昨日の一件があっただけに、数あるオラリオの酒場の中で、ここ『豊穣の女主人』で偶然アイズさん達と出くわした事に僕は驚きを禁じえなかった。
「ど、どうしてここに……!?」
「遠征の打ち上げ。それにここ、ロキの行きつけだから」
「どうしてはこっちのセリフだ、兎野郎」
アイズさんが僕の口から溢れ出た疑問に答え、ベートさんが不機嫌そうに吐き捨てる。ベートさんの手にも、アイズさんと同じくテーブルに置かれたままのグラスが握られていた。
「彼がアイズの言っていた冒険者かい?」
「うん。あの時の子で間違いない」
「じゃあ、あの子が私たちが昨日逃したミノタウロスに襲われてた冒険者?」
同じテーブルに座る【ロキ・ファミリア】の他の団員達から、次々と奇異の視線が送られる。同派閥のLV.5二人と駆け出しが知り合いなのだから当然だろうが、もしかして宴会の邪魔をしてしまったのではないか?
視線に耐えきれず、助けを求めるようにシルさんの居る隣を見るが、いつの間にか彼女は綺麗さっぱり姿を消していた。
頼みの綱を絶たれた僕は、こうなったらおじいちゃん直伝のお義母さんに詰められた時の愛想笑いでこの場を凌ごうとする。
「ほーーん? 君がアイズたんが探しとった子かぁ?」
「うわぁ!?」
顔を戻すと、見たことのない朱色の瞳が僕を覗いていた。
愛想笑いも吹っ飛んで、椅子から飛び上がった僕を一通り眺めると、あのたった数瞬で接近していたロキ様は再び目を閉じる。
「ごめんなぁ? あの子がどーしても君の名前知りたい言うとってな。一応主神やからどんなもんか顔は見ときたくて。ミノタウロスの事は、親であるウチもホンマに悪い思っとる」
「は、はぁ……いえ……」
謝ったり、笑ったり、真剣な顔になったり、ころころと態度を変えながら怒涛に捲し立てるロキ様に僕は呆然となる。
すると、ロキ様の振る舞いに翻弄される僕を見兼ねてか、【ロキ・ファミリア】のテーブルから助け船がきてくれた。
「ロキ、そのくらいにしてくれ。彼が困惑してしまっている」
「あまり、その子を困らせないで」
金髪の小人族の青年が、アイズさんを伴ってロキ様を連れ戻しにやってくる。
【
オラリオ有数のLV.6の冒険者で、都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】を纏める団長だ。
ロキ様はちぇーと口を尖らせ、大人しく席から離れていった。
それからさして間も置かず【ロキ・ファミリア】のテーブルから、ざわめきと共にベートさんらしき人の怒号が聞こえてきたが気のせいだと思いたい。
「うちの主神がすまない。あいつも享楽主義な神でね、昨日のミノタウロスに引き続いて、君に迷惑をかけてしまった」
「いえいえ! それに、もうミノタウロスの事はいいですから!」
大派閥の主神に続いて、憧れの冒険者にも謝られては堪らないと、僕は大慌てで手を振った。
あれは完全な事故だったのは既に知っているし、何なら僕が蛮勇を犯し突貫して死にかけた所を、アイズさん達は助けてくれたのだ。
それを聞いたフィンさんは、爽やかに苦笑を浮かべる。
「ありがとう。今日も含めてこの借りはいつか君に返す。よければだが、君の名前を教えてくれないか?」
「えっと、ベル・クラネルです。【ヘスティア・ファミリア】の……」
畏れ多く感じながらも、僕は名前と所属を告げる。
それを聞いたフィンさんは、口の中で僕の名前とファミリア名を小声で繰り返した。
「よろしく、ベル・クラネル。もっと君と話したいところなんだけど、うちの主神の相手をしなくちゃならなくてね」
「よろしくね? ベル……」
「は、はい……」
そう言って、二人は宴会の席に戻っていった。
嵐のような神様といい、怒涛の展開に僕が少し呆然としていると、カウンターの下で何かが蠢いているのを察知する。
「何やってるんですか、ライラさん?」
「しっ! あいつらに聞こえるだろっ」
僕の足元に隠れるようにして、桃色髪の小人族が縮こまっていた。
その手には僕が頼んだステーキがあって、ライラさんはなぜか【ロキ・ファミリア】の方へこそこそと視線を送る。
「ちくしょう、【ロキ・ファミリア】が来るなんて聞いてねぇぞ……」
「ライラ、そんな所で何をしているんだ。クラネルさんに迷惑をかけるな」
醸造酒のグラスを持ったリューさんが呆れた顔でやってきた。
しかし、よほど見つかりたくないのか、ライラさんが咄嗟に「しっ」と口の前で人差し指を立てる。
「あいつらがいるって事は、【
「貴方は既に【怒蛇】の事で【勇者】との結婚は諦めたはずでは?」
「そうだけど、前にからかおうとして近づいた時にスゲェ顔で睨まれてよぉ……。なぁリュー、料理運ぶの代わってくれよぉ」
今にも泣き出しそうな顔に情けない声で嘆願するライラさん。
リューさんはため息をついて、黙ってグラスを僕のテーブルに置いた。
「ちくしょう、あいつらデカい顔しやがって……。7年前の『暗黒期』にオラリオで一緒に戦ったアタシ達は、今もオラリオの秩序を守ってるってのに」
「役割の違いというものです。私たちは正義の派閥として都市の治安を守り、彼らはダンジョンを探索する……。迷宮都市での花形が彼らなのは自然だ」
「お前はこの前の事もう忘れたのかよ!? あいつらと【フレイヤ・ファミリア】が危うく抗争寸前まで行きかけた時、アタシら何回も死ぬような目にあったんだぞ!?」
「当の
正義のファミリアって大変なんだな、と僕はしみじみ思いながら、ライラさんの放ったあるワードが気にかかる。
「あの、『暗黒期』ってなんですか?」
字面からしてもかなり物騒な単語だった。
説明してくれるリューさん曰く、このオラリオで十五年以上前まで双頭を保っていた【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が壊滅してから、『
【ヘラ】という神の名にもどこか引っかかりを僕は覚えつつ、リューさんの話を続けて聞いた。
「特に、7年前に起きた『死の七日間』という『闇派閥』との全面戦争は酷いものでした。最低でも死者は三万人、何柱もの神が天界に送還されてしまいました」
「思えば、あの時ほどオラリオ中のファミリアが一致団結してた時期はないぜ。普段もああしてくれればいいんだけどよ……」
「当初は私たちも辛うじて優勢を保てていました。それでも少なくない犠牲は出ていましたが……」
悔しそうに、悲しそうな顔でリューさんは言葉尻を震わせる。もしかしたら、彼女もその中で仲間や友人などを亡くしてしまったのかも知れない。
「その最中に現れた、ある二人の冒険者が盤面をひっくり返してしまったのです。当時LV.6だった【猛者】をも退け、【ロキ・ファミリア】を始め数々の冒険者を蹂躙していくほどの」
「そ、そんな凄い人達が…?」
「ええ。【静寂】と【暴喰】……かつて【ヘラ】と【ゼウス】に所属していたLV.7の冒険者でしたが、『闇派閥』に寝返った彼らは私たちに牙を向きました」
「バケモノみたいに強かったよなぁ。今はLV.7になってる【猛者】も相当だが、あの二人は別格だったぜ?」
そんなに強い人達がどうして『闇派閥』に寝返ってしまったのだろうか。
リューさん達と一緒になって、『闇派閥』と対抗しようとは考えなかったのだろうか。
「……彼らが『闇派閥』についた理由は不明です。それどころか、ギルドは今は亡きあの二人の『名前』を既に抹消してしまっている」
「まぁ、アタシらも終わった事を何時までもほじくり返したくはないしなぁ」
人間、辛い事は忘れたいと思う生き物だ。特にその二人の名前は人々にとって恐怖の象徴だったのだろう。
けど一方で、本当に忘れてしまっていいのだろうかとも思う。被害者や遺族からすれば、理由もなく殺されたように感じられるはずだし、次代の人達に歴史や真実を伝えるのも大事なのではないか。
「クラネルさん。何も、真実だけが人を幸福にするとは限りません。知らない方がいい事もあるように、あの二人が胸に秘めていた想いは、秘めたままの方が正しいのでしょう」
僕の心を見透かしたようにリューさんは毅然とする。
(胸に秘めた想い……)
7年前に僕の前から理由もなく消えてしまったあの二人も、胸に何かの想いを秘めていたのだろうか。遺体すら帰って来なかったせいで、それを知る術ももう無いのだが。
「そんで当時の首魁の邪神『エレボス』をとっ捕まえて送還させた事で、一応『死の七日間』は終わった……はずなんだけどなぁ」
どこか歯切れが悪いそうに言うライラさん。首魁がいなくなって終わったはずなのに、まだなにか起きたのだろうか。
「そっから不自然な事が起こってよぉ。エレボスが送還されたのを皮切りに、今度は『闇派閥』の主神達が次々と送還されてったんだよ」
「ルドラ、イケロス……その他数多くの悪神達が、たった三日間の内に天へと還されました。仲間割れか、それとも他の誰かがやったのか……原因は今も不明のままです」
「通称『最後の三日間』。アホな神々の中では、戦神クレイトスが自分たちをぶっ殺しに来たんだ、って『大抗争』の時以上に騒いでたんだぜ? あんな大昔の古い神がまだ地上に残ってる訳ねぇだろ」
「とにかく、悪神たちが居なくなった事で『闇派閥』は壊滅しました。と言っても完全に壊滅した訳ではなく、今も残党勢力が水面下で蔓延っているのですが……」
リューさんとライラさんからすれば、自分達の預かり知らぬ所で事態の収拾が付いてしまった事になる。
しかし、今のオラリオがこの平和を保てているのは、彼ら彼女らの尽力に依るところが大きいのは確かだ。
『闇派閥』を壊滅させたのが誰であれ、『死の七日間』と呼ばれる聞いているだけで凄惨な時期を生き抜いた目の前の二人は、きっと正義の派閥としての役目を真っ当したのだろう。
「……さっ、暗い話は終わりっ! とっととこれ食って金を落としてけよ!」
「ムググっ、息がッ……!」
「ライラ! それではクラネルさんが窒息してしまう!」
重くなった雰囲気に耐えきれなくなったのか、ライラさんはすっかり冷めて固くなったステーキをフォークでぶっ刺して、強引に僕の口に突っ込んできた。
噛み切れなくて窒息しそうになり、リューさんが咄嗟に止めてくれるが、するとカウンターの向こうから怒号が飛んでくる。
「おまえ達、なにサボってるんだよ! まだ仕事を増やされたいのかいっ!?」
ブチ切れたミアさんの一喝により、客である僕含めて、リューさんとライラさんは一緒になって萎縮してしまう。
結局、僕は注文通りの代金を払わされた。
Ω
店を出て、急いで本拠に戻ったベルを待ち構えていたのは、地下室のソファの上で仁王立ちするヘスティアだった。
「ベル君!! ミノタウロスに突撃したってのは、どーいう事なんだい!?」
今日はこれについてよく聞かれるなぁ、と思いながらも、ベルはヘスティアからのお叱りを正座で甘んじて受け入れていた。
てっきり自分を置いて『豊穣の女主人』に一人で行った事に怒っていると思っていたが、ヘスティアがツインテールを荒ぶらせているのは昨日のミノタウロスの一件からだった。
「ミーミルに聞いたよ!? ロキの子が君によく似た冒険者を探しているって! もう既にさっき会ったみたいだけどさ!?」
ヘスティアの情報源はバイト先の店主のミーミルらしい。
生首で身動きが取れないはずの彼が、どのようにして昨日今日の出来事について知ったのかは不明だが、そんな考えもヘスティアからのお叱りで吹っ飛んでいく。
「【英雄】になるも何も、君が死んだら意味が無いだろう!?」
「誠に申し訳ありません……」
ヘスティアの言っている事は最もであった。
昨日の更新時にベルがうっかり伝え忘れていたのもあるが、それを抜きにしても目の前の女神はきっと同じようにベルを叱っただろう。
彼女は本気でベルの事を心配してくれている。たった一人の眷族、【ファミリア】を失う事を非常に恐れている。
他ならぬ自分がその悲しみを最も分かっていたはずなのに、オラリオでまた『家族』の暖かさを与えてくれたヘスティアに対して、ベルはそれを仇にして返したのだ。
その事実が、ベルの心に重く伸し掛かった。
「……とりあえず、もうこんな無茶はしないように。さっ、寝転んだ寝転んだっ」
「は、はい……」
一方のヘスティアとて、ベルを無為に責めるつもりは毛頭無かった。主神の自分に黙っていた事は、昨日の出来事について深く聞かなかった自分にも責任がある。
そして十分に反省したと判断したヘスティアは、いつものようにベルを上半身裸にして寝台の上に寝転ばせ、【ステイタス】の更新を行う。
「――――ッ」
更新が終わると、ヘスティアはピタリと手を止めてしまった。
昨日更新したにも関わらず、一日のトータル上昇値は100オーバー。
昨夜に比べれば見劣りするが、あれはミノタウロスに追い回されたと言うアクシデントがあったからだ。
今日は新しい階層に進出したとベルは言っていたが、攻略したのは全体の3分の1程度である。
しかし、たったそれだけでこんなにも熟練度が加算されるとは。【ステイタス】について深いノウハウを持ち合わせていないヘスティアでも、少年の成長速度の異常さは理解できた。
もはや成長ではない、これでは『飛躍』だ。
ベルの【
そんな女神の思惑すらも飛び越える奇跡が、少年の身体の中で起きていた。
(これは……)
この『スキル』に関しては、ヘスティアはベルには伝えないと決めている。
仮に伝えれば彼はもっと飛躍するだろうが、慢心しないとも限らないし、積極的に危険に飛び込みかねない。何より、レア物好きな神々が興味を示さないはずが無いだろう。
ヘスティアは敢えてベルに伝えない事で、他の冒険者と同じように彼に健全に成長してほしかった。今回の失敗も糧にして、きっとまた一段と、彼は強くなるはずだ。
(問題は、ボクだ)
クレイトスから送られてきて約半月、今も床下で眠っている『鎖付きの鉄塊』をどうするか、ヘスティアはずっと決めかねていた。
(クレイトスは『任せる』と言っていたけど、ボクにはあれを使う覚悟が無い)
彼はこれからもずっと強くなり続けるだろう。それこそ果てしなく、いずれは【英雄】にだってなれると信じている。
しかし、ヘスティアがベルに出来る事と言えば、【ステイタス】の更新と、先ほどのように彼の無茶を叱るだけ。
ロキやヘファイストスのように、優れた知略も技量も持たない女神である自分を、これほど恨めしく思った事は無かった。
(…………ベル君)
現在ベルの【ステイタス】は、もうすぐ階位昇華が可能になる段階にまで至ろうとしている。攻略階層も広がり、いずれ今の支給品や初級者用の武器では満足に戦えなくなるはずだ。
機が熟したのかも知れない。
きっとこうなる事を承知で、クレイトスは
後は、あの武器をベルに渡す覚悟が、ヘスティアに定まっているかだけだった。
「えええいっ!!」
「神様っ!?」
(らしくないぞ、ヘスティア! ベル君のためなら”何でも”してやるんだろう!?)
その為なら『神殺し』がなんだってんだ、とヘスティアは遂に覚悟を決め、眷族の背中に跨ったまま気炎を上げる。
すると、うつ伏せに乗られていたベルが驚いたような声を上げ、ヘスティアはまだステイタスの更新結果を伝えていなかったのを思い出す。
「驚かせてごめん! それと悪いけどベル君、今日は口頭で伝えてもいいかな?」
「あ、はい。構いませんけど……」
身なりをただし、ベッドに腰掛けたベルに【ステイタス】の更新結果を伝える。
それから、ヘスティアは真剣な面持ちを作った。
「ベル君、君はもっと強くなれる。そして君自身も、今よりも強くなりたいと望んでいる」
「……はい」
真っ直ぐと視線を逸らさずに答えるベルに、ヘスティアはこくんと頷いた。
心なしかその相貌は昨日よりも逞しく見える。これも下界の人間特有の、早すぎる変化の一つなのだろうか。
「……だったら約束してくれ、無理はしないって。昨日みたいな事はもうしないと、ボクに誓ってくれ」
「ぼ、僕は……」
「――ボクも、全力で君のことを応援するから」
「っ!」
潤みそうになる瞳を抑えながら、ヘスティアはベルに誓った。
そして心底願った。
どうか、彼が『理想』を叶えられますようにと。
神であるヘスティアが願う相手など、それこそ『運命』しか無いと知っていても。
「……お願いだから、ボクを一人にしないでおくれ」
「……はいっ。神様を絶対に、一人にはしません! 心配もさせませんっ!」
顔を上げたベルは、涙を堪えているようで、そして吹っ切れたような表情をしていた。
その表情に安心したヘスティアは、にこりと笑った。
「その答えが聞けたなら、もう安心かな」
やる事は決まった、ならば早速行動に移すのみ。
ヘスティアは足音を立てて食器棚へと走り、書簡入れと化した中段を漁って、目当ての物を探す。
そして、『ガネーシャ主催 神の宴』と書かれた、明日行われるある催しへの招待状を手に取る。
「ヘファイストスも来るよね……?」
むしろ来てくれなければ困る。
件の鍛冶神は、この隠し部屋をヘスティアに与えてくれた友神であると同時に、あの武器とも深い関わりを持っている神なのだ。
ベルのためにあれを生き返らせるならば、彼女に頼むしか宛はない。
「ベル君、ボクは明日の夜……いや何日か家を空けるかも知れないけど、構わないかい?」
「え? ええ、構いませんけど……」
バイトですか、と訝しむように聞いてくる眷族に、にっこりと笑って答えた。
「友神の開くパーティにね! 本当は行く気は無かったんだけど、久しぶりに顔を見たいやつがいるんだ!」
Ω
『神の宴』。
それは、下界にそれぞれ降り立った神達が顔を合わせるためだけに設けられた会合。大仰な名前に反してその実情は色々と緩いもので、誰が主催で、いつやるかなどの決まり事は全くもって存在しない。
「本日はよく集まってくれたみなの者! 俺がガネーシャである! 今回の宴もこれほどの同郷者に出席して頂きガネーシャ超感激! 愛してるぞお前達!」
「おひさー」
「会ったのいつだっけ? 二日前?」
「ん、お前らとは二千年ぶりだな」
今回の宴の主催者ことガネーシャが挨拶するが、この場にいる神々の誰もが聞き流している。
開催場所は【ガネーシャ・ファミリア】の本拠、『アイアム・ガネーシャ』である。
その外見は巨大化したガネーシャそっくり。
しかも入り口はあぐらをかいた股間の中心という、建築者が図面を引く途中でとち狂ったとしか思えないデザインで、毎日出入りする構成員の間ではもっぱら不評だった。
しかし同時に、構成人数ではオラリオ最多を誇る【ガネーシャ・ファミリア】は、都市中のほとんどの神を招待する事が出来るほどの財力も有していた。
零細ファミリアの主神であるヘスティアも、その一人だ。
「給仕くん、踏み台を持ってきてくれ! 早く!」
「は、はい!」
給仕の青年に台を持ってこさせ、テーブルの奥にある料理を素早く手持ちのタッパーに詰めていくヘスティア。それと同時に自分の口にも入れていくのを忘れない。
みっともない行為である事は百も承知だが、少しでも食費を浮かせるためには仕方のない事だった。
「何やってんのよ、あんた」
「ムググッ!?」
そして青年の何とも言えない視線と神々からの嘲弄の声に黙々と耐えていると、幸運にも探し人の方からヘスティアの元にやって来た。
「ヘファイストス!」
「ええ、久し振りねヘスティア。元気だったかしら?」
燃えるような真っ赤な髪に顔の左半分を黒い眼帯で覆った女神、ヘファイストスである。
宴の場だからかいつもは結ばれた髪は流され、身につけている物も男装から真紅のドレス姿に変わっていた。
「会えて良かったよ! やっぱりここに来てたんだね!」
「何よ、言っとくけどもう1ヴァリスだってアンタには貸さないわよ」
「し、失敬な! ボクはもうそんなみっともない事はしないよ!?」
「鏡見なさいよ、鏡」
飛び跳ねるように喜ぶヘスティアとは対照的に、またたかられると思ったヘファイストスの言葉は辛辣だった。
語弊はあるが、このヘファイストスこそがヘスティアの元扶養者であり、今のファミリアの本拠も彼女の恩情によるところだ。
ヘスティアとは天界でも親友と呼べる仲で、面倒見の良い元来の性格もあってか、ヘファイストスはついつい彼女を甘やかしてしまう所があった。
「眷族が一人できたって聞いた時は貴方もやっと一人前になれたと思ったけど……。もうちょっと立派な姿を見せて欲しいものだわね」
「ぐぬぬ……」
ハンと鼻を鳴らすヘファイストスにヘスティアは唸る事しかできない。
すると、コツコツと靴を鳴らす音がヘファイストスの背後から近づいてきた。
「ふふ……相変わらず仲が良いのね」
優雅に笑うその女神の容姿は、周囲の神々と比べても群を抜いて美しい。
整ったプロポーションと新雪を思わせるきめ細やかな白肌、そして凛々しい相貌。
美を超越した、いや、
「フ、フレイヤ!? なんで君がここに……」
「私が誘ったのよ。偶然会ったから」
にべもなくそう答えるヘファイストス。
フレイヤはニッコリと薄い微笑を向けた。
「お邪魔だったかしら? ヘスティア」
「そんなことは無いけど…………ボクは君のこと、苦手なんだ」
「うふふ。貴方のそういうところ、私は好きよ?」
美貌以外にも神たちの中で群を抜いて掴み所の無いフレイヤに、ヘスティアは口を曲げた。
「本当はアストレアも誘いたかったんだけど、ガネーシャと今度の『
「あら、そう言えば今年もそんな時期ね」
数年前から毎年行われているオラリオでの見世物には、主催者である【ガネーシャ・ファミリア】の他にも【アストレア・ファミリア】も開催側として関わっている。
そもそも今回の『神の宴』の目的も、その催しでの協力を求めるためである。最も、他の神たちからすれば知ったこっちゃない事なのだが。
すると、また足音が――今度はドタドタと忙しない音楽が近づいてきた。
「おーーい、ファーイたん、フレイヤー、ドチビー」
「あら、ロキじゃない」
「また会ったわね」
「げっ、ロキ。どうしてここに……!」
よりにもよってヘスティアにとってフレイヤよりも苦手な女神、ロキがやってきた。
『策謀の神』であるロキと慈愛と不滅を司るヘスティアの仲は、一言で表すなら険悪に尽きた。
「なんや理由があらな来たらあかんのか。お前こそタダ飯貪って恥ずかしいないんかぁ?」
「…………ッ! ッッッ!」
「凄い顔になってるわよ、ヘスティア」
会って早々にヘスティアを煽るロキ。
今にも取っ組み合いになりそうな雰囲気に周囲の神々が距離をとるが、意外にも先に矛を収めたのはロキの方だった。
「まぁ、ええわ。それよりお前んとこの『ベル・クラネル』って子に、ウチからよろしく言うといてくれや」
「は?」
何故かロキの口から出た自身の眷族の名に、ヘスティアはポカンとなる。
そんな彼女を放っておいて、「じゃー、ウチ忙しいからこれで」とロキはその場でくるりと身を反転させた。
「ベルって貴方の眷族でしょ? 何かしたの?」
「さ、さぁ。ボクにもよく……」
ヘファイストスも予想外だったのか、背を向けて立ち去っていくロキをヘスティアと並んで見送る。
昨日の酒場で偶然一緒になって、ミノタウロスの件でロキに直接謝られたとベルは言っていたが、わざわざヘスティアを介してもう一度ベルに謝りに来るような殊勝な神ではない。
「やっぱりロキも気づいたかしら……」
「なに? フレイヤ」
フレイヤの口から零れた言葉にその隣にいたヘファイストスが反応する。
「いいえ、何でもないわ。それよりも、私もそろそろ失礼させて貰うわ」
「え、もう? 何か用があったんじゃ」
ロキに続くようにしてフレイヤもこの場を去ろうとした。
フレイヤは優雅に微笑んで疑問に答える。
「いえ、もう用は済んだわ。それじゃあ二人とも、またね?」
そう言ってフレイヤもロキと同じように、ひしめく神々の中に消えていった。
残された同郷の女神二人は、広くなった空間にポツンと並んでいる形になる。
「なんか、今日のロキは様子がおかしかったね」
「そうね、いつもと全然雰囲気が違ってた。いがみ合いになっても取っ組み合わなかったし、それに落ち着いてたわ」
首を傾げるヘスティアに、ヘファイストスが隣でグラスを傾けて答える。
「まさかあんたの眷族のベルって子、ロキに狙われてんじゃないでしょうね」
「まさかっ! 狙われる理由なんて無いよっ!」
本当は十分あるのだが、ロキからは【ステイタス】関連については何も聞かれなかったとベルから聞いている。
ロキが【英雄回帰】に気づける可能性は背中の【ステイタス】を見ない限りには万に一つと無いと言っていい。
「まぁ、フレイヤはともかくロキがそんな事するとは思えないけど。手綱はちゃんと握っときなさい」
「う、うん……」
神友からの忠告をヘスティアは心に刻みこむ。
「で、あんたはこれからどうすんの? あんたも何か用があってここに来たんでしょ?」
「あ、そうだそうだ! 僕も君に用があって来たんだ!」
ようやく自分が『神の宴』に参加した理由を思い出すヘスティア。
すると、ヘファイストスの視線が厳しいものに変わった。
「……この期に及んでまだ私に頼み事があるって? あんた、さっき私になんて言ったかもう覚えてないの?」
散々私の懐を食い漁っといて、と汚物を見るような目をする親友にヘスティアは咄嗟に前言撤回したくなる衝動に駆られる。
だが、眷属であるベルのために全力で応援すると誓った手前、ここで怖気づく訳にはいかない。
周囲を見渡し、近くに神が居ないことをヘスティアは確認する。ヘファイストスが怪訝な顔を作るが、神々がひしめくこの空間で混乱を起こさないためにも必要な事だった。
(ベル君のためなら……)
今度こそ彼女に愛想を尽かされる、いや、内容的にも絶交を告げられるかも知れないと覚悟しつつ。
ヘファイストスの前で、ヘスティアは大きく息を吸って自分の望みを放った。
「ベル君にっ……僕の眷族のために、『ブレイズ・オブ・カオス』を打ってくれないか!?」
その銘を聞いた鍛冶神の紅の瞳が、すっと細まったのがはっきりと見えた。
《鎖付きの鉄塊》
・未知の金属で創られた恐らく双剣だったもの。
・切れ味は最悪。何かの『器』だったと思われる。
・鎖はピクリとも動かない。
・この状態でも破壊は不可能。