ゴッド・オブ・ウォー《オラリオ》   作:スパルタ人

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これが年内最後かも?


炉神の双剣

 

 大通りを歩く人混みの中、僕は約束した待ち合わせの場所である広場へと向かっていた。

『怪物祭』でごった返す人の波を四苦八苦してかき分け、ようやく目的の場所にたどり着く。

 予定より早く着けたと思いきや、噴水の前でよく目立つ薄鈍色の頭が僕の目に入った。

 

「あっ、ベルさん! おはようございます!」

 

「お、おはようございます! シルさん」

 

 駆け寄ってきたのは、僕と同じように予定より早く待ち合わせていた私服姿のシルさんだった。

 僕は慌てて頭を下げる。

 

「すみません……。待たせちゃいましたか?」

 

「いえいえ! 私も来たばかりですし! ふふふ……ベルさんは真面目ですね」

 

 いつもの制服姿と打って変わって、丈の短いスカートと淡色のドレスを着ている。

 可愛い、綺麗、などとそんな気恥ずかしい事を僕が口にできるはずなく、ただ普通に挨拶してしまう。

 

 目の前の彼女含め、祭りに合わせて周囲の人々は洒落た格好をしているのに、貧乏ファミリアの僕だけが持ってる中で一番マシな服を着ていた。

 

「ベルさんも似合ってますよ?」

 

「アハハハ……。ありがとうございます」

 

 何で僕の考えている事が分かったんだろう……。

 やはりこの人は心を見透かす能力でも持ってるとしか思えない。その日会った人とすぐ仲良くなれて談笑すらできてしまう所も謎だ。

 

「でも、急にびっくりしました。一緒に見て回ろうなんて……」

 

 昨日『豊穣の女主人』を訪れた際に、僕はいきなり彼女に『怪物祭』に誘われたのだ。

 何でも書き入れ時にも関わらず、ミアさんから特別にお休みを貰って祭りを見に来たらしい。

 

「えへへ。一人で見て回るのは退屈そうだったので……。せっかくのお祭りなんですし」

 

 そう言って、上目遣いで僕を見るシルさん。

 

(でも、どうしてシルさんは僕を誘ったんだろう?)

 

 昨日は彼女の勢いに押されて承諾したものの、何故一人の客でしかない僕をわざわざ誘ったのか。 

 それを聞こうとした瞬間、シルさんの白い手に勢いよく僕は引かれる。

 

「うわぁっ!?」

 

「さ、行きましょう! 私、見たいところがたくさんあるんですっ!」

 

 引っ張られるがまま、僕は祭りの渦中へと飛び込んだ。

 大通りに並ぶ出店の活気は凄まじく、手軽に食べ歩ける串料理などから、怪物祭にちなんだアクセサリーや小物も売り出されている。

 中には本物の武器を売る店もあって、さすが冒険都市と言ったところか。

 何分、僕は田舎者なので、雑多な露店と空で打ち上げられる小花火といい、その物々しさと騒々しさに圧倒されっぱなしだった。

 

「はい、ベルさん。あーーん」

 

「えっ、シ、シルさんっ!?」

 

 すると、シルさんがいつの間にか手にしていたクレープを僕に差し向けてきた。

 周囲の景色に圧倒されていた僕は、今は店の看板娘と共にいる事を思い出す。

 

「美味しいですよ? 私も一回くらいやってみたくて」

 

 花咲くようにニッコリと笑うシルさん。

 しかも、その笑顔からは、どこか圧みたいなものも感じる。

 

(ていうかこれ、もっと仲のいい恋人同士とかが……)

 

「あーーん」

 

 観念した僕は、クレープの皮の端っこの方を――果物は遠慮した――齧った。

 甘い生地と、砂糖の混ざったクリームの味が口いっぱいに充満する。

 

「美味しいですか?」

 

「お、オイシイです……」

 

 実は甘いものが苦手なんです、とは言い出せず、僕はなるべく自然な笑顔を浮かべた。

 しかし、シルさんは僕に食べさせる事をいたく気に入ったのか、その後も何回も僕にクレープを食べさせてきて、流石に胃もたれしそうになった。

 でも、これって……。

 

(これって、もしやデートでは?)

 

 あり得ないだろ、とやはり心のなかで否定しながら、屋台からカップに入った冷や水を買う。

 会って半月しか経っていない、駆け出しの冒険者の僕に彼女が惹かれる要素なんて見当たらない。

 もしかしたら、彼女の事だから僕は単にからかわれているだけなのでは、と水を飲んで口の中の甘い香りを胃に流し込んでいると。

 

「あれ? シル? シルじゃない!」

 

「あら、アリーゼさん。お仕事ですか? お疲れ様です」

 

 大通りの道端で周囲を見渡すように佇んでいた、ポニーテールにした赤い髪が特徴的な女性がシルさんに声をかけた。

 僕はシルさんが口にした名前と、目の前の女性の容姿を照らし合わせ、すぐに思い至る。

 

【アストレア・ファミリア】団長、アリーゼ・ローヴェル。二つ名は【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】。

 アイズさんと並ぶLV.5の第一級冒険者で、リューさん達と共に『暗黒期』を戦い抜いた傑人だ。

 

 そう言えば昨日のエイナさんが、もし市井に怪物が逃げ出した時の対処を【アストレア・ファミリア】が担っていると説明していたっけ。

 

「お店の方は良いの? リオンが忙しそうにしてたけど……」

 

「今日はミア母さんに我儘を聞いて貰って」

 

「ふぅん、あの人が……」

 

 意外な事もあるもんねぇ、とアリーゼさんは言う。

 二人は客ではなく個人として交流があるのか、看板娘と第一級冒険者は親しげに会話していた。やはりシルさんのコミュ力は凄い、と僕は圧倒される。

 ふと、アリーゼさんの緑玉の瞳が僕の顔へと向けられ、次にまたシルさんの方へと戻った。

 

()()?」

 

 アリーゼさんの不躾すぎる言葉に、僕はちょうど口に含んでいた飲み物を思わず噴き出してしまう。

 

()()()()()()()()()()()

 

 そしてにべもなく答えるシルさんに、アリーゼさんはそっか、と言って納得したような顔をした。

 

「じゃ、そろそろ私は仕事に戻るわ! あんまりサボってると輝夜(カグヤ)の堪忍袋の緒がブチ切れそうだしネ! 二人とも、お祭りゆっくり楽しんでねー!」

 

 こちらに手を振りながら人混みへ走り去っていくアリーゼさん。

 服をビチョビチョにしてしまった僕は、去っていくその後ろ姿を呆然と見送った。

 何というか、色々と強烈な人だったな……。

 

「あの人もうちの常連さんで、よくやけ酒をされてるんですよ」

 

「やけ酒……」

 

「はい。仕事の愚痴とか、自分には男運が無いとか、行き遅れたくないとか、あと酒樽の借金も…………あっ、こ、これ以上はプライベートだからナイショですっ!」

 

 話に聞いていたよりもずっと残念な実態に、僕は苦笑いする。

 しかし、僕とシルさんは傍から見るとやはり恋人みたいに見えてしまうのだろうか。もちろん、僕は彼女が言った通り店の客でしかないのだが。

 

 するとシルさんが、顔を赤らめながら「でも、とっさに誤魔化しちゃいました」と微笑むと、僕は「えっ」と声を漏らした。

 

「それって、どういう――」

 

 僕がその言葉の真意を聞こうとした、その時。

 

「―――悲鳴?」

 

 どこかから切迫した鋭い声が聞こえてくる。眼前のシルさんが「どうしました?」と首を傾げた。

 言い様の無い不安に僕が警戒していると、大通りに大音声が響き渡った。

 

「モ、モンスターが逃げたぞぉぉぉ!?」

 

 そして、僕は見てしまう。

 

 闘技場方面から伸びる道の奥から、純白の毛並みを持つ一匹のモンスターが走ってくるのを。

 

 

 Ω

 

 

 モンスターの脱走から少し時は遡り、場所は闘技場の地下にある薄暗い大部屋に移る。

 そこは【ガネーシャ・ファミリア】が調教のために捕まえたモンスターの檻がいくつも置かれている、いわばモンスターたちの控室であった。

 

 本来ならここから檻ごと上のアリーナへ運び込まれるはずなのだが。

 次の演目が始まろうとしているのに、いつまで経っても檻が運ばれてこない事に業を煮やした、【ガネーシャ・ファミリア】の女性構成員がこの部屋に押し入ってくる。

 

「何をしている、次の演目が始まるぞ!? 何故モンスターを上げない!?」

 

 しかし、激しい形相をしていた構成員は、部屋の中の光景に思わず絶句した。

 

 なんと運搬係の全員が、糸が切れた人形のように床に座り込んでいる。

 急いで駆け寄って呼吸を確認し、力が抜けた様子から最初は毒かと疑ったが、それぞれの顔は赤く上気し目の焦点は定まっていなかった。

 

「襲撃犯――!?」

 

 見たことのない無い症状に混乱しながらも、何者かの襲撃を疑った構成員は立ち上がり、薄暗い周囲を見渡した。

 そして、彼女の背後の空気が揺れる。

 

服従要求(うごかないで)

 

 目を覆い隠され、耳元で囁かれる。たったそれだけで、痙攣した彼女は他の四人と同じ状態に堕ちてしまう。

 しかし背後に立つ存在は、冷え切った声で要求を続ける。

 

「鍵はどこ?」

 

「え……?」

 

「檻の鍵を渡しなさいと言っているの」

 

 言いなりとなった構成員が差し出したモンスターの檻の鍵を乱暴に受け取ると、その存在――美の女神フレイヤは、もう用済みとばかりに白く細い手を顔から離し、部屋の奥へと向かう。

 

『美』そのものであるフレイヤは、先のようにあらゆる存在を『魅了』し無力化する事ができる。それはモンスターや『恩恵』を授けられた冒険者のみならず、同じ神すらも虜にしてしまえるのだ。

 

 静まり返った檻の中にいるモンスターの異臭に美しいその顔を顰めながら、フレイヤは鉄格子ごしにモンスターを一つ一つ覗いていく。

 その所作からは、本当ならこんな事したくないのに、という感情がありありと表れている。

 

 そしてピタリと、一つの檻の前で立ち止まった。

 

「シルバーバック……」

 

 そのモンスターを言葉で表すならば、巨大な白い野猿。

 ごつい身体つきに加え、両肩と両腕の筋肉が極端に隆起している。涎を垂らす口からは獰猛な双牙が剥き出しになっており、そのモンスター特有の醜さにフレイヤは不快感を露わにした。

 

「けど、これなら……」

 

 あの方の要望に叶うかも、と女神は小声で呟き、鍵を外して扉を開け放つ。

 シルバーバックは目の前の存在に圧倒されているのか、ピクリとも動こうとしない。

 そして、その右手をシルバーバックへと伸ばし――ものすごく嫌そうな顔で――頬に触れる。

 

 瞬間、女神の命令をじっと待っていたシルバーバックの身体が大きく震えた。

 フレイヤは凍えきった瞳で、そして冷えた声色で告げる。

 全ては、あの方の望みのため。そのために、お前はあの男に殺されるのだ――と、心の中でごちりながら。

 

「さぁ、街娘(シル)を追いかけて?」

 

 野猿の咆哮が、薄暗い部屋中に轟いた。

 

 

 Ω

 

 

「はい、これ」

 

「おおぉ〜〜!!」

 

【ヘファイストス・ファミリア】の工房の隣にある小部屋にて、作業衣を着たヘファイストスから手渡された二双の武器に、ヘスティアは嘆息の息を漏らす。

 夜通しの作業のせいで深い隈を目の下に作りながらも、その表情は歓喜に満ちていた。

 

「ま、これが今の私の限界かしらね」

 

「いやいや何を言ってるんだヘファイストス! すげぇ良い武器だってのは、素人のボクにも分かるぜ!?」

 

 一方のヘファイストスは少し不完全燃焼気味だった。

 ただでさえ難しい注文だった事に加え、原型となるのはかつて自分が鉄塊にした神創武器である。

 それを現在の人の身で、しかも天界だけの特別な素材も魔法だって今は手元に無い状況で作業を行うのだから、当然打ち終わるのに多くの時間を要した。

 始める前から難航することは目に見えていたとはいえ、それを気にしてしまうのはやはり職人気質からくるものだろう。

 

 しかし、それでも火と鎚だけでたった一夜で仕上げてしまうのだから、まさに鍛冶神の面目躍如と言ったところだろうとヘスティアは称賛した。

 

「あ、そうだ! この武器の名前なんだけどさ、ボクがつけていいかい!? 例えば『デュアル・ラブ・ソード』なんて名前はどうかな!?」

 

「止めんかっ!? 駄作臭がプンプンする! それに流石のアンタでもクレイトスに殺されるわよ!? 私だって壊す時はゼウスの命令じゃなかったらやりたくなかったんだからっ!」

 

 一鍛冶師としてあの武器を壊す事への抵抗感だけではなく、あの戦神クレイトスの武器を壊す事にヘファイストスも恐れを抱かなかった訳では無い。

 余談だがその時、じゃあ一緒にリヴァイアサンも壊そうとの意見が一部の神々(アホ)から上がっていたが、「流石になんかヤバそう」とゼウスが止めた事で、双剣のみ破壊されたという経緯がある。

 珍しく真顔になったあの時の好々翁(ゼウス)を思い出しながら、ヘファイストスは口を開いた。

 

「《ブレイズ・オブ・へスティア》」

 

 そうとしか言いようがないわ、とヘファイストスは改めて自分が打った二対の剣を見る。

 錆びついた鋼鉄は鋳潰し打ち直された事で黒い煌めきを取り戻し、それぞれの柄にはヘファイストス製を示す紋章(サイン)と赤い装飾が誂えられていた。両剣の柄の石突きには元の鎖がそのまま取り付けられており、その全体像は正に、天界を恐慌させた『ブレイズ・オブ・カオス』の小型版といったところか。

 

「元のブレイズ・オブ・カオスの性能とは比べるまでも無いけど、使い方は変わらないわ。それを彼が使いこなせるかは別にして、ね」

 

 ブレイズ・オブ・カオスに付いていた鎖は、使用者の腕に巻き付く仕組みとなっている。それで持ち主を判別し、使用者の意思で伸び縮みするのだ。

 クレイトスがこれを使えば文字通り『炎の嵐』が吹き荒れるのだが、『恩恵』を与えられただけの人間に果たして扱えるのか、と作った本人であるヘファイストスも疑問に思っていた。

 

「だーいじょうぶさー! ボクのベル君なら、クレイトスと同じ事くらいやってのけるからっ!」

 

 身長に不釣り合いな双丘を揺らし、ヘスティアは胸を張る。

 いくら祖父と孫の関係とはいえ、あの戦神と同じ事をやってのけるとは流石に大言壮語が過ぎないかと、ヘファイストスは頬をひくつかせる。

 

(まぁ、それくらいあの子を大切に思ってるし、期待もしてるって事ね……)

 

 飛び跳ねるように大喜びする幼女神に、鍛冶神は大きなため息をついた。

 

「いっとくけど、借金は踏み倒すんじゃないわよ」

 

「分かってるってー」とヘスティアはやはり浮かれた声で答える。

 その様子にヘファイストスはまたため息をついた。

 

 そして、ヘスティアは生まれ変わった『双剣』を持つ眷族(ベル)を想像し、愛おしそうに呟いた。

 

「あぁ、早くベル君に渡してあげたいなぁ……」

 

 

 Ω

 

 

 獰猛な唸り声が、ベルの鼓膜を震わせる。

 周囲の悲鳴などは些末で、視線と意識もその五感全てが目の前の怪物に向けられていた。

 

「シルバー、バック……」

 

 その見た目と特徴から、アドバイザーに教わった知識と照らし合わせ、探り当てる。

 ベルが主に探索する階層よりも遥か下に棲息し、あのミノタウロスよりは劣るものの、その力はベルと隔たっていた。

 

「ギァ……!」

 

 シルバーバックの視線がベル達へと向く。いや、正確にはベルから少しズレてその隣――棒立ちのシルの方へと。

 

「――ッ! シルさんっ!」

 

 白い野猿が浅く膝を折り曲げた瞬間、ベルは咄嗟にシルを抱きかかえるようにして転がった。

 短い悲鳴が胸の中から上がり、さっきまでベル達がいた場所を石畳を砕いて飛びかかってきたシルバーバックが激突する。

 地面を二転三転し、怪物の体当たりを回避したベルは、シルを背中に隠すようにして立ち上がった。

 

「ウグゥ……!」

 

「べ、ベルさん……。あのモンスター、こっちを……」

 

 同じように、砂埃と破片を撒き散らしながら倒れたシルバーバックが起き上がり、ベル達の方へとギラついた眼光を向ける。

 怯えたように震えるシルに何も言わず、ベルは反射的に腰に携えていた短刀を前方へ順手で構えた。

 

(このモンスター、なんでシルさんを!?)

 

 冒険者として駆け出しながらも、祖父から敵の視線の見切り方を教わっていたベルは、あのシルバーバックが最初からシルをターゲットにしているのが分かった。

 理由は不明だがとにかくシルを守ろうと後ろに下らせるが、再度高速で突撃してきた白い物体により、すぐに無駄な行為に成り下る。

 

「がっ……!?」

 

 横薙ぎの一撃が、はっきりと芯でベルを捉えた。

 隔たった力の差に対応できず、シルバーバックの剛腕の横薙ぎの一撃が、碌な防具もないベルの体をふっ飛ばした。

 

「う、がぁ……」

 

 大通りの屋台へと豪快に突っ込み、意識が朦朧とする。

 脇腹を強打されたベルは体がバラバラになりそうな痛みに耐えつつ、喘ぐように呼吸した。

 

「うわあぁぁぁぁ!?」

 

「こっちにもモンスターがいるぞ!!」

 

「【アストレア・ファミリア】は何をやってるんだ!?」

 

 周囲の人々が蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 ストリートは大混乱に陥り、逃げた先に運悪くモンスターと出くわす者や、冒険者に助けを求める者もいた。

 その中で、ベルは必死にシルの姿を探す。

 

「グウゥ……!」

 

「あ、あぁぁ……っ」

 

 そして、眼前にまで迫ったシルバーバックに、誰にも助けられず、恐怖で立ち竦む街娘を見つけた。

 その瞬間、ベルの頭はかっと燃え上る。

 

「離れろぉぉぉっ!」

 

 立ち上がりざまに地面を蹴り、突進。

 最大加速でシルバーバックの体に()()した。

 

「グオォォっ!?」

 

 獲物を捕まえようとして気を抜いていたのか、それともベルの強化された【ステイタス】によるものか。

 ベルの敏捷と全体重の乗った拳の一撃はシルバーバックの体幹を揺らし、再び地面に転倒させた。

 だが、それだけだ。今のベルの力では倒す事には至らない。

 

「べ、ベルさんっ……!」

 

「逃げますよっ!」

 

 嬉しそうで泣き出しそうな顔をするシルに対して、ベルは彼女の手を引いてその言葉通り逃げ出す。

 このまま大通りにいては大柄な相手が有利になるため、ベルはシルバーバックが容易に入ってこれないだろう細い裏道を通って逃げる事にした。

 

「あのモンスター、なんでシルさんをっ!?」

 

「え、ええっと。流石にモンスターのお客さんはいませんが……」

 

 先導するベルの口から漏れた言葉に、後ろで手を引かれて走るシルが天然からか生真面目にそう答えてしまう。

 手当たり次第に人を襲うのがモンスターのはずが、そのらしからぬ行動に、まるで誰かに操られているようにベルは感じた。

 

(一体、何が起きてるんだ……!?)

 

 自分たちの後ろに確かにいる気配を感じつつ、ベルとシルは手を強く握り合って必死に街の裏道を走る。

 しかし、このままがむしゃらに道を走るだけでは、いずれ身体能力の差で追いつかれるのは目に見えていた。

 

「ベルさん! これから私の言う方向に走ってください!」

 

 宛もなく走ることだけを考えていた最中、シルが突然大きな声を上げた。

 

「『ダイダロス通り』……入り組んだあそこなら、あのモンスターから逃げ切れるかもっ!」

 

 私が案内しますと言うシルに、ベルは顔だけを振り返って迷わず頷いた。

『ダイダロス通り』とは、度重なる区画整理で建物が雑多に入り組んだ無秩序な広域住宅街の事を指す。貧困層が多く住まい、高低差のある場所や曲がり道が多く、一度入り込んだら道標無しに容易には抜け出せない区域である。

 無論、普段は安全では無いため近づかないのだが、四の五の行ってられる状況ではない今は、急ぎそこへ向かう事にした。

 

「その道を右に!」

「まっすぐ走ってっ!」」

「その塀を飛び越えて下さいっ!」

 

「はいっ!」

 

 この辺りの地理に詳しいのか、シルが飛ばす指示に従って、ベルは『ダイダロス通り』が存在する南東区画を目指す。

 シルの道しるべは適格で、段々と建物の高さが凹凸に見える区域が近づいてきた。

 

「つ、着いた……!」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 やがて細い通り道が終わり、二人の目の前に雑多としか言いようのない空間が広がった。

 静かで陰鬱な雰囲気から、確かにここが目的の『ダイダロス通り』であることは間違いない。

 だが、冒険者のベルはともかく、一般の街娘でしかないシルはもう息も絶え絶えであった。両足は震え、ベルの手を握る力も無くなってきている。

 

「べ、ベルさん……わたし、もう……」

 

 走れない、と続こうとしたその時。

 

「アァァァァァッ!!」

 

「っ!?」

 

 モンスターがはっきりとその姿を路地裏に表した。

 残された選択肢は前進のみ。ベルは内心で謝りながらシルの体を持ち上げ、彼女が「ひゃっ!?」と上擦った声を上げるのも無視して『ダイダロス通り』への階段をひたすら下っていく。

『恩恵』のお陰で街娘一人持ち運びながら走る事は出来るため、ベルはシルバーバックを振り切るように上に下にと駆け回る。

 

 最初はここの住人たちも物珍しいそうにこちらを見ていたが、モンスターが視界に入ると途端に悲鳴を上げ姿を消していった。

 通りから人が消えるのは好都合だったため、ベルはさらに走る足を早める。

 

「べ、ベルさんっ! すみませんっ」

 

「気にしないでください! 疲れたんなら仕方ないですよっ!」

 

 何なら勝手に抱き上げたこっちが謝りたいくらいだ、とベルは内心で思っていた。

 

「それもそうなんですけどっ。わたし、こんな状況なのに、心から幸せを感じてしまっていますっ……!」

 

「ホントに何を言ってるんですかシルさぁん!?」

 

 胸の中で何故か顔を赤らめるシルにベルが大声で突っ込むと、二人の上空を巨体が横切る。

 

「ウガアァァァ!!」

 

「ッ!」

 

「あぁっ!」

 

 高所からの巨体の着地による衝撃で吹き飛び、抱きかかえていたシルをベルは離してしまう。

 爆音に近い着地音が響き渡ると共に、二人は分断される。

 

 砂埃が舞い散る中、地面に寝転んだ状態から頭だけを起き上がらせたベルは、着地したシルバーバックが、自分と同じ状態の無防備なシルへと近づくのを見た。

 ベルは急いでシルの元へ駆け寄ろうとする。

 

「オオオオオオオオオッ!!」

 

 だが、格上の怪物の咆哮を真正面から浴びせられ、ベルはその動きを容易く強制停止(リストレイト)させられた。

 攻撃ですらない単なる威嚇の吠え立ては、ベルの本能的な恐怖を呼び起こし、『恐怖』状態に陥れる。

 

「ッ!」

 

 呼び起こされるのは、あの『ミノタウロス』の記憶。

 あれより数段劣ると分かっていても、眼前の敵はあの狂牛の姿を喚起させるのに十分だった。

 

(っ――だからどうしたっ!)

 

 恐怖で竦む自分を無視して悠然と、シルへと向かうシルバーバックを見て、ベルの足はまたすぐに動き出す。

 一度はミノタウロスに立ち向かった影響か、ベルはシルバーバックへの恐怖を乗り越える事ができた。

 

「うおぉぉっ!」

 

 ナイフを構え、白い体躯に肉薄する。

 翻って無造作に振るってきた左腕を体勢を下げる事で回避し、懐に潜り込む。

 そして、右胸に目掛けて斬撃を見舞う。

 

「弾かれた!?」

 

 しかし、左手から伝わる衝撃はベルの攻撃が通用しなかった事を示した。

 純白の剛毛に刃を通せず、それどころか短刀は刃こぼれし、刀身が折れそうになる。

 

 この武器では傷つけられない。自分では倒せない。僕じゃ守れない。

 

 少しずつ、恐怖とは別の感情がベルの中で広がる。

 もう打つ手がないという『手詰まり』の感覚、何よりも抗う力を奪ってくるそれが、ベルを襲った。

 

「ベルさんっ!」

 

「っ! シルさん!」

 

 その悲痛な声で我に返ったベルは、掴みかかろうとしたシルバーバックの顎にアッパーを食らわせる。そして倒れていたシルを再び抱きかかえて逃走を図った。

 街中に響き渡る怪物の雄叫びを背にして、追いかけっ子が再開する。

 

(どうする!? 次はどうする!?)

 

 自分ではシルを守れない悔しさと、弱い自分への怒りがベルの中でないまぜになる。

 きっと次はない。もう一度捕まれば、その時が自分たちの最後である。

 

 どうにかして腕の中の人だけでも守る方法を考えていると――ふと、自分が守らなくてもいい事に気づく。

 シルさんさえ助かってくれれば、とベルは固く決意した。

 

「ベルさんっ!?」

 

「すみません、シルさん……」

 

 進路上の十字路を曲がった先、鉄格子で阻まれていたトンネルの中に、シルを入れる。

 シルは驚いた顔を作るが、反対にベルの顔は沈痛としていた。

 

「このまま、シルさんは先に進んでください。逃げる時間は僕が稼ぎます」

 

「…………死んじゃいますよ?」

 

 今度は泣きそうな顔で、シルはベルを見上げた。

 しかし、ベルは笑顔を作って答える。

 

「ここで貴方を置いて逃げたら、僕はあの人たちに殺されちゃいますよ」

 

 家族ならば、もう居なくなったあの三人なら、女の子(シル)を見捨てるのは許さないだろうとベルは確信していた。

 

 反対に無茶をして怒るのは、稽古をつけた祖父である事も知っている。

 愚行を犯すな。無闇な突撃をするな。

 あの顰めっ面な祖父ならきっとそう語る。

 

 だが、ここでシルを、女の子を見捨てて逃げれば、ベルは英雄になるどころか雄としても終ってしまう。

 何より、一生自分が許せなくなるのが分かっていた。

 

『仲間を守れ。女を救え。己を賭けろ』と、片割れの亡き祖父が語った言葉を胸で繰り返しながら。

 

「お願いします。僕に、貴方を守らせてください」

 

 そして振り返った男は、後ろから聞こえる制止の声も聞かず、少女を狙う怪物の方へと向かう。

 

 勝率はほぼ無い。ナイフだって壊れている。

 けれど、やるしかない。無茶だと分かっていても。

 

 主神との約束を破ってしまう事に申し訳無さを感じながら、ベルは街を駆ける。

 まもなく十字路から現れた怪物もベルを見て怒りの咆哮を上げ、四足で追いかけてくる。

 

「こっちだ!」

 

 シルが居なくなった今、シルバーバックは通常のモンスターと変わりない。

 しかしそれでも優先的に狙うとすれば、何度も邪魔をした自分であるとベルは分かっていた。

 

 街中に記された脱出するための道標(アリアドネ)と逆方向に進むことで、ベルはシルバーバックを街の奥深くへと誘き寄せる。

 もっとシルから離れるため、他の冒険者がモンスターを助けに来るまで耐えるために。

 

(………………)

 

 家屋を通る間、数々の視線がベルを射抜いた。

 通りの人々はモンスターに怯えた様子で、自分の家の窓からベルの逃走劇を覗くように観戦している。

 厄介事を持ち込んでしまった負い目と同時に、その視線のなかの一つにあの無遠慮な視線がある事に気づいた。

 

(いや、二つ――っ!?)

 

 ずっと前から注視している視線に気を取られたせいか、ベルは上空から迫るシルバーバックを察知できなかった。

 石畳へと身を投げたベルは、粗末な噴水の置かれた楕円形の開けた空間で、怪物と対峙する。

 

「……来いっ!」

 

 少年は覚悟を決めて立ち向かう。だが、力の差の前で覚悟がどれほどの意味をなそうか。

 かつて自分を縛っていた『鎖』をシルバーバックは腕力の限りに振り回して、壁や地面を削る防風を作り上げる。

 立ち向かっていたベルもその鞭による直撃を貰い、地面に横転した。

 

「…………クソっ!」

 

 視界が明滅する。

 もはやここまでか、と諦めかけたその時。

 聞き覚えのある声が広場に響き渡った。

 

「こらーーーー!! ベル君に何をしているーーーー!!」

 

 その一言で、消えかけていた意識が覚醒する。

 身体中に走る激痛を堪え、ベルは声がした方向――ベルが入っきたのと反対方向の広場の入り口を見た。

 

「――神様っ!?」

 

 どうしてここに、いや、どうやってこの『ダイダロス通り』に?

 数々の疑問がベルの頭を埋め尽くす。

 だが、モンスターがヘスティアの方に動いたのを見たベルは、痛みも何もかもを忘れてがむしゃらに主神の元へと駆け出した。

 

「神様ぁ!!」

 

「ベル君っ!?」

 

 ヘスティアを抱きかかえ、一緒に狭い通路の奥へと飛び込み、シルバーバックから再び逃走する。

 しかし、ダイダロス通りの地理が無いベルは、やがてすぐ袋小路にたどり着いてしまう。

 

「――っ、なんで、どうしてっ!?」

 

 つい問い詰めるような口調になっしまっている事に気づきながらも、ベルはそう聞かずにはいられなかった。

 降ろされたヘスティアは「へへへっ。案内してもらってさ」と余裕げに笑うが、その両脚も別の意味で笑っている。

 

「あのモンスターを倒すんだろう? だったらボクにも協力させておくれよ」

 

「協力って……」

 

 下界に降りた神たちは基本、無力だ。戦神クレイトスという例外を除いて、身体能力は『恩恵』を授かってない一般の人間と遜色ない。

 ベル一人でも敵いやしないのに、今ヘスティアに出来る事が皆無である事は間違いない。

 

「それに、あいつに通用する武器も……」 

 

「じゃあ、通用する武器があればあいつに勝てるのかい?」

 

「え?」

 

 弱音を吐いてしまう少年に主神が言葉を投げかける。

「らしくないぜ」と言って、ヘスティアは自慢げに、腰に手を当てその大きな胸を張った。

 

「ボクは君に、これを渡しに来たんだ」

 

 女神がずっとその小さな背中に負っていた物を、ベルに引き渡す。

 そして「開いてごらん」とヘスティアに促されるがまま、少年は白布に包まれていた中身を目にする。

 

「これは…………」

 

 白布の中に入っていたのは、布の色と対比するような、黒い鋼鉄だった。

 まるで見たままではあるが、柄頭に鎖の付いた双剣としか言い様の無いその武器とそれを渡してきた主神を交互に見やる。

 

「君なら、あいつに勝てる。ボクはそう信じてる。だって君は【英雄】になるんだろう? だから、それに見合う武器を君にあげたい」

 

 そして、女神は花咲くように笑って言った。

 

「君のための武器――その銘も『ブレイズ・オブ・へスティア』さっ!」

 

 

 




次回あたりで一巻の内容は終わります。
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