翌日の午後遅く、完成したレポートと
まるで風呂にでも入っているかのように浅底の鍋の縁に根っこをかけて湯に浸かるマンドレイク達。
時折り、のぼせて這い出て来るマンドレイクが床に転がり落ちないように掬い上げては、湯冷めした別のマンドレイクを再度湯の中に放り込む。
そうしてじっくりコトコト12時間。
伝統的なマンドレイクスープ薬の調合方法だ。
子供でもできる調合だが、手が取られると言う意味では、スネイプ教授にとって面倒くさい作業なのだろう。
「何の用だ? セネット。寮に戻るようにと言うマクゴナガル教授の言葉を聞いていなかったのか?」
「え? 朝、そんなこと言ってましたっけ?」
「……昼過ぎにマクゴナガル教授が拡声魔法で放送したはずだが?」
「あー……。部屋の外うるさくって、朝から耳栓してたので……」
そんな放送があったなど全く知らなかった。
何かあったのか問うと、教授はため息混じりに教えてくれた。
「グリフィンドールの1年生が、秘密の部屋に連れ去られたのだ。それに伴い、生徒は明日のホグワーツ特急で全員家に帰ることになる。休校だ。
セネット、貴様も帰る準備をしたまえ」
「……そうですか」
連れ去られたのは恐らくジニーだろう。
連れ去られたと言うより、トムに取り憑かれたまま自分の足で向かったと言った方が正しいだろうが。
ジニーもといトムは、こっそり事を済ました上でポッターに会いに行くこともできたはずだが、ジニー連れ去りを派手に演出する事で継承者の関与を仄めかし、ポッターからトムに会いに来ると言う状況を作ろうとしているのだろう。
「じゃあ、私は寮に帰りますね」
そう言って帰ろうとした私をスネイプ教授が呼び止めた。
「いや、待て。このような時に生徒を一人で歩かせるわけにはいかん」
「? でも、それほっといても良いんですか?」
意思を持って勝手に動き回るが故に、あまり目を離せないマンドレイク達。誤って鍋から落ちたりしたら逃げ出してしまう。
「まさか。今朝から9時間の労働を吾輩が無駄にするわけが無かろう」
そう言うとスネイプ教授は、私に穴あきおたまを押し付けてきた。
「教授ー、これ火力上げちゃった方が早くないですか?」
付いているのかいないのか分からないほどのトロ火で温められた鍋。濃厚なマンドレイク薬を作るには一定の温度より上げないことが重要だが、マンドレイクの負担を無視するなら許容可能だ。
「ならん。このマンドレイク達はスプラウト先生が来年も使うと言っている。死んでしまっては使えないからな」
「……ほんの少しでもダメですか?。多分、頑張れると思うですよ。このマンドレイク達」
「後3時間ほどだ。それまで何もせず頑張りたまえ」
もしかしなくても残りの時間、全て私に調合を押し付ける気だろうか?
私のレポートに目を通し始めたスネイプ教授は、こちらを見ようともしない。
私は小さく息を吐き、鍋の近くに椅子を引っ張って来ると、長期戦の構えをとった。
時おり火が爆ぜる音と、教授の羽ペンが羊皮紙に滑る音。
マンドレイクから発せられる良い香り、湯気で部屋は暖かく、地下室ゆえに薄暗い。
ここまで条件が揃っていれば昨夜、夜更かししていなくても眠くもなると言うものだ。夜更かししていれば尚のこと。
うつらうつらとしては、マンドレイクが鍋から這い上がるのに失敗して立てた水音にハッと起きる。
そんな事を何度も繰り返していると、リンリンと鈴がなり始めた。
「んぁ?」
顔を上げると、ぱさりと肩からショールが滑り落ちていく。
「っとと」
床に落ちる前に慌てて受け止めたのは、真っ黒で大きなショール。はて? こんなショール持ってただろうか?
「あれ? 教授? ……どこか行ったかな?」
先ほどまで机に向かっていたはずだが何処にも居ない。
きょろきょろと辺りを見渡していると、勝手に動く鈴の上に掛けられた壁時計が目に入った。
時刻は21時ちょうど。私がここに来てから3時間ほどたっていた。
この鈴の音は、アラームだったのだろうか……。
寝ぼけ眼を擦り、私は杖で鈴を叩いて音を止めると大きく伸びをした。
「あっ! マンドレイク!」
慌てて鍋に駆け寄ると、マンドレイク達は少しのぼせ気味な所はあるものの元気だった。
煮出し汁もしっかりと取れており、茶色く濁った汁が底の方に溜まっている。
私はマンドレイクを全てザルに開けると、火から鍋を下ろして小瓶にスープを注いだ。
計6本にギリギリまで注ぎ込むと、キッチリと蓋を閉め、流水で急速に冷やす。
これで、マンドレイク薬は完成だ。
少し待ってみたが、スネイプ教授は帰ってこない。
無駄に凝ってみた箱詰め作業も終わり、手持ち無沙汰になった私は、教授の大きな椅子に腰掛けてぷらぷらと足を揺らす。
机上に放置された物から、教授がどこに行ったか分からないかと眺めてみても、綺麗に片付けられた机からは何も読み取れない。
「マンドレイク薬、届けにいくかなぁ?」
届け先は分かっているのだ。
今も医務室で薬を待っている人が居るというのも、分かっている。
ただ、どうにも気力が湧かない。これが調合ならまだマシかもしれないのに。
私は息を盛大に吐くと100まで数えて、さらに10数えた後、大きな椅子から飛び降りた。
医務室の扉をノックすると、小さな返事があった。
マダムではない、男の声だ。
私が誰だろうと怪しむ暇もなく開かれた扉から顔を覗かせたのはダンブルドア校長だった。
「校長? 帰ってきてたんですか?」
確か、生徒を危険に晒したとかで理事会にホグワーツを追放されていた筈。
「ああ。つい先ほど帰った。ミス、セネットはなぜ医務室に? 何処か怪我でもしたかの?」
「スネイプ教授の代わりにマンドレイク薬を持ってきました」
マンドレイク薬の入った箱を見せると、校長の目が喜びに輝いた。
「おお。それは何より。さ、入りたまえ。――マダム、石化された生徒達の治療薬が届いたぞ」
医務室の奥から出てきたマダム、ポンフリーと二言三言交わした校長は、「わしはミネルバの所に行かねば」と言い残して医務室を早足で去って行った。
「忙しそうですね」
「つい先ほど戻られたばかりですからね。これから連れ去られた生徒の対処についても、マグゴナガル先生と話し合わなければならないのでしょう。……さ、手伝ってもらえますか?」
石化した人物に経口薬を飲すのは大変だ。
なにせ、そのままの姿で固まってしまっているから、姿勢によっては薬を投与できても口から溢れ出してしまったり、そもそも投与すべき口が開いていないことだってある。
幸い、今回の被害者は皆、口が開いていた。
私がベッドに寝かせられた被害者の背を持ち上げて支えると、そこにマダム、ポンフリーが、マンドレイク薬を注ぎ込んでいく。
一人につき、そのままの姿勢で約10分。
体の中心部からゆっくりと効き始めた薬の効果によって被害者の腰がゆっくりと曲がり、ベッドに落ちれば後は放置していても大丈夫だ。
石化した髪の毛が割れないよう、緩衝材がわりの毛布と枕を何重にも重ねて作った背もたれにゆっくりと寝かす。
「マダム、これ、魔法で浮かせちゃダメですか?」
生徒の体重のおよそ半分をずっと支えていなければならないのだ。
マダムと交代とはいえ、骨が折れる作業には間違いない。
一人目がベッドにようやく座り、荒れた息を吐いた私がマダムに尋ねると、自分の腰をさすっていたマダムが首を横に振った。
「ミス、セネットなら知っているでしょう? 魔法と魔法薬の干渉がある事を。
マンドレイク薬にその危険性はほぼ無いですが、今回は生徒の命がかかっているのです。安全マージンは十分に取ります。
それに魔法で浮かせた状態で何かあり、術者の集中が途切れて生徒が落下。
その結果、腕が割れた、足の指が取れたなんてことになったら目も当てられませんからね」
そんなことになれば石化から意識が回復した瞬間、患者は痛みに泣き叫ぶだろうし、薬の巡りが悪ければ取れたパーツの石化は解除されないため、もう一度くっつけ治す事も叶わない。
地道に一人ずつやるよりは無さそうだ。
全ての石化された生徒と猫とゴーストにマンドレイク薬を飲ませ終わり、ようやく一息つけた頃、ノックの音。
次いで返事も待たずに大きな音を立てて医務室の扉が開いた。
額に青筋を浮かべて扉を振り返ったマダムが、虚を突かれたような表情になるのが見えた。
「アーサー・ウィーズリー? ……その子はもしかして、ジニー・ウィーズリーですか? 継承者に連れ去られた?」
マダムの背後から扉を覗き込めば、見知らぬ男女に連れられたジニーがいた。
顔立ちやマダムの言葉から判断するに、男女はジニーの親だろうか?
男がマダムの言葉に大きく頷いた。
「マダム、お久しぶりです。ええ。ジニーは戻ってきたのです。
ハリーに助けられて、私たちの元に戻ってきたんです!」
女性の方は涙ぐんでいるのか、先ほどから目元を拭ってばかりだ。
「それはそれは! 良かった! 本当に良かった。ジニー・ウィーズリー、ここにお座りなさい。温かいミルクを持ってきましょう。校長はこのことをご存知で?」
「ええ。例のあの人に魔法をかけられていたので、早急に医務室に行くようにと」
「それは! ……わかりました。検査は後程。まずは温かいミルクで一息つくことが重要です」
そう言って慌ただしく奥に引っ込んだマダムと入れ違いに私はジニーに近づくと、その目を覗き込んだ。
「ジニー? 覚えてる?」
「えっと、誰、ですか?」
小さい声に、心底困惑した瞳。私が知っているジニーとは大違いだ。
「ちょっと! 貴方、スリザリンでしょう? ジニーに近づかないでくれる!」
唐突にグイッと腕を引かれて、向かいのベッドにすとんと腰を落とす。
見上げると、先ほどまで泣いていた女性が憤怒の表情をして私を睨みつけていた。
「お、おい。モリー。この子は例のあの人と関係ないだろう? それにここに居るってことは病人だ。
そんな手荒な真似は――」
「いえ、大丈夫です。ミスタ。私の用事も終わりましたし、お暇します」
「ええ、ええ! そうでしょうとも! 早くどこかに行ってちょうだい!」
「す、すまんな。モリー、ちょっと落ち着こう、な?」
私はマダム、ポンフリーに一言告げると、金切り声の響く医務室を後にした。