)】として成長の糧へと変える。

 まるで君たち一人一人の歴史図を書き記しているようだと、神様は語っていた。

 

 神様が針を取り出して背中に血を垂らすと、ステイタスの『更新』が始まる。背中に刻まれた【神聖文字】が熱を持ちだし、神様が僕の【経験値】を力に変える。

 

「そういえば、死にかけたって言ってたけど……」

 

「実は、上層でミノタウロスに襲われて……。でも、【ロキ・ファミリア】の冒険者の人たちに助けて貰ったんですよ」

 

「ロキのところの子かい? 冒険者同士がダンジョンで助け合いなんて、珍しい事もあるもんだ」

 

 神様いわく、基本的に同盟でも結ばない限りは、別ファミリアの冒険者同士が助け合う事は無いんだそうだ。

 別にお互いに蹴落とし合う関係でも無いのに、それほどダンジョンという環境は過酷なのだろう。

 

「……はい。終わったよ、書き写すから服を着直して」

 

 いつも通り、更新は何事もなく終わった。

 神様の反応もいつも通りだから、大した変化もなかったのだろう。

 

 着替え終わると、神様は僕の【ステイタス】を書き写した紙を手渡してきて、受け取ったそれに視線を落とす。

 

ベル・クラネル

LV.1

力:G 201→236

耐久:H 126→148

器用:G 189→216

敏捷:F 212→304

魔力:I 0

《魔法》

【 】

《スキル》

【 】

 

 熟練度上昇トータル180オーバー。

 背中の上の神様がいつもより深いため息をついているため、きっととんでもない上昇幅なのだろう。ミノタウロスとの壮絶な追いかけっこがあったからか、『敏捷』なんて昨日Gに入ったのに早くもFに到達している。

 僕の『ステイタス』の上昇幅は異常らしく、この急成長について神様によると、『恩恵』を刻む前の御爺上からの訓練による下地に加えて、現在の僕は俗に言う成長期にあるかも知れないというのが見立てだ。

 しかし、何度更新しても埋まらない熟練度のその下の空欄を見て、僕は思わずため息をついてしまう。

 

「……神様、僕いつになったら【スキル】とか【魔法】が出てくると思います?」

 

【魔法】とは本来ならエルフなどの専売特許なのだが、神様がもたらす『恩恵』はいかなる種族にも、最低一つの魔法を発現させる可能性を引き出してくれる。

 僕は幼い頃から英雄譚を読み耽っているのと、魔導師であった義母の影響から、魔法というものに憧れを抱いていた。

 

 同じように【スキル】に関しても、一定条件の特殊効果や作用を肉体に齎してくれる能力の事で、これも神様が『恩恵』を通して拾い上げた【経験値】を体に刻む事で発現する。

 スキルは魔法のように目に見えた派手さはないが、発現して損なものは極めて少ないらしい。

 ゼロではないというのが、恐ろしいところだが。

 

「そんな簡単に現れてくれる訳ないだろう? ベル君、本とか読むのかい?」

 

「す、少しくらいは……」

 

 精一杯見栄をはってはいるものの、実際には英雄譚がほとんどである。この辺は御爺上にも呆れられた。

 これで相手が人ならば誤魔化しようはあるものの、相手は上位存在たる神様である。下界の人間である僕の嘘は、たやすく見破られてしまう。

 

「嘘をつくなんて感心しないなぁ……。そんなに『魔法』が欲しいのなら、ミーミルのところで働けば、『魔導書(グリモア)』なんてものに目を通す機会があるかもしれないぜ?」

 

「け、結構です! 夕飯の支度をしてきますねっ!」

 

 このままでは神様のハードワークに巻き込まれると思い、僕はキッチンの方に逃げる。

 神様を労働から救いたいのは本心からだが、僕まで巻き込まれたらダンジョンにも潜れなくなるし、それで稼ぎが少なくなったら元も子もない。

 ニヤニヤした神様の視線を背中で感じながら、僕は現実逃避するように、頭の中で今夜の献立を組み立て始めた。

 

 

 

 Ω

 

 

 

 ヘスティアは逃げるようにキッチンへ入るベルを見送って、静かに溜息をついた。

 先程更新したばかりの【ステイタス】の用紙を手に取り、少年の背と見比べる。

 

(……この上昇幅はやはり異常だ。クレイトスめ、全くとんでもない子をボクに預けやがったな)

 

 どんな些細なことでもすぐさま影響が肉体に、精神に伝播する。それは不変である神々にはあり得ない、ヘスティアが考える人間の持つ本質である、『変質』がベルの肉体には起きていた。

 

(あの【スキル】……)

 

 始めて『恩恵』を与え、【神聖文字】を刻んだ時。

 ベルは既に【スキル】を発現させていた。

 その特異性故に、彼の健全な成長も考えてヘスティアはスキル欄からその存在を抹消してしまったが、その効果はベルの『飛躍』という形で如実に現れている。

 このまま続けば、誰かにバレるのも時間の問題かも知れない。

 

 あー、と漆黒の髪を両手で思いっ切りかき乱して、もう一度ベルの背中を見た。

 正確には、服の下の彼の背に刻まれた【ステイタス】――そのスキル欄をだ。

 

 

英雄回帰(リグレッション・オブ・アルゴノゥト)

・早熟する。

・懸想が続く限り効果持続。

・懸想の丈により効果向上。

 

 

 まるで最初から『魂』に刻まれていたが如く、【ステイタス】を刻んだ瞬間に現れたそのスキルを読み、ヘスティアは彼の祖父の片割れである戦神を今すぐ問い詰めたくなる衝動に駆られる。

 

(だから、『始まりの英雄(アルゴノゥト)』ってなんの事なんだよーー!!?)

 

 

 

 

 





『恩恵』を刻んだ時から成長促進のスキルを持ってるベル君。でもやっぱりLV.差は覆せない模様。


・ベートが使った魔法

『フロスト・アウェイクン』
・付与魔法(エンチャント)
・氷属性
・詠唱式『冷氷よ(アウェイクン)』

LV.4になった際にやっと発現。これにより、魔剣や敵の魔法を吸収せずとも強化が可能になった。
当然ながらクレイトスのリヴァイアサンが影響していて、これが発現した時はロキの前にも関わらず、思わずガッツポーズをしてしまった。その後めちゃくちゃ弄られた。
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