遊戯王5D's after ~童実野第二高校ヒーロー部~   作:レトやま

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第39話 「Wake Up.You are HERO.」前編

[ネオ童実野シティ 朝 祭乃木宅]

 

畳の床に置かれたベッド。

黄色いタオルケットはめくれ、白いシーツがあらわになっている。

持ち主はそこにおらず代わりに洗面所から髪を撫でる音。

 

「……」

いつもは結っている髪を下ろすと毛先が腰の窪みを撫でていた、

鏡を見ながらつげ櫛を通していく。

椿油の香りが鼻をくすぐる。

それから後髪を束ねて持ち上げるとシュルシュルとリボン付きのヘアゴムでキュッと止めた。

 

「……」

 

鏡を見て左右のバランスを確認する。

異常はない。

ただ目の下肌が少しザラついている気がして亜美は眉を顰めた。

 

「……なんて顔してんのよ……」

 

頭の中でフラッシュバックする。

ゴミが降り注ぐ中で立つ女決闘者の姿が。

 

「……!」

 

亜美は徐に蛇口を捻った。

勢いよく水が落ちては陶器の洗面台に当たっては飛沫を上げる。

そんな水の束に両手を突っ込むと水を掬い上げて顔に浴びせかけた。

バシャバシャバシャッと何度も繰り返す。

タオルを勢いよく取り顔を拭き上げる。

さらに無造作に手を伸ばして愛用の化粧水を右手にバシャバシャと振りかけた。

両手に馴染ませてから顔をぴしゃぴしゃと叩いて塗りつける。

そしてパシッと両頬を叩いた。

 

「あーー!! アタシらしくない!!」

 

それからぐにっと頰を持ち上げて口角をあげてやる。

 

「切り替えなさいアタシ! ヒーローはいつだって笑顔なのよ!!」

 

 

 

第39話

『Wake Up.You are HERO.』

 

 

 

[ネオ童実野シティ 朝 童実野第二高校 4組教室]

 

机に半分腰掛けここのせは牛乳紙パックのストローをチューと吸う。

 

「……ゴクゴクッ」

 

机の上には5個入りあんパンが使い捨てトレー剥き出しで置いてあり、すでに2個減ってた。

机の持ち主たり良平は椅子に座って自分のデッキを確認している。

 

「……」

 

教室はいつもと変わらない雑踏と人の会話。

―――――キーンコーンカーンコーン

予鈴が鳴る。

本鈴の5分前を知らせる音だ。

すると教室前方の引き戸が開き、赤いポニーテールがスクールバッグを肩に掛けて入ってきた。

 

「……」

 

「あ、祭乃木さん、おはよー!」

 

「おはよ!」

 

クラスメイトの女子に声を掛けられて亜美はニッと白い歯を見せて笑った。

 

「この間の試合見たよ! すごかった! 次も頑張ってね!」

 

「うん! 任せなさい!」

 

「祭乃木さーん! おはようー!」

 

「おはよ!」

 

別のクラスメイトにも手をひらひらとしてみせる。

やや遠目にここのせは亜美を見やりストローを吸った。

 

「……元気そうだな」

 

しかし良平はデッキを持ったまま亜美を見て唸る。

 

「うーん……」

 

「なんでぇ、なんか気になんのか?」

 

「そういうわけじゃないけど……」

 

微妙な顔の良平。

すると亜美が良平の右斜め前の席にカバンをドンと置いた。

 

「なーにヒソヒソ話してんのよ!」

 

「よぉ」とここのせ。

 

「おはよう」と良平。

 

短いながらもいつもの挨拶。

亜美は「ん!」と頷いて答える。

それから良平の席まで歩いてきた。

 

「で、何の話よ?」

 

亜美の言葉に良平はチラとここのせを見た。

別段隠すようなことはないのだが、直接話すのも違う気がして言い淀む。

ここのせも同じだったのかサラっと答えた。

 

「良平のデッキについてちょっとな。それより今日はセーフなんだな」

 

「なぁによ、今日はって! 今日も、よ! ていうか予鈴鳴ってんだからアンタはさっさと自分のクラスに帰りなさいってーの!」

 

「へーへー」

 

いつもの亜美だ、とここのせは肩を竦めて立ち上がる。

5個入りアンパン残りを持ち上げるとガサと袋が鳴った。

 

「あ、待った。それ置いてきなさい」

 

めざとくあんぱんを指差す亜美。

 

「あ?」

 

「三つ残ってるじゃない。アタシが食べてあげる」

 

「素直にくれって言えよ……」

 

呆れたように目を線にしてここのせは亜美の手に袋ごとパンを乗せてやる。

 

「ん、さんきゅ」

 

さっそくガサガサとあんぱんに手をつけてかぶり付く。

 

「じゃ、オレは行くぜ。また昼にな」

 

「はーい。あーん、んぐんぐ」

 

口の端からこぼれそうなパンクズを手で抑えて亜美はペロリと一つ平らげてしまう。

その様子に良平は眉尻を下げた。

 

「……祭乃木、朝、食べてないの?」

 

「んぐんぐ……ゴクン、食べ損ねたのよ」

 

「……その、大丈夫か?」

 

「大丈夫に決まってんでしょ!誰の心配してんのよ!」

 

「それならいいけど……」

 

 

[昼休み ヒーロー部部室]

 

「……」

 

恵がソファに座りジーッと机の上眺めている。

そこには他の面子が持ち込んだ食料と飲料が並んでいる。

ここのせはコンビニで買ってきたおにぎりを口に入れた。

 

「間宮はどうしたんだよ」

 

ここのせの言葉に亜美は食堂で買ったカレーを掬い上げて答える。

 

「……今日もいなかったわ」

 

カレーは口に含むと豊かなスパイスの香りが突き抜けていく。

ただ今はそれを十分に楽しむ気にはなれない。

 

「え、今日も休みなの?」

 

と良平が母親が作った弁当を置いて言うので亜美は頷いた。

 

「そうみたい。しかも連絡もないって。アンタらなんか聞いてる?」

 

亜美が良平とここのせを見やるも良平は緩やかに首を振った。

 

「いや」

 

ここのせは答えるまでもないと顔で訴えている。

亜美はダメ元で恵に向く。

 

「恵は?」

 

「……連絡は受けていない……」

 

そうよねぇと亜美はソファーにもたれかかった。

ここのせはゴミをレジ袋に入れながら言う。

 

「間宮が連絡すんならまっさきに祭乃木にすると思うぜ」

 

「そうだね」と良平も頷いた。

 

担任にも亜美にも連絡がないのであればここにいる誰にも連絡していないというのは明白だった。

壁に掛けられた黒い時計がかちりと動く。

亜美は誰に言うでもなく声を漏らす。

 

「心配ね……」

 

「お前からLINE送ってみろよ」とここのせ。

 

「もうやったわよ。でも既読つかなくてさ」

 

スマホは未だになんの通知も来ていない。

亜美は残ったカレーライスを一気にかき込んでしまうと一息つく。

 

「……放課後、ちょっとお見舞い行ってこようかしら」

 

万が一起きれないほどの体調不良ならばそれこそ大ごとだ。

もっともゆきの家には彼女の母がいるはずではあるのだが。

しかし彼女の母だって仕事に出ているだろうし、何かしら事情があっても不思議ではない。

良平は亜美の提言に同意した。

 

「いいと思うな。俺たちも行こうか?」

 

「そうね……ホントに体調が悪いなら大勢で行ったら迷惑になるかもしれないわ。とりあえずアタシだけでいく」

 

「……そっか、わかった」

 

 

[5組教室]

 

教室に戻ってきてから亜美は手持ち無沙汰にスマホを覗き込む。

HERO部で撮った集合写真がホーム画面に設定されていて、左上にメッセージアプリがある。

しかし通知は何もない。

 

(返事はない、か)

 

亜美は溶けるように机に項垂れてしまう。

髪が額に張り付いて世界が九十度横になる。

 

「はぁ……」

 

すると近くで話すクラスメイトの会話が耳に届いてきた。

 

「……でね、めっちゃ怖かったの!」

 

「えー、マジ怖いね」

 

「デュエルアカデミアってあんな不良みたいなのいるんだね……。なんか怒鳴ってたし、Dホイールすっごいうるさいし……」

 

デュエルアカデミア。

不良。

その二つの単語が亜美の耳から意識を貫いてしまう。

亜美はすぐに上体をあげて会話しているクラスメイトに声をかけた。

 

「ねぇ! ちょっといい?」

 

「あ、ごめん祭乃木さん! うるさかった?」

 

「ううん、違うのよ。今してた話、聞きたくてさ。それってどこで見たの?」

 

「あぁ、天神の方だよ。ほらデュエル神社の近くの」

 

「天神……」

 

「どうかしたの?」

 

「あ、いやなんでもないわ! ありがと!」

 

亜美は精一杯の笑顔を浮かべて会話を打ち切った。

クラスメイトは特に気にする様子もなく会話を再開する。

 

「……」

 

そんな彼女を良平はそっと様子を見つめるばかりだった。

 

 

[放課後 校門前]

 

――キーンコーンカーンコーン。

 

終礼と共にチャイムが響き渡る。

運動部たちはいそいそと着替えをはじめ、吹奏楽部が調音をはじめる。

そんな最中ゆき以外のヒーロー部4人は昇降口で靴を履き替えていた。

校門まで並んで歩いていき、くるりと亜美は3人に振り向く。

 

「じゃ、アタシ、ゆきの家行ってくるから!」

 

「うん、行ってらっしゃい。また明日」

 

代表して良平が答えると亜美は速足に歩いていく。

その背中をここのせと良平はじっと眺める。

 

「……」

 

「……」

 

徐々に遠くなり、赤髪が角を曲がって見えなくなるとここのせは横目で良平を見た。

 

「どう思う?」

 

「どうって?」

 

「祭乃木のことだよ」

 

「……平常運転ではない、と思う。やっぱり少し変」

 

「だよなぁ」

 

「……?」とここのせの隣で恵が首を傾げた。

 

「……祭乃木亜美のバイタルに変調は見られない……」

 

「バイタルの問題じゃねぇよ、メンタルの問題だ」

 

「……?」

 

理解できないと言わんばかりにまた恵は首を傾げた。

彼女のボリューム感ある白銀のツインテールが揺れていた。

良平は顎に手を当てて唸る。

 

「それにしても間宮まで……。どうしたんだろ……」

 

「ただ体調を崩した……にしちゃあ、連絡がねぇのは気になるな」

 

「はぁ、前途多難だなぁ……」

 

ため息をこぼす良平にここのせは軽く肘鉄を入れてやる。

 

「なんでぇ景気が悪りぃな。間宮の方はとりあえず祭乃木に任せて、オレたちはオレたちで動くとしようぜ」

 

「……うん、一つずつやっていくしかないよな……」

 

「……」

 

恵は二人をただじっと眺めているだけだった。

そんな彼女に良平が目を向けた。

 

「恵、話しておきたいことがあるんだ」

 

 

 

[放課後 天神通り(ゆき宅のそば)]

 

 

「……」

 

テクテクとローファーがコンクリートを踏む。

亜美は一人歩いていた。

日は傾き、町は夕暮れに染まっている。

街路樹が爽やかな風に揺れているが、東の空からはどんよりした雲を運んできていた。

 

 

(試合の前からゆきの様子が変だったのはわかってた。休んでる理由がそれじゃなきゃいいけど……)

 

試合が始まる前。

ゆきの眉を八の字に笑った顔が脳裏をよぎる。

8強になりCMを撮影した日頃からもう様子がおかしかった。

 

(ちゃんと聞いてあげるべきだったのかしら……。でも、ゆきが話したくないなら無理には聞けない)

 

本当に?

自分に問いかけて亜美は首を振った。

 

(……いいや、違うわ。アタシが無理に聞きたくなかっただけ。やっぱりあの時、無理にでも聞いておけば……)

 

その刹那。

また記憶にフラッシュが走る。

ゴミ投げられた女決闘者の後ろ姿。

 

「……」

 

亜美は思わず足を止めた。

雪崩れるようにまたフラッシュバックする。

 

『またお前か……!』

 

『違う! アタシじゃない……!』

 

子供のころ。

助けたかったはずなのにいつの間にか自分が悪役になっていたあの日の記憶。

亜美は両手をパンと頬に当てた。

 

「……何弱気になってんのよ! しっかりしなさいアタシ!!

 

 

[ゆき宅前]

 

 

どこにでもあるような玄関。

その脇にあるインターホンに、亜美はゆっくりと手を伸ばす。

人差し指が、通話ボタンの数ミリ手前でぴたりと止まった。

 

(……)

 

一息つく。

それから迷いを振り払うように、一度だけ固く目を閉じる。そして、意を決してボタンを押し込んだ。

 

ピンポーン……ピンポーン……。

 

電子音が静かな住宅街に響き渡る。呼び出し音は二度鳴り、やがて途絶えた。

亜美は、耳を澄まして玄関の向こうの気配を探る。しかし、返ってくるのは静寂だけだった。

 

「いない……? それとも、寝てるのかしら……」

 

独りごちたその時だった。

シャッという布が擦れるような小さな音。亜美は弾かれたように顔を上げた。視線の先は、ゆきの部屋があるはずの二階の窓。

 

(今、カーテンが動いた……?)

 

見間違いだろうか。ほんのわずかに、内側から引かれたように見えたのだ。確信はない。けれど、誰かがそこにいるという気配だけが妙に生々しく感じられた。

 

「ゆきー! いるのー?」

 

思わず声が大きくなる。今度は窓に向かって、届くようにと願いながら呼びかけた。

しかし、返事はない。ただ、先ほどまでと同じ静けさが、そこに広がっているだけだった。

このまま帰るべきか。諦めかけた亜美の背後から不意に声がした。

 

「あら? 祭乃木さん?」

 

「!」

 

驚いて飛び上がるように振り返ると、買い物袋を両手に下げた女性が少し訝しげな顔でこちらを見ていた。

 

「あ、ゆきのお母さん!」

 

そこに立っていたのは、ゆきの母だった。ほっと胸を撫で下ろす。

 

「どうしたの、こんなところで?」

 

ゆきの母は、柔らかな笑みを浮かべて小首を傾げた。

 

「ゆきのお見舞いに来たんです。でも、インターホンを鳴らしても出なくて……」

 

「え? お見舞い?」

 

その言葉に、ゆきの母の表情が曇る。

 

「あの子、今日も学校休んだの?」

 

今度は、亜美が驚く番だった。

 

「え……? 昨日と今日で休んでて……。ゆきのお母さん、知らなかったんですか……?」

 

母親は気まずそうに視線を落とした。

 

「昨日休んだのは知ってるんだけど……。ごめんなさいねぇ、ここのところパートが忙しくて……。朝はあの子より早い日が続いてたから……。あの子ったら、何で言ってくれなかったのかしら……」

 

力なく呟くその声には、戸惑いと、娘への申し訳なさが滲んでいる。

 

それからゆきの母は顔を上げると、安心させるようににっこりと笑う。

 

「あ、そうだ。祭乃木さん、上がっていって。きっとゆきも喜ぶわ」

 

ガチャッ、と金属の擦れる音がして、玄関の鍵が開けられた。

 

「あ、はい!」

 

 

[ゆき宅]

 

招き入れられた玄関は、ひんやりとした空気に満ちていた。靴を揃えて上がると、まず真っ直ぐに廊下が続いている。

四、五歩くらい歩くと左手側にはリビングがあり、ソファやテーブルが整然と置かれているのが見えた。

そのさらに奥には洗面所だと思われる扉と、右手側から折り返すような形で二階へと続く階段があった。

 

「ゆきの部屋、2階の突き当たりなの。今お茶入れるからお部屋に行ってあげて?」

 

キッチンへ向かいながら、ゆきの母が優しく声をかけてくる。

その気遣いはありがたいが亜美は首を横に振った。

 

「はい! あ、でもお茶は大丈夫です! 今日はお見舞いのゼリーだけ置いたらすぐ帰りますから!」

 

「そう?」

 

亜美の遠慮が本心だと察したのか、ゆきの母はそれ以上は勧めなかった。代わりに、リビングの入口から階段を見上げる。

 

「ゆきー? 祭乃木さんが来てくれたわよー!」

 

その声は静まり返った家に吸い込まれ、何の返事も返ってこない。シーン、と静寂が辺りを支配する。

 

「……寝てるのかしら……。ごめんなさいねぇ、せっかく来てくれたのに……」

 

申し訳なさそうに眉を下げるゆきのお母さんに、亜美は静かに尋ねた。

 

「……一応、二階上がっていいですか?」

 

「ええ、そうしてあげて」

 

こくりと頷き、亜美は階段に足をかけた。軋む音がやけに大きく響く。

階段を上りきると、目の前に目的のドアがあった。「YUKI」と書かれた可愛らしいプレートが掛かっている。

息をひとつ呑み、亜美はドアをノックしようと、手をゆっくりと持ち上げた。

その、瞬間だった。

――ざわり、と胸中が歪む。

また映像が。

女決闘者の背。

投げつけられたゴミ袋。

中身をぶちまけながら床に落ちる音。

脳裏に焼き付いて離れない光景。

亜美は思わず目をつむり、深く息を吸い込んだ。

強張っていた指先の力を抜き、もう一度、ドアに向き直る。

 

コンコン。

今度は、迷わず二度ノックした。それでも返事はない。

 

「……ゆき。ごめん、下でゆきのお母さんに会っていれてもらったの。ゆきのことが心配で……」

 

ドアに語りかける。

 

「……」

 

返事はない。けれどドアの向こうにゆきがいる。その確信だけがあった。

 

「大丈夫ならそれでいいのよ。でももし何かあったなら、アタシに話してほしいな」

 

「……祭乃木さん……」

 

くぐもった、か細い声がドアの向こう側から聞こえてきた。それはまるで出会ったときのゆきの声のようだった。

 

「……! ゆき!」

 

思わずドアノブに手をかけそうになるのを、ぐっと堪える。

 

「……私なら大丈夫ですから……心配、しないでください」

 

拒絶。その二文字が、冷たく胸に突き刺さる。

 

「でも……!」

 

「大丈夫ですから……! 大丈夫ですから……」

 

繰り返される言葉は、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。必死さが痛いほど伝わってきて、亜美はそれ以上何も言えなくなった。ただ、唇を噛みしめる。

 

「……ごめんなさい……ホントに体調がその……悪くて……今日は……ごめんなさい……」

 

途切れ途切れに紡がれる言葉が、これ以上の詮索を阻んだ。

 

亜美は、ゆっくりと目蓋を閉じる。そして、次に開いた時には、その瞳にいつもの強さを取り戻していた。

 

「……そう。わかったわ。……また明日、学校で待ってるわ」

 

そう告げると、クルッと踵を返す。今は、これが自分にできる精一杯だった。

 

ドアの向こうで、息を呑む気配がした。けれど、亜美はもう振り返らなかった。

 

トットットッ。来た時よりもずっと重い足取りで階段を下りると、心配そうな顔をしたゆきのお母さんが立っていた。

 

「……あの子どうしちゃったのかしら……」

 

「あの、これ、ゆきが降りてきたら渡してあげてください」

 

亜美は自分の気持ちに蓋をするように、持参したゼリーの入った袋を差し出した。

 

「まぁ、ありがとう」

 

「それじゃあ、アタシ、帰ります」

 

深く、一度だけ頭を下げる。

 

「ええ、今日はありがとね」

 

「いえ! ……おじゃましました」

 

[ゆき宅外]

 

バタンと乾いた音がする。

茜色の空に空虚なそれが響くことなく消えていく。

亜美は拳を握りしめた。

 

(このままでいいの……?)

 

自分に問いかける。

 

(ゆきは体調不良なんかじゃない。何かあったに違いないわ。でも……ゆきが話してくれないなら……アタシはどうすればいいの……?)

 

応えは出ない。

カーテンの向こうに隠れたまま。

亜美は溜息をついて一歩踏み出した。

 

「はぁ……」

 

――クシャ

 

何か踏む音がする。

 

「ん?」

 

下を見ると一枚のカード。

拾い上げると赤紫色の縁。

 

《落とし穴》

通常罠

 

「!」

 

ゾクッと背中に氷が差し込まれた感覚がした。

ゆきのデッキに採用されていないカード。

嫌な予感。

嫌な感覚。

 

「……ッ!」

 

亜美は勢いよく玄関先を出て街路へと躍り出る。

言いようのない生温いような視線を感じ、思わず振り向いた。

その目線の先、30メートル程奥に見えるT字路に青色のDホイールが止まっていた。

乗っている人物は、黒のヘルメットを被っていて人相はわからないが、性別は男で制服を着ていることはわかった。

その青い制服には見覚えがある。

それは日本一デュエルモンスターズを学んでいる学園の、その最高ランクを意味する青い制服。

 

『んだよ、クソカードばっかじゃねぇかよ。プレゼントまでゴミかよ。いらねぇ』

 

声が脳裏に過る。

その瞬間、一気に頭に血が昇った。

 

「アンタッ……!」

 

その男はこちらを確認すると嘲笑うようにゆっくりとした挙動でDホイールを走らせた。

 

「待ちなさいッ!!」

 

 

 

[恵宅 恵部屋]

 

 

恵の部屋は相変わらず広く綺麗でそして物がほとんどなかった。

リビングにあるのは布団が取り除かれたコタツ机と、恵が作ったというマッサージチェアのような大仰な椅子、あとは亜美が持ち込んだ人数分のクッションだけだった。

キッチンには銀色の家庭用冷蔵庫がポツンと立っていてそのほかには何も見当たらない。

そんな冷蔵庫から、恵は麦茶の入った瓶を取り出して、以前良平とここのせが100円均一で買ってきた安物のコップに注いだ。

それをわざわざ丁寧にお盆に乗せて持ってくると、ここのせと良平の前にトンと置いた。

 

「……飲んで……」

 

「あ、ありがとう」

 

良平が礼を言うと、ここのせは早速コップに手を伸ばした。

 

「いただくぜ」

 

ズズッ、と喉を鳴らして麦茶を呷る。恵は表情一つ変えずに、ただ黙って二人を見ていた。

 

「それで、話なんだけど……。モンスターの実体化について」

 

本題を切り出した良平の言葉に、恵はゆっくりと頷いた。

 

「……ここのせから大凡の話は聞いている……」

 

「それなら話が早いよ。……じゃあ単刀直入に聞く。モンスターの実体化、いやダメージの実体化を防ぐ方法を何か知らない?」

 

真剣な眼差しで問いかける良平に対し、恵は僅かに間を置いてから答えた。

 

「……質問の定義が不明瞭のため、どちらとも回答が可能。どのような場面を想定しているか、再定義が必要……」

 

「つまり、ダメージを実体化ができる相手とのデュエルで、戦闘ダメージを受けたときに、自分にくるダメージをなくす手段はないかなってことなんだけど……」

 

「……不可能。ダメージが発生している時点で既にプレイヤーへ身体的なダメージが発生していることになる……」

 

「ダメージを受けずに済む方法もねぇのか?」

 

ここのせが身を乗り出して尋ねる。

 

「……戦闘ダメージを受けなければ、ダメージは発生しない……」

 

あまりにも当然の回答に、良平は深くため息をついた。

 

「……はぁぁ、やっぱそうなっちゃうのかぁ」

 

「完封しろってか。絶対に無理ってことはねぇんだろうけど……」

 

ここのせが腕を組んで唸る。

 

「でもそれって歩いて日本一周しろって言ってるのと一緒だ。理論上は可能でも実際やるのはめちゃくちゃ大変だよ」

 

「しかし不可能ってのは解せねぇな。祭乃木はあの化け物の攻撃を防いだし、平畑なんてモンスターを倒しちまったんだぜ? 恵だって見たろ? お前の攻撃だって防いでた」

 

ここのせの指摘に、良平もハッとした。

 

「さっき恵は、どちらとも回答ができるっていってたよね? 状況によっては防ぐことができるの?」

 

「……そう……」

 

恵は静かに肯定した。

 

「どういう状況ならできるんだ?」

 

「……実体化したモンスターとの戦闘が想定される状況は以下の3つが挙げられる……」

 

恵は指を一本ずつ折りながら、淡々と説明を始める。

 

「……一つめに、機皇帝並びに適性不明体との戦闘。二つめに、闇のカードを相手プレイヤーが使用し、かつそのカードがフィールドでコントロールされている場合。そして三つ目に相手デュエリストがサイコデュエリストまたはコントローラー個体である場合……」

 

「サイコデュエリストってのは、良平が調べて見つけたっつー、モンスターを実体化できる能力者みたいなやつだよな……? んで、コントローラー個体ってのは?」

 

ここのせが聞くと恵は手を下げて答える。

 

「……コントローラーとは本来は、モンスターをコントロールしているプレイヤー、即ちデュエリストの事を指す。しかし、この場合におけるコントローラーとは機皇帝を統括し、コントロールしている個体を指す……」

 

「というとつまり……ああいう化け物には、コントロールされてる個体と司令塔みたいなコントロールする役割の個体とがいるってこと……?」

 

良平が補足するように聞くと恵は小さく頷いた。

 

「……肯定する……」

 

「サイコデュエリストと一緒くたにしてるってことは、そいつらもデュエルを仕掛けてくるってことか……!?」

 

ここのせが声を荒らげる。

 

「……正確にはコントローラー個体を撃破するにはデュエルが必要不可欠となる……」

 

その言葉を聞いて、良平は思考の海に沈んだ。脳裏にストックホルムでの記憶が蘇る。

 

『こいつも、ただの手下ってわけかー』

 

ヴァールの声が聞こえる。

 

(ストックホルムで俺達を襲ってきたのはコントロールされてる個体だったのかな……)

 

恵はさらに続けた。

 

「……今挙げた三点のうち、後者二つはデュエルを介しているが、前者はデュエルを介さないことが特徴……」

 

「モンスターとの戦闘……。たしかにデュエルモンスターの力を借りてはいたけど、デュエルしてるわけじゃなかったな……。あれはむしろ……」

 

ここのせの脳裏にも、かつて見聞きした光景が浮かび上がっていた。

 

『世界は魂をぶつけ合う聖戦ーーディアハによって諍いと平和を繰り返し、時に種族が滅び、時に生まれ、また滅び。輪廻転生を繰り返し、世界は安定しておりました』

 

(星巡りであの詩人が言ってたディアハ……)

 

「むしろ……なに?」

 

良平に問われ、ここのせは我に返った。

 

「! い、いや、なんでもねぇ。それで、デュエルじゃねぇならなんなんだ」

 

「……モンスターとの戦闘においては、こちらもモンスターを実体化させて戦闘を行う。この戦闘と通常のバトルフェイズでの戦闘には相違点が存在する……」

 

「相違点……?」

 

「……それは双方の攻撃力の数値が必ずしも戦闘を左右するものではない、ということ……」

 

「どういうことだ? 攻撃力が高い方が戦闘破壊できるわけじゃないってか?」

 

「……そう。攻撃力が高い方が戦闘において有利であることは変わらないが、この戦闘においては物理法則が適用される……」

 

「つまり?」

 

「……攻撃が直撃しなければダメージは発生しない。モンスターあるいは遮蔽物などで回避が可能……」

 

恵の言葉に、良平の中で点と点が繋がった。

 

「なるほど……。そういうことか……。『プレイヤーに直接ダメージが入る』というのが、イコール、『ライフが減る』ってことだと考えると本質は同じなんだ。デュエルの場合、ルールに縛られて攻撃を避けられないってだけで……」

 

「ということはやっぱりデュエルにおいてはダメージを受けない以外には方法はないってことか」

 

「……そう……」

 

恵の無情な肯定に、話は振り出しに戻った。

 

「堂々巡りだったけど、これならもうインフェルノイドを徹底的に対策した方が良いってことがわかったよ。ノーダメージは無理でも、ダメージを減らすような戦術を立てなきゃな……」

 

良平が自分に言い聞かせるように呟く。

 

「しっかし、なんであのインフェルノイド野郎はモンスターを実体化できるんだ? チームラグナロクのルーンの瞳みたいに何か不思議な力でも持ってんのか?」

 

「彼もサイコデュエリストなのかな……」

 

良平は顎に手を当て、考え込む。

 

「それとも……」

 

断片的な情報が、脳裏を駆け巡る。

 

『それとーーー怪しい実験などをしてないか、などだな』

 

『チーム煉獄のあの男については、デュエルアカデミアの上層部が関係していると睨んでるの』

 

『……私がいた未来ではモンスターを実体化させる技術が確立していた……』

 

『骨子 ネクロス計画』

 

「……」

 

全てのピースが一つにはまろうとしている。良平は顔を上げ、恵を真っ直ぐに見つめた。

 

「……恵」

 

「……何……?」

 

「……恵が持ってるそのモンスターの実体化する技術って、いつ頃に開発されたの?」

 

「……この時代から約60年後……。……しかし、以前も言った通り、私の世界とこの時代は歴史分岐により地続きではなくなった。技術革新については同一である保証はない……」

 

「……そういう技術の開発計画に、ネクロス計画っていう計画はあった……?」

 

「ネクロス!?」

 

良平の言葉に、ここのせが鋭く反応した。

 

「え……?」

 

「……データベースに該当なし。そういった計画は少なくとも私のデータにはない……」

 

「そ、そっか……。え、ていうか待って。ここのせ、何か知ってるの?」

 

良平が驚いて問うと、ここのせは難しい顔で頷いた。

 

「計画ってのは知らねぇけど、ネクロスってのは聞き覚えがある」

 

「ど、どこで……?」

 

「星巡りだ」

 

「……それって星遺物の力を手に入れた儀式みたいなもの、だよな……?」

 

「ああ。そこで、星生みの神話を聞いた。その神話の中に、かつて世界にいた種族の力をその身に宿すーー影霊衣の力っていうのが出てくるんだ」

 

「ネクロスの力……。ぐ、偶然、なのか……?」

 

良平が息を呑む。ここのせは黙ってその視線を受け止めた。

 

「その神話はーー」

 

良平がさらに問いただそうとした、その時だった。

 

「ーーー!」

 

ピクッ、と恵の身体が微かに痙攣した。今まで一切の感情を見せなかったその瞳が、初めて見開かれる。

 

「おわっ……!」

 

「め、恵……?」

 

「……時空震を検知……! 震源は童実野埠頭……!」

 

バッ、と音がしそうなほどの速さで恵が立ち上がる。

それだけ言うと、左腕に装着されたデュエルディスクを瞬時に展開させながら走り出し、ためらいなくリビングの窓を全開にした。

そして、良平とここのせが何かを言うよりも早く、そのベランダから身を躍らせてしまった。

 

「ええぇ!!?」

 

「なぁ!?」

 

二人は思わずベランダまで駆け出し、手すりから身を乗り出した。

遥か下の地上で、一瞬だけ真紅眼の屍龍がその骨だけの翼を羽ばたかせ、恵の身体をその背に乗せるのが見えた。

それがゆっくりと着陸したかと思うと、恵らしき人影はそのまま埠頭の方角へと走り去っていく。

あまりの光景に呆気に取られていたが、ここのせはごくりと息を飲み込むと、振り返って良平の肩を掴んだ。

 

「おい、オレたちもいくぞ!」

 

「え、で、でも……!」

 

「恵だって盾にするわけにゃいかねぇだろうが!」

 

その言葉に、良平の迷いは吹き飛んだ。

 

「ッ……! わかった、行こう!」

 

二人は顔を見合わせると、力強く頷き、部屋を飛び出していった。

 

[ネオ童実野シティ 郊外]

 

 

 

「はぁはぁ……!」

 

アスファルトを蹴る音が、荒い呼吸と共に街に響き渡る。肺が焼け付くように熱い。それでも亜美は足を止めなかった。

 

前方を走る黒いDホイールから、ライダーの不気味な笑い声が聞こえた。

 

「……ひひ」

 

キィィィンッ、と甲高いエンジン音を響かせ、男は紅に染まる街を切り裂いていく。

 

(なんなの、アイツ。逃げる割にはスピードが遅い……。振り切りたいならもっとスピード出せばいいはず)

 

これは追跡じゃない。誘導されている。その事実に気づいた瞬間、亜美の胸に怒りの火が灯った。

 

「舐めんじゃないわよ!」

 

亜美は雄叫びと共に、バッと大通りから脇道へと逸れた。錆びついたシャッターが並ぶ、見慣れた裏路地。

 

(裏道から先回りしてやるわ! 地元民舐めんじゃないってーの!)

 

潮の香りが強くなっていく。

 

[ネオ童実野シティ 童実野埠頭 貨物倉庫]

 

薄暗い倉庫街にたどり着いた亜美は、息を潜めて辺りを見回した。

夕焼けに照らされた巨大なコンテナの影に、見覚えのあるDホイールが停められている。

 

「……いた!」

 

その持ち主である男は、辺りを窺うようにコソコソと動き、近くの廃倉庫の扉に手をかけていた。

 

「ちょっとアンタ!」

 

亜美が声を張り上げると、男は驚いたように振り返り、慌てて倉庫の中へと姿を消した。タッと地を蹴り、後を追う。

重く錆びついた鉄扉を無理やりこじ開けると、薄汚れたコンクリートの床が広がっていた。

先ほどの男が倉庫の中央でヘルメットを脱ぐ。

軽い音を立てて現れたのは、見知らぬオベリスクブルーの男子生徒だった。

 

「くひひ」

 

「アンタ、アタシに用があんの? それともゆき? ……答えなさい!」

 

亜美が鋭く問い詰めた、その刹那。

倉庫の暗がりから、冷たく響く声がした。

 

「ーーやれ、インフェルノイド・ネヘモス」

 

空間が歪み、青い炎を乱反射させる巨大な竜の姿が、音もなく現れる。

 

「―--グォォオォオォオォオォオッ!!」

 

「!」

 

その咆哮を聞いた亜美は、思考より先に身体が動いていた。本能的に横っ飛びでその場から離れる。

直後、亜美が立っていた場所に青白い熱線が走り、地面を痛烈に抉り取りながら、一直線に蒼い炎の傷痕を残した。

 

「なっ……」

 

熱風が頬を撫でる。亜美は息を呑み、背後の暗がりに向き直った。

 

「きゃははっ、女がこんな廃倉庫に一人でくるなんて、ヤッてくれって言ってるようなもんじゃん?」

 

「……今ので沈めば楽にイケたのによぉ」

 

「くひひ」

 

闇の中から、三人分の嘲笑が響く。

ゆっくりと姿を現したのは、見覚えのある顔だった。

 

「やっぱりアンタらだったのね……! ーーーチーム煉獄!! 阿久津剛!!」

 

「粋がるなよ、生意気なヒーロー女」

 

金髪を逆立てた男、阿久津剛が舌打ち混じりに吐き捨てる。

【金髪不良系インフェルノイド使い オベリスクブルー チーム煉獄 阿久津剛】

 

「きゃはっ☆」

 

その隣で、胸元をだらりと開けているギャルが甲高い笑い声を上げた。

【金髪ロングギャル 蠱惑魔使い オベリスクブルーチーム煉獄所属 寺仔リオ】

 

「アンタ……! ゆきに何したの!?」

 

「あんな何の役にも立たねぇ女に興味ねぇんだよ馬鹿が。狙いはてめぇだ、祭乃木亜美」

 

阿久津は口の端を醜く上げて答えた。

 

「アタシ……!?」

 

「てめぇとあの幻獣機使いを潰せば、てめぇらは終わりだ。直接やるまでもねぇ、ここで潰す」

 

「それならアタシに直接きなさい! コソコソして、ふざけんじゃないわよ!」

 

「えー? ホントは手荒な真似しないようにしてあげたのよー?」

 

リオが猫なで声で言う。その言葉に、亜美はギロッと憎しみの籠った視線を向けた。

 

「きゃはは! あのバカ子ちゃん、あんたたちのデッキ盗んでこいって、さもないとあんたもあんたの家もめちゃくちゃにしてやるって脅してやったの! そしたら丸く収まったのに、すぐぶるっちゃって引きこもるなんてさぁ。おかげでウチらが危ない橋を渡ることになっちゃったじゃん。ホント使えない」

 

「アンタッ……!」

 

腸が煮え繰り返るような怒りで、奥歯を強く噛みしめる。

 

「でも、あんたを吊り出せたから結果オーライかな! ダブルトラップとか、きゃはっ、ウチってば小悪魔的ィ」

 

その言葉を合図に、最初にいたオベリスクブルーの男子生徒が、どこからか取り出した鉄パイプを肩に担ぎ、下卑た笑みを浮かべた。

 

「へへへ」

 

男は地を蹴り、一直線に亜美へと向かってくる。

風を切る音を立て、鉄パイプが頭上へと振り上げられた。

 

「ッ!」

 

そのまま、脳天を砕く勢いで垂直に振り下ろされる。

 

「ふっ……!」

 

一瞬、身体が竦んだが、すんでのところで身を屈めてそれを躱すと、がら空きになった相手の手首に鋭い蹴りを入れた。

 

「がっ!?」

 

――カラン、カラン。

乾いた音を立てて鉄パイプが床を転がる。

 

「正当、防衛ッ……!」

 

蹴りの勢いを殺さず、軸足を入れ替えて放った回し蹴りが、がら空きになった男子生徒の顔面に叩き込まれた。

 

「ぎゃぁ!!?」

 

情けない悲鳴を上げ、男は床に崩れ落ちる。

 

「アタシを沈めたいなら、怪我覚悟できなさい!!」

 

「きゃはっ!」

 

亜美が言い放った瞬間、リオが楽しそうに指を鳴らした。バッとリオの背後に、華をつけた愛らしい少女のモンスターが姿を現す。

 

「ふふっ……」

 

モンスターが妖艶に笑う。

と同時に。

 

《奈落の落とし穴》

通常罠

 

「ーー!?」

 

カードの発動音と共に亜美の足元に巨大な穴が出現した。

 

「なぁっ……!?」

 

なすすべもなく、身体が闇へと吸い込まれる。

 

「くっ!!」

 

咄嗟に伸ばした手が穴の縁を掴んだ。なんとかぶら下がることに成功した亜美は、腕の力だけで身体を引き上げると、すぐさま一目散に近くの廃材の山へと転がり込んだ。

 

(何よこれ……! デュエルでもないのに、罠カードが実体化するなんて!)

 

―――シュルシュルシュル。

背後で、半透明のレインボードラゴンが威嚇するように唸った。

 

「クォォォオッ!!」

 

「コロせ、ネヘモス!!」

 

阿久津の非情な声が響く。

 

「キュォォオォオォオォオッ!!」

 

エネルギーが収束する音。亜美は考えるより先に、廃材の影から転がり出た。

 

「ッ!!」

 

熱線が先ほどまで隠れていた廃材を跡形もなく吹き飛ばし、再び蒼い炎を怨恨のように残して消える。

 

「ぐっ……!」

 

爆風に煽られながら、亜美は体勢を立て直す。この圧倒的な暴力。脳裏に、忘れることのできない光景が蘇った。

 

(これって……!)

 

忘れもしない。

ここのせと共に街中で正体不明のモンスターに襲われたこと。

 

『C:¥tierra¥qliphoth.exe実行。実行。実行。』

 

モンスターの発した無機質な声が今も耳にこびりついていた。

 

(あの時と似てる……!)

 

「オラオラァァ!」と阿久津の怒号が響く。

 

「―――グギァァァッ!!」

 

ネヘモスの顎に、再び破滅の光が灯る。

 

「―――クォォォオッ!!」

 

レインボードラゴンの悲痛な叫びが聞こえる。もう、逃げているだけでは駄目だ。

 

「……ッ!」

 

ガシャンッ、と左腕の決闘盤が音を立てて展開された。

引いた5枚のカードを鋭い眼光で確認する。

 

「融合を発動!!」

 

魔法カードをマジックトラップスロットに放り込む。

 

《融合》

通常魔法

 

「力を貸してレインボードラゴン! 手札のネオスと融合!!」

 

亜美の呼びかけに応え、半透明のレインボードラゴンが咆哮を上げる。

 

「クォォ!!」

 

「トゥアッ!」

 

その隣に、白銀の巨人、ネオスが姿を現した。二体のモンスターが光の渦に包まれていく。

 

「――今は遠き宙に虹を描くは一筋の希望! 飛べ! 人と精霊との架け橋となりて!!」

 

倉庫全体が、目も眩むほどの光に満たされる。

 

「融合召喚! 来なさい! レインボーネオス!!」

 

バシッ、と光の中から究極の戦士が舞い降りた。

 

「フゥゥンッハァッ!!」

 

レインボーネオス

攻:4500 光 戦士族 星10

 

「なっ……!」

 

リオが驚愕の声を上げる。

 

「ガァァァァッ!」

 

だが、ネヘモスは構わず光線を放った。

 

「お願い、レインボーネオス!」

 

亜美の叫びに、レインボーネオスは身構えた。

 

「フゥンッ!!」

 

青白い熱線は、レインボーネオスの屈強な腕に阻まれ、四方八方に弾け飛ぶ。

 

「なんだと……!?」

 

「あ、ありえない! なんであんたも……!」

 

阿久津とリオが、信じられないものを見る目で亜美を睨む。

 

「はっ! アンタたちの思い通りにはさせないってーの!!」

 

亜美は不敵に笑い返した。

 

「ふ、ふぅん……、あんたを警戒しろってこういうことだったんだ」

 

リオが悪態をつく。

 

「アンタらねぇ!! こんなことして恥ずかしくないの!? デュエルアカデミアでしょ!? オベリスクブルーなんでしょ!? だったら正面切ってデュエルで挑んできなさいよ!」

 

「何言ってんの? ちゃんと戦ってあげるよ。アンタを潰したらね!」

 

「それがせせこましいって言ってんのよ!」

 

「……ちっ、くそだりぃ……。世間を知らねー女はこれだからうぜぇよ」

 

阿久津が心底面倒そうに吐き捨てた。

 

「何ですって!?」

 

「この世は、結果が全てなんだよ!! 途中経過も、手段も関係ねぇ!! 結果さえありゃいいんだよ!」

 

「そんなことで得た勝利がホントに嬉しいわけ!?」

 

「あぁ嬉しいね、この手で勝利をもぎ取ってるんだからなぁ!」

 

「何が勝利をもぎ取るよ! 正面からデュエルできないくらいアタシ達が怖いだけじゃない!」

 

亜美が目を吊り上げて叫ぶ。

だがリオは肩を悪びれることもせずにやりと笑っていた。

 

「ふん、何とでも言いなよ。どうせアンタはここで終わりなんだし。きゃはっ」

 

「こんなことして、ただじゃおかないわよ!」

 

「へぇぇ? じゃあどうするの? 誰かにチクる?? モンスターが実体化して襲ってきましたって?? バーカ、誰がそんなの信じるか!! アンタはここで秘密裏にぶっ潰されんだよ!!」

 

「きゃはは!」

 

リオの背後のモンスターが嘲笑う。

 

《煉獄の落とし穴》

通常罠

 

「くっ!」

 

再び足元に巨大な穴が開く。今度はその底で、業火が渦を巻いていた。落ちれば二度と這い上がることはできないだろう。

亜美は咄嗟に地面を蹴り上げるが、足場を失い、身体が傾ぐ。

その瞬間、ふわりと不安定な感触が体を包み込んだ。見ると、虹色の羽根が亜美の身体を優しく支えていた。

 

「―――クォォォオ!!」

 

「助かったわ、レインボードラゴン!」

 

体勢を立て直し、穴から距離を取る。

 

(なんだかわかんないけど、このままじゃやられる……!くっ、レインボーネオスで迎撃できれば……)

 

だが脳裏にいくつもの記憶がフラッシュバックする。

 

ゴミ投げられつけられた決闘者の姿。

そして過去に父に言われた言葉。

『亜美、暴力では人を救えないんだ』

 

「……」

 

亜美は唇を噛んだ。

 

(……とにかく、隙をついて一旦引くしかない……!隙を作る方法は……!)

 

チラッと亜美の視線がリオが腕につけているデュエルディスクに向けられる。

辺りを見回した。

廃れた倉庫内には、廃材と鉄屑の山、損傷が激しい貨物コンテナがいくつかあるだけ。

天井からは貨車に繋がれていたであろう太いチェーンが、だらんと床までぶら下がっている。

床には割れた窓ガラスの破片と工業用のネジがいくつも転がっていた。

 

「ぉあ……」

 

その時、ふらふらと先ほどの男子生徒が立ち上がった。

 

「ッこのクソ女がァァ!」

 

痛みも忘れたのか、奇声をあげながら突進してくる。

亜美はそれを受け止め、つかみ合いに持ち込まれた。

 

「ふうん!」

 

男が力任せに押し込んでくる。

 

「くっ……」

 

亜美は思わず声を漏らす。

 

(や、やば、力強っ……)

 

このままでは押し負ける。亜美は咄嗟に相手の身体を振り払うと、後方へと走った。

男は当然のように追ってくる。

追ってきた男が再び殴りかかろうと手を振り上げた。その瞬間。

 

「ハァッ!」

 

亜美は振り向きざま、天井からぶら下がっていたチェーンの先端を掴むと、男の腕めがけて回し投げた。

チェーンは狙い通りに男の手首を痛烈に巻き込み、一筋縄では外れない舫結びのような形で絡みつく。

それを尻目に、亜美はもう片方のチェーンの根元を力一杯引っ張った。

 

「いでででで!!」

 

貨車から引き込まれたチェーンが男の手首を吊り上げ、半ば宙吊りのような形に追い込む。

 

「ちょっとそこで頭冷やしなさい!」

 

「―――ァァァァ!!」

 

だが、その隙をネヘモスが見逃すはずもなかった。

 

「しまっーー」

 

回避が間に合わない。そう思った瞬間、レインボーネオスが亜美の前に立ちはだかった。

 

「ハァッ!」

 

 

凄まじい爆発が倉庫を揺るがす。

 

 

「ぅう……!」

 

爆風に耐えながら目を開けると、レインボーネオスの身体がビビビッとノイズを発し、一瞬消えかかっていた。

 

「ぐぅっ……!」

 

「ネオス! ……ごめん、ありがとう!」

 

亜美はネオスの無事を確認すると、すぐさま近くのコンテナの影に回り込んだ。

 

「隠れても無駄だよ!」

 

「うぜぇ、コンテナごと吹っ飛ばしてやる……」

 

乾いた靴底の音が響く。

音に反応し阿久津はネヘモスに指示を飛ばした。

 

「やれ! ネヘモス!」

 

「――ガァァァッ!!」

 

 

轟音と共にコンテナが木っ端微塵に吹き飛んだ。

舞い上がる粉塵の中から、ヒュルルル……ポテッ……と何かが転がり落ちる。

それは亜美が履いていた片方の靴だった。

 

「くひっ……!」

 

「きゃはっ」

 

阿久津とリオの顔に勝利を確信した笑みが浮かぶ。

その背後で。

別のコンテナの影から、新たな人影が飛び出した。

 

「でャァァ!!」

 

片方は素足のまま、亜美は地を蹴っていた。

 

「なっ!?」

 

「うっそ……!」

 

驚愕する二人を無視し、亜美は目標であるリオへと一直線に駆ける。

 

「セヤァァァ!!」

 

思いっきり踏み込み、翻るスカートも気にせず、そのしなやかな脚をリオのデュエルディスクに向けて振り抜いた。

強烈な一撃を受けたデュエルディスクは、中央部が大きくひしゃげ、フィールド部分に派手な亀裂が入る。

 

「あぁ……!」

 

ビビビッ。

リオの傍にいたモンスターがノイズを発し霧のように消え去った。

 

「よっしゃ!」

 

「このクソアマァァァ!」

 

亜美の脇腹に、阿久津の容赦ない蹴りがめり込んだ。

 

「ぐぅっ……!!」

 

亜美は数メートル吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。

 

「っ〜、このッ……!」

 

痛みに呻きながら顔を上げると、阿久津が口の端を歪めて笑っていた。

 

「くっ……ひひ……」

 

「……!?」

 

「……てめェはイキがいい。イキがいい女は潰しがいガある……へ、へへ……潰してェ、潰してェよ……」

 

―――ズズズズズズ。

その目はもはや正気ではない。爛々と輝き、狂気に満ちている。

 

「ッ……!?」

 

亜美の背筋を、今まで感じたことのない悪寒が駆け抜けた。

 

「きゃはっ、ヤッちゃうの? 」

 

「ァァ……」

 

阿久津は自身のデュエルディスクを構え、カードを一枚引き抜いた。

 

「―――ァァァ!!」

 

獣のような咆哮と共に、魔法カードが発動される。

 

《煉獄の虚夢》

永続魔法

 

ズモモモモモモモモモ。

ビキビキビキビキ……。

聞くに堪えない音が鳴り響く。

 

「な、なによこれ……!」

 

発動したカードビジョンから泥のような黒い瘴気が溢れ出し、阿久津の身体を包み込んでいく。

鈍い呻き声を上げながら、その身体を中心に空間そのものが捻じ曲がるような渦が生まれた。

その光景は禍々しいながらも、亜美がよく知るものだった。

 

「ゆ、融合演出……!?」

 

「ァァァァァァァッ!!」

 

凄まじいエネルギーの奔流が倉庫内を吹き荒れる。

 

「ぐぅぅっ……!?」

 

やがて嵐が収まった時。

 

「ーーグガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ」

 

「ォオアアア……!」

 

瘴気を纏いながら、ソレは咆哮をあげた。

 

「ッ! うっ……!」

 

身の毛のよだつ嫌悪感。

 

阿久津剛の右半身は鬱血した異形の姿になっていた。

 

背中からは崩れた四枚羽根のようなものが生え、腰からは蛇のような長い触手が伸びている。

 

そしてその背後には、まさにその姿を写したような巨大なモンスターが見下していた。

 

「なによこれ……。なんなのよこれ……!」

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